四百年前の殺 人者(解答編)

四百年前の殺 人者(解答篇)


「まず、波多野直子と柿本人麻呂を結びつける暗号ですが……」
 翌日、1999年11月28日、早朝。
 神奈川県警の一会議室で、円谷冴子が口火を切った。
 部屋の中では冴子を含めて、九条警部補と下河原刑事の3人が額を寄せている。日曜だというのに、誠にもってご苦労なことである。
「この人は、『万葉集』の歌人として有名ですよね。いろいろと謎が多い人物ではあるんですが、その力強い謳いぶりなどから『歌聖(かせい)』と呼ばれています」
 れいによってれいの如く、冴子はこれらの情報を誰もが知る極めて常識的な知識であるという前提で話し始めている。
 九条は、「歌聖」なんて言葉、初めて聞いたぞ、と思いはしたが、しいて言わなかった。
 一方で、素直が服着て歩いてるような下河原刑事は、恥も外聞もなく九条の心の声を代弁したもんだ。
「『歌聖』なんて言葉、初耳だな……」
 冴子がホワイトボードに「歌聖」と書いて補足説明をする。
「いわゆる突出して優れた歌人のことを歌聖とか歌仙などと言うんですが、柿本人麻呂は歌聖で通っているようです」
「で、それが波多野直子とどういう繋がりがあるんだ?」
「はい、注目すべきところは職業だったんです。直子さんの職業は……」
「家政婦……そうか!家政と歌聖か!」と、下河原刑事がガッテンとばかりに手を打つ。
「そりゃ、駄洒落じゃないか、円谷君」
 九条がしかめっ面でそんな感想を漏らすも、冴子は「歌聖」の隣りに「=家政」と書き加えて平然と応じる。
「ええ、坪内氏の創った暗号は、どうもすべてにおいてこの調子のようです」
「じゃあ、その次の日に会ったっていう小林大助と聖徳太子の繋がりはどう説明するんだ?」
「こちらも小林さんの職業に注目すれば歴然です。聖徳太子に関することで何か思い当たるものがありませんか?」
「一度に十人の話を聞き分けたとか、旧一万円札の肖像になったとか……」
「あとは、法隆寺の建立、十七条の憲法の制定くらいか……」
 九条たちは、昔学校で習ったことを思いつく限り並べてみたが、どうしても小林大助との共通点を見出せない。
 そんな困り果てた上司たちに冴子が助け舟を出した。
「聖徳太子は馬小屋で生まれたので、厩戸皇子と呼ばれていたんです」
 ホワイトボードに「厩戸=厩舎」と書きこむ冴子。
「……なるほど!それで厩舎勤めの小林ってわけだな。となると、徳川家康もやはり職業がらみか……ちょっと待ってくれよ、冴子ちゃん。これくらいは自力で解いてみせるからな」
 下河原刑事が鼻息も荒くそう宣言すると、ぶつぶつと語り始めた。
「容疑者は、ピアノ調律師の柏木知世、スタントマンの池谷信哉、それと郵便局員の榊虎太朗だよな……なんか横文字の絡む職業っていうのは、歴史とは縁がないような気がするな……ってことは郵便局員の榊虎太朗あたりか?」
 これはもう、単なるあてずっぽう、である。
 昨日のクロスワードさえも解けなかった彼が、この暗号を解くのはやはり無謀というものだったらしい。
 九条警部補は、下河原刑事と違い、先に犯人の名前だけは聞いていたのだが、それでも何故にその人物が徳川家康と称されていたのかについては今だ閃くものがなかった。
(歴史の授業なんてなんの役にも立たないと思っていたが……こんなことならもっとしっかりやっておくんだったな)
 そして、冴子の独壇場は更に続く。
「史実を検証していくと、時期は特定できないものの、家康の亡くなったとされる1616年というのは、実は真っ赤な嘘で、もっと以前に、例えば関が原の戦いあたりで戦死しているという説があるんです」
「ほう、そんな学説があったのか。しかしどうしてそんなズレが生じたんだろうな。関が原以降となると10年以上もの間、家康の死を隠していたってことだろう?そんなことが可能なのか」
「そこで、家康の腹心である世良田二郎三郎という人物が登場してくるわけです。この男の容姿というのが、身内の者でさえも見紛うほど家康に酷似していたそうです」
「ははあ、読めたぞ」
 ここまで説明されれば、さしもの九条たちにも察しがついた。というか下手すりゃ小学生だって分かりそうなものである。
 下河原が満面に笑みを浮かべて得意げに喋りだした。
「その世良田何某が家康の死後、家康の代役を務めていたってわけか。つまりは影武者ってやつだな。となると、家康はスタントマンの池谷信哉だ!当たりだろう、冴子ちゃん?」
 ホワイトボードのペンをとって、デカイ字で「影武者=スタントマン」と書きなぐる下河原。丁寧そのものの冴子の字と違い、彼のそれはまるで小学校低学年が書いたような金釘流である。
 九条警部補が腕組みをして、う〜むと唸った。
「スタントマンは役者の危険な演技を代理で演じる言わば影武者。確かに言い得て妙だな」
「おそらく、坪内殺しの犯人も池谷と見て十中八九間違いないでしょう。昨夜、事件当時のアリバイについて質問したんですが、この時、彼は大きな嘘をついていました」
「ほう、どんな嘘だい」
 興味深げに身を乗り出す九条たちに、冴子は昨夜の事情聴取の際、密かに録音しておいた池谷信哉の証言を再生して聞かせた。

