ランチはカレー

ランチはカレー


 ---------夏。
 めくらめっぽう暑い夏。
 空調の壊れた捜査一課はサウナのごとき様相を呈していた。
 食欲も減退するこの時節、ひとりもりもり昼飯をかっこんでいるのは岬刑事であった。
 彼は特盛りの激辛カレーライスを汗を拭き拭き食べていた。傍目には軽い罰ゲームのようにも見える。
「岬君、この暑い中、よくそんなものが食べられるな」
 呆れたように言っているのは、ざるそばを平らげたばかりの九条警部補である。
「暑いからこそカレーですよ。それに今カレーはブームなんです。ランチはカレー。これはもはや定番中の定番なんです」
「カレーがブームだって?そんなの聞いたことないぞ」
「まあ、これを見てくださいって」
 食べ終えた岬がナプキンで口もとをぬぐい、色刷りのパンフレットを九条に差し出す。
 パンフレットはA4版両面刷りのもので、どうやらそれは岬が今しがた食べ終えた『かりいはうす』のメニューになっているようだ。
「ああ、この店なら知ってるぞ。2、3日前に駅前にできたヤツだろう。しかしカレー専門店の出前も珍しいな」
「警部補、デリバリーっていってくださいよ。ざるそばなんかと違ってトレンディーなんですから」
 いまどきトレンディーというのもどうかと思うぞ、と心の中で呟く九条が岬に問う。
「たしかその店は2号店だったな。まさか店舗が拡大してるからってだけでカレーがブームだとでも言うんじゃないだろうね」
「そんなんじゃないですよ。理由ならそのパンフにちゃんと書いてあるじゃないですか」
「なにがだね?こりゃ、ただの料金表じゃないか」
「裏面ですよ、裏面」
 岬に促されパンフレットを裏返すと、カレーの起源やら付け合わせの色々などの豆知識が書いてある。そして、カレーに関する統計資料も記載されていた。
「そこにあるアンケート見てください。『あなたが昼食に食べるもので最も多いのはなんですか?』という質問に対して、なんと42.86%がカレーと答えているんです。実に4割以上ですよ。しかも2位のラーメンの倍以上!」
「ありえない、こんな数字!いったいどこの調べだね?」
「さあ、どこでしょうねえ。民間の調査会社かなんかじゃないですか」
「胡散臭いなあ、これは」
 九条は信じられぬといった面持ちでぬるくなった麦茶を啜る。
 そこへ、途中から黙して聞いていた円谷冴子が口を挟んできた。
「岬さん、そのアンケートって何人に聞いた結果かわかりますか?」
「うーん、調査対象人数までは書いてないなあ」
 そのアンケート結果の表示されて棒グラフを眺めながら岬が答える。
「では、岬さんはどのくらいの人に聞いた結果だと思います?」
「なんだよ〜、冴子ちゃんまで疑ってるのか。要するにあれだろ、聞いた人数が少ないのなら、信憑性が低いぞと言いたい訳だろ。でもさ、このアンケート結果、42.86%だよ。小数点第2位まで出てるってことは、少なくとも1万人以上にはアンケートを取ってることじゃないか?」
「いえ、そうとも言い切れません」
「ええっ、どうしてさ、冴子ちゃん」
 岬がムキになって問いただすも冴子は相も変わらず涼しい顔だ。
「岬さん、血液型は何型ですか?」
 急に話題を転じられ、わけのわからない岬であったが、根が素直なためかすぐさま答えてしまう。
「僕はBだよ……それがどうしたってんだい?」
 根が素直ではない……わけでもない冴子はすぐには答えず、今度は九条に同じ質問をする。「私もBだな」と答えた九条の後を受けて「わたしはAB型です」と冴子も自己申告し、改めて岬に投げかけた。
「さて、以上3人のデータを元に求められるB型の占める割合を%で表すといくらになりますか?計算するまでもないですよね。3分の2ですから66.6666。小数点第2位で四捨五入すれば66.67%です。このとおり3人から聞いたアンケート結果でも小数点は発生するんです」
「あっ、言われてみれば確かに。まあ、ちょっと考えればわかることなのだろうが、これは意外な盲点だったね」
 と、危うく自分も騙されるところだったとばかりに納得しているのは九条警部補。
「同じように先ほど岬さんが言ったカレーをランチで食べる割合の42.86%とは7分の3という単純な計算式から導き出される答えです。つまり42.86%というのは7人中3人が答えたデータにすぎないと言い換えることもできるんです。さっきの血液型の調査からもわかるようにB型は日本人のせいぜい20%。6割以上のはずがありません」
「どうやら決まりだな、岬君。データの総計が少なければ信憑性もそれに比例して下がる。ま、7人は極端としても、せいぜい多くて14人とか21人。そうじゃないとこんなおかしな結果がでるわけがない」
