第7話 遊園地
突然姉が遊園地へ行こうと言い出した。
休日の遊園地は混雑を極めていた。
原色の青い空に雲が流れている。姉は子供にかえったようにはしゃぎまくり、物凄いスピードでアトラクションをこなしていく。それにいちいち付き合わされる僕はまさにいい迷惑だ。
一人へばってベンチで休んでいると、姉が二人ぶんのコーラとポテトを持ってやってきた。
「俊ちゃん、少し休む?」
僕がもろ手を挙げて同意すると、姉は僕にコーラを渡して隣りに座った。
「俊ちゃん、遊園地来るの初めてやろ」
遊園地はあの夜の記憶に繋がる。母との果たされなかった約束・・・
「あたしね、俊ちゃんには悪いけど、お父ちゃんたちによう遊園地に連れてって貰ったんよ」
どういう風の吹き回しか、僕らの間で禁句になっている両親の話題を姉が自ら語りはじめた。
「お父ちゃんは真面目で厳しい人、お母ちゃんは綺麗で優しい人やった。三人で遊園地行ったときな、たとえば、あたしが何か買うてとか言うやろ、そしたらお父ちゃん、さっき買うてやったやないかとか言うて怒ってな、でもお母ちゃんが、まあ、ええやないですかァなんてフォローしてくれたりするねん。あの頃は楽しかった・・・俊ちゃんも遊園地行きたかったんやろ」
喉がからからに渇いていた。
僕はコーラを一気に飲み干し、空になった紙コップを握り潰した。
「姉さん、あの夜のこと・・・」
「よう覚えてるよ。だからあたしがお母ちゃんの代わりに俊ちゃんとの約束果たそう思ってな。ずいぶん遅うなってしもたけど」
「姉さんは・・・」
自分でも声が震えてるのがわかった。
「姉さんはあの人が憎くないの?僕たちを殺そうとしたあの人が・・・あの人のせいで、姉さんはずっと苦しんできたんじゃないか!」
不意に姉の平手が僕の頬を打った。
僕は驚きのあまり声も出なかった。姉にぶたれたのは生れて初めての経験だった。
「あたしはお母ちゃんを恨んだことなんて一遍もないよ。あたしたちを生んでくれたんだもの、感謝こそすれ憎むだなんて・・・お母ちゃんはなあ、あたしたちを裏切ったのと違う。あたしたちのことを想うて一緒に天国に連れて行こうとしたんや」
「・・・姉さん」
「あたしは余計なことしたのかもしれへんなあ。あの夜、一家みんなで死んでた方がずっと幸せだったのかもしれん」
「そんなことない!そんなことないよ。僕生きてて良かったよ。姉さんだって同じだろ?」
僕は柄にもなく大声を張り上げていた。
姉は目に涙をためて、しおらしく頷いた。
「うん、そやね、ありがとう・・・ごめんな、俊ちゃん、さっき痛かったやろ」
「平気平気。ちょっとびっくりしたけどな。そうだ、今度はこっちがびっくりさせる番だ」
「何よ、それ、どういうこと?」
「まあ、いいからいいから」
「変な子やなあ」
僕らは人込みを避けるように観覧車に乗り込んだ。弧を描きながら上昇する箱からの景色が徐々にひらけていき、やがて園内が一望できるくらいの高さにまで上がった。
「あたしだって両親のこと拘ってない言うたら嘘になる。ほんまのこと言うとね、旦那との喧嘩の原因もそのことに関係あるんよ」
姉が深呼吸ひとつして言葉を継いだ。
「旦那の弟さんの仕事が、うまくいってないらしいの。彼もあたしたちと一緒で早くに両親を事故で亡くして肉親はその弟さんだけなんよ。だから旦那、何とか力になりたいって言ってたんやけど、ほら、結婚するときさ、お父ちゃんの借金の残り全部肩代わりしてもらったやろ。だから今ウチには経済的なゆとりが全然ないの。彼はもちろんそんなこと一言も言わへんけど、あたしにはそのことがずっと負い目になっててね、つい言うてしもたんよ。弟さん助けられへんのはあたしのせいやねって。そしたら彼すごい剣幕で・・・あの人が怒った顔、あたし初めて見たわ」
心底後悔してるようにうなだれる姉に僕が言う。
「姉さん、あまり気にすんな。そっちの金の工面はできたそうだから」
「・・・え、俊ちゃん、知ってたん?」
「今朝、義兄さんから電話があったんだ。弟の経営の見通しが立って銀行の融資を受けられることになったとか言ってた」
「ほんまに?俊ちゃん、何でそれを早く言わんの」
「姉さん、義兄さんとこ帰れよ。なんだかんだ言っても、あそこが姉さんの本当の居場所なんだからさ」
僕は観覧車の下を見るよう姉を促した。下では義兄が僕たちの方を見上げている。
「僕が呼んどいたんだ」
姉が泣き笑いの顔で僕を見た。
「俊ちゃん、あたしといるのがよっぽど厭なんね」
「ああ、厭だよ」
「もう昔みたいに一緒に暮らせへんのかなあ」
「そりゃあ無理だ」
観覧車が360度の円を描ききり、やがてドアが開く。
姉は出迎える義兄をその目に写し出すと、一直線に駆けていきその胸に飛び込んだ。義兄の腕の中で泣きじゃくる姉はまるで子供のように見えた。
しばらくして姉が義兄を離れ僕のところに戻ってきた。
「俊ちゃん、あたしはね、結婚して奥さんになっても、子供産んでお母さんになっても、年とってお婆ちゃんになっても、ずっとずっと俊ちゃんのお姉ちゃんなんやからね。そのこと絶対忘れんといてよ」
「ああ、わかってるよ」
「うん、素直でよろしい」
姉はにっこり微笑むと踵を返して義兄の元に帰っていった。
これでよかったんだ。
僕は心地好い満足感に満たされ、春の暖かい空気を胸一杯に吸い込んだ。
周りを見回すと老若男女様々な人々が皆一様に楽しそうな笑顔を振り撒いている。
僕はほんの少しだけ晴れの休日が好きになった。
そして心から、人間を好きになれる自分になりたいと思った。
――――――了
悲しき過去と 愛しき者と 手を繋ぎ 歩いて行こう 未来から差し伸べられた手を握るために 〜柊 図南〜 |
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