第12章


第12章  過去の栄光

 食堂を出た松本浩太郎は、娯楽室にひとり佇んでいた。
 窓の外は、とうに闇(病み?)が落ちている。
 暗闇に目が慣れてくると、庭の向こうにコンクリートの高い塀が見えてくる。
「まるで、鳥かごだな」
 ポツリと呟くと寒々としたその声は広い部屋中にこだました。
 ドアの前に立っていた2人の【代理人助手】が、姿勢はそのままに首をほんの少しだけ回して彼を見た。
 2人のうちの片方は、先刻食堂で菅野に銃を向けた千葉という男だ。
 こいつら、ほんとに無口な奴らだな。マジで人間なのか?
 ふいに、たったひとつしかない娯楽室のドアが開いた。ここには鍵がついていないので、いつでも誰でも出入りできるようになっている。
 果たして入室してきたのは堀切数馬だった。
「あれえ、お兄ちゃん一人? 他のみんなは?」
 相変わらず緊張感のない数馬が声をかけてくる。
「俺が知るかよ。おおかた部屋にでも閉じこもってぶるぶる震えてんじゃねえのか。それより、何だ? お前、俺を殺しに来たのか」
 少年は松本の問いに怖いこと言わないでよとかぶりを振った。
「だって僕、【犯人】じゃないもん。それに昨日言ったでしょ。僕が【犯人】になっても誰も殺したりしないって」
「へえ、なら俺が【犯人】だったらどうするよ? 幸いふたりきりだ。ガキひとり片付けるなんてわけないぜ」
 松本は子供相手に本気で睨みをきかせ、その細い首を眺めた。確かに彼ならトマトを握りつぶすくらい容易なことだろう。
 しかし数馬は怯むどころか涼しい顔で言ったもんだ。
「ここで僕を殺しちゃっていいの? 外で誰かが見てるかもしれないよ。中から外は暗くてよく見えないかもしれないけど、外から中は丸見えなんだよ」
 その通りだ。松本が再び窓に目を向けると、塀の存在は認められるもののそれ以上は何も見えないといっていい。くっきり見えるのはガラス窓に反射した己の姿ばかりだ。
「ボウズ、てめえ利口なのか莫迦なのかわからねえ奴だな。けどよ、考えてもみろ。俺が【犯人】なら当然【代理人】を通じて、全員の所在を把握しているはずだぜ」
「じゃあ、今、千夏お姉ちゃんがどこにいるか当ててみてよ」
 松本は一瞬躊躇した。
「え……あ、自分の部屋だろ」
「ぶー、はずれ。今、台所で洗い物してるよ。螺子目のおじさんと室町さんも一緒だよ。やっぱりお兄ちゃんは【犯人】じゃないね」
「このガキ、試したな!」
「ま、いいじゃない。それよりトランプしよ、トランプ」
 数馬は唇を三日月型に歪めて笑ってみせた。
 そして、まるで警戒せずに中央のテーブルに陣取ると、引出しの中に常備されている数組のカードから一組を取り出した。
「さ、やろうやろう」
「ちっ、なつくんじゃねえよ、ガキが。俺よか、そこの黒服のオジサンにでも遊んでもらいな」
「あの人たちは【代理人助手】じゃない? お兄ちゃん、あの人たちには話しかけちゃ駄目なんだよ。鉄砲持ってる怖い人たちなんだから」
 数馬は昨夜、千夏に忠告されたことを得意げに復唱してみせた。
「んなこたあ分かってる。それよかガキはもう寝る時間じゃねえのか」
「えー、まだ早いよォ」
 と、文字盤に子猫のイラストが描かれた腕時計に目を落とす。時刻は午後八時を回ったばかり。
「だっせー時計だな。ま、ガキにはちょうどおあつらえむきか」
 松本の皮肉に数馬は眉をしかめた。
「僕だってこんな時計イヤだよ、安物だしさァ。あ、じゃあ、お兄ちゃんのと取っかえっこしてよ」
 と、目敏く松本の高級そうなデジタル時計を指す。
「ばか言ってんじゃねえよ!」
「だったら、時計要らないから遊んでよ」
「ちっ……ったくよ、誰にでもなつくガキだな。まあ、いいや。で、何やるんだ?」
 まいったなあ、といった態で頭を掻く松本。実は子供が苦手なのかもしれない。
「ババ抜き!」
「はん、2人でババ抜き? 気の抜けたビール飲むようなもんじゃねえか」
「でも、ママとはよくやったよ。僕、他に知らないし」
「じゃあ、ブラックジャック教えてやるよ。俺らが今やってるサバイバルゲームよか、ずっとルールは簡単だぜ」
