第17章


第17章  【代理人】

 構成員たちの注視の中、山口代理人が拳銃を引き抜いた。
 彼の持つ銃はいわゆる廻転式拳銃というものである。輪胴型の弾倉を開くと手のひらに弾丸が零れ落ちる。山口はその手を構成員たちの前に差し出した。
 弾丸は5つ。
 そして、弾倉の穴は6つ。
 簡単な引き算だ。一発だけ使用済みということである。
 しかし、弾を見るまでもなく螺子目が撃たれたことは周知の事実だった。
 【代理人】のスーツに点々と返り血らしきものが付いていたからである。グレーのスーツの袖に付着した赤いシミは構成員たちの目を釘付けにした。山口はその汚れたスーツを脱ぐと【代理人助手】に手渡した。
「長野、0号室を片してくれ。これがキーだ」
 【代理人】は長野と呼んだ【代理人助手】に螺子目のものと思われるカードキーを手渡した。
「これが……これが答えなんですか」
「はい」
 森岡千夏の言葉を受けて【代理人】が酷く冷たい声質で宣告する。
「ゲームは続行です」


 時刻は午後8時を回ったところ。
 誰が声を掛けたわけでもなく、自然と構成員たちは食堂に戻っていた。
――――――螺子目康之
 どこにでもいそうな平凡な中年男。黒ぶち眼鏡をかけた白髪のサラリーマン。
 構成員たちにとって、わずか2日間ばかり寝食を共にした人間。ただそれだけの関係だ。
 そんな彼が初の告発表明をし、そして退場した。
 螺子目の席にはまだ尻のぬくもりさえ残っていそうなそんな短い時間の出来事だった。
 悲しみに似た感傷もないわけではなかったが、何より一同の関心は森岡千夏に向かっていた。言うまでもなく螺子目から受け取ったメモの内容が気がかりだったのだ。
「千夏くん、まさかそのメモ、独り占めする気じゃないだろうな」
「そうだ、俺たちにも早いとこ見せてくれよ」
「あ……はい」
 平、松本らの呼びかけにも、まだ夢(悪夢?)覚めやらぬといった感じの千夏が、ポケットの中に仕舞っていたメモを取り出した。
 メモには小さな文字がびっしり並んでいる。
 しばらく無言で千夏の眼球だけが往復運動を続けた。
 他の面々も好奇心に負けそうになったが、彼女が読み終えるのをおとなしく待っていた。
 くしゃり。
 すべてを読み終えた千夏は、メモを手の中で握りつぶした。
「うう……そんな……螺子目さんまで……」
 唇を噛み締め、涙が込み上げそうになるのを必死で堪える千夏。乗り越えなければ。もっと強くならなければ! そう自分に言い聞かせる。
「おい、一体何が書いてあるんだ? 早くこっちにも見せてくれよ」
 と、痺れを切らした松本が向かいの席から催促すると、千夏は丸めたメモをそのまま彼の前に滑らせた。松本はくしゃくしゃのメモをテーブルの上で引き伸ばして読み始める。
「松本くん、ついでだから皆にも読んで聞かせてくれ」
 隣席の平一が声をかけてくる。命令口調が少々気になったが、自分だけ先に読むのも気がひけてか松本は素直に年長者の言葉に従った。


