第2章


第2章  はじめまして

 午後10時ちょっと前。
 食堂。
 三々五々集まってくる人たち。
 室内には既に8人の老若男女が集っていた。いかにも金持ちの家にありそうな極端に縦長のテーブルに11客の椅子が用意されていた。長い辺にそれぞれ5客づつ。暖炉を背にした上座に1客。各人は思い思いの席に座り、所在なげにしている。しかし、上座には誰も座ろうとしなかった。なんとなくそこは違うと皆が思っていた。推理と言うほどのものではないが、自分が構成員の10人のうちの一人であるということは、上座にはこのゲームで言うところの【代理人】なる人物が座るのであろうと容易に推測できたからだ。
 誰も声をあげようとしない。咳払いさえ憚れる張り詰めた緊張感が室内を支配していた。堀切数馬でさえ
入室してすぐこの異様な空気にのまれてしまっていた。
 そんな中で真っ先に静寂を破ったのは松本浩太郎だった。松本はTシャツの袖を肩まで捲くり隆々とした筋肉を惜しげもなくさらけ出しているがっしりとした体格の男だ。彼は誰にともなく大声で言った。
「お宅らも酔狂だねえ。ちゃんと規則読んだのか? 趣旨分かってんのかよ。ただのゲームじゃないんだぜ。てめえの命まな板にかけるんだ。いやあ、しびれるねえ実際。俺さ、サバイバルゲームとかよくやるんだけどあんなんじゃもう刺激足んなくてよ。お宅らは何? やっぱ金につられたクチ? 一人頭一千万はでかいよな」
 誰も何ら反応を示さない。それでも松本は続ける。
「けどよ、そこの坊主……お前だよ、お前しかいないだろ。小学生のボウヤ」
 指を指されてどぎまぎしながら答えたのは堀切数馬だった。
「僕、小学生じゃないよ。中学3年生だよ」
 一同、意外そうに数馬を見る。とても中学3年には見えない。
「中学生! マジかよ? お前発育不良なんじゃねえの。まあ、いいや。それよかお前、これから何が始まろうとしているか分かってんだろうな?」
「分かんないよ。だって、これ漢字が多すぎて読めないんだもん」
「かーっ、ばっかじゃねえの。お前なあ、これから俺たちがやろうとしているのは殺しだぞ、コロシ。おい、あんたその規則、そこ坊主に読んで聞かせてやってくれよ」
 幾分青ざめた顔の鱒沢遙に松本が命令する。どこにもこういう仕切りたがり屋は存在するものだ。遙はこくりと頷いて、数馬の傍に行って規則を読み始めた。
「ごめんね、お姉ちゃん」
 数馬が済まなそうに言うと遙は首を横に振った。
「いいのよ、何かしてた方が気がまぎれるから」
 次に松本は杖を脇において座っている老婆に目を向けるとオーバーアクションで驚いて見せた。
「あーあ、ここにも何か勘違いしているのがいるよ。おい、ばあさん、杖つかなきゃ満足に歩くことも出来ねえのが殺 人ゲームに参加してどうすんだよ? いくら老い先短い人生だからって命は粗末にするもんじゃないぜ」
「あたくし、別にそんなつもりじゃ……」
 白髪を後ろでまとめた品のよさそうな老婆……名を石田サチコ(いしださちこ)と言う……は、青ざめた顔を更に青くしてうつむいてしまった。
 さすがに我慢できなくなったのか、室町祥兵が椅子から立ち上がり関西弁丸出しで松本を非難する。
「あんさん、さっきから聞いていればなんや、なんちゅう言いぐさやねん。初対面でしかも目上の人に対してその言葉遣い、失礼にも程があるで」
「何言ってんだ、あんた。失礼もへったくれもあるかよ! 俺はな、親切で言ってンだぜ。だいだい、あんただってこれから全員を殺す立場になるかもしれないんだ。きれい事言ってる場合かよ」
「あんさんな、ほんまにこれからそのゲームとやらが行われると思っとんのか。あほらしい、茶番やで。この法治国家ニッポンでそんな殺 人ゲームって……どうせ殺す真似でもすればええんやないのか。ゲームって言っとる以上、ほんもんのコロシはせんやろ」
「ふん、甘いな。世間の常識でしか物事を考えられないんだな、あんたは。そんなぬるいゲームで賞金うん千万も出す奴がどこにいるよ?」
「せやから、それは全部嘘やねん。こいつら、俺たちを騙しとんねん」