池谷信哉の証言
「その時間なら映画を見に行ってたな。もちろんアクション映画さ。スタントのある活劇は仕事柄、勉強になるからね。映画館に着いたときにはその映画が始まったばかりだったなあ。俺は急いで当日券を買って、両開きの扉を押して中に入った。あの薄暗い劇場の中に入る瞬間がなんとも言えず好きでね。そういえば、後ろの席にいた何人かの客が非難がましく俺の方を見てたっけ。そん中の誰かが俺のこと覚えていてくれればなあ……まあ、中は暗かったし、こっちを振り向いたのも一瞬だったから期待はできないだろうがね……半券かい?悪いな、失くしてしまったよ……叔父さんのこと?そうだな、相当に頭の固い人だったな……結局、最期の最期まで俺の仕事を認めてくれなかったもんなあ……えっと、最後にここに来たのは、ちょうど一週間前だったかな……」

「ん?特におかしなところはないんじゃねーか?冴子ちゃんよ」
 下河原が煙草の封を切って口に咥えながら言う。
「いいえ、この証言を聞く限り、池谷は映画なんてあまり見なかったんじゃないかと思われます。少なくとも、劇場内に入る瞬間が好きだなんてところは、明らかに嘘ですね」
「なぜ、そう言い切れるんだ?」
「扉の開き方です。池谷は劇場内に入るとき扉を押して中に入ったと証言しています。ということは、中から外へ出るときは扉を引かなければならなくなります」
「そういう扉だってあるだろうよ。内開きか外開きかなんて、建物によってまちまちだぜ」
「でも、映画館に関しては、そうでもないんです。映画館の扉はすべて、中から外へ押し開ける構造になっているんです。これは建築基準法で『客用に供する屋外への出口の戸は、内開きとしてはならない』と定められているので例外は絶対にありえないんです」
「へえ、そうなのか。そこまで気づかなかったな……でも、何故そうなってるんだ?」
「おそらく災害時の混乱を想定してのことでしょう。火災などで多くの客がひとつの出口に殺到した場合、外開きの方が逃げやすいですからね。逆に内開きでは、人ごみが栓になって、扉を引くことが出来なくなる恐れがありますし……」
 ほ〜、と感嘆の声を上げる九条と下河原。
 そこへ、まるでタイミングを計ったかのように会議室の電話が鳴った。
 冴子が部屋のすみに置いてある電話をとる。相手は岬刑事からだった。
 珍しく緊張した声で冴子が岬に尋ねる。
「ご苦労様です、岬さん。どうでしたか、そっちの方は?」
 冴子の問いかけに、岬の上機嫌の声が返ってくる。
「いやあ、冴子ちゃんの狙い、ズバリ的中だね!池谷の奴、ついさっき、荷物をまとめて自宅から出てきたよ。僕が近づいて行ったら、いきなり逃げ出してね。それにしても、さすがスタントマンだね、相当鍛えてるらしくて逃げ足が速いのなんのって。でも、三人ががりで、なんとか袋小路まで追いつめて、それで御用ってわけさ。奴も観念したらしくあっさり坪内殺しを自供したよ」
 強張った顔の冴子が岬の報告を聞き終えてようやく安堵の表情に変わった。
