第20章


第20章  ゲームは止まらない

「松本君、あんさん、ほんまになんにも知らんのやなあ」
 8月7日午前11時30分、厨房。
 室町がカレイを捌く傍らで、松本浩太郎が煮汁を拵えているところである。
 どうやら、昼食のメインディッシュはカレイの煮付けのようだが、くだんの台詞は料理通の室町が、松本の手際の悪さを見て言ったものだ。
「ええか、よう覚えとき。煮汁はひたひたより少なめにや。煮汁が多いと魚のうまみが逃げてしまいよんねん。そない煮汁多くしたら……そうやな10人前は作らなあかんで」
 室町は己のジョークに大いにウケて笑っているが、松本はひくりとも笑わない。
「あんたなあ……サムいぜ、それ」
 松本のあまりに冷淡なリアクションに咳払いする室町。
 4日目の朝、堀切数馬の遺体(?)を発見してからというもの、以降3日間何事もなく過ぎていった。残った構成員5人が淡々とタイムチェックをこなしていく、ただそれだけの時間の積み重ね。とにかく長く緩慢な3日間だった。
「あ、いや、今のは俺がすまんかった。堪忍や……せやけど、松本くん、君、今、煮汁ン中にナニ入れてん?」
 松本がコンロの上の鍋を覗き込み指折り数えながら答える。
「水としょう油と酒と砂糖とあとみりんを少し入れたかな……何か問題あンのか」
「まあ、そこまではええがな。そしたらその手に持ってるのはなんや」
「だしの素だけど」
「まさか、それも入れるつもりやないやろな」
 珍しく怖い顔で詰め寄る室町に松本は気圧されつつ、
「な、なんだよ。魚の煮付け作るンだろ。和食のだし汁作るんなら、だしの素とか入れるんじゃねーのか、普通」
「アホ、確かに他の料理なら多少は使ってもええけど、こと、魚の煮付けに関してはあかんのや。魚にはだしの香りはキツすぎるんや」
 すると松本、ポイとだしの素を放って文句をたれる。
「あー、わーったよっ! けどな、俺だって好きこのんで飯炊きの手伝いしてるわけじゃねえんだ。あんたが手伝えっていうから、仕方なくだなあ……」
「なに言うてんねや。手伝うのは当然やろ。千夏さんだって遙さんだって、あの菅野君でさえ飯当番をやってるんだ。今までいっぺんも手伝うてないんは君だけなんやで」
「ああ、鬱陶しい。なんで俺がこんなことしなきゃなんねえんだよ。もう頭来た! 隠し味に砒素とか入れるぞ、このやろう」
 松本の逆ギレを何度となく見てきた室町である。すっかり免疫ができているらしく、さほど動ずることなくスマートに切り返す。
「やれるもんならやってみい。ただし、毒見役は作ったモンがする決まりなのを忘れんなや」
「ちっ、わかってらあ」
「松本君、すぐに熱くなるのは君の悪い癖や。この際やから料理の勉強でもして少し頭を冷やすんやな。ついでやから教えとこう。魚の煮付けを作る場合、特に注意したいのは煮崩れや。それを防ぐために有効なんは砂糖をあえて入れないこと。あと梅干を入れてみるっちゅうのもひとつの手やで。それと、今回は白身魚を使うたけど、仮にサバとかイワシみたいな背の青い魚のときは、くさみが残らんよう濃い味付けを心がけることや。味噌とか使うてな。あと、もうひとつポイントは……」
「おい、室町さんよ。講釈も結構だがこっちの鍋、煮立ってきたみたいだぜ」
「って……おっと……危ない危ない」
 松本の指摘に素早く反応する室町が、たっぷり野菜と肉団子のスープ鍋の火力を弱め、そのスープをお玉で掬い小皿に移すと、味のでき具合をその舌先で慎重に確かめる。
「んまい!」
 室町は自画自賛して、小皿を松本の鼻先に突きつける。
「君もちょっとどうや。そこにおる【代理人助手】の皆さんにもお裾分けしたいくらいのデキやで」
 松本は言われるままに一口嘗めて、室町に返す。
「うん、悪かないな」
 室町は松本に飲ませるだけでは飽き足らず、厨房にいるもうひとりの構成員にも小皿を差し出した。
