第19章


第19章  震える日々

 4日目、朝。
 恒例のタイムチェックがなされ、残された構成員5人全員がクリア。
 森岡千夏、松本浩太郎、鱒沢遙、室町祥兵、菅野祐介の5人が、ひとりも席を立つことなく食堂のテーブルに雁首を並べていた。
 食卓の上は、ものの見事にフラットだった。
 誰も朝から何も口にしてはいなかったのだ。
 あんな惨たらしい死体を見せつけられては食欲がなくなるのも無理からぬ話である。
 しかも、平一が退場した昨夜から構成員たちは、ほとんど眠っていなかった。
 というよりも、この4夜、安心して眠れた時など全くといっていいほどなかった。
 中にははっきりと目の下に隈をこしらえている者もいる。
 午後10時からのセーフティタイムに浅くまどろむ程度で、あとは眠っているのと起きているとの中間のような状態が続いただけなのだ。これもまた当然といえば当然である。
 こんなことで最長3週間の長丁場を乗り切れることができるのだろうか?
 慢性的な睡眠不足と戦いながら、この緊張感を維持していくことができるのだろうか?
 急速に焦りの色が濃くなっていく。
 5人の退場者が出た今、【犯人】は少なくとも4千万円を手に入れたことになるわけだが、どうしてもこれで終わるとは思えない。
 願わくばこれでお終いにして欲しい。そう切実に願っている者もいるが、その一方で、この強引ともいえる凶行の数々にそう思い通りにもいかぬであろうという諦観の念に囚われている者もいる。
 楽天的に構えている場合ではない。
 毎秒毎秒が非常事態。現在進行形のスクランブルなのだ。
 長期戦に持ち込められれば【被害者】が圧倒的に不利であることは、自明の理。にも拘わらずこの早い時期に退場者5名である。やはり、これで終わりと考えるのはムシが良すぎると言わざるをえない。
 兎にも角にも誰もが疲れていた。
 堀切数馬の死体発見というショッキングな事態も手伝って、眠気はとりあえず消し飛んだものの、何もする気がおきない。
 ただ呆けたように虚空を見つめるばかりの構成員たち。とりわけ、千夏、遙、室町の3人は精神的ダメージからいまだ立ち直れないでいる様子だ。
 かたや菅野は、あいも変わらず我が道を往くで、デジカメを再生しながら何やらメモをとっている。彼だけは実に元気なものだった。そんな彼に松本が皮肉をこめて言う。
「あんただけはほんと疲れ知らずだな。大したモンだぜ、まったくよ」
「それはどうも」
 顔も上げずに形ばかりの礼を言う菅野に、松本がまたしてもキレそうになる。しかし、そこはぐっと堪えて気持ち悪い猫なで声を出す。
「なあ、菅野さんよお、そう邪険にすんなって。いや、それにしてもなんだかこの部屋も寂しくなっちまったよなあ、そうだ、席を詰めて座らねえか。室町の旦那も、ほら遠慮すんなよ、坊主の席が空いてるぜ」
 11人が座れる長テーブルも今や6人となった。山口を上座に据えて、右手が0号室のゲスト、螺子目康之の席、その隣りが2号室の千夏、4号室の遙と続く。一方の山口の左隣りの席は、1号室の堀切数馬、3号室の松本、5号室の平の順となっている。ゲーム開始当初から暗黙の了解としてそこが各自の席になっていた。構成員が退場したのちも同様に、空席ができても誰もその席に移動することはしなかった。
 松本の両隣の席(部屋)のふたり(数馬、平)が揃って退場した今、菅野が螺子目の席に、室町が数馬の席にそれぞれ移れば、残った全員が上座に固まる形になるので会話がしやすくなるというわけだ。
「勘弁してえな。そんな縁起でもない席、座りたないわ」
 松本の提案に、室町がぶるぶるとかぶりを振って固辞の意を表す。
「それに俺の部屋は7号室。ラッキーセブンやからな。席も7番目のままでええんや」
「そ、そんなの関係ないわ! ゲン担ぎなんて非科学的よ」
 忌み嫌う数字の部屋ナンバーの遙が興奮気味に喚くのを見た松本がさもつまらそうに嘲笑う。
「そうか、あんたの部屋は4号室。ホテルとかだったら抜かされてる番号だもんな。あ、でもよ、ここまで生き残ってるんだから、案外とラッキーナンバーなのかもしれねえぜ。そもそも、あんたがまだ生き残ってるっつーことが……」
「ところで千夏さん」
 松本の嫌味が終わらないうちに菅野が遮るように千夏の名を呼んだ。
 千夏の白い面が菅野に向く。他の3人も(松本さえも)敢えて口をはさまず菅野の唇に注目する。
 彼はきっと<あのこと>を訊くつもりだ!
