第14章


第14章  アリバイ検証

「はい、あの人は……」
 山口代理人が続きを言おうと半ば口を開くと……。
「ねえ、今の何なの? すごい大きな声がしたけど」
 ちょうど階上から下りてきた堀切数馬が一同に向かって声をかけた。
「数馬くん! よかった、あなた、無事だったのね」
 森岡千夏が階上を仰ぎ見て安堵の声をあげた。
 どうやら、れいの人物は数馬ではないらしい。くだんの悲鳴は、誰の耳にも女性のものに聞こえた。数馬の声でないのは、当然といえば当然である。すると、まだ姿を現していない構成員、伊勢崎美結か、鱒沢遙か、或いは菅野の言うように【代理人助手】か? しかしながら、果たして【代理人助手】の中に女性がいただろうか?
 いや、いない!
 説明会の際、山口代理人が確かに言っていた。【代理人助手】は皆、屈強な大男だと。
 数馬はやたらと人口密度の高い図書室の前に立ち、ようやく事態が飲み込めたようだ。
「また誰か、いなくなったんだね」
 その間にも、【代理人助手】たちは毛布にくるんだ【被害者】(?)を4人掛かりで担ぎ出し、階段を上り始めている。毛布からはみ出ているのは、わずかに踝より下の部分だけ。黒い革靴が今にも脱げそうにプラプラ揺れている。一同はただ黙して見守るばかり。毛布に隠れた人物が何者なのか知りたくても知ることは願い叶わぬことだった。
 【被害者】は死亡者を発見した場合において、その遺体に触れてはならない。
 そんな規則が彼らの足に根が生えたかのように、その動きを封じていたのだ。
「おい、山口さん、早く教えてくれ、あれは誰なんだ?」
 と、松本が声を荒げて催促する。
 一方で、【代理人助手】たちが退出した図書室に、菅野祐介が真っ先に入っていく。ほんの一瞬、その人物が横たわっていたであろう床をさっと眺めて、中に入るのを躊躇っている面々を振り返った。
「あの人の正体を【代理人】に聞くのはナンセンスというもの。彼は【犯人】からの指示さえあれば、いくらだって嘘をつけるんですよ。それよりも僕たちの目で直接確かめた方が確実です」
 ことあるごとに、自分の言うことに難癖をつけてくる菅野に、松本浩太郎が黙っているわけもなかった。
「何言ってんだ、おい。自分の目で確かめることができないから聞いてるんだろうがよ!」
 しかし、菅野は無駄な議論をしている暇はないとばかりに、さっさと図書室を出て、駆け足で階段を上り始めた。
「そうか! 自分の目で、か……なるほどな」
 ようやく閃いた平も、遅れをとるまいと菅野の後を追う。
「どういうこっちゃ、平さん」
 今だ状況が把握できない様子の室町祥兵が、彼らの後をついていく。そして、他の構成員たちも……。
「まだ、分からんのか? 規則だよ、規則。【代理人】たちは規則に従い行動するんだ」
 平に続いて菅野の意図するところに、気づいたのは螺子目康之だった。
「分かったぞ! あの遺体がどの部屋に運ばれるかを確認すればいいんだな」
「ま、遺体かどうかは、定かではないがね」
「あ、せやったなあ。死亡者が発生したときは【代理人助手】が、その人の部屋に運び込むんや。ちゅうことは、どの部屋に運び込まれたかを確かめれば、それが誰やったかっちゅうことも自ずと見えてくるわけや」(規則1概要(9)参照)
 『遺体には触れてはならない』という条項は、心得ていたにもかかわらず、その上の行に記載された『死亡者の処理』については、ほとんどの者が失念していたということになる。一見不自然に思えるかもしれないが、この非現実的な状況下にあればやむを得ないことでもあるのだろう。実際、構成員にとっては『生きること』こそがすべてなのだ。すなわち規則の中でも、ペナルティに関する条項は、忘れていたでは済まされないわけで、そちらにばかり神経過敏になるあまり、ほかの条項はつい軽視してしまう、という心理が作用しているに違いない。ことに、今回は石田サチコの場合と違い、突然の出来事である。根本的に状況が違うのだ。
