虹館の殺 人(問題編)

虹館の殺 人(問題篇・前)


「ここだけの話、実は僕、超能力者なんです」
 おなじみ神奈川県警捜査一課。
 岬刑事が声をひそめてそんなことをほざいている。
「岬、おまえ、なんか悪いモンでも喰ったか?」
 と、先輩刑事の下河原が面倒臭そうにひとつ隣りの席から応じる。
 今、課内には、残業でえっちらおっちら立替払精算書を鋭意製作中のこの両名しかいない。
「あ、信じてないなあ。折角下河原さんにだけ僕の秘密を教えてあげたのに」
「はいはい、わかったよ。じゃあ、この机、念力で持ち上げてみせろよ。でなきゃ、瞬間移動とかいうヤツでコンビニ行ってきて、夜食でも買ってきてくれねえかな」
 もちろん下河原は岬の言うことなどハナから信用していない。ただ、長時間、書類と格闘していたため、ちょっと休憩するかという気になり、煙草がてら岬の戯言に付き合ってやっているのだ。
 果たして、当の岬は残念そうに眉を顰めて首を振ってみせる。
「すいません。サイコキネシスやテレポーテーションは僕の専門外なんです」
「じゃあ、何ができるんだよ」
「ズバリ、人の心を読むこと、読心です」
 鼻腔から息をバフンと吐き出して答える岬。そりゃもうヤル気満々である。
「ほお……そいつは、すげえじゃねーか」
 下河原は、さも小馬鹿にしたように鼻で嘲い煙草をくわえる。
「あ、その顔、やっぱり信じてないですね。ああ、いいですとも。ならば論より証拠です」
 と、岬が机の引出しを開けて、雑誌を3冊ばかり取りだした。
 青年向けの漫画雑誌「ヤングスマッシュ」の第19、20、21号。それぞれの表紙には連載されている漫画のイラストが描かれている。
「おまえもホント漫画好きだな。で、それがどうしたよ?」
「まあまあ、そう慌てないで。とりあえずここからどれでも一冊手にとってみてください」
「どれでもいいんだな」
 言われるままに一冊の雑誌を手に取る下河原。
 ヤングスマッシュ第20号、表紙には水着の女の子の絵が描かれている。
「では、今度はそれを僕に見えないようにぱらぱらと捲ってみてください」
 徐々に興味を惹かれていく下河原がページを繰っていく。
 と、そこへ……
「おい、君たち」
 と、現れたのは、帰り支度万全の九条警部補である。
「あ、警部補」
「あ、警部補じゃないよ、岬君。仕事が残ってるというから私は残業届にハンコを押したんだ。漫画など読んでるんだったら早く帰りたまえ。だいたい下河原君まで一緒になってなんだ。そんなことで時間を潰してるようなら残業手当は出せないぞ」
「いや、そうじゃなくて、岬の奴が自分には超能力があるなんて言うモンですから……」
 と、慌てて弁明を試みる下河原。
「なに、超能力だって?岬君、何か悪いものでも食べたのか」
 とかなんとか言いつつも結局、岬の超能力ショーに付き合うハメになる九条警部補。
 ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこのことである。


