植物庭園殺 人事件(解答編)

植物庭園殺 人事件(解答篇)


「何を言っているんですか、刑事さん。俺、嘘なんか言ってませんよ。智之を殺したのは間違いなく俺なんです」
 花岡守継は円谷冴子を前にして、あくまで挑戦的な態度を崩さなかった。
 しかしながら、実際のところ犯人ではない彼は、殺 害現場を見ていたわけではなく、何かおかしな証言をしただろうかと、必死になって己の台詞を頭の中で巻き戻していた。
 冴子が睨んだとおり守継は犯人ではない。彼はただ犯人を庇っているに過ぎなかったのだ。
(俺がここで自首すれば、とりあえずあいつは解放されるはずだ。だがこの後、本格的に捜査されることになれば、あいつがやったことが露見してしまうかもしれない。今の俺にできることといったら、刑事たちを足止めして捜査を混乱させるくらいのもの……その間にどこかへ逃げおおせてくれれば……)
 そんな思いを胸中に秘める守継に冴子は詰問調で問いかける。
「そこまでおっしゃるのなら、もう一度確認します。あなたが裏庭へ行ったとき、智之さんは何をしていましたか?」
「だから、水やりをしてたって言ってるでしょ。あ、正確には水やりを終えようとしていた、か……」
(うん、今の俺の言葉におかしな点はない)
「では、もう一点。あなたは凶器となる鉢植えをどこから手に入れましたか?」
「何度も言わせないでください。そこに鉢植えが固まって置いてあるでしょう?そこから取ったんですよ」
「そことはどこです?具体的に示してもらえませんか」
「そこまでは覚えてないよ!とにかくその付近だ」
「つまり、このたくさんある鉢植えのひとつに手を伸ばしたと?」
「ああ、そうだよ。だから何だっての?」
 自然と声を荒げる守継に、冴子はあくまで落ちつき払って論点を明らかにした。
「それはおかしいですね。ではなぜ、この鉢植え群のまわり一面が濡れているんでしょうか?」
 冴子が屈みこんで、たくさんある鉢植えのひとつを持ち上げて見せた。鉢の下の地面には丸く跡ができている。つまり鉢の下には濡れた形跡がないのだ。
「あなたが水やりを終えたばかりのこの庭から鉢植えを取ったとしたら、取った場所にはこのように渇いた土の跡ができるはずです。ですがそんな跡はどこにもない」
「ちょっと、待ってください、刑事さん。たまたま俺が手に取った鉢には水が多くかけられていたってことは考えられないかな?それなら、水が鉢の中を通って、地面にまで達したってこともあり得るだろ」
 花岡守継は内心胸を撫で下ろした。咄嗟に出た詭弁にしては我ながら、なかなか筋が通っている。
 しかし、それこそが冴子が仕掛けた罠だったのだ。彼女はほんの一瞬だけ笑みを覗かせると、「それでは、今度は凶器となった鉢植えの方をよく見てください」と、促した。
 訝しげな表情で冴子の指示に従う守継が、たちどころに顔色を変える。
 砕けた鉢、萎れた花、乾いた土……乾いた土!
(そうか!そうだったのか……)
 守継はようやく己の証言の矛盾に気がついた。
「そうなんですよ、守継さん。地面にまで水が達していない鉢でさえ、鉢の中の土は湿り気を帯びている。にも拘わらず、地面にまで水が達したであろうという鉢の中の土はからからに乾いている。ということは、この鉢は智之さんが水やりを終えた後にここへ持ちこまれたものだと考えるのが妥当ではないでしょうか?あなたは、はじめからここにあった鉢を取ったと言いましたよね?この食い違いをどう説明するつもりです!」
「…………」
 守継は絶句した。
 記憶違いだったなんて言い訳はとても通りそうもない。
 無言の肯定をする守継に、冴子は一転して優しい視線を送る。
「あなたが犯人ではないことは分かっていました。柘榴が示す人物は他にいるのですから……あなたもそれに気づいていたんでしょう?だから、犯人を庇おうとした」
 そこまで言った冴子が、今度は犯人の方に向き直る。
「さあ、いつまで黙っているつもりです?そろそろ話してくれませんか、魚住愛さん」
 犯人ー魚住愛はしかしほとんどといっていいほど動揺を見せなかった。あるいは冴子が守継を追いつめるまでもなく、自白するつもりだったのかもしれない。花岡望が信じられぬとばかりに呆然と呟く。
「愛、本当に君が智之を……」
「違う!俺だ!俺がやったんだよ」
 守継が双子の兄を制して、大声で怒鳴る。
「愛が……智之を……仲間を殺したりするわけがないだろっ!」
「もう、いいよ、守継」
 そこで、魚住愛がようやく口を開いた。
「刑事さん、お手数をかけました。智之を殺したのは私です」
「凶器に使った鉢植えはあなたが裏庭に持ち込んだものですね」
「はい、裏口の下足場にあった鉢植えの花がちょっと弱っているなと思いまして、それで、水をやろうと裏庭へ……」
 冴子が小さく顎を引いて頷いてみせる。
「愛さん、そもそもあなた、わたしたちの車の前に飛び出してきたことからして、不自然な行動でしたよね。いくら錯乱していたとはいえ、友達が死んでいるのを見て外へ飛び出していくなんて……あなた、最初は逃げようとでも思っていたのですか?」
「智之にあんなことしてしまって、もう一刻も早くこの場を離れたかった。でも、結局できなかった。私にはできなかった……」
 そこまで言って、愛は口許を押さえて嗚咽の声を上げた。そして糸の切れたマリオネットのようにその場に蹲る。
 一方で下河原刑事が不審げな様子で冴子に問うた。
「しかし、何で彼女が犯人と分かったんだ?やっぱりあの柘榴が関係あるんだな」
万緑叢中紅一点 動人春色不須多
 呪文のようにそらで読み上げる冴子。
「なんスか、それ?」
 と、稲葉英児が冴子に訊く。
「十一世紀の中国、宗時代の政治家であり詩人としても高名な王安石の『柘榴詩』です。この詩の意味は、緑広がる草原に赤い花がポツリと咲いている。まさに感動的な春の光景だ、といったところでしょうか」
「冴子ちゃん、それのどこが魚住愛を指しているんだ?」
 音で聞いただけの下河原には、すぐにその意味するところが理解できなかった。
「ここでいう赤い花とは柘榴を示します。そして、詩の中にある聞きなれた単語……」
「あ!紅一点か」
 やっとこさ気づいた下河原がポンと手を打つ。
「ええ、そうなんです。『紅一点』の語源は、この『柘榴石』に由来しているんです
 渋谷智之、稲葉英児、花岡望、花岡守継、魚住愛……いつも一緒の5人の仲間の中で『紅一点』と言えば……もはや彼女をおいて他に誰がいようか!
「愛……お前、どうして智之を……?」
 稲葉英児がいたたまれない様子で問うも、魚住愛は黙して何も語らなかった。
 やがて、終幕近い静かなる庭園に場違いなパトカーのサイレン音が近づいてくる。
 花岡守継は、庭に咲き誇るキキョウの花をひとつ折って、魚住愛に差し出した。
 受け取った愛の頬に一筋の涙が伝う。
 キキョウの花言葉、それは『変わらぬ愛』だった……。


