第18章


第18章  ウルトラC

 ゲーム3日目
 午前7時には早くも7名の構成員全員が食堂に集合し、ほとんど会話もないまま朝食を終えていた。
 そして、それぞれが館のあちこちに散らばっていった。
 まさに、生け簀の魚たち。
 逃れられぬ水槽の中で、次の生贄は誰なのかと戦々恐々しつつ、互いの顔色を窺っている。
 ただひとつ決定的に違うのは、自分たちの運命のカギを握る者は水槽の外ではなく、『中』にいるということである。


―――午前10時、中庭
 森岡千夏は庭にひとり出ていた。
 そこで、カンバスに向かい木炭を走らせている平一の後姿をみとめる。彼は昨日とまったく同じ場所で黙々と絵を描いていた。
「平さん」
 千夏が呼びかけると、平は手をとめてゆっくりと振り返った。
「あ、髭剃ったんですね」
「ああ、まあね」
 平は一旦炭を置き、つるつるの顎を撫ぜながらぶっきらぼうに応えた。
「君、ひとりかい?」
「はい」
「そうか……」
 平は昨日松本に対して言ったような軽口は語らず、再び炭をとった。
「そう言えば昨日も何か描いてましたよね? 壁に向かって何を描いてるのかと不思議に思ってたんですけど……」
 千夏が回り込んで覗き込むと、そこには椅子に座っている女性の姿があった。昨日描いていた意味不明の絵は破り捨て、新たに描きはじめたものであるが、もうすでにデッサンは仕上がりつつある。
「お上手なんですね。平さんにこんな趣味があったなんてちょっと意外でした」
 千夏の言葉に一瞬目を丸くした平は、やがてくつくつと笑い出す。
「一応、これでもプロだからね」
「え……そうだったですか……すいません、私すごく失礼なこと……」
「構わんさ。実際のところ、ここ数年私は絵を描いていなかった。ストックしていた作品も全く売れない。そんな状態ではプロとは言えんだろう」
「私は好きですよ、この絵。でもまだ途中みたいですけど……」
 昨日とは一転して、極めて写実的な絵である。しかし、顔だけがナイフで削り取ったかのようなのっぺらぼうで、奇妙な違和感を覚える。
「思い出せないんだ、顔が……どうしてもね……」
「このモデルって平さんの知り合いの方なんですか?」
 しかし、平はその問いには答えず、再び描く手を動かし始めた。
 そして唐突に言った。
「本当に私たちの中に【犯人】がいるのだろうか?」
 いきなりゲームの話題をふられた千夏は硬い金属を飲み込んだように固まってしまった。
「あの、それって……」
 平は手を休めず、彼女に背を向けたまま語りだす。
「言葉どおりの意味さ。そう、こんな話がある。エレベーターに乗り込んだふたりの男女。ふたりはエレベーターの故障で箱の中に閉じ込められてしまう。非常ボタンを押すも応答はない。ふたりはひどく不安にかられていった。実はこのふたり、人から恨みを買うような人物で、何人かの人間からお前を殺してやると罵られたことがある。そこでお互いに思うわけだ。こいつは自分を殺すためにやってきた殺し屋じゃないのかってね。バカらしいと思うだろ。しかし密室は人間を狂わせる。常識や倫理観なんていとも簡単に消し飛んでしまう」
「で、どうなったんですか、そのふたり?」
「『殺らなきゃ殺られる』、そう脅迫観念に捕らわれたふたりは、互いを疑いはじめる。そしてもみ合いになる。やがて電源が復旧しエレベーターが開く。そこには血まみれのカッターナイフを手にし呆然と立ちすくむ女と、床一面、血の海に横たわる男の姿があった」
 千夏がため息とともに感想を漏らした。
「閉鎖的な空間がふたりを疑心暗鬼にさせたということですか。本当に恐れるべきは視覚的な闇ではなく、自分の心の中の闇……不運な最期ですね」
「不運? 違うな。これにはちゃんとしたオチがついている」
「オチ……ですか?」
「このエレベーターが止まったビルのメンテナンス係が殺された男を恨んでいたんだ。そして、このビルにテナントを借りているある会社の営業マンもまた今一方の殺した女を憎んでいた。なにかのきっかけで知り合ったふたりが共謀して行った確率の殺 人さ。ターゲットの性格を知り尽くしたうえで行った極めて高い確率のね。ま、尤も、真相を世間に知られたとて立件するのはまずもって無理だろうが……」
「私たちがそのエレベーターに閉じ込められた男女と同じだと?」
「そうとはいってない。たしかにこの10人の中に殺 人者はいるだろうさ。しかし、疑心暗鬼になりすぎ、ただ闇雲に全員を疑うのは得策とはいえないということだよ」
 平は描く手を止めない。しかし、顔にはまだ一切、手をつけていなかった。
「なんだか変わりましたね、平さん」
「ふん、悟りを開いたとでも言いたいのかい? たった3日前に知り合ったばかりで君に私の何が解るというのだ」
「それは……」
「私はね、千夏くん、人を殺しているんだよ」
 千夏の全身に衝撃が走った。
 何も言葉が出なかった。
―――また!
 聞きたくない。千夏は耳を覆ってしまいたい衝動に駆られた。しかし平は実に涼しげに問いかける。
「なにをそんなに驚いている? もう聞きなれた台詞だろ。しかも先に予告をうっているんだ。そんなに慌てなくてもいいだろうに」
「予告……?」
「忘れたのか、昨日宣言したはずだ。私はジンクスを破ってみせると……」
「平さん……」
 平は額に汗を浮かべながら、ただひたすらに絵に取り組みつづける。彼は千夏に背を向けたまま、罪の告白をとうとうと語りだした。
「こうみえても私にだって栄光の時代はあった。そう、だいぶ昔、ちょうど君くらいの年の頃だ。彗星の如く現れた天才画家なんて言われたりしてね。まわりからは随分とチヤホヤされたものだよ。若くして富も名誉もすべて手中に収めた私は少々……いや、相当天狗になっていた。そんな折、私の前に運命の人が現れた。とても美しく素敵な女性だ。私たちはすぐ恋におちた。私の愛は紛れもなく本物だった。しかし、彼女のそれは歪んでいた。彼女は私を好きになったのではなく、私の財産を好きになったのだ。そのことに気付くまでそう時間はかからなかったよ。彼女の浪費癖は尋常じゃない。洋服やアクセサリー、欲しいと思ったものは必ず手に入れた……すべて私の金でね。彼女は金くい虫だ、別れたほうがあなたのためだとまわりはしきりと勧めていた。しかし恋は盲目とはよく言ったものだよ。私は彼女を信じた。いや、信じたかった。金ならいくらでもある。好きなだけ遣うがいい。しかし彼女だけは失いたくなかった。そう、彼女だけは……」