 そう全員が思っていた。
 そして、その予想は裏切られなかった。
「今回の退場者である平さんと数馬くんのことなんですが、彼らはあなたに何かを言ってませんでしたか?」
「ええ……言っていました……ふたりとも、自分は人を殺した、と……」
 数馬が母親の愛人を殺したこと、平が恋人を殺したこと。千夏は彼らから聞いたこと、すべてを話した。
「なんてこった。ここに集まった連中はホントに人殺しばかりのようだな」
「まさか10人の共通点って……この10人が選ばれたのって、やっぱり断罪のため……?」
「遙さん、まるで君も人を殺しているみたいな口ぶりやな」
「や、やめてよッ! あ、あたしが人殺しなんて……冗談じゃないわ!」
「おっ、なんや、その慌てぶり……あやしいなあ」
「あ、あなたこそ誰か殺してるんじゃない?」
「おおお俺は……」
 逆に質問され今度は室町がうろたえている。
「やめてください、ふたりとも。そんなことでケンカしてる場合じゃないでしょ」
 千夏が仲裁が入って収まると、松本が急かすように言った。
「それよりか、いつものやつさっさと始めようぜ。お宅ら、そのためにこの部屋から出ないで待ってるんだろ」
「ディスカッションってやつかいな?」
「そうだよ、ふたり連続で消えたんだぜ。このまま【犯人】にやりたい放題やらせておくのかよ」
「ふん、自分で考える能がないもんやから」
「なんか言ったか、室町の旦那」
「い、いや、別に……」
 松本にひと睨みされて、萎縮する室町。
 松本は、ぐいと胸をそらして菅野の方を向いた。
「議長役は菅野大先生でいいよな。なんつっても、あんたが一番の適任だ」
 素直に菅野を認める松本に、彼はなんら異議を唱えることもなく頷き口を開こうとした。
 そんな彼を「ちょい待ち」ときさきを制する松本。
「その前にひとつ提案なんだけどよ……」
「なんだ?」と、菅野が眉間に縦皺を寄せて訊く。
「先生の言うところの言葉の二面性? あれ聞いてると面倒臭いんだよな。この際だから、いままで退場した連中は全員【被害者】だったという前提で考えてみねえか」
「お、おい、松本くん。君はこの中に【犯人】がいるとでも言いたいんか」
「そうじゃねえよ! この中に【犯人】がいるって仮定で考えてみて、辻褄が合わないって結論が出たら、逆に俺たちは多少なりともお互いを信用することが出来るだろ。な、それでいこうぜ」
「僕に異論はないが……」と、菅野。
「まあ、そういうことなら俺もかまへんで」と、室町。
「あたしも……」と、遙。
「千夏ちゃんよ、あんたはどうだ?」
 ひとり黙っている千夏に水を向ける松本に千夏はコクリと頷いた。
「私は誰も疑いたくないですから……」
「よし、じゃあオッケーってことで全員一致だな。どうよ、これが民主主義ってヤツだぜ」
「どうでもええけど、なんやかんやいうて結局君が仕切っとるやんか」
 白けたように横目で見る室町。しかし松本、意に介さず、
「そう言いなさんなって。さて、ここからはあんたに下駄を預けるぜ」
 と、お手並み拝見とばかりに菅野を拍手で送り出した。
 松本の後押しで末席の菅野が立ち上がり、まず始めにデジタルビデオカメラのモニターを一同に向ける。
 そして、こちらも恒例となりつつある菅野節がはじまる。
「惨殺死体となって出現した数馬くんを目の当たりにしたばかりで、皆さん精神的に相当参っているであろうことは想像にかたくありません。しかし僕らは考えなければいけない。拾える限りのヒントを拾い、持てる限りの智恵を絞る、それがこのゲームに課せられた【被害者】たちの使命……いや、義務と言ってもいいでしょう。さて、皆さんにご覧いただいているビデオですが、既にご承知のとおり、これは昨夜、僕が平さんを発見した際に撮影したものです。時間にして1分足らずのものですが、まずはそれを参考にして何か気づいたことがあれば仰ってください」
「あの……ひとついいですか?」
 菅野の呼びかけに最初に応えたのは遙だった。
「平さんがあんなふうになったとき、あたしすごいショックだった。けど、それとは別に何か妙な違和感を感じてたの。それがなんなのかすぐには分からなかったわ。でもね……」
 遙は自分の疑問が的を射ているのか否か自信がなさげに言い澱む。それを察した菅野が優しく口添えする。
「死体の出現の不自然さ、ですか」
「そう! それなのよ!」
 遙は菅野の助け舟に力を得て早口で語りだす。
「最初に退場した石田さんは、誰の目にも触れることもなくいつ死んだのかも分からないまま消えてしまった。次の美結さんは、死体が運び出されるところはみんな見たらしいけど、それもはっきりと見たわけではないんでしょ。なのに、平さんはうつ伏せながらもはっきりとビデオに撮られている。なぜ死体が発見されたのかしら? もし死体を見せたくないのなら【代理人助手】が回収した後に電気をつけさせればいい。数馬くんだってそうよ。【犯人】が意図的に死体を出現させたとしか思えない。あたしたちの知らないところで殺された数馬くんを敢えてバラバラに切り刻み、あたしたちの目の前に出現させたのはなぜ?」
