虹館の殺 人(解答編)

虹館の殺 人(解答篇・前)


「もしかしたら、この暗号って……」
 一同は固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。
 片桐雄良の唇がゆっくりと動く。
「萩原先生はぶるいのギャンブル好きでした。そんな人が思いついた僕たちの共通点……それはきっとこれだったんじゃないでしょうか」
 雄良が棚の上にあったそれを手にとって皆の前にかざしてみせた。
「花札?」
 と、訝しげに目をぱちくりさせる工藤箔嬰。
 雄良が花札のケースを開けて話を進める。
「僕自身、あまり博打好きな方ではありません。花札はかろうじてルールを知っている程度です。でも、そんな僕ですら知っていたんですから、たぶん皆さんもご存知じゃないかと思うんです」
「花札の絵柄と私たちの名前の共通点……ですね」
 と、雄良の意図するところをいち早く汲み取ったのは梅垣秋絵である。
「やっぱり秋絵さんもそう思いますか?そうなんですよね、それしかないですよね」
 秋絵の後押しに確信を得たのか雄良は目を輝かせて饒舌に語る。
「すまん、雄良君、私にもわかるように説明してくれないか」
 いまだ閃かない松本侑が、少々いらだたしげに願い出る。
「つまり、こういうことです」
 雄良はそう言いながら、花札を一枚一枚テーブルの上に開いていく。
「梅垣秋絵の〈梅〉、高柳麻耶の〈柳〉、菊池燐太郎の〈菊〉、工藤箔嬰の〈藤〉、松本侑の〈松〉、片桐雄良の〈桐〉、そして萩原青司の〈萩〉
「なるほど、我々7人の名前の中に花札の絵柄が含まれているということか。いや、これは気づかなかったな」
 松本がテーブルの上の札を見つめ、得心したように膝を叩いた。

 梅   柳   菊   藤   松   桐   萩

「だども、これと萩原先生が書き遺したものとどう関係があるんだべ?」
 雄良は手の中の札をめくりながら1枚の札を探していた。
「少なくとも僕には、花札で青といえばこれしか思い浮かびません」
青タンか!」と、工藤が大声を張りあげる。
「そうです。青タン、これしかありません。青タンの描かれた札は3枚。ひとつは牡丹、ひとつは紅葉、そしてもうひとつが……」
 雄良がようやく見つけた札をテーブルに晒した。
 赤と黄色の花びらに青い短冊が描かれたその札は……
「菊です」

 牡丹   紅葉   菊

 場の全員が菊池燐太郎に注目した。
「菊池、まさか、お前が?!」
「い、いや、私は……」
 菊池はうろたえながら一歩後退する。
 そんな菊池に雄良が一歩踏み寄り【菊の青タン】を向けてみせた。
「この中に犯人がいる。しかしまた全員にアリバイがある。ということは、犯人がなんらかのアリバイトリックを用いたことは明白です。だとするとそんな仕掛けができたのは、この館の所有者であり、なおかつ、パーティーの招待者でもある菊池燐太郎さん、あなたしかいません」
 菊池を鋭く睨みつける雄良はまるで別人のようだ。そんな雄良を菊池がまっすぐに見つめ返した。そしてその細い目を見開いた。
「そ、そんな……」
 あの冷静沈着な高柳麻耶が最もショックを隠せずに両手を口に当て信じられぬといった面もちでいる。
 雄良は更に推理を進める。
「今度は動機の面から考えてみましょう。萩原先生と以前から面識があったのは、あなたと松本先生だけです。つまり、萩原先生を殺すだけの動機があるとしたらこのふたりに絞られます。でも松本先生のアリバイは一緒にいた僕がはっきりと証明しています。ならば菊池さんのアリバイはどうでしょう?麻耶さんとずっと電話で話していたということですが、姿を見せていたわけではありません。確かに各部屋の内線電話は壁に固定されていますから電話をしている限り部屋から動かなかったというのも筋が通っているようにも思えます。ですが一方で、それとは別にコードレス電話をあらかじめ用意しておくことくらいあなたなら造作もないことですよね。そもそも電話をかけてきたのは菊池さんの方からなわけですし、むしろ僕はそこに何か意図的なものがあったと思わずにはいられません」
「もういいですよ……雄良さん、もういい……」
 菊池が既に観念したかのようにがっくりとうな垂れた。
 しぼりだすような力ない声は傍目にも実に痛々しいものであった……


 菊池燐太郎は〈緑の間〉にひとり佇んでいた。
 彼が犯人であることが公然の事実となった今、〈緑の間〉に近づくものは誰もいない。
「これでいいんだ……そう、これで……」
 ポツリと呟くその声が静かな……恐ろしきまでに静かな部屋に木霊する。
 窓の外、雨は降りやまず。
 レインボウゲートが紫色に煌々と灯る。
 午前4時50分、夜明けは近い。