 千夏は不安になってきた。いやな予感がしていた。今すぐにでもこの場を逃げ出したい衝動が彼女の背中を押していた。
「平さん、もうやめてください……」
 消え入りそうな声で哀願する千夏。その一方で、ゆっくりと首を横にふる平。
 堪りかねた千夏が踵を返すと、思いがけない力で腕を引っ張られる。
 平がその手首を掴んで離さない。
「平さん、痛い……」
 慌てて手を離す平は今まで見せたことがない悲しげな目をしていた。
「すまない。もう少し付き合ってくれないか」
 千夏は観念し、平に向き直った。
「ありがとう……」
 平は再び語りだした。
「やがて、私の絵は飽きられた。いや、もともと才能がなかったのかもしれない。人間、堕ちるときは実に惨めなものだよ。蜘蛛の子を散らすようにみな私の前から去っていった。そして、彼女も……。新しい男ができたらしい。どこぞの会社の御曹司だという。まったく、私に負けず劣らず醜い女だ。最低の女だ。でも愛していた。どうしようもなく……彼女だけはどうしても私のそばにつなぎとめておきたかった。そうでもしなければ、私はおかしくなっていただろう。いや、違うな。既に狂っていたのかもしれない。しかし、それは私のエゴだ。だから私は彼女を解放してやろうと思った。ただし彼女の愛が本物だったのならばだ。
私は彼女に、アトリエに来るよう電話をかけた。実は私にはまだ手放していない絵が一枚だけある。私の全盛期の頃に描いたものだ。きっと高値がつくだろう。モデルは君だ。だからこれだけは売らないでおいたのだ。最後の頼みだ。どうかこの絵を貰って欲しい、そう懇願してね。私は電話を切るとアトリエに向かった。床に溶剤を撒き、そのまわりに紙を敷いた。そして、簡単な時限発火装置を拵えておいた。最後には彼女が愛用していたメンソールのタバコを置いて……
細工は完璧だ。証拠は残らない。もし彼女が約束の時間にやってきたら、発火装置が働いてアトリエは燃える。彼女は来ないかもしれない。来るにしても時間どおりじゃないかもしれない。時間どおり来ても、うまく逃げおおせ難を逃れるかもしれない。これが周到な殺 人計画だとしたら破綻だらけだ。逆にいえば、もし彼女が焼け死んでも事故で片付けられる可能性が高い……そして……」
 ひどく蒸し暑い日差しが照りつける。喉がからからに渇いていた。
「やってきたんですね、彼女は……」
「ああ、悪魔が私に微笑んだよ。まるで外灯に群がる蛾のようにアトリエへ吸い寄せられる彼女を私は木の陰から黙って見つめていた。やがて、予定通り燃えたアトリエから火だるまの彼女が出てきた。人間が燃える様を目の当たりにした私はそこで漸く正気を取り戻した。助けなければ! 私は無我夢中でバケツに水に汲み彼女にかけた。だが遅かった。彼女は既に燃え尽きていた……」
 大きくため息をついた平はなぜか清々しいとさえいえる表情を呈していた。
 一方の千夏は震えながら平の絵に目をやる。
「もしかして、この絵……」
「そう、これが彼女だよ。この絵こそが、私が『確率の殺 人』で殺めた女だ。しかし肝心の顔が思い出せないんだ。死んだ時の彼女の焼け爛れた顔があまりにも鮮烈過ぎてね、脳裏に焼きついて離れないんだよ。正直醜いとさえ思った。この世のものじゃないとね。とにかく、その印象が強すぎて生前の顔がどうしても思い出せない。ときどき夢にも出るんだ。あつい抱擁の後、お互い向き合わせるとあの爛れた顔がすぐ目の前に……堪らんね。あの顔こそが彼女の本当の顔なのかもしれない。心を映すホントウの顔……どうしてあんな醜い女に、私は……私は……」
 炭を手にした平が眼前の絵を闇雲に塗りつぶす。
 のっぺらぼうの顔を塗りつぶす。
 息荒く塗りつぶす。
 子供の落書きのように塗りつぶす。
 狂ったように塗りつぶす。
 どこまでも影のように追ってくる悪夢を払拭するかのように塗りつぶす。
 やがて、遊び疲れた子供のように虚脱感に襲われた平が自嘲気味に嗤う。
「それからは意味も価値もない、ただ惰性だけの人生だ。地位も名誉も財産も愛する女性さえも失い、あとは酒に溺れ、転落の一途を辿っていった。ここに来て分かったんだ。原因はすべて己の慢心に起因するとね。千夏くん、芸術家は孤独なんだ。でもそれに負けてはいけない。常にストイックじゃなきゃいけない。欲を捨て、自らを窮地に追い込み、戦わなくてはならないんだ。私がこのゲームに参加したのはね、金なんかが目的じゃない。人生をやり直す。なんの見返りもいらない。他人の評価などどうでもいい。自分が自分を評価できれば、もう死んでもいいとさえ思っている。神様がいるとしたら粋な計らいをしてくれたものだ。私はこのゲームを通して生きた証しをたてられそうな気がする……」
「なんてことを!」
 千夏は平の肩を揺さぶった。
「何を言ってるんですか、平さん! ジンクス破るって言ったじゃないですか! 死ぬなんて、そんなこと言わないでください!」
 千夏の手をそっと解いた平が彼女に耳打ちする。
「私は負けないよ。ああ、勝つとも。みすみす【犯人】にやられたりはしない。私はこのゲームに必ず勝利する。君もライバルだ。しかしね……」
「……?」
「いいか、千夏くん。よく聞くんだ。甘い考えは捨てなさい。いい加減、生きてここを出ようなどと思わぬことだ。ゲームに勝とうが負けようが我々は誰一人として、ここから出れる道理がない。ここは処刑場なのだから……」
 平は画材をひくためのナイフを手にとった。陽光に照らされ鈍い光りを放ち、千夏はその眩しさに目を背けた。
「私ははじめから死など恐れてはいない。この絵さえ完成すればそれでいい、満足だ。私がこのゲームに勝利した時、きっと最高の作品が完成していることだろう」
 そう言って平は立ち上がる。そして千夏の肩を軽く叩き、裏庭に向かって歩きだした。
 顔をぐちゃぐちゃに掻き消された一枚の女性の絵を残して……