 これが読まれているということは、私は既にこの世に存在していないということになる。
 さて、私が運を天に任せ告発をしようと思ったのは、神の審判を仰ぐためだった。
 私は、たった一度だけ他人の死に関与したことがある。その人物を仮にAとしておこう。Aはつい最近まで私の部下だった男だ。
 彼は仕事に不誠実で、まるで覇気のない男だった。こんな不況下でそんな使えない者を養ってやるほど会社は甘くはない。彼は依願退職という形の解雇通告を受け、社を去っていった。
 Aが自殺したのは、その2週間後だった。
 Aが会社を辞めた後、私は一度だけAを見かけたことがあった。
 Aは私がたまたま飛び込んだ居酒屋でべろべろに酔っ払っていた。それはもう人生の落伍者を絵に描いたようなものだった。ぼさぼさの頭に無精ひげ、落ち窪んだ生気のない眼、丸まった背中、薄汚れた皺だらけの服。
 私は彼に声を掛けることなく、ずっと様子を窺っていた。やがて彼は千鳥足で店を出て行き、私はその後を尾けた。
 森林公園の中で彼がふと足を止め、ロープのようなものを拾い上げた。子供が忘れていった跳び縄か何かだろう。Aはしばらくそれを見つめていたが、やがて何かを決意したように森の中へ入っていく。
 そこで私は見たのだ。彼が木の枝にロープを括りつけ首を吊っているのを。途中でやめようと思ったのか指を輪の隙間に差し入れてバタバタもがいていたが、自分の体重でどんどん輪は閉まっていく。
 私は彼の死に往く様を黙って見ていた。そして最期まで見届けてその場を立ち去った。
 何故あの時、助けに行かなかったのか。
 本人の意思で死のうとしているのだ。邪魔する必要がどこにある。
 相反する想いの中で後悔と自責の念の方がどんどん膨らんでいった。
 ザマアミロ。
 Aの死に様を見て私が真っ先に思ったのはこれだ。
 そんな自分が赦せなかった。
 そんな自分を醜いと思った。
 Aを殺したのは私なのだと、自分を責めた。
 だから、私は己の罪を懺悔し、神の審判を受けるのだ。
 ただひとつ、気がかりなのは残された妻と娘だ。
 夫を夫とも思わない、親を親とも思わないどうしようもない家族だが、それでも私にとってはかけがえのない家族なのだ。そう思わせるように仕向けたのは自分なのかもしれないと思うと、むしろ今は彼女たちに謝罪したい気持ちで一杯だ。作り物のテレビドラマより現実の家庭にもっと目を向けるべきだった。
 告発の成功率は1/9。普通に考えればまずもって失敗だろう。仮に成功したとて、手にする賞金は多くても2千万円。これでは家のローンさえ返すことが出来ない。
 ならば、なぜこんなに早い時期に告発をしようとしたのか、と不思議に思うだろう。
 つまるところ、もう逃げるのが嫌になったからなのだ。私は明らかに逃げていた。仕事からも、家庭からも、部下を殺してしまった事実からも。
 死ぬのが怖くないと言えば嘘になる。だが確かに死ぬのは怖いが、生きていくことはもっと怖い。たった2日、死と隣り合わせの時間を過ごしてきて、それを痛烈に感じた。だから後悔はしない。
 私が死ねば保険金がおりる。確か5千万円のはずだ。今のうちなら会社からも退職金が出るだろう。これだけあれば妻も娘も路頭に迷わずにすむ。しかし失踪のままでは保険金はおりない。何とか自分の死を証明し、家族に伝える手立てはないものだろうか。
 こんなことをお願いできるものではないのは重々承知しているが、誰か知恵を貸していただきたい。
 どうしようもない中年男の最後の頼みです。