「ほら、遙さんも飲んでみいな。めっちゃうまいでえ」
 ところが、ひとり黙々とサンドイッチを作っていた鱒沢遙は小さく首を振って固辞する。
「あたしは遠慮しとくわ」
「なんでやねん、俺、毒見したんやから安全やろが」
 それでもしつこく食い下がる室町を避けるようにプイと横を向く遙。
「あ、あたし、人の口のつけたものってダメなの。気持ち悪いのよ、そういうの」
「ははあん、あんさん、潔癖症かいな。それならそうと先に言うてえな」
 室町は気を悪くするでもなく、新しい小皿にスープを満たし、彼女に渡す。
「これやったら、ええやろ?」
 遙が戸惑いを見せつつも皿を受け取り、コクリと喉に流し込む。
「……おいしい」
「せやろ! いうても室町シェフご自慢のスープやからなあ。マズイわけあらへんがな。あんさんもそないパンみたいなもんばっか食うてないで、少しは精のつくもん食わなあかんで」
 室町がそう言うのも無理からぬ話であった。
 鱒沢遙の偏食ぶりは日に日に酷くなっていたのだ。彼女が食べるものといえばパンや生野菜ばかりで、しかも極めて小食。それは過度のストレスから来るものなのかもしれないが、目の下が窪み、頬はこけ、髪はやつれ、肌は青白く変色し、彼女の顔はまるで死人のそれであった。このままこんな食生活を続けていれば、早晩自滅するのは目に見えていた。
「ちっ、これだから女はめんどくせえ」
 松本が舌打ちと共に軽口を叩いてみせたが口元は微かにほころんでいる。それを目敏く室町がつっこんだ。
「とかなんとか言うて、君も遙さんのこと心配してたんじゃないのんか」
「バ、バカ言え! なんで俺がゲームのライバルのことを心配しなきゃなんねーんだよ。俺はあんたみたいな甘チャンじゃねえっつーの」
 と、松本が照れ隠しのためかことさらに喚き散らす。
「なにもそないムキにならんでもええやろが。まあな、俺は甘チャンで結構や。たった一週間とはいえ、ここまで一緒に過ごしてきた仲間やからな」
「ふん、そんなもんかねえ。どうもあんたは食えねえヤツだからな、あんたの言うことを額面どおりに受けとる気にはならねえな」
「いや、せやけど言うても、そんなもんやで……あ、ところで、松本君、親和欲求って知っとるか?」
「シンワヨッキュウ?」
「そう、アメリカのお偉い学者さんのやった実験でな、被験者に対して、『これからあんさんに電気ショックの実験を行うから控室で待っとってくれ。ついては個室で待ってるか、それとも他の被験者たちと同じ部屋で待つか、どないする?』と尋ねるとそのほとんどが後者を選ぶってヤツや」
「どうしてそうなるの?」
 遙が興味を惹かれた様子で問うてくる。
「至極簡単な話や。人は何か不安にかられると『他の誰かと一緒にいたい』と願うもんなんや。外国で一人旅をしているとき日本人を見つけたってだけで無性に話しかけたくなるっちゅう心理もこの『親和欲求』の表れなんよ」
「でも、その日本人が自分に危害を加える可能性がある出で立ち……たとえばヤクザみたいな格好をしてたら、むしろ話しかけたいとは思わないんじゃないかしら」
「そうだ、この姉さんの言うとおりだぜ。俺たちはお互いに疑いあってるんだ。そんなナアナアの仲じゃやっていけねえだろ」
 ふたり揃っての反論に室町は寂しげな笑みを浮かべている。
「そうやな、全くそのとおりや。俺かて金は欲しいし、そのためにはあんたら蹴落としていかなあかん。せやけど、反対に信じなあかんとも思うとんねん。だってそうやろ。お互い信じてないと【犯人】の思う壺やで」
「はっ、よく言うぜ。この間、『俺は告発する』とかなんとか言って俺たちにカマかけてきた奴がよ」