―――午前11時、厨房
 室町祥兵は昼食の準備に取りかかっていた。
 彼のつくる料理は決して不味くはないのだが、状況が状況だけにほとんどの者が今朝の食事を残していた。皿まで嘗めるように平らげてくれたのは堀切数馬ただひとりである。
「ったく、俺にばっか飯当番させといて、残すとは何事やねん」
 そんな愚痴を零しながらも、ぐつぐつ煮立った鍋に手際よく食材を放り込んでいく。文句をいいながらも料理は嫌いではないらしい。
「それは申し訳ないことをしました。室町さん、何か手伝いましょうか」
「う、うわっ!」
 ふいに背後から声をかけられた室町が驚いて振り向くと、そこには菅野祐介が飄然と構えている。
「なんや、菅野くんかい」
「おや、昼は素麺ですか」
 キッチンの上のザルに盛られた白い細麺を見て菅野が尋ねる。
「まあね。ほら、みんな食欲なさそうやったから、こういうモンの方がええかな思ってな。それに夏の暑い日はソーメンって、これ定番やろ」
「ずいぶんと気遣ってくれてるんですね」
「別にそうでもないで。これ、つくるの簡単やしな。ま、要するに手抜きや」
 妙に和んだ空気の中、室町は思い出したようにまな板の包丁を掴むと、その切っ先を菅野に突きつけた。
「君、ひとりか? 油断させて俺を始末しようったってそうは問屋が卸さへんで」
 すると、そばにいた暑苦しい男、【代理人助手】(おそらく千葉という男)が室町にズイと歩み寄る。そのサングラスの下に鋭い眼光を微かに覗かせている。たまらず室町、もろ手をあげて、薄ら笑いを浮かべた。
「じょ、冗談やがな……あ、これ、菅野くんに言ってんねんで」
 彼がもし【被害者】で、【代理人助手】に向かって言ったのだとしたら即ペナルティである。これはそれを意図しての台詞であろう。
 菅野は小憎らしいほどに微塵の動揺もみせず、食堂に通じるドアを指し示した。
「心配には及びません。たとえ僕が【犯人】だったとしても今は手出ししませんよ。なにしろ、隣りに煩いのが若干1名いますから」
「ああ、松本くんか……なるほどね、了解や」
 室町は素直に(少なくとも表向きは)敵意を引っ込めると、ストレートな質問を菅野にぶつけてきた。
「なあ、あんた、正味のところ【犯人】、誰やと思う?」
「さあ……」
「じゃあ、確実に【被害者】と思てる人はおるんか?」
「それもまだ……」
 何も答えようとしない菅野に対し、室町は白けたように鼻を鳴らした。
「嘘をつくなや」
「え?」
「あんたの説からすれば、螺子目さんは除外のハズやで」
「…………」
「昨日、自分言うてたやんか。告発は【犯人】にとって防御不能の攻撃だって。それを増長するようなことを【犯人】自らが演じてみせるか? しないやろ、普通」
 室町の言うことには一理ある。しかし、菅野はまた別の考えを提示した。
「しかし、全く逆の考え方もありますよ。告発に失敗した姿を見せることで、安易な告発を牽制し、二の足を踏ませるというね」
 彼の言葉の二面性はここでも健在だった。
 室町は呆れたように腰に手を当て、菅野を批難した。
「あんたなあ、なんであの場でそれを言わなかったんや」
「訊かれなかったからですよ。あなたが昨日それを指摘していれば僕だって反論はしました。むしろなぜあの場で言わなかったのか、逆に尋ねたいくらいです」
「ヤなこと言うなあ、君も。そんなもん、今、気付いたからに決まっとるやんか。俺は君みたく賢くはないんや。しかもなんや、とってつけたような屁理屈にも聞こえるで、それ」
「では訊きますが、あなたは僕が【犯人】ではないと断言できますか?」
「な、なんや、いきなり」
 思わぬ方向に話をふられて、どぎまぎする室町。
「俺を煙に巻こうとしてるんか?」
「そうではありませんよ。いいですか、室町さん。【犯人】にとって最も恐れるべき行為が告発だと解釈するならば、それを皆さんに煽った僕は【犯人】の真理と逆行しているということです」
 室町はさらに何か言い返そうとするが、何も思い浮かばないらしく、
「ああ言えばこう言う……たく、君もホンマ論客やな。みんなに情報を提供するええヤツなんかなあとも思うとったけど、実はちゃうねん。掻き回してるだけや。君はただ皆を掻き乱してるだけやんか」
 また何か言ってくるかと思いきや、菅野はそのまま口を噤んでしまう。短い沈黙の後、室町はハッと思い立ち、鍋のガスを止める。
 鍋の中には、憐れ、のびきった素麺が……
「あーもう、しょうもない話してるうちにソーメン煮過ぎてしもたやないか」
 鍋の中身を流しに捨てる室町を眺めながらふと菅野が漏らす。
「室町さん、やけに明るいんですね」
 シンクから立ち上る湯気にふうふう言いながら、室町が苛立たしげに応える。
「こんなモン、テンションあげな、やってられへんわ。ああ、やっぱやめとくんやったで、こんなゲーム。だいたいやな俺はそもそも……」
 と、また愚痴を零しはじめる室町に、付き合ってはいられないとばかりに菅野が辞意を述べた。
「どうも僕はおじゃまのようですね。昼食楽しみにしています」
 と、言い残しドアの向こうに消える。
 それでも室町は口を尖らせて、もういない相手に不平を漏らす。
「なんや、あいつ。手伝いに来たんちゃうんかい」


