四百年前の殺 人者(問題編)

四百年前の殺 人者(問題篇)


 
「なあ、冴子ちゃん。徳川15代将軍の中で最も在職期間が長かったのって誰だか知ってる?」
 おなじみ神奈川県警捜査一課。
 岬刑事が出し抜けに隣席の円谷冴子に問い掛けてきた。
「どうしたんですか、いきなり」
 冴子が書きかけの復命書が打ちこまれているパソコンのディスプレイから先輩刑事に視線を移して質問を返した。
 岬刑事が溜まりに溜まった報告書の山(山脈と表現した方がより適切か?)から心底困ったような顔を覗かせている。冴子が席を立ち岬の席に回りこんでみると、その机の上にはうすっぺらい雑誌が開かれていた。そこには白いマス目と数字がびっしりと並んでいて、中には手書きの文字が書きこまれていた。
「クロスワードパズルですか……」
 冴子の口調には、15%の「呆れた」と85%の「またサボリですか」が含まれていた。
「ここの4文字がさっきから埋まらなくてさあ。これだけ埋めたら仕事しようと思ってるんだけど……イエヤス、イエミツ……あと、誰がいたっけ?」
「吉宗ぢゃねーか、それ」
 そう言ったのは、むろん冴子ではなく、天下無敵のバツイチ男、下河原刑事である。
「岬ィ、そんなのも分かんねえのかよ、情けねえな。一番任期が長かったのは徳川吉宗に決まってるだろうが」
「あ、そーなんですか」
「ったりめえよ。『暴れん坊将軍』何年続いてると思ってんだ」
「え〜、でも、それをいうなら水戸黄門でしょ。徳川光圀でしたっけ?あの人の諸国行脚の旅って僕が物心ついた頃には既に始まってましたからね」
「いやいや、水戸黄門こそ、とんでもねえ奴だぜ。仕事ほったらかして全国を旅して回ってよ。温泉つかって、うまいもん食って、ったく、公費の無駄遣いってもんだ。世が世ならマスコミにさんざん叩かれてるところだな」
「な〜るほど。それも一理ありますね。職務を怠慢し、出張の名を借りた観光旅行三昧とは公僕の風上にも置けない爺さんですね」
 二人のやりとりを黙って聞いていた冴子は軽い頭痛がしてきた。

 時代劇と史実はほとんど関係ありません。
 水戸光圀は将軍ではなく副将軍です。
 それに岬さんだって今、仕事サボってるじゃないですか。

 ツッコミを入れるところはいくらでもあるのだが、冴子は黙って鉛筆を手に取ると、マス目に「イエナリ」と書き入れて雑誌を閉じてやった。
「最も在職年数が長かったのは、11代将軍徳川家斉です。その期間は1787年から1837年までの50年間。徳川家15代の将軍の中では群を抜いた長期政権です。さあ、仕事しましょう、岬さん」
 ぽかーーーーん。
 冴子の立て板に水とも言うべき、なめらか〜な解説に固まってしまう岬、下河原両刑事。
「さすが冴子ちゃん。なんでもよく知ってるなあ」
「ああ、『歩く百科辞典』は伊達じゃないね」
 そこへ我らが愛すべき上司、九条啓介警部補がやってきた。
 その両腕には顔が隠れるくらいのバインダーとファイルが零れ落ちんばかりに抱えられている。
「おい、みんな、会議室へ集まってくれ。昨日の事件の捜査会議、3時から始めるぞ」
 九条の号令に冴子がひとり首を傾げる。
「警部補、会議って何ですか?」
「おお、円谷君は昨日非番だったな。これは、ちょっとやっかいな事件だよ。岬君、説明してやってくれ」
「あ、はい!」
 ご指名を受けた岬は内ポケットから手帳を出してめくりはじめた。
「昨日、午後5時ごろ、人が死んでいるという通報があってね。状況から見て殺 人事件ということになったんだ。殺されたのは、歴史学者の坪内昇(つぼうち のぼる)45歳。自宅の書斎でノドを掻っ切られて死んでいた。凶器と思われる刃物が現場から発見されなかったことから殺 人事件と断定。死亡推定時刻は午後3時から4時の間。第一発見者は家政婦の波多野直子(はたの なおこ)29歳。ただの偶然かもしれないけど、直子さんは3日前に坪内家に雇われたばかりのようだ。被害者は2ヶ月前に奥さんに先立たれ一人暮らしになった。掃除、洗濯などの家事が嫌いな坪内氏はやむなく家政婦を雇うことにしたらしい……あ、これは直子さんからの情報だけど……」
「意味深な言い方ですね……岬さん、もしかしてその家政婦も?」
「うん、僕の調べた限り、一応この人も容疑者の一人にリストアップしておきたいところだね」
 そう言って、岬刑事は捜査資料を冴子に渡してやった。
 その容疑者リストを整理すると概ね次のようになる。
氏 名 年齢 職 業 動  機
波多野 直子
(はたの なおこ)
29 家政婦 坪内に料理がマズイ、掃除が雑だ、などとケチをつけられていた。
柏木 知世
(かしわぎ ともよ)
35 ピアノ調律師 坪内の愛人。坪内の妻の死後、執拗に結婚を迫っていたが、坪内からは拒まれていた。
池谷 信哉
(いけたに しんや)
23 スタントマン 坪内の甥。坪内に自分の仕事を否定されて、激しく口論していた。
榊 虎太朗
(さかき こたろう)
45 郵便局員 坪内の友人。坪内に多額の借金があり、毎日のように返済を迫られていた。


