充分な位置の悪夢(解答編)

充分な位置の悪夢(解答篇)


「井上知佳さんを殺 害したのは、砂尾善治さん、あなたです」
「な……」
 憐れな容疑者、藤沼寛の部屋で見つめあう冴子と砂尾。二人の間には見えない火花が散っていた。
 相対峙する刑事と犯人。追いつめる者と追いつめられる者。
 それを取り囲むように九条、岬、春日、藤沼が見守っている。
「刑事さん、さっきからあんたね……」
 砂尾は呆れたように肩を竦めてみせた。
「この部屋からボウガンまで出てきたんですよ。これが動かぬ証拠でしょうが」
「あなたが犯人なら、それも説明がつきます」
「なに?」
「さっき藤沼さんはボウガンはベランダにあったと言いました。ここのベランダからあなたの部屋のベランダまで、およそ2メートルです。この距離なら犯行後に凶器を移動させることも可能でしょう。藤沼さんは12時ごろコンビニに買い物に行っている。それを魚眼レンズ越しにでも確認したあなたは、その隙をついて凶器となったボウガンをロープか何かを利用して藤沼さんのベランダに放り込んだ」
 ピクッ
 頬の筋肉をひくつかせる砂尾。
「面白い。百歩譲ってボウガンの処分はそのようにしたとしましょう。だがこの部屋からどうやって彼女を射抜いたというのかな?」
「それもある程度予想はつきます」
 ピクピクッ
 砂尾の頬の痙攣に加速がつく。
「例えば、こういうのはどうです。あなたは10時に井上さんに電話をしましたね。とりとめもない会話の後、こう言うんです。『雨が降ってきたみたいだから洗濯物を取り込んだほうがいいよ』って。あなたのベランダからでは確かに下の様子は見えませんでした。でも、風に揺れるシーツは見えた」
「ちょっと待ってくれよ、冴子ちゃん。今日は雨なんて降ってないぞ」
 と、岬刑事が横から口を出す。
「だから降らせたんですよ」
「降らせた?」
 と、オウム返しに尋ねたのは春日彰信だった。
「砂尾さんの部屋にはジョウロがありました。あれを使って上から水を撒けば、あたかも雨が降っているように見えるわけです」
「しかしなあ、そんなものすぐにニセモノの雨だってばれてしまうだろ」
 今だ話の展開の読めない九条が首をひねりながら反論する。
「いいえ、ばれても構わないんです。むしろ、ばれてもらわなければ困る。ベランダに出た井上さんが局地的な雨を見て、砂尾さんの仕業だとすぐ分かったはずです。干していたシーツまで濡らされたんですから、これはかなり悪質な悪戯といって差し支えないでしょう。怒った井上さんは次に何をすると思いますか?」
「そりゃあ、抗議するんじゃないか」と九条。
「それは、どうやって?」
「どうやってって……そうだな、まず声を掛けるかな。やめてくれってな」
「それでも雨が降りやまなかったら?」
 春日が、あっ、と叫んだ。
「ベランダに身を乗り出す!」
「そうです。ベランダから顔を出し上を見る。そこにはジョウロが見えるはずなんです。しかし、見えたのはジョウロだけじゃなかった」
「ボウガンか!」
 砂尾が、黙って聞いてりゃ、と苦々しく吐き捨てた。
「くだらん!なんなんだ、そりゃ。そんなものはただの想像だろ、いや妄想といっていい。その雨とやらがどうしてうちのジョウロから出たものだ分かるんだ?」
「ですから、これはあくまであなたが犯人だったと仮定したときに考えられる殺 害方法を上げてみたまでです」
「ふん、証拠はあるのか、証拠は!」
 なりふり構っちゃいられない。知らず砂尾の語気が荒くなる。エセ紳士の正体見たり、である。
 それでも冴子は落ち着いたものだ。
「証拠なら今は何もありません。これから調べてもらうつもりですが……」
「調べるって、何をだ?」
「シーツに付着した水の成分ですよ。あなたの部屋には確か濃縮タイプの液体肥料がありましたよね。あれってあのジョウロに入れて水で薄めて使っているんじゃないですか?まあ、わたしもここのところは確信がもてませんが、もし検査の結果、あなたの持つ液肥と同じものが検出されたら、どう説明をつけます?まさか誤って下に注いでしまったなんていうのはナシですよ」
 ピクピクピクッ
 砂尾は完全に言葉に詰まっていた。傍から見ても可哀想なくらい顔面が引き攣っているが、本人はそのことにすら気づいていないようだ。
「黙秘ですか。まあ、いいでしょう」
 冴子は攻撃の手を休めず、今度は別のところから切り込んでくる。
「そもそもわたしがあなたに疑惑を抱き始めたのは、井上さんの殺され方を見たときからだったんです。彼女は眉間をほぼ垂直に撃ち抜かれていました。これがどういう状況かお分かりですか?」
 砂尾の応えはない。いや、応えられないのだ。
「井上さんは、殺される瞬間に犯人を……少なくとも凶器となったボウガンを見ているんです。藤沼さんが犯人なら、相手に気づかれる前に撃った方が絶対確実です。ボウガンを構える自分の存在を見られ部屋の中に逃げ込まれでもしたらそれまでですからね。だからこそ、矢が放たれた場所は藤沼さんの部屋のベランダではないとわたしは思ったんです」