 緩く長い螺旋の階段を昇ったところで【代理人助手】たちに追いついた構成員たちは、まるで申し合わせたかのようにそこで足を止め、毛布にくるんだ【被害者】と思われる人物の行く末を見守っている。それはひどく長い時間のように感じられたが、しかし、実際にはほんの数十秒の出来事だったであろう。4人の【代理人助手】が真っ直ぐ伸びる通路を歩いていく。
 0号室通過、1号室通過、2号室通過、3号室通過、4号室通過、5号室通過、6号室通過、7号室通過、8号室通過……。
 そして、一番奥の9号室。
 彼らの足がぴたりと止まる。
 【代理人助手】の一人がドアに手をかけると、いとも簡単に扉が開いた。
 ルームナンバー9、伊勢崎美結の部屋。
 黒服の男たちは、米袋でも下ろすかのように部屋の中にその重い荷物を置くと、規則に従い施錠した。
 これで、この扉はもう開くことはない。
 伊勢崎美結が【犯人】でない限りは……。
「ああ……なんてことを……」
 千夏ががくりと首をうな垂れる。
「ふん、小ブタちゃんが第二の退場者ってわけかい」
 松本がクールな台詞を吐くも、その声は微かに震えていた。石田サチ子と違い、間接的とはいえ遺体(?)を目の当たりにしてしまったのだから、それもまた止むなしである。一方で螺子目が不謹慎なことを呟いている。
「石田さんの次は美結さんか。女性が続いたか……まさに弱肉強食だな」
 そして7人の構成員たちは、お互いの顔を見合わせた。
 この中に、【犯人】がいるのか……?
 それぞれの疑念と不信、そして猜疑心が見えない風船となって無限大(∞)に膨れ上がる。
 ふいに、客室の扉のひとつが開く。
 5号室のゲスト、鱒沢遙が顔を覗かせる。
 遙は、階段前で一団を作っている面々の注目を集めつつ、恐る恐る問いかけた。
「……どうかしたんですか? 皆さん、そんなところに集まって……?」


 時間を少し遡る。
 それは、伊勢崎美結が幾度となく感じ、捉えてきた光景だった。
 い信号。
 いスポーツカー。
 い鮮血。
「伊勢崎さん……」
 今まさに不幸な事故に遭ったばかりの彼女の親友が、上体をむくりと起きあがらせた!
 しかし、いかんせん足が逆向きに折れ曲がっていては、満足に立ちあがることもできない。生まれたての小鹿のように、どうしようもなく頼りなげだ。おまけに片っぽの眼球は眼窩を飛び出し、剥き出しの視神経の先で、さながらサクランボの如くプラプラ揺れているものだから、視界(死界?)さえもはっきりしない有り様。かつてのかわいらしい面影はどこにもない変わり果てた姿で、それでも彼女は懸命に美結の所在を探り当てようと、やはり普通ではありえない方向に曲がってしまった腕を泳がせている。
「ねえ、どこなの、伊勢崎さん」
「こ、ここよ、あたしは、ここだよ」
 美結は半べそをかきながら、それでも健気に親友の手を取ろうとする。
 彼女は美結の手を掴むと、思いがけず強い力で美結の身体を引き寄せた。
(いやだ、服に血がついちゃう……)
 そんな状況下で美結は一瞬場違いなことを考えている。
 現実逃避。
 精神崩壊一歩手前の折りに、ありがちな現象だった。
「ねえ、伊勢崎さん、痛いのよ、わたし……いたいノ、いたイノ、いタイ、イタイ、イタイ、イたィィィ……
 切れ切れな言葉は、やがて掠れて消えた。だが、まだ息はある。神はなおもこの罪なき少女を苦しめんとするつもりらしい。彼女の声は、もう聞こえない。でも心の声は確かに届いた。
「お願い、わたしを楽にさせて」と。
 美結は泣きながら親友の喉に手をかけた。細く張りのある瑞々しいその白い首に、美結の太い指が食いこんでいく。
(ごめんね、ごめんね……)
 これは夢だ。悪夢だ。ナイトメアだ。
 あたしは彼女を殺していない。殺してなんかない!
 美結は完全に事切れた親友の骸を抱きしめ、天を仰いで号泣した。
 すると、信号機のが液状化し、ポツリポツリとアスファルトを濡らし始めた。
 彼女を轢いたスポーツカーのも粘着質を帯びて溶解する。嫌らしい〈赤〉が地を、空を、すべてのものを覆い尽くしていく。世界全体に赤いセロファンを覆い被せたかのような一面のアカ。粘りつくような不快感と、吐き気をもよおす悪臭。その中で、急速に冷たくなっている親友の骸。
 そして、美結は見た!
