押し入れの目

押し入れの目


 昨日、夢を見た。
 小学生の頃の懐かしい思い出。もう20年も昔のことだ。


 夜の学校から帰宅した僕は、祖母に肝試し大会をしてきたことを報告した。
「おお、お帰り、真。肝試し、怖かったじゃろ」
 祖母はスイカを乗せた皿を運びながら僕に訊いてくる。
「ううん、ぜんぜん。僕、お化けなんて怖くもなんともないもん」
 そんな僕の反応に祖母が顔中の皺を寄せて嬉しそうに笑う。
「えらいのう、真は。さすが男の子じゃ」
「そんなの当たり前だよぉ。小学校の肝試しなんて子供だましだもん。僕なんてさ、お化けに会えるものなら一度会ってみたいくらいだよ。そんで、もしそいつが悪いお化けだったらさ、僕、そいつが二度と出てこないように退治してやるんだ」
「ほんに頼もしいのう」
 と、祖母が目を細めて僕を見つめる。
「ほれ、真、暑かったべ。スイカ食え」


 当時の僕の家は、両親が早くに離婚し、母と祖母との3人暮らしだった。
 僕が幼い頃の母は、昼夜を問わず働きに出ていたので、ほとんど顔を合わせた覚えがない。
 片親だからって世間様に後ろ指をさされたくない、という気持ちが強かったらしく、母は僕を他所の子以上に厳格に育てようとした。たまに僕の顔を見れば、二言目には、やれ勉強しろ、そればかり聞かされていた。
 一方の祖母は僕に甘かった。母に内緒でよくお小遣いやお菓子を貰ったりしたものだ。
 けれど、そんな祖母からの恩恵もいつの日からか、ぱったりと途絶えてしまった。僕自身、家が決して裕福ではないことをなんとなく承知していたので、祖母が何もくれないからといって、敢えてねだるようなことはしなかった。


 たしか、昨日の夢もちょうどその頃のことだったやに記憶している。
 あの夜の肝試し、僕はとても怖くて怖くて後ろも振り返らず決められた道順を逃げるように早足で駆け抜けていった。本当の僕はどうしようのなく臆病だったのだが、祖母にはそのことを素直に言えなかった。
 むろん、正直に怖かったなどと告白するのは男として恥ずかしいという気持ちもあったが、それよりもむしろ、家族の中で男が自分ひとりだけであるからこそ、お化け程度に怖れをなしてはいけないと幼心にも感じていたという後ろめたさもあったような気がする。
 あれは肝試しの話をした次の日だったろうか。いつものように祖母とふたりで母の帰りを待ちながら、扇風機の前で素麺を啜っていたときのこと。ふいに祖母が語りかけた。
「真、知っとるか。どこの家にもなぁ、お化けはいるんじゃよ」
「ばっちゃん、僕を担ごうったってそうはいかないぞ」
 ちょっとゾッとしたけど、僕は無理に平静を装ってみせる。それでも祖母は大真面目に力説する。
「嘘でねえ。お化けはな、押し入れン中に棲んどるんじゃ」
「押し入れに?」
 祖母の言葉につられ、横目で押入れの襖戸をみやる。
 ・・・あの中にお化けが?
「ほんだよ。お化けはなあ、夜な夜な現れては悪さをしていくんじゃよ。真は押し入れン中を見たことはあるかい?」
「うん、あるよ」
 布団を乾すときにちらっと見たことがある。薄いベニヤ板を貼りつけただけの簡素なつくりの内壁に三方を囲まれ、上下二段に区切られた押し入れ。その上には僕の身長では届かない小さな天袋があった。
「ほうか。そしたら、押し入れの奥の壁になぁ、ちいちゃい穴があったじゃろう。お化けはあすこからいっつもこっちを覗いてるんじゃ。お化けは家のモンが寝静まった隙を窺って飛び出してきちょる」
 祖母のおどろおどろしい語り口に、背筋に冷たいものが走った。
「でも、僕、一度も見たことないけどなあ、そのお化け」
「そりゃそうさ。ばっちゃ、お化け出てこんように封印しちょるからなぁ」
「ふういん?」
「そうじゃ。押し入れの穴にな、護符を貼っとるんじゃよ。観音様の護符をなぁ」
 祖母の戯言をすっかり信用してしまった僕は、内心ホッと胸をなでおろす。
「だったら、大丈夫だね」
「ああ、大丈夫じゃよ。護符を剥がさんかぎりはのう」
 入れ歯をカタカタ鳴らしながら祖母は快活に笑った。不思議とあの時の笑顔がより鮮明に蘇ってくる・・・


 あれから20年。
 祖母はとうの昔に他界している。
 そして僕は今、あばら家と成り果てた少年時代を過ごした生家の前にいる。
 家は使わないままにしておくと傷みが激しくなるもの。それを嫌った母の強い要望で、僕は家の風通しを兼ねて様子を見にこの田舎までやってきたというわけだ。
 最近、母の体の調子が思わしくない。そんな母が昨日言っていた。
 ばっちゃんが急に小遣いをくれなくなったのは、自分が甘やかすなときつく戒めたからだ、と・・・
 そんな話を聞いた後だから、祖母の夢を見たりしたのだろう。
 あちこち傷んでいる家の中を歩き回っているうちに、ふと、あの押し入れのことが気になりだした。
 長いこと使っていなかった押し入れは襖がかたくてなかなか開かない。
 力を込めてむりやり開けようとすると襖ごと外れてしまった。
 黴くさい布団を引っ張り出すと、確かに祖母の言ったとおり押し入れの壁には、筆でなにやら書きこまれた黄ばんだ和紙が貼ってある。どうやらそれが護符らしい。
「そんなバカな・・・」
 僕は頬の筋肉を軽く引き攣らせながらひとり呟き、恐る恐る護符に手を伸ばした。
 護符は呆気なく剥がれた。
 そして、そこにはやはり穴があいていた。
 暗い押し入れの中に懐中電灯の明かりを向けると、空洞であるはずの穴から思いがけず目が覗いた。
 一瞬ぎょっとしたが、よくよく見ると、それはお化けの目などではなかった。
 穴に指を差込んでみると何かが詰まっている。間の抜けた話だが、僕はそれを目だと勘違いしたのだ。
 取り出してみるとそれは筒状に丸められたお札だった。
 伊藤博文の旧千円札。
 それでようやく合点がいった。
 祖母は僕がここを探すであろうと予期していたのだ。
 お化けに会えるものなら会ってみたいと強がった僕の言葉を鵜呑みにして、わざとお金を隠しておいたのだ。
 母に小遣いを渡さぬよう戒められていた祖母が、僕に小遣いをあげるために一芝居うったというわけだ。
 僕はどうしようもなく涙腺が緩むのを堪えられなかった。
「ありがとう、ばっちゃん。これ、大切にするよ」
 そして、祖母から貰った最後のお小遣いは、今でも僕のアルバムの中で懐かしい思い出とともに時を凍りつかせている。


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