 松本侑と片桐雄良は〈黄の間〉にいた。
 松本がやるせなさそうにブランデーを一気に飲み干す。
「まさか、菊池が犯人だったとはな」
「あの人はなぜ萩原先生を殺したりしたんでしょうね」
 雄良は荒れ気味の松本の酒に付き合ってコーラを飲んでいた。
「そんなこと知るもんか!いや、知りたくもないね。菊池はいい奴だ。だが、奴は……萩原はとても人格者とは言いがたい。あいつに恨みを持っている人間なんてゴマンといるよ」
「え、そうなんですか?」
 雄良の問いに松本が吐き捨てるように言った。
「どうせなら私が殺してやりたかったよ。この私が……」
 苦々しく唇をかみしめる松本が続ける。
「萩原はな、円塔館の設計を盗んだってもっぱらの噂なんだ。たしか塩内とかいう無名の建築家が本来の設計者らしい。しかもそれに勝手に手を加え、そこに住む者を全く無視した自分本位な設計にすりかえた」
「それ、本当ですか?」
「以前、菊池と一緒に〈しづか〉で酒を呑んでたとき、本人が言ってたよ。この虹館だってその塩内って人からの盗作じゃないのかな」
 そして松本は皮肉めいた笑みを浮かべる。
「萩原はスランプなんかじゃなかったのさ。そもそも、才能の欠片もないただの凡人にすぎなかったんだよ」
 雄良が再びコーラに口をつけ、松本に尋ねた。
「そんな酷いことって……松本先生、僕は間違ってたんですか?菊池さんが萩原先生を殺したのも何か正当な理由があったのかもしれないですし……」
 自分の推理で菊池を追い詰めてしまった悩めるひとりの青年が松本の目に投影されている。その非弱な肩に松本が手をおいた。
「いや、盗作を黙認した菊池もまた同罪だよ。それに殺 人はどんな理由があろうとも罪は罪。やはり事情はともあれ罰は受けなければならない」


 高柳麻耶は〈紫の間〉にいた。
 麻耶は手の中のサバイバルナイフを呆けた目で見つめている。
 そこへノックの音。
「秋絵です。麻耶さん、ちょっといいですか?」
「待って、今、開けるわ」
 麻耶はサイドテーブルにナイフを置くと、ドアを開けて秋絵を部屋に促した。
「麻耶さん、大丈夫ですか?」
 麻耶の顔を見て、開口一番気遣いの言葉をかける秋絵。
「私は平気だから」
 そうは言っても、とても平気そうには見えない蒼ざめた表情の麻耶。
「でも、お父さんが犯人だっただなんて、平気なわけないじゃないですか」
「父は犯人じゃないわよ」
「え、それって……」
「父は被害者のほう」
「麻耶さん、でも、あなた、菊池さんの隠し子だって……」
「それは、表向きのこと。本当は私、萩原青司の娘なの」
 あまりに衝撃的な告白に言葉を失う秋絵。
 麻耶が自嘲気味に笑った。
「萩原が行きずりの女に産ませた子供が私なの。苦労人だった母は私が就職してすぐに病気で亡くなった。つい最近のことよ。母からは、父親は私が幼い頃に死んだって聞かされてたけど、自分の死期を悟って後ろめたくなったのかしら、病床でやつれた母が最期に本当のことを話してくれた。あなたの父は生きている。あなたの父親は建築家の萩原青司だってね。私は母が死んですぐ父に会いに行った。一応就職もしていたし、お金の無心とかするつもりはなかった。ただ自分の父親がどんな人なのか知りたかっただけ。なのにあいつは……萩原は……」
 そこまで言って、麻耶は口に手をあて嗚咽の声を上げた。
 麻耶は迷った末、自分が萩原の娘であることを話したという。そして、その時の萩原の反応はこうだ。
『へえ、お前があの女の娘か?何?俺が父親?ふざけるな!どこに証拠があるんだ?あのあばずれのことだ、誰の子か分かったもんじゃねえぜ』
 それをたまたま見ていた菊池燐太郎が、麻耶を気の毒に思い、以来何かと世話を焼いていたらしい。
「私が……私が殺すつもりだったのに……どこまでお節介なのよ、あの人は……」
 菊池が止めるのも聞かず、麻耶が虹館にやってきたのは、いくら約束を取りつけようとしても、なかなか会ってくれない萩原を場合によっては殺す。それこそが目的だったのだ。母を侮辱された恨みをあのサイドテーブルに置かれたナイフで晴らそうとしていたのである。
 現に今夜、菊池が麻耶に電話をかけてきたのも、萩原のことはもう忘れるのだと、長々と説得するためであった。
 ずっと冷静だった麻耶が堰を切ったようにぽろぽろと涙を流している。やるせなくてどうしようもないのだろう。
 そんな麻耶の背中にそっと手をやる秋絵。
「そうだったんですか。そんなことが……でももうすぐ終わりますから。何もかも、もうすぐ……」
 麻耶が泣き腫らした真っ赤な瞳で秋絵を見上げる。
「もうすぐって……あなた一体……?」
「麻耶さん、今夜はゆっくり眠ってください。朝になればすべてが終わってますから」
 梅垣秋絵は麻耶の問いには直接答えることなく、そんなことを言い残し、音もなく〈紫の間〉を後にしたのだった……


 〈赤の間〉には、布団を被り、もう何回目かの寝返りをうつ工藤箔嬰の姿があった。
 寝つけるわけがない。
 あんなことがあったすぐ後で寝つけるわけが……
「ああっ、くそっ!」
 ガバッと半身を起こす工藤。
 そこへ、まるでタイミングをはかったかのようにノックの音が……
 工藤はドアの前にそろそろと近づき、ドアノブを握り締めた。
「誰だ?」


 〈緑の間〉
 誰も近づかないであろうと思われていたそのドアがノックされる。
 しかし、菊池はまるでそれを予期していたかのように落ち着き払ってドアを開け訪問者を招きいれた。
「そろそろ来る頃じゃないかと思ってました」
「…………」
 訪問者の手には鈍色に光る出刃包丁が握られていた……


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