 カッと目を見開いて魂の復活を遂げる親友の姿を!!
 そして彼女は言う。
「伊勢崎さん……わたし痛いの……苦しいの」
 そして、そして……リフレイン。
 メビウスリングの悪夢は、どこまでもどこまでも未来永劫繰り返す……。


 伊勢崎美結は、瞬時に覚醒した。
「……夢?」
 ベリーショートの髪を梳き、己の両頬を平手でぱんぱんと叩く。
 緩みきった心に喝を入れ、緊張感を取り戻す。
 腕時計を確認し、自室の椅子に座ったまま、数分ばかりまどろんでいたことに気がつく。
 いや、まだ夢の続きなのかも……。
 やたら汗ばむ手のひらを自らの服で拭う。
 突然、ドアの開く気配がした。
「誰?」
 我ながら間抜けな質問だ、と美結は思った。
 この9号室のドアを自由に開け閉めできる人間が、自分のほかにいるとしたら、それは考えるべくもなく……。
 美結は、ほとんど条件反射で机に刺しておいたアイスピックを手に取った。
「いいわよ、入ってきなさいよ」
 果たして、その相手は素直に堂々と入室してきた。
「失礼します」
 入ってきたのは、山口代理人だった。そして、その後ろから【代理人助手】が6、7人ばかり、ぞろぞろとついて(憑いて?)くる。さすがに、こうなると、この部屋も相当窮屈になる。
「…………!」
 美結の目が山口の手に抱えたものに向けられた。
 それは、男物の黒いスーツだった……。


「おい、遙さんよ。あんた今まで何やってたんだ。もしかして、あんた……」
 松本浩太郎が、苛立たしげに問いかける。
 彼をはじめ8人の構成員+山口代理人&【代理人助手】2名が食堂に顔を揃えていた。
 時刻は8時をとうに回っている。そして、大方の予想どおり伊勢崎美結は食堂に姿を現さなかった。
 息の詰まりそうなほど緊迫した空気の中、恒例となったディスカッションが、今まさに始まろうとしている。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。あたしが伊勢崎さんを殺したとでも言うの?」
 鱒沢遙は、自分に嫌疑が掛けられていることを知り、慌てて抗弁を試みる。
「冗談じゃないわ。どうして、あたしが【犯人】だっていうのよ!」
 松本は我が意を得たりとばかりに不敵な笑みを浮かべてみせた。
「アリバイだよ」
「アリバイ?」
「そうだよ、小ブタちゃんが殺られた時にアリバイがなかったのは、あんたと数馬の二人だけだ。つまり、あの雌ブタが【犯人】でない限り、お前らの二人のうちどちらかが殺ったってことになるんだよ」
「アリバイってね……あなた、美結さんがいつ殺されたのか知ってるの?」
「ああ、だいたい一時間くらい前だな。ここにいる6人がこの場所で、あいつの悲鳴を聞いたんだ。そんで、図書室へ駆けこんだら死体があった。分かるだろ? 俺ら6人のアリバイは完璧なんだ」
「あたしじゃない!」
 遙は今にも泣き出しそうな顔で、松本を睨みつけた。
「まあまあ、ふたりともそう熱くなりなさんなって。俺ら、確かに悲鳴を聞いて駆けつけたけど、あれが美結さんやったってちゃんと確認したわけやないんやし」
 と、室町が仲裁に入る。
「じゃあ、他に誰がいるというんだ? 現に9号室に運ばれていくのを君も見たじゃないか」
 と、螺子目がしごくご尤もなことを言う。
「いや、それはまあ……なあ、菅野くんはどう思うん?」
 困惑顔で菅野に助け船を求める室町。菅野は悠然と食後のコーヒーを味わいながら口を開いた。
「美結さんが【犯人】だろうとなかろうと、さっき9号室に運び込まれた人物は彼女だったと見て構わないでしょうね。もし仮に彼女が【犯人】だとしたら、僕たちに見られることで少なからず彼女が明らかに退場したということを印象づけることが出来る……」
「おおっ、初めて意見が合ったじゃねえの、大先生」
 松本が飲み終えたアイスティの氷をがりがり噛み砕きながら機嫌良く言った。
「つまりアレだろ? 【犯人】が小ブタちゃんでなかった場合は、やっぱ【犯人】は遙さんか数馬のどっちかってことだよな」
「あたしじゃないって言ってるでしょ!」
「僕だって殺してなんかないよ」
 名前を宣告された二人が口々に否定する。
