〈トオナカ〉へ行け!

〈トオナカ〉へ行け!


 ひどく疲れていた。
 忙殺されそうなオフィスの中で、ただ機械的に仕事をこなしていく毎日。
 憂鬱な深夜バスの中で、ひとり思う。
 何のために・・・何の目的があって僕は生きているのだろう?
 バスの中は空いていた。
 乗客は泥酔しきって眠りこけている中年オヤジと耳にイヤフォンをつけて音楽を聴いてる青年だけ・・・。
 眠い。激烈なまどろみが確実に僕の身体を支配していった・・・。


 まぶたごしに差し込んでる来る光線の眩しさに目を開く。
 ・・・?
 バスの中には誰もいなかった。窓の外が明るい。そして見たこともない景色・・・朝?
 まさか!乗り過ごしてしまったのか?
 それにしても妙だ。バスの中も何だか雰囲気が違うし・・・そもそも誰にも起こされることなく朝を迎えるなどということがあるものだろうか?
 しかし、僕を降ろしたバスは非情にもそのまま走り去ってしまった。
 そういえば、あのバス、乗客どころか運転手さえもいなかったような・・・。
 バス停には、〈トオナカ〉と表示されてる。おそらくここの地名か何かだろう。
 不思議なことに頭では状況を把握できていないにもかかわらず、足だけはまるで別の生き物のように道を進んでいく。
 いったい僕は何処へ行こうとしているんだ?
 やがて、無機質な団地群に辿りつく。天にも届きそうな程の大きな建造物。その付近を歩いていると、さながら自動販売機から吐き出される缶ジュースのようにスーツ姿の住人たちがぞろぞろと出勤していく。誰も彼もが没個性で、少なくとも僕には判別不能だった。これなら、へのへのもへじの方がまだマシというものだ。
 団地内に入り、吸い込まれるようにエレベーターに乗り、無意識のうちに47階のボタンを押していた。まるでそこに自分の住処があるかのように・・・。
 やはりだ!
 果たして、その階のひとつには僕と同じ名前の表札が掲げられていた。
 ズボンのポケットを探ると固い感触、あるはずのない鍵が指先に触れる。この部屋の鍵だと僕は直感した。
 初めて入るその部屋は、妙に居心地がよく、懐かしい感じがした。
 デジャヴというやつだろうか?疲れているとよくそういう現象が起こると何かの本で読んだことがある。
 それにしてもやたらと生臭いにおいがする。
 鼻をひくつかせると、どうやら臭いの元は隣りの部屋らしい。
 僕は一旦外に出て隣りの部屋のチャイムを鳴らした。
 程なくドアが開き、30代半ばぐらいと思しき女性が顔だけを覗かせる。だがチェーンはかかったままだ。彼女はひどく疲れた顔で僕のほうを見た。
「あの、すいません、お宅のほうからしてくる臭いなんですけど・・・」
 すると彼女はチェーンを外し僕を招き入れ、キッチンの三角コーナーに捨てられた鮮魚の頭を見せて「きっとあの臭いよ」と応えてくれた。
「そうかなあ、何か違うような・・・あ、何で包丁なんか・・・?」
 彼女の手には出刃包丁が握られていた。おまけに血糊がべっとりと付着している。
 それでも、彼女はやはり平然として応えた。
「今、料理を作っていたところなの。もうすぐ出来るところだから、どう?あなたも」
「え、でも・・・」
「いいから、お入りなさいよ」
 結局僕は彼女の部屋に上がりこみ朝食のご相伴にあずかることになった。何故か既に二人分の食事の用意がなされていた。いずれにせよ、彼女の料理は間違いなくおいしかった。
 しかし、血生臭いにおいは時間とともに増していき、その部屋にとどまることが苦痛になってくる。
「ご馳走様でした。じゃあ僕はこれで・・・」
「待って、あなたに見て欲しいものがあるの?」
 早々に退散しようとする僕を引きとめる彼女。
「お隣さんのよしみよ、いいでしょう?」
「はあ・・・」
 彼女は視線で僕を浴室へ促した。臭いの元はどうやらそこにあるらしい。浴室のドアを開けると赤一色だった。夥しい鮮血が狭い浴室にぶちまけられていたのだ。そして浴槽には膝を抱えるようにして息絶えている血まみれの男の姿が・・・。
 僕の目は、そのかつて人間だったものに釘づけになった。
「これは・・・」
「亭主よ。疲れた疲れたって言うもんだから、楽にしてあげたの」
 背後で彼女は静かにそう言った。
「あなたが殺したんですか?」
「そうよ。さあ、もう行って頂戴。こんなところに長居は無用よ」
「あなたは・・・あなたは、どうするんです?」
「さあね、あなた次第じゃないのかしら?」
 どういう意味だ・・・?
 僕は玄関に向かいながら、ひどく醒めた頭で思った。
 それにしても、何だかうらやましいな、と・・・。


