16人いる!(ギブアップマッチ)

ギブアップマッチ

 集合時刻10分前。
 僕はオフィス街の外れにひっそり建つビルの前に対峙していた。
 ここが会場か。でも本当に僕が参加しても大丈夫なのだろうか。ここまで足を運んでおきながら未だに躊躇いが胸の底に留まっている。
 なあに、なるようになるさ。少なくとも悪いハナシじゃない。むしろ、こうするべきなんだ。そう己を説き伏せて入り口の自動ドアを通過する。
 びっくりするくらい人気がない。案内板を見ると半分以上がテナント募集になっていた。
 最上階の12階までノンストップでエレベーターは上昇。箱の中は僕ひとり。日曜日ということもあるのだろうが活気というものが全く感じられない。
 エレベーターを降りてすぐ近くのドアの脇に「クイズ・ギブアップマッチ予選会場」と印刷された紙看板が貼られている。ドアの前、グレーのスーツに身を包んだ受付らしき女性がニッコリ微笑みかけてきた。
「おつかれさまです。参加者の方ですか?」
「えっ、あ、はい……」
 持参した案内状を差し出すと、プラスチック製のネームプレートとサインペンを手渡された。ネームプレートには無地の厚紙が挟まっていて、そこに名前を書いて見えるところにつけて入室するよう促される。受付に設置された折りたたみの長机の上に厚紙を置いてサインペンのキャップを外す。
 ちょっと考えて有馬光介と記入した。
 ほんとに入っていいのか。それとも、ここで断りを入れておいたほうがいいのか。
「どうぞ、お入りください。さあ、どうぞ」
 ぐずぐず迷っている僕の背中を鈴を鳴らすような受付嬢の声が押す。
 僕の名前は有馬進介
 有馬光介は僕の弟だ。


 会場に入ってまた驚かされた。
 なんにもないのだ。
 クイズの予選会場なのだから、机と椅子がびっしり並んでいるのかと思っていたのに、あるものと言えば、壁一面を占拠した巨大なスクリーンだけ。それだって電源が落ちているらしく退屈なブラックオンリーだ。あとはただ、床から数本の柱が生えているだけの無味乾燥な空間。
 だけど、参加者と思しき人たちはそれなりに揃っていた。目線で頭数を数えてみる。僕を含めて16人だ。ほとんどの人が背を向けるように窓の外を向いている。何もない部屋では却って目のやり場に困る。僕もまた妙な息苦しさを覚えて一度仕舞った案内状をナップサックから取り出した。
 再来月の10月から放送開始の新番組"クイズ・ギブアップマッチ"予選会のご案内。街で配られていたチラシを見て応募したのだが、エントリーは弟、光介の名前でだった。はっきり言って僕はクイズはあまり得意じゃない。弟のほうがよっぽど適任だと思っていた。幸いにして書類選考が通ったらしく忘れた頃に案内状が舞い込んできた。だけど、弟にはにべもなく速攻で断られてしまった。テレビに出るなんて嫌だというのだ。まあ、わからなくもない。でも折角のチャンスをフイにするのもまた勿体ない話。僕が代理で参加するのがベストではないが、誰も出ないよりはベターだと思った。代理が許されるかどうか知らないけれど、とにかく僕はここにいる。来てしまったのだ。
 僕を後押しした理由は3つある。
 ひとつは、クイズは全て二択問題であること。これなら勘でもそこそこ行けるかもしれない、安直にもそう思った。
 2つめは破格の賞金。なんと30問全問正解すると5億以上のお金が手に入るのだ。ちょっとありえない金額だ。宝くじの最高当選金にさえ匹敵する。これでテンションが上がらない方がどうかしているというものだ。
 賞金は倍プッシュ方式。1問正解で1円からスタートし、2問正解で2円、3問正解で4円、5問目で8円、6問目で16円といった具合。これを30問続けていくと、なんと5億3千万円余となってしまう。もちろんその間に1問でも選択を誤ると即ゲームオーバー。賞金1円ぽっちを頂戴して、涙こらえてハイさようなら、という寸法だ。一方で、ギブアップ制度というルールも存在する。問題を聞いて答える自信がなかった場合、ギブアップを宣言すると、それまで獲得した賞金を手にステージを去ることができるのだ。
 だけどこれ、良く考えてみれば実に酷なルール。30問で5億円と一口に言うと相当凄いように聞こえるが、仮に20問連続正解しても50万円ちょっとだ。こんなところでギブアップは出来ない。せいぜい25問目、ここで1千万の大台を超えるのだが、ギブアップするとすればこのあたりからだろう。しかしそこから先、たった5問正解するだけで5億円だもの。しかも全部二者択一。ここでギブアップできる人がいるとしたら、それは人ではなくて、神か仙人かビル・ゲイツだ。そして3つめの理由は―――
「ねえ、そこのあんた」
 思いにふけっているところに急に声をかけられた。首を回すと、ひとりの女が口の端を曲げてニヤニヤ笑みを浮かべている。ネームプレートには栢山里香と、きったない字で書かれていた。
 