―――午後7時、食堂
 ゲーム開始から既に67時間が経過していた。
 否、まだ67時間と表現した方が適当なのか……
 テーブルには7名の構成員が揃い踏みし、緩慢な動作で食事を口に運んでいた。
 むろん、そこには山口代理人も同席している。
「今日はまだ死人が出てないようだな」
 松本浩太郎が重い空気を払拭するかのように威勢良く言い放つ。
「厳密に言えば死人じゃない。退場者だ」
 と、指摘したのは隣席に座る平一だ。
「厭なこと言わないでッ!」
 鱒沢遙がキッと松本を睨みつける。その目には涙が膨れ上がっていた。
「うるせーな、ホントのことだろ。それに、今日は絶対に誰かが死ぬハズなんだ」
「絶対って、なんでそう言いきれるんや?」と、室町が尋ねる。
「あん? 気付かねえのかよ、あんた。ここまでの退場者がすべて【被害者】だったと仮定するとよ、一日ひとりの人間が殺されてるってことになるんだぜ。いいか、まず初日、8月1日が石田のばあさん、次に8月2日が小ブタこと伊勢崎美結、まあ、螺子目のおっさんは自爆だからこれは除外だけどな」
「自爆……って、ちょっと不謹慎じゃないですか!」
 その言葉に過敏な反応をみせた森岡千夏が激昂し、向かいの席の筋肉男を糾弾する。
 松本は非難されるのにいい加減馴れてきたのか余裕たっぷりに肩を竦めてみせた。
「やれやれだ。アンタも徹底的に優等生しちゃってるよなあ」
 と、松本は千夏の襟首をぐいと掴み顔を近づけて凄んでみせた。
「いいか、嬢ちゃんよ。この期に及んで不謹慎もへったくれもねえんだよ。もとからこのゲーム自体が不謹慎の塊みたいなモンじゃねーか!」
 堀切数馬が吃驚して食事の手をとめるも、何も語らず我関せずとばかりに再び食事に専念する。
 カチャカチャと食器がこすれ合う音だけが、しばし食堂に響く。
 そんな中、平が口を開いた。
「まったく次から次へと……法則探しが好きだな、松本くんは」
 平の皮肉を額面どおり受け取った松本が自慢げに鼻をこする。
「まあな」
 そんなゴキゲンの松本に菅野祐介がれいによってれいの如く、横槍を入れる。
「そんなものは【犯人】にとって全く意味のないことだね。なんなら試しに今日の残りあと3時間、今から10時まで全員一緒にいようじゃないか。君の言うように【犯人】が毎日ひとりずつ舞台から引きづり下ろそうとしているのなら、是が非でもアクションを起こすはずだ」
「いや、そこまでは……だいたいよ、それってズルくないか」
「れっきとした作戦だよ。第一、まだゲーム3日目、2人が2日続けて退場したという事実だけで、なんの利点もない一日一殺説を論じるなど愚の骨頂」
「……そこまで言うことたあねえだろ。お、俺だって別にマジで言ってるワケじゃねえよ」
 松本が急に弱腰になる。
「でも、折角だから10時まで一緒にいましょうよ。試してみましょうよ」
 そう申し出たのは鱒沢遙である。その鬼気迫る口調は、まるで本当に今日中に生贄が出るに違いないという強迫観念の虜になっているかのようだ。
 結局、それに異を唱えるものは誰ひとりとしていなかったのだが……


―――午後9時55分、娯楽室
 7名全員が同じ場所で同じ時を過ごしていた。
 時計の針は恐ろしく遅く文字盤を周回し、僅か3時間足らずが1日にも2日にも感じられた。
 午後10時、セーフティータイムを直前に控え、言葉少なく自室に向かう構成員たち。
 まず菅野が、続いて松本が、その後を追いすがるように室町、遙が娯楽室を出て行った。
 そして、数馬が立ち上がる。
「千夏お姉ちゃん、もう部屋に戻らないと……」
「ええ……そうね……」
 憔悴しきった千夏がよろよろと立ち上がり、そして最後に残った平を見やる。
「平さんも一緒に行きましょう」
 平は娯楽室の片隅でずっと絵を描いていた。誰にも覗かれないように壁を背にして筆を走らせていた。
「そうか、もうこんな時間か……」
 平が大布をカンバスに被せ、椅子から立つ。
「平さん、数馬くんも気をしっかりもって。決して諦めちゃ駄目ですよ」
 そう言う千夏が最も疲れているようにみえる。
 そんな彼女に数馬が不思議そうに首を傾げた。
「千夏お姉ちゃんってさあ、本当に優しいよね。皆のことわけ隔てなく心配してくれてさ。でも、この中に絶対ひとりだけ【犯人】がいるんだよ。ねえ、千夏お姉ちゃんは誰が【犯人】だと思っているの?」
「…………」
 千夏はなんと応えたらいいものか瞬間返答に窮してしまった。
 そうなのだ。このふたりのどちらかが【犯人】である可能性だって充分にあるのだ。
―――私は…………
 ふいに、キンと頭が痛くなる。
 痛む頭を押さえながら、平、数馬とともに2階へ上がる。
 室町、遙がそれぞれ辺りを窺いながら慎重にカードキーを差し込もうとしていた。菅野と松本の姿はない。既に部屋に入ったらしい。
 時刻は、午後10時2分前。
 今まさにカードキーを挿入せんとする平が千夏に声を掛けた。
「千夏くん、昼間も言ったはずだ。生きて還ろうなど幻想だ。だが、私はみすみす【犯人】に殺されたりはしない。このゲーム、絶対に勝ってみせるよ。よしんば負けたとしても無駄死にだけはしない」
「平さん……あの……私……」
「それでも私にお節介を焼きたいのなら娯楽室に来たまえ。12時になったら私はそこへ行く。絵の続きを早く描きたいのでね。それに誰でも出入りできるあそこなら、この部屋よりずっと安全だ」
 そう言い残し、平がドアの向こうに消えた。
 既に千夏を除く全員が2階廊下から消えている。
 午後10時の時報まで、あと1分を切っていた。


