死者からの贈り物(解答編)

死者からの贈り物(解答篇)


 冴子の申し出で、関係者全員が2階の書斎に移動していた。
 問題となった暗号も机の上に置かれたままである。
 そして、暗号が示す『それ』もまた、この部屋の中にあった。
「灯台下暗しとはよく言ったもんだな」
 伊藤武司がしみじみと呟いた。
 そう、その暗号が示す場所こそが、書斎の机のすぐそばにある本棚の中にあったのだ。
 びっしりと並んだハードカバーのミステリー小説群の一冊。
 中を開くと中央部がくり抜かれ、そこに貸し金庫の鍵が埋め込まれていたのだ。
 本のタイトルは『4番目の共犯者』。作者名は風見操一。
 作品自体は特段高い評価を受けていたわけではないが、作者本人が不可能犯 罪により殺 害されるというオカルトチックな事件をきっかけに、皮肉にもその遺作がベストセラーとなったものだ。10年ののちに操一の息子、風見顕一もまた不可能犯 罪の渦中に身を置くことになるのだが、それはまた別のお話である。
「『家の中にある4』って、『4という数字が書かれているモノ』って意味だったの?」
 伊藤榛菜がすこぶる不服そうに表情を曇らせる。祖父が最期に遺した暗号が、こんなに安直なものだったなんてと失望しているかにみえる。しかしそれは早計というもの。冴子は自分なりに辿り着いた暗号の解釈を披露する。
「確かにタイトルがひとつの目安になっていることは間違いないでしょう。しかし『家の中にある4』が示すものは『4番目の共犯者』ではなく、本、つまり書籍全般を指していたんです。この家には書斎だけでも多くの本があります。たとえ暗号の答えが『書籍』を指すと分かったとしても、それを全部調べるのは一苦労です。だから二次的なヒントとして、タイトルに4がつく本の中に鍵を隠したのだと、わたしは思います」
「ちょっと待ってくれよ、冴子ちゃん。つまりどういうことなんだ。4が書籍を指すっていうその根拠は何なんだよ」
 と、痺れを切らした下河原が堪らず割って入る。
「この暗号を解くカギは結婚記念日だったんです。数字は年数を表し、それに対応する文字は、儀式の名前を示しているんです」
「結婚記念日って、年の節目節目にお祝いするというあれですか?」
 怪訝そうに尋ねる茉莉に冴子は大きく頷いた。
「そうです。結婚記念日というは、実は意外に多くて全部で20ほどあるんです。具体例を上げると、結婚1年目は紙婚式、2年目は綿婚式、3年目は革婚式といった具合ですね。ですから、暗号にある6年目は鉄婚式、7年目は銅婚式、10年目は錫婚式と読めるわけです。そして、問題の4年目ですが、これは書籍婚式といいます」
 加えて冴子は、空欄となっていた5年目の木婚式、8年目の青銅婚式、9年目の陶器婚式まで一息に言ってみせた。事前に調べておいたとはいえ、いつもながら驚くべき知識量と記憶力である。