 遙は朝の陰惨な光景を思い出したらしく、口に手をあてた。しかし吐くことまではしなかった。もう吐くモノは胃の中になにもない。そんな彼女の様子に松本が揶揄する。
「これが演技だったらアカデミー賞もんだ。俺にゃ計算ずくでゲロ吐くなんて芸当できねえからよ」
 そんな松本の態度に千夏がキレた。
「いい加減にしてください! 苛立ってるのはあなただけじゃないんです!」
「わ、わかった、わかったよお。そう怒ンなって、千夏ちゃん……で、マジな話、菅野先生はどう考える? この『死体出現の謎』をよ」
「そうですね……」
 菅野は髪の毛先を弄びながら何でもないような口調で言った。
「まあ、最もオーソドックスな解釈は単純に【犯人】のきまぐれ、ですかね」
「きまぐれぇ?」
 肩透かしを食らったように室町が反芻する。
「ええ、ここで行われる殺 人の動機だけははっきりしていますよね。第一に金です、札束です。お互い初対面のわけですし、【犯人】は抽選で決められている。つまり怨恨の線はまず考えられない。だが一方で、このゲームを楽しむ、殺 人を楽しむ、そんな動機もアリだと思います……あ、もちろん、通常の殺 人事件ならばちょっと突飛過ぎるかもしれませんが、僕たちが選ばれた基準がいまだ闇の中という状況を鑑みれば、そういう解釈もありえるわけです。それは皆さんが人を殺したという自覚を持っていることからも窺えますよね。極論すれば快楽殺 人者としての素養があるとも――」
「違う! みんな悔やんでいた。人殺しを楽しんでた人なんてひとりだっていません」
 声を荒げて否定する千夏に菅野が宥めるように言う。
「千夏さん、あなたが否定したい気持ちはわかりますがもっと現実に目を向けてください。あなたはここにいる人間たちをどれだけ知っているというのです? 確かにほとんどの人は正直に自分の気持ちを吐露していたのかもしれない。しかし、【犯人】までそうだとは言いきれないでしょう。ありえない話じゃないんです。このゲームの一部始終が録画され、どこかの金持ちに売り飛ばされるのであれば、そういう潜在的資質がある人物が選定されればゲームはより一層面白くなる。そういう理屈だって通るわけですから」
「言ってくれるぜ、先生よ。まっ、否定はしねえけどよ、アンタほどの素質はないぜ、俺ァ」
 そんな松本の皮肉に取り合わず更に続ける菅野。
「つまり最初は、おっかなびっくりとでもいいましょうか、とにかく見つからないように……こればかり考えていた。もしかすると【犯人】は僕が当初考えていたように、しばらくは様子を見るつもりだったのかもしれません。ところがうまいタイミングをみつけ石田さんを殺 害。【犯人】としてはこのままゲームが終わっても一千万です。しかしあの感触が忘れられない。刺殺か絞殺か、殺 害方法までは今となっては知ることはできませんが、【犯人】はそこで『殺 人』から得られる『快楽』を手に入れた。こうなると止まらない。【代理人】たちの後ろ盾を得て、王様気分の【犯人】は【被害者】たちをあざ笑うかのように第2の殺 人に及ぶ。しかも【被害者】を困惑させ疑いあわせ楽しむといった遊び心さえもっている。そして螺子目さんの退場。【犯人】はドキドキします。しかし失敗に終わる。何てことだ、あんな胃の痛い思いをした上に、我の獲物を山口に掠めとられてしまった。【被害者】の恐怖に歪む顔を見てひとり愉悦に浸る。もっと快楽をもっと恐怖を……【被害者】たちの苦痛に歪む顔がみたい。そして惨殺死体がふたつできあがる」
「まるで見てきたみたいな言い草だな」
「どう捉えてもかまわないが、僕はそういう解釈もできるという可能性の一例をあげたまでだ」
「しかし、自分で言っておきながらアレだけど、やっぱこの中に【犯人】がいるっちゅう前提で、話されるのも厭な感じだよな」
「いや、実際のところ【犯人】はこの5人の中にいるでしょう」
 なにげに発せられた菅野の爆弾発言に息を呑む一同。場の空気が俄かに震えた。
「ななな、なにを言い出すんだ、菅野くん。何の根拠があって……」
「すいません。今のは言い方がマズかったですね。つまりさっきの僕なりの分析があっていればの話ですよ」
「他人の恐怖や苦痛に歪む顔をみることを至高の悦びとしている【犯人】なら退場などせず、リスキーは承知の上で、まだ舞台の上に残っているはずです。モニター越しではなく、間近の特等席で見物することができるのですからね、僕らの恐れおののくさまを……」
「お、おどかすなや……そいつも可能性の話かい」
 室町が胸をなでおろすと、今度は千夏が手を上げて質問を提示してきた。何かがふっきれたように涼しい瞳で一同を見渡す。
「そもそもこれは規則違反じゃないんですか?」
「ん? 何がだよ」と松本。
 千夏は意を決して立ち上がり、山口代理人を真正面から見据えた。
「私がここで確認したいのは規則の捉え方です」
「ね、千夏さん。分かるように言って」と、これは遙。
「美結さんの事件からずっと気になってたんです。ずっとひとつの疑問が小さな腫れ物のように私の中にありました。そして、今回のことでやはり訊いてみなければならないと……」