「何でわざわざそんなことするんだよ」
「そんなこと俺に訊かれても知らんがな」
 鱒沢遙が規則を読むのを一時中断して、ふたりの議論に割って入る。
「そうよ。これってぜんぶドッキリなのよ! ほら、テレビとかでよくやってるじゃない。こんな話、落ち着いて考えればありえないことだもの。あのカメラだってそのためにあるのよ、きっと」
「ちょっと待ちなさい。お嬢さん」
 そう言ったのは画家の平一だった。長いこと風呂に入っていないのか彼の身体は黴臭い匂いがした。おまけに酒を飲んでいるためアルコール臭も強烈だ。平は自分に注目が集まっているのを気にすることなく言葉を継いだ。
「私はテレビはよく見ないので詳しくは知らないが、つまりあんたは人が騙されるのを見て喜ぶような悪趣味な番組のことを言っているんだろう? しかしその可能性は薄いんじゃないか。もしあんたの言うドッキリだとしたら、これは相当に大掛かりな仕掛けだ。だったら我々一般人などより有名なタレントでも騙したほうがよっぽど面白いんじゃないのか」
「いえ、でも素人を騙すこともたまにありますよ」
「確かにあるな」
 遙の反論に室町が頷いた。しかし平は自分の考えを曲げようとしない。
「だとしてもだ、仮に我々がこのゲームに同意でもしてみたまえ。その場は冗談でしたで済むかもしれないが、普段の生活に戻ったとき周囲の人間はどう思う? あいつは金のためなら人殺しでもやりかねない奴だと後ろ指を指されることになるんだぞ。これは冗談では済まされないことだ。そうなれば騙された我々は、人権侵害だ損害賠償だと、テレビ局を相手取って裁判沙汰になるやも知れない。いくら面白おかしい番組を作りたいからといっても、テレビ局にとってこれはあまりにもリスキーというものだ」
「そうだ、おっさんのいうとおりだぜ」
 遙に反論の余地はなかった。
「じゃあ、あたし……ちょっと考える」
「考えるって何をだ?」
 松本がにやにや笑いながら遙を見る。
「だから人殺しさせられるなんて、あたし聞いてなかったから……」
「あんた、規則読んでからここに来たんだろ。いまさらそれはないんじゃないか?」
 更に追い討ちをかける松本。遙は椅子から立ち上がった。
「やっぱりあたし帰る! 帰ります!」
「ちょっと待ちなさいよ」
 そう言って遙を呼びとめたのは伊勢崎美結だった。がりがりに痩せている遙とは対照的にドラえもんのようなシルエット持つ美結は遙より一回り近くも年下にもかかわらず貫禄たっぷりに自分の意見を提示した。
「よく考えてみて。人殺しをするのは【犯人】だけなのよ。その確率は1/10。小学生でも分かるわ。ね、【被害者】サイドに回れば【犯人】を当てるだけでいいの。たったそれだけで数千万円よ。まあもっとも、【被害者】が【犯人】に殺されるって可能性もあるけど、【犯人】だって告発されたら死が待っている。どっちも均等に死のリスクをしょってる。だったら【被害者】側のほうが罪悪感が少なくていい。直接手を下すわけではなく、【犯人】一人を死に追い込むだけでいい。その【犯人】だって告発を受けたときには名実ともに殺 人者なんだから、死んだってしょうがない人間ってことになる。だってそうでしょう? 規則によれば、誰も殺していない【犯人】を告発したって一銭も手に入らないんだからね。告発されるってことは人を既に殺しているってことなんだから」(規則2 勝利条件及び賞金参照)
「ほう、あんさん、なかなか冷静やな。感心したわ」
 室町が美結の論説にしきりと感嘆する。
「どうも」
 美結はすまし顔で話を続ける。
「でも、この規則を読んだだけじゃわからないことが多すぎる。曖昧なところ多いしね。説明会があるって書いてあるから説明者……たぶん【代理人】が来ると思うけど」
 場の主導権を奪われた形となった松本は不機嫌になった。
「やるじゃねえか、小ブタちゃん」
「こ、こ、小ブタちゃん? しっ、失礼ね! あなた」
 ここまでクールに決めていた美結が発狂せんばかりに激怒する。彼女に『ブタ、デブ、肥満』は禁句なのだ。