「いや〜〜ん、たろう君のえっちぃ。もおバカバカバカァ」
 岬刑事が目を閉じたまま、そらで読み上げる。
「おおー!」
 九条と下河原が口を揃えて感嘆の声をあげる。ふたりは岬に見えないように漫画のページを見つめていた。下河原がランダムに開いたページを岬が見事読み上げてみせたのである。
「確かにこれはすごいな」
 確かにすごいが、ちょっと間抜けな絵づらである。
「どうせ、なんかタネがあるんだろ。あらかじめ内容を暗記してた、とかさ」
 パッと目を開けた岬が厭そうな顔をする。
「そんな夢のないこと言わないでくださいよ、下河原さん。だいたいねえ、この本全部、一字一句漏らさず暗記するなんて芸当できるワケないじゃないですか」
「ううむ、それもそうだな」
「しかし円谷君あたりならできるかもしれんぞ」と、九条。
「いやいや、流石の冴子ちゃんでも無理ですよ」と、自慢げに胸を反らす岬。
「冴子ちゃんに無理なら、当然岬にも無理ってことだよな」と、これは下河原の弁。
「あの、わたしがどうかしましたか?」
「わっ、さ、さ、冴子ちゃん」
 噂をすれば影。円谷冴子が捜査一課のドアを開けて入ってきた。
 いきなりの登場に面食らう男たち。
「円谷君、どうしたんだね?休みは今日一杯のはずだったろう」
 冴子は今日までの三日間、有給休暇をとっていた。そんな彼女に対して九条が問いかけたのである。
「すみません。明日からまた仕事なので、書類の整理だけでも今夜中に片付けてしまいたいと思いまして……」
「相変わらず真面目だね、冴子ちゃんは。まったく公僕の鏡だよ」
 と、下河原が煙草に火をつけながら彼女をひやかす。
「あれ、冴子ちゃん?その手、どうしたの」
 岬が冴子の手を見て怪訝そうに顔をしかめる。彼女の左手には包帯が巻かれていたのだ。
「あ、これですか。少しおおげさでしたね。でも大した傷じゃないんです。ちょっと包丁で切っただけですから」
「さては料理でも作るときに何かやらかしたか。意外とおっちょこちょいなとこもあるんだな」
 と、下河原が豪快に笑う一方で、必要以上に彼女を気遣っているのは九条警部補だ。
「円谷君、君はもう2、3日くらい休んだほうがいいんじゃないか。せめてその包帯が取れるまでは……」
「ひえー、九条さん、たまには俺にもそういうお優しい言葉をかけてほしいもんですなあ」
 下河原が九条を揶揄すると、思い出したように話を元に戻した。
「いや、でもちょうどいいところへ来てくれたよ、冴子ちゃん。頼むから、このエセ超能力者の鼻を明かしてやってくれねえか」
「ひどいな、いくらなんでもエセ超能力者はないでしょ」
 と、当然の如く岬刑事が猛烈に抗議する。
「だったら、さっきの超能力とやら、冴子ちゃんの前でもう一回やってみせろよ」
「ううむ、あれはすごいエネルギーを使うもんですからね、そう何度もできるって代物じゃないんだよなあ」
 岬が頭を掻きながら惚けるも、下河原は悪童のように意地になって食い下がる。
「ははあん、さては岬。冴子ちゃんに見せるとタネがバレるとか思ってビビってんだろ?ほら見ろ、やっぱ何か仕掛けがあるんじゃねえかよ」
 下河原が煙草を灰皿に置いて、岬がやって見せた手品の内容を冴子に話して聞かせた。
 それを聞き終えた冴子は、たいして考えることもなく、はっきりきっぱり言ったもんである。
「それならわたしにもできそうですね」
「げ……」
 岬の顔がサッと青褪めた。
 そして冴子がくだんの雑誌に手を伸ばす…………




