蜘蛛

蜘 蛛

   鬼クイズ
 誰もいない舞台中央がせり上がり、歌舞伎役者よろしく登場するひとりの男。
 せりが完全に上がったところで四方八方からカラフルなライトが浴びせかけられる。
 生バンドによるオープニング曲の流れる中、やたら大きな蝶ネクタイを首に巻いた金ぴかスーツの男がマイクをおもむろに持ち上げる。
「溢れ出る知識と知識のせめぎ合い。人はどこまで知識に貪欲になれるのか!さあ、今週もやってまいりました。鬼クイズ!司会はわたくしタンチュラ後藤でーす」
 タランチュラ後藤は番組開始早々、早くも汗だくである。
 7、3にぴっちり分けられた頭髪がてらてら光っている。
 伊達めがねに伊達ぼくろのタランチュラ後藤は、こめかみの血管が千切れんばかりに宣言した。
「さあて、今回はスペシャル対決!並み居る強豪をなぎ倒し、勝ち上がってきた二人の賢者を召喚しよう!」
 タランチュラが指をパッチンと鳴らすと上手と下手から派手なリリーフカーに乗った二人の男が現れる。
 やがて二人はリハーサルどおり中央に据えられた解答席に座ると、ワイヤーで吊られた解答席が宙に浮かぶ。上空には電飾を散らした美しい星空を再現。
 タランチュラは、空中に浮かぶ二人の賢者を見上げつつ、更にテンションを上げる。
「赤のボックスに座りしは、北海道からやってきた島田一郎24歳!おっと、コレは面白いぞ。島田さん、得意ジャンルはナシということですが、これは一体どういうことですか!」
 島田と呼ばれたちりちり頭の優男は、素人の分際でカメラを意識しつつ、中指で鼻の頭を擦りながらニヒルに答える。
「ふっ、言葉どおりの意味ですよ。そもそも得意ジャンルを持つということは、裏を返せば苦手ジャンルがあるということ。つまり、私には得意ジャンルはぬわぁい!」
「うわあっと、そういうことか〜!こいつは只者ではないぞ、島田一郎24歳。この男、まさに死角なし!さあ、それでは相対するブルーのボックスを紹介しよう。愛知県からやってきた法水司19歳。ニックネームは『女神に微笑まれた男』!これはどういう意味ですか、法水すわああん」
 向かって左手、ブルーのボックスに座る法水という童顔の男は照れくさそうに頭を掻きながらタランチュラに答える。
「いやあ、なんで僕がここに座ってるのかっていうと、問題運に恵まれているからなんですよねえ。ここ一番って時にたまたま僕が知ってる問題が出てくるんですよ。だから幸運の女神が僕に味方をしてくれてるとしか思えないんです」
「なるほどなるほど。確かにここまで危なげなく勝ち抜いてきた赤の島田に対して、ブルーの法水は予選のほどんどが滑り込みで通過してきている。実に対照的な二人。今夜、雌雄が決せられるわけですっ!」
 タランチュラはもうマイクに噛みつかんばかりだ。
「まさにまさにまさに頂上決戦、天王山。勝者のシートはたったひとつ。勝つのはどっちだ!その前に簡単にルールの説明をしよう。問題はすべて早押し。1問正解につき1ポイント獲得、お手つき不正解は減点5ポイント。時間無制限の勝負で先に50ポイント先取したほうが勝ち。シンプルだからこそ実力者のみが勝ち残るこのクイズ。制するのは島田か法水か」
 タランチュラは台本を捲り、問題を読み上げる体制をとった。生バンドが軽快なリズムで緊張感を煽る。
 司会者、解答者を次々とショートカットしていくカメラワークも絶妙だ。
 大きく深呼吸するタランチュラ。緊張の面持ちの解答者たち。
 『魁!男塾』ならば、背景にゴゴゴゴゴと意味不明の擬態文字が入るであろう緊迫した場面。
 ふいに生バンドがピタリやみ、静まりかえる空気の中、タランチュラが宣言する。
 「では、参る!鬼クイズ!・・・と、そのまえにコマーシャル。チャンネルはそのまま!」