―――午後10時13分、5号室
 平一は震えていた。
 それは恐怖の震えか、それとも武者震いか……
 彼の脳裏に浮かぶひとりの女性。
 消しゴムで消し去ったかのように、その顔だけが真っ白だった。
 彼のイメージは過去をどんどん遡る。
 そう、20年前にまで―――

 彼のアトリエをバックに
 燃え盛る炎の中で
 愛する女性が踊る
 文字どおりその身を焦がしながら
 狂ったように踊りつづけるファイヤーダンス
 死の舞
 彼は恍惚とした表情でその姿をただただ見守っていた
 美しい……
 彼は我知らず股間を滾らせていた
 そして、落涙―――


 ゲーム4日目
―――午前0時10分
 それは突然の出来事だった。
 構成員たちは、その場を動かなかった。
 否、動けなかったのだ。
 なにしろ、館のすべての電源がおちてしまったのだから!
 つまり停電、である。
 夏とはいえ、当然この時間は外も暗い。
 月も星も見えぬ闇一色の夜だった。
 考えるまでもなく、十中八九【犯人】の仕業であろう。
 何かが起きようとしている。
 いや、既に何かが起きたのかもしれない。
 不安と焦りと恐怖と苛立ちの交錯する中、ある者は壁に背をつけ闇に目を凝らし、またある者はドアノブを部屋の内側から押さえて殺 人者の侵入を防ごうとし、またある者は成す術もなくただ奇声を発していた。
 しかし、照明がおちていたのは、ほんの数分のことだった。
 その間、構成員の大勢は自室から動かなかった……