 千夏は規則の記された用紙を開いて言った。
「まず規則1概要(9)、速やかに検死をし、その死体をゲストルームに云々の表記ですが、この『速やかに』は、どこまで掛かってるんですか? 『速やかに』するのは、検死だけなんですか。それともゲストルームに運び込み施錠するのも速やかになのですか」
「それはもう分かってるでしょう、千夏さん」
 【代理人】の代理で菅野が言う。しかし、千夏は山口代理人から目を逸らそうとしない。
「確認です。答えてください。山口さん」
 千夏の体から気力が迸っていた。
「速やかに実行するのは検死までです」
 山口の短い答えに、眉ひとつ動かさず更に質問を続ける千夏。
「でしょうね。『速やかに』が『ゲストルームに運び込み』まで掛かっていたのなら明らかにおかしい。検死からゲストルームに運ばれるまで確実にタイムラグがあったのは美結さんと数馬くん。平さんもそうだったかもしれませんから……じゃあ、死体をゲストルームに運ぶタイミングに特段の設定はないと解釈していいんですね。逆に言えば【犯人】からの指示があれば、一定期間放置しておくこともあるわけですね」
「仰るとおりです」
 山口がうやうやしく頭を下げる。
「そうなってくると、さっきの菅野さんの説はちょっと揺らいできます。単なる『きまぐれ』だけで【犯人】は死体を出現させたのでしょうか。いいえ。【犯人】はきっととても冷静に行動しているはずです。美結さんの死体出現に一応の理由がつけられたように、平さん、数馬くんの死体出現にもなにか意味があったのではないでしょうか?」
 千夏の新説に菅野はどんなリアクションをするのだろうと、全員の目が彼に向く。しかし彼は反論どころか賛同してきた。
「くどいようですが、さっき僕が話したのはあくまでひとつの可能性です。あくまでも僕の分析があっていたらの話です。無論千夏さんの意見も充分に考慮に入れていました。まず平さんの死体の出現、これはあとで説明するとして、数馬くんの方は実に分かりやすい。第1に『千夏さんへのペナルティの誘発』です。あのとき僕が止めに入らなければ、あなたは間違いなく数馬くんの死体に手をかけていたでしょう。そして第2に『恐怖の演出』。残された構成員たちを恐慌に陥れ戦意を喪失させようという狙いもあったのでしょう」
「勿体つけんなよ、先生。オッサンの出現理由も話してくれよ」
 松本がじれるも、菅野は軽くあしらっただけ。
「まあ、そう慌てることもない。時間なら腐るほどある。今は千夏さんの話を先に聞きましょう」
 と、菅野に促され、先を続ける千夏。
「では次に規則5犯人(4)、そして7代理人及び代理人助手(3)の関連性についてです。前者は【犯人】から【代理人】への協力依頼として、『殺 害することを目的とした協力』と定義してますよね。一方後者は【代理人】から【犯人】への協力支援として、『【犯人】勝利のため協力』と定義されています。以上の2つの条文を矛盾させないためには『殺 害することを目的とした協力』イコール『【犯人】勝利のため協力』となります。そう考えてよろしいんですね」
 そんな彼女の照会に【代理人】が回答する。
「それについては既に説明会で申し上げております。主催者サイドが制約されているのは全部で3つです。殺 人幇助はしない、アイディアは提供しない、凶器は調達しない。これ以外のことで『殺 害することを目的とした協力』はするということです」
「そしたら、ちょっと疲れたから山口さん、肩揉んでくれや。こう肩が凝っては殺 人もようせんわ、なんて言われたら、素直に従うんかい?」と、室町が茶々を入れる。
 山口は無表情のまま、真顔で答える。
「お望みとあれば……まあ尤も、【被害者】の方にでもそのくらいのサービスなら厭わないですが」
「けっ、こりゃこじつけでもオッケーってことだぜ。要するに何でもアリアリのルールだな」
「【犯人】の指示があれば虚偽の発言及び行動をとることがあると規則7(7)にも書かれているわ。千夏さん、どうしてそんなこと今更……」
 遙もまた規則を慎重に読み砕きながらそんなことを言う。
「確認です。どんな些細なことでも質問しなければ……そうしなければ私たちは重要なことを見落としてしまう、そんな気がするんです」
 千夏はふうと息をつき、髪を梳き上げる。強い意志を奮い起こし、崩れそうな自分をぎりぎりのところで支えているかのように……
「それと数馬くんの死にもひとつ疑問があります。彼の身体をあんなふうにしたのは誰かという問題です。【代理人助手】かそれとも【犯人】か? 少なくともそれまで退場した5人の中に【犯人】がいなかったとしたら、数馬くんの身体をばら撒いたのは主催者側の人間ということになります」
「それはそうだろ。多少の時間差はあれ、あの場にこの5人全員がいたんだからな。でもそれがなんで問題になるんだ?」
「大きな問題です。そこには【犯人】の指示が発生しているんですから。数馬くんの身体を切刻み、私たちの前に出現させたのはなんらかの意図がある。【犯人】が勝利するための協力としての理由が……たとえそれがこじつけであったとしても……」
