呉服商殺 人事件(問題編)

呉服商殺 人事件(問題篇)


(参ったな。また減点パパになっちまう……)
 九条啓介はため息をついて、膝の上にのせた紙袋を恨めしげに見下ろした。
 神奈川県警捜査一課係長の肩書きを持つ彼は、パトランプをわんわん鳴らすパトカーの後部座席に身を沈めていた。
 車は殺 人現場へ急行中であったが、その心中は署に連行される犯 罪者のそれであった。
「警部補、何ですか、それ?」
 『JOY-TOY』と白いロゴが印刷された菫色の紙袋を指して、そう尋ねてきたのは新人刑事の円谷冴子だった。
 九条はふいの部下の質問に照れ笑いを浮かべた。
「ぬいぐるみだよ。詳しくは知らんが何とかっていうアニメのキャラクターらしいね」
「ああ、娘さんにですか」
「そうなんだ、実は今日が九歳の誕生日でね。しかし今夜中には帰れそうもないな。ケーキ買って待ってるらしいんだが先にやっててくれとさっき電話したところだ」
「それは、お気の毒に……」
 冴子は、まるで彼の娘が交通事故で死んだかのようなくらい沈痛な面持ちでそう言った。
 殺 人事件の通報があったのは午後5時。さて、帰ろうかとコートに手をかけたとき、それを待ち構えていたかのようなタイミングでデスクの電話が鳴ったのだった。
「だが、君も災難だったな。デートの約束でもしてたんじゃないか?」
「そんな人がいれば良いんですけど……」
 と、彼女は控えめに笑った。
 円谷冴子はまだ23歳の研修期間中の刑事であったが、その幼い顔立ちから見ても十代後半でも通るかわいい女の子だった。
 もてても不思議じゃない理知的な女性で、いい寄る男も随分いるという話を聞くが、職業が刑事と分かると男たちは皆尻ごみして離れていくらしい。
 刑事としてはなかなか優秀な部類に入るのだが、男運がないのはその辺に問題があるのだろう。
 尤も、当の本人は全く気に留めていないようだが……。


 殺 人現場の樋口呉服店に着くと、既に数台のパトカーが到着しており、死体の発見された奥座敷では、鑑識班が指紋採取や現場撮影にと精力的に動き回っていた。
「ご苦労様です、警部補」
 と、声を掛けてきたのは、彼らと同じ捜査一課の岬刑事だった。
 合コンがあるとかで嬉々として退庁した彼であったが、彼もまた不運にも携帯への連絡でかりだされたクチらしい。
「おお、岬君か。やけに早かったな」
「ええ、現場が近くだったもので……」
 ほんのりと頬を赤らめている岬がそう答える。少し酒が入っているようだが捜査には支障ない程度だろう。その証拠に彼は警察手帳を繰りながら、きびきびと状況の説明をしてきた。
「ガイシャはこの樋口呉服店の店主、樋口良蔵、55歳。現場にあった灰皿で額を一撃、それによる出血多量が死因と思われます。最後にガイシャを見たのは妻の響子さんでその時刻は、およそ午後4時。ガイシャをひとり残して買い物に出て帰ってきたのが4時50分ごろで、程なく死体を発見したとのことですから死亡推定時刻はその間ということになります。鑑識の結果を待たないとはっきりしないのですが、発見が早かったので、かなり時間を絞り込めるらしく、犯行があったのは恐らくその時間帯に間違いないだろうとのことです。それと、手提げ金庫や店の商品には一切、手がつけられていませんでした」
「そうか……物取りの線は薄いようだな。ということは怨恨の線が強いというわけか……」
「額の傷口から見て被害者は真正面から襲われたことになるわけですよね。もみあった形跡もないですし、やっぱり顔見知りの犯行と考えるのが妥当でしょう」
 とがった顎に手を当てながら、そう口添えする冴子。男たちが犇めく殺伐とした殺 人現場にあって、一見女子大生にも見える彼女は明らかに異彩を放っていた。この状況が間違い探しゲームなら真っ先にマルを付けられているところだ。
 そして次にマルが付されるであろう箇所は被害者のすぐ傍にあった。
 腹ばいで息絶えている樋口氏の指先に血が付着していた。そしてその先には彼が死の間際に自らが書いたと思われる血文字が畳の上に記されている。