「どうも解せない。不可解だな……」
 平一が食後のウイスキーを引っ掛けながら首を捻る。
「ちっ、今度はあんたか! 一体何が気にいらねえんだ?」
 松本が、唸り声をあげんばかりに平の席まで立っていく。
 ほんのり頬を赤らめている平は、そんな松本に「呑むか?」と小壜を差し出した。
「要らねえよ、んなもん。それより解せないたぁどういうこったい?」
「朝っぱらからそう喚くな、松本くん。いいか、冷静に考えても見ろ。何故【犯人】はあんな時間にあんな場所で犯行に及んだんだ? 朝の7時頃といったら、皆が三々五々食堂に集まってくる時間だろ。そんな人の動きが激しい時に、誰もが通過するであろう図書室で、しかもドアが開けっぱなしでの犯行、これは酔狂としか思えんね。あまりにもリスキーだ」
 酔狂(酔い狂う)なのは平さん、あんただろ、と一言つっこんでおきたいところだが、誰もそんな軽口を叩く余裕もないらしく、螺子目などは腕組みをして得心したかのようにしきりと頷いている。
「うむ、言われてみればナルホドだね。現にあの悲鳴があった直前に菅野くんが現れた。ややもすれば、菅野くんは犯行現場に鉢合わせしたかもしれない危険な状況だった。【犯人】が【代理人】と連絡を取り合いながら、犯行に及んだとすれば話は別だが、果たしてそんなにうまくいくものかどうか……」
「そうですね、お二人のおっしゃる通り、この犯行には無理がありすぎる。そしてまた、出来過ぎている」
「おいおい、菅野さんよお、あんた一体どっちの味方なんだ」と、またまた松本が食ってかかる。
「僕は誰の味方でもない。全員の敵だよ。分かりきったことを訊くもんじゃない」
「ぐ……」
 それもそうだ。尤もだ。返す言葉もない松本。
「出来過ぎっていうのも、なんとなく分かるな、僕」
 と、菅野に同調したのは堀切数馬だ。
「つまり菅野さんが言いたいことって悲鳴のことだよね」
 菅野は数馬に向かって一瞬笑みを浮かべてみせた。その目は『ご明察』と語っている。
「どういうことなの」と、遙が問うと、少年は目を輝かせながら応える。
「ここにいる8人のうち、遙お姉ちゃんを除く7人までもが悲鳴を聞いているってことがだよ。この家の中の部屋は全部、音を完全に防いでいるんでしょ。ってことはさ、悲鳴を聞くためには、犯行のあったところとみんながいるところの間に壁があると聞こえないわけなんだよね。んで、実際は図書室のドアは開いていたし、食堂のドアもたまたま開いていたから、その悲鳴が聞こえたわけで……ね、菅野さん?」
「数馬くんの言うとおりです。皆さん、少し考えてみてください。僕らが集まるこの食堂の扉は今どうなってます?」
 全員が扉の方に目をやる。
「閉まってるわなあ」
「そうです。こういうゲームの特質から考えて、常に【犯人】から身を守らなければならない立場にある【被害者】は、部屋に入ると扉を閉めてしまうんです。自分のいる場所を密閉することで、わずかな安心感を得る。これはごく自然な行為です」
「ところがあん時は開いていた……いや、開いていたんじゃない。開けたんだ! 菅野くん、君が!」
 螺子目の熱い口調も、菅野は冷静に受け止める。
「そうです。いつも閉まっている状態の扉を開けたとたんに悲鳴です。まるでそのタイミングを狙っていたかのように……」
「お、おい。ホントにそんな芸当が出来んのかよ? 【犯人】が小ブタで、悲鳴も狂言だったってんなら、そいつも可能だろうが、いざ殺そうって時に、悠長に食堂のドアが開くのを待つなんて、そんなことガキや臆病女に……いや、第一なんのメリットもない、というかデメリットだ。悲鳴を聞いたらすぐに皆がやってくる。見つかる危険性が高いだろ」
「テープレコーダーでも使ったんじゃないですか?」
「へ……?」
 口をあんぐり開け、ポカンとなる松本。
「まず【犯人】は【代理人】からテープレコーダーを調達し、美結さんを殺 害する際に、その悲鳴を録音する。そして、タイミングを見計らい、ドアが開きっぱなしの図書室にいた【代理人助手】がテープを回す。あらかじめそれが分かっていた【代理人助手】たちは当然僕らより反応が早い。みな図書室付近に待機していて、悲鳴とともに突入。そして、死体とテープレコーダーを一緒に毛布にくるんで回収。とまあ、こんなところでしょう」
