お買い得

お買い得


登場人物

 黄川郁子(30)
 黄川一雄(39)
 清原美鈴(27)
 陣内(51) 



○ 黄川家・全景
  霧雨の中、同じような造りの家々が建ち並ぶ分譲住宅地の中の一軒。
  表札、黄川一雄・郁子。

○ 同内・リビングルーム
  黄川郁子(30)が、通販で買った『はぼき』を装着した掃除機をかけている。
  うまく吸い取れないサッシ戸の塵を神経質に吸い取ろうとしている。
  郁子の額にうっすらと汗が浮かぶ。
  やがて、塵が片付き、嬉しそうに破顔する郁子。
  掃除機のスイッチを切り、つけっぱなしのテレビに目を向ける。

○ テレビの画面
  『とくとくテレフォンショッピング』の看板の下で商品の説明をしている黄川一雄(39)と清原美鈴(27)。
  一雄、『伸縮枝切り鋏』を手に取って、
一雄「(芝居掛かって)いやあ、これは便利ですね。これなら高い枝も楽々」
美鈴「(はきはきと)脚立なども使わずに済むから安全で安心」
一雄「ところで気になるお値段は?」
美鈴「はい、本日は特別価格19800円で御奉仕!」
一雄「(大袈裟に)え〜!19800円!?」
美鈴「さらにこの牛皮製ハンドバックとポーチと財布、十二星座の腕時計、そして万能おろし器に特性キーホルダーをセット」
一雄「これはお買い得!」
美鈴「お申し込みは、今すぐ!」

○ 黄川家・リビングルーム
  郁子、無表情に受話器を取り、メモした番号を押す。
郁子「あ、さっきのテレビ見てたんですけど・・・ええ、申し込みです」

○ 『テレフォンショッピング』のスタジオ
  収録を終えた一雄に、上司の陣内が近付いてくる。
陣内「いやあ、黄川君、いつもながらの名演技。君、販売より広報の方が向いてんじゃないか?いや、ホント済まないね。ほら、きょうびタレント使うと金かかるしさ」
一雄「いえ、自分でも楽しんでますから」
  「部長さん」と声が掛かり、「それじゃ、またよろしく」と、慌ただしく去る陣内。
  一雄、ずっと隣りにいた美鈴に、
一雄「(美鈴の耳元で)ね、清原君、今夜空いてる?」
美鈴「(あしらうように)ふふ、たまには奥さん孝行したら?」
一雄「(急に不機嫌に)暗いんだよな、あいつ。一緒にいると、こっちまで憂鬱になる。拷問だよ、ありゃ」
美鈴「(笑って)あーあ、そんなこと言っちゃってえ。言いつけるぞお」
一雄「(おどけて)どうぞ、御自由に」

○ 黄川家・玄関
  小包の受け取りにサインする郁子。
郁子「(配達員に)御苦労さま」

○ 同・リビングルーム
  小包を開ける郁子。
  中から柄の色がカラフルな目的別庖丁の10本セット。
  郁子、オレンジの柄の庖丁を抜き、じっと刃先を見つめる。
  庖丁をしまい、説明書を読む郁子。

○ 同・ダイニングキッチン
  野菜や果物の試し切りをする郁子。
  切れ味の良さに満足の表情。

○ 同・玄関(夜)
  外の雨は一層激しくなっている。
  びしょ濡れの一雄が靴を脱いでいるところへ、音もなく現れる郁子。
郁子「(一雄の背中に)お帰りなさい」
一雄「!(驚いて振り返り)・・・ああ」
郁子「(一雄の鞄と引き替えにタオルを渡しながら)お風呂、沸いてるから」
一雄「・・・ああ(タオルで頭を拭く)」

○ 同・浴室
  一雄、入浴している。
  アニメの絵入りのシャンプーやタオル。
  シャンプーハットに水鉄砲等子供向けの風呂用品。
  一雄、カエルのおもちゃを泳がせながら、
一雄「(舌打ちして)イカレてる!」

