第16章


第16章  告発タイム

 裏庭から館に入った松本浩太郎は、館内をぶらついていた。
 いくら広い敷地とはいえ、ここに最大3週間も拘束されるのかと思うとさしもの彼も気が滅入ってくる。
 なにげに食堂の扉を開けると、そこには4人の構成員が集まっていた。
 螺子目康之、菅野祐介、室町祥兵、そして森岡千夏だ。無論この部屋にも【代理人助手】が張りついていた。廊下への扉、厨房への扉、そして窓際にそれぞれ一人づつ配置されている。
「お〜、千夏ちゃんここにいたのか。さっきはボウズと一緒だったよな。あいつとナニ話してたんだ?」
 と、興味津々の松本だったが、千夏は答えるつもりは毛頭ないらしく、幾分青ざめた顔で窓の外へ視線を外す。
「ちっ、無愛想なやつ……」
「松本くん、君こそどこに行ってたんだ? あまりちょろちょろ動き回らないほうが身のためなんじゃないか……ま、尤も、こんな状況で落ち着いていろって方が、無茶かも知れんがね」
「ご忠告痛み入ります」
 螺子目の進言に恭しくお辞儀する松本は、言葉とは裏腹に嫌味ったらしく舌を出していたりする。
 食堂の窓は裏庭に面しているため表の庭にいた松本の姿は見えない。彼が先刻まで平や遙と会っていたことを螺子目が知らないでいるのは特段おかしなことではなかった。
「せやけど、わずか二日たらずで二人の退場者か。たまらんなあ。ひょっとしてひょっとすると一週間もしないうちに全員血祭り……なんてこともあるかもしれへんで」
 などと、冗談ぽく言う室町であるが、その声は微かに震えている。
「おいおい、なに弱気なこと言ってんだよ。完全犯 罪なんてな、そう簡単にできるもんじゃねえっての。所詮人間のやるこった。そのうち、どでかいミスでもやらかすに違いねえって」
 超楽天的かつ超能天気かつ超お約束的なことをのたまう松本に、こちらもお約束となった菅野の横槍が飛ぶ。
「それはどうかな。完全犯 罪など珍しくも何ともないんじゃないか」
「なにを!」
 怒った松本が菅野のひたいにグイと顔を近づける。しかし、菅野はただ冷たい目で相手を見返すばかり。丁々発止が始まりそうな二人の間を室町祥兵が慌てて執り成す。
「まあまあ、二人ともそう熱くなりなさんな……で、菅野くん、完全犯 罪など珍しくも何ともないという、そのこころはなんなのや?」
 もらえる情報はどんな些細なものでも戴こうとばかりに膝を乗り出す室町。
 一瞬の沈黙の後、菅野が一息ついて喋りだした。
「密室トリックやアリバイ崩しが横行する推理小説の世界は論外として、現実の事件はもっと単純明快です。いかに科学捜査が進歩したとはいっても、死体が発見されないことには殺 人事件として成立しない。完全犯 罪の99%は警察すら動いていない事件だと僕は考えます。殺してから死体を隠すまでのプロセスを誰にも見られさえしなければ、それはもう取りも直さず完全犯 罪なんですよ。まあ、確かにひとりの人間がある日を境に忽然と姿を消したとなれば、周囲に疑いを持つ者が出てくるかも知れない。しかし、死体が見つからない限りにおいては、やはり殺 人事件とはなりません。当然警察も大掛かりな捜査本部を設置することもないでしょう。そんなことをして、ふいに被害者と目されていた人物が、ちょっと旅に出てましたなんて、ふらりと現れてもごらんなさい。これは大変な税金の無駄遣いになるのみならず、平行して多発している正真正銘の事件の捜査を手薄にしてしまうことにもなりかねない。99%と言ったのは多少大げさだったかも知れませんが、表層に現れないまま埋もれていく完全犯 罪は僕たちが思っている以上に多いはずです」
 菅野の言い分は尤もだった。以前にも彼は、失踪人なんて吐いて捨てるほどいる、みたいなことを言っていた。その失踪人の中の一部が何者かによって殺 害されたものと考えてもなんら不思議はない。
「してみると、我々はすでに完全犯 罪者の手に落ちた憐れな被害者ってところだね」
 一同の悲壮な心境を代表して螺子目がそんな感想を漏らす。
 組織的かつ綿密な計画のもとに構成員たちを連れ出して、あげく失踪宣言まで書かせてしまったのだ。ここで誰が死のうが主催者側に捜査の手は及ばないであろう。仮に……仮にだ。運よく生き残った者が良心の呵責に負けて警察に駆け込んだとしよう。果たしてこんなふざけた話を信じてもらえるかどうか甚だ怪しいものである。百歩譲って信じてもらえたとしても、警察の捜査の手が主催者側に辿りつくことはあるまい。なにしろ構成員たちは主催者の素性に関する情報を何ひとつ手にしていないのだから……。あとは事故にでも見せかけて始末されるのが関の山。そんな憐れな密告者を指して無責任な第三者はこう言うであろう。
 あいつは、少し頭がイカれていたからな、と……。
 いやしかし、それはそれとして、本当に主催者側は規則に従って生存者を無事に帰してくれるものかどうか……。菅野だけはなぜか自信たっぷりに帰してくれると言っているが、それを証明する手立ては何もない。かごの中の鳥たちは、ご主人様の気まぐれで檻を開け放ってくれるのを大人しく待っているしかないのだ。
 このゲームの果てには一体何が待ち受けているのか?