「ちょっと待てよ。それはひとつの可能性に過ぎないわけだろ」
「無論、そうだ」
 松本の挑戦的な態度にも、菅野は一切の動揺を見せない。
「じゃあ、ひとつ尋ねるが、あんたがさっき食堂に来たとき、図書室の扉はどうなっていた?」
 菅野が眉根をしかめて応える。
「開いていたよ。中には【代理人助手】が二人いた。ただし、あくまで僕はそこを通りかかっただけで、中には入っていない」
 菅野の応えを聞いた松本は、急に声高々に笑ってみせた。
 笑いすぎて零れる涙を拭いながら松本が宣告する。
「だったら、あんたの推理にゃ穴があるってことになるぜ」
「なに?」
「確かにテープレコーダーを図書室に隠しておくことは可能かもしれない。だが、肝心の死体は、それまでどこにあったんだ? あんた、ドアの開いてる狭い図書室の前を通ってここに来たんだよな。あの部屋にはテーブルがひとつあるだけで、あとは壁一面が本棚だ。人ひとりをまるごと隠す場所なんてないぞ。あんた、そこでは何も異変には気づかなかったんだろ。じゃあ隣りの娯楽室か? いや時間的に無理だね。あんたが食堂のドアを開け、悲鳴を聞いて、俺らが廊下へ出るまで、その間、長く見積もってもせいぜい三十秒。嘘の悲鳴の後、どこかから運び込んだとしたら絶対に見つかっているはずだ
「そっか、松本くんの言うことも尤もやな。遺体はどこにあったんや? まさか見落としてたなんて言うんやないやろなあ」と便乗する室町。
 その答えも用意していると思いきや、意外にも菅野が初めて悔しそうに唇を噛んだ。
「……そうか!……くそっ、僕としたことが!」
「なんだよ、そこまでは考えてなかったのかよ。大先生らしくねえなあ」
 松本は菅野への初白星に得意げに鼻腔をふくらませている。しかし、菅野が悔しがっているのは、別に松本の問いに答えられなかったわけではなく……。
「あの時、僕が気づいてさえいれば……いや、気づいていたところで根本的な状況は何ら変わらなかったのだろうが……しかし……」
「何をぶつぶつ言っているんだね」と、螺子目が菅野を不安げに見つめる。
 菅野祐介が初めて(?)やらかしたミスとは……。
「僕は見ていたんですよ。食堂に来る直前に美結さんの遺体を……いや、彼女が【犯人】だったとしたら、その姿を、ということになるか……」
「どういうこっちゃ、そりゃ」
「あの服装ですよ。彼女、【代理人助手】と同じような黒いスーツを身に着けていた。図書室は狭いため、廊下からは丸見えだが、照明をつけないと薄暗くしか見えない。廊下からの灯りでは、【代理人助手】が二人いるようにしか見えなかった」
「まさか、その二人のうちの一人が……」
「おそらく美結さんです」
「な・ぬ?」
「そんな莫迦な……」
と、あまりにも虚を突いた発言に一同ざわめく。
「何故すぐに気づかなかったんだろう。そう考えるとすっきりするんです。図書室内は暗く、その中に黒い服の人間が二人。確かに美結さんは体型に特徴があるが、【代理人助手】だって大方はがっしりした体型です。美結さんをもうひとりの【代理人助手】よりやや前方、つまり扉寄りに固定しておけば、そのシルエットは屈強な大男に見えなくもない。いわば遠近法を利用した視覚トリックです。しかも彼らは、室内だろうがお構いなしに帽子を被ってたりするものだから、顔はほとんど見えませんしね。それに真の殺 害現場から図書室へ運び込むときだって、【代理人助手】が黒服を着せられた美結さんを両脇から抱えて運んでいけば、さほど不自然には感じない。よしんば感じたとしても、【被害者】は【代理人助手】に話しかけることは出来ないんだ。黙ってたって向こうから避けてくれるというわけです。まあ、いずれにせよ仮に僕がそれに気づいたとしても、もうひとりの本物の【代理人助手】に阻まれたことでしょうがね」
「待てよ、俺と螺子目さんは7時直前まで図書室にいたんやで。そんときも、【代理人助手】は二人いたよ。もちろんどっちも生身の人間や。ちゃんと自分で動いてたからなあ」
 室町がそう証言すると、螺子目もそれを裏づける発言をした。