「『小』をつけてやっただけでもありがたく思え、このデブが! 俺はあんたみたいにインテリぶった女が一番むかつくんだよ」
「バカ面さげて何言ってんの。自分がバカだからってひがむんじゃないわよ!」
「このやろう、人をバカバカ言うんじゃねえ、デブ。くそっ、俺が【犯人】になったら真っ先にあんたを殺してやるからな!」
 松本の極めて物騒な発言に対し美結は完全にとさかに来たらしい。しかし松本よりかいくらかは利口な彼女はこの喧嘩は不毛だと判断し怒りの矛先を別の人間に向けた。この部屋で唯一ひとことも言葉を発していない男に……
「ねえ、さっきから黙っているあんた。あんたも何か言ったらどう? それともあんた、主催者側の人間なの?」
 美結の言葉に全員がはっとしてその男を見た。今ここにいる8人は全員が初対面らしい。ということはこの中に既に主催者側の人間……【代理人】が紛れ込んでいても分かろうはずがない。そして、その男を除く7人は主催者サイドの人間が座るべき上座ではないところに既に着席している。しかしながら彼だけは席につかず壁に寄りかかり何か考えごとでもしているかのように腕組みをしていた。
「もしかして、あんたが【代理人】?」
 男はチノパンにポロシャツ、中肉中背で外見的にたいした特徴はなく、その特徴のなさがかえって異様なくらいだった。
「ああ、僕ですか? 残念ながら違います」
 男は美結のヒステリーにも柳に風でのんびりそう答えると空いている席に腰をおろした。無論その席は上座ではない。
「あ、それとですね。あんたなんて呼び方やめてもらえますか。一応菅野祐介(かんのゆうすけ)というちゃんとした名前があるものですから」
 美結は菅野のゆっくりとした口調にすっかり毒気を抜かれてしまい、どっかと椅子に座りプイと横を向いてしまった。
 これでようやく室内の人間は全員着席、テーブルを囲む11客の椅子のうち8客が埋まった格好となる。
「主催者側の人間よりも、まだ来ていないあと二人のほうがむしろ僕は気になりますね。10人揃わないとゲームは成立しないんでしょ」
 菅野の発言をきっかけにいがみ合いを一時中断し、テーブルを囲んだ会話が始まる。
「そうだな、この見取り図を見ると2階の個室は0号室から9号室まで計10部屋。俺は3号室から来たんだが、お宅らもそうだろ」と松本。
「そやな。俺もさっきまで7号室に入れられてた。つまり2階にある10個の部屋は……」
「ゲームの構成員たちの部屋だろうな」室町の言葉尻を引き取る平。
「そう言えば階段のところに黒服のボディガードみたいなごっつい奴がおったなあ。話し掛けてもなあんにも答えへん。まさかあいつが第9、第10の構成員か?」
「いや、僕の見る限りその手の人たちは4・5人はいました。これでは人数が合わない。彼らはおそらく主催者側の人間じゃないのかな」と菅野。
「きっと【代理人助手】って人じゃない?」と、数馬に規則を一通り読み上げてやった遙が恐る恐る言う。
「かもな。しかし助手ってタイプか? あいつら、どっちかつったら死刑執行人か死神ってところだぜ」
「ふっ、うまいこと言うじゃないか、君。まさに名実ともにってことだな」と、松本ににたりと笑いかける平。不精髭がまことに暑苦しい。
「つまりここに10人の客が招かれた。そしてまだ部屋に残っている人があと二人いるってわけね」と、ふとっちょ美結が眉間にしわを寄せる。
「腰抜けが! 子供や年寄りまで来てるってのによ。誰だよ、そいつは。ったく、顔が見てみたいもんだぜ」
 と松本がいったとき、タイミングよくドアが開いた。入ってきたのは50がらみのくたびれたサラリーマン風の男だった。黒ぶち眼鏡に白髪頭。彼は【代理人】でも【代理人助手】でもなかった。つまり9人目のゲストである。松本の望みは早くも叶ったわけだ。
 よれよれのスーツ姿のその男は一堂を見渡し驚いた。
「もうこんなに集まっているのか……いや、申し訳ない。どうしたものかちょっと迷ったものでね。でも、まだ10時前だよね。いや、みんな時間ぎりぎりに来るのかと思っていたよ。あなたたちもゲームの参加者なんだろう?」