 正常な日常への扉は用意されているのか? それとも、行き止まりの巨大な壁にぶつかるのか?
 だが、そんな議論も詮なきこと。
 不確かな未来に一縷の望みを託して、今はただ、この殺 人ゲームに勝利することだけを考えるしかない!
 そんな重苦しい空気に一石を投じた者がいた。
 森岡千夏である。男たちの会話にもろくに関心を示さず、食堂内部の数箇所に視線を向けていた彼女が遠慮がちに発言する。
「あの、私さっきから気になってたんですけど……」
「ん? どうかしたんか、千夏さん」
「ええ、これってどうでもいいことなのかもしれないんですけど……」
 千夏は大層歯切れ悪く、言ったらいいものかどうか思案するように眉根を寄せている。
「そう言われると却って気になるな」
 と、眼鏡の奥の瞳に疑念を走らせる螺子目。
 千夏は意を決してある疑問を口にした。
「【代理人助手】って本当に20人いるんでしょうか?」
「え……そ、それってどういうこっちゃ?」
「私たち、ゲームが始まってから一度も【代理人助手】20人全員が揃っているところを見てないんですよね」
「そりゃあ、そうだろ。あんな奴らでも一応人間だからな。仮に3交代制をとってるとすりゃあ、6、7人は今ごろ三階あたりで寝てるんじゃねえか」
 本当にどうでもいいことだな、と付け加える松本に、千夏がさらに食い下がる。
「それにしても少なすぎると思いませんか?」
「え〜っと、ゆうてる意味がよく分からんのやけどなあ」
 と、困惑げの室町。
 千夏は席を立って、食堂内にいる3人の【代理人助手】を指差して、
「ゲームが始まったときからずっと違和感があったんです。それがなんなのかはっきりしなかったんですけど……」
「でも、今は分かったんですね」
 菅野だけが動ずることなく先を促す。まるでその展開を予期していたかのように……。
「寝ている人を除外して13人の【代理人助手】が常時いて、そのうち3人は3階でビデオなりをチェックしていると仮定しても、あと10人はいるわけですよね。だったら構成員ひとりに【代理人助手】がひとり、マンツーマンで張りついて行動したほうが効率的だとは思いませんか?」
「……そう言われてみりゃ、確かに妙だな」
「この部屋には5人の構成員がいる。それに対して【代理人助手】は3人か。うむ、少ないな」
「うーん、なんでやろなあ?……ま、せやけど、別にどうでもいいことなんちゃうか。【代理人助手】が何人いようが監視されていることに変わりないわけやし」
 松本、螺子目、室町の3人は、また新たに出現した小さな謎に困惑を隠せない様子だ。
 【代理人助手】は構成員の一人一人に張りつくことはなく、むしろ要所要所に配置されているといった感がある。では、構成員がいないところに張りついている【代理人助手】は一体何をしているのか? 発作的に逃げ出そうとする構成員をどこからでも射殺できるように待機しているのだろうか? それではやはり説明として苦しい。普通に考えて構成員のいないところに【代理人助手】を置くのは無駄としか思えない。
 あるいはこれも【犯人】による指示なのか? だとしたら何のために?