「ああ、確かに室町くんの言うとおりだ。すると、私が図書室を出て、菅野くんが食堂へ来るまでの間に【代理人助手】が美結さんに入れ替わったってことになるな」
 今朝7時までに、食堂へやってきた順序は、千夏→平→室町→螺子目→松本→菅野だった。
 このうち室町と螺子目は、図書室にいた【代理人助手】は二人とも本物だと証言している。二人が口を揃えて言っているのだから、これは賭け値なしに信用できる証言だ。そして、菅野は二人の【代理人助手】を図書室で見かけたが、はっきりとは確認していないと言う。こうなってくると次に証言が欲しいのは、その間に挟まれた松本ということになるのだが……。
「俺もよくは覚えてないな。早い時間に部屋を出て、そこら辺を歩き回っていたからな」
 全員の意見を尊重し、菅野の仮説を真実として受け容れるなら、螺子目が図書室を出て、菅野が食堂に顔を出すまでの僅か数分の間に入れ替わりが行われたことになる。時間的には無理な作業ではないが、その間に松本が廊下をうろついているのだから、これはかなりの綱渡りになる。
 菅野は7人の構成員ひとりひとりを見渡しながら、絞り出すような低い声で言った。
「僕としては正直、いささかプライドを傷つけられました。【犯人】はきっとこの僕を心の中で嗤っているに違いない。だが、次はそうはいかない。この借りは『告発』という形で必ず返させてもらう」
「しかし、【犯人】はなぜそんな面倒なことをするんだ? もっと早い時間に殺したのなら、規則によれば速やかに【代理人助手】が検死をし、その死体を部屋に運び入れたはず。なのにその遺体をわざわざ引っ張り出してきて、図書室に放りこむなんて、なんの意味もないんじゃないか?」
 そんな螺子目の疑問に答えたのは、終始酒をくらい続けていた平だった。
 平は柿臭い息を吐きながらあっさりと言い放った。
「私たちに対する挑戦さ、ゲームを盛り上げるための演出だよ。それ以外に考えられない。実際、あの冷静な菅野くんに火がついてしまった。ああなると、人間コンピュータも徐々に狂いが生じてくるもんさ。ゲームは三週間。長いスパンで見れば、次々と犯行を重ねる一方で、残った連中にプレッシャーを与えることも肝要なんだよ。ミステリーなどに見られる死体消失、もとい、この場合死体出現か……このトリックにまんまと嵌められたってわけだよ、菅野くんは」
「【犯人】は案外自己顕示欲の強い奴かもしれへんなあ。10人の中でいっちゃん賢そうな菅野くんの鼻っぱしらをへし折ることで、自分の方がすごいんやでってところをアピールしたかったのかも……」
「でも、テープレコーダーや入れ替わりの可能性にさえも誰も気づかなかったとしたら、これもまた間抜けな話だぜ。だってそうだろ? 額面どおり捉えれば、やっぱあの悲鳴と同時に奴は消されたんだと思うもんな」
 そんな松本の見解に平が茶々を入れる。
「いや、そうは思わんだろう。考えても見たまえ。あの短い時間の中でどうやって服を着がえさせることが出来るというのだ? 他人の身体にスーツを着せてやるのは相当骨だぞ。つまりは、あの悲鳴は嘘であったということは明白だ」
「あ、そっか。仮に美結さんが【犯人】だったり、ペナルティによって殺されたものだとしても、同じ理由で、悲鳴はそのときに上げられたものではないということになるわね」
 と、鱒沢遙が別の可能性についても確認する。
「遅かれ早かれ、『入れ替わり』の可能性には辿り着くようになってたってことか。最悪、誰も気づかなかったら、【犯人】自ら、その可能性を提唱するっていう奥の手もあるしね」と、螺子目。
 すっかり貝になってしまった菅野をちらりと見やって、松本が話題を変えてくる。
「ま、今回も【犯人】の一人勝ちってこったな。アリバイ検証も徒労に終わったってわけだ。それよか、次の生贄は誰なのか、そっちが気になるねえ」
「おい、松本くん、生贄って喩えはちょっと生々しすぎやしないか?」
「それが現実ってモンだぜ、螺子目さんよ」
 螺子目は負けじと、中指で眼鏡を押し上げて松本に向き直る。
「そういえば、君の予想ハズレだったね。君の説では、2番目にやられるのは私だったよな。確か年の順とかなんとか言ってたっけ」