「それを聞いて安心しました。物証もなかったし、黙秘を通されたらそれ以上は手の出しようがなかったですからね。本当に危ないところでした」
「またまたァ、そんなに謙遜しなくたっていいよ、冴子ちゃん。昨日の君の台詞が効いたからこそ、奴は逃走を謀ったんだろうからさ」
「まあ、あれは賭けでしたけれど、吉と出たのは本当にツイてました」
 やがて、冴子が電話を九条に引き継ぐと、下河原刑事が矢も盾も堪らず訊いてきた。
「池谷の奴、自供したのか?」
「はい、岬さんが間もなく署に連行してくるそうです」
「お手柄じゃねえか、冴子ちゃん。しかし、さっき電話で言ってた『賭け』ってのは一体なんなんだ?何か犯人に揺さぶりでもかけたのかい?」
「ええ、指紋のことをちょっと教えてあげたんです」
「指紋?」
「はい、殺 害現場となった坪内家の書斎のドアノブに犯人のものと思われる指紋が残っていたと言ってあげたんですよ」
 腑に落ちない様子の下河原が、それはおかしいぜとばかりに反論する。
「ちょい待てよ。池谷は坪内の甥だぜ。普段から坪内の家に出入りしてるんだ。指紋くらい残ってたって不思議じゃないだろう?」
「だから、こう付け加えてあげたんです。今度来た家政婦さんはとても几帳面な人で、毎日、家の中をすみずみまで掃除してまわってると……」
「……ってことは、どういうことだ?」
「家政婦さんは午前中に書斎の掃除をした。すみずみまで拭き取ってくれたおかげで、ドアノブから採取できた指紋は、その日についたと思われる三種類しかなかった。坪内氏と家政婦の直子さん、そして犯人と思われるものの三つです。池谷は三日前に来たばかりの家政婦の存在をおそらくは知らなかった。だから、この事実は彼にとっては計算外だったはずです。彼自身、ここ一週間、坪内家には近づいていないと証言したばかりですしね。それで彼の指紋が出てきたら証言が矛盾してしまう。揺さぶりをかけるには充分だったというわけです」
「しかし、そんな決定的証拠があったんなら、さっさと池谷の指紋と照合すれば良かったんじゃねえか」
 下河原の尤もなご意見に苦笑をこぼす冴子。
「それは無理ですよ、下河原さん」
「無理って……なんで無理なんだよ?」
「だって、それこそわたしの口からデマカセだったんですから……実際にはドアノブの指紋は他にもたくさん検出されました。そりゃそうでしょう。現に被害者が文句を言ってたらしいじゃないですか。今度来た家政婦は掃除が雑だって……」
 下河原の口からポロリと煙草が落ちる。開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。
 下河原は落とした煙草を拾いながら愛情と皮肉をたっぷり込めて言ってやった。
「冴子ちゃんよ、おまえさん、詐欺師になれるぜ」と……。


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