   彼のプライベート
 こんばんは、最近めっきり仕事が減ってしょんぼりぎみのタランチュラ後藤、今年厄年42イヤーズオールドです。
 実は私、今度中学にあがる一人息子がおりまして、名前を裕太というのですが、これがまた親の私が言うのも実にその恐縮というか親バカというかなんですが、トンビが鷹を産むというんですか、実に利発で礼儀正しい子なんですよ。
 まあ、自慢の息子なワケですが・・・おーっと、そんなどうでもよろしげな話をしているうちに、お湯がッ、お湯がどんどん入ってまいります!
 いや、これはもうお湯とは呼びません!
 そうッ!熱湯という名の水でありますッ!
 かつてはカンムリ番組さえも持っていた引っ張りだこのタランチュラ後藤が、海パンいっちょで熱湯風呂に入ってるわけであります。
 盛者必衰とはまさにこのこと。
 いまやヨゴレタレントと化した私タランチュラ後藤、あつッ!って直接肌にかけるのナシの方向でお願いしたいです。
 なにしろ私今年厄年42イヤーズオールド、壮年の域に達しようとしているわけでありまして、命に関わる問題ですのでよろしくお願いいたします。
 しかしなにかこの喉もと過ぎればあつさ忘るるとでも申しましょうか、熱湯にもだんだん慣れてまいりました。
 これではリアクション芸人失格でありましょうか。
 海パンいっちょで熱湯風呂の体験リポートを続ける今年厄年の私、モニターに写る己の姿にちょっと泣けてきました。
 場内のお客さんがみんな笑っております。というかむしろ笑われております。
 これでギャラ一万円です。
 悲しいです。あつつつッ!!
 もう熱いというより痛いという感じです。
 かるく低温火傷です。
 だから直接かけるのはやめてくださいよっ!
 本当に局は事務所をとおしているのでしょうか、心配になってまいりました。
 こんなことでいいのかタランチュラ。
 仕事選べよタランチュラ。
 そんな声が聞こえてきそうでありますが、そんな私にもひとつ悩みがあります。
 近頃、裕太がイジメを受けているようなのです。
 あんなにいい子がイジメられるなんて納得できません。
 どなたか教えてください。
 どうして息子はイジメられるんでしょうか?


   おばんです♪
日曜のお昼どきいかがお過ごしでしょうか?
岩手の皆様こんにちは、おばんです岩手っこ、タランチュラ後藤です。
あー、ついにレギュラー番組これだけになってしまいました。
しかも岩手ローカル。
なにがいかがお過ごしですかだか。
日曜12時ですよ。みんなアッコにおまかせかのど自慢みてるってハナシですよこれ。
あーもお、だいたいなんでしょうねこの番組タイトル。
おばんですって、たしかこんばんはって意味ですよね。
日曜の昼がなんでおばんですなんですか。
ディレクター曰く
「シュールでいいじゃないですかー」
ってあのね、シュールと無意味はベツモノですよ。
これだからイナカ者は疲れますよ、まったく。
おっと、CM明けのカウントだ。
3、2、1・・・・・・
はい、次は「タランチュラの突撃レポート」。今日は小岩井で乳しぼりに挑戦してきました。
では早速VTRのほうをご覧ください―――

巷ではタランチュラ後藤死亡説がまことしやかに流れているとかいないとか(T^T)