 なんにせよ、これが【犯人】の計画の一部であるとしたら、いまさら【代理人】に真意を尋ねても適当な言い訳をされるのがオチだ。
 また、千夏の言うように、20人ではなくもっと少ない人数だとしたらマンツーマンは難しくなる。しかし、規則には【代理人助手】の人数が明記されていないものの、ゲーム開始前の説明会の時点で、【代理人】自らが【代理人助手】は20人いると公言している。規則に誠実に従う【代理人】が、説明会で嘘をつくはずもないわけで……。
 いや、しかし例外がひとつあった。
 偽の誓約書だ。
 菅野の機転で、あれは「失踪宣告」であることが露見したが、あの嘘は明らかに主催者側が意図的についたものである。すると、【代理人助手】の人数が20人であるというのも俄かに怪しくなってくる。しかし、そんなことで嘘をついて何があるというのか……
「菅野さんはどう思いますか?」
 ひとり泰然と構える菅野に助けを求めるように千夏が問い掛ける。
 果たして菅野は唇の端をほんの少しばかり歪め、肩をすくめてみせた。
「僕にも皆目見当がつきませんね。これは宿題にさせてください」
「はあ……」
 実のところ菅野は大方の見当はついていた。(あるいは知っていた?)
 しかし、敢えてその答えは言わない。
「とかなんとかゆうても、本当は分かっとるんとちゃうか?」
「大先生はさっき【犯人】に一杯食わされたばっかだもんな。慎重になる気持ちもよおく分かるぜ。俺は腰抜けを鼻で嗅ぎわけられるんだ」
 と、なんとか彼の口を割らせようと挑発する松本だったが、その汚いおてては食ってくれそうもない。
「そう僕ばかり責めないでくれ。僕にだって分からないことはあるよ」
 そうかわす菅野も、腹のうちでは全く逆のことを考えている。
―――【代理人助手】の配置は【犯人】の指示によるものなんですよ。そんなことも分からないとはね……特にも千夏さん、あなたには失望しました。もう少しキレる人かと思っていたが……だいたい皆さんどうかしてる。ヒントはもう充分なくらいに提供されているというのに……


 1号室から出てきた堀切数馬は、同じく4号室から出てきたばかりの鱒沢遙に出くわした。面食らった遙は慌てて自室に引き返したが、すぐにまたドアを開けて廊下に出てくる。
「数馬くん……あなたなら大丈夫ね」
「大丈夫って……遙お姉ちゃんは僕を【犯人】だとは思ってないの?」
「そうじゃないわ。あなたが【犯人】だったとしても、油断さえしなければ殺される心配はないってことよ」
 と言いつつも、数馬と一定の距離を保ちつつ近づこうとはしない遙。数馬が歩み寄ろうとすると、その分後ずさったりしている。数馬は思わず苦笑いをこぼした。
「ホントに用心深いんだね」
「一応はね。もしあなたが【犯人】だとしたら、ついさっきまで自分の部屋で皆がどこにいるか確認していたかもしれないじゃない? それで他の6人全員が1階の別の部屋にいたとしたら? その部屋が全部締め切ってあって、あたしたちの声が届かない場所にいるとしたら?……ね、あなたにとっては、今まさにこの上ないチャンスになるでしょ? でも、これだけの距離をとっていれば大丈夫。変な動きを見せたらすぐに告発してあげるわ」
 子供相手に熱っぽく語る遙の唇が緊張感からかひくひく動いている。
「それは却って危ないんじゃないかなあ」
「なっ……何が危ないって言うのよ!」
 と、ヒステリックな金切り声を上げる遙。一方の数馬は慌てず騒がずのんびりと応える。
「まあ、聞いてよ。例えば僕が【被害者】でさ、賞金を欲しいと思っていたとしたら、僕は何をすればいい?」
「そりゃあ、【犯人】を推理して告発する、それしかないでしょ」
「でももうひとつ、他の【被害者】にペナルティをするように仕向けるってこともあるよね。例えば僕が遙お姉ちゃんに襲いかかるふりをしたとするよね。そうするとお姉ちゃんは告発しますって言うでしょ。でも僕は【犯人】じゃない。【犯人】のふりをして襲いかかろうとしてみせただけなわけだよ。でもってお姉ちゃんは告発に失敗してペナルティってことになる。で、また賞金が増える。これで僕の思うツボってことさ」
「あ……」
 そうなのだ。確実な告発をするためには、論理的に【犯人】を看破するか、【犯人】の明確な殺意を自分の目で確認するか、この二つの方法しかないのだ。ちょっと襲うような素振りを見せられたくらいでは、その人間が確実に【犯人】とは言い切れない。むしろ多少の痛手は覚悟せねばならない。