 
「ええと、モモヤマさん?」
 ヤマカンで名前を呼んでみるも、彼女はバカにしたように鼻を鳴らして「はい残念、おチビちゃん」と返す刀。
 確かに僕は背が低い。身長157センチ。ここ7、8年1ミリたりともレコードは更新されていない。客観的に見て背が低いのは仰るとおりだから特に気にも留めないが、初対面のしかも見た目同い年くらいの人間に対して、かような言い草は感心しない。そもそも彼女は女性にしては背が高すぎる。僕より軽く10センチは上だ。ざんばら髪に棒みたいな細い体。明らかにサイズの合っていないピッチピチの原色のファッションは目にも痛々しい。ベースボールキャップを目深に被っているが、どこの球団のものかも不明。見るからに怪しげだ。
「カヤマって読むんだけどね、これ。ったく、その程度の漢字も読めなくて、よくクイズ番組に出ようなんて思ったものね」
「いや、面目ない。これじゃ全国の恥さらしになっちゃうな」
 ライバルを挑発しようとしているのか、あるいは元々こういう性格なのか判断つかないが、いちいち取り合うのもあほらしい。僕は頭をかきながら大人の対応をしてやった。すると栢山里香、呆れたように腕組みしてツンと顎をあげる。
「あのねえ、あんたほんとにここでクイズの予選があると思ってんの? もうすぐ集合時間だっていうのに、机も椅子も並んでない。テストを始める準備ができてない。それにペーパーテストをするにはこの部屋は広すぎる。人数もたったの16人って少なすぎじゃない」
 そんなものかな? まさしく僕も初見で面食らったけど、これから参加者自身に準備させるのかもしれないし、そもそもクイズの予選でなきゃなんだというのか。
「いやでも、やるでしょう、クイズは。案内状にだってそう書いてあるし」
「はあ? あんたって救いようのないバカね。賞金の5億円からしてありえないじゃない。この国じゃクイズ番組の賞金は一人1千万円までって景品表示法で決められてるんだよ。そんなことも知らないの?」
「あ、そうなんだ。君、物知りなんだね」
 まあ、賞金に関しては僕も半信半疑だった。いくらなんでも5億円って常識じゃ考えられない。
「さすがに賞金の件は眉唾っぽいけどさ、でもクイズそのものまで反故にはしないんじゃないのかな。なにしろほら、天下のテレビニッポン、全国ネットだっていうしね」
 栢山里香は首を振って呆れ顔だ。
「ふん、なんでも鵜呑みにしちゃってさ。ハナシにならないわ」
「ハナシにならないのは、君のほうでしょ」
 と、突然会話に割り込んできたのは30がらみの男性。たっぷりと顎鬚を蓄えたバタ臭い顔立ち、パッチリまなこに長い睫毛。一度見たら忘れられないタイプだ。ネームプレートは如月流星。ご芳名もまた大層個性的である。
「なっ、なによ、あんた!」
 横槍を入れられた格好の栢山が挑むように如月さんを睨みつける。
「いや、ごめんなさい。間違ったことを言ってるのを聞くと、どうしても訂正したくなっちゃうタチなものでね」
「はあ? あたしが間違ったことを言ってるですって!」
 三角お目々で噛みつく栢山里香に如月流星は邪気のない笑顔で大きく頷いてみせた。
「今回の事例、テレビのクイズ番組の賞金に関する根拠法令は景品取引法じゃなくて独占禁止法だよね。いや、なるほどこれは間違いやすいんだ。景品取引法は、何かしらの商品を購入してその応募券が必要だったりするようなクローズド懸賞の場合に適用されるものだよね。今回は無条件で参加できるオープン懸賞だから、その根拠法令は独占禁止法。だよね、お嬢さん?」
 如月さんは栢山の自尊心に配慮してか、そんなふうに確認を求めてきた。
「や、やるじゃない。バカね、ちょっと勘違いしただけよ」
「だと思った。千慮一失だね。あ、ついでに言えば、賞金の5億円だって法令上問題ないんだよねえ。お嬢さんの言うとおり、ついこの間まで賞金の上限は1千万円だったけど、2006年の法改正で賞金の上限はなくなった。だから5億円の賞金は充分にありえるハナシってわけ。だよね?」
「…………!」
 栢山は唇を噛み締め、怒りに肩を震わせている。どうやら如月さんの言っていることは正しかったようだ。
 そのとき、誰かが「時間だ」と呟いた。条件反射で掛時計に目をやると10時ジャスト。スタッフとか来ないのかなと心配になった矢先、隣室を隔てていたパーテーションがガタガタと折り畳まれる。
 そして、僕は……僕らは熱気さえ帯びた眩い光の前に晒された。
 