「ああ、わかってる。どうせ俺は卑怯モンや。このゲーム、どんな汚い手使うてでも勝ちたいねん。遙さん、このゲーム始まる前に菅野君に言われたやろ。平等なんてありえないって。でもな、人は誰も一回生まれて一回死ぬ。そこだけは平等なんや。ここだけは動かせへん。だからこそ、このたった一回の死をたった一個の命を有効に使いたいやん」
「室町さん、あんた……」
「自分の言うてること、矛盾してるのはようわかっとる。俺ら訪問販売セールスマンの世界にな『フット・イン・ザ・ドアテクニック』ちゅうのがあんねん。要するに『ドアの先まで足を踏み込めば買わせたも同然』みたいな意味なんやけどな」
「なんでドアの先まで入ると買わせたも同然になるんだよ?」
 ドアの先というよりも話の先が見えていない松本の質問に、室町は待ってましたとばかりに頷いた。
「人間は矛盾を解消したい欲求を常に持ってるからや。例えば、俺がドアのチャイムをピンポーンて鳴らすやろ。そうすると奥さんがドアを薄めに開けるわけや。で、俺はすかさず自社のパンフをドアの隙間に滑り込ませ、車買うてくださいっちゅうわけやな。せやけど、大概は断るわ。間に合うてます、買う気はありまへん、言うてな。で、ここで俺は更に一押しするわけや。いや、買わんでも構いまへん、話だけでも聞いてもらえまへんか。そうすると、じゃあ話だけならってドアが開いて玄関まで入れてもらえる。そこで奥さん、大きな矛盾にハタと気づくわけや。『相手の話を聞こうとしている自分』と『買う気が全くない自分』……ふたりの自分が葛藤する。おかしい、私は何をしとるんやろ……こうなったらこっちのもんや。この不協和音を解消するには、ふたつしか方法がない。ひとつは、一度は話を聞くとして玄関まで招きいれた俺を話も聞かずに追い返す。あるいは……」
「実は私はその商品に興味をひかれている、と自分に言い聞かせることで、あなたの話を聞こうとしている自分を正当化しようとする……ってところかしら」
 後を引き継いだ遙に室町が称賛の拍手を送った。
「そういうこっちゃ。つまり、小さな要求を受け入れさせることで大きな要求をも叶えてもらう。これが営業の手口。このゲームにかてそれが当てはめられる。『他の構成員を助けようとしている自分』と『他の構成員を押しのけてでも金を掴もうとしている自分』……俺はどっちに転ぶと思う?」
「……そんなもん決まってる」
「せやろ、人間はとことん欲に弱い。俺はそうやって自分を追いつめてるんや。そうまでしないと鬼にはなれへん」
「あの……室町さん」
 感慨に浸る室町に遙が申し訳なさげに声をかける。
「なんやねん?」
「鍋、吹きこぼれてるんだけど……」


 その頃、食堂では森岡千夏と菅野祐介がふたりでコーヒーを飲んでいた。
 千夏が窓に目をやり、有刺鉄線の張りめぐらされた高い塀を指して菅野に尋ねる。
「あの塀の向こうはどうなってるんでしょうね」
「さあ……あの塀、異常に高くできてますからね……気になりますか?」
「それは、まあ……」
「少なくとも日本国内であることは間違いないのでしょうが」
 真面目くさって受け答えする菅野に千夏が口元を綻ばせた。
「飛行機や船を使っていたとしたら、いくら目隠しされてても気づきますからね」
「そういうことです」
 菅野は小さく頷くと、「仮に……」と切り出した。
「あなたが【犯人】なら、あの塀の向こうに何があるか知ることは可能なんでしょうけどね」
「え? でも、規則には【犯人】であろうとも、この会場から出られないとなっていたはずですよ」
「確かに出ることはできません。でも、見ることはできる
「……あ」
 菅野の言わんとしていることを瞬時にして理解した千夏が目を瞬かせた。一を聞いて十を知るとはまさにこのことだ。
「確かにそうかもしれませんね。【犯人】ならきっと……」
 建物を囲むようにそびえる塀は、ちょうど館の2階分くらいの高さがある。つまり3階の代理人詰所へ行くことのできる【犯人】ならば塀の向こうに広がる景色を視界に捉えることが可能であろうというわけだ。
