呉服商殺 人事件(解答編)

呉服商殺 人事件(解答篇)


「実は、殺された樋口さんが、ダイイングメッセージを残していたんです」
 円谷冴子は相手がソファーに座るなりそう切り出した。
 相手というのは、冴子が犯人だと指摘した三人の容疑者のうちの一人である。
 そして、その人物は確かに樋口良蔵殺しの犯人であった。
 応接室には、他に九条警部補と岬刑事がいた。
「はあ、そうですか……で、犯人は分かったんですか?」
「もちろんです。あのメッセージを見る限り、犯人はあなたをおいて考えられません」
 と、冴子はいきなり結論づけた。
 しかし、犯人は予想していたのか平然とそれに応じた。
「まさか……私は殺してなんかいませんよ。まあ、確かにあの人を少なからず恨んではいましたが……刑事さん、本当に現場に私が犯人だというメッセージが残されていたんですか?」
 犯人は冴子ではなく、最も年配の九条に向かって問いかけた。
「だいたい何なんですか、この女性は?まるで刑事みたいな言い方して……」
「すみません、わたし一応刑事なんです」
 冴子はそう言われるのが慣れっこらしく、別段不平を漏らすでもなく、むしろ申し訳なさそうに警察手帳を提示して見せた。
「そういうことです」
 扉の前に立っていた岬刑事が犯人に頷いて見せると、犯人は不貞腐れたようにソファーに背を凭れた。
「どうしてこんな小娘に犯 罪者呼ばわりされなきゃならないんですか。人権侵害ですよ、これは!」
「まあ、落ちついてください。すぐに終わりますので。ええと、まずはこれをご覧になっていただけますか。殺された樋口さんが今わの際に書き残したものをコピーしたものです」
 冴子が自ら書き写したメモを犯人に差し出した。
 犯人は不承不承メモを受け取る。
「古代、江戸、京、本……何ですか、これは?どうしてこれで私が犯人になるんです?犯人は古代進か江戸川乱歩か京本政樹なんじゃないですか」
「それでは不完全でしょう。この四つの単語すべてが犯人を示さなければならないのでしょうから」
 犯人の笑えないジョークに冴子はまじめくさってそう答えた。
 一方で犯人は冷静に思考をめぐらせていた。
(そうか!警察は、犯人が誰なのかまだ掴んでいないんだ。だからこうして、関係者全員にカマをかけているに違いない。ダイイングメッセージが残されていたと聞けば観念して犯行を認めるか、あるいは動揺を見せると踏んだのだろう。だが、そうはいかない。私はこの血文字を一度見ている。あいつを殴りつけたあと、本当に死んでいるかどうか確かめるために一旦現場に戻っているんだ。その時にあの血文字を見つけたのだ。あいつは一体何をトチ狂ったのか知らないが、どう見たってこのメッセージから私の名前は連想できない。おおかた、血を流しすぎて動転していたのだろう。だから敢えてそのままにしておいたのだ……)
 そこまで考えたところで、冴子は切り口を変えて訊いてきた。
「ところで、あなたは樋口さんがどんな殺され方をしたかご存知ですか?」
(ほう、そう来たか?警察からは樋口氏が殺されたとしか聞かされていない。ここで灰皿で殴られて死んだとでも答えれば、なぜ一般人が知り得ないことを知っているんだ、と、こう出るつもりだろう)
「そんなこと知りませんよ。私はただ樋口さんが殺されたとしか聞いていませんので……それよりどうしてこのメッセージで私が犯人ということになるのか説明してもらえませんか?」
 冴子は眉間にしわを寄せて困ったような顔をした。
(参ったか!どうせ答えなんて準備してないんだろう。さあ、何とか言ってみろ)
 果たして、円谷冴子はまったくもって呆れたと言わんばかりの口調で問いかけた。
「あなた、本当に分からないんですか?知っててわざと隠してるんじゃないですか?」
(!?……どういう意味だ)
「ふーん、あなたのその態度……どうも本当にこのメッセージの意味が分からないみたいですね」
