ことだま

ことだま
(第81回〜第87回分)


81 あの人は今?
「というわけで懐かしいVTRを観ていただいたわけですが、どーですかタランチュラさん、率直なご感想は?」
「いやあ、さすがに私若いですねえ。あれからもう15年になりますか。今の子どもたちなんて知らないんでしょうね、鬼クイズ」
「というよりもタランチュラさん自体知らないんじゃないですかね、ひやひや」
 ――――うしろむき探偵団
 一世を風靡した過去の有名人をスタジオに招いてインタビュー形式のトークを展開するというありきたりなコンセプトながら高視聴率をキープしている番組である。キー局はテレビニッポン。タランチュラ後藤がかつて身を置いていた放送局である。現在某IT関連企業に買収されるされないと揉めている老舗的テレビ局としても注目を集めている。
 番組の進行役を務めるのは高橋翼。甘いルックスと型破りでユニークな語り口が人気の局イチオシのアナウンサーである。彼がときおり意図的に発する"ひやひや"は流行語にさえなっている。
 初めは乗り気じゃなかった。
 タランチュラ後藤は柔らかすぎるソファーの感触に居心地の悪さを感じながらビジネススマイルを浮かべていた。
 ――――ふっ、私は過去の人ですか。
 老兵と呼ぶには若すぎる。まだ前線を去るわけにはいかない。しかし本人は意気に感じていても周りがそれを許してはくれなかった。所詮は彼もまた電子的玉手箱の中に暮らす消耗品のひとつに過ぎなかったのだ。目の前のこの男性もきっといつか私と同じ道を辿るだろう。インタビューにそつなく受け答えしながら、高橋アナのハイテンションにかつての自分を重ねてみる。
「しかしアレですよね、タランチュラさんって、つけボクロ取って髪形オールバックにしたらホントにもうフツーのオジサマって感じですよね」
「オーラないですか、私」
「いやいや、一般ピープルのオーラ、ばしばし出してますって、ひやひや」
 なんて目をしているんだ、この男は。まるで私を見下しているようだ。いや、実際そうなのかもしれない。
「ひどいなあ、一応あなたの先輩ですよ、私」
「ひやひや、そーでしたそーでした。で、どうですか、久しぶりの古巣は? あ、ところで、どうして局アナ辞めちゃったんですか。やっぱりこれですか?」
 高橋アナは身を乗り出して指でワッカをつくるとニタリと笑ってみせた。
 タレントまがいの見てくれとは裏腹に、あまりに下衆な感性の持ち主に対し気持ちがささくれ立つ。
 冗談じゃありませんよ、私はそんな志の低い男ではない。
 私はただ――私はただニュースが読みたかっただけなんだ。
 こんなハズじゃなかった。こんなハズじゃ……
「いやあ、でもお茶の間のお父さん方はタランチュラ後藤、懐かしいなあとか言ってると思いますよ。なにしろあの伝説のクイズ番組の司会者ですからね」
「なにしろ死亡説まで流れていたくらいですからね。メディアは怖いですよ、ははは」
「またまたご謙遜を。タランチュラさんはアナウンサーの新しい在り様を示した先駆者的存在ですからね、ボクら局アナの間でも尊敬している人がケッコー多いんですよ」
 急にゲストをヨイショしだす高橋アナ。相手を散々持ち上げたうえで饒舌にさせ、最後にド−ンと陥れる。これが彼のやり方、これが高視聴率の源泉である。悪趣味極まりないが、この業界はそうやってずっと商売してきたのだ。
 タランチュラはグッと体をこわばらせた。なにが来るんだろう? 昔の恥ずかしい映像とか、あるいは女性関係でも嗅ぎつけたか。おばんです岩手っこでの失態程度のブイでお茶を濁してくれればよいのだけれど……
 この部分に関しては打ち合わせでも一切教えてもらっていなかった。曰く本物のサプライズが欲しいのだそうだ。いずれせよ私もかつてはここの社員だった人間。さほどに無体なことはされないだろう。
 そう高をくくっていたのだが、その思惑は大きく外れた。
「ええとですね、実はタランチュラさんには中学3年の息子さんがいらっしゃるということでなんですが、その息子さんがなんでも不登校であるということで、ひとりの親として苦悩を抱えてるわけですが――」
「ちょ、ちょっと――」
「ということで今回はタランチュラさんには内緒で息子さんにインタビューを敢行してまいりました! ひやひやッ!」
「ちょっと待っ――」
 直後、私は収録の途中にもかかわらずスタジオを退室した。
 そうすればオンエアはなくなるだろうと踏んだからだ。
 これでもう古巣の敷居をまたぐことはないだろう。
 もしかしたら業界から完全に干されてしまうかもしれない。
 しかしやっていいことと悪いことがある。
 私は家族まで切り売りするつもりはない。
 高橋アナは仕事を投げ出して去っていく私を棒立ちで見守っている。
「自分だって息子のイジメをネタにしていたクセによ」
 そんな罵声が背に突き刺さる。
 ああ、そうですよ。そうですとも。やっていることはなにも変わらないかもしれない。
 だがこれはジョークの領域を超えている。本人を出演させるなんて度を過ぎている。他人の家庭に土足で入り込むなど許されるものではないのだ。
 