 家の中にある4を探せ。そしてそれを相応しい人物に与えよ。 

10
書籍
青銅
陶器


「次に『相応しい人物』とは誰なのかという問題ですが、これは貸し金庫から発見された『金のネックレス』そのものがカギとなっていました」
「ううむ、ネックレスから連想するものか……」
 下河原が煙草の封を切りながら下唇を突き出して、一応考えてみようとしている。が、しかし、それも初手からして全くの的外れであった。
「いえ、『ネックレス』がカギではないんです。カギはむしろ『金』のほう。これを暗号の答えに対応させると……」
「あっ!金婚式ね」
 そこまでの説明で真っ先に答えに辿り着いたのは伊藤榛菜だった。
「ご明察です。金婚式はご承知のとおり結婚50年目を祝うもの。これに該当する人はただひとり、伊藤睦子さん、あなたです」
 冴子に真っ直ぐ見つめられた睦子が、驚くよりむしろ純粋に喜んでみせた。
「え、あのネックレス、私にくださるの?わあ、ありがとう」
 いまひとつ状況が飲み込めてなさげな睦子と自信たっぷりに言い放った冴子を交互に見比べながら下河原が小さな疑問を口にする。
「そ、そりゃあ、結婚50年目っていやあ、当てはまりそうなのはこの人しかいないだろうけどさ……でも、冴子ちゃん、よくそんなこと知ってたな。そこまで下調べしてきたのかい?」
 すると冴子は、まさかとばかりに首を振る。
「とんでもない。わたしも金のネックレスを目にするまでは、暗号が金婚式にかかっていたなんて予想だにしていませんでしたから……ただ、最初にリビングに通されたときに茉莉さんが、その話題に触れていたのを思い出して、それでようやく気付いたんです」
「ん?そんなこと言ってたっけかな」
 冴子は鈍感な下河原のために、昨日下河原からみせてもらったファックス用紙をとりだして補足する。
「茉莉さんは榛菜さんに対して、こう言いました。『おばあちゃんがアンタくらいの頃には、おじいちゃんのところに嫁いでいた』と……そこでこの家族の年齢に注目したんです。榛菜さんは16歳、睦子さんは66歳、睦子さんが今の榛菜さんの年に喜八郎氏と結婚していたとしたら、今年でちょうど結婚50年目になります」
「なるほどね。さすが刑事さん、お若いのに頭が切れる」
 伊藤武司は冴子の水も漏らさぬ明解な論証に舌を巻いた。
 そして……
「そんなバカな!」
 出し抜けに茉莉が叫んだ。
「そんなワケないじゃない!あの人が……あの冷酷な人がおばあちゃんにプレゼント?ありえない!」
 その狼狽ぶりは、先刻までの控えめな印象とは大きくかけ離れていた。
「お母さん、どうしてそんなこというの?おじいちゃん、少なくともアタシにはスゴク優しかったよ。おじいちゃんに冷たく当たってたのはお母さんのほうでしょ?お父さんだって、おばあちゃんだって、みんなでおじいちゃんのこと煙たがってさ」
「何も知らないクセに!おばあちゃんがあんなふうになったのは、おじいちゃんのせいなのよ」
「え……それって」
「おい、茉莉」
 激昂する妻を鋭く窘める武司。
「…………」
 ハッとして、石を飲んだように急に黙りこくった茉莉に詰め寄る榛菜。
「お母さん、どういうことよ!ちゃんと説明してよ」
「榛菜……」
 苦渋に顔を歪める茉莉を見兼ねた武司が重い口を開いた。
「榛菜はまだ小さかったからな、覚えてなくて当然なんだ。あれはもう10年以上も前のことだ……」
 冴子たちは訥々と語り始める武司の言葉に耳を傾けていた。
「あれは不幸な事故だった。お義父さん、仕事がうまくいってなかった頃があってな、相当いらついていた。そんなとき、お義母さんとちょっとしたことで口論になった。そしてお義父さんは怒りに任せて、お義母さんに灰皿を投げつけたんだ。灰皿はお義母さんの頭に当たってしまった。命には別状なかったが、打ち所が悪くてな、それで脳に障害が残ってしまったんだよ」