「躊躇いがあったのかもしれない。撃とうかどうしようか迷っているうちに、相手に気づかれた。頭が真っ白になった藤沼は、そこで初めて引き金をひいた」
「それはちょっと苦しいですね」
 冴子は唇の端ををきゅっと吊り上げ嘲笑する。
「だったら、これはどうでしょう」
 冴子は凶器のボウガンを手にとって見せた。
「それがどうした?」
指紋ですよ。これを調べれば面白いことが分かるんじゃないかと、わたしは期待しているんです」
「はん、刑事さんはそこから私の指紋でも出てくると思ってるんですかねえ」
「まさか!いくらなんでもあなたはそこまで愚かではないでしょう」
「それは、どうも」
 砂尾が皮肉たっぷりに一礼をする。
「問題は藤沼さんの指紋です。藤沼さん、あなたはさっきベランダでボウガンを見つけたといいましたよね。それを押入れに隠したと……」
「あ、は、はい」
 急に話をふられた藤沼がどもりながら肯定の意を表す。
「その時、ボウガンのどの辺りを触りましたか?」
「……えっとお、そのグリップみたいなところだったと思いますけど」
「ああ、銃床のことですね。で、それは素手で持ったんですか」
「はあ、そうです」
「じゃあ、銃床からは藤沼さんの指紋が出てくるはずね。では引き金のところはどうです?」
「そ、そんなとこ触りませんよ!」
「だそうです」
 以上、証明終わりといった感じで、砂尾を見る冴子。
「つまり何が言いたいんだ、あんたは!」
「まだお分かりになりませんか?藤沼さんが犯人なら当然トリガーにも指紋がついているはずなんです。でも、きっとついてなんかいないんでしょうね」
「仮にだ、仮にトリガーに指紋がなかったとしても別におかしかない。犯行時は手袋を嵌めていたのかも知れないしな」
「でも、押入れに隠そうとしたときは素手だったんですよ」
「部屋まで調べられるとは思わなかったんだろうよ」
「何だか矛盾しているような気がしますが、まあ、いいでしょう。もしあなたのおっしゃるとおりだとしたら、この部屋から犯行時に使った手袋が出てくるはずですからね」
「そんなもの、ここにはないですよ!」と、藤沼が喚く。
「あ、そうなんですか?砂尾さん、しくじりましたね。わたしはてっきりあなたがここにボウガンを投げ入れた時、一緒に使った手袋も放ったのだと思っていたんですが」
「……て、手袋は……そう!煙草を買いに行ったとき処分したんだ。川に投げ捨てるかしたに違いない!」
「でも、肝心のボウガンは部屋の中に置きっぱなしだったんですよ」
「状況証拠ばかりじゃないか!そんなもので私を犯人だと絞め上げるつもりか」
「確かに全て状況証拠に過ぎませんね。でも、矢の刺さった位置及び入射角、ボウガンの指紋、存在しない手袋、これらはすべて藤沼さんが犯人とはならない証拠でもあるんです。併せて、あなたの部屋からも犯行が可能であることも一応証明してみせました。もうあなたしかいないんです」
「…………」
「さらにあなたは今、藤沼さんが煙草を買いに行ったと言いました。なぜ買った物が煙草だと知っているんです?わたしは、コンビニに買い物に行ったとしか言ってませんよ。それとも勘で仰ったんですか?でもそれも解せませんね。昼の12時ごろ、独り暮らしの若者がコンビニに買い物に行ったと言えば、普通は煙草じゃなくて弁当をまず第一に連想するんじゃありませんか?あなたは全部見てたんですよ。ボウガンを藤沼さんの部屋に押しやり罪をなすりつけるため、彼が出て行く機会をずっと窺っていたんです。違いますか?」
「それは……だな……」
「言い訳は結構です。そんなものちょっと考えれば何とでも言い逃れ出来ますからね。問題はボウガンを発見したときのあなたの発言です。こればっかりは決定的に矛盾しています」
 砂尾は逡巡した。私は何と言ったんだ?と……。
「困りましたね。自分の言ったことには責任を持っていただかないと……」
 冴子はおもむろにショルダーバッグからテープレコーダーを取り出し再生してみせた。
――――――決まりですね。その矢も凶器と同じ形みたいだし……
 冴子は満足げに片目を瞑って、「決まりですね♪」と言った。
「あなたがあらかじめ事件のあらましを知っていたのは、階下の会話を聞いていたからでしたよね。でも、その光景は全く視界には入っていなかったはず。にも拘わらず、凶器の矢を一度も目にしていないあなたが、どうして同じ形だと言えたのでしょうか」
「ち、畜生!」
 紙のように真っ白い顔で項垂れる砂尾。
 彼の顔に『私がやりました』と刻みこまれているかのようだ。
 彼に嫌疑を絞り込んで、被害者との関係を徹底的に洗い出せば何か出てくるだろう。そして、ボウガンの出所に砂尾の写真でも見せれば……。
 砂尾は、冴子の執念に観念した様子でうわ言のように呟いた。
「あの女は……知佳はこの私を見限って、そこの春日って男に乗り換えようとしてたんだ」
「ば、馬鹿言え!俺と知佳とはそういう関係じゃねーよ」
 春日の反論に鼻白む砂尾。
「ふん、どうだかな。あんたらみたいな人種は陰で何やってんのか分からんからな。刑事さん、あんたたちも同類だ」
 砂尾善治はそんな捨て台詞を残し、廊下で待機していた制服警官に連れられていく……。