 松本は一通りルールを説明してやったが、単純なルールにもかかわらず数馬はすこぶる飲みこみが悪かった。
「エースは1なの11なの?」「どっちでもいいんだよ!」「スペードとハートはどっちが強いんだっけ」「スペードだ!!」と、まあこんな感じである。
「お前、そんなんで、このゲームやってけるのかよ?」
「大丈夫だよ。2枚以上揃えて21になればいいんでしょ」
「そうじゃなくてよォ、このサバイバルゲームをちゃんと理解してんのかってことを訊いてんだよ」
「うーん、分かってるつもりだよ、一応」
「ちっ、食えねえ奴」
 松本は短く舌打ちしてカードを取った。
「くそっ、またオーバーだ」
 一方の数馬が手札をオープンする。スペードのエースとキング。完璧なブラックジャックだ。
「これって、僕の勝ちでいいんだよね?」
 松本のこめかみがぴくぴく痙攣する。
「むかつくなァ……お前、わざと言ってないか?」
 カードはワンサイドゲームだった。数馬の連戦連勝である。
「お前、バカに運が強いな。ほとんど毎回エース引いてるじゃねえか」
 一度も勝てない松本は、自棄でカードを放り投げた。
「ああ、阿呆らしい。お前、ぜってー、ズルしてるだろ」
「ひどいなあ、僕、何にもしてないよ。まぐれだよ、まぐれ」
「まぐれで16連勝もするか? いや、俺はよ、ズルが悪いって言ってんじゃねえ。そんなもんバレなきゃいいんだからよ。ただ、それが見抜けねえ自分が悔しいんだ」
「だから違うってば」
 松本は一時休戦し、冷蔵庫からジュースを出して、プルリングをおこすとそれを一気に飲み干した。
「だったら、大した強運の持ち主だぜ。このリスキーゲームもその持ち前の運だけで生き残れるかもな」
「僕なんかよりお兄ちゃんの方がずっとすごいよ。お兄ちゃん、腕っぷしとか強そうだし」
 ちんちくりんの数馬はうらやましげに、松本のたくましい体躯を見上げる。
「やっぱりいつも鍛えてるんでしょ?」
 元来松本は単細胞な男である。こうも露骨に持ち上げられると悪い気はしないものだ。
「俺、高校までウエイトリフティングやってたんだ」
「ふーん、あのバーベル持ち上げるやつ?」
「おっ、知ってんじゃねえか。実は俺な、高校のときインターハイの全国大会に出たんだぜ。ウエイトリフティングってな、はっきり言ってマイナーなスポーツだけどよ、やってみるとこれがなかなか面白えんだ。勝負は一瞬、爆発力が命なんだな。その緊張感がたまんねえ。まあ、やり方としちゃあ、スナッチとジャークって2種類あるんだけどな、スナッチってのは、床に置いたバーベルを一気に頭の上まで持ち上げるこった。もうひとつのジャークは一旦肩に乗っけてから、そんでもって頭上に持ち上げる競技なわけよ。つまり普通はジャークの方が重いものを上げれるわけだ。当時、俺は83キロ級でエントリーしててよ、その晴れ舞台でスナッチ130、ジャークで145キロ上げちまった。これって結構すげえことなんだぜ。あん時の歓声、どよめき、今でも忘れられねえ。なにしろ普段の実力以上の力を本番で発揮できたんだからな……」
 松本は少年のように目を輝かせて身振り手振りを交えて説明してみせたが、やがて急に黙り込んでしまった。
 お喋りがすぎたかと、ふと冷静になったのだ。
 ……ナニ熱くなってんだ、俺は。
 そう言えば今日は8月1日だ。
 ってこたあ、インターハイも今日から始まるんじゃなかったか? たしか今年は岩手県の開催だったよな……そして、これから3週間、高校生たちの熱い戦いが繰り広げられるってわけだ。まったく皮肉なもんだぜ。その頃、俺は殺 人ゲームの真っ只中……。
 それでも数馬は嬉々として、汚れなき尊敬の眼差しを松本に対して惜しみなく送っている。
「でも、すごいね、100キロ以上持ち上げるんだ」
「いや、100くらいならたいしたことねえんだけどな……」
「じゃあさ、その全国大会で何位だったの? やっぱり一位?」
「いや、四位だ……」
 松本は自嘲気味に嗤った。
 優勝とメダルなしじゃえらい違いだ。まあ、それが俺の限界ってことか……それを汐に俺はウエイトリフティングをやめたんだっけ……もっとも、他にも理由はあった。あの頃はいろんなアンラッキーが重なったんだ。俺の人生を狂わせたあの事件……。