 松本が読み終わってしばらくの間、沈黙が続いた。
 以前から議論していた問題のひとつであった『構成員の共通項』にまた符合していていたことに誰もが気付いていた。
 退場者は自分の犯した罪(殺 人)を告白した後に退場している。
 しかも、螺子目の書いた告白メモは千夏に渡されていることから、石田サチコ、伊勢崎美結、螺子目康之の3名は、皆、森岡千夏にその重要な秘密を告白していることになる。そしてこの法則に従えば、次の退場者は堀切数馬ということになるのだが、それは本人と千夏(+【犯人】?)以外はまだ知らない事実である。
「ぐぐぐ偶然に決まっとるやん」
 と、どもりながら口火を切ったのは室町祥兵だった。
「罪の告白をすれば退場やて? はん、阿呆らしい。そんなもん、たまたまやんか。考えてもみい、これって【犯人】の手で作為的に出来ることちゃうやろ。だいだいや、そんなことして何になるっちゅうねん」
 やや感情的に語る室町に菅野祐介が補足する。
「まあ、それが出来るとしたら千夏さんが【犯人】の場合のみでしょうね。しかしそれもあまり意味がない。ここは、ある種のジンクスとでも定義づけおくのが無難でしょう。尤も僕はジンクスなんて信じませんが」
「私もだな。なんなら、そのジンクスとやら私が破ってみせよう」
 と、平一が意気込んで言う。
「えっ! 平さんまで人殺しだって言うの?」
 鱒沢遙が怯えた目で向かいの席の平を見る。しかし平は、「まあ、楽しみにしてくれ」と無精ひげを摩ってみせただけだった。
「それにしても千夏ちゃんはオイシイよな」
 と、松本がこれみよがしに大声を上げる。
「何がオイシイんだ、松本くん」
「だってそうだろうが。そのジンクスが続く限りこいつだけは安泰なんだぜ。退場者の聞き役なわけだからな。まさに安全圏。命をかけてでもみんなを助けるとか言ってた奴が一番安全な場所に身を置くとは皮肉なもんだねえ」
「あなたって人は!」
 千夏が挑むように松本を睨む。
 そんな剣呑な空気を堀切数馬が話題を変えて和らげた。
「ところでさ、螺子目のおじさん、誰を告発したんだろうねー」
 そんなの分かるわけがない。簡単に分かれば苦労はしない。
 少年のあまりに浅墓な問いかけに失笑する構成員たち。室町が苦笑まじりに応える。
「今朝の話やと、本命は菅野くんみたいなことゆうてたけど、まあ、強力な根拠があったわけでもなさそうやったしなあ」
 数馬は室町の話に頷きながらも、全く違う自分の意見を述べた。
「螺子目さんが告発したのは千夏お姉ちゃんじゃないのかな」
 あまりに意外な人物のご指名に松本は面食らって少年に噛みつく。
「ボウズ、んなわけねーだろ。あのおっさんはこの中の誰でもない千夏を信頼してこのメモを託したんだぜ」
「だからこそだよ」
 と、涼しげな顔で受ける数馬。そこへ「ねえ、どういうことよ?」と、遙が割り込んでくる。
「だってさ、もし告発が成功していれば、僕ら9人の中の誰かがその場で殺されちゃうわけでしょう。そうなれば、このメモはもう用なし。見てもらう必要ないわけだよね」
「ええ、そうね」
「でも、そのメモは千夏お姉ちゃんの手の中にある。そりゃあ返してくれと言えば返したのかもしれないけど、でも確実じゃないよね……」
「ところが千夏さんを告発したんやったら、即刻彼女は殺されるわけだから、メモは悠々回収することができるっちゅうわけか」
 あとを引き継いだ室町がしたり顔で頷き、松本もこれに同意する。
「ふん、そういうことかい。一応筋は通ってるな。確かにこんな赤裸々な手紙、生きてるうちには見られるのは苦痛かもしれねえやな」
「それじゃ、故人の……と言い切ってしまうのも不本意やけど、螺子目さんがこのメモに書いた希望の件、どうしたもんやろな」
「希望って、この保険金を貰うための死亡証明のことかね? くだらん。敗者にかける情けなしだ。放っておけばいい」
 と、極めてドライな平に室町が食い下がる。
「せやけど、そうもいかんやろ。平さん、明日は我が身なんやで」
「私はそんな女々しいことは言わない。覚悟はもうできてる」
「まるで勝つ気がないみたいやな、あんさん。捨て鉢にでもなったんか?」
「いや、そういうわけではないがね」
 気分を害されたらしく怒ったように横を向いてしまう平。
 今度は千夏が山口に申し出る。
「あの、山口さん。何とかならないでしょうか? 螺子目さん、困ってるみたいですし……何かの形で死亡を証明するものをご家族に送ってあげることは……」
「それは無理です」