 そして3週間後、うしろむき探偵団〜タランチュラ後藤篇〜は全国にオンエアされた。
 編集で私は最後までスタジオにいたことにされていた。
 息子が実名で、しかもモザイクなしで登場していた。
 次の日、息子が姿を消した。


82 アキナ7
 アタシの名はアキナ。
 オントシ20歳、採用2年目にして早くも人事異動。

 新しい職場は出先の研究機関で技術職がほとんどだ。
 昼間事務所に詰めているのはアタシと所長のふたりだけ。
 ヒマだね〜、そうですね〜的なゆるい会話を展開しつつ日々を漫然とすごしている。
 たしかにアタシもヒマでヒマでしょうがないんだけど、前の備品倉庫整理に比べればお日様が当たってるぶんだけまだマシだ。
 所長は柔和な笑みをたやさず、いつも自席に置物みたく座っているけど、正直なんの仕事をしているのかさっぱり分からない。というか何もしてないんじゃないのかな。
 アタシは職員の給与事務なんかもやっているんで、所長の手取りも知っている。
 だいたい月50万。
 ふざけているとしかいいようがない。
 バイトとかで50万稼ぐっていったらホントにホントタイヘンなんだ。
 なのにこのジイジときたら出勤して、お茶啜って、新聞眺めて、あげくパソコンでネットサーフィンだもん。
 所長は自分が給料泥棒だっていう自覚があるみたいで、聞いてもいないのに言い訳じみたことをいう。
 「私はこんなことで給料もらっていていいのだろうか」とか「でも事務屋の私には技師さんたちみたいなスキルもないし」とか。
 そういうの聞いててイラッとするんだよね。つかさ、そう思うなら辞めたらいいじゃん。すんごいカンタンなハナシじゃない。
 ったく、この世は偽善者だらけだね。


83 アキナ8
 アタシの名はアキナ。
 オントシ20歳、アタシの職場にはヅラがいる。

 本当の苗字はナイトウさんというんだけど、アタシは心の中でカツラさんと呼んでいる。
 年は44だったかな。とても陽気なおじさんだ。
 カレは初対面の人の前で必ずヅラを外してみせるらしい。
 安モノなんかじゃない精巧に作られたヅラらしく、外して見せられるまで偽モノだとはゼンゼン気づかなかった。
 初めて見せられたときはびっくりしすぎて、金魚みたいに口をパクパクさせるだけでまともなリアクションもとれなかったよ。
 んで、ようやく口をついて出た言葉がコレ。
「高そうな帽子ですね」
 帽子って……パニクるにもホドがあるっつうの。
 まあ、とにかく本人は捨身の自虐ネタでツカミはオッケーとか思ってるみたいだけど、そんな明るさの内に秘めたあざとさが、実は油断ならない人かもしんないと警戒心を掻きたてられたりしちゃうんだ。
 でもそれが歪んだコンプレックスの生んだ悲しい性癖だったとしたらこれほど人間味に溢れる人もいないだろうとか思ったりもして。
 結局本人がどう考えているかは本人に聞いてみないことにはわからない。
 てか、仮に聞いたとしてもホンネで答えてくれるかどうかだってあやしいもの。
 ヅラは外して見せられても、頭の中身までは見せてはもらえないんだから。
 おっ、アタシ今うまいこと言った?