 忘れようとしても拭い去れない忌みしき過去が松本の脳裏に焼きついて離れなかった。人の記憶はコンピュータのメモリーのように安易に消去することはできないのだ。
 松本は気を取りなおして自らばら撒いたトランプをかき集めた。
「ようし、ボウズ。もう一回勝負だ。いや、俺が勝つまでやめないからな」


 夕食の後片付けを終えた森岡千夏は1階の階段下で足を止めた。
 そこは図書室だった。
 何の目的があったわけではないが、何気なしにドアを開けてみる。
 部屋には灯りがともっていて、なおかつ狭い部屋だったため、先客の存在にすぐに気付くことができた。
「ああ、美結さんですか……いやだ、そんな危ないもの仕舞ってください。私は何もしませんから」
 先客……伊勢崎美結はアイスピックを匕首のように構えて戦闘態勢をとっていた。
 一方で千夏は美結など一片も疑っていないかのように無防備に本棚に近づいた。
 アイスピックの先が千夏の動きに呼応して常に彼女の腹部をとらえている。
「ここ、結構、本がありますね。でも古いものばっかり」
 千夏がさりげなく距離をつめると、美結は口許を引きつらせながら一歩また一歩と後ずさる。
 千夏は寂しそうに笑った。
「そんなに警戒しないでください。私は【犯人】じゃありません」
「油断させようったってそうはいかないんだから」
 美結は渇いた唇をぺろりと嘗めて、ビデオカメラの位置を目で確認した。
 いつでも反撃アンド告発の準備OKだ。
「そんなに頑なになってたら身が持たないですよ。何でしたら、私、出ていきましょうか?」
「い、いいわよ。別に……」
 美結はようやく脂肪率(死亡率?)が異常に高そうな身体を弛緩させた。
「あたし、長く立ってるとすぐ疲れちゃうの。ほら、こんな体格じゃない?」
 自虐的にそう言うと美結は椅子にどっかと腰掛けた。
「ここで何してたんですか?」
 千夏の問いに、美結は何も言わずにテーブルの上にある一冊の本を手に取ってみせた。
 黄ばんだ表紙には『And Then There Were None』と書かれている。それが本のタイトルらしいが特別英語ができるわけではない千夏には訳すことができなかった。しかし、その下に書かれた著者名を見てすぐにピンと来た。
『Agatha Christie』
「アガサ・クリスティー……タイトルは、そして誰もいなくなった、ですか?」
「そう、ここにあったの。あなた、読んだことある?」
 千夏は小さく頷いた。
 たしかあれを読んだのは中学の頃だ。勿論日本語訳のものだったけど……。
「あたし、こうみえてもちょっとしたミステリマニアでね。この作品も何度も読んだわ。ね、何か気付かない? ここにこれがあるのってただの偶然かしら」
「偶然じゃないんですか?」
 本棚には、たくさんの本が並んでいた。海外ミステリも棚の一段を占拠している。当然このメジャーな作品が紛れ込んでいてもそう不思議ではない。
「今、あたしたちの置かれている状況が似ているとは思わない?」
「あ……」
 千夏はぽかんと口を開いた。
 なるほど、そういうことか……。
「見も知らぬ10人の老若男女、警察の介入できない閉鎖的な空間、ホストの正体は謎に包まれている。そして一人また一人と闇の中へ葬られていくゲストたち……」
 確かに状況は酷似している。或いは主催者は『そして誰もいなくなった』を下敷にこのゲームを考案したのかもしれない。
「あの作品は、あたしの中でも5本の指に入る傑作よ。まさかそれを自分自身が体験するとは夢にも思わなかったけどね。あなたはあの中でどの役に当たるのかしら。さしずめ、ヴェラ・クレイソーン嬢あたりかな。サチコさんはエミリー・ブレント、あの臆病者の遙さんはロジャース夫人ってとこね。あれ? ってことは、あたしの役がなくなっちゃうか……だってあの作品の中には他に女の人って出てこないものね」
 美結はひどく饒舌になっていた。少し異常なくらいに……。
「でも、無理に残りの人物からあたしの役を選ぶとしたら……そうね、アームストロング医師あたりかな? それともウォーグレイヴ検事? まさか!」