 
 太陽かと見まごうほどの眩しいライト。その後ろからビデオカメラを肩に担いだおじさんが追い越してくる。さらに、大きなマイクを先っちょにつけた金属棒を持つ若い男が続く。ライトは室内全体を汗が吹き出そうなほど熱く照らし、マイクは天井すれすれを行ったり来たり、そしてカメラのレンズが僕たちを順々に捉えていく。数瞬遅れて、ようやく思考が追いついてきた。
 いわゆる撮影クルーってやつか。カメラさんに、照明さんに、音声さん。あと足りないのは……
「やーやーやー、だぅもだぅも! 大変おまったせいたしましたっ!」
 やっぱりお出でなすった。金ぴかラメスーツにドデカい蝶ネクタイ、七三分けの頭髪に、でっかい付け僕ろ、右手に構えしハンドマイク。マスターオブセレモニー、MCさんの登場である。意外や意外、まさか予選会からカメラを回してくるとは。
「みなさん、本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠に、誠に、あっりがとぉございまぁすっ! あら君、鳩が肘鉄砲食らったみたいなおメンじゃないですか。あのぅ、私のこと、ご存知?」
 やたらハイテンションな司会者に声をかけられているのは鈴木友寿という少年。無地の半袖シャツに黒ズボン、手には黒い鞄をさげている。よく見かける下校時の中学生のような格好だが、日曜日でも制服を着ているのは少々不自然だ。今日は登校日なのか、はたまた私服を持っていないのか。
「あ、ご、ごめんなさい。ぼ、僕、あまりテレビとか見ないので……」
 吹けば飛びそな病的に青白い面の少年は、カメラとマイクを間近に向けられ、かわいそうなくらいに声が震えていた。そりゃあ、緊張するなってほうが無理な話だ。僕だってなんとか平静を保っているが、いきなりマイクを向けられたら、たぶん口ごもってしまう。
「あれ、もしかして、タランチュラ後藤じゃないか?」
 そう言ったのは支倉孝次というメタボリックな中年男だ。このめちゃ暑い中、グレーのスーツをきちんと着ているってことは営業系サラリーマンか、あるいはただの寒がりのいずれかだろう。
 僕も支倉さんの指摘で合点がいった。タランチュラ後藤、10数年前に鬼クイズという番組で司会を務めていたフリーアナウンサーだ。若い鈴木君が知らないのは無理もない。鬼クイズ終了以降、メディアに出ているところを見たことがないのだから。
「いやあ、嬉しいですねえ。覚えていてくれる人がまだいたんですねえ。しみじみ、しみじみ……おおっと、こんな感傷に浸っている場合ではありませんよ。実は皆さんに重大なお知らせ、というか、お詫びをしなければなりませんのです、はい」
 なんだなんだと固唾を飲んで耳を傾ける一同。タランチュラ後藤はたっぷり間を置いて深呼吸。そして悪びれる様子もなく言ったもんだ。
「実はですね、このクイズ・ギブアップマッチというクイズ番組の予選会、真っ赤な真っ赤なウソなんですっ!」


       16人いる!    ひかり小説館

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送