84 アキナ9
 アタシの名はアキナ。
 オントシ20歳、出張でビジネスホテルに泊まる。
 
 アタシはビジネスホテルがキライだ。
 あのトランポリンみたいにやわらかすぎるベッドがダイキライ。
 暑すぎたり寒すぎたりする加減知らずの空調がダイキライ。
 モデルルームみたくやたら生活感のない空間がダイキライ。
 寂寥感に押し潰されそうになる完全密室性がダイキライ。
 なにしろ相性が悪いんだ。不快不愉快ダイキライ。とにかく窮屈で眠れない。
 しょうがないから外にひとりで呑みに行く。やさぐれてますか、アタシ。
 電話じゃ悪いと思ってカレへの連絡は全部メール。
 奥さんの具合がまた思わしくないと沈むカレの近況報告に内心ココロ躍る。
 そんなアタシ自身が一番キライダイキライ。
 ああ、なんかヤな気分。今夜はトコトン呑もうっと。
 もう成人したんだし、堂々とお酒呑めるんだし。
 それにどうせ明日の仕事は出ても出なくともいいようなツマンナイ会議だけだしね。
 あれ、アタシなんで泣いてんだろ。


85 アキナ10
 アタシの名はアキナ。
 オントシ20歳、ときどき昔のことを思い出す。

 小学生のとき、アタシの学級にオンブという男の子がいた。
 朝礼の前ならえでいつも自分の腰に手を当てていたちびっ子。
 ざんばら髪でいつも同じ服を着ていたイマイチ冴えない少年だ。
 オンブはいつも体から異臭を放っていた。生ゴミが腐ったような、海生動物の屍骸のような、とにかく近づいてこられただけで鼻をつまみたくなるようなキッツイ臭い。
 カレの家がビンボーで、服を替えることもお風呂に入ることも満足にさせてもらえなかったせいだったんだろうけど、同情よりも嫌悪のほうが当時のアタシにはダンゼン強かった。
 小学校の同級生の顔なんてほとんど忘れてしまったけど、カレだけはその表情や仕草まで嫌悪の対象としてはっきりと覚えている。
 ただ臭いというだけでなんでアタシはああも嫌悪していたのか。
 カンタンに言ってしまえばコドモだったということかな。
 今思い起こすと性格は決して悪くなかったんだ。
 むしろスゴク面倒見が良くて、よく弟や妹が教室に遊びに来てたっけ。
 でも、これだけよく覚えているカレに関してただひとつ思い出せないことがある。
 それはなぜカレのあだ名が「オンブ」だったのかってこと。ああもう、むちゃくちゃ気になるなあ。
 けどまあ記憶なんて所詮その程度のものか。
 ん、なんかこれデジャブ?


86 アキナ11
 アタシの名はアキナ。
 オントシ20歳、姉貴がママになった。

 生後4ヶ月のベイビー。正直かわいいとは思えない。
 髪の毛薄いし、唇ひん曲がっているし、顔はサルみたいだし、しかも女の子だし、なんかもうサイアクじゃない?
 君の将来はまさに落盤したトンネルだね。お先真っ暗ってことさ。ぷぷぷ。
 えっ、何? アタシの言ってるイミ分かるの? ふん、まさかね。
 赤ん坊、怒ったように下唇を突き出してだぁだぁいいながら、アタシの腿にパンチする。
 あ、やっぱ怒ってる? でも残念、ゼンゼン痛くも痒くもないんですけど。
 っていうかこっち来るな。ヨダレで服が汚れるっての。
 姉貴、このウザイ小動物なんとかしてよ。
 いやホント、アタシってば子どもが苦手なんだなと再認識。
 でも自分にだってこういう時期が間違いなくあったわけでちょっとフクザツ。
 しかも、その幼い姪っこの紅葉のような手で人差し指をぎゅって握られたときは、胸になんかこう熱いものがこみ上げてきたりして……
 でも一瞬だけ、ほんの一瞬だけですから!