 千夏は美結のマニアックな知識に舌を巻いた。本を開いてもいないのに登場人物をフルネームで言えるなんて。何度も読んでいるというのはあながち嘘でもないらしい。
 口を挟む余地もなく呆気にとられている千夏にようやく気付いた美結は頬を赤らめおおいに照れた。
「ごめんなさいね。ちょっとお喋りがすぎたわね」
「いえ、確かに美結さんの言うことは正直ちょっと突飛だとは思うけど、でも……」
「不思議なの。そう思うと、何だかホントに自分が小説の中の登場人物のように思えてくるのよ。信じてもらえないかもしれないけれど、あたし楽しいの。こんな愉快な気分初めて。おかしいよね、どうかしてるよね、あたし」
 美結は笑おうとしたようだが、まるで顔面神経痛にでも罹っているかのような、引きつったひどく痛々しい顔になった。
 この人は恐れているのだ。死ぬことを恐れているんだ。千夏は直感的にそう感じ取った。
 饒舌になることで、現実を物語に置き換えることで、その恐怖を打破しようとしている。本当は一刻も早くこの場を去りたいのだ。先刻もいの一番に食堂を出ていったのはその場の空気に耐えられなくなったからなのかもしれない。
 そして思った。
 この人はまだ救える。すでに何人かは千夏の手の届かない一線を越えていってしまった。菅野祐介しかり、松本浩太郎しかり、平一しかりだ。しかしこの伊勢崎美結は違う。言葉とは裏腹にひどく恐怖している。こんなゲームに関わってしまったことを後悔している。必死に虚勢をはって壊れそうになる自分をぎりぎりの線で踏みとどめている、そんな風にとれた。
「でも、違うところもたくさんありますよ」
 千夏はかつて読んだアガサの代表作の概要を思い出しながら言った。
「例えば、インディアン人形らしきものってないですよね。それになんと言ってもあんな莫迦げた規則なんてなかったし」
 そう、あの作品中で印象的に登場する人形、10人のインディアンの子守唄になぞらえて行われる見立て殺 人の中で一人死ぬたびに煙のように人形が消えていく、というものだった……あれには犯人が故意に残したメッセージが隠されていた。もっとも日本語訳されるといまいち色褪せてしまう英語独特のメッセージだったのだが……。
「まあね。違っていると言えば、職業もそうでしょ。千夏さん、あなたお仕事は?」
「私ですか? 介護福祉士をやっています」
「ふーん、言われてみればそんな感じよね。お節介なくらいに献身的なところはそこから来てるんだ。まあ、いずれあの作中では、介護福祉士なんて職業の人物は出てこない。中学生も出てこないし、葬儀屋も出てこない。それに車のセールスマンなんてのもね」
「え、誰ですか? 車のセールスマンって」
「ああ、あなた、あの時いなかったわね? 室町さんよ。でもあんな押しの弱い人がセールスマンなんて傑作よね。きっと営業成績も悪かったんじゃないの。何だか目に見えるようだわ」
「そういう美結さんはお仕事、何をされてるんですか?」
「あたし? さて、何に見える?」
 読心術の心得があるわけでもない千夏にそんなこと分かる由もなかった。
「あたしね、モデル事務所に勤めてるのよ」
「え、モデルさんなんですか?」
 千夏は本心から驚いて訊き返した。美結がフフと嘲笑する。
「ばかねえ、こんな太ったモデルがいるわけないじゃない。マネージャーよ、マネージャー。あれって肉体労働よ、実際。もううんざりって感じ。あなたみたいに若くて綺麗で細くて背の高い連中と四六時中付き合ってるとね、自分が同じ人間であることにさえ疑問に思えることがあるわ。まったく、神様は罪な奴ね」
「そんなこと……美結さんだって素敵ですよ」
 千夏の安易なフォローに、ようやく落ちつきを取り戻しつつあった美結がキッと目を吊り上げ、アイスピックを千夏の鼻先に突きつけた。
 影のように或いは置物のように微動だにしなかった【代理人助手】が目だけを動かす。彼女があと1ミリでもその凶器を動かしたら拳銃を抜くことだろう。しかし美結はまったく気に留めていなかった。もう慣れっこになってきたのかもしれない。