 遙は軽く息をついて、肩の力を抜いた。
「あなたって本当によく分からない子ね。どこまでが演技でどこまでが地なのかしら」
「……僕は僕だよ。別に演技なんかしてないよ」
 と、破顔する数馬だったが、泣き腫らした目は兎のそれのように赤かった。
「数馬くん、あなた泣いてるの? ホームシックにでもなった?」
「別にそんなこと……ないよ」
「子供が無理するもんじゃないわ。お家に帰りたくなったんでしょ。だから泣いてたんだ」
「ち、違うよ! だって僕には帰る家なんてないんだから」


――――――8年前。
 母が逮捕されてからというもの、少年の人生において悦びといえることは何一つなかった。
 独りぼっちになった少年は、その後、遠い親戚に引き取られて暮らすことになった。
 その家には少年と同年輩の息子がいて、彼には散々苛められてきた。
 靴の中に画鋲を忍ばせられたり、学校のトイレに閉じ込められたり、味噌汁にインコの糞を入れられたりなどは日常茶飯事だった。
 少年は家の息子から母親とは明らかに違う悪意一色に染まった虐待と辱めを受け続けてきた。
 息子の両親もその事実を知っていたが見て見ぬふりである。
 食事をするテーブルも少年だけは別だった。
 少年には味方となる人間が一人もいなかった。
 それでも少年は耐えた。
 ここを追い出されたらもう行き場所がなくなってしまう。
 ママが迎えに来るまでの辛抱だと、ひたすらに耐え続けた。
 しかし家の息子に、大事にしていた母親の写真を燃やされてしまったとき、ついに少年はキレた。
 灰皿の上で燃えている母の写真に彼の顔面を押しつけ、そのまま家を飛び出してしまったのだ。
 「ギャー」と獣のような悲鳴を息子は上げたが、その後、彼がどうなったのか少年は知らない。
 少年はその足で電車を乗り継ぎながら、母と暮らしたアパートに8年ぶりに帰ってきた。
 そして見た。
 思い出のいっぱい詰まったアパートが跡形もなく消え失せ、さら地の駐車場になっているさまを……。
 呆然とする少年の前に1台の黒塗りの車が横づけされた。
 降りてきた年配の紳士が少年に手を差し出して言う。
「堀切数馬くんだね。さあ、私についてきなさい。君は選ばれたんだ」と……。


「ママは一度だけ僕を外へ連れてってくれたことがあったんだ。近くのデパートだったんだけど、『パパ』へのプレゼントを買うんだって、子供みたいにはしゃいでたよ。デパートの屋上でさ、ドラえもんのショーがやっていてね。僕、ドラえもんからタケコプターもらったんだ」
 いきなり思い出話を始める数馬を訝しげに思った遙だが、変に気分を逆撫でしないほうがいいと直感し、ただ先を促す。
「それが、どうかしたの?」
「ついこの間……一週間くらい前かな。別のデパートの屋上でドラえもんのショーがやっててね。アルバイトの人、よっぽど暑かったんだろうね、子供たちの前でぬいぐるみを脱いじゃったんだ。首から下はドラえもんで、首から上は普通の大人の男の人。子供たちはみんな泣き出すし、大変だったんだ」
「ねえ、数馬くん。あなた何が言いたいの?」
「信じてたものに裏切られたときのショックっていうのは、それだけ大きいってことだよ。僕がママとデパートに行ったのは小学校に上がる前だったから、あの頃の僕は、あのドラえもんがぬいぐるみだったなんて思いもしなかった。それが本物じゃないって知ってから見せられるのと、知らないでいて見せられるのとではゼンゼン違うんだ……ゼンゼン違うんだよ!」
 最後のほうは、むしろ叫びに近かった。そうして数馬は溢れそうになる涙を拭いつつ、階段に向かって駆け出したのだった。


 伊勢崎美結退場事件以降、何事もなく夕食時間となった。
 8人の構成員の間にはほとんど会話もなく、お通夜のように静かな食卓であった。(というか、伊勢崎美結が死んでいたとしたら、名実ともに通夜ということになるのだが……)
 スープ皿を置いて、ナプキンで口のまわりを拭った螺子目康之がポツンと呟く。
「最後の晩餐か……」
 そんな小さな声でも、場の全員の耳にはっきりと届いていた。
「なんや、螺子目さん。えらい辛気臭いこというて」
 螺子目はしかし、そんな室町の呼びかけにも反応せず、紙のように白い顔で【代理人】の方を向いて、今度ははっきり皆に聞こえるように宣言した。
「山口さん、私、告発をするよ」
―――!!