 ニベもない。山口代理人はきっぱりと拒絶した。
「螺子目様が【犯人】ではなかったことを前提に、これにお答えするならば……」
 【代理人】はそう前置きして語った。
「螺子目様の死を外部に漏らすことは、このゲーム自体を著しく危険に晒すことにつながります。我々主催者側の人間はゲーム終了後も構成員の犯した罪を責任をもって隠蔽する決まりになっており、そうなっている以上、ここで死亡した構成員の皆様方の死んだという事実は徹底的に隠されなければならないのです」
「ひどい……血も涙もないんですね」
「規則ですので。どうかご理解ください」
 それにしてもどこまでも規則に忠実な男である。一同は【代理人】の明確な拒絶に言葉をなくしてしまう。
 そんな中、菅野が話題を転じてくる。
「それにしても、これでゲームはさらに勢いつきましたね」
「どういうことだ?」
「螺子目さんが本当に【被害者】だったとしたら、【犯人】は相当焦ったことでしょう。告発。こればかりは【犯人】にも妨害できない。いかに尻尾を出さないでいるつもりでも、容疑者はわずか9人に絞られているのだから、ヤマカンでも指名されれば、それでゲームオーバーです。螺子目さんはおそらく初めて【犯人】に冷や汗をかかせた人物ということになる。まあ尤も、そのための代償はあまりにも大きかったようですが……」
「それでどうしてゲームに勢いづくっていうの? そもそも勢いづくってどうなることなの?」
 鱒沢遙の矢継ぎ早の質問攻め。
「皆さん、少し【犯人】の立場にたって考えてみてください。螺子目さんの告発は【犯人】に恐怖を与えると共に火に油を注いだことになったんです。3週間ものんびりはしていられない。こっちがヘマをしないでも、告発をやる奴はやる。ならば、早いところ口封じをしてしまおう。とにかくこのゲームを早く終わらせるんだ。そう思うでしょう。しかし、【犯人】が3週間を待たずして勝利を収める条件はひとつしかない」
「それって……」
 口に出すのもおぞましいとばかりに遙が自分の口を押さえる。
「そう、【被害者】全員を死に至らしめることです
 規則1概要(6)にゲーム終了に関する条件が記載されている。
 ア 【被害者】のいずれか1名が勝利条件を満たした時。
 イ 【犯人】が死亡した時。
 ウ ゲームの期間が終了した時。
 条件アは、【犯人】の死を意味する。イも同様。ウは3週間が終わるときであるから、つまりこの3つ、どれをとっても【犯人】が勝利するためには3週間ゲームを続けなければならないことになる。【犯人】にとって途中下車はありえない。それは規則2勝利条件及び賞金(1)でも裏付けられる。
 しかしながら、実質的にゲームを終わらせることは可能だ。
 それこそが、【被害者】全員が死んでしまった場合、である。
 このケースでは、ゲームは3週間継続するが実態として【犯人】を告発する相手がいなくなっているわけだから、【犯人】にとっては完全な安全圏、実質ゲーム終了ということになる。
 少なくとも規則の表層からはそう読み取れる。
 菅野の言うたった一つの条件とはまさにこのことだった。
 石田サチコが退場した後での会話の中でも彼はこの「大量殺 人説」を推していた。
 そして彼の口ぶりからして、その推論は確信に変わってきているかにみえた。
「全員殺す、これしかない」
 菅野が拳を固めて力説する。
「きっと今、【犯人】の脇の下は汗でびっしょりでしょう。それでも平静を装いこの中に紛れ込んでいるのかもしれない。だとしたら敵は相当の判断力と行動力の持ち主と認めざるをえない」
「もうやめてッ!」
 森岡千夏が席を立ちヒステリックな声を上げた。彼女の意外な剣幕に菅野の顔が一瞬にして強張る。そして他の面々も……。
「人が死んでるのよ! 殺されたのよ! この中に【犯人】がいるのかもしれないのよ! 【代理人】も【代理人助手】も眉一つ動かさず平気で人を殺してしまうのよ! なのに、どうして……どうしてそんなに落ち着いていられるの!」
 誰も答えない。
 構成員の多くは、互いの顔色を窺いながら、巧みに千夏から視線を外そうとする。
「もう、いいです……もう、勝手にしてください」
 千夏は諦観の念を込めてそう言うと、ひとり食堂を出て行った。
「なんだよ、今まで自分も推理合戦に参加してたくせによ」
 松本が不平たらたらそんなことを吐く。
「彼女、ひとりにして大丈夫やろか?」
 室町が心配げに呟くと、松本が落ち着き払って応えた。