 口をポカンと開けてぼんやりと空の一点を見つめている睦子は相変わらず他人事のように無反応だ。
「それからというもの、お義父さんは変わってしまった。以前はとても怖い人でな、私はいつもあの人の顔色ばかりうかがっていたよ。だが、その事件をきっかけに良く言えば温厚に、悪く言えば臆病な人になってしまった。仕事もすべて部下に任せ隠居生活。私たちがお義父さんを避けていたんじゃない。榛菜にはそう見えたかも知れんが、むしろ避けていたのはお義父さんの方だったんだよ」
「でも、あの人は……お父さんは何ら償おうとしなかった。ただ現実から逃げるばかりで何も……」
 茉莉の高ぶる感情を冷静に受け止める武司。
「違うな。私は見ていたよ。あの事故があってから何度となく自分への責め句を自ら突きつけていたお義父さんの姿をね。だがお義母さんは、このとおりだ。あのときの恐怖がトラウマになったのか、お義父さんを見ると逃げ出してしまう。どうすることもできなかった。苦しんでいたんだよ、お義父さんは……」
「そんな……」
 茉莉は今初めて知らされる真相に言葉を失っている。武司は優しく茉莉の肩を抱き、懐から一枚の便箋を取り出した。
「暗号の解読はさっぱりだったが、貸し金庫の中を見たとき、これはお義母さんに宛てられた物だって、なんとなく分かったよ。ネックレスに添えられていたこのメモを見たときにね」
 メモには「すまない」とたった4文字のみが記されていた。
 密やかな償い……
 自分の死期を悟った喜八郎が最後に遺したメッセージ。
「武司さん、どうしてそれを隠していたんです?」
 下河原が問いかけると、武司は自嘲気味に笑った。
「どうせこれを出したところで、もうお義父さんの気持ちは伝わらないだろう。そう思ったんです。なにしろお義母さんがこんな状態では……」
 そのときだ。
「ありがとう、あなた」
 睦子がはっきりとそう言った。
 惚けているはずの睦子の目が微かに濡れている。
「ありがとうね、あなた」
 正気を取り戻したのか?一同は瞬間そう思ったが、現実はそうキレイにはいかなかった。
「あの人はどこ?主人はどこにいるの?お礼を……お礼を言わなくちゃ……」
 睦子はやはり惚けたままだった。既にこの世に存在しない夫を探す睦子に、いたたまれなくなる。しかし、少なくとも忌みしきトラウマは消えかに見える。
「遅すぎるよ、お父さん。遅すぎだよ……」
 茉莉が嗚咽の声を上げながら洟をすする。
「では、ネックレスを相応しい人物に差し上げましょう。皆さんよろしいですね」
「そうですね、うん、それがいい」
 冴子の提案に武司が真っ先に同意して、1階のリビングに降りていく。そして、すぐさま駆け足で戻ってきて叫んだ。
「ない!ネックレスがなくなってる!」
「う、嘘でしょ、さっきリビングでおばあちゃんが試着してたけど、すぐに外して一緒に2階に上がってきたのよ」
「一体どこにいってしまったんだ?」
 伊藤夫妻はともに困惑の表情を浮かべていた。
 下河原はゆっくりと煙草に火をつけると、遣る瀬なさそうに榛菜の肩を叩く。
「榛菜、もういいだろ。出せ」
 すると榛菜は、いやいやをするように首を振った。
「アタシ……アタシは……」
「相応しい人物に与えよ。それが大好きなおじいちゃんの遺言だった……そうだろ?」
 榛菜の震えが下河原に伝わる。榛菜は泣き笑いのような表情を浮かべると、ポケットからじゃらりとネックレスを取り出した。
「何やってんだろ、アタシ。盗むつもりなんてなかったのに……」
 喜八郎の書斎。泣き崩れる榛菜を中心に、しばらく誰もがおし黙っていた。
 それぞれの想いを抱きながら……