 そして男は恐縮の体で自己紹介した。
螺子目康之(ねじめやすゆき)です、よろしく。と言うのも変か? あ、でも私が最後ではないようだね」
 螺子目は全員の頭数を目で数えながら空いている席に座った。これで上座を除いて空席はひとつとなった。
「これで9人か……」
「やっぱ、あれだな。10人も徴収かけりゃ一人ぐらいは帰るんだな」
 なぜか残念そうな室町とは対照的に平が吐き捨てるようにそんなことを言う。
 そこへ新参者の螺子目が早速会話に参加する。
「何を言っていってるんだい、君は。普通ならみんな帰ってるよ。こんな馬鹿げたゲーム、まともじゃない。私を呼んだ連中は私のことを徹底的に調べ上げていた。調べ上げたうえでアプローチをかけてきたんだ。これは冗談や酔狂じゃない。確かにこれから殺 人ゲームが行われようとしているんだ。まったく、とんでもないことになってしまった。いまだに震えが止まらないよ」
 螺子目は震える己の手のひらを怯えた目で見つめた。
「あなたたちの中には、まだ半信半疑でいる人もいるんだろう? だから軽い気持ちでここにやってきた。ゲームセンターにでも来るつもりでね。だが私は違う。もう肚をくくった。どんなことがあっても賞金を持って帰る」
 松本が螺子目の熱弁を揶揄するように口笛を吹いた。松本浩太郎、明らかにこの面子の中では最も嫌われるタイプである。
「よお、おっさん、逞しいねえ。お宅もそんなに金が要るのかい?」
「まあね。分不相応に建ててしまった家のローンとかもあるし……」
 螺子目は松本の冷やかしに別段気を悪くする風でもなく(と言うよりゆとりがないといったほうが正確か)至ってまじめに返答する。
「そのためにゃ人殺しも辞さないか……ふん、オヤジ稼業も大変だな」
「そりゃ、みんな金は欲しいやろ。俺かて職場の後輩の借金の連帯保証人にされたおかげで、えらい目におうてんねんで。ヤーさんには毎日追い回されるし、これがまたしつこいのなんの。ったく、一体5千万なんて大金何につこうたんや、あいつ」
「5千万! しかも他人の作った借金を? ばっかじゃないの。それってお人好しのレベルを超えてただのバカよ」
 美結はへこむ室町をぼろくそにけなした。日頃のストレスが堪っているのかやたらと人を馬鹿呼ばわりする女である。自前のウイスキーを早くも空にした平がなだめるように言う。
「まあまあ、そのくらいにしておきなよ、嬢ちゃん。しかし困ったもんだな。10人揃わないことにはゲームは成立しないぞ」
「それはどうかね。いくらなんでも奴らそのくらいのことは想定しているはずだぜ。明日にでも補充メンバーを連れてくるんじゃないのか」と応じる松本。
 美結はここぞとばかりに、虫の好かない松本に反論する。
「でもそれじゃ、後から来た人は不利になるんじゃない? ゲームが一日延びれば、あたしたちは丸一日ゆっくり考えることができる。言ってみれば作戦を練る時間が与えられるわけよ」
「まあた、あんたか。すぐ横槍入れたがるのは悪い癖だぜ」
「あら、会ってまだ数分で癖とか分かるもんなの?」
「このアマ……ああ言えばこう言う……」
 その時、石田サチコが意を決したように席を立った。とはいえ足が不自由なためか、杖を支えに立ちあがる姿は結構痛々しい。
「やっぱりわたくし、帰ろうかしら。あなたが言うようにあたくしにはこんなゲームできませんし……あたくしは、ただほんの興味本位でここにきただけですし……」
「それはできないんじゃない? おばあさん、さっきの放送聞いてなかったの? ここまで来た以上、五体満足で帰してもらえるって保証はどこにもないのよ」
「部屋から出なくったって身の安全が確実に保証されてるわけやないで。こんなふざけたゲーム考えた連中や。あいつらの言うことを丸々信用できたもんやない」
「はあ……そうですか……」
 この部屋を出ようが出まいが状況は変わらないと結論づけられたサチコはしゅんとして腰を下ろした。
「別に帰ってもいいんじゃないかな」
「え……」