「終わったな……」
 九条の言葉を潮に、廊下に出る刑事たち。
 しかし、ほっとするのも束の間、春日彰信がだしぬけに大声を張り上げた。
「あ〜〜っ!」
「どうしました、春日さん?」
「い、今何時スか?」
 九条が腕時計を見て答える。
「5時ちょっと前ですね」
「ヤベ、遅刻だよ!4時から撮影だったんだ!」
「あ、それってもしかして『CAN NOT』のことですか?僕、毎週欠かさず見てますよ。どんでん返しにつぐどんでん返しで目が離せないですよね。あれって最終回はどうなっちゃうんですか?ここだけの話にしときますからこっそり教えてくださいよ」
 同年齢の岬刑事が軽い調子でお願いする。
「いやあ、それは企業秘密ってことで……」
「そこをなんとか」と、合掌して食い下がる岬。
「岬くん、職権乱用だぞ!」
 と、怖い顔で窘めたのは九条である。
 さすが違いの分かる大人と言いたいところだが、彼は言った舌の根も乾かぬうちに春日を部屋の隅に引っ張り出して耳打ちした。
「春日さん、忙しいところかと思いますが、ここでお会いしたのも何かのご縁ということで……」
「なんですか?」
「御厨ひかるのサイン、貰ってきてくれないかなあ」
 ちなみに御厨ひかる(みくりや ひかる)とは春日の主演するドラマ『CAN NOT』に出演している俳優のことである。
 ま、それはともかく……。
 恥ずかしそうにそう懇願する九条にダンボの耳がふたつ近づいていた。
 なんと、冴子と岬が今の台詞をばっちりキャッチしていたのだった。
「警部補!」
「ずるいなあ、自分だけ抜けがけですか」
 怖い顔で迫る部下たちにたじたじの九条が両手を胸の前で振りながら弁解する。
「ち、違うんだ。別に私が欲しいわけじゃなくてだな、妻がね、そのォ、ファンなんだよ。いや、無理強いするつもりはなかったんだけどね」
「ははあん、それが犯行の動機ですか」
「ひどいな、岬君。犯人扱いはないだろ」
「さあ、全部白状してしまいましょう。楽になれますよ」
「円谷君、君まで!」
 春日は半ば呆れたように刑事たちの呑気なやりとりを眺めている。
「ったく、明るい職場だねえ……」
 やがて冴子がふと真顔に戻り、春日の方を向いて尋ねる。
「春日さん、お仕事あるんでしょう?行かなくてもいいんですか」
「いや、今日は休ませてもらうよ。今、連絡を入れようかなと思ってたところでね」
「でも、大事な仕事なのでは……」
「なに構わないさ。俺のサボりなんて今に始まったことじゃないからね。それに今夜くらいは知佳の傍にいてやりたいんだ」
 春日は、大切な友人が殺されたにも拘わらず、すぐに仕事に戻ることに気がひけていたのだ。
 それよりも何よりも、こんな状況で仕事に身が入るとも思えなかった。
 そんな春日の背中を冴子の言葉が優しく押した。
「でも、彼女は行けと言ってますよ……きっと」
「いや、けどな……」
 九条警部補がコートのポケットから出した手で、ぽりぽり頭を掻きながら歩み寄ってくる。
「しょうがない。春日さん、ここはもういいですよ。その代わり、後で必ず署のほうに顔出してください。調書とか作らなければならないので……」
 そして声を顰めて、「御厨ひかるのサインの方もひとつよろしく」と付け加える。
「へいへい、了解しましたよ」
 ようやく春日は肚を決めたらしく、冗談めかして九条に最敬礼した。そして今度は冴子に向き直る。
「刑事さん、ありがとな、いろいろと」
「いえ、こちらも仕事ですから」
「いうねえ、お宅も」
 と、冴子を肘で小突く春日。
 そして今まさに部屋を出て行こうとした春日が振り向きざまに冴子に訊いた。
「なあ、あんた名前なんていったっけ?」
「はい、円谷冴子と申します」
「よし、冴子ちゃん、今度時間あったらデートしような。スターとデートできるんだ、楽しみに待っててくれよ」
 そう言い残して、今度こそ部屋から消える春日。
 そんな彼を見送った岬刑事は訳知り顔でウンウンと頷いて言ったもんだ。
「ありゃあ、照れ隠しだね」