「盗癖?」
「ああ、榛菜は昔、万引きの常習犯だったんだよ。ただし集団でやるような計画的なやつとは違う。いつもひとりで盗んでいたらしい。自覚はなかったんだな、気が付くとカバンの中に身に覚えのないものが入ってたっていうんだ。つまりこれは物欲に負けての犯行じゃない。言ってみりゃ、あれは一種の病気だったんだ。刹那的に人のものを取ってしまう癖なのさ」
 翌3月15日。
 おなじみ捜査一課の部屋での冴子と下河原の会話である。
「多くの不安を抱えている子供に見られる症状のひとつですね。根本的な原因は過度のストレスからくる現実逃避によるものだとも一説に言われていますが」
「だとしたら、あいつも少しは救われたのかな。家庭の問題をひとつ解決できたわけだし……」
「そう願いたいですね」
「大丈夫。アイツは結構強いヤツだ。心配ねえよ、うん」
 下河原が己に言い聞かせるようにそう呟いて、満杯になった灰皿を捨てようと立ち上がると、両腕で隠すように、なにやら書き込んでいる九条警部補が目にとまった。
「おや、九条さん、何してんですか?」
 九条は、ぱっとデスクの上を覆い隠し、下河原を見上げて恥ずかしそうに笑う。
「いや、ちょっとお祝い金の請求をね」
 九条の決裁箱には、警察共済組合の様式集がある。どうやらそこから祝い金の請求書を引っ張り出してきたらしい。それを見た冴子が、ふと思いついたことを言ってみる。
「もしかして、それって銀婚祝金じゃないですか」
「つ、円谷君、どうしてそれを?」
 すると冴子は軽く微笑んで答える。
「お祝い金なんてそうたくさんあるものではありませんから、ある程度の予想はつきます。共済の祝金は、結婚祝金、出産祝金、入学卒業祝金、永年勤続祝金、それに銀婚祝金、せいぜいそのくらいのものでしょう。これをひとつひとつ警部補に当てはめてみれば歴然です。まず、結婚はずっと以前でしょうから、これは問題外。また、出産の話しも聞いていませんのでこれも却下。それから娘さんは確か9歳でしたね。ということは今度小学校4年生に上がるわけですから入学卒業も該当しません。そうなると永年勤続か銀婚かのいずれかということになります」
「おおっ、出たな、冴子ちゃんの超絶推理!」
 下河原がからかい半分で合いの手を入れる。
「でも、なんで永年勤続じゃなくて、銀婚の方だって分かるんだ?」
 下河原の疑問も尤もな話だった。永年勤続祝金は入庁25年目、銀婚祝金は結婚25年目を祝うもの。どちらも九条には該当しそうな気がするのだが……
「それは警部補の態度を見れば一目瞭然じゃないですか。あんな照れくさそうに言うあたり、性格から察して仕事以外に関することだろうなと……」
「ナルホドねえ。で、九条さん、それっていくらくらい貰えるんスか?」
 現金な下河原に、九条がその額面を教えてやると、彼は地団駄踏んで悔しがった。
「げげっ、そんなに!チキショウ、羨ましいなあ」
「でも、警部補のことですからそのお金で奥様になにかプレゼントをするつもりなんでしょ?」
「ああ、まあね。ところで円谷君、こういうときの贈り物ってどんなものがいいのかね?いや、私はこういうの、あまり慣れてないものだから……」
 冴子は天を仰いで真剣に考えたが、やがて、一言こう助言した。
「贈り物自体は何でもいいんじゃないでしょうか。一番大切なのは贈る側の気持ちだとわたしは思います」
 昨日の事件を振り返り感慨深げに言う冴子。一方で下河原がとんでもないことを言い出す。
「しかしよくさあ、結婚10年目にダイヤを贈るとかっていうだろ。スイートテンダイヤモンドなんたらって。10年目は錫婚式なんだから、ダイヤじゃなくて錫でいいんじゃないか?」
「錫って君なあ……」
「そうですよ、下河原さん。それを言ったらダイヤモンド婚式は結婚75年目になってしまいますよ」
「おいおい、結婚75年目って、普通の夫婦なら少なくともどちらか片方は亡くなっているだろうに……」
「ま、それはともかくさ、俺、離婚して10年目なんだよな。離婚お悔やみ金とか出ないのかねえ」
 と、下河原が愚痴を零しはじめたところに、一本の電話が掛かってくる。九条が急に刑事の表情に切り替えて受話器をあげる。
「はい、捜査一課……」
「けっ、また事件かよ」
 下河原がそうぼやいたとき、九条は表情を和らげ下河原に受話器を向けた。
「いや、下河原君、君にだ」
「俺にですか?誰だろう……」
 すると九条は笑いがこみ上げるのを堪えながら言ったもんだ。
「ああ、ハルナと言えば分かるそうだ」


  ・・・ 特別出演  はるる様 ・・・


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