「まあ、このまま何もなければ、あと2週間で塀の外に出ることができるわけですが」
「そうあって欲しいです」
 千夏がそう応じると菅野は腑に落ちぬといった様子で眉間に皺を寄せた。
「千夏さん、あなたはそれでいいんですか?」
「え……」
「あなたは一貫してこのゲームを否定しつづけてきた。あなたにとってこのゲームを妨害することこそがこのゲームに参加した目的なわけでしょう。しかし、少なくとも何人かのメンバーが既に犠牲になっている。これ以上犠牲者を出したくないというのがあなたの本心だとして、このまま何も起きずにゲームが終了すれば、今残っている僕たちは安泰。でも、【犯人】はどうですか? あなたは【犯人】にも生き残って欲しいと望んでいるのですか?」
「できれば……そして自らその罪を償ってもらいたいです」
「でも本当にそれでいいんですか? 【犯人】はいわば踊らせれた側の人間に過ぎないんですよ。その小さな罪を糾弾し、大きな罪には目を瞑ると……」
「そ、それは……」
 言いよどむ千夏を前に、菅野が食堂の上座に座りじっとしている山口代理人を指して宣告した。
「真に断罪しなければならないのは、僕らの鼻先に札束という名のニンジンをぶらさげ、非人道的行為に走らせている彼らじゃないんですか」
「あ、あの……」
 すぐに言い返せないでいる千夏に対して、一転して優しい声色でフォローする菅野。
「誤解しないでください、千夏さん。僕は別にあなたを責めてるわけじゃないんです。ただ、あなたのしようとしていることには無理がある。このゲームに参加した時点で既に袋小路だったんですよ」
「……私にできることは始めから何もなかったと?」
「あなたにできること、それはたったひとつしかありません」
 千夏は息を飲み、菅野の次の句を待つ。
 果たして彼はおもむろに合掌し、瞳を閉じて天を仰いだ。
「神に祈ること。それがあなたにできる唯一の救いです」
 本気とも冗談とも取れる菅野の発言に戸惑う千夏。
「だったら、あなたは一体、どんな結末を期待しているというんですか?」
「ふむ、そうですね……」
 千夏の問いに、菅野はすうっと目を開き、そして両の腕を組み、やがて回答する。
「では、こういうのはどうです。8人の構成員が退場し、僕とあなたのふたりだけが残る。そして最後の時報直前に僕は声高らかに告発する」
 菅野は意図的に間をとって言い放った。
「森岡千夏さん、【犯人】はあなたです、とね」
 そのとき、スピーカーを通して鳩の鳴き声が館内に響きわたった。
 鳴いた回数は12回。
 恐怖の出席確認の時間がまたやってくる。


 午後2時。
 室町祥兵はひとり図書室にいた。
 無論、正確にはひとりではない。例に漏れず【代理人助手】もちゃんと張りついている。
 室町が本棚に並ぶ背表紙をただ漫然と眺めていると、ドアの開く軋む音がする。
 入ってきたのは森岡千夏だった。
「室町さん?」
「ああ、千夏さんかいな。どないしてん」
「いえ、ちょっと……本でも読もうかと思って。でもお邪魔みたいですね」
 と、踵を返そうとする千夏を室町が慌てて呼びとめる。
「ちょいと待ちいや」
「はい?」
「そない警戒せんでもええやんか。たとえ俺が【犯人】かてここでことを起こすわけがないことくらい、賢いあんたならわかるやろ」
「私、そんなつもりは……」
「まあ、ええからええから」
 室町が6人掛けのテーブルにつき、千夏に向かいの席を勧める。
 古紙の饐えた臭いが充満する狭い図書室、千夏の着席を目で確認した室町が、両手を前に組んで身を乗り出した。