 古代 江戸 京 本

「あの、岬さん。これってもしかしして……」
「そう、ダイニングメッセージってやつだろう、たぶん」
 岬刑事は困惑顔で冴子の問いに応じた。
 それを言うなら『ダイイングメッセージ』でしょ、と冴子は訂正しようとしたが、意味は分かってるようなので敢えて言うのをやめた。
 ダイニングメッセージを意訳するなら『みんな〜、ご飯よぉ、おりてらっしゃ〜い』になってしまう。岬もそこそこは優秀な刑事である。当然、そんな誤解をしているわけではないだろう。
「それにしてもこれは一体何なんですかね?『古代』とか『江戸』とか、時代を示すものでしょうか」
「しかし、『京』はどう説明する?『本』は読む本のことか……?」
 大の男二人が腕組みをして考え込んでいる。
 ダイイングメッセージは犯人が誰であるのかを知らせようとして残す伝言のことである。ということは、万一犯人が戻ってきても気付かれないようにしなければならず、露骨に犯人の名を残すようなことはできない。すぐに分かっては困るのだ。ただ、複雑にしすぎると現場に駆けつけた警察にも解読されない危険性があるので多少は分かりやすく作っておかなければならない。激痛に耐えながら行う人生最期の仕事としては、これはなかなかどうしてハードな作業である。
「古代、江戸、京、本……この四つの言葉に何か共通点があるんじゃないでしょうか?」
「かもしれんな。ところで顔見知りの犯行の可能性が高いとなると一番身近にいる奥さんが怪しいんじゃないか?家の勝手も熟知してるわけだし……」
 九条警部補の尤もな問いかけに岬刑事は更に手帳をめくりながら言う。
「いや、その線はないようです。この時間、確かに奥さんが買い物に来ていたことを商店街の複数の人間が証言しています。なにより近所でも評判のおしどり夫婦で、二人とも仕事熱心だったそうですから動機が見当たりません」
「そうか。じゃあ、ほかにガイシャに恨みを持っている人物はいたのか?」
「ええ、奥さんや近所の人たちに聞き込みしたところ、ガイシャに恨みを持っていた人物は少なくとも三人ほどいたようです。その三人には全員アリバイがなかったので、関係者の事情聴取という名目でここに呼んであります。とりあえず応接間で待機してもらってますが会ってみますか?」
「うむ、そうだな……」
(血文字の意味も何のことかさっぱりだし、こりゃあ、今夜は帰れそうもないな)
 九条は、未練がましく現場まで持ってきた娘への誕生日プレゼントを見て、そんなことを思った。
 そんな上司の気持ちもほったらかしに冴子が小っちゃな口を開いて言う。
「岬さん、事情聴取する前にその三人のこと詳しく教えてもらえますか?」
「……ああ、そりゃ構わないよ」
 岬は再度手帳に目を落として、三人の容疑者について語り始めた。その主な内容は以下のとおりである。


氏 名
年齢
職 業
動     機
市川 秀平 57
呉服店経営 被害者の商売敵。被害者の人柄の良さから自分の店の客が流れていったことに腹を立てていたらしく、店まで押しかけて文句を言いに来たこともあった。
町居 綾香 44
茶道師範 仕事柄和服を着ることが多く、よく店に来ていたが、自分の欲しい反物とは別のものばかり勧めてくることに怒っていた。実際彼女は着物のセンスが悪かったらしく、良かれと思って注進していたのだが、そのことで「恥をかかされた」と知人にこぼしていたらしい。
村崎 徹郎 31
無職 つい最近まで樋口呉服店に勤めていたが既に被害者に解雇されている。時々店の金を持ち出していたこともあったようだが、仕事に対して不誠実なところがクビになった直接の原因らしい。


「どいつもこいつも逆恨みじゃないか。しかし、ガイシャのメッセージとは直接関係なさそうだな」
「三人の名前の上一文字を並べると『市町村』になるんですけど……まあ、これはただの偶然でしょうね」
 またまた苦悩の表情を見せる九条たちに冴子が控えめに声を掛けた。
「あのお……」
「ん?どうした、円谷君」
「はい、わたし、犯人が分かったんですけど……」
「まさか!本当か!?」
「冴子ちゃん、冗談はよしてくれよ」
 いきなりの重大発言に九条も岬も半信半疑のていだ。いや、一信九疑とでも表現した方がより適切だろう。しかし冴子は自信たっぷりの様子だ。
「でも、三人の中に犯人がいるとしたら、この人しか考えられないんです。被害者のダイイングメッセージがズバリこの人物を示しているんですから」
 九条は目を剥いて冴子に耳打ちした。
「円谷君、あまり滅多なこと言うもんじゃない。あのメッセージと三人のデータに共通項なんてないだろう」
「いいえ、あります。警部補、試しにその人にカマをかけてみませんか?やってみる価値はあると思います」
 冴子はそのかわいい顔とは裏腹におっかないことをさらっと言う。どうやら彼女の自信は揺らぎそうもなかった。
「よし、分かった。そこまで言うならその根拠を聞こうじゃないか」
「いいですよ。あ、警部補の持ってる娘さんへのプレゼント、それもこのダイイングメッセージとちょっとだけ関連性があるんですよ」
「なんだって、これが……?」
 九条警部補は、自分の手に提げている紙袋をまじまじと見つめて、そして嘆息を漏らした。
(やっぱり分からん……)



 
 さて、犯人は分かりましたか?
 結構マニアックな知識が必要かも知れませんが、少しだけヒントを出すと四つのメッセージの中で最も分かりやすいのは、おそらく『江戸』だと思います。
 あとは、九条警部補のプレゼントとのあわせ技で、専門知識がなくとも犯人に辿りつくはずです。
 それでは、引き続き解答篇をお楽しみください。



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