「だから、それは、菅野さんの言ったようにあたしたちに恐怖を植えつけるためとかじゃないの? それだって立派な理由にならない?」
「肩だって揉んでくれるくらいやからなあ。何でもアリなんやて。深く考えてもしゃあないで」
「確かに案外そんな単純な理由なのかもしれません。でも、それだけの理由なら何もわざわざバラバラに切刻む必要はないと思うんです。だから、やっぱりそこには何か重大な意図が隠されているような……そんな気がしてならないんです」
「考えすぎじゃねえのか。千夏ちゃんはよ、【犯人】のヤツを買いかぶりすぎだぜ」
 とまあ、室町同様楽天的なことをのたまうのは当然松本である。
「でも、美結さんの場合、【犯人】は自分を容疑者圏外へ押し出し、今後の殺 害をやりやすくするため【代理人】を動かしたという解釈がつきました。結局は確証を得られませんでしたが……わざわざ停電まで起こして平さんを殺 害した【犯人】が……なにか矛盾してます。なにかが……」
「だから、考えすぎだっつーの。菅野先生が最初に言った『路線変更説』の方が、まだすっきりすると思うぜ、俺は」
 あまりに難解な会話に頭がオーバーヒート気味の松本が頭をばりばり掻きながら話を打ち切ろうとする。
「でも!」
 千夏がまだ何か言い足りなげに口を開くと、デジカメの画面を目を皿のように見ていた室町が遮るように大声をあげた。
「なあ、それより、この平さんが握っているものってなんやろな」
「……絵の具よね、それがどうかしたの?」
 菅野の機転できっちり接写された平の手の中に握りしめられた三本の絵の具。
「もしかしてダイイングメッセージっちゅうヤツかァ」
「んな、バカな、たまたま握ってただけだろ」
「せやけど1本なら分かるけどやで、3本も同時に握ってるっちゅうのはちょっと不自然やないか」
「実は僕もそれは気になっていました」
 菅野がどこから引っ張り出してきたのか絵の具セットをテーブルの上に提出した。
「これは平さんの死体が運ばれた後に、娯楽室に残っていたものです」
 それは12本入りのセットで、きっかり3本が抜け落ちている。それらは死体とともに運び去られてしまったらしい。
「何色が抜けてるんだ?」
ビリジャン、ウルトラマリン、バーミリオンの3つです。皆さんこの3つの色から何を連想しますか?」
 気になっていたというわりには、まるで答えを知っているかのような口ぶりである。
「まあ、このビデオを見る限り、緑、青、赤ってことだよな」
「その……俺、あまり色のことなんて詳しくないんやけど、そのビリジンとかいうのが関係あるんかな」
 ビリジンではなくビリジャンである。しかし誰もそんな細事を指摘したりはしない。
「三原色……」
 千夏の形のいい唇から言葉が漏れる。
光の三原色じゃないですか?」
「ええ、僕もそう思いますよ」
 落ち着き払って応える菅野。
「なんなの、その光の三原色って」
 その意味を知らないらしい遙が臆面もなく尋ねてくる。
「光の三原色の特徴と言えば、まず思い浮かぶのは『白』です。3つの色を均等に混ぜ合わせるとできる色なんですが……」
「白? それがどうしたってんだ」
「まさか自分は『シロ』ですとでも言いたかったんかな」
「違うでしょうか?」
 と、千夏が菅野に問い掛ける。
「おそらくその解釈でいいと思います。ただし、これは平さんの意思ではない。明らかに【犯人】によるブラフです」
「なにっ?」
「【犯人】がゲームを楽しみ始めていると判断したのは、実はここにある。そして、【犯人】が平さんの死体を出現させた意図も一応これで理解できる」
「美結さんのときと一緒だったっていうの?」と、遙。
「そうです。偽のアリバイ検証をさせ遙さんを【犯人】に仕立て上げようとしたように、平さんが自分は『シロ』だというダイイングメッセージを残すこと、更には死体を出現させることで、無意識のうちに自分を容疑者圏の外に出すという悪魔的なブラフを演じてみせた」
 今の菅野の口ぶりは平一こそが【犯人】であると示唆しているようにも聞こえた。
「ねえ、どうしてそのメッセージが【犯人】の仕業だって分かるの? 平さんが【被害者】たちにヒントを残そうとしてやったことかもしれないじゃない」
「それは不自然……いや、むしろ不可能なんです」
 黙って耳を傾ける構成員たちに菅野が説明をする。
「電気が復旧して、僕らが平さんを発見するまで、その間、わずかに1分程度でした。その間に7本もの包丁を突きたてたのち、誰にも見つからないように姿を消すのはかなり厳しい。しかも平さんは部屋の隅で、壁を背にして絵を描いていたわけですから、突然の停電のすぐ後で、彼が警戒心を解かないわけがない。つまりはそう簡単に【犯人】にやられるはずがないのです。では、彼はいつ殺されたのか? 大別して2通りが考えられます。まず第1の可能性。電気の消える前の約10分間です。この時間帯は自室にいたか、あるいは自室から移動していたかのどちらかでしょうが、いずれにせよこのときに殺 害されたとしたならば、【犯人】にとっては危険極まりない。電気のついている間、しかもセーフティータイムを過ぎて間もなくです、構成員たちが部屋から出てくるかもしれない。やはりここは第2の可能性しか考えられません」