 九条は冴子の側に回って、観念しろと言わんばかりに岬の肩を叩くが、当の岬刑事はまだ粘ろうとする。
「いや、でもちょっと腑に落ちないなあ。いくらアンケート対象人数が明記されてないからって、7人とか14人程度にしか聞いてないとなれば、これはもう詐欺だよ」
「あの、誤解しないでください、岬さん。わたしはあくまでそういう可能性があることを示しただけで、必ずそうだといっているわけじゃないんです。むしろわたしが言いたかったのは、統計というものは時に発表者の都合のいいものに誘導しやすくなっているから気をつけなければならないということなんです。すべてを数字だけで導き出そうとするから現実的に無理が生じる。それが『人間失格』の中で太宰治が触れている統計のウソと呼ばれるものなんです」
 彼女が何を言わんとしているのか、今ひとつ理解できていない岬刑事に対し、冴子が更に講釈を続ける。
「では、もう少し別の例をあげてみましょう。ある交通調査で、横断歩道上での人身事故の件数を調べたところ、歩行者側の信号が赤のときより青のときのほうが事故が多い。という結果が出たとして、それならば、赤信号で渡るより青信号で渡るほうがむしろ危険である。という結論には達しないですよね、常識で考えても。これは赤で渡る歩行者よりも青で渡る歩行者のほうが圧倒的に多いからこのような結果になるというだけのことです。赤青それぞれの信号で渡った人数と事故にあった人数の対比がなされていないからおきる数字のトリックなんです」
 冴子は聞き入るふたりを前に一旦言葉を切り、麦茶で喉を潤した。
「警視庁の発表する統計に検挙率があります。これはご存知のとおり犯 罪認知件数に占める検挙件数の割合がそれになるわけですが、仮にある年に検挙率が下がったとします。そんなとき、ただ検挙率が下がったというだけで警察の怠慢と非難するのは本末転倒です。本当に必要なデータは、犯 罪認知件数の増加率と警察官の在籍人数の増加率の比較です。これが比例しているのであれば検挙率が下がるのは怠慢といわれても一部仕方のない面もあるといえます。でも現実は、わたしたち公務員だって民間が冷えれば一緒に冷えるわけですから、このご時勢で極端な人員増加などありえません。一方で、犯 罪はただ増えるばかりではなく複雑化し、さらには宗教団体などの犯 罪の組織化、外国人犯 罪の増加、少年犯 罪、犯 罪のハイテク化などなど状況は悪化の一途を辿るばかりです。認知件数が増えたうえ、難度も高くなり、その上、人員が増えず。それで検挙率を上げろというのは至難の業であることは明々白々です。こういう場合の警察関係者の弁明は、『検挙率は下がったが、検挙数は上がっている』というもの。でもこれは弁明でもなんでもない。これが事実なんです。これが統計の数字の恐ろしいところなんです」
 汗粒ひとつ流さずまくし立てる冴子にひたすら感心する九条。もう拍手さえおくりたい気分であった。
「うむ、まったくだ。だが尤も、裏を返せば警察サイドから見て都合の良い解釈もできるということだがね」
 岬はなおも難しがって、腕を組んだまま眉間にしわを寄せている。
 カレーを喜び勇んで平らげた手前、まだランチにカレー42.86%説に拘っていたいらしい。
「では、岬さん、ひとつ問題を出しますね。あるアンケート調査で『あなたが今最も欲しい電化製品はなんですか?』という質問に対して、冷蔵庫という答えが90%以上を占め圧倒的に1位だったとします。これはどうしてこんなことになったのでしょうか」
 そんな珍妙な問題に答えられるはずもない九条が首を捻る。
「冷蔵庫なんて今どきどこの家庭にだってあるんじゃないか。今ならむしろ液晶テレビとかDVDレコーダーとかが1位になりそうなものだが……」
 かたや岬刑事は何かを閃いたようである。
「わかった!時代だよ。それは30〜40年前に実施したアンケートなんだ。その頃ならまだそんなに冷蔵庫は普及してはいない。だから冷蔵庫が欲しいと多くの人が答えてもおかしくはない」
 岬刑事にしては、なかなか筋の通った答えである。しかし残念ながら冴子の用意した答えはもっと他にあった。
「では、アンケートをとったのが現代だとしたらどうです?」
「あと考えられるのは、さっきも話したパターンと一緒で対象人数が少なかったということかな。90%以上の確率になるための最小値は10人だろ。いや、待てよ。そもそも対象人数が少ないとはいえ10人中9人までもが冷蔵庫と答えるのには無理があるか」