 いつもながら手際の良い情報収集力である。
 岬刑事も遊んでるように見えてやるべきことはきちっとやっているのだ。(ただし、相変わらずデスクワークは苦手中の苦手なのだが……)
「この4人が容疑者ですか……それで何か手掛かりはあったんですか?」
 冴子の発言に、九条、岬、下河原は一様に複雑な表情を作って顔を見合わせた。
「これは円谷君好みの事件かもしれないな」
 九条がいささか不謹慎ともとれるようなことを言って、ビニール袋に入った手帳を冴子に差し出した。
「手掛かりらしきものといえば、この手帳くらいしかなかったんだが……」
 九条はフッとため息をついて言葉を継いだ。
「これは被害者のものなんだが、中に簡単な日記やら予定やらが記されている。これによると、昨日の午後3時頃に、誰かと逢う約束をしていたらしいんだよ」
「その面会者の名前は書いてあったんですか?」
「ああ、あったよ」
「じゃあ、その人がまずは怪しいということになりますね……それで、誰なんです?」
徳川家康だよ」
 下河原がさも面白くなさそうに、そう言い捨てた。容易に物事に動じない冴子もこれにはさすがに面食らった。
「え……それってどういう意味です?」
 冴子の疑問に岬が応える。
「言葉どおりの意味さ。どうやら、坪内氏は知り合いの名前を歴史上の人物に読み替えて、手帳をつけていたらしいんだ。まあ、人に読まれるのを避けるって目的もあるんだろうけど、実はただの暗号好きかもしれないなあ」
「すいません、ちょっと見せてもらっていいですか?」
 冴子は白手袋を嵌めて慎重に手帳をめくっていった。
「確かに人の名前と思われるところは全部、歴史上の人物名になっていますね」

 11月26日 15時 徳川家康と会う。

 11月25日 13時 聖徳太子と会う。

 11月24日 10時 柿本人麻呂が来る。

 それ以前のページは残念ながら血糊などでよく読み取れない。
「ったく、学者さんっつーのは、何考えてんだかね」
 下河原が苛立たしげに舌打ちすると、九条が恐い顔で彼を嗜めた。
「おいおい、死んだ人間にそんなこというもんじゃないぞ」
(まあ、確かに名前をはっきり書いておいてくれれば、こちらもこんなに悩むこともないんだがな……)
 九条は冴子を期待を込めた目で見やった。新人刑事に過剰な期待をかけるのは上司としてよろしくないことは重々承知しているものの、この暗号を解けそうな者といえば、幅広い知識量と卓越した推理力を誇る彼女くらいのものだろう。そして、下河原刑事もまた同じ思いらしく早速冴子に催促をする。
「で、冴子ちゃん。犯人は分かったかい?」
「下河原さん、いくらなんでも性急過ぎますよ。なあ、冴子ちゃん」
 しかし当の本人は、水を向けてくる岬たちにはノーリアクションで、れいによって眉間に三本皺を並べて沈思黙考に入っている。
「これは普通に考えればあの人だから……と、いうことは、こっちは……」
 冴子はまず、柿本人麻呂を解読した。しかし、彼女の推理はそこで壁にぶつかる。聖徳太子徳川家康も誰を指しているのか皆目見当がつかない。あまりにも情報が少なすぎるのだ。
 この暗号には何か規則性があるような気がする。せめて聖徳太子が分かれば……。
 冴子は考えるのを一旦止めて、九条に申し入れた。
「警部補、わたし、関係者に会って直接、話を聞いてみたいんですが……」
「ああ、それだったら今夜、被害者の通夜があるから、その4人はみんな来てるんじゃないか……なあ、岬君」
「ええ、僕、今夜出向いて、関係者に死亡推定時刻のアリバイなんかを聞くつもりでした。良かったら、冴子ちゃんも一緒に行くかい?」
 果たして彼女は、にこやかに、しかしコンマ一秒の早業で返答したものだった。
「はい、是非お願いします!」


