これが読まれているということは、私は既にこの世に存在していないということになる。 さて、私が運を天に任せ告発をしようと思ったのは、神の審判を仰ぐためだった。 私は、たった一度だけ他人の死に関与したことがある。その人物を仮にAとしておこう。Aはつい最近まで私の部下だった男だ。 彼は仕事に不誠実で、まるで覇気のない男だった。こんな不況下でそんな使えない者を養ってやるほど会社は甘くはない。彼は依願退職という形の解雇通告を受け、社を去っていった。 Aが自殺したのは、その2週間後だった。 Aが会社を辞めた後、私は一度だけAを見かけたことがあった。 Aは私がたまたま飛び込んだ居酒屋でべろべろに酔っ払っていた。それはもう人生の落伍者を絵に描いたようなものだった。ぼさぼさの頭に無精ひげ、落ち窪んだ生気のない眼、丸まった背中、薄汚れた皺だらけの服。 私は彼に声を掛けることなく、ずっと様子を窺っていた。やがて彼は千鳥足で店を出て行き、私はその後を尾けた。 森林公園の中で彼がふと足を止め、ロープのようなものを拾い上げた。子供が忘れていった跳び縄か何かだろう。Aはしばらくそれを見つめていたが、やがて何かを決意したように森の中へ入っていく。 そこで私は見たのだ。彼が木の枝にロープを括りつけ首を吊っているのを。途中でやめようと思ったのか指を輪の隙間に差し入れてバタバタもがいていたが、自分の体重でどんどん輪は閉まっていく。 私は彼の死に往く様を黙って見ていた。そして最期まで見届けてその場を立ち去った。 何故あの時、助けに行かなかったのか。 本人の意思で死のうとしているのだ。邪魔する必要がどこにある。 相反する想いの中で後悔と自責の念の方がどんどん膨らんでいった。 ザマアミロ。 Aの死に様を見て私が真っ先に思ったのはこれだ。 そんな自分が赦せなかった。 そんな自分を醜いと思った。 Aを殺したのは私なのだと、自分を責めた。 だから、私は己の罪を懺悔し、神の審判を受けるのだ。 ただひとつ、気がかりなのは残された妻と娘だ。 夫を夫とも思わない、親を親とも思わないどうしようもない家族だが、それでも私にとってはかけがえのない家族なのだ。そう思わせるように仕向けたのは自分なのかもしれないと思うと、むしろ今は彼女たちに謝罪したい気持ちで一杯だ。作り物のテレビドラマより現実の家庭にもっと目を向けるべきだった。 告発の成功率は1/9。普通に考えればまずもって失敗だろう。仮に成功したとて、手にする賞金は多くても2千万円。これでは家のローンさえ返すことが出来ない。 ならば、なぜこんなに早い時期に告発をしようとしたのか、と不思議に思うだろう。 つまるところ、もう逃げるのが嫌になったからなのだ。私は明らかに逃げていた。仕事からも、家庭からも、部下を殺してしまった事実からも。 死ぬのが怖くないと言えば嘘になる。だが確かに死ぬのは怖いが、生きていくことはもっと怖い。たった2日、死と隣り合わせの時間を過ごしてきて、それを痛烈に感じた。だから後悔はしない。 私が死ねば保険金がおりる。確か5千万円のはずだ。今のうちなら会社からも退職金が出るだろう。これだけあれば妻も娘も路頭に迷わずにすむ。しかし失踪のままでは保険金はおりない。何とか自分の死を証明し、家族に伝える手立てはないものだろうか。 こんなことをお願いできるものではないのは重々承知しているが、誰か知恵を貸していただきたい。 どうしようもない中年男の最後の頼みです。 |
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