 一同、呆気にとられて目を見張る。
 食堂に存在する目という目が、すべて螺子目に向けられていた。
「なっ……マジかよ、おっさん」
「螺子目さん、もう【犯人】が分かったの?」
「堪忍してえや。ちょっと早すぎるでェ」
 螺子目は力なく首を振った。
「そうじゃない。【犯人】なんて全く分からないよ。ただ、はっきりしているのは自分は【犯人】ではないということだけだ」
「だったら、どうして……」
 千夏が不安げに隣席の螺子目を注視する。
「1/9の確率に賭けてみたくなったんだ。既に退場者が二人。この調子で人数が減っていけば、それだけ【犯人】も大胆になれる。犯行がしやすくなるというもの。そうなる前に勝負を挑んでやろうと思ってね。先手必勝ってやつだよ」
「そんな……無茶です! 螺子目さん、冷静になってください」
「私は冷静だよ……とてもね」
「ふん、どうだかな。【犯人】の退場の仕方としては、告発ってのも意外と盲点かも知れんぞ」
 素面の平一が胡散臭そうに鼻を鳴らす。昨日まで食前、食後、食中とアルコールを手放さなかった彼だったが、昼食以降は全く呑んでいなかった。それだけ絵のほうに集中しているということなのだろう。
 そんな平の邪推に螺子目は寂しげに嗤ってみせた。否定も肯定もしない。螺子目がすっと椅子から立ち上がると、山口もこれに呼応して席を立つ。
「さあ、早いとこ済ませてしまおうか」
「承知しました」
 山口が大仰に頷いて、【代理人助手】に目配せする。
 その場に控えていた2名の【代理人助手】が、螺子目の両脇に移動する。
 黒服の男たちに挟まれ肩を落として歩く後ろ姿は、さながら絞首台へ連行される囚人のように見えた。
 突然の展開に固まる構成員たちの中で、数馬が真っ先に席を立った。いつになく厳しい表情で螺子目たちのあとについていく。続いて菅野が立ち上がる。
「僕らも行きましょう。後学のために見ておいて損はない」
 そんなドライなことをさらりと言ってのける菅野に、千夏、遙、室町らは露骨に顔を顰めている。が、しかし、結局全員が自らの意思で、告発の舞台へと歩を進めていったのである。


 0号室前。
 螺子目康之の周囲を同心円状に取り囲む構成員たち。
 カードキーを差し込む手がつと止まり、螺子目は構成員たちを振り返った。そして、ひとりひとりの顔をじっくりと見つめる。まるで、この場で告発の相手を決めようとしているかのように……。
森岡千夏が、眉を八の字にして心配そうに螺子目を見返す。
鱒沢遙が、ごくりと唾を飲み睫毛を伏せる。
室町祥兵が、「俺は【犯人】ちゃうで」と胸の前で手を振る。
菅野祐介が、無関心を装いポーカーフェイスを決め込む。
平一が、「【犯人】は私だよ。私を告発するといい」と軽く胸を反らす。
松本浩太郎が、「じゃあな」と片眉を吊り上げてみせる。
堀切数馬が、「頑張ってね」と微笑みかける。
 螺子目は全員の顔を今一度見渡すと、ふっと笑って松本にキューを放った。
「これはもう要らないな」
「螺子目さん、本当にやるんですか?」
 千夏が一歩進み出て問い掛けると、螺子目は彼女に向き直って応じた。
「人間、欲を捨てたら抜け殻だ。生きていても何の手ごたえも感じない。暦と時計ばかり眺めている人生に疲れてしまったんだよ。だからこそ私は行くんだ。待っているだけでは好機を逃す。攻めこそがこのゲームの勝利への王道なんだ。人生もまた同じだよ。それがいかに醜くみっともないものであろうとも、前に進もうとあがき続けることは、素晴らしいことだと私は思う」
「へっ、おっさん、この期に及んでナニ講釈たれてンだよ。辞世の句でも残そうってのかい?」
 螺子目は松本の揶揄には取り合わず、千夏の手を握りしめた。
 一瞬、千夏の表情に困惑が走る。
「それだけじゃない。少々気取った言い方かもしれないが、私は神の審判を受けてみる気になったんだ。こんな機会は滅多にない。当てずっぽうで告発しようとしてるんだ。アタリかハズレかは神のみぞ知るだ。神が私にもっと生きろと命じるのならば、きっと再びこのドアを開けて皆の前に姿を現すことだろう。だから……」
 千夏の手を握る螺子目の手に力がこもる。
「ちょっと、お待ちください」
 ふいに山口代理人が、つないだ二人の手の上に自分の手を乗せた。