 岩手県は北部に位置する二戸市。
 東北本線の各駅列車が金田一温泉駅ホームに滑り込む。
 平日の昼下がりとあって乗客もまばらで、駅舎を出てきた者は実に少なかった。
 その数少ない乗客のひとり、松本侑(まつもとすすむ)が、同行してきた片桐雄良(かたぎりゆうすけ)に声を掛ける。
「雄良君、長旅で疲れただろう。だがここまでくれば目的地には間もなく着くはずだ。もう少しの辛抱だよ」
「いよいよ待望の虹館(にじやかた)とご対面ですか。いやあ、この目で拝める上に泊まることまでできるなんて僕は幸せモンです。これも先生のお蔭ですよ。ホント感謝してます」
「いやなに、君にはいつもよく働いてもらってるからね。このくらいで満足してくれるならお安いものだ。それにしても重ね重ね意外だったよ。君が建築物に興味があるなんてな」
「白状しちゃうとそもそも先生のところで働こうと思ったのは、れいの館のことを雑誌で読んだからなんですよ」
「れいのって……円塔館のことかい?」
「はいッ。かの高名な建築家萩原青司(はぎわらせいじ)の作品、円塔館のオーナーなんですもん。こりゃあ、お近づきにならない手はないなと」
「ははっ、そこまでご執心だったとはね。なんなら次は円塔館にご招待しようか?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんだとも。ただし、君は今年大学卒業だ。就職先が決まったらお祝いに招待するということにしておこう。それまでは学業もおろそかにしないことだね」
「就職かあ。まだ決まってないんですよねえ。この際だから先生ところで雇っちゃくれませんか?」
 片桐雄良は、松本侑が都内で経営する学習塾で庶務のアルバイトをしている。雄良が言う就職先とはつまり、その学習塾のことである。
「雄良君、悪いことは言わない。ウチに就職するのはやめておきなさい。こう見えてもウチの塾は経営が危ないんだ。いつ傾くか知れたもんじゃない」
「またまたご冗談を」
 親子ほど年の離れた男ふたりが、そんな会話を交わしつつ有人の改札口を出る。自動改札に馴れきっている雄良は、切符を直接駅員に渡すという些細な交流さえ楽しんでいるかのようなはしゃぎようである。
 ファァーン。
 人通りの少ない金田一温泉駅を出た松本と雄良をクラクションが出迎えた。
 音のした方向に目をやると、白いワゴンの運転席から男が降りてきて手を上げた。
「松本侑さんだべか?」
 東北弁丸出しの筋肉隆々の大男がやってきてふたりを見下ろす。厚い胸板に大木のように太い腕……紳士然とした佇まいの松本と細身の雄良を足したくらいの体重はありそうだ。
「えっと、あなたは?」
「おらは工藤っつうもんです。菊池さんに頼まれてむがえにきました」
 差し出された皺くちゃの名刺には、「冒険家 工藤箔嬰(くどうはくえい)」と印刷されている。
「冒険家……ですか」
 地声の大きさ、妙なイントネーション、そして冒険家という肩書き。実に個性的な大男を前に呆気に取られる松本が彼を仰ぎ見ると、彼は頭を掻きながら照れくさそうに説明した。
「ほんだごど言っても、べづにエベレスト登ったり南極で犬ゾリ走らせだりするわげでもねえんだけんどさ、ま、ようするに職ナシのなんでも屋だべしゃ。こっちの方言ではおらみたいなのホデナスっていうんだけんどな」
 と、まことに聞き取りにくい方言を早口で捲くしたて豪快に笑い飛ばしてみせる工藤。
「今日は地元の建設屋の社長さんの紹介で、あんだら虹館の泊まり客のお世話を頼まれだんだ。ささ、立ち話もなんだし、まんず車に乗ってけさい」
「いや、それはそうと、虹館の完成記念パーティーと聞かされていたのだが、肝心の菊池は来てないのかな」
 松本があたりを見回しながら工藤に尋ねる。
 先ほどから話題にのぼっている菊池というのは、虹館のオーナー菊池燐太郎(きくちりんたろう)のことである。菊池は松本の友人であり、なおかつ同じ萩原青司が設計した館の所有者という繋がりで今回の完成記念パーティーに招かれたのだ。
「菊池さんなら昨日がら虹館に泊まってます。本来なら駅までむがえに来るどごろなんだけど、もう何人か昨日の電車で到着しでだんで、そっちの相手をしねえばなんねぐて行げねえがら、よろしぐ言ってでけろだそうです」