「電気が消えてからか……」
「ということになりますね。となると絵の具は大いに矛盾する。暗闇の中で絵の具を握りしめていたわけですからね。平さんはどうやってその3つを選び取ったのか? もし自分が『シロ』であることを伝えたいのなら、白い絵の具をとればいい。もしくは目の前にカンバスがあるのです。そこにメッセージを書いたっていい。簡単な方法はいくらでもある。まあ、いずれにせよ暗闇の中で容易にできる作業ではありませんが……」
「っていうかさ、そんな余力が残っているのなら『告発する』って言えば良かったんだ。一か八か告発する。俺ならゼッテーそうするぜ」
「それは無理な相談だね。包丁の1本が首に刺さっていたんだから
「喉をやられて声がでない!」
 遙が弾かれたように叫ぶ。
「そういうことです。いずれにせよこのダイイングメッセージは【犯人】による手の込んだお遊びとしか考えられません」
「なんでそんなややこしいことを? え……まさか【犯人】は平さん自身だったってこと? それなら一応納得できるけど……」と、遙。
「でも、菅野さん、あなたがここでそれを言ってしまったんじゃ告発が出来ないんじゃないですか」と、千夏が鋭い指摘をする。
 規則にもあるとおり、他の構成員に告発する相手を報せたら、告発する権利を失う。彼女はまさにそのことを懸念しているのだ。
「まさか。僕はまだ告発をするつもりはありません。そこまでの推論に僕たちが辿りつくであろうと読んだ【犯人】の作戦かもしれないじゃないですか。混乱させるだけ混乱させておいて煙に巻こうってことかもしれないですしね。いずれにせよ、今回も完敗です。結局またなにひとつ手がかりは得られなかった。やはりこのゲーム、論理的に【犯人】を追い詰めることなんて出来ないのかもしれない。殺される瞬間、その瞬間だけが【被害者】に与えられた唯一の勝機なのかもしれません」
「えらい弱気やなア、あんたらしくもないで。ま、ちゅうことは、結局ここに残っている構成員全員がシロだっていう証明もでけへんワケや。松本くんの思惑通りにはいかなかったようやな」
 しかし、松本特段落胆する様子もなく、
「ま、どうせ、俺も期待してなかったけどよ。さて、と。それじゃ、今度は俺から問題提起するぜ」
 遙、千夏、室町と続き、真打ち登場とばかりに松本が大見得を切り、全員の注目を集めんとテーブルを両手で叩く。
数馬はいつ殺されたんだ? 平のオッサンが死んだ時刻はかなり絞り込むことができたが、電気が消えていたからアリバイもへったくれもねえ。だが、数馬はどうだ? あいつが殺された時間がわかれば何かまたアリバイ検証なりできるんじゃねえか」
 勿体つけていったわりに案外拍子抜けな設問だった。菅野が呆れたように肩をすくめ代表して応える。
「君もつまらないことを訊くね。彼が殺されたのは平さんが殺されたすぐ後、あるいは直前しかないんだよ」
「あん?」
「みんな気付いていると思ってたんだがな……だからこそ昨夜、彼の捜索はやめようと言ったんだ。彼が【被害者】のひとりなら確実に殺されている。電気が復旧した後、千夏さんが数馬くんの部屋をしつこくノックした。なのに応えはない。これは既に殺されていたことを意味する」
「そうとも限らねえだろ。部屋を出ていただけかもしれないぜ」
「いや、部屋を出ていたなら殺されている。条件は平さんと一緒だからね。ただ、100%とは言い難い。だから一応朝になったら捜してみようと申し入れたのさ。千夏さんは彼の生存を信じたがっている様子だったしね」
 一応、筋は通っている。松本はまだ何か反論しようとしたが、開いた口から特に気の利いた言葉は出てこなかった。
「ちっ、了解だよ。さあて、出るべき問題は一通りでたようだしな。やっぱり何一つ解決しなかったが、先生がひとつだけいいこと言ってくれたぜ。殺される瞬間、そこが勝負だってな。ま、俺は元からそう思ってたけどよ」
 松本はひとりさっさと席を立ち食堂を出て行こうとする。そんな彼を千夏が呼びとめる。
「ちょっと待って! 待ってください」
 松本、面倒くさそうに足を止め、
「千夏ちゃーん、まだ、何か言い足りねえことでもあンのか」
「みなさんにお願いがあります」
 千夏は、間を計りながら、松本、室町、菅野、遙とぐるりと見回して言った。
「あなた方が人を殺した経験があるのかどうか私には分かりません……分かりませんが、仮にそうだとしても絶対に私には話さないでください
 ついに言った。言ってやった。
 なんら物証はない。千夏に罪の告白をした人間が殺されるという必然性もない。
 しかし、5人まで続けば、ただの偶然では片付けられない。
 千夏は強迫観念に囚われていた。
 その必死の形相からも、それが極めて真剣に頼んでいることが見てとれる。
―――もう誰も死なせやしない。絶対に!