「ところでなあ、千夏さん。この館ってそもそもなんだったんやろなあ。どこ見たって、とてもじゃないが、もとから宿泊施設だったとは思えへん。この部屋かてそうや。本がぎょうさん置いてるから便宜上図書室なんて呼ばれとるが、この暗い部屋が本を読むような環境とはとてもじゃないが考えられない。それに見てみい、天井が斜めに走ってるやろ。階段下にある部屋だからこないイビツになってんねん」
「部屋が暗くて狭くて埃っぽくて、階段の下というデッドスペースを利用して作られた部屋……まるで物置ですね」
「そやろ。実は俺もそうじゃないかと思うとんねん」
「やっぱり、室町さんも気になるんですか? ここがどこなのか……」
「そらそうやがな。俺たちはいつ死んでもおかしくない状況に置かれてるんや。自分が今どこにいるかくらい知っておきたいと思うのは当然やないか」
 と、室町が苛立たしげに頭を掻きはじめる。
「くそっ、あとふたり、なんとかならんかなあ……」
「なにがあとふたりなんですか?」
「ほら、前に言ったやん。俺には莫大な借金がある。利息分も入れて6千万は欲しい。これを返済せんことには、たとえゲームに勝っても俺の人生リセットでけへんねん」
「だからあとふたり、ですか……」
 千夏はその声や表情に露骨な不快さを露わにしている。
 既に5人が退場している今、ここで【犯人】を告発し、成功しても4千万、若しくは5千万円。いずれにせよ室町が欲しいという6千万円にはまだ届かない。だから、あとふたり退場すれば最低6千万円が保障されると言いたいわけだ。
「室町さん、あなた、自分のことしか考えてないんですか?」
「自分のこと? 当たり前やんか。言うとくがな、人間がみんな平等やったらこのゲームの勝者は間違いなく俺やで。人間、死ぬときまでに良いことと悪いこと、神様がうまいこと帳尻合わせてくれるんやったら、俺の場合、最後にごっつい花火打ちあげてもらわんことにはプラマイゼロにはならんのや。なにしろ、俺の人生、ロクでもないことばかりやったからな。かみさんには逃げられる。借金は背負わされる……もう最悪や」
 室町はまだ頭を掻いている。あんまり掻きすぎたせいで血筋が出来始めているが、本人は露ほども気にとめていない。
「わかってる。それかて全部自分のせいなんや。逃げてばっかりで、自分に都合の悪いことからは目を逸らす。そんな生き方しとった自分が悪いねん」
 室町の瞳の奥に暗い翳がおちる。
 彼の尋常でない変貌ぶりに千夏は戦慄し、強烈な悪寒に襲われていた。
 彼女はふいに異世界に迷い込んでしまったような不安と恐怖を本能的に感じていたのだ。
 ここを離れなくては!
 そう思う気持ちとは裏腹に、その足は根を張ったように動かない。
 そんな千夏にお構いなしに、室町の口調は熱にうかされたように次第に熱くなっていく。
「どっかで飛ばなあかんねん。助走だけで終わる人生なんてクズや。それならいっそ墜落してしまった方がええ。昨日と同じ明日が来ればいいなんてマジメな顔して言うとるやつはアホや。いっとう幸せな時に死ねたら本望やろが。だってそうやろ。人間死ぬときはたいてい何かの途中なんやからなあ」
「途中って……」
「作りかけのジグソーパズル。食べかけのおひつの米、読みかけの小説、治しかけの虫歯、育てかけの息子。為すべきことを全部やりきって、キリのいいとこで死ねる人間なんてそうはおらんで。だからこそ、攻めなんや。俺は……俺はもう逃げへん。きっちり現実と向き合うてやる」
 室町はまだ頭を掻いている。もはやテーブルを挟んだ向かいに座る千夏など眼中にないようだ。
 忍び寄る狂気が彼の心の隙間にしっとりと練り込んでいくのが、千夏には見えた気がした。
 室町の手が血に染まっている。頭皮を掻きすぎたためだ。
「実はな……俺、思い出してしもうてん。厭な記憶や……ずうっとずううっと押し込めてきた、それはもう、いやぁぁな記憶や」
 記憶
 きおく
 キオク
――――――お姉ちゃん……
 ぱりんッ!