 バス停〈トオナカ〉は、周辺に建物らしきものは見当たらない川沿いの土手にあった。
 人気のない川辺りで石拾いをしているふたつの人影を見つける。
 髪の長い女の子と野球帽をかぶった少年だ。
「石なんか拾ってどうするの?」
 ふたりに話しかけると、女の子の方が笑顔で応じてきた。
「ここにはね、〈運命の石〉が落ちているの」
「運命の石?」
「そうさ。これが〈悲し石〉、んでもって、こっちが〈醒め石〉。あと〈心石〉〈涙石〉とかいろいろあるんだぜ」
 もうひとりの野球帽の少年が得意げに石を見せるが、僕には何処にでもある普通の石にしか見えない。
 試しに足もとの石をひとつ拾ってみる。
「僕には分からないな。どれも同じに見えるよ」
「あ、それ、〈永石〉だよ!」
 少年は僕の拾った石を見て興奮気味に奇声を発した。
「な、何だって?この石ころがどうかしたのかい」
「〈永石〉じゃないか、それって滅多に見つからないんだぜ。その石を持つ者はね、『永遠』を手に入れるって言われているんだよ」
「本当に〈永石〉ね。すごいわ。私、初めて見た」
「ぼうや、欲しかったらあげるよ」
「え、いいの?」
 いいも悪いもない。僕には何の変哲もないただの石ころにしか見えないのだから・・・。


  その後、〈永石〉のお礼だと少年の家に招かれた。
 赤い屋根で2階建てのありふれた家。しかし、家には家族らしき者は見当たらなかった。
 出されたお茶を啜りながら少年に訊いてみる。
「君、両親は?」
「いないよ、はじめから」
「はじめから?」
「うん、はじめから」
 いぶかしげな僕に、女の子はそれ以上訊くなとばかりに首を振ってみせる。
 これは触れていけない話題なのか?すると、もしかして彼女も・・・。
「君にも・・・君にも家族はいないの?」
「父親がいるわ」
 そう答えた彼女の頬に一条の涙がつたった。
 私の父親は自分を異常なまでに溺愛している。そして私は逃げてきた。今も自分のことを血眼になって探しているに違いない。そう教えてくれた。痩せた彼女の背中に痛々しい痣が透けて見えた。
 僕の感覚はとうに麻痺していた。
 身の回りで起こることすべてが現実を逸脱していながら、一方では驚くほど自然に感じて・・・。
 そもそも、僕は何故この土地にやってきたのだろう?
 一度も訪れたことのないはずのこの〈トオナカ〉に・・・。


 少年の家を辞して、獣道のような細道を歩いていくと40歳くらいの太った男性ふたりに出くわした。
 ふたりは顔も姿もうりふたつだった。おそらく双子なのだろう。
「よく来たね」
 ふたりは声を揃えて僕を見るなりそう言った。そして更に声を揃えて、
「ようこそ、〈トオナカ〉へ」とも・・・。
 ふたりに案内されていくと、そこは寂れた商店街だった。人通りが少なくどの店も閑古鳥が鳴いている。
 そこで僕は一軒の古本屋に目をひかれた。古本屋といえば狭い店舗というイメージだが、そこは、店構えは汚いものの、普通の書店並の広さをもっていた。蔵書はなぜか漫画や雑誌が中心(少年マガジンの創刊号やリボンの騎士の初版本などプレミア物が山ほど眠っている)で、店主の老婆と見比べると何かちぐはぐな印象を受ける。表にはだいぶ前に製造中止になっているファーストガンダムのプラモデルが売られている。しかも、未開封のパッケージに青いマジックででかでかと100円なんて書いている。なんてもったいないことを!100円で売るのも、マジックで書きこむのも、いや、何が一番もったいないって、これらのお宝が売れ残っているという事実である。こういったものに興味がない人でも製造年月を見ればレア物であることは一目瞭然のはずなのに・・・。
 やはり、この町は何かが少しづつ狂っている。
 しかし、すべて狂っていれば、それもまた正常とも言える。
 僕はふと、双子の男たちが首から架けているお揃いのロケットが気になった。
「それは?」
「ああ、これね」
 ふたりの太っちょはまたも声を揃えて、ロケットの蓋を開けて見せた。
 見ると、中には鏡がはめ込まれている。
 こんなものに何の意味があるというのだろう?