「あんた、あたしを見下してるんでしょう? 腹ん中で笑ってるんだ。いきがりやがってこの臆病者が! このブスが! このデブが! そう思ってるんだ? 何が素敵だ! どこがどう素敵なのか説明してご覧なさいよ!」
「美結さん……」
「ひとつ教えといてあげる。あたしね、このゲームと『そして誰もいなくなった』にもうひとつ共通点があるんじゃないかと思ってるのよ」
「共通点?」
 美結はふうと息をつくと、千夏に背を向けた。
「確かあなた言ったよね。石田さんがいなくなる前、彼女が自分の罪を告白したって……あの本の中でもそうなのよ。10人のゲストはみんな法に裁かれることのなかった罪人たちなの。そして、それが10人の唯一の共通点ってわけ」
 10人の共通点!
 思いがけないところで出現したキーワードに千夏は心臓を鷲掴みされる思いだった。
 まさか……まさか……まさかまさかまさか! それが私たちの共通項だというの?
「美結さん、じゃあ、あなたも石田さんのように人を殺してるとでも言うんですか?」
「そうよ、あたし、人殺しよ」
 動揺を隠せない千夏に、美結はあっさりと肯定してみせた。
「あたし、人を殺したわ」
「冗談……でしょ……?」
「あれは高校2年のときだった。こんなあたしにも親友と呼べる子がいたの」
 振り向いた美結の瞳に底知れぬ悲しみが満ち満ちていた。
「その子はとても頭がよくて、とってもかわいい子だった。学級委員長やっててね、自然と彼女の周りに人が集まってくる、そんな子だった。だから向こうからすればあたしはたくさんいる友達の中の一人に過ぎなかったのかもしれない。でもあたしにとっては違った。彼女とは正反対のブスでデブで根暗な奴だったから、あたしみたいなクズを構ってくれる貴重な存在だったわけね。休み時間とかね、自分の机にぽつんと座っていると、必ず何かしら声をかけてきてくれた。でも、すぐにほかの友達に呼ばれていなくなっちゃうんだけど……だから親友と思っていたのは、あたしの方だけだったのかもしれないな……」
 美結はまるで台本を読んでいるかのように抑揚のない声で語り始めた。千夏にはそれが無理に感情を押し殺しているようにもとれた。
「彼女はよく言ってた。今度どこか遊びにいこうね。社交辞令ってやつだったんだろうけど、何だかすごく嬉しくてね、あれは夏休みを間近に控えたちょうど今ごろのことだった。あたし、思いきって彼女を誘ってみたの。夏休みになったらどこか旅行にでも行かない? ってね。彼女、すごく驚いてたけど、すぐににっこり笑ってね、いいよって言ったんだ。でも、次の彼女の言葉があたしには堪らなかった」
「なにか酷いこと言われたんですか?」
「彼女はあたしにこう言った。いいよ、みんなで行こう。みんなで? どうしてみんなでよ! あたしは彼女と2人で行きたいのに! 他の連中なんて誰もあたしを相手にしてくれない。そんな奴らと一緒にいたって息が詰まるだけ。あたし、あったま来て、じゃあやめようってそう言ったの。怒鳴ったっていう表現がより正確かもね。あたし、振りかえらずにそのまま教室を出ていったわ。今にして思えばなんて身勝手で気ままな奴だろうって我ながら呆れるわよ。もしかしたらいつも独りぼっちのあたしに友達を紹介してあげようとしていたのかもしれないのにね……あ、つまらないよね、こんな話……」
「いえ、そんな……」
 千夏はゆっくりかぶりをふって、先を促した。
「夏休みに入ってすぐ彼女から電話があった。『新谷恭介』のコンサートのチケットが2枚手に入ったから一緒に行かない? 彼女は申し訳なさそうにそう訊いてきた。あたし、その頃は『TRUTH』のファンで新谷なんて興味がなかったけど、でもふたつ返事でOKしたの。あんな酷い態度をとったあたしをわざわざ誘ってくれたんだもの。本当に人間ができている子だった。すべてが満たされている人間っていうのはコンプレックスがない分、他人に優しくなれるのかもしれないね。でも、それが彼女との最初で最後の電話になってしまった……」
「最後?」
「そう……コンサートの帰り道、悲劇は突然やってきた」
 美結は遠い目をして、その帰り道の会話を思い起こした。
―――ねえ、伊勢崎さんは将来何になりたいの?