 千夏の心の奥底で、ガラスのはじける音がした。
 はからずも室町が口にした『記憶』という単語。
 それが千夏の帰結へ向かう最初のトリガー。
―――私にもきっとある。欠落した過去の記憶。そこになにかが隠されている。
 一人っ子の私。
 その一方で、姉の存在を肯定する私。
 どこかがズレている。
 なにかが歪んでいる。
 だけど思い出せない。思い出せない。思い出せない。思い出せ……
 室町は我勝手に喋りつづける。
「あれは中学の2年くらいの頃やったかなあ。あの頃はえらい一日が長くて、充実してて、驚きと感動の連続で、とにかくそれはもう楽しかった。なのになんでやろ。年をとるたびにそんな記憶は色褪せて、薄められて、やがて頭の隅っこに追いやられ、そして静かに消されていく。せっかくセーブしとったデータなのに、大人の自分は、『これはもう使わへん』と勝手に判断してしまうンやな。それは、『自分にとって不都合な記憶』もまた然りや。ほんま大人の脳みそっちゅうやつは合理的にできてるよ。まあ、なんにせよ、あの記憶は完全に消しきれてなかったっちゅうことやがな」
 室町の頭から幾筋もの血が流れている。
 そんな彼の頭は、まるでスイカのようだ。
―――どうして……つい、さっきまでは何ともなかったのに……
 正気と狂気は、いつも危ういバランスのやじろべえ。
 ほんの一歩踏み出しただけで、世界は一瞬にして反転する。
 白か黒か、虚か実か。
 ありうるべき現実が、ありえない虚構へと移行する。
「室町さん、早く手当しないと……このままじゃ」
 命だって危ない、と言いかけて立ち上がる千夏を室町が手で制する。
 彼は頭を掻く手をとめて、血濡れの手を千夏に向けた。
「心配すなって。俺はまだ壊れてないで」
「でもッ!」
「ええから、座って俺の話を聞いてくれや。頼むよ」
 室町の懇願に、しぶしぶ座りなおす千夏。
「『自分にとって不都合な記憶』、それは皮肉にも俺の人生の中で唯一親友と呼べたアイツの存在だった。俺はいつの間にか忘れたい存在としてアイツのことを想い出の中から消し去っていたんや」
「アイツ……?」
 室町は大きく息を吐くと、吹っ切れたように饒舌に語り出す。
「アイツは東京から越してきた転校生でな。ごっつい金持ちの子やった。かたや俺ん家ときたらえらい貧乏やったから、俺、めっちゃ嫉妬してな。先頭に立ってアイツのことようイジメとった。しょっちゅうみんなでドツキまわしたりしてな」
「その人が親友……なんですか?」
「ああ、少なくとも俺はそう思っとったね。アイツ色白でな、なんや病気持ちやったらしくて、体育の授業はいっつも見学。見た目はちょっとイケてたから女子には、ようモテとった。だからかもしれへんけど、俺だけじゃなくて他の男子からも反感買ってたんや。でもアイツあれで結構骨があってなあ、必ず一矢報いてきよる。俺が十発殴ると絶対一発殴りかえしてくんねん。黙ってやられとけばええのに、負けるとわかってて必ず歯向こうてくる。ほんで、いつだったかアイツを学校の屋上に閉じ込めて鍵かけて帰ったことがあってな。あれは冬の寒い夜やった。次の日の朝早く、学校行ってみたらアイツいなくなってた。一体どこから逃げたと思う?」
 千夏が答えないでいると、室町はクククと喉の奥で嘲った。
「アイツ、屋上から飛び降りよってん。アホやろ」
「まさか、それで死んでしまったとか……」
 千夏の震える声に室町が大きく手を振って否定した。