 サチコは助け舟を出した相手を見た。菅野祐介だった。一同は菅野の次の言葉を待った。
「考えてもみてください。仮に今帰ってこのことを誰かに話したところで、こんな突飛な話、誰も本気に聞いてはくれないでしょう。それに皆さんもそうだとは思いますが、少なくとも僕は彼らに拉致されてここに来たわけじゃない。つまり現時点では何ら違法行為は行われていない。主催者にとっては恐れるに足らずというわけですよ。まあ、中学生をこんな時間まで拘束しているのはいささか問題かもしれませんけどね」
「ちょ、ちょっと待ってや、菅野はん。それはあかんやろ。規則にはゲームに関することを口外してはならないって書いてあるで。これ守らんかったら命はないんやで」
 室町の反論にも菅野は涼しい顔で即答する。
「それは、このゲームに参加し構成員となった場合の話でしょう。この誓約書に署名するまでは僕らはまだ規則の縛りを何ら受けることはない」(規則1 概要(3)、規則9 生存者(2)参照)
「あ、そうか。しかしややこしい規則やな、ほんま」
「どうです? やはり帰りますか?」
「さあ……どうしましょう」
「おいおい、そんなこと俺たちに訊かれても困るぜ。のるかそるかは自分で決めな」
 煮え切らないサチコに松本は腹立たしげにそう言った。室内に再び思い空気が流れた。多くの者は再度規則に目を通し始める。
 沈黙のあと、ふと思い立ったように菅野が石田サチコに問いかけた。
「ご婦人、ちょっとよろしいですか」
「はあ……何でしょう?」
 菅野は無理に答える必要はありませんが、と前置きして続けた。
「ストレートにお尋ねしますが、あなた、お金に困っていますか?」
「いいえ。それは、まあ、息子に何がしかの財産を残せればいいとは思っていますが、当面の生活に困るほどは……」
「それでは、あなたはそこの男のように、過度なスリルや刺激を求めていて且つ人並みの罪悪感も持ち合わせていないタイプの人間ですか?」
 当然、引き合いに出された松本も黙ってはいなかった。
「おい、あんた、言葉は馬鹿丁寧のくせに随分となめたこと言ってんじゃねえか!」
「少し黙ってろ」
 菅野が一転して鬼のような形相で睨んだものだから、松本は何か言おうとするも面食らって口をパクパクさせるだけだった。美結がざまあみろとばかりにくすくす笑う。菅野は穏やかな(というより平面的な)顔に戻ってサチコを見た。
「どうです? ご婦人」
「まさか、わたくしそんなこと……わたくし73年間ずっとごく平凡な人生を送ってきたんです。実は長年連れ添った夫がつい先日亡くなりましてね……ただ、だからってやけになってるわけじゃありませんのよ」
「つまり、あなたはこのゲームに参加する意思も必要性もないわけでね」
 菅野は腕組みして考え込んだ。
「妙だな……」
「確かに妙やなア。何でこのばあちゃんが選ばれたんや? 他の皆さんはどうですか? 参加する理由がない人ハいてますか」
 応えはない。
「それもそうか。理由がなきゃここに来ィへんもんな。じゃあ、なんで菅野はん、この人だけがゲームに参加する理由がないと思たんや?」 
「いや、理由がない人はこの人だけじゃないかもしれませんよ。だって普通、初対面の人に自分のことをぺらぺら話したりはしないでしょう。ただこのご婦人がこの中で最も不安そうな顔をしていた。人は不安に陥ると沈黙を嫌うものです。だから水を向けてみた。それだけです」
「あんた心理学者か」
 松本が嫌味ったらしく言うとキュルルルと間の抜けた音が聞こえた。それは堀切数馬の腹の虫だった数馬が情けない声を出す。
「僕、お腹すいた」
「緊張感のねえ奴だなあ、お前」
 向かいに座った松本は呆れ顔だ。しかし遙も思い出したように腹部をさする。
「そういえば、あたし、昼から何も食べてなかったわ」
「私もだ。色んなことがありすぎて腹が減るのを忘れていたよ」
 螺子目も同意し腕時計に目を落とす。
 そして、急に顔を強張らせ一同を見渡した。
「10時だ」


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