ヨリコさん

ヨリコさん


「おじいちゃん、また野菜残してる」
 ヨリコさんはそう言って、食べ残しの人参を私に戻してきた。私が人参が嫌いなのを知っていてあえて食べさせようとするのだ。
 いや、別に愚痴っているわけじゃない。彼女は良かれと思ってやってくれているのだから、むしろ感謝しなければならないくらいだ。こんな老いぼれに良くしてくれるのは彼女くらいのものだろう。妻に20年も前に先立たれて、今は、貧しいながらもヨリコさんと二人きりの隠居生活である。
 ぎゅっと目と瞑り、人参を口に放りこむとヨリコさんは満足そうに頷いた。
「偉いわ。ねえ、好き嫌いは駄目よ。わたし、おじいちゃんにはいつまでも元気でいて欲しいんだから」
 年のせいか優しい言葉をかけられると、つい涙が出そうになる。彼女とは長い付き合いだ。嘘やべんちゃらで言っているのではないことを私はよく知っている。
「はい、どうぞ」
 ヨリコさんが食後のお茶を淹れてくれた。うまい。彼女は私の好みを熟知している。15年前、うちに来たばかりの頃、お湯に直接茶葉を入れて出されたことがあった。これには私も驚いたものだが、それもつい昨日のことのように思える。年をとると時間の経つのが早く感じられるものなのだ。
 ・・・私はあと何年生きられるのだろうか?
 最近じゃ、やれ人工心肺だ、人工頭脳だと医学の進歩にすがって延命を試みる輩が多いが、私はそういうのは好きじゃない。生きている者はいつか死ぬ宿命にある。それを逃れようとすることは神に唾吐く行為に他ならない。人は決して寿命に逆らってはいけないのだ。
 朝食を終え、縁側で昔のアルバムをめくっていると、ヨリコさんが掃除機をかけにやってきた。
「ごめんね、おじいちゃん。掃除機かけるからちょっとあっち行っててくれる?」
「ああ、いつもすまないね」
 私は老眼鏡を外して、アルバムを閉じた。
「ううん、わたしこそごめんなさいね。お楽しみのところ」
「いや、構わんよ」
 私は外に出るのが嫌いだった。大気が汚染されているのもあるが、なによりあのせかせかと歩いている人たちが厭だった。おまけに年寄りは通行の邪魔とばかりに押しのけていく。人情のカケラもない。
 最近しみじみと思う。
 人が増えすぎたな・・・。
 それにしても、ヨリコさんはよく働く。掃除が済むとすぐ洗濯だ。
「あら、なんだかこの洗濯機、調子が悪いみたい」
 さっきからしきりとスイッチを押しているが、それは動こうとしない。
「その全自動洗濯機もかなりの年代物だからな。寿命かもしれない」
 ヨリコさんは呆れたように腰に手を当ててため息をついた。
「あのねえ、おじいちゃん。今、こういうの全自動って言わないのよ」
「何言ってる?全自動だろ、それ」
「それって買った頃の話でしょ。今は洗濯から乾燥、アイロンがけまでボタンひとつでやってくれるのが全自動っていうのよ」
「へえ、便利になったものだな。じゃあ洗濯物干したりしなくてもいいんだ」
「そういうこと」
「なんなら、新しいの買おうか?ヨリコさんもその方が楽だろ」
 不本意ではあるが彼女のためを思い、そんな提案した。その全自動洗濯機がいくらぐらいするものなのかは知らないが、一般家庭に普及しているものであるのなら買えない値段ではないだろう。
 しかし、ヨリコさんは首を縦に振らなかった。
「いいわよ、直せばまだ使えるもの」
 と、彼女が軽く洗濯機を蹴っ飛ばすと、ブーンというモーター音とともに洗濯槽が回りだした。ヨリコさんは我が意を得たりとばかりにウインクして見せた。
「ね、まだ使えるでしょう」
 さっき彼女が使ってた掃除機もそうだが、私は結構物持ちなほうである。人から言わせれば貧乏性ということになるのだろうが、私から見ればより便利なもの、より機能的なものが発売されるたびに、まだ使えるそれらを捨てて新しいものに取りかえるというのは愚の骨頂だと思う。物が溢れすぎたこの世の中で、古いものを安易に切り捨てるというのは非常な危険な思想であり、来たるべき不測の未来への警鐘でもあると私は考える。
 そういった意味でもヨリコさんはなかなかしっかりしている。物を大事にする気持ちを持っているのだから。
「ヨリコさん、本当に君はできた人だね。いつも感心するよ」
「あら、わたしだっておじいちゃんは偉いなあって思ってるのよ。それにわたしなんかの面倒まで見てくれて・・・ホント感謝してるわ」
「・・・・・・」
 それはこっちの台詞だ。こんな病んだ時代だが、ヨリコさんがいるから・・・いてくれるからこそ生きる希望が沸くというものだ。
 明るくて、優しくて、働き者で・・・もはや私には彼女なしの生活は考えられなかった。
「ねえ、おじいちゃん。お昼何食べたい?おじいちゃんの好きなもの作ってあげる。あ、でも、好き嫌いは・・・」
 ふいに時間が止まったかのような錯覚に襲われた。
 しかし、がらがらと回りつづける洗濯機が、時が確実に流れていることを教えてくれる。
 時間は止まっちゃいない。
 止まってしまったのは・・・ヨリコさんだ・・・!


「だから、α48GXというのは何なんだ?」
 私はその若い店員に詰め寄った。訳の分からん用語を並べられてもさっぱりだった。
「つまりさ、おじいちゃん・・・ああ、これ以上詳しく説明しようがないよ!」
 若い店員は頭を抱えている。何でもかんでも横文字でまくし立ておって・・・これじゃ埒があかない。
 私たちのかみ合わないやり取りを見兼ねた初老の店員が近づいてきた。
「つまりね、おじいちゃん、これは壊れたわけじゃないの。うーん、分かりやすく言えば電池が切れたんですよ」
「電池?」
「そう、電池切れなんですよ、このアンドロイド
 初老の店員は、マネキン人形のように固まってしまったヨリコさんを指して、そう言った。
「だったら、その電池を交換すればいいんだな?」
「いや、でもこれ、十年以上も前のモデルですからね。とっくの昔に製造中止になっちゃってるんですよ」
「じゃあ、電池も?」
「ないんです」
「・・・ない」
 落ちこむ私に若い店員が宥めるように言う。
「安心してよ、おじいちゃん。今はもっと安くて性能のいいのがでてるからさ・・・」
 そして、若い店員は無遠慮な目つきでじろじろとヨリコさんを眺めた。
「いやあ、それにしてもこんな旧式、僕も映像でしか見たことないですよ。よくこんなの今まで使ってましたねえ。普通、家庭用アンドロイドを一年以上使う人なんていませんよ」
 私はそれ以上彼らと口をきく気にはなれなかった・・・。


 家に帰った私はひとりぼっちだった。
 動かなくなったヨリコさんは、今や部屋のインテリアの一部と化していた。
 料理も掃除も洗濯もおしゃべりもできないヨリコさん・・・軽く蹴ったくらいじゃ動きそうもない。
 はからずも目頭に熱いものが浮かぶ。
 無性に寂しかった。
 しかし、私は新しいものに買いかえるつもりは毛頭なかった。
 もうそろそろ、妻のところへ行っても良いかな・・・。
 私も来週の誕生日で200歳だ
 私は決意した。
 今度何かの病気に罹っても、絶対病院には行かないことにしよう。これ以上生かされるのはもうご免だ・・・。


TOP

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送