 彼女の希望に最初に返事をしたのは菅野だった。
「いいでしょう。僕個人の意見としては、そんなことはなんら意味のないことと思いますが、皆さんの顔色を窺っているとどうもそうでもないらしい。皆さんの精神的な負担が多少なりとも軽くなるのであれば、お互い損な約束ではないでしょう。たとえ僕に人を殺した経験があったとしても決してあなたには喋らないことをお約束します」
 そして他の3人も菅野に倣って同意する。断る理由などどこにもない。むしろ言われるまでもないと言いたげだ。
「菅野さん、最後にひとつだけ教えてください」
 さらに真剣に詰め寄る千夏に菅野がきょとんと目を丸くして応じる。
「なんですか?」
「あなたの今の言葉、まるで皆さんの未来を気遣っているように聞こえます。現に今朝だって、私が……首を拾おうとしたとき、注意してくれましたよね。どうしてそんなことをするんです? あなたはこのゲームを楽しんでいる。その一方で他の構成員を庇おうともしている。この矛盾した行動に納得のいく説明をつけてください」
 菅野が思わず嘆息をもらした。
「昨日も室町さんに言われました。僕はただ掻き乱しているだけなんだ、と……これを否定するつもりはありません。確かに僕はゲームを楽しんでいる。そしてこのゲームをより深く楽しむためには、皆さんにはレベルアップしていただきたい、そう考えています。これは以前にも言ったはずです。皆さんには不用意なペナルティを避けていただきたい。だからあなたを助けた。ただそれだけです。これで納得いただけますか?」
 千夏は頷かなかった。納得できるわけがない。しかしそれ以上聞くこともできなかった……。
 やがて、話すネタの尽きた構成員たちは次々と食堂をあとにする。
 最後に千夏と山口だけが残った。
「さぞかしいい気分でしょうね」
「何のことでしょう?」
 表情を殺して応じる山口。
「私、ゲームが始まる前にあなたに言いました。このゲームを必ず妨害してみせると……」
「はい、確かに」
 山口は両手を前に組んで恭しく応じた。
「私、まだ諦めてませんから! 絶対にこのゲーム、とめてみせますから!」
「期待しております」
 眉を吊り上げ熱く語る千夏とは対照的に、山口代理人はひどく控えめに、そして意味深な笑みを浮かべている。
 彼は内心思っていた。
 今の論議、なかなか楽しめた感がある。彼らは【犯人】の狙いとするところにかなり肉薄していた。しかし惜しい。もう少しだ。踏み込みが甘い。着眼点までは良かったのだが……さて 【犯人】は次にどう出るか? 今後の計画への伏線には、まだ誰も気がついていないようだ。だが、本当にそうだろうか? 所詮ビデオカメラは人の心までは映せない。この場でこそ言及しなかったが、実のところ【犯人】の意図するところに気づいている者もいるやもしれぬ。あのプランは続行か、それとも軌道修正するのか? まあ、そんなことは私の懸念するところではないな。すべては【犯人】に委ねられているのだから……


 森岡千夏は図書室にいた。
 別に本を読もうという目的ではない。
 ただなんとなく足が向いていたのだ。
 【代理人助手】が入り口に立っているが、もう気にならなくなっていた。
 ごく自然に胸のペンダントに手が向かう。
 首に巻いた鎖の先にぶら下がる装飾品は、コンパクト状のケースになっている。
 かちり。
 その中には…………自分の…………顔。
「あなたなの?」
 千夏がポツンと呟いた。
「私があなたを殺したとでも言うの?」
(ふふふ……)
「なっ、どうして……」
(やっと私に気づいてくれた♪)
「あなたのこと忘れたことなんて、私、一度だって―――」
(嘘)
「嘘じゃない!」
(チナツは私なの。あなたじゃないわ)
「……だったら私は誰なの?」
(うふふふ―――)
「ねえ、答えて!」
(うふふふふふふふふふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふ)
「ねえ、教えてよ、お姉ちゃん!


「これだけは、完成させて逝ったんだな……おっさん」
 松本浩太郎は娯楽室に放置されていた平の絵を手に取り感慨深げに呟いた。
 平の遺した絵。
 それは、女性の絵だった。
「なんや、平さんの絵なんか見て浸っとんのかいな」
 いつの間にかやってきた関西弁男、室町祥兵が後ろから覗き込んでいる。
「あ、あんたか……」
 ふたりでじっくりと彼の遺作を眺める。
 それはまるで今にも絵の中から飛び出してきそうなくらい妙に説得力のある絵だった。
 単に写実的なだけではこうはいかない。
 その絵には、そう……敢えて言うなら魂が込められていた。
 見るもののココロの根底に迫るリアリティがあった。
「死ぬ直前に描いた絵が、過去に自分が殺した人間だった……か」
「さっきの千夏さんの話やと顔が思い出せなかったとか言うてたけど、最期の最期に思い出すことができたんやな」
「そうだな」
「俺たちは死ぬことでしか本当の意味での罪の呪縛から解放されへんのかもしれへん……」
「室町さん、あんた、まさか……」
「アホか。一般論を言うとんのや。なにも俺が……」
 室町はそこから先は忌むべき言葉とばかりに口を噤み、昏い瞳で俯いた。
「どういう心境やったんやろな、平さん……」
「そんなもん、俺に分かるわけがないだろ。分かりたくもねえしな」
 やがて、何か考えを巡らせるように視線をうろつかせていた室町が、一転してニッコリ微笑むと声高らかに宣言した。
「松本くん、俺、告発するで」
「はあ? あんたナニとち狂ってんだよ。まさか【犯人】が分かったとでも言う気じゃねえだろうな」
「そのまさかや。ま、分かってしもたもんはしゃあないやろ」
「あんた、マジか? マジで【犯人】分かったってのか。誰なんだよ、そいつは」
 突然のことにうろたえる松本。
 室町は彼の顔を真正面からじっと見つめると、やがて唇の端をきゅっと歪めてニヤリと笑ってみせた。
「アホか。俺が言うわけないやろ。言ったら告発する権利がのうなってしまうんやからなあ」
「お、おい、やけに自信たっぷりじゃねえか」
「一応な。早速山口さんに頼んでくるわ。残念やったなあ、これでこのゲームもお開きや」
―――室町さん…………あんたいったい誰を告発する気なんだ?
 呆然とする松本に背を向け余裕たっぷりにひらひらと手を振る室町。その一方で、彼は不自然なくらいに何度も何度も後ろを振り返りながら娯楽室から出て行く。
―――なんなんだ、あいつ。まるで俺を警戒してるみたいな…………まさか!!