「ちぇっ、あれは洒落だよ、洒落。ったく、これだから頭の固いオヤジは参るぜ」
「なんだ、冗談だったのか」
「ああ、こういうの考えるのってオモシレエじゃねえの」
 そこまで言って松本はまた何か思い浮かんだらしく、ニタリと笑った。
「おっ、俺、また新しい法則見つけたぜ。えっと、この法則でいくとだな、次は菅野大先生の番だ」
 しかし、ご指名を受けた菅野は無視を決め込んでいる。
「どういうこっちゃ? 何の根拠があって菅野くんが次の退場者になるんだ」
 室町の問いに松本は揉み手をせんばかりに歓迎の意を表した。
 松本が再び席を立ち、探偵気取りでテーブルの周りをぐるぐる歩き始める。
 その動きを目で追う他の構成員たち。
「分かんねえかなあ。確かに最初にいなくなった石田の婆さんは誰の目にも最年長だった。だからこそ、俺は次に消えるのは螺子目さんあたりじゃねえかと言ったんだ。だが、その法則は崩れた。婆さんの次は小ブタちゃんだ。この順番で何か気づかねえか」
「そやな。考えられることっちゅうたら、女性が続いたってくらいのもんやろ」
 本当は早く答えを教えてやりたくてうずうずしているのだが、それでも、他の連中が困る姿に優越感でも味わいたいのか、彼は答えを先延ばしに焦らす。
「じゃあ、ヒントをやろう。この法則でいくとだな、一等最後に残るのは千夏になるんだよ。ちなみに俺は8番目な」
「一体、それってどういう……?」
 遙が自分は何番目になるのか興味があるらしく、身を乗り出して尋ねる。
 片や、彼女とは対照的に、平一がボトルをラッパ飲みし、口の周りを拭うと白けきったようにぼやいてみせた。
「そんなヘボ推理、わざわざ勿体ぶって披露するほどのものでもなかろうに」
「まったくです。黙って聞いていればいい気になって。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
 菅野もまた痛烈な皮肉を松本に浴びせる。皮肉屋菅野、早くも完全復活である。
「ななな、なんだよ、あんたらもこの法則に気づいたのか」
「当たり前だ。まあ、あまりに莫迦らしいから、すぐに却下したがね」
「僕も平さんに同感です。退場する順序に規則性などあるはずがない。百歩譲って、仮にそこに法則をつけ、ゲームを盛り上げようとする意図が【犯人】にあったとしよう。しかし、わずか二人目で勘づかれるような陳腐な法則では、その後の犯行が著しく、やりにくくなるというもの」
 平と菅野が口々に酷評するも、螺子目、遙、室町あたりは話題について行けないらしく一様に首を傾げている。そんな中……。
「五十音順だよね、それ」
 そう呆気なく解答を提示して見せたのは最年少の構成員、堀切数馬だった。
 数馬は、行儀悪くジャムの壜に指を突っ込みながら補足説明する。
「イシダサチコ、イセザキミユ、ってきたら、次はカンノさんってことになるよね。そうでしょ、松本のお兄ちゃん」
「ちっ、お前な……」
 松本は短く舌打ちをして、壁に向かってパンくずを投げつけた。一番おいしいところを持ってかれて不機嫌この上ないといった様相だ。
「そっか、アイウエオ順ってことね」
「言われてみれば確かに……」
 そこで、室町祥兵が、別の疑問を口にする。
「それにしても、あの用心深い美結さんが退場するとはなあ。もし、彼女が殺されたんだとしたら、【犯人】の奴、よっぽどうまい手を使ったんやろな」
「彼女、私たちを誰一人として信用していなかったからね」と、螺子目が苦笑いをこぼした。
「ま、尤も、それは私とて同じことだがね」
 今までのパターンからすると、ここで菅野祐介あたりが、伊勢崎美結殺 害方法について、推理を展開する場面ということになるのだろうが、彼が弁証を始める気配はなかった。【犯人】に一杯食わされたばかりで、少し慎重になっているのかもしれない。
「なんにせよ、これで【犯人】は100%安全圏に身を置いたということだ。【犯人】が誰であれ、少なくとも一人は確実に死んでいるんだからな」
 会期終了時点で死亡者がいなかった場合、【犯人】にはペナルティが与えられる。(規則5犯人(6)参照)
 この項から鑑みて、今の平の発言はやはり100%正鵠を射ているということになる。