 双子の兄弟と別れて、またしても、ひとりきりになった。
 お寺へ続く長い石段を登っていくと朱色の鳥居が等間隔で並んでいる。その鳥居は進むほどに小さくなっていく。
 何処かで見たような景色だ。
 やがて、境内の前にたどり着くと、あの亭主殺しの主婦がぽつんと膝を抱えて座っていた。
 僕に気づいて立ち上がった彼女の胸には文字通りぽっかりと穴があいていた。そしてその穴の向こうに賽銭箱が見えた。
「どうしたんですか?その穴」
 我ながら、実に間の抜けた質問だった。
「それを訊いちゃ駄目だよ」
 背後の声に振り返ると川辺りで出遭った少年が白い歯をむいて笑っている。しかし目だけは笑っていない。この目もやはりどこかで見覚えがある。そうだ!彼女の家のキッチンで見た、エラから上を切り取られた鮮魚の目だ。腐った魚の目そのものだ。少年は笑いつづける。
「〈トオナカ〉はね、みんなの古里なんだ。なのにみんな忘れてしまう。父さんも母さんもそうだった。だから僕はひとりで帰ってきたんだ、この〈トオナカ〉にね」
 そして、少年は初めて野球帽をとって見せた。少年の頭部には、まるで額から上を鋏で切り取ったかのように、何もなかった。
 呆然とする僕。主婦と少年は手を取り合い、境内の中へ歩を進める。
「先に行ってるよ」
「何処へ・・・何処へ行くんだ?」
「もう、気づいてるはずだよ」
「だからここに来たんでしょ、あなた」
 そして、ふたりは境内の中へ消えていった。
 僕はただただ見守るばかりで、その場を一歩も動けなかった。まるで時が凍りついてしまったかのように・・・。


 石段を降りた頃には日が暮れかけていた。石段の下では太った双子の片割れが僕を待っていた。
「やあ」
 彼は気さくに声を掛けてくる。
「どうも・・・」
 今度は何を聞かされるんだ?
「答えは見つかったかい?」
・・・答え?何のことだ?
「いえ、あの、何のことか僕にはさっぱり・・・それよりもうひとりの方は?」
「ああ、彼かい?彼は先に行ってしまったよ。せっかちな奴なんだ、昔から」
 そう言うと、彼は胸のロケットをおもむろに開いた。すると彼の体は、換気扇に吸いこまれる煙のように、ロケットの中の鏡に吸い込まれ、消えた。僕の足元にロケットだけが残った。そして、それを拾い上げたのは僕ではなく川で会ったあの女の子だった。彼女は体中血まみれだった。
「君、いつの間に・・・どうしたの?その血・・・」
 聞かなくともぼんやりと分かった。彼女はきっと父親を・・・
 僕たちは言葉を発しないまま歩いた。歩いてやがてあのバス停〈トオナカ〉にたどり着いた。日はとっぷりと暮れていた。
 無人のバスが来て止まった。運転手すらいない正真正銘の無人バスだ。暗闇の中でバスのヘッドライトだけが光源を確保していた。僕は言った。
「もう、行くよ」
「そう・・・」
 僕は泣いていた。ぼろぼろ泣いていた。涙を流すなんて何年ぶりだろう。
 そしてこんなにも濃密な時間を過ごしたのは何年ぶりだろう?
 不思議な町だ。無気力の町、忘却の町、癒しの町・・・今なら分かるような気がする。これらはすべて僕自身の心象風景。遠くにあるようで実はいつも僕の心の中にあったもの・・・だから遠中(トオナカ)。すべては僕の分身だったのかもしれない。目の前にいる彼女もまた僕の・・・。
 決別のときが来た。
「みんないなくなってしまった・・・君ももうすぐ消えるんだろ?」
 彼女は寂しそうに、こくりと頷いた。
 僕は意を決してバスに乗り込んだ。
「最後にひとつだけ訊いていいかな?」
 バスの窓を開けて僕は彼女に問い掛ける。
「僕は・・・僕は誰なんだ?」
 フワァーン。
 クラクションがひとつなって、バスが発車した。闇の中を走り出すバス。僕は〈トオナカ〉の余韻を楽しんだ。なぜか僕の心は幸福感で満たされていた。後は目を閉じて眠ればいい。そうすれば僕は〈現実〉に帰れるはずだ・・・でも、この余韻をもう少し楽しむとしよう。そう、もう少しだけ。
 バスはひたすら闇を突き抜けていく。
 どこまでもどこまでも・・・どこまでもどこまでも・・・。


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