「やっとやる気になったのよねえ、あのぐうたら。ふふ……」
 井上知佳は電話のコードを指先で弄びながら上機嫌で言った。
 もちろん、これが彼女にとって人生最期の通話になるとは知る由もない。
「随分とうれしそうだね。あの春日とかいうタレントのことかい?」
 砂尾善治の固い声が受話器を通して訊いてくる。
「うん。あいつは今度こそ本気よ。自分で事務所を持とうなんて、なかなか思い切ったことをやってくれるわ。私ね、あいつに賭けてみようと思うの。あ、でも誤解しないでね。別に彼とヨリを戻そうってわけじゃないんだから」
「わかってるさ」
 砂尾は努めて理解ある大人を演じていた。しかし、その胸の内では嫉妬の炎がめらめらと燃え滾っている。
 そんな想いも知らぬ知佳はひとり少女のように、はしゃいでいる。外では肩肘張って生きているが、これこそが彼女の真の姿なのだ。そして、そんな自分を曝けだせる砂尾を憎からず思っているのもまた事実。
「彼、子供の頃からこの業界にいるでしょ?ちやほやされて育ったから打たれ弱いところあったのよ。でもね、久しぶりに会って話してみたら、スゴク成長してた。一回りも二回りも大人になってた。ホントびっくりしたわ。あの頃はお互い駆け出しの子供だったし、足りない部分を補いあってたってところがあったからね」
――――――もういい!もう、やめてくれ!
 砂尾は叫びだしたい衝動を抑えつつ話を切り上げようとする。
「じゃあ切るよ。あ、雨、降ってきたみたいだな」
「うそ、洗濯物、出しっぱなし!テレビの洗濯指数『適』だったのになあ。ったく、天気予報なんて当てにならないわね。じゃあ洗濯物取り込まなきゃいけないから、またね」
「ああ、またな
――――――1分後にまた会おう。
 電話を切った砂尾はそうひとりごちて、人工の雨を降らせながらボウガンの照準器を覗き込んだのだった……。


 抜き足差し足忍び足。
 撮影所はどんより〜〜と重い空気に包まれていた。
 外は完全に闇がおりている。
 春日彰信、大チョンボ。2時間以上の遅刻である。
「く〜っ、入りづれえなあ」
 春日は入り口のドアから半身を覗かせてこっそり中の様子を窺っている。
 マネージャーはハンカチで汗を拭き拭き、ディレクターに平謝り。
 スタッフ連中も皆一様に苛立たしげな表情だ。
 なかには大声で春日のことをこき下ろしている輩もいる。
「おっ!」
 春日は、おかんむりのスタッフたちの中で、比較的平然と構えている人間を発見した。
 共演者の御厨ひかるである。
 ひかるは友人の夏目沙織と何やら話し込んでいるらしく特にピリピリしている様子もない。
――――――ま、あいつなら笑って許してくれるかもな。
 春日はそんな希望的観測のもと、ふたりの背後に忍び寄り声をかけた。
「おや、お二人さん。な〜に密談かましてんだよっ」
 急に背中を叩かれたひかるが驚いて春日を振り返る。
「あ、春日さん!」
「いやあ、参った参った……」
 春日は遅れた理由を訊かれる前に自ら口からでまかせの弁解をした。
「なんか交通事故があったらしくてさ、道が混んで混んで。いや、すまねえ、ちょびっとばかし遅れちまったかな」
 スタッフたちの冷たい視線を背中に感じながら、それでも春日はなんとか笑顔を維持していた。
――――――ちきしょうめ、こうなったらもう開き直るっきゃねーな。
 そんな破れかぶれな決意を固める春日。
 しかし、その背後には、悪魔も尻尾を巻いて逃げ出すと評判のひかるのマネージャー、馬波熊子が迫っていることにまるで気づいていなかったのだった……。


  ・・・ 特別出演  砂尾様 ・・・


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