「あの、泊り客の中に萩原先生がいるって聞いてたんですけど」
 と、雄良が横から質問する。
「ああ、建築家の大先生だな。萩原さんなら菊池さんと一緒に昨日から来でるよ。いやあ、昨日の夜はふたりでしこたま呑んだらしいもんな。ふたりとも酒つええふうで下戸のおらなんてつきあうのもゆるぐながったよ」
「うわ、すごい!ホントに来てるんだ。サイン貰わなくちゃ」
 と、意外にミーハーな一面を覗かせる雄良。
「すると私たちが最後の泊り客ってことになるのかな?」
「いやあ、そんでねえんだけどよお……」
 松本の問いに工藤は困った顔でポケットに手を突っ込み、取り出したメモを見ながら今夜の宿泊客を紹介する。
「今日の泊まり客は、おらを含めで全部で7人です。まず虹館のオーナー菊池燐太郎さん、同じく虹館の設計者萩原青司さん、それがら、あんだだぢ、松本侑さんと片桐雄良さん。あど昨日がら泊まりに来てだ高柳麻耶(たかやなぎまや)さん。あ、麻耶さんっつうお嬢さんは菊池さんの親戚の人だそうです。それど、あどひとりが梅垣靜(うめがきしずか)さんっちゅう人なんだげども、その人がまだ見えねえんですよ」
「ああ、そういえば確かに菊池のやつ、女将も招待してるって言ってたな」
 松本が思い出したように呟く。
「あれ?お知りあいですか」
「ええ、まあ。女将……梅垣靜さんは、料亭〈しづか〉の女将でね、なかなか気立てのいい人だよ。あの店は女将の人柄でもってるようなものだからね。ま、そんなわけで私や菊池がよく使ってる店でもあるんだ」
「そうでしたか。んだばおがしいな。同じ電車さ乗ってきたハズなんだけど、見がげながったスか?」
「いや、たぶん乗ってなかったと思うが」
 松本が首に巻いたネッカチーフを弄りながら首を傾げるのを見てとった雄良が横から補足する。
「僕はその梅垣さんって人とは面識ないですけど、乗客も数えるくらいしかいなかったですからね。先生が見落としたってことはないと思いますよ」
「こりゃ、まいったな。途中で事故にでも遭ってなぎゃいいんだげど……」
 梅垣靜が来ないことには車を出せず、ワゴンの前で立ち往生する3人。
 やがて、雄良が携帯電話を引っ張り出して提案した。
「とりあえず、虹館に電話してみませんか。あっちの方に何か連絡がいってるかもしれないし。工藤さん、虹館か菊池さんの電話番号なんて分かります?」
「それが、駄目なんだな。虹館っつうのは、あの西に見えるK・・山の山頂に建ってで、しかもこの前完成したばかりだもんで電話線とかまだ引いでないんですわ。それに携帯電話も圏外でかがらねえみてえだし」
「や、そりゃ、弱ったな」
「なにしろ田舎だもんで、あいすんません」
 大男、工藤が申し訳なさそうにからだを二つに折りまげて頭を下げる。
 と、そこへ手荷物を抱えたひとりの女性が一行のもとにやってくる。
 年の頃は20代前半くらいか、見た目は雄良と同年輩に見える。
 女が男たちに言った。
「あの、みなさん、虹館へ行かれる方ですか?」
「そうですが」と、松本が代表して答えると、女はほっとしたように胸をなでおろし手荷物を足元に置いた。
「わたし、梅垣秋絵(うめがきあきえ)といいます。叔母の靜が急用で来れなくなりまして……あの、これ叔母から預かってきた招待状です」
 秋絵と名乗る女が鞄から招待状を出して松本に渡す。
「ふむ、そういえば器量良しの姪御さんがいると女将に聞いたことがある。そうか、君がその秋絵さんか。では改めて、はじめまして。私、東京で小さな学習塾を経営している松本侑といいます。で、こっちがウチのバイトの片桐雄良君。それとこちらが……」
「お世話役の工藤です。まんず早速だげど全員揃ったようなんで行ぎますかね。山道登ってがなぎゃなんねえし、虹館まで結構時間かがるがら。まあ、ご覧のとおり温泉以外はなあんもねえどごだげど、今の時期だど紅葉がきれいだがら景色でもゆっくり眺めながら行ぐべしな」
 そうして……
 工藤は松本、雄良、秋絵の3人を乗せて一路、虹館へと車を飛ばす。
 後に展開される忌まわしき惨劇の舞台へと……