   寝物語
「明仁さん」
「・・・・・・」
「明仁さんってば!」
「あっ、えっ、私?」
「他に誰がいるのよ。それともあたしとあなた以外にここに誰かいるとでも?」
「いや、すみません。なんていうか、その、私、下の名前で呼ばれることなんて滅多にないものだから」
「へえ、そうなんだ。じゃあ奥さんからはいつもなんて呼ばれてるの?」
「家内の話なんて・・・・・・」
「うしろめたい?」
「いや、どうだろう。正直わからないです。それよりむしろ名前で呼ばれるほうが落ちつかない」
「だったら、後藤さん。これでいい?」
「はい、助かります」
「うふふ・・・・・・」
「え、何がおかしいんです?」
「だっていつまでも後藤さんって丁寧なコトバ使ってるから。ずうっと年下のあたしなんかに」
「私は、ただ長く生きているだけですよ」
「でもヘンなカンジ。後藤さんとこんな関係になっちゃうなんて」
「すみません」
「いいのいいの、気にしないで。っていうかあたしね、実はずっと前から後藤さんのファンだったの」
「ファン?」
「そうだよ。子どもの頃、家族でよく見てたもの、鬼クイズ」
「ああ、あの頃は私にとっても一番いい時期だったのかもしれません。若い子はもう知らないと思ってましたが・・・・・・」
「よく覚えてるわよ。あのテンションの高さはそこらのタレントなんて足元にも及ばなかったもの。ほら、後藤さん、いつか週刊誌に書かれてたじゃない。あいつは絶対クスリやっているに違いないって」
「くだらないデマです。まあ、そうやってマスコミに書きたてられているうちが華だったんですよね。今にして思えば」
「ねえ、後藤さん。ひとつ訊いていい?」
「なんですか」
「後藤さんに会ったら絶対訊きたいって思ってたんだけど、そのリングネームみたいな芸名、どうしてつけたの?」
「ああ、それよく訊かれるんですよ」
「やっぱりねー、あ、ビール飲む?」
「いただきます。いや、実は私ね、子供の頃、蜘蛛が好きだったんですよ。だから」
「うん、それはなにかの本で読んだことある。ね、後藤さんってやっぱり昔は昆虫オタクだったの?」
「ちょっと待ってください。そもそも蜘蛛は昆虫じゃありませんよ。いや、昆虫ならともかく、蜘蛛は足が八本あるじゃないですか。しかも針のように細くて長い脚。そんな蟲って珍しいでしょ。そして外観の形状もさることながら、あの独特の巣の作り方。口から吐いた糸で住居を作り、しかもその住居が餌を得るための道具も兼ねている。まったくすばらしいと思いました。誰もが気味悪がり忌み嫌ったりするんですけれど、私はあの蜘蛛の姿に特別ななにか、無駄のない様式あるいは完成された美とでもいったらいいのか、そんなものにどうしようもなく惹かれていったんです」
「ふうん」
「私はね、あの蜘蛛のように特別な存在になりたかった。特別な人間になりたかったんです。この世に生を受けた以上はなにかで突出したい。たとえばそれは、マイク一本で大衆をしびれさせるような、そんな人間にね。私が子どもの時分、うちはひどく貧しかったんです。父親は博打好きで、いや、博打といっても競馬とか麻雀とかではなくて、つまりその、事業を次々と思いつきだけで興して、そのことごとく失敗して、借金だけが膨らんで、結局、泥酔した父親が車に轢かれて死んで、その保険金でなんとか借金は帳消しになったんですけど、でも、それでも貧しいには変わりなくて、大学にはなんとか進めたものの、アルバイトばかりに明け暮れていたような気がします・・・・・・あ、いや、すみません、退屈な話を長々と」
「ううん、そんなことないよ。あたしもっと聞きたいな、後藤さんのこと」
「不思議です。こんな話、今まで誰にもしたことなかったのに」
「へえ、そうなんだ」
「あの・・・・・・」
「なに?」
「そのう、今更こんなことを尋ねるのも本当に心苦しいんですが」
「うん、いいよ。なんでもきいて」
「あなたの・・・・・・君の名前は?・・・・・・えっ、あ、いや、そんなに笑わなくても・・・・・・」

 タランチュラ後藤
 本名 後藤明仁
 1960年1月3日生
 千葉県出身
 家族構成:妻 加代子、長男 裕太
 主な出演作:鬼クイズ、ザ・チャレンジャー
 現在のレギュラー:おばんです岩手っこ(岩手ローカル)
 所属:テレビニッポンアナウンサー、L&Bプロモーションを経て、現在フリー