「まさか、俺を告発する気か!」
 思わずそう口に出した松本は、猛ダッシュで彼の後を追いかけた。


 廊下に飛びたした松本浩太郎は、鱒沢遙と鉢合わせになった。
「きゃあ!」
 とたんに遙が金切り声をあげる。
 無理もない。鬼気迫る形相で詰め寄られ、そのうえ両肩をがっしり掴まれては身の危険を感じるなという方が無茶な話である。
「ま、ま、ま、待て。待ってくれ」
 松本は慌てて手を離すが、それでも遙はあらん限りの声をふり絞り悲鳴をあげている。
「何もしねえよ。ホントウだ。俺は【犯人】じゃねえ。それより室町さん、どっちに行ったか知らねえか? たった今、ここから出て行ったばかりなんだけどよ」
「……え?」
「な、落ち着けよ。俺が【犯人】ならとっくにあんたなんか死んでるって。あ、いや、そうじゃなくて室町……」
「あ、あたし見てない」
 すぐに手を出してこない彼を見て少しは安心したのか、遙は声をあげるのをやめて、ぷるぷると首を振る。
「でも、彼ならさっき外で会ったわよ。これから告発するって言ってた」
「なんだと!」
「室町さん、【犯人】が誰なのか分かったみたい。すごい自信たっぷりだったもの。なんだか知らないけど助かったわ。これでやっとあたしたち自由の身なのね」
「なにを呑気なことを……あいつはなあ……」
―――俺を告発するかもしれねえんだ!
 そう続けようとしたその時、菅野祐介が充分に汗をかいた缶コーヒーを手に食堂から現れた。
「それなら僕も言われましたよ」
「先生、あんたもか。なあ、どう思う? あいつ、何を根拠に【犯人】が分かったって言ってるんだ?」
「ああ、あれね」
 菅野は缶コーヒーのプルリングを引き、一口啜るとつまらなそうに答えた。
「あれはカマをかけてるだけなんじゃないのかな」
「えっ……それってどういうことなの?」
 驚きと落胆の入り混じった表情を呈する遙が菅野に問いただす。
「【犯人】が分かったと宣言した室町さんは、じっと僕の顔を凝視していました。そして、さも僕を怪しんでいるかのように振舞いつつ去っていった。つまりこういうことです。再三、話しているように【犯人】に対する告発は防御不能の唯一の攻撃手段です。だから彼は全員に自分が【犯人】を告発する旨を吹聴してまわり各々のリアクションを確かめた。慌てる素振りを見せるかもしれない。あわよくばその場で襲いかかってくるかもしれない。となれば、しめたものです。そこで本当に告発をすればいい」
「畜生、そういうことかよ。きたねえ手を使うもんだぜ。ってこたあ、千夏も同じことを言われてるってことだな」
 松本が地団駄踏んで悔しがる。
「きたないなんてとんでもない。これは作戦だよ。規則違反でない以上、きたないなどということは断じて言えないのだから。それに君だって『ワタシハダレモコロサナイ』などという実に稚拙な行為をしていたじゃないか」
「ぐ……」
 松本、これには返す言葉が見つからない。
「でも、室町さんが【被害者】だったとして、そんなことしてるならちょっと変よ。話せる相手はもう4人しかいないんだもの。退場した5人の反応を見ることはできないじゃない」
 遙の言わんとすることも尤もだった。【犯人】が既に退場していたとしたら、室町の作戦は全くの無意味ということになる。
「それはそれで構わないんじゃないのかな」
 菅野は再びコーヒーに口をつけてから言う。
「これは保険なんですよ。室町さんが4人の構成員にカマをかけた結果、4人が4人とも期待したリアクションをしてくれなかったとします。とすると、現在残留している構成員は『シロ』ということになりますよね、彼の理論上は……」
「そっか。信用できる人間を選別するためという目的も兼ねているのね」
「ふん。そこまで分かってンなら、なんで自分でやらなかったんだよ?」
 すると菅野は心底呆れたように松本を見やる。
「松本くん、もう忘れたのか? そもそも告発を餌にして【犯人】にカマをかけてみせたのは僕が最初だよ」
「あ!」
 遙がポカンと口を開ける。どうやら思い出したようだ。
 菅野はゲーム初日の朝、食堂で9人の構成員全員に向かって言っていた。
 僕は【犯人】があなたであることに気付いています、と。だがまだ告発はしない、とも言っていた。
 しかし、その発言がブラフであることはすぐに明かされてしまった。彼曰く『ちょっとしたウォーミングアップ』ということで……。
「俺も思い出したぜ。なんだ、結局アンタのパクリだったのかよ」
「まあ、そういうことです。それにここまで順当にゲームをこなしている【犯人】が今更そんな単純な誘導に引っかかるとは思えないしね」


 案の定、その日もまたその次の日も、室町祥兵が【代理人】に告発を申し出ることはなかった。


 そして、ゲームは停頓する。
 4日目、5日目、6日目と、以降3日間が何ごともなく過ぎていった。
 【犯人】は沈黙を守っていた。
 少なくとも表立った動きは全く見せなかった。
 緩やかに流れる時間の中、見えない敵に震えながら過ごす構成員たち。
 極度の緊張感に伴う疲労はピークに達していた。
 もう何も起きないのかもしれぬ……
 そんな希望的観測が囁かれはじめた頃。
 7日目、ゲームは再び動きだした。


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