「なあに、問題ねえだろう。容疑者のうちの6人はここにいるんだ。今、ここで千夏が退場しようものなら、あいつも含めた残り4人に嫌疑が絞られる。【犯人】はそんなリスクは犯せないはずだぜ」
「それはどうかな。自分のミスでペナルティになって退場ということだってありえる。どんな形で退場したかを確かめられない以上、我々6人も安易に嫌疑の外には出せないぞ」と、これは平の意見。
 そこで、遙が律儀に手を上げて発言する。
「あのォ、あたし、ひとつ考えたんだけど……」
 珍しく自分から話題提起しようとする遙に男たちの視線が集まる。
「いえ、あの……」
 遙は山口の方をちらちら見ながら言いにくそうに口を開く。
「【犯人】が手強いのなら、共犯者から崩していけばいいんじゃないかしら」
「あん?」
「【代理人助手】には声を掛けることができないから無理として、山口さんなら何とかなるんじゃない? 【犯人】が誰か知ってるわけだし、会話の中からついボロを出したりしないかなあって」
「本人を目の前にして言うか、普通」
「だって、こっそり話すことなんてできないでしょ! ずっと監視されてるんだし」
「遙さん、あんた、自棄ンなっとんちゃうか」
「とにかく早く終わらせたいのよ、こんなゲーム。誰でもいい。【犯人】を突き止めて! お願いだから……」
 山口がふっと笑って口を開く。
「私にだけ目標をしぼってくるのは時間の無駄です。私は言わば【犯人】と一心同体なのですから」
「ほう、たいした自信だな、山口くん」と、平。
「自信というのとはやや違います。皆様はこのゲームに参加したのは初めてですが、私はこのゲームを何度となく経験しているのです。しかも【代理人】としてだけではなく、【犯人】や【被害者】の役としてもです。つまり、私には一日の長があるわけです。いかに【犯人】が優秀とはいえ、私から突き崩そうというのは些か無謀かと思います。私がミスをするとしたら、それは他ならぬ【犯人】のミスということになります」
「それだって全部シミュレーションだろう。本当に命のやりとりをしたわけじゃあるまい。戦争ごっこは誰だってやったことはある。がしかし本物の戦争には行ったことがない」
 うまい例えだろ、といわんばかりに平が胸をそらす。
「まあ、いずれにせよ【被害者】は【犯人】の手がかりを見つけるためにあんたを騙してはいかんちゅうことはないんやな」
「はい、そう捉えていただいて結構です。その場合は騙された当方の責任ということになります」
 松本が腕組みをして口を尖らせる。
「責任ってなんだよ? 当方っていうのは、あんたのことじゃなく【犯人】を指して言ってるんだろう。あんたが尻尾を見せたせいで【犯人】が告発されても、あんたが代わりにペナルティを受けるってわけじゃないんだろ。何だか理不尽だよな」
 まったくもって、そのとおりである。
 規則7代理人及び代理人助手(6)【代理人】の責めにより【犯人】が告発されても、【代理人】はその一切の責任を負わない、と明記されている。
「でも、それは当然のことだね」
 そう言ったのは菅野である。
「【代理人】がミスを犯すとすれば、それは【代理人】の責任じゃない。【代理人】の共犯者としてのスタンスは規則7(3)と(4)にはっきりと書かれています。【代理人】は、【犯人】からの指示があった場合、可能な限りその指示に従い、【犯人】勝利のため協力する、【代理人】は、自らの判断で【犯人】に協力することはない、と。分かりますか? 大事なのは〈【犯人】からの指示があった場合〉というところです。要するに【犯人】は自分が【犯人】だと悟られないため、事細かに【代理人】に指示を出さなければならないということなんです。彼らは感情で動いているのではない。【犯人】を庇おうなどという感傷的な気持ちなどまったく持ちあわせていないんです。そこで、山口さん、ズバリお尋ねします。【犯人】は誰ですか?
「バカな! んなもん、素直に答えるわけがねえだろ」
「いや、【犯人】の指示がなければ言ってしまうかも知れないぞ」
 と、意見を交わす松本と平。果たして【代理人】の答えはこうだ。
菅野様、あなたです
「ええっ!」
 遙が恐ろしいものを見るように菅野に目を向ける。しかし菅野はあくまで落ち着き払っていた。
「まあ、待ってください。僕は【犯人】じゃありません。【代理人】が嘘をついているんです。【犯人】からそう言うように指示されたんですよ」
「でも、指示されていなかったとしたら、【代理人】は【犯人】の名前を言ってしまうんやろ」