 電卓を叩きながら頭を掻く九条。難しいことを考えると暑さが余計に増してくる。
「降参だ、円谷君。正解を教えてくれ」
「はい。答えは、『雑誌などの懸賞への応募条件として回答するアンケート調査だった』です。そしてその賞品が冷蔵庫であることは言うまでもありません。アンケートに答えているのは、冷蔵庫が欲しい人ばかりですから、『あなたが今最も欲しい電化製品はなんですか?』という問いに対して、ほとんどの人が冷蔵庫と答えるのも当然です。想像するにアンケート実施者は今後の懸賞品を決めるに当たっての資料としてこんな調査をしたのでしょうが、今回の懸賞品である冷蔵庫を除くという条件を付け忘れたため、全く役に立たない調査となってしまったということになります。つまり、統計から導き出す結論は、どのような条件下での調査であったのかということも重要になってくるということです」
「はいはい、数字の怖さはもうよくわかったよ。でも、だからってこの数字を否定する材料にはならないと思うけどな、僕は」
 岬がそう言って『かりいはうす』のパンフレットを再度眺め、程なく驚きの声を上げた。
「あっ、ちゃんと小さく書いてあるよ、これ」
「何がだね?」と、九条が後ろから覗きこんでくる。
「アンケートの総数ですよ。700人って書いてありました。ほら、ここ。隅っこに小さくだけど。ね、ね、書いてあるだろ、冴子ちゃん」
 鬼の首でも取ったかのように小躍りする岬刑事。そんな彼から受けとったパンフレットを黙して読む冴子。
「な、これでわかったろ?ランチにカレーと答えたのは300人もいるんだよ。たまたまキリのいい数字になってしまったけど、700人中300人だよ。時代はもうカレーでしょっ!」
「いよいよもって、うさん臭いじゃないか。アンケートに答えた700人ってのは実は全部インド人だったなんてオチじゃないのか?」と、九条がいちゃもんをつければ、
「んな、バカな。そんなことしたら店の信用問題に関わりますよ」と、すかさず岬もやり返す。
「でも、調査対象者がインド国籍者と明記してさえあればウソでもなんでもないでしょう」
「冴子ちゃん、どこにそんなこと書いてあるんだよォ?」
「いいえ、書いてません。でも……」
 冴子が岬にパンフレットのある部分を指して教えてやった。
「ここを見てください。調査対象700人の下に『お客様アンケート』って書いてあります」
「ああ、書いてるな。で、それがどしたの?」
「お客様とは、まず間違いなく、この『かりいはうす』のお客様を指しているのでしょう。今回オープンしたこの店は2号店でしたよね。ですからこのアンケートは『かりいはうす1号店に来店したお客様』を対象に実施したものと考えられます。ほら、よく店に備え付けのアンケート用紙があったりしますよね。あういう類いのものを使ったのでしょう」
「ということは円谷君、これは……」
「はい、これも冷蔵庫の事例と全く同じなんです。カレーを食べに来た人にランチに何を食べますかと聞けば、カレーと答えるのが多くなってしまうのは必然。それにたとえ本心はラーメンだったとしても、カレー店のアンケートに『ランチはラーメン』と答えるのは気がひけるものです。そう言った諸々の有利な要素が働いて『ランチはカレー』という調査結果になったのでしょう」
 美しく組み立てられた水も漏らさぬ名推理である。
 しかしこれでは岬刑事の面目丸つぶれ。やけのやんぱちで逆ギレする岬。
「冴子ちゃん、それじゃ正真正銘の詐欺じゃないか!」
「あの、岬さん、それ、本気で言ってるんですか」
「あたりまえだろ。警察官をペテンにかけるなんて悪質だよ」
「ちょっと待ってください」
 冴子が両手を突き出して岬を宥めにかかる。
「落ちついてください、岬さん。冷静に考えればこんな結果になるわけがないことくらいわかるじゃないですか。店側もフェア精神に乗っ取って『お客様アンケート』とちゃんと表示しているわけですし、文句を言ったところで『これはジョークですよ』と切り返されれば、それでおしまいなんですから」
「うぅーん……なんか頭痛くなってきた」
 気持ちよく空っぽになったカレー皿も恨めしく、スプーンに映る岬の顔は今に泣きだしそうだ。
 しかし泣かない男の子。アゴに梅干こさえて、こみ上げる憤りをじっと堪える岬。
 彼のひたいから流れ落ちる汗は、辛いものを食べたときに吹き出るそれよかは、だいぶ冷たそうである。
 そこで一句。
 いと悲し 刑事の堕とした その泪 ラッキョと成りて 辛味やわらげ
 おそまつ。


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