 冴子は身を乗り出してしつこく同じ質問を投げかけた。
「古代!江戸!京!本!この四つに共通する言葉です!普通の人なら知らなくてもおかしくはないけれど、あなたならすぐに分かるはずです!
 犯人は発汗していた。そして言葉を探した。
(こけおどしのつもりか?しかしこの女刑事の自信はなんだ?)
 ついに、冴子が解答をを出した。
「紫ですよ、紫。古代紫、江戸紫、京紫、本紫、すべての言葉に紫という字がつくんです。お分かりですか、村崎さん」
「あ……」
 犯人……村崎徹郎はここに来て初めて動揺を見せた。
 紫と村崎(むらさき)……そのものズバリじゃないか!
「今の四つの紫は染め物を少しでも齧っていれば当然知っていてしかるべきものです。呉服屋に勤めていたあなたがそんなことも知らなかったなんて!村崎さん、あなた、クビになって当然ですよ」
 村崎の額を洪水のような汗がぼたぼたと流れ落ちる。
「な、な、な、何を言うかと思えば。どうして、たかが血文字ぐらいで私を犯人扱いするんだ!そういう解釈もできるってだけだろうが!そんなものは証拠にならない、断じてならない!」
 唾を飛ばしながら一気にまくし立てた村崎が勢いよく立ちあがる。
「不愉快だ!帰らせてもらう」
 そんな彼を冴子が真正面から見据える。睨み合う女刑事と殺 人犯。
 やがて冴子は、大抵の男が見たら惚れてしまいそうなくらいのとびきりの笑顔を作ってみせた。
「聞きましたよね、警部補」
「ああ」
「聞きましたよね、岬さん」
「確かに聞いたよ。テープにもばっちり録音してある」
 九条と岬は揃って冴子の笑顔に微笑み返した。
「何だ!あんたら何を笑ってるんだ?え、おい!」
 冴子は憎むべき犯人に済まして言ってやった。
「村崎さん、今、あなた、血文字って言いましたよね。たかが血文字と……どういう方法で殺されたかさえ知らないあなたが、何故ダイイングメッセージが血で書かれたものだと知ってるんです。それはあなたがその現場にいたからでしょう」
「い、いや、それは……あんた、さっき言ってなかったっけ?血で書いた文字とかって」
 村崎は半ば観念しつつもささやかな抵抗を試みる。しかし、冴子は彼の反撃をばっさりと切り捨てた。
「いいえ、わたし、血で書いたなんて一言も言ってません。何でしたらテープ巻き戻してみましょうか?」
「……いや……もう、いい」
 これで、ジ・エンドである。
 村崎はがっくりとうなだれて両手を差し出した。
 岬刑事が取り出した手錠が、村崎の手首に噛みついた。
 応接室のドアが開き、入ってきた制服警官が彼を両脇から拘束する。
 村崎は誰にともなく呟いた。
「くそ!紫の意味さえ知っていたら、あの血文字を消すことだってできたのに……」
 そんな彼の背中に冴子が最後の言葉を投げかける。
「それが分かっていたなら、クビになることもなかったでしょうにね……」


 こうして事件は解決した。
 時刻は午後9時をまわったばかり。
 異例のスピード解決だった。
 三人の刑事は現場をあとにし、夜の道を肩を並べて歩いていた。
「警部補、娘さんの誕生祝い、間に合いそうですね」
「いやあ、まったくだ。円谷君、君のおかげだよ」
「僕も合コン、二次会から合流できそうです。う〜む、めでたい」
 岬刑事もすこぶるご機嫌だった。
 四つ角に来て一同はそれぞれの道を歩むべく一旦立ち止まる。
「じゃあ、ここで……」と、岬刑事。
「お疲れ様でした」と、冴子。
「ああ、また明日な、岬君、呑みすぎるなよ」と、九条警部補。
(さてと、子供が起きてるうちに帰らんとな)
 ひとりになった九条がタクシーを拾うべく車道に向かって手を上げた。
 もう片方の手には、冴子が菫色と称したものの、どう見てもただの紫色にしか見えない紙袋をぶらさげて……。


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