「いやあ、これはすごい迫力だ!写真で見た感じよりずっと大きいですね」
 片桐雄良が虹館を見上げてため息をついた。
「まったくだ。とても平屋建てとは思えないな」
 松本侑も驚きのあまり口をポカンとあけている。
「んだべ。おらも初めて見たときは吃驚したよ。これで客室が7つしかねえってんだからなあ」
 と、ワゴンを車庫に入れてきた工藤箔嬰が玄関のところにやってきて新たな訪問客たちに言うと、今度は松本が自分の持っている予備知識を披露した。
「この虹館は、虹をモチーフにしているだけに上から見るとちょうど虹の形になっているんだ。しかも今工藤さんが言ったように客室は7つあって、それぞれ虹の色が部屋の名前になっている……」
 さらに畳み掛けるように、今度は建築マニア(?)片桐雄良が、補足説明をする。
「7つの部屋は、赤の間、橙の間、黄の間という順番に並んでいて、紫の間まであるんですよね。そしてそれぞれの部屋は壁紙から調度品すべてに至るまで、その部屋の色で埋め尽くされている。実に心憎い演出じゃないですか」
「ほう、さすが雄良君だ。予習は完璧だな」
「へへん、このくらい当然ですって」
 松本に誉められた雄良はエッヘンとばかりに胸を張り、子供のように得意げだ。
「これは、一体なんでしょうね」
 梅垣秋絵が、東棟と西棟を挟む位置に聳え立つドーナツを半分に切ったような形状の巨大なオブジェに近づいていき、物珍しげに触れたりして仔細に観察している。
「それはレインボウゲートですよ」
 一同が声のした方を向くと、虹館の西に位置する玄関口に50がらみの白髪の男が和服姿で立っている。
 その男に対し、松本が目尻を下げて両手を大きく広げてみせた。
「よお、菊池じゃないか」
「久しぶりだね、松本さん。それに皆さんも遠路はるばるようこそ」
 生来からの癖らしく、目上目下に関係なく丁重な対応をするこの人物こそ虹館のオーナーであり、今日のパーティーの招待主でもある菊池燐太郎である。
「なんだ、菊池。しばらく見ないうちに痩せたんじゃないか?」
「松本さんこそ小皺が増えたようですよ。それに白髪のほうもね」
「ははっ、お前ほどじゃないよ。しかし派手なことが嫌いなお前らしいな。こんなこじんまりとした完成記念パーティーなんて聞いたことないぞ」
「確かに、あなたが主催した円塔館のお披露目パーティーは派手でしたからね……しかし、私はどうも人の多いところは気疲ればかりして得意じゃないんですよ」
 などと、旧友同士の軽口が交わされる中、片桐雄良が控えめに入っていく。
「あの、菊池さん、はじめまして。僕、片桐雄良といいます。この度はずうずうしくもご招待いただきましてありがとうございました」
「ほう、あなたが松本さんのお気に入りの雄良さんですか。まあ、何もないところですが、どうか、ゆっくりしていってください」
「そんなとんでもない!もう大満足ですよ、ホントに」
 やたら恐縮する雄良に微笑ましく頷いた菊池が、今度は秋絵の方に向き直る。
「ところで、あなたは女将の代理の方ですか?」
「え、何故それを?」
 大男工藤が聞き返すと、菊池は当たり前のように返答する。
「だってそうでしょう?ここには既に今夜泊まる予定の7人全員が揃っています。その中で、私がまだ知らない人物はこのお嬢さんひとりだけ。そしてまだ見かけていない人も<しづか>の女将ただひとりですからね。商売熱心な女将のことです。おおかた仕事がらみで来れなくなったとかで急遽代理の方を寄越したのでしょう」
「あ、なるほど。言われでみればご尤もで」
 秋絵が玄関先まで戻ってきて、菊池にペコリと頭を下げた。
「梅垣秋絵といいます。いつも叔母がお世話になっております」
「ほう、姪御さんでしたか」
「ええ。あの……さっきの話の続きですが、あれって……」
 と、興味深げにレインボウゲートとやらに視線を転じる秋絵。
「おお、そうでしたね。あのレインボウゲートは、時間によって色が変わるんです。その下に噴水があるでしょ。レインボウゲートの光が水面に反射して夜は実にきれいに見えるんですよ。どうぞ楽しみにしていてください」
「でも、今は色がついてないようですが……」
「そのゲートが様々な色に光るのは夕方の4時から朝の6時までの14時間だけなんですよ。ちなみに、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順で2時間ごとに色が切り替わっていきます
「虹館(にじやかた)の読み方を変えれば虹館(にじかん)。2時間(にじかん)との洒落ですかね」と、雄良が埒もない冗談をはさむ。
「色と形、ここにも虹がモチーフとして使われているわけか。いかにも萩原青司らしい設計だな。機能性より芸術性重視なんてあたりは特にね」