「結局、三角関係のもつれってやつだったんだなあ」
 車の助手席で下河原が疲れたようにそう言った。
 所轄の警察署で大分足止めを食って、すっかり空に闇が落ちていた。思わぬ事件の遭遇にへとへとの彼は、冴子の申し出に甘えて運転を交代してもらっていた。
 魚住愛は花岡守継と婚約していたという。それは他の仲間にも周知の事実で、そんな二人を皆、心から祝福していた。
 しかし、渋谷智之だけは違っていた。表向きは友人同士の結婚を喜んでいたが、その内では強い嫉妬心に燃えていたらしい。そもそも愛と智之は高校時代密かに付き合っていたとのこと。しかし、すぐに二人は別れて、愛は守継と付き合いだした。守継は愛のそんな過去を知っていたが、あえて知らぬふりをしていた。5人の友情を継続させるためにもそれがいいと思っていた。
 そんな折、裏庭で二人きりになった愛と智之。智之は愛に復縁を迫った。そうしないと昔のことを皆にばらすと脅迫した。逆上した愛はたまたま抱えていた鉢植えで智之の頭を殴りつけた……と、まあ、関係者の証言を総合すると、こんな経緯になる。
「もしかすると被害者は、犯人を告発するつもりはなかったのかもしれませんね」
 ふと、冴子が思いついたようにそんなことを言った。
「憎き犯人の名を残しておきたかったのなら、地面にでも書き残しておけば良かったはずです。被害者がそれをしなかったのは、犯人の名を特定の人にだけ知らせたかったからなのかも……」
 下河原は煙草に火をつけ、鼻から紫煙を吐き出した。
「同じ中国詩の趣味を持つ花岡守継か……」
「本人が亡くなった今となっては、想像の域を出ることはできませんが、智之さんが自分の死をもって、償わせたいと思ったのは、愛さんではなく、むしろ守継さんの方だったのかもしれません」
「花岡守継と渋谷智之、趣味の合う二人は女の好みも一緒だったってわけか」
 やりきれぬ思いで吐露する下河原に、円谷冴子は昏い闇に目を凝らしつつ応える。
「同じ趣味を持つ人が同じタイプの女性に興味を引かれる確率が高いということは、心理学上のある実験で既に証明されているくらいですからね。まあ、そう珍しいことでもないのでしょう」
「へえ、そうなのか……あ、心理学で思い出した!さっきの心理テストの答え、まだ聞いてなかったよな。海に何かひとつを描き入れるってやつ。冴子ちゃん、たしか虹って言ってたっけ?」
「ああ、あれですか」
 冴子はあんな事件に巻き込まれた後だというのに、まるで疲れを知らない様子である。むしろ、普段より幾分元気そうにさえ見える。近頃署内で囁かれている『美人の新人刑事は仕事が恋人らしい』という噂は、あながちデタラメでもなさそうだ。
「虹を思い浮かべた人はとにかく平凡を嫌います。常に刺激を求めつつ、ありふれた日常や退屈な日々を吹き飛ばしたいと考えているようです。そして……」
「そして……何だい?」
「その人は何よりも奇跡が起こるのを待っているんです」
 円谷冴子は自分に言い聞かせるように「奇跡を待っているんです」と繰り返した。
「奇跡ねえ……冴子ちゃん、何か思い当たるふしでもあるのかい?」
 冴子は一瞬寂しげに目を細め、やがて唇を真一文字に結ぶと、アクセルを踏み込んだ。
 彼女の求めてやまない奇跡とは?
 それは、また別の機会に……。


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