「刑事さん、まさか私を疑ってるんですか?」
 信じられぬといった面持ちで波多野直子が不安げに岬刑事を見返した。
 冴子を伴い坪内家の通夜に来ていた岬刑事は、手始めに家政婦の直子を裏庭に呼び出して、死亡推定時刻のアリバイを尋ねていたのだった。
「私、坪内さんとは3日前に初めてお会いしたばかりなんですよ。そりゃあ、あの人、自分では何もやらないくせに、他人のやることには何かと口うるさくて、この家で長くは勤められないなァとは思っていましたけど、でも殺すだなんてとんでもない!」
 激昂し思わず裏声を張り上げる直子を岬が慌てて宥めにかかる。
「いや、別にあなたが容疑者だと言ってるんじゃないんです。ただ、警察にもマニュアルなり、お役所書類ってのがありまして、僕も本当は面倒臭いんですけど、一応関係者全員にアリバイを確認することになってるんですよ。誤認逮捕を極力なくすためなんて大義名分はあるんですけど、却って仕事の能率がはかどらなくて弱ってるんです。明らかに事件とは無関係と思われる家政婦さんにまでアリバイを聞かなきゃならないなんてねえ。でもほら、あなた第一発見者じゃないですか?この人が信用のおける人間であるか裏づけをとるってのも結構大事だったりするんですよ」
「……そうなんですか。すいません、私、取り乱したりして……刑事さんの仕事もいろいろと大変なんですね」
 岬の巧みな話術に、直子はむしろ同情までして、彼の質問に丁寧に答えてくれた。
「私、昨日は3時前から夕飯の買出しに行ってました。スーパーのレシートが取ってありますから、それに正確な時刻が書かれていると思います……あの、ほんっとに私のこと疑ってるんじゃないでしょうね?」
 岬の刑事らしからぬ愛嬌たっぷりの面立ちに、冗談ぽく睨む直子。
 その冗談を生真面目にとった冴子が応える。
「安心してください。あなたは容疑者でもなんでありません。あなたは柿本人麻呂家康ではないのですから」
「……は?」
 いきなり、「あなたは柿本人麻呂」と言われても、なんのこっちゃとばかりの波多野直子。どうやら坪内のヘンテコな習慣までは知らなかったらしい。

 11月24日 10時 柿本人麻呂が来る。

 これは波多野直子が坪内家に勤め始めた日と符合する。そして、他では「会う」と表記しているのに対して、こちらは「来る」である。「会う」が来客を意味するとすれば、「来る」は居続けるの意味あいが強くなる。となると、やはり柿本人麻呂は家政婦として居続けることになった波多野直子、彼女をおいて他に考えられない。そして、家康=犯人の仮定の元に考えれば、彼女は容疑の圏外になる。仮に家康に相当する人物が犯人でないとしたら、当然その人が第一発見者になっていたはずだから、この仮説は真相に近いと考えて問題ないだろう。
「むうっ、柿本人麻呂ってのは、直子さんのことだったのか……でも、どうして柿本人麻呂が彼女なんだ?っていうか、柿本人麻呂って何者だ?」
 ひとり疑問のループに嵌りこむ岬をほかして、冴子が直子に問う。
「ところで、直子さん。おととい25日の13時頃、坪内さんに来客はありませんでしたか?」
 これは手帳にあった聖徳太子なる人物が誰であったのかを探る重要な質問だ。
「ええ、いましたよ。さっき焼香に来てたんですけど。確か小林大助(こばやし だいすけ)さんっていったかしら。坪内さんの友人とかで、なんでも厩舎に勤めてるとか……」
「キュウシャ?」
「あ、厩舎って競走馬とかを育ててるところですよ。坪内さんって馬主さんだったらしいですよ」
「それは御本人から直接聞いたんですか?」
「え、ええ……お二人が客間で馬の話しをしていたのがちらっと聞こえてきたもので……」
 語尾を濁すあたり、おおかた盗み聞きでもしていたのだろう。ったく、市原悦子じゃあるまいし……。
 冴子は直子に礼を言って帰してやると、頭をフル回転させた。
「小林大助……厩舎……馬主……聖徳太子……」
 やがて冴子は閃いた。
「あっ、そうか!」
 これで繋がった。
 波多野直子が柿本人麻呂、小林大助が聖徳太子、この法則から行くと、徳川家康はあの人だ!
 こうなれば、もはや犯人と思われる人物一人に絞って訊問すればいいようなものだが、下手に警戒されてもまずい。ここは引き続き関係者全員に同じように聞いて回った方が無難だろう。