「それってどういう意味ですか?」
 些かトゲを含んだ口調の松本に、秋絵が気になって尋ねる。
「いや、別に深い意味はないよ。私だってそれを承知の上で円塔館を購入したんだ。文句を言えた立場じゃない」
「なんだ、俺の作品に文句でもあんのか」
 と、新たに男性のものと思われるダミ声が館の中から聞こえてくる。
 菊池の背後の玄関から現れた小男。噂に名高い天才建築家、萩原青司である。
「お、これはこれは萩原先生」
 松本がうやうやしく一礼する。
「本当にいらっしゃっていたとはね……」
「俺だって、こんな田舎くんだりまで来たかなかったよ。菊池氏がどうしてもっていうからよ。ったく、ほんっとになんにもねえとこだよな。おい、工藤、麻雀卓出してこいよ。お前できるだろ?松本氏も確かできたよな?」
「またですか。昨日だって夜遅くまでポーカーやらおいちょカブやらにつぎあったじゃねえですか。もう勘弁してけんねえべがね」
「お前は弱いもんな、博打」
「そりゃねえべ。萩原先生が強すぎんだよ」
 天才建築家、萩原青司はぶるいの博打好きで有名である。最近では本職の方はさっぱり手をつけておらず、スランプなのか、ただ単にやる気がないのか、そのあたりは本人のみぞ知るである。皮肉にもそのことが彼の作品の稀少価値を高めているのだから世の中、何がどう転ぶかわかったもんじゃない。
 そこで菊池が萩原と工藤の間に割って入る。
「まあ、待ってください、萩原さん。まずは初対面の方のご紹介を……」
 そんな菊池の申し出を萩原青司は手をひらひらさせて断わる。
「あー、めんどくせえ、そんなのあとあと。さ、麻雀やるぞ、麻雀」
「申しわげねえけど、おら、夕餉の支度とがしねえとなんねえし、これでも暇じゃねえだよ」
「つべこべ言わずに来るんだよ!」
 と、強引に工藤を顎で引っ張る萩原。大男を従わせる小男、なにやら滑稽な図である。
 館の中に消えた萩原と工藤を見送った松本が、さっきから言葉を発していない雄良のところに来て耳打ちする。
「あれが萩原青司という男だ。ま、芸術家気質といえば聞こえはいいが、あれは単なる傲慢男だよ……ん?どうした雄良君、さっきから黙ってて。やっぱり君も幻滅したクチかい」
 雄良はふるふると身体を震わせ、やがてふうと大きく息をついた。
「いやあ、緊張しました!いきなり本物が出てくるんだもんなあ。握手してもらい損ねちゃいましたよ」
「よく言うよ、君も……」
 と、呆れたように肩を竦める松本。
 かたや、秋絵が菊池に訊く。
「あとひとり泊ってる人がいるんでしたよね。確か菊池さんの親戚の方で」
「ええ、彼女は私の遠い親戚で高柳麻耶といいます。女性はあなたとふたりだけですので仲良くしてやってください。部屋割りも奥の並びにしておきましたから」
「並び、ですか?」
「一番向こう側、つまり東端の<紫の間>に麻耶さんが入ってますので、秋絵さんはその隣りの<藍の間>ということになりますね。ちなみにその隣り<青の間>が萩原さん、次の<緑の間>が私。玄関に最も近い<赤の間>が工藤さん。残った<黄の間>と<橙の間>は松本さんと雄良さんで使ってください」
 菊池の説明を聞きおえた秋絵が手近な方から順々に部屋の窓を眺めていく。そして最後に玄関から最も遠い<紫の間>で目が止まりギクリと身を強張らせた。
 <紫の間>の窓の前にひとりの女性が立っている。
 そして無表情にこちらの様子を窺っていた。
 この女性、言うまでもなく菊池の遠い親戚、高柳麻耶である。
 果たして彼女はいつから見ていたのか……
 秋絵が麻耶に向かって軽く一礼すると、彼女はぷいと横を向き、そして、まだ外は明るいというのにカーテンを閉めてしまった。
 露骨なまでの拒絶。
 カーテンはむろん鮮やかな紫色である。



 虹 館 図 面

緑の間
菊池燐太郎(きくち りんたろう)
会社役員<虹館オーナー>
     
     
黄の間
松本侑(まつもと すすむ)
学習塾経営者<円塔館オーナー>
青の間
萩原青司(はぎわら せいじ)
建築家
     
     
     
橙の間
片桐雄良(かたぎり ゆうすけ)
大学生
藍の間
梅垣秋絵(うめがき あきえ)
栄養士
     
赤の間
工藤箔嬰(くどう はくえい)
冒険家
紫の間
高柳麻耶(たかやなぎ まや)
イラストレーター

レインボウゲート点灯時間

赤  16:00〜18:00
橙  18:00〜20:00
黄  20:00〜22:00
緑  22:00〜 0:00
青   0:00〜 2:00
藍   2:00〜 4:00
紫   4:00〜 6:00




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