―――午前0時18分
 電気が復活し、最初に廊下に飛び出してきたのは菅野祐介、そして松本浩太郎の両名。
 数秒遅れて、室町祥兵、森岡千夏が姿を現す。更に鱒沢遙がそおっとドアから顔を覗かせたときには、既に菅野は階下へ向かい走り出していた。
 その素早い行動に面食らった松本があとを追う。
「おい、大先生! あんた、何する気だ! さっきの停電、ありゃあ間違いなく【犯人】の仕掛けだぜ。下手に動き回るのは危ねえんじゃねーか」
 階下に降りた菅野が、松本の助言も聞かずに各部屋のドアを開けていきながら応える。
「照明が復旧したということは何かが起こったということ。【犯人】は既に目的を達しているはずだ」
「誰かがまた殺られたってことか? だったら、2階じゃねーのかよッ! 12時過ぎてまだほんの数分しか経ってないんだぜ。実際、ほとんどのヤツら、2階にいるだろうが!」
「2階の部屋は僕に開けてみることは出来ない。これは賭けだ。薄い賭けではあるがね。何か手がかりでもあれば……」
 菅野はそう言って娯楽室のドアを開けた。そこもちゃんと明かりはついていた。ゲーム開始からずっと、夜は照明が点けっぱなしになっていたのだ。
 菅野は娯楽室の入り口ではたと足を止めた。
 その背後で松本が怒鳴る。
「どうした、何かあったのか!」
 菅野はそれに応じることなく、どんどん部屋の中に入っていく。松本もとまらない好奇心に駆られて歩を進める。そこでふたりが見たものは……
 部屋の隅に置かれたイーゼル。
 描きかけの油絵。 
 散らばった画材。
 男の死体―――平一である。
 腹ばいに倒れている彼の顔は確認できないが、その姿は一言で表現すると『ハリネズミ』であった。
 彼の首から背中、腰にかけて、7本の包丁が突き立てられている。
 しかし、本当にそれは平一の死体なのか、はっきりと確かめることは出来ない。
 それは規則違反である。
「おい、あんた、それ……」
 松本はさっきから気になっていたことを漸く口にした。さっき部屋を出たときから菅野が手に持っていたもの。
 それは、デジタルビデオカメラだった。
 菅野は情け容赦なくデジカメのレンズを四方に向けて撮りまくった。
 現場の状況、イーゼルに架けられた絵。うつぶせに倒れている平。散らばった絵の具、更には彼の手にどこか不自然に握られた3つの絵の具。その名もはっきりさせようという狙いなのか手の中の絵の具の接写も忘れない。彼の手の中にあった絵の具。それはビリジャン、ウルトラマリン、バーミリオンの3本。いずれも油絵を描く者にとっては極めてオーソドックスな画材である。
 ひととおり映したところで、ぞろぞろと集まってくる【代理人助手】。
 彼らは容赦なく菅野を押しのけ、平の周りに人垣をつくると検死をはじめた。
「こいつら……これが生きてるように見えるのか!」
 松本はやり場のない怒りを己の拳に託し、近くの壁を渾身の力を込めて殴りつけた。
 程なく毛布にくるまれた彼の身体が部屋から運び出される。恐ろしい手際、恐ろしい早業である。
 死体(?)が運び出されたあと、床に広がる多量の血のりが生々しくその存在感をアピールし、そこで行われたであろう凶行の余韻を残していた。
 【代理人助手】たちと入れ違いに山口代理人、鱒沢遙、室町祥兵といった面々がやってくる。
 出し抜けに松本浩太郎が一喝した。
「誰だ―――!!」
 松本は怒りに任せて捲くしたてた。
「誰なんだよ! 平のおっさん、殺したヤツぁ! どいつもこいつも死人みたいに青ざめたふりなんかカマシちゃってよお! いるんだろ、アンタらの中に? えれー手際だよなあ。電光石火とはこのことだ。しかもお芝居が上手でいらっしゃる。てめえ、あまりいい気になってんじゃねえぞ、コラ」
「うっ……ウソやろ、今の平さん?」
 と、室町が口元を押さえながら声を絞り出す。
「ワザとらしいんだよ! ホントは知ってたんじゃねーのか? ええ、おい! おっさんの背中には包丁が何本も刺さってた。室町さんよお、厨房用品はアンタの専売特許だろうが!」
 狂犬松本に詰め寄られ、こわごわと身を引く室町。
「ま、待てって。包丁なんて誰にも取りに行けるがな。別に隠しとったわけやないし……」
「しらばっくれんじゃねえ!」
「醜いぞ、松本くん。そのへんにしておきなさい」
 ひとり気を吐く松本にクールに言い放ったのは菅野だった。
「【犯人】が必ずしもこの中にいるとは限らないだろう。既に退場した誰かなのかもしれない」
「けどよお……」
「これ以上、自分の弱さを晒すんじゃない。平さんのあんな姿を目の当たりにして落ち着けというのは酷かもしれないがね」
 松本は菅野を睨みつけ噛みついた。
「アンタは冷静過ぎるンだよ。まともじゃないのはアンタの方だ。こんな状況で、よくも……よくもカメラなんて回せたモンだぜ」
「前にも言ったろ。僕は葬儀屋だ。死体のひとつやふたつ、なんてことはない」
「ただの死体じゃねーだろ! あんなハリネズミみてえに刺しまくられてよお……」
「菅野さん、あなた、カメラなんて持ってたの?」
 と訊いたのは鱒沢遙だ。菅野はその問いにも、あくまで冷徹に応じた。
「昨日、山口さんに取り寄せてもらったんです。死体に遭遇した時のために使おうと思って……でもまさか、こんなに早く役立つ時が来るとは予想だにしてませんでしたが……もう、みすみす見逃すわけにはいかないんです。美結さんのときと同じ轍は踏みたくはないんですよ、僕は」
 誰も言い返すことが出来なかった。菅野の平坦な声の中に悲痛な叫びを感じ取っていた。
 やるせない。
 一同の気持ちはささくれだつ。
 そこへ千夏がやってきた。
「数馬くん、来てませんか?」
「え、彼はここにいないわよ。部屋にいるんじゃない?」と、遙。
 ひどく不安げな表情で千夏が誰にともなく言う。
「でも、数馬くんの部屋、ノックしたんですけど返事がなくて……」