―――あたし? あたしね、小説家になりたいんだ。あたし本が好きなの。でも恥ずかしいから内緒だよ。
―――へえ、そうなんだ。意外だなあ。じゃあ自分で書いたりしてるんだ?
―――うん、すごく下手だけどね。
―――今度読ませてよ、伊勢崎さんが書いた小説。
―――え〜、でもホントに下手っぴだよ。
―――そんなの読んでみなくちゃ分からないじゃない? ね、今度読ませてよ。約束だよ。
―――う、うん分かった。ところで、あなたは何になりたいの?
―――わたしはなりたいものが見つからないの。将来の夢とかって何にもないの。だから夢を持ってるあなたがすごくうらやましい。
 すごくうらやましい!
 こんな素晴らしい子があたしをさしてう・ら・や・ま・し・い! 天にも昇る思いとはまさにこのことだ。
「あたしの不注意だった。信号が赤に変わっていたのに、会話に夢中になって横断歩道を渡り始めていた。真っ赤なスポーツカーがあたしめがけて突っ込んできた。後ろで彼女が金切り声を上げながら飛び出してきた。あたしは固まっていた。動けなかった。まるでボーリングのピンにでもなった気分だった。すべてが一瞬なのにすべてが鮮明だった。車はあたしの鼻先で急ブレーキをかけ、路面にタイヤの跡を残しながら孤を描き、あたしの脇を横転した。あたしという名のピンは結局倒れなかった。かすり傷ひとつ負わなかった。そしてあたしのかわりに倒れたピンが彼女だった。彼女はびっくりするくらい大量の血を路上に撒き散らして倒れていた。口の端から血泡を吐きながら、うつろな目であたしを見ていた。腕や脚が変な方向に曲がっていた。それでもあたしはまだ呆然と突っ立っていた。彼女の唇が動いた。声にはならなかったけど、『よかった』って、確かにそう聞こえた……」
「それで、その人は?」
「かけつけた救急車の中で息を引き取ったわ……」
 千夏は何も言えなかった。ただひとつ分かっていることは、伊勢崎美結は人殺しじゃないということだけだ。事故なのだ。ただの不幸な事故に過ぎないのだ。石田さんだってそうだ。あの人の場合、事が明るみに出れば罪に問われることもあるだろうが、究極的には相手を思ってやったこと、情状酌量の余地大いにありだ。美結さんに至ってはこれを犯 罪とは到底言えない。議論の余地なしだ。
 だけど……
 本当にそうなのだろうか? 法律というひとつのものさしではかれば、有罪無罪の区別が明確になるとしても、それが見る者によって反転することは大いにありうる。美結さんがただの事故をもって、自分は人殺しだと言うように、感じ方やとらえ方で事実は驚くほど意外な側面を見せたりするのだ。
 そして、この館の中では法律など一切通用しない。『規則』こそがすべてなのだ。
 このゲームは本当に殺 人ビデオを作るためだけのものなのか?
 否!