   あの人は今?
「というわけで懐かしいVTRを観ていただいたわけですが、どーですかタランチュラさん、率直なご感想は?」
「いやあ、さすがに私若いですねえ。あれからもう15年になりますか。今の子どもたちなんて知らないんでしょうね、鬼クイズ」
「というよりもタランチュラさん自体知らないんじゃないですかね、ひやひや」
 ――――うしろむき探偵団
 一世を風靡した過去の有名人をスタジオに招いてインタビュー形式のトークを展開するというありきたりなコンセプトながら高視聴率をキープしている番組である。キー局はテレビニッポン。タランチュラ後藤がかつて身を置いていた放送局である。現在某IT関連企業に買収されるされないと揉めている老舗的テレビ局としても注目を集めている。
 番組の進行役を務めるのは高橋翼。甘いルックスと型破りでユニークな語り口が人気の局イチオシのアナウンサーである。彼がときおり意図的に発する"ひやひや"は流行語にさえなっている。
 初めは乗り気じゃなかった。
 タランチュラ後藤は柔らかすぎるソファーの感触に居心地の悪さを感じながらビジネススマイルを浮かべていた。
 ――――ふっ、私は過去の人ですか。
 老兵と呼ぶには若すぎる。まだ前線を去るわけにはいかない。しかし本人は意気に感じていても周りがそれを許してはくれなかった。所詮は彼もまた電子的玉手箱の中に暮らす消耗品のひとつに過ぎなかったのだ。目の前のこの男性もきっといつか私と同じ道を辿るだろう。インタビューにそつなく受け答えしながら、高橋アナのハイテンションにかつての自分を重ねてみる。
「しかしアレですよね、タランチュラさんって、つけボクロ取って髪形オールバックにしたらホントにもうフツーのオジサマって感じですよね」
「オーラないですか、私」
「いやいや、一般ピープルのオーラ、ばしばし出してますって、ひやひや」
 なんて目をしているんだ、この男は。まるで私を見下しているようだ。いや、実際そうなのかもしれない。
「ひどいなあ、一応あなたの先輩ですよ、私」
「ひやひや、そーでしたそーでした。で、どうですか、久しぶりの古巣は? あ、ところで、どうして局アナ辞めちゃったんですか。やっぱりこれですか?」
 高橋アナは身を乗り出して指でワッカをつくるとニタリと笑ってみせた。
 タレントまがいの見てくれとは裏腹に、あまりに下衆な感性の持ち主に対し気持ちがささくれ立つ。
 冗談じゃありませんよ、私はそんな志の低い男ではない。
 私はただ――私はただニュースが読みたかっただけなんだ。
 こんなハズじゃなかった。こんなハズじゃ……
「いやあ、でもお茶の間のお父さん方はタランチュラ後藤、懐かしいなあとか言ってると思いますよ。なにしろあの伝説のクイズ番組の司会者ですからね」
「なにしろ死亡説まで流れていたくらいですからね。メディアは怖いですよ、ははは」
「またまたご謙遜を。タランチュラさんはアナウンサーの新しい在り様を示した先駆者的存在ですからね、ボクら局アナの間でも尊敬している人がケッコー多いんですよ」
 急にゲストをヨイショしだす高橋アナ。相手を散々持ち上げたうえで饒舌にさせ、最後にド−ンと陥れる。これが彼のやり方、これが高視聴率の源泉である。悪趣味極まりないが、この業界はそうやってずっと商売してきたのだ。
 タランチュラはグッと体をこわばらせた。なにが来るんだろう? 昔の恥ずかしい映像とか、あるいは女性関係でも嗅ぎつけたか。おばんです岩手っこでの失態程度のブイでお茶を濁してくれればよいのだけれど……
 この部分に関しては打ち合わせでも一切教えてもらっていなかった。曰く本物のサプライズが欲しいのだそうだ。いずれせよ私もかつてはここの社員だった人間。さほどに無体なことはされないだろう。
 そう高をくくっていたのだが、その思惑は大きく外れた。
「ええとですね、実はタランチュラさんには中学3年の息子さんがいらっしゃるということでなんですが、その息子さんがなんでも不登校であるということで、ひとりの親として苦悩を抱えてるわけですが――」
「ちょ、ちょっと――」
「ということで今回はタランチュラさんには内緒で息子さんにインタビューを敢行してまいりました! ひやひやッ!」
「ちょっと待っ――」
 直後、私は収録の途中にもかかわらずスタジオを退室した。
 そうすればオンエアはなくなるだろうと踏んだからだ。
 これでもう古巣の敷居をまたぐことはないだろう。
 もしかしたら業界から完全に干されてしまうかもしれない。
 しかしやっていいことと悪いことがある。
 私は家族まで切り売りするつもりはない。
 高橋アナは仕事を投げ出して去っていく私を棒立ちで見守っている。
「自分だって息子のイジメをネタにしていたクセによ」
 そんな罵声が背に突き刺さる。
 ああ、そうですよ。そうですとも。やっていることはなにも変わらないかもしれない。
 だがこれはジョークの領域を超えている。本人を出演させるなんて度を過ぎている。他人の家庭に土足で入り込むなど許されるものではないのだ。
 
 そして3週間後、うしろむき探偵団〜タランチュラ後藤篇〜は全国にオンエアされた。
 編集で私は最後までスタジオにいたことにされていた。
 息子が実名で、しかもモザイクなしで登場していた。
 次の日、息子が姿を消した。


