主張するナンバー

主張するナンバー


「さあて、どうしたもんかねえ」
 水を打ったように静まり返った捜査一課に男の声が響いている。
 やたら大きな声で独りごとを言っているのは、ご存知バツイチ男、下河原刑事その人である。
 きょろきょろとあたりを見回す仕草からして、彼は明らかに『話を聞いて欲しいよオーラ』をビンビンと放っていた。
 しかし、誰も彼もがデスクワークに集中していて、あるいはお人好しな誰かがお相手するだろうと思ってか、課内の全員がモノの見事にノーリアクション。ある意味、軽いイジメである。
 そんな気まずい空気の中、岬刑事が九条警部補に寄っていきそっと耳打ちする。
「下河原さん、今度、車を買うらしいですよ。ウン百万するナントカっていう外車だとか、昨日さんざん聞かされて参っちゃいましたよ」
「なるほどな。つまり誰でもいいから、その新車の自慢をしたいってことか」
 九条も岬につられて小声で囁きかえす。
「それにしても下河原君、どこからそんな大金を捻出したんだろうね」
「ですよねえ。いつも別れた奥さんへの慰謝料できゅうきゅうしてるとか言ってたくせに……まさかヨリを戻したとか?」
「いや、それはないだろう。彼のネクタイを見たまえ。3日間同じものをつけてる。彼には女性の影はないな」
「刑事のカンってやつですか。さすが警部補。だてに25年も警察のメシを食ってないですね」
 聞こえないと思って勝手なことばかり言っていると、当の本人はさらに声を大にして繰り返した。
「さあて、どうしたもんかねえ」
「どうかしたんですか、下河原さん」
 救世主はいつも突然現れる。
 ふらりとやってきて無防備に声を掛けたのは、我らがヒロイン円谷冴子巡査長である。
「おおっ、冴子ちゃんか。ちょっと聞いてくれよ」
 ようやくかかった獲物を逃がすまいとすぐに椅子を勧める下河原。
 彼は文字どおり冴子と膝を交えて語り出した。
「実は俺、車買うんだけどさ……」
 いよいよ、下河原の自慢話スタートか……と思いきや話は想像とやや違っていた。
「そのナンバープレートなんだけど、ほら今、番号選べるようになっただろ。で、どんな数字にするかってんでちょっと迷っててな」
「決めかねているということですか。でも、そういうことなら自分で決めたほうがいいと思います。それに特に使いたい数字があるのでなければ無理に番号を選ばなくてもいいでしょうし」
「おいおい、そっけないね、冴子ちゃん」
「でも、タダじゃないわけですから。交付手数料はたしか4、5千円したはずですよ」
「いや、そりゃ、そうだけどさ。やっぱ、ほら、たとえばさ、ラッキー7で【7777】とか末広がりの【8888】とか縁起のいい数字のぞろ目なんていいと思わないか」
 指で煙草を弄びながら弁明する下河原に、岬がやってきて言う。
「下河原さん、【7777】っていうのは、いくらなんでもヒネリもなんにもないじゃないですか」
「岬、俺はな、冴子ちゃんと話してんだ。水差すんじゃねえよ」
 ムッとする下河原は、シッシッとばかりに岬を犬のように追いやろうとする。
 冴子は冴子で困まったような表情を浮かべ、やがて申し訳なさそうに進言する。
「でも、やっぱりぞろ目は止めておいたほうがいいと思いますよ」
「そうですよ、下河原さん。ぞろ目なんてオリジナリティなさすぎですって」
「いえ、そうじゃないんです、岬さん」
 と、すぐさま便乗してくる岬を冴子が制した。
「ぞろ目というのは人気があって、そのナンバーを希望する人が多いため抽選で決められるんです。その競争率というのがとても高いらしいので、もしもそのナンバーに固執するのでなければ、別のものにしたほうがいいという意味でわたしは言ったんです」
 下河原は感心げに頷きながら灰皿を手繰り寄せた。
「別に俺はぞろ目にこだわってるわけじゃないからな。ま、そういうことならぞろ目は却下するよ」
「あと、【……1】や【1234】などの特殊な数字も同じように抽選で決めていたりするようですから、それもやめておいたほうがいいですね」