「いやいや、アイツもとことんツイとったんやな。花壇のところに落ちて全治一ヶ月の骨折。三階建ての学校の屋上から飛び降りてやで。ほとんど奇跡、ブラボーってなもんやがな。ちゅうても、大人たちからすれば大問題。学校、警察、家族がしつこくアイツに訊いてたよ。なんでこんなことになってん、ってな。せやけどアイツは頑として口を割らんかった。ただクラスの女子どもが先生にチクりよってな。俺の名前が出されて職員室に呼ばれたんやけど、アイツ自身が『室町は関係ない』って言うもんやから、結局俺はお咎めなしや。まっ、証拠不十分ってヤツやな」
「それ、本当のことなんですか。室町さんがそんなひどいことしてたなんて私には信じられません」
 口を抑えて驚いている千夏に対し、冷笑する室町が顔についた血を手の甲でぐいと拭う。
「さて、面白くなるのはここからや。アイツがなんで俺のことをチクらなかったか、俺はずっと考えてた。ない知恵絞って考えた。そして、たどり着いた結論、結局アイツは男やったってことや。集団イジメなんちゅう最低なことしかでけへん俺とは格が違う。アイツはどんな卑怯な相手であっても告げ口なんてようせんホンマの男らしいヤツなんやってな。ところが俺のそんな解釈は見当違いもいいとこだった。アイツ退院してすぐに俺、河原に呼び出されてな、俺、それまで一度もアイツの見舞いに行ってなくて、行こう行こう思ってても行けなくて、いつか謝らなきゃって思ってたとこやったから、ちょうどいい機会だなって、そう思うたんや。恨み言のひとつも言われて、何発か殴られるかもしれへんけど、それもまあ、しゃあないなって……俺、イジメなんてもうやめようって、ホントにそう思ってたんやで。俺のこと、チクらんと庇ってくれたアイツに今度は俺が男を見せる番だってな。つまり、俺はアイツを認めてたんや。なのに、あいつは……あいつは!」
 そこまで言った室町が、激しく机に拳を叩きつけた。
「月の煌々と照る夜だった。やたら明るい夜だった。月明かりがすべてを青色に染め上げて、めっちゃキレイな夜やった。俺、約束どおりひとりで河原に行ったよ。そしたらアイツ、手にナイフなんか持ってて、俺に気づくとなんかしらん獣みたいな叫び声あげながら、すごい勢いで土手を駆け上がってくる。いや、あン時はホンマに殺される思うたわ。そこで俺は悟ったね。アイツがチクらなかったのは、俺を庇うためやない。俺に直接仕返しするためだったんやってな」
「それで……どうなったんですか?」
 千夏は正直耳を塞いでしまいたかった。だがなぜか、心とは裏腹に話の先を促している自分がそこにいた。
 室町はゆっくりと目を閉じた。
「すべてが青い風景。今ならはっきりと思い出すことができるよ。
腹に構えたアイツのナイフがまっすぐ吸い込まれるように俺の懐に飛び込んでくる。
間一髪で避ける俺。
すぐさまアイツのナイフを膝で蹴り上げる。
くるくるとブーメランみたく宙を舞うナイフはやがて叢に落下。
どこに落ちたか、もうわからへん。
得物を失ったアイツは怯まず俺にタックルしてきた。
虚を突かれた俺はアイツの背中にしがみつきながら仰向けに倒れる。
ふたり揉み合いながら土手から河原へ転がり落ちていく。
泥だらけのふたり。
最初に立ち上がったのは俺だった。
やらなきゃやられる。
もう動物的な防衛本能や。
俺はアイツの襟首を引っつかんで、やったこともない柔道の投げ技でアイツを川ン中に放り込んだ。
派手な水飛沫。
アイツはピクリとも動かない。
少しして、ようやく事態が飲み込めてきた俺は焦った。
そうや、アイツ、病気持ちやった!
このままじゃアカンのとちゃうか?