「室町さん、この質問を山口さんにぶつけたのは他でもない僕自身なんですよ。どうして自分の首を絞めるようなことを自らするというのです?……そうだ。今度は試しにあなたが同じ質問をしてみてください。僕の予想が正しければ違う答えが返ってきますよ」
「はあ……」
 室町は半信半疑の態で山口に向き合う。
「山口さん、教えてえな。【犯人】は誰や?」
 すると、【代理人】はすました顔でこう答えた。
室町様、あなたです
 大きなため息が漏れた。どうやら場の全員が気付いたようである。
 【犯人】が誰かと尋ねられたら、尋ねた人物が【犯人】だと答えろ。
 【犯人】は山口代理人にそう指示していたのだ。
 これは決して山口自身の機転で言ったことではない。
 なにしろ、【代理人】は、自らの判断で【犯人】に協力することはないのだから……。 
「まさにマシーンだな。こいつら」
 どこまでも規則に忠実な【代理人】に震撼すると共に、どこまでも抜け目ない狡猾な【犯人】に対して畏怖の念を禁じえない【被害者】たち。
 もし自分が【犯人】役だったら、果たしてそこまで気が回っていただろうか? あるいはとうの昔に破綻していたかも知れない。そんな思いが【被害者】たちの脳裏をよぎる。
「【代理人】に罪はない。悪いのは指示を怠る【犯人】です」
 そんな菅野の台詞は、そのままゲームの標語にでも使えそうだ。
 松本が不機嫌に立ち上がって、山口の座っている上座に詰め寄る。
「だいたいが、あんたら胡散臭いんだよなあ。いくら規則に忠実たってよ、そこまでクールに決められると何つうか逆に信用がおけねえンだよな。ホントに勝ったら金くれんのか? ちゃんと真っ当な世界に還してくれんのかよ!」
 山口は涼しい目を松本に向けるだけで微動だにしない。同じことを何度も答えるつもりはないらしい。
 そこへ菅野がメモをとりながら嘴を挟む。
「その議論なら前にもしたはずだ。僕たちは目隠しをされてここまで連れてこられた。殺す気になればいつでもできるのにそれを実行しない」
「けどよお」
 と、承服しかねる松本に菅野が新事実を突きつける。
「しかも、生存者が後で裏切っても安全でいられるよう、ここに姿を曝している【代理人】たちも偽名を使っている」
「おい、ちょっと待てよ、何で偽名だって言い切れるんだ?」
「いや、これはあくまで推測の域を出ないけどね。しかし、【代理人】と【代理人助手】の名前を並べてみればいかにも偽名っぽいじゃないか」
「そりゃおかしいぜ、大先生。【代理人】が山口維知雄ってのは聞いたけどよ、【代理人助手】は自己紹介なんかしてないんだぜ。っていうか一度も俺たちの前で口を開いてないだろ」
 菅野はメモを取る手を止めて、憐れむように教示する。
「呆れたな。本当に注意力散漫だね、君は。すでに【代理人助手】の数名が【代理人】に名前を呼ばれているじゃないか」
「え、そうだっけ?」
 菅野の言うように、山口代理人は【代理人助手】を名指しで呼んでいる。ただし全て苗字だけであるが。(第3章、第11章、第17章参照)
「そう言えば、さっき螺子目さんの部屋を片付けるように命じられた人が長野って名前だったわね」
 と、遙が思い出すと、菅野が頷いて先を続ける。
「一昨日の夜、説明会に参加していた【代理人助手】が石川。そして昨夜、ここで僕に拳銃を突きつけてきた【代理人助手】が千葉。どうかな、いくら君の足りない脳味噌でももう察しがついたんじゃないか」
「あ……」
 短絡思考の松本のこと、本来ならば顔を真っ赤に染めて怒るところなのだろうが、それよりも偽名の規則性の衝撃に開いた口が塞がらないでいる。
「そうか、県名や!」
 室町が得心したように大きく頷いた。
 山口、石川、千葉、長野。
 いずれもごくありふれた苗字ではあるが、彼らの名前には〈県名〉という共通項があったのだ。
「確かに偶然にしては出来すぎだな」と、平。
「なるほどねえ、上手いこと考えたもんやな」と、室町。
「じゃあ、他にも福島さんとか長崎さんって人がいるわけね」と、遙。
「おそらく、そうなんでしょうね」と、菅野が締めくくる。
 またしても菅野にしてやられた松本が、遅まきながら怒りをあらわにする。
「ちっ、大先生、あまりいい気になるなよな。謎解きに熱心なのは結構だが、このゲーム、要は殺されないってことが一番大事なんだぜ。つまるところ、頼れるのはここじゃなくて……」
 と、自分のこめかみを指し示し、今度は筋肉隆々の二の腕を叩いてみせる。
「こっちの方だってことよ」