 下河原は冴子のいつもながらの博識ぶりに舌を巻いていた。
(彼女は自分の車を持ってなかったはずだよな。車好きだなんて話も聞いたことがないし……いったいどこからそんなネタ仕入れてくるんだかな。)
 てなことを考える下河原であったが、それは彼の単なる認識不足に他ならない。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百科事典。やっぱ、物知り冴子ちゃんに聞いて正解だったな……さて、じゃあ、どんな番号にするかな。4桁だから電話番号とか生年月日なんてどうだ。これなら人気が集中したりしねえだろうし」
 これには冴子が出るまでもなく、岬刑事がすぐさまダメ出しする。
「ああ、もお!下河原さん、本気でそんなこと言ってンですか。銀行の暗証番号じゃあるまいし、どこの世界に自分の個人情報を車のまん前に張りだして公道を走り回る人がいますか。それだったらいっそのこと【・110】とかにでもしちゃいます?」
「おい、岬。それってもしかして110番の警察って意味か?」
「そうですよ。警察の人間とわかれば、スピード違反も見逃してもらえるかもしれませんしね」
「ふざけんな」
「いてッ」
 下河原が岬の頭をポカリと殴る。いくらジョークとはいえ言っていい冗談と悪い冗談がある。
 そこへ冴子が取り成すように建設的な意見を提示する。
「だったら、語呂合わせなんてどうでしょうか」
「語呂合わせ?」
「はい、【2914】でニクイヨ、【4649】でヨロシクなどという類いのものです」
「おおっ、いいねえ、それ」
 冴子の提案を嬉々として受け入れる下河原が思いつくままに列挙するが、そのことごとくに岬がいちゃもんをつけてくる。
「【0840】でオハヨウ」
「夜に見たら間抜けですね」
「【3739】でミンナサンキュー」
「何様ですか」
「【5960】でゴクロウ」
「ほんと、ごくろうなこって」
「【7878】でナハナハ」
「せんだみつお?」
「ああ、もう。だったらお前何か考えてみろよ」
「知りませんよ、そんなの!」
「だったら、口出しすんな!」
 冴子がまあまあと再びふたりの間に入って話を進める。
「やはり、語呂合わせにするにしても、ただ闇雲ではなくて、それに見合ったメッセージがあると思うんです」
「あん?それに見合ったってどういうことだよ」と、尋ねる下河原。
「車のナンバープレートにメッセージを含めた場合、ポイントはそれが誰に向けられているかということなんです。言いかえれば誰が注意を払って見ているのかともいえます。まず駐車中の場合、立ち止まって他人の車のナンバープレートをしげしげ見つめる人はあまりいませんよね。一方、走行中の場合、前を走っている車と後ろを走っている車、この2台は長い時間、一本道を連なって走っていれば、イヤでも目に飛び込んできます。さて、ここで下河原さんが運転中に前後の車に対して言いたいことってなにが考えられますか?」
 冴子の問いに下河原が真剣に考える。
「うーん、長い時間くっついて走っているってことは道が渋滞しているか、あるいは追い越しできないような道路を走っているか、ってことになるよな。特にもそんなとき気になるのは前を走っている車の方だ。もっと速く走るなり路肩に避けるなりしてほしい、そんなメッセージなんてどうだろう」
 そこまで言って下河原がぽんッと膝をうった。
「そこでだ、こんなのはどうだ?【8895】でハヤクゴー!。ちょっと苦しいが【88946】(ハヤクシロ)じゃ5文字になっちまうからな」
「……それでもいいんですけど、残念ながらそのままではうまく伝わらない可能性もありえますよね」
 落ち着き払ってそう切り返す冴子が手帳に大きく【0018】と書いた。
「これはあくまで喩えです。0が最初にくるナンバープレートなんて実際はないんですけど……これでなんて読むかわかりますか?」
「オレイヤ、レイレイパ……いや、わかんねえや」