   蜘蛛
 息子が失踪して一週間が経った。
 裕太はまだ16歳。家内とともに行くあてを探そうとするものの、行きそうな場所さえ思いつかない。
 友達はいなかったと思う。イジメられていたらしい。
 私が息子に関してもっている情報といえばそれくらいのものだ。
 中学校に上がるあたりまでは勉強はできたのだが、後のほうの通知表をみると下から数えたほうが早い成績。今や学校そのものを辞めてしまっている体たらく。
 ガラステーブルを挟んだ向かいのソファーでは家内が目を真っ赤に腫らしている。
 家内は完全に憔悴していた。
 私は完全に途方にくれていた。
 ―――おおっと、玄関先には芸能記者が多数詰めかけております。当然息子の失踪についてコメントをとりたいのでしょうがイッタイゼンタイどこから嗅ぎつけたのでしょうか。昼間っからカーテンを閉めきって息を殺して過ごす週末、外出するのも一苦労。まさにまさにタランチュラ後藤、大・大・大ピ〜ンチでありますッ!
 私は台所に立っていって水を飲み、家内の丸めた背に声を掛ける。
「大丈夫、きっと見つかるよ」
「適当なこと言わないで!」
 間髪いれず家内が噛みついてくる。
「裕太のやつ、他にどこか行きそうなところ心当たりないかな?」
「もう全部探しました。ああっ、あの子、お金だって持ってないはずなのに」
 こうして彼女と会話をもつのは何日ぶりだろう。
 家内からは数ヶ月前に離婚を求められていた。
 彼女いわく、息子がだめになったのは私のせいだというのだ。私はやはり言葉もなく途方にくれていた。
 ―――HEY YO どうしたんだい、YOURSELF なぜに? WHY? 私は ANYTHING な〜〜〜んにもしていませんよォ?
 そう、何もしないのがいけなかったのだ、SO EVERYTHING……
 ふいに死にたい気分になった。死ぬ前に手記でも書き残しておいたら死後になってバカ売れしたりするのだろうか。そんな浅ましい考えが脳裏をよぎる。
 まあそれで慰謝料代わりにでもなってくれればいうことなしだ。彼女は本当になにもできない女性だから。こんなカラッポの私のためだけに尽くしてくれた女性だから……
 私は一体どこで道を誤ってしまったのだろう。
 やはりあのとき局を辞めなければよかったのだろうか。そうすれば今頃アナウンス部部長の椅子くらいには登りつめていたのだろうか。
 そして、今もまた私は道を誤り続けているのだろうか。
 家庭の幸せの象徴ともいうべきリビングルームの重い空気に耐えかねて二階の息子の部屋へと足を踏み入れる。
 裕太はここ一年くらいほとんど外に出ることがなかったらしい。
 しかし家の中で息子と顔をあわせることはほとんどなかった。
 裕太は自分の部屋からさえも出ることもなく、また入ってこられることを激しく拒んでいた。自分以外の世界のすべてを拒絶するかのように。
 勉強机と炬燵と箪笥。本棚はほとんどが漫画本。このひとめで見渡せる六畳限りのちっぽけな世界でおまえは何を思い、何をして過ごしていたのか。
 裕太、おまえは自分以外の世界のすべてを拒絶することなどそもそもが不可能であると気づいていたんじゃないのか。
 たとえば毎日食べているご飯。それはおまえじゃない誰かが生産し、お前じゃない誰かが販売し、おまえじゃない誰かが働いたお金で購入し、おまえじゃない誰かがおまえのために調理したものなんだ。
 無理なんだよ、裕太。おまえが一人で生きていける世界なんてどこにもない。どこ探したって見つかりはしないんだよ。支えあい、援けあい、折り合いつけて、妥協しながら、そうやってみんな生きてるんだ。
 そんな息子がなぜインタビューなどに応じたのか?
 さびしかったのか、それともきまぐれか。何かきっかけが欲しかったのだろうか。やはりこのままではいけないと感じていたのだろうか。
 裕太、おまえはどこで道を誤った?
 父さんとそれを探さないか。一緒に探さないか。
 当然いらえはない。主を失った部屋はただ刻を凍りつかせているばかり。
 家内は離婚を要求し息子は失踪。どうやら私はほとほと家庭運が悪いらしい。
 いや、運などではない、必然か。
 仕事もうまくいかず、ささやかなプライドまで捨ててこの業界にしがみつき、その成れの果てがこのざまだ。
 私は蜘蛛(タランチュラ)なんかじゃない。家族にとってさえ特別な存在にはなれなかった。
 私の場合はむしろ逆、蜘蛛の巣にかかって必死にもがいている羽虫のようなものだ――――

 次の日、裕太が轢死体で発見された。
 ダンプカーに撥ねられて即死だったという。
 ああ、なんてことだ。こんな形でかけがえのない家族を失うなんて一度でたくさんだというのに……

16人いる!       ひかり小説館

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送