 それだけじゃない。何かある。何かあるはずだ……。
 ゲスト10人の共通点は美結さんの言う咎人や罪人などでは決してない。
 なぜなら、私が違うからだ。私の人生において、直接的には勿論、間接的にだって誰一人として死に追い込むようなことはしていない。していないはずだ。
 それとも、自分でも気付かないうちに誰かを傷つけ、死の原因をつくっていたとでも……。
 ありえない! 絶対にありえない!!
 千夏は脳裏を横切る嫌な感触を強引に振り払った。
 そんな彼女の思惑を感じ取る気配をまったく見せない美結が、吹っ切れたように断言した。
「だからって、あたしは罪を償って死ぬつもりはないわ。死ぬってことは逃げるってことなのよ。いつもおどおどして子鼠みたいに怯えながら暮らす生活はしたくない。あたしは生きる。生き残って勝ちとって、彼女の分も生きてやるわよ」
 千夏は美結の立ち直りの早さに少なからず驚いた。
「生き残ってどうするんですか? 小説家を目指すんですか?」
「まさか! あたしに才能がないことは分かっている」
 美結だって構成員全員が咎人だと確信しているわけではなかった。ただ、そう思うことで心の奥底にふきだまる罪悪感を払拭しようとしたのだ。
 みんな死んだって構わないんだ。このゲームに参加した時点でペナルティなんだ! 生きる価値のない虫けらどもなんだ!
 死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえ……そして、あたしもいつかきっと……。
 でも、それは今じゃない!
 まあ、天国から観戦していてよ。
 あたしはこのゲームに勝って賞金を掴む。そしたら、まずあたしはあなたになるわ。仕事柄いい整形外科を知ってるの。そしたらね、あなたの見つけられなかった未来をあたしが代わりに見つけてあげる。
 だから、いつか、また、遊んでね。
 なんたって、あたし、あなたしか友達いないんだから……。
 千夏は明らかに読み違えていた。
 伊勢崎美結もまた、彼女の手の届かない岸の向こうへと渡ってしまっていたのだ……。
 
 
 ほぼ同時刻、美結とまったく同じようなことを考えている輩がいた。
 これは贖罪なのか……?
 あいつの亡霊が私をここへ呼び寄せたというのか?
 螺子目康之は自室でひとり罪の意識と戦っていた。そして苦悩していた。
 今まで、あいつの死に関して、罪悪感などカケラも持っちゃいなかった。あいつが死んだのは自業自得だ。私には関係のないこと。そこまで面倒見れるものか!
 しかし、今……。
 目の前の死の危険に対峙して初めて思う。
「私が……私が殺したとでもいうのか?」
 忙しさの中で、今の今まで忘れていたかつての部下の顔が脳裏に浮かんでは消える。精気のない目、痩せこけた頬、人をばかにしたかのように歪んだ口許。あいつは私の部下の中でも最低の男だった。この不況下でリストラされまいと身を粉にして働き、家庭も顧みず私的時間を切り捨てて馬車馬のように忙殺されながらも、それでも会社にしがみついている私をあいつはずっと腹のなかで嗤ってたんだ。
 いや、そうに違いない。給料泥棒め!うちの会社は貴様などに飯を食わせてやるほどの余裕はないんだ。お前を切ったのは職務上当然の措置だったんだ。お前を切らなければ、私が能無し呼ばわりされてしまう。
 螺子目は充血した目で壁の一点を凝視した。他の構成員たちに見せていた温厚そうなおじさんの影は今や微塵もない。
 彼はまるで目の前に誰かがいるかのように壁に向かって語りかけた。
「アリとキリギリスって童話を知ってるかい? アリたちは夏の間に汗水たらして働いて冬支度を整える。一方でキリギリスは怠惰に遊び呆けている。やがて冬が訪れて、アリたちは巣の中に蓄えた食糧で飢えをしのぐ。しかし遊んでばかりいたキリギリスは何ら準備をしていなかった。寒さと空腹で目が回りそうになっている。見兼ねたアリたちはキリギリスに食糧と避寒場所を与えてやった。キリギリスは涙ながらに感謝して心を入れ替え、もう怠けませんと誓いメデタシメデタシと、まあ、そんな話だ。しかし現実はそう甘くはない。仮に私がアリでその部下がキリギリスだったとしよう。私は絶対に助けたりしない。