「では下河原さん、ちょっと後ろを向いてください」
 促されるままに背を向ける下河原に手鏡を渡す冴子。
「その鏡で、もう一度これを読んでもらえますか」
 冴子が背後で開いてみせた手帳の数字を鏡ごしに見ると……
「あっ、【8100】だ」
「そうなんです。前の車が走行中に後ろの車を見る場合、普通はこのようにルームミラーごしに見る格好になるんです。だからそれを考慮に入れて【8100】と書いてハヤクと読ませるわけですね。ヒャクをヤクと読ませるあたりがかなり強引なんですけど……なにしろ鏡像でも読める数字、つまりシンメトリーになっている数字は0と1と8しかないものですからこれくらいしか思い浮かばなくて……」
「確かに0、1、8だけじゃ語呂合わせはできねえぞ。こうなりゃもう冴子ちゃんの案で決まりにするしかないか」
 と、向き直った下河原が短くなった煙草を灰皿に押しつける。
「とはいえ、実際に前を走る車のドライバーが、【8100】のナンバーを見て、スピードを上げてくれるとは思えないですけどねえ。早く行かせたかったら、クラクションのひとつも鳴らしたほうがよっぽどいい」
「岬ィ、そんな言い方ねえだろ。せっかく冴子ちゃんが考えてくれたんだからよ」
「いえ、岬さんのいうとおりです。わたし、実用性なんてハナから考えてませんから」
「え、そうなの?」
 拍子抜けする下河原に対し、当然とばかりに頷く冴子。
「そもそも日本では、ナンバープレートの数字が選べるようになったのは平成10年5月からで、まだそれほど年月が経っていないわけですし、数字の語呂合わせでメッセージを送るという洒落っけもあまりない民族ですから、語呂合わせはあくまでも自己満足に過ぎません」
「はは、身も蓋もないおっしゃりようで」
 と、肩をすくめる下河原。
(まあ、そもそも俺が数字を選びたいって主張してるのも自己満足以外の何者でもないんだしな。いや、それにしても冗談をからきし言わねえ冴子ちゃんにそう言われるのもなんだか妙な気がするよなあ。)
 そんな彼の思惑を知ってか知らずか、冴子はまたまた豆知識を披露する。
「その点、ジョークが日常生活に溶けこんでいるアメリカなどは違います。向こうの車のナンバープレートは4ケタ以上選べるうえに、数字のほかにアルファベットも使えるので、組み合わせをいろいろ考えることができるんです。たとえば【TI3VOM】とか……」
「俺、自慢じゃないけど英語はあまり得意じゃねえんだよな。なあ、それ、なんて読むんだい?」
「これは簡単な中学英語です。そのまま見るのではなく、さっきのパターンと同じように鏡像で見ればすぐわかりますから」
「う〜む……」
 下河原の頭上から無数のクエスチョンマークが生産されていく。
「わかったぞ!」
どうやら、下河原より岬が先に気づいたらしい。
「MOVE IT(ムーヴイット)か。3の裏返しをEと読ませるのがミソだね」
 そのとき、九条警部補のデスクの電話が鳴った。
「おい、コロシだ!みんな、現場に行ってくれ」
 九条が受話器を置くや否や指示を飛ばす。
 部下の刑事たちが上着を引っかけ次々と飛び出していく。
 冴子もまた他の刑事たちと一緒に出かけようとするが、その袖を下河原がつかんで引き止めた。
「待ってくれよ、冴子ちゃん」
「はい?」
 柔道の猛者下河原が恥ずかしそうに頭を掻きながら尋ねる。
「その……俺、ホント英語弱くてさ、今言ったアレ。むうぶいっと、だっけ。あれってどういう意味なんだ?」
「さっきの語呂合わせと同じような意味なんですけど……まあ、簡単に言えば……」
 と、言いかける冴子の言葉を九条の叱咤が遮った。
「下河原君、何をぐずぐずしてるんだ」
 そしてさらに続けて九条が叫んだ言葉は、期せずして冴子が答えようとした言葉とぴったり重なったのだった。
 九条はこう言ったのだ。
「さっさと行きたまえ!」と……。


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