濡れるのも構わず川の中に膝まで浸かって覗き込む。
氷のように冷たい川にプカリと浮かんでるアイツ。
水面に映った月と仲良う並んで浮かんでるアイツ。
苦痛も何にもない穏やかな表情やった……
そん時や。
閉じてたアイツの目がカッと開いて、その腕が俺の首に絡みついてきよった。
信じられへんくらいの馬鹿力でひっくり返されて、浅い川の中に否応なしに首を押し込められる。
苦しい……クルシイ……
水ン中で首絞めれて、ちっとも息がでけへん。
どんどんどんどん意識が遠のいていく。
とにかく無我夢中やったよ。
俺は我を忘れて手近の石を掴んでアイツの後頭部に振り下ろしてた。
がつうん、てな。
アイツ、ウッてうめいてぶっ倒れた。
そこですぐさま形勢逆転。
今度は俺がアイツの馬乗りになって、あいつの首を川の中へ……
最初は腕とかめっちゃ引っ掻いて抵抗してきたけど、そうやな……1分くらいしたら、ぶくぶくっていう水泡がアイツの口とか鼻から出んようになってたわ」
「あ……あ……そ、そんな……」
 静寂が、図書室に、横たわっていた。
 千夏の目には涙が膨らんでいた。
 室町さん……あなたまで……あなたまで……人を殺したと……
 どうして…………どうして私に話すのよッ!
 千夏が言葉を失っている間も室町は告白をやめようとしない。
「結局、アイツの死はうまいこと自殺で片づけられてしもうた。アイツ、河原に来る前に書置きを残してたんや。『お父さん、お母さん、ごめんなさい』って、たった一行。ま、大人たちはそいつを遺書と取ったわけやな。ほんまは、『これから同級生の室町を殺しに行ってきます。ごめんなさい』っちゅう意味やのにな。あ、いや、せやけど、アイツは逆に俺に殺されることも想定してたのかもしれへんな。『先立つ不幸をお許しください。ごめんなさい』ちゅう意味やったのかもしれへん。なんにせよ、もうそれを確かめる術はないねんけど……イジメをする人間ちゅうのは基本的に弱い人間なんや。どうしようもなく臆病で悲しい性を持った人間なんや。俺、最後の最後までアイツには敵わんかった。ずっと記憶の片隅に追いやって忘れることで逃げてたんや。俺はアイツを殺したあの日から一歩も進んでへん。青い月が世界を照らしたあの日から一歩も……」
 千夏は大粒の涙をいくつもいくつも流していた。
―――まただ。また自分は人を殺した、だ。
 それだけじゃない。今まで自分に罪の告白をした人たちは、どうしたことかみんな法では極刑を免れるものばかり。
 夫殺しの石田さんの場合は情状酌量の余地充分にあり。
 友人殺しの美結さんの場合、あれはもう完全なる事故。
 螺子目さんも同じく、偶然見つけた部下の自殺をとめなかったにすぎない。
 愛する人を手にかけた平さんは、不確定要素の大きい犯行ゆえに殺意の立証は難しい。
 母親の愛人を殺した数馬くんには、母という身代わりがいて、しかも少年法に守られている。
 これは室町さんの場合にも言えることで、しかも正当防衛。そもそも今の話が本当ならば、平さん同様、殺 人罪としての時効も成立しているはずだ。
――――――冗談じゃない! なんという理不尽! もう、こんなこと……
「室町さん、どうして……」
「ああ、皆まで言うな。なんでアイツを殺したこと、自分に話したんだ、って言いたいんやろ」
 室町は顔をしかめて頭をさすりながら、ドアに向かって歩き出す。
 彼の小さな背中が千夏に語る。
「俺な、人生に負け癖がついてんねん。だから今はええ転機なんやと思う。どっかで飛ばなあかん。今が俺にとってその時なんや。あんたに罪の告白をした連中はみんないなくなってしもうた。けど、俺はその逆境をはね返してみせるよ。それにな、俺がアイツを殺したのが事実かどうかだって怪しいもんや。アイツを手にかけたことは現実じゃなく、夢かもしれへんし