―――午前0時40分、食堂
 堀切数馬は殺されたのだろうか。
 あるいは彼こそが【犯人】で、文字どおり闇に紛れて退場したのか。
 それとも、人騒がせな少年はけろりとした顔でまたふらっと現れたりするのか。
 様々な憶測が飛び交う中、とりあえず朝になったらみんなで捜そうという結論に達した。
 もちろん、その過程で、森岡千夏は今すぐに捜すべきだと主張したのだが、その意見に賛同する者はひとりとてなかった。千夏は平の退場を知り、いてもたってもいられなかったのだ。自分に罪の告白をした人間が次々と消えていく。これでもう4人目だ。そして堀切数馬もまた、その中のひとりなのだ。
 残された5人の構成員たちは固まって食堂に移動し、恒例のディスカッションをはじめる。御多分に漏れず【代理人】も同席している。
 まず最初に切り出してきたのはいくぶん落ち着きを取り戻した松本浩太郎だった。
「とりあえず、菅野さんよ、さっきは悪かったな。あんたの撮ったビデオ、見せてくれねえか。なにか手がかりになるモンがあるかもしれねえしよ」
「これは僕が撮ったものだ。君に見せる必要はないよ」
「なんだと!」
 再び頭に血をのぼらせる松本を手で制する菅野。
「冗談だよ。ちゃんと見せるとも。しかしその前にひとつ大事な問題をクリアしておかなければならない」
「な、なんだよ、大事な問題って? 問題だらけじゃねえか。一体どれのこと言ってンだ?」
「停電のことだよ。なぜ、電気が消されたか……」
「ンなもん、わかりきったことじゃねーか。そりゃ相手の視界を奪うためだろ」
「そう。前にも覆面の可能性について話し合いましたが、それでは背格好でバレるという結論に達しましたよね。しかし敵もさる者、真っ暗で何も見えなかったらどうでしょうか? 相手に自分の存在を特定させることなく犯行に及べる。悠々と【被害者】を始末できるというわけです」
「ちょ、ちょっと待って」
 菅野の弁を遮った遙が尤もな質問をぶつける。
「それは【犯人】だって同じじゃないかしら? 【犯人】だって視界はきかないんでしょ。それってちょっと確実性に欠けるんじゃない?」
「いえ、【犯人】には見えていたはずです」
「え……」
「おそらく暗視スコープのようなものを【代理人】を通じて調達していたのではないでしょうか。それさえあれば【犯人】は夜目が利く」
「なるほど! その手があったか、なんで気づかなかったんやろ」
「ええ、僕も迂闊でした。様々な謎にばかり気をとられてしまっていました……もっと【犯人】からのアプローチの仕方について考慮しておくべきでした」
 唇を噛んで悔しそうに語る菅野。
 得心したように頷く室町。
 肩を摩りながらとまらぬ震えを抑えようとする遙。
 青褪めて俯く千夏。
 そんな面々を見渡しながら松本がことさらに大声で言う。
「そういうことか。つまりアンタの言うクリアしておかなければならない問題というのは、『停電対策』のことだな」
「そのとおり。【犯人】が誰であるのか、これももちろん重要ですが、それは一旦棚上げして、ここでちょっと状況を整理してみましょう」
 と、菅野が席を立ち演説を始める。
「まず、【犯人】は【代理人】に暗視スコープの調達を依頼しておく。そして午後10時以降にひとり自室から抜け出て、厨房へ行き、包丁を調達。次に凶器持参の上で自室に戻り暗視スコープ及び連絡用のインカムを用意し、0時の時報を待つ。その際に【代理人】にはこう指示しておきます。『一番最初に部屋から出てきた人間を報告せよ。そして、その人物の行動を逐一報告しつつ、他に出てくる者がいたらすぐに知らせること。』、とね」
 思わず遙がゴクリと唾を飲む。菅野は続ける。
「幸いにして、たったひとり平さんだけが出てきた。平さんは娯楽室に向かっている。絵の続きを描こうとしていることは誰でも容易に想像がついた。ここで【犯人】はキューをふる。『ブレーカーを落とせ』とね。ところで山口さん、配電盤はどこに?」
「3階です」
「なんで3階やねん! 1階やろが、普通」
「まあ、室町さん、そう興奮なさらずに。これもこのゲームの落とし穴のひとつなのでしょうから……さて、ここでは最も重要なのはブレーカーを落とすタイミングです。ターゲット以外部屋から出ていない状況が【犯人】にとってはベストのはず。つまり電源さえ落ちてしまえば、暗闇の中で下手に動こうとする者はいないでしょうからね。実際僕たちは照明が消えている間、部屋から出ようとしなかった。ここから先は【犯人】の独壇場です。視力を奪われた【被害者】たち、暗視スコープの力を借りて館内を楽々と闊歩する【犯人】……そして、完全犯 罪の成立」
「畜生! どこまで【犯人】本位にできた規則なんだ」
「松本くん、それは違うな。今回は僕たちが愚かだったに過ぎない。不注意だっただけだ。【被害者】たちは停電を想定し、必要なものを【代理人】から調達しておくべきだったんだ」
「ふん、またしても【犯人】にしてやられたな。どうしてこうも俺たちは後手後手に回ってしまうんかなあ」と、室町がグチる。
「とにかく山口さんよ、俺にもその暗視スコープとやらをくれよ。俺ンところに来やがったら返り討ちにしてやるぜ」
 松本がイの一番に申し出ると、千夏がまたひとつの疑問を提示した。
「でも、それは、規則上、問題ないんですか? 確か自衛を目的とするものの調達は出来なかったはずですよね」(規則3 会場設備(3)参照)
「それは大丈夫でしょう。仮に【犯人】が暗視スコープを利用して平さんを殺したとすると、【代理人】は凶器の調達は行わないわけですから、それは凶器としては認められなかったということになります。逆にいえば、自衛のための目的ともならないということです。【犯人】が剣を調達できないのと同じように【被害者】は盾を調達できません。【犯人】が暗視スコープを調達できたのなら【被害者】もまた同じものを調達できるのです……そういう考え方でよろしいですね、山口さん」
 しかし山口はすぐに返答しなかった。そこで菅野が口添えする。
「これはあくまでも仮定の質問です。もしも【犯人】がそれを調達したというケースとして答えてください」
「はい、菅野様のおっしゃるとおりです」
 山口の回答にどよめきが流れる。
「さあ、早いとこ暗視スコープ持って来てくれや。お宅らも要るよな? そもそも配電盤が3階にあるってことは、こういうアイテムが使われることを想定してるってことなんだろ。取り寄せるまでもなく、もう準備してるハズだぜ」
 松本は再度山口に要求した。そしてそれは彼らしからぬ鋭い指摘でもあった。
 案の定、程なく【代理人助手】が暗視スコープを持ってきて5人の構成員に渡していく。
「こン中にゃ、もう持ってるヤツがいるかもしれねーけどな」
 松本が目の前に置かれた暗視スコープ(ゴーグル状のもの)を取り上げて、痛烈な皮肉を吐いた。その台詞は取りも直さず【犯人】にとって既に入手しているであろうことを示唆していた。
 そこへ、菅野が更なる要求を述べる。
「すみませんが懐中電灯もいただきたいのですが……」
「大先生、アンタ阿呆か? 電灯なんかよりこっちの方がずっと機能的だぜ。ま、たしかに電灯でも『停電対策』にはなるだろうがよ」
「松本くんの言うとおりや。暗視スコープは視界全部をフォローするけど、電灯は光を向けた部分しか見えへんのやで。それだと死角が生まれるやろに……」
 しかし菅野は松本たちの忠告を無視して山口の方を見る。
「懐中電灯は自衛の目的にはなりませんよね」
 果たして【代理人】は菅野を意図するところを察したかのように大きく頷いてみせた。
「問題ありません」
 遙がおずおすと尋ねる。
「あの、あたし、話がみえないんだけど……暗視スコープと懐中電灯でどこが違うんですか? その……『停電対策』としては一緒の用途じゃないの?」
「違いますよ。そうだ。松本くん、折角だからそれつけてみたらどうだい?」
「……ああ、いいぜ」
 なにか魂胆がありそうだな、とぶつくさ言いながらも素直に暗視スコープを装着する松本。そして……
「うわっ、結構眩しいんだな」
 松本のリアクションに菅野が満足げに説明する。
「そうなんです。明るいところでこれを使用すると光を集めすぎて逆に通常より視界が悪くなってしまう。部屋の明かりでこれくらいです。暗い部屋でいきなりライトの光を浴びせられたらどうなります?」
「……なんにも見えなくなる?」
 遙の言葉に菅野は大きく頷いて話を締めくくった。
「さあ、今夜はこれくらいにしましょう。数馬くんのことも気になりますが、続きは朝ということで……」
 誰もが疲れていた。探究心より倦怠感の方が遥かに勝っていた。
 今夜の事件で謎は山ほど残された。
 今はそのうちのひとつを解決したに過ぎない。尤もこの『暗視スコープ』だって本当に使われたものかもあやしいところだ。しかもこれが平の自作自演だったとしたらとんだお笑い種である。
 つまりは、可能性を論じただけで事実はなにひとつ分かっちゃいないのだ。
「さて、防御策も手に入れたことだし、俺は部屋に帰るぜ」
 松本が一番に席を立つと、遙、室町と続いて食堂をあとにした。
 菅野がまだその場を動こうとしない千夏の傍に行き、声を掛ける。
「千夏さん、数馬くんのことが気になるんですね? でも今捜そうが、あとで捜そうが同じことです。分かりますね?」
 千夏は朝の会話を思い起こしていた。
 平一が自らの罪を告白する前段で、確率の殺 人の例をあげていた。
 エレベーターの中の男女の話だ。そして平さんの最期。
―――運転の止まったエレベーター>ブレーカーを落とした館
―――密室の惨劇>暗闇の惨劇
―――カッターナイフ>包丁
 似ている。【犯人】は私たちの会話を聞いていたのだろうか? これも一種の見立て殺 人のつもりなのか? 美結さんのときだって、アリバイ検証や死体消失なんてあったけど、それはすべてブラフだということになったんだっけ……
 偶然かもしれない。しかしそうではないのかもしれない。
 千夏は藁をもすがる思いで菅野に尋ねた。
「もう誰も死んだりしませんよね? 殺されたりしませんよね?」
 肯定するのは簡単である。しかしそんなものは気休めにもならない。
 菅野は敢えて彼女に冷たい現実を突きつけた。
「それは【犯人】に聞くしかありません。ですが、きっとこんなものでは終わらない。僕はそう思います」