 その後、冴子たちは通夜の席に来ていた関係者に一通り事情聴取を行った。しかし、容疑者リストにあった3人のアリバイについては誰一人として確実なものを持つ者はいなかった。

柏木知世の証言
「昨日は仕事がなくて一日中家にいたわよ……誰か証明できるかって?ルーとムーなら知ってるわ。家で飼ってるヘビのつがいだけどね。あの子たちが食事してる姿って、ホントかわいいのよ。もちろんあげるのは生き餌だけ。冷凍餌なんて面白くもないもの……餌?だいたいマウスかラットね……え?どっちもネズミのことじゃないかって?もお、これだから素人は困るわ。マウスはハツカネズミ、ラットはドブネズミ。ゼンゼン違うわよ。ときどきヒヨコなんかも食べさせるんだけど、どうもあの子たちの口にはあわないみたい。あと、珍しいところではね……あら、どうしたの、青い顔して……何言ってるの、ちっとも気持ち悪くなんかないわよ……坪内?死んだ男になんて、興味はないわね……彼に最後に会った日?そうねえ、4日前だったと思うけど……」

池谷信哉の証言
「その時間なら映画を見に行ってたな。もちろんアクション映画さ。スタントのある活劇は仕事柄、勉強になるからね。映画館に着いたときにはその映画が始まったばかりだったなあ。俺は急いで当日券を買って、両開きの扉を押して中に入った。あの薄暗い劇場の中に入る瞬間がなんとも言えず好きでね。そういえば、後ろの席にいた何人かの客が非難がましく俺の方を見てたっけ。そん中の誰かが俺のこと覚えていてくれればなあ……まあ、中は暗かったし、こっちを振り向いたのも一瞬だったから期待はできないだろうがね……半券かい?悪いな、失くしちまったよ……叔父さんのこと?そうだな、相当に頭の固い人だったな……結局、最期の最期まで俺の仕事を認めてくれなかったもんなあ……えっと、最後にこの家に来たのは、ちょうど一週間前だったかな……」

榊虎太朗の証言
「坪内は、私の職場にまで借金返済の催促電話をかけてきていました。いつも電話を取る女子職員が白い目で私を見るんです。堪りませんよ、実際。こんな場所で言うのも故人に申しわけないが、正直、彼が死んでホッとしています。昔はあんな奴じゃなかったのに……実は小学生の息子がひどいアトピーでしてね。皮膚が破れるまで体を掻こうとする息子をいつも力ずくで止めたりしてるんですが、もう、やるせなくて……アトピー性皮膚炎っていうのは、一般的に大人より子供の方が症状が酷いらしいですからね……坪内に金を借りたのも息子の治療費に当てるためだったんです……昨日は有給休暇をとって息子を病院に連れていって、午前中まで病院にいましたが、午後は一旦家に帰って、その後は一人で街をぶらついていました。疲れているんでしょうな。時には一人になりたいんですよ……ここへ来たのですか?かれこれ一ヶ月ぶりになりますかね。なにしろ敷居が高かったものですから……」


 通夜からの帰り道、岬刑事は肩を落として歩いていた。足取りも極めて重い。
「結局、大した収穫はなかったか……怪しい連中は全員アリバイなしだもんなあ」
「そんなことないですよ、岬さん。犯人はしっかりとボロを出してくれました」
「なぬう?そりゃあどういうことだよ、冴子ちゃん」
「今回は随分と間の抜けた犯人でした。よほど動揺していたんでしょうね、あんな分かりやすい嘘をつくなんて……きっと、あの証言は口からでまかせでしょう」
「え〜〜っ!誰が嘘をついたっていうんだ?それに徳川家康の件だってまだ分かっちゃいないんだろ?……まさか、冴子ちゃん、もう全部分かったとでも言うのかい?……あっ!だからさっきあの人に、あんなデタラメを言ってたのか?」
 先輩刑事の矢継ぎ早の質問攻めを冴子が悠然と受けとめる。
「やはり、嘘には嘘でお返しするしかないでしょう。あとはうまく罠にかかってくれれば……」
「なんてこった、君は本当に……」
 両手をバタつかせ、鯉のように口をぱくつかせる岬刑事。
 犯人どころか彼さえも動揺を隠せなかったようである。 





 さて、犯人は分かりましたか?
 今回の出題は、『家康と犯人の共通項』と『犯人の証言の不審点』です。
 それでは、引き続き解答篇をご覧ください。 



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