他人にやる食糧なんてない。心身ともにそんなゆとりはないんだ。今まで散々遊んできたツケだろう。計画性を持って仕事を進めない貴様が悪い! ああ、そうさ。あいつは誰にも救いの手を差し延べられることなく自滅していったよ。新商品の開発プロジェクトが上層部の事情で遅延をきたし、結果、他社に先手を取られてしまった。先にプロジェクトを立ち上げていたのは我が社であったにも拘わらずだ。これは億単位の損失だ。誰かが責任を取らねばならない。開発部長はあいつに白羽の矢を立てた。有給を取りまくり、残業もせず、勤務時間中でさえ新聞や雑誌を読みふけっている。それも机の上に仕事を積み残したままだ。あんな役立たずの平社員ひとりでプロジェクトが停滞するほどうちの会社は小さかない。要はトカゲの尻尾きりさ。無駄に人件費を浪費してきたんだ、最後くらい会社の役に立ってもらったって構わんだろう? 部長室に呼ばれてあいつのクビを切れと言い渡されたとき、私は一切あいつの弁護をしなかった。会社人として当然の報いだと思った。私が一言助け舟を出していれば、あるいは減俸か社史編纂室への転属くらいで済んだかもしれない。だが、あいつは会社の癌だ。会社の膿だ、会社のウイルスだ。私は一個の歯車としてあいつに辞表を書くよう指示した。書かなければ解雇だぞ、そうなれば退職金は出ないぞ、雇用保険もおりないかも知れんぞ。私は心を鬼にして、あいつのクビを切り捨てた……。それから2週間後だ。キリギリスが自殺したのは……直接の原因は他にあったのかもしれない。しかし会社に残っていれば、あいつはおそらく死ぬことはなかっただろう……いずれにせよ、私は何もできなかったさ。本人にやる気がないんだ。これでも辛抱強く待ったつもりだよ。いつかきっと目を覚ましてくれるとね。だが、みんな必死に生きてるんだ。キリストじゃあるまいし、自分が餓死しそうなときパンを分けてやる奴なんてまずいない」
 螺子目は口に出すのをやめて、今度は頭の中で思った。
 しかし、たとえ私がこのゲームを勝ちぬいて生還したとしても、会社の机はなくなっているに違いない。これから長いこと無断欠勤するわけだからな。
 早いとこ、この悪夢から抜け出し家に帰りたい気もする。反対に、このまま本当に失踪してしまうのも悪くないような気もする。
 妻は今ごろどうしているだろう? もう『失踪宣言』は届いているのだろうか? 妻はそれを信じただろうか? 信じないまでもまさかこんな非現実的なゲームに巻き込まれているとはゆめゆめ思うまい。そんなことより今年大学受験を控えた娘の方が気がかりのはず。私など家長とは名ばかりのただの生活資金運び人とでも思っているのだろう。そうなのだ。私の心配などしているはずがないんだ。むしろ世間体の方を気にかけ、家のローンと娘の学費をどう工面するかで頭がいっぱいのことだろう。あれはそういう女だ。
 必要のない男だと部下を切り捨てた私もまた、誰からも必要とされない人間ということか。【代理人】は我々構成員の選考基準を明確にはしなかったが、もしかしたら私たちはみんな……。
 誰からも必要とされない者たち……余り者の集団なのかもしれないな……。
 ふと、先刻の松本の言葉を思い出す。
―――螺子目さん、次はお宅だな。
 螺子目は机の上に伏せた忌みしきカードを捲ってみた。カードに描かれた男の表情は、まるで今の自分自身を投影しているかのようで……。
 よおし、ここが踏ん張りどころだな。私が生きる価値のある人間なのか、そうでないのか。今、試されているのだ。
 ポッポ、ポッポ、ポッポ…………
 鳩時計が22回鳴いた。
 午後10時、セーフティタイムである。
 これから2時間、【犯人】と【被害者】は互いに接触することができなくなる。
 張りつめた緊張感の中での突然の時報、最初の頃ほどではないがこの大音量にはいちいちド肝を抜かされる。
 螺子目は腕時計に目を落とし、そして両のまぶたを揉んだ。
 少し眠っておくか……。
 間もなく長い一日が終わろうとしていた。
 ゲーム第1日目、残った構成員は現在9名……。
 
 
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