87 蜘蛛
 息子が失踪して一週間が経った。
 裕太はまだ16歳。家内とともに行くあてを探そうとするものの、行きそうな場所さえ思いつかない。
 友達はいなかったと思う。イジメられていたらしい。
 私が息子に関してもっている情報といえばそれくらいのものだ。
 中学校に上がるあたりまでは勉強はできたのだが、後のほうの通知表をみると下から数えたほうが早い成績。今や学校そのものを辞めてしまっている体たらく。
 ガラステーブルを挟んだ向かいのソファーでは家内が目を真っ赤に腫らしている。
 家内は完全に憔悴していた。
 私は完全に途方にくれていた。
 ―――おおっと、玄関先には芸能記者が多数詰めかけております。当然息子の失踪についてコメントをとりたいのでしょうがイッタイゼンタイどこから嗅ぎつけたのでしょうか。昼間っからカーテンを閉めきって息を殺して過ごす週末、外出するのも一苦労。まさにまさにタランチュラ後藤、大・大・大ピ〜ンチでありますッ!
 私は台所に立っていって水を飲み、家内の丸めた背に声を掛ける。
「大丈夫、きっと見つかるよ」
「適当なこと言わないで!」
 間髪いれず家内が噛みついてくる。
「裕太のやつ、他にどこか行きそうなところ心当たりないかな?」
「もう全部探しました。ああっ、あの子、お金だって持ってないはずなのに」
 こうして彼女と会話をもつのは何日ぶりだろう。
 家内からは数ヶ月前に離婚を求められていた。
 彼女いわく、息子がだめになったのは私のせいだというのだ。私はやはり言葉もなく途方にくれていた。
 ―――HEY YO どうしたんだい、YOURSELF なぜに? WHY? 私は ANYTHING な〜〜〜んにもしていませんよォ?
 そう、何もしないのがいけなかったのだ、SO EVERYTHING……
 ふいに死にたい気分になった。死ぬ前に手記でも書き残しておいたら死後になってバカ売れしたりするのだろうか。そんな浅ましい考えが脳裏をよぎる。
 まあそれで慰謝料代わりにでもなってくれればいうことなしだ。彼女は本当になにもできない女性だから。こんなカラッポの私のためだけに尽くしてくれた女性だから……
 私は一体どこで道を誤ってしまったのだろう。
 やはりあのとき局を辞めなければよかったのだろうか。そうすれば今頃アナウンス部部長の椅子くらいには登りつめていたのだろうか。
 そして、今もまた私は道を誤り続けているのだろうか。
 家庭の幸せの象徴ともいうべきリビングルームの重い空気に耐えかねて二階の息子の部屋へと足を踏み入れる。
 裕太はここ一年くらいほとんど外に出ることがなかったらしい。
 しかし家の中で息子と顔をあわせることはほとんどなかった。
 裕太は自分の部屋からさえも出ることもなく、また入ってこられることを激しく拒んでいた。自分以外の世界のすべてを拒絶するかのように。
 勉強机と炬燵と箪笥。本棚はほとんどが漫画本。このひとめで見渡せる六畳限りのちっぽけな世界でおまえは何を思い、何をして過ごしていたのか。
 裕太、おまえは自分以外の世界のすべてを拒絶することなどそもそもが不可能であると気づいていたんじゃないのか。
 たとえば毎日食べているご飯。それはおまえじゃない誰かが生産し、お前じゃない誰かが販売し、おまえじゃない誰かが働いたお金で購入し、おまえじゃない誰かがおまえのために調理したものなんだ。
 無理なんだよ、裕太。おまえが一人で生きていける世界なんてどこにもない。どこ探したって見つかりはしないんだよ。支えあい、援けあい、折り合いつけて、妥協しながら、そうやってみんな生きてるんだ。
 そんな息子がなぜインタビューなどに応じたのか?
 さびしかったのか、それともきまぐれか。何かきっかけが欲しかったのだろうか。やはりこのままではいけないと感じていたのだろうか。
 裕太、おまえはどこで道を誤った?
 父さんとそれを探さないか。一緒に探さないか。
 当然いらえはない。主を失った部屋はただ刻を凍りつかせているばかり。
 家内は離婚を要求し息子は失踪。どうやら私はほとほと家庭運が悪いらしい。
 いや、運などではない、必然か。
 仕事もうまくいかず、ささやかなプライドまで捨ててこの業界にしがみつき、その成れの果てがこのざまだ。
 私は蜘蛛(タランチュラ)なんかじゃない。家族にとってさえ特別な存在にはなれなかった。
 私の場合はむしろ逆、蜘蛛の巣にかかって必死にもがいている羽虫のようなものだ――――

 次の日、裕太が轢死体で発見された。
 ダンプカーに撥ねられて即死だったという。
 ああ、なんてことだ。こんな形でかけがえのない家族を失うなんて一度でたくさんだというのに……


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