 仮に、石田サチコや伊勢崎美結が【犯人】であったとしても、もう片一方は、【犯人】の手に掛かったかペナルティを犯したかして、もうこの世にはいないはずなのだ。
「あるいは、もう【犯人】は誰も殺そうとしないかもしれへんなあ。大急ぎでセイフティーゾーンに入った【犯人】は一転して守りに回るかも知れへん」
「希望的観測でものを言うのは止めたほうがいいぜ、室町さんよ。あんな挑発的な方法で美結を消した【犯人】のことだ。美結が【犯人】でもない限り犯行はまだまだ続く。菅野大先生も前にそう予言してたじゃねえか」と、松本。
「わ、分かってるがな……ちょっと言ってみただけやて」
「あの、ちょっといいですか……」
 一通りの検証を終えたところで、今までずっと黙りこくっていた森岡千夏が、重い口を開いた。
 場の全員が彼女に注目する。
「私、昨日の夜、美結さんと図書室にいたんです」
「な、なんやて! じゃあ、彼女はやっぱりそこで殺されたんか?」
「いえ、たぶん違うと思います。美結さん、10時前には部屋の方に戻りましたから。そこまでは確かに彼女、生きていたんです。皆さんは、その後、彼女を見ませんでしたか」
 千夏の問いに誰もが首を振る。
「妙な符合やな。石田さんに続いて、またもやあんたが最後に会った人間ということになるんかいな」
 室町が苦虫を噛み潰しまくったような顔で言う一方で、菅野が興味深げに身を乗り出してくる。
「千夏さん、あなたたちは、そこでどんな話しをしたんです? 良かったら聞かせてもらえませんか」
「はい、それが……」
 千夏は昨夜、美結と交わした会話を思い出せる限り話して聞かせた。その内容は一同に少なからず衝撃を与えるものだった。
「けっ、またかよ! 自分は人殺しだってか? 懺悔大会じゃねえんだぞ」
「しかし、『そして誰もいなくなった』との共通点のくだりは、なかなか面白いじゃないですか。僕も読んだことがあるが、あれは確かに傑作です」と、菅野。
アリバイトリック死体出現。おまけに次は、見立て殺 人かい。三流ミステリーの大安売りだな」
「見立てというのとは、ちょっと違うな。あれはマザーグースの歌になぞらえて、殺 人が行われていくからこそ見立てと呼べるわけで、このゲームに関しては……」
「どーでもいいんだよ、んなこたあ! あんたの講釈はもう聞き飽きたぜ」
 松本は忌々しそうにバリバリと頭を掻いた。
「あー、やってらんねえ! 何もかもが嘘くせえ。ここ来てからこっちリアリティがねえことばっかりだ!」
「まあ、君の言い分も尤もだが、ここはひとつ割りきってミステリー小説の中の登場人物にでもなった気でいるくらいがちょうどいいかもしれないな」
 そうでもしないと、遅かれ早かれ僕らの精神は破綻をきたしてしまう……。
 菅野は密かにそんなことを思っていた。
「それに、似ている点があるってだけで、すべてが同じというわけではない」
 そして菅野は整理するようにマイノートに類似点を書き留めていくが、その悪筆ぶりに背後から覗きこんでいる松本などは露骨に顔をしかめている。
「きったねえ字だなあ、大先生よ」


 類似点
 1.主要人物が10人いる
 2.警察の介入できない閉鎖的な場所にいる
 3.10人はお互いに初対面である(犯人を除く?)
  ※ ただし「そして誰もいなくなった」では一部例外がある。(召使いの夫妻)
 4.招待者の正体が不明である
 5.被害者は、法では裁けない罪(殺 人罪)を背負っている


 他にあの作品と似ている点は……。
 菅野は逡巡し、やがて独り言のように呟いた。
「あの作品では10人全員が死ぬんだ。つまり犯人は、まんまと完全犯 罪を遂行する……」
 ザワザワザワ……。
 混沌とした混乱。錯綜する不安。広がる波紋。
 恐怖が、不信が、絶望が、部屋中に蔓延する。
 そんなざわめきの中、いい加減聞きなれてきた鳩の鳴き声が9回鳴き響いた。
 一同のおしゃべりが一瞬止み、そして静寂……。
 ゲーム2日目、午前9時。残った構成員は現在8名


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