 午後9時。
 構成員たちは、皆それぞれの夜を過ごしていた。


 2号室。
 森岡千夏は自室の机に向っていた。
 静寂の中、冷蔵庫の微かなモーター音だけが聞こえる。
(私たちはみんな一本の線で繋がっているの)
 千夏は言葉に出さず、心で返す。
―――私たちが繋がっている?
(そうよ。そろそろ思い出した頃じゃない?)
 懐かしい声、どうして忘れていたのだろう……。
―――あなたは!
(ふふ、またね、千夏ちゃん。また会いましょうね)
 心の内に語りかける声が途絶えると、彼女は無意識のうちに胸のペンダントを握りしめていた。


 娯楽室。
 松本浩太郎はひとりで玉を撞いている。
 その手に握られたキューは螺子目康之が残していったものである。
 カコン。
 広い部屋に渇いた音がひとつ鳴り、コーナーポケットに玉が落ちる。
 窓の外は漆黒の世界。
 闇を見つめる勇気。
 闇と対峙する決意。
 しかし……
 すべてを呑み込んでしまいそうな巨大な闇が圧倒的な力で迫っていた。


 4号室。
 鱒沢遙はその目に狂気の光を宿していた。
 空っぽのバスタブでうっすらと笑みを浮かべる。
 コックを捻るとシャワーから冷たい水が降り注ぐ。
 彼女は服をつけたままであるにも拘わらず濡れるに任せている。
 シャワーから湧き出る水は、さながら蜘蛛の糸のよう。
 掴めど掴めど指の間をすり抜けていく。
 所詮、幻想。
 所詮、妄想。


 厨房。
 室町祥兵は食堂で夜食を作っていた。
 彼は、子供の頭ほどもあるレタスを前に包丁を構え、真っ二つに切断する。
 続いてトマト、ハム、食パン。
 全ての食材をパンの間に挟みこみ対角線上に切る。
 なかなかの手際である。
―――――― もっとよく切れる包丁はないかな。
 収納を開けてみると、一番手前に大ぶりの肉切り包丁があった。
 彼はそれに持ち替えるとニヤリと笑い、別の食材を切り刻み始める。


 5号室。
 平一はカンバスを前に苦悩していた。
―――違う、こうじゃない!
 描きかけの絵を床に叩きつける。
 そして踏みつける。
 幾度も幾度も、原形をとどめなくなるまで。
 混濁した感情が暴走する。
 意味不明な奇声を発しながら猿のように部屋中を荒らしまわる。
 やがて、肩で荒い息をつきながらベッドに腰をおろす。
「落ち着け……落ち着くんだ、一」
 彼は無意識のうちにサイドボードに置いたブランデーのボトルに手をかけた。
 キャップを開け、グラスに注ぎ……。
「畜生ッ!」
 壁に当たって砕けたグラスの破片が照明に反射してきらきら輝いていた。


 図書室。
 菅野祐介は原書版「そして誰もいなくなった」を読んでいる。
 一応、英語はできるらしい。
 が、ページを捲る手は止まったままだ。
 彼は本より遠く向こうに焦点を結び、ぼんやりと考えていた。
 僕は生きたいのか?
 僕は死にたいのか?
 僕は勝ちたいのか?
 僕は逃げたいのか?
 僕はどうしたいんだ?
 僕は……僕は……?
 彼は間違いなくゲームを楽しんでいる。
 ひりひりするような生命の躍動を肌で感じている。
 それまでの生ぬるく嘘臭い現実生活なんかよりずっと刺激的だった。
 狂おしいまでに溺れていく自分。
 そして、思う。
 この昏い狂気の海の底には何が眠っているのだろう、と……。


 1号室。
 堀切数馬はベッドで軽い寝息を立てていた。
 涙で睫毛が濡れ、頬までも濡らしている。
 少年はどんな夢を見ているのか。
 仮初めの安息。
 束の間の休息。
 彼が永遠の眠りを手に入れるまで残された時間はあと僅か。


 それぞれの思惑が交錯する中、夜は更けていく。
 やがて午後10時の時報。セーフティタイム突入。
 【犯人】にとっては【代理人】と作戦会議のできる貴重な時間である。
 閉ざされた10人のゲストルーム。
 そのうち、ただ一つの扉が開かれる……。


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