望ましき食卓

望ましき食卓


 ヤマモトは自宅のクロゼットの前でネクタイを外しながら大きくため息をついた。夫の背広をハンガーに掛けていた妻が怪訝そうに尋ねる。
「どうかしたの?ため息なんかついて」
「お前はなんとも感じないのか?」
 ヤマモトはいくぶん呆れた風に隣室を顎でしゃくって見せた。生後8ヶ月になる長男のヒロユキが泣き喚いている。
「うるさいんだよ。なんとかしてくれ」
「そんなの仕方ないわよ。赤ちゃんなんだから」
 食卓につき夕食を一瞥して、ヤマモトは腹立たしげに言った。
「また、豆腐に焼き魚。お前は俺を殺す気か?頼むからもっとましなもん食わせてくれよ。肉とかさ」
「だって肉は高いのよ」
 台所から背中越しに妻が応じた。
 ヤマモトは舌打ちした。
 いつもそうだ。何事に動じず、しれっとした顔で言い返す。素直にハイとは絶対言わない。ヤマモトはいらだたしげに煙草のフィルターを噛み潰した。
「あのなあ、俺は別に鹿や鯨の肉を食いたいって言ってるわけじゃないんだよ。豚だって鳥だって何だって構わないんだ。俺はただもっと精のつくものを食わせてくれないかと言ってるだけなんだ」
 妻は蛇口をキュッと閉めると、エプロンで手を拭きながら振り返った。
「分かったわよ。明日からそうします」
 何が分かったんだか。ヤマモトは妻に対してもう何も期待していなかった・・・。

 予想に反して、次の日の夕食は肉料理だった。焼肉、から揚げ、刺身と少々嫌味ではないかと思えるほど、テーブルの上は肉を盛った皿で埋め尽くされていた。肉はとてもやわらかく歯ごたえがあり、そして美味かった。
 それにしても珍しいこともあるものだ。この器量なしがこうも早く夫の要望に応えてくれるとは。
「ごちそうさん。なかなか美味しかったよ。あまり食べたことがないような味だったけど、どんな味付けしたんだ。それとも肉が変わってるのか?」
「まあね。そうそうたべられるものじゃないわね」
 ヤマモトは台所に立っている妻の背中に問い掛けた。
「何の肉だい?高かったんじゃないか」
「いいえ、これみんなタダよ」
「・・・!!」
 妻の冷ややかな視線にぶつかって、ヤマモトははっと息を呑んだ。
「・・・ヒロユキ、今夜はやけに静かだな」
 静寂がヤマモト家を支配していた。
 ヤマモトは恐怖を通り越して、自分でも驚くほど妙に冷静な頭で考えた。
 今度は妻のいびきがやかましいと文句を言ってやろう・・・と。


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