○ 同・ダイニングキッチン
  郁子と一雄、無言で夕食を摂っている。
  一雄、キッチンの庖丁セットを一瞥し、
一雄「また、買ったのか?」
郁子「そう、本当に良く切れるの。こういうのって早く注文しないと売り切れちゃうでしょ。だから・・・」
一雄「そんなこたあない。物にもよるが、三日くらいは大丈夫なんだ。いくら安いったって亭主に相談するくらいの時間はあるんだよ」
郁子「だってあなた、あまりウチ帰ってこないじゃない」
一雄「お前な・・・それにしても買いすぎだ。まさか今日の枝切り鋏も、買ったってんじゃないだろうな」
郁子「(平然と)買ったわよ。だって、あなたのお勧めなんでしょ。良さそうじゃない、あれ」
一雄「それはテレビの中の話だろ。だいたいウチには庭木の一本もないじゃないか」
郁子「だから、これから植えるの」
一雄「・・・(呆れて言葉もない)」
郁子「通信販売ってホント便利。買い物とかに、わざわざ着替えて化粧して、外出るのって結構煩わしいから・・・」
一雄「少しは外に出ろよ」
郁子「あなたも仕事さえなきゃ、ずっとウチの中にいられるのにね」
一雄「馬鹿か、お前は・・・」
郁子「(気にもかけず、味噌汁を啜る)」
一雄「(苛立たしく)ちっ・・・」
郁子「あ、今日、清原さんって人から電話あった。何だか、変なこと言うのよ」
一雄「(うろたえて)変なこと?」
郁子「ねえ、清原さんって誰?あなたとどういう関係?」
一雄「誰って、彼女は・・・」
郁子「え?彼女って・・・違うわよ、男の人。女性の清原さんなら知ってるもの。いつもテレビで見てるから。きれいな人よね」
一雄「・・・」
郁子「どうかした?気分でも悪い?」
一雄「(呟くように)とぼけやがって」
郁子「何か言った?」
一雄「(乱暴に席を立って)寝る!」
郁子「あ、ねえ、清原さんの用件、聞かなくていいの?」

○ 同・寝室
  ツインのベッドルームで、郁子、一雄、それぞれのベッドに入っている。
  一雄は郁子に背を向け、郁子は暗い天井をぼんやりと眺めている。
  強い雨音は止まず・・・。
一雄「まだ根に持ってるのか?」
郁子「何のこと?」
一雄「(ため息)子供のことだ」
郁子「(遠い目をして)ああ、雅彦のことね」
一雄「(苛立ちを堪えつつ)名前で呼ぶなよ。流産した子供を名前なんかで呼ぶな!」
郁子「別にあなたのせいじゃないわ」
一雄「当たり前だ。あれは事故だ」
郁子「あの時、私、言ったよね。階段の手すりが取れかけてるから直しといてって」
一雄「(がばっと半身を起こして)どこも壊れてなかった!何べん、同じこと言わせるんだ!あれはお前が勝手に蹴躓いたんだ!」

○ 同・階段(回想)
  身重の郁子が慎重に下りてくる。
  手すりに手を掛けようとするが、やはりやめる。
  郁子の足が滑る。
  はっとする郁子。
  次の瞬間、痛々しく階段を転げ落ちる。
  階段の下にうずくまり、苦痛の表情で膨らんだ腹を押さえる。
  郁子の目から溢れ出る涙。

○ 同・寝室
郁子「・・・(天井を見つめたまま)」
一雄「何だよ、その目は!お前のその目が!」
  郁子、ゆっくりと一雄に視線を移す。
一雄「その目が俺を責めてるんだ!俺じゃない!俺のせいじゃない!」
郁子「・・・(無表情に)」
  雷鳴が轟き・・・。


  深夜、ふと目覚める一雄。
  見ると、隣りのベッドが、もぬけのから。

○ 同・ダイニングキッチン
  キッチンで何かを切っている郁子。
  階段から降りてくる一雄。
郁子「(振り返り)どうしたの?」
一雄「ああ、便所だ。お前は・・・?」
郁子「何だか眠れなくて(手に持った庖丁を見せて)試し切り」
  山積みされた野菜や魚の断片。
一雄「(怯えが走り)お前、何やってんだ」
郁子「気持ちいいくらいよく切れるの。これが野菜用で、こっちが果物用、これがお魚おろすやつで、これが・・・(オレンジの柄を見つめ)なんだったかしら?ねえ、あなた知ってるでしょ」
一雄「忘れたよ、そんなもん」
郁子「何だったかしら・・・?」
一雄「お前な!」
郁子「そうだ!」
一雄「・・・?」
郁子「思い出した。これ肉切り用よ。本当に良く切れるんだから」
  郁子、庖丁を手に素早く一雄に詰め寄る。
  一雄、恐怖に顔を引きつらせ・・・。
  郁子、何の躊躇もなく一雄を刺す。
  雷鳴と共に、郁子の笑顔が闇の中にくっきりと浮かび上がる。
一雄「(口から血を吐きつつ)おま・・・え・・・」
郁子「どんな固い肉もすっぱり切れる!これはもう、『お買い得』ってもんでしょ。ねえ、あ・な・た♪」

――――――― 了


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