―――午前6時30分、中庭
 森岡千夏はひとりで堀切数馬を捜していた。
 周囲には誰もいない。あの石ころ同然の【代理人助手】さえも……
 募る焦燥の中で彼女の足元に何かが落ちてきた。
 およそ6、7cmの棒状のもの。
 それが人間の指であることを認識するまで数秒を要した。
「ひっ!」
 更に次々と降り注ぐ肉片。
 腕、足、胴……
―――なんなの、これは……一体……
 現実からトリップアウトしたかのように、展開される非現実的な光景。
 しかしそれは紛れもなく現実であった。
 やがて肉の雨は止み、これでお終いかと思ったその時、最後の最後に毬のようなモノが落ちてきて、彼女の足元でバウンドし、てんてんと転がった。
 彼女は泣いていた。その場に蹲り、髪を掻き毟る。
「あああ……そんな……」
 それは首だった。人間の頭部だった。
 口の端から血の筋を垂らしたその顔。
 血にまみれ、ぬらぬらと光る黒髪。
 薄く開かれた目と唇。
 血の気の失せた紙のように白い顔。
「数馬……くん……」
 異形なるモノ、
 紛れもなく、それは堀切数馬の頭だった!
 嗚呼……
 なんということだろう。
 この変わり果てた姿は。
 これはまさに死者への冒涜。
 殺された後で切刻まれたカラダ。
 千夏は無意識のうちにその頭を拾い上げようと手を伸ばした。
 その時だ。
「さわるな!」
 菅野祐介が駆け寄ってきて、千夏を肉片から切り離す。
「千夏さん、いけない! それに触れたらペナルティですよ」
 どんな状況でも悪魔のように冷静な菅野の腕の中で千夏は気を失った。
 まるで夢の世界に逃げ込むように……
 すぐに【代理人助手】たちが駆け寄ってくる。
 彼らの持つ黒いゴミ袋の中に無造作に放り込まれていく肉片。
 さすがに検死をする素振りはない。
 検死など一目見ただけで充分なのだ。
 長閑な夏の朝、展開される地獄絵図。
 その渦中に松本浩太郎、鱒沢遙、室町祥兵が次々とやってくる。
「くそっ、カメラを忘れた!」
 菅野だけではなく、松本、室町もその残虐極まりない遺体を凝視していた。
「い……いやあああああ!」
 遙は両手で顔を塞ぎ、ケモノのような雄たけびを上げ、そして吐いた。
 胃の中のもの、すべてを地面にもどしていた。
 その間にもどんどん回収されている惨殺死体。
 そして最後のパーツ、『生首』が回収されると【代理人助手】たちは館の中へと戻っていく。
「ま、まさか、あれって数馬くん? なあ、アレ、あのまま部屋に仕舞ってしまうんやろか……」
 室町はあたふたしながら見当違いなことを言っている。
「数馬くん……どうしてあんな死に方を? どうして笑っているんだ、君は」
 菅野がそう呟いた。確かに堀切数馬は笑みを浮かべていた。殺される瞬間に笑っていたということか? それとも……
「それにしても、一晩でふたりかよ……なんて離れ業だ……【犯人】はバケモンか」
 と、これは松本の言葉である。
 奇妙な余韻の中、血塗られた朝を迎えた一同。
 空は嫌味なくらいに蒼かった。

螺子目康之
 
堀切数馬
  
森岡千夏
  
松本浩太郎
  
鱒沢遙
  
平一
  
石田サチコ
  
室町祥兵
  
菅野祐介
伊勢崎美結


 ゲーム4日目、早朝。
 5人の構成員が舞台を降り、5人の構成員が舞台に残る。
 果たして【犯人】はすでに退場したのか?
 あるいは、いまだ舞台の上でほくそ笑んでいるのか?
 悪夢はまだまだ続く……


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