「森岡様、申し訳ありませんが、その手を開いていただけますか?」
「……はい」
 請われるままに手を開く千夏。その中には小さな紙切れが握られていた。代理人がそれを取り上げて詰問する。
「螺子目様、今、森岡様にこれをお渡しになりましたね」
「……ああ、渡したよ」
「拝見してもよろしいですか」
「なぜだ? なぜ君がそれを見る必要がある」
 山口が落ち着き払ってその理由を述べる。
「不正の疑いがあるからです。もしこの紙に、これから告発する相手が書き記されてあった場合、螺子目様は今後告発する権利を失うことになりますので」
「なるほどね、そういうことか」
規則8告発(2)ですね。【被害者】は、告発する前に告発する相手を他の【被害者】に報せた場合、告発する権利は消失する。と確かに書いてありました」
 菅野が規則も見ずに条項をそらんじてみせた。
「おいおい、おっさん、こいつがちっとばかしかわいい顔してるからって、えこ贔屓はねえんじゃねえの」
「勘違いしないでくれ、松本くん。私はそんなことはしていない。山口くん、別に見ても構わないよ。ただし、他の人にはまだ見せないでおいてくれ。千夏さん、君もだ。このメモは君に預けておく。もし私が出てこなかったら読んでくれて構わない」
 山口は螺子目の望みどおり、自分だけに見えるようにメモを開き、さっと目を通した。
 やがて、再びメモを折り畳むと千夏の手に返してやる。
これなら問題ありません。規則には何ら触れるところではありませんので
「なんだよ、【犯人】の名前が書いてあるんじゃねーのかよ。ははあん、やっぱ辞世の句でも書いてたか。んなもん、見たくもないね。何が前に進もうだ! おもいっきし後ろ向きじゃねえかよ。どうせ、ホントは告発する気なんてないんだろ。ちょっとカッコつけてみたかっただけなんだろう。みーんな、お見通しなんだよッ!」
 螺子目は、動揺する松本を完全無視で【代理人】に言う。
「余計な手間を取らせたね、山口くん。それじゃ始めようか」
「はい」
「……まいったな、震えがとまらないよ」
 螺子目は大きく深呼吸して0号室のドアを開けた。
 構成員たちは山口代理人の胸の膨らみがどうしても気になっていた。あそこには拳銃が収まっている。告発に失敗したらあれで殺されることになるのだろう。だとしたら一体どこを撃たれるのか?
――――――胸か? 眉間か? 想像しただけで悪寒がはしる。
「……って、おい、待てよ、おっさん。まさか本気でやるつもりじゃ……冗談だろ、なあ!」
 松本の声も虚しく、0号室の扉は完全に閉鎖された。
「当てるなよ。絶対に当てるなよ。こんな安直にゲームを終わらせるんじゃないぞ」
 当てるなよ、当てるなよ……。
 平が祈るように同じ言葉を何度も繰り返す。
「平さん、あんさんも露骨やな。それって螺子目さんに死ねいうことやで」
「何を言うか。君だって同じことを考えてるんだろう? こんな状況で善人ぶるんじゃない」
「なっ……お、俺は別に……」
 平の反撃にぐうの音も出ない室町。
「あたしは……あたしは当たって欲しいわ。もう嫌よ、こんなの。お金なんかもう要らない。とにかく生きて帰りたい! 千夏さん、あなただってそう思うわよね」
 と、興奮気味の遙が千夏の襟首を掴む。
「そうですね……それが一番いい結末かも知れないですね」
「ホントに入ってっちゃったよ、あのおっさん……」
 まだ信じられぬといった態で呆ける松本。
 その隣りには、0号室のドアをじっと見つめたまま、微動だにしない数馬がいる。
 菅野が異様なまでに冷静な口調で言った。
「もしもあれで螺子目さんが【犯人】だとしたら、ちょっと演技過剰でしたね」
 誰も応えない。誰もその場を動かない。
 数分後、0号室のドアが開いた。
 出てきたのは山口だけだった。
「螺子目さんは? 螺子目さんはどうなったんですか!」
 千夏たちが中を覗こうとドアに詰め寄ったが、あえなく【代理人助手】にガードされてしまった。
 山口代理人が両手を前に組んで、構成員たちの前に進み出る。
「皆さんには結果だけをお伝えします」
 そう宣言すると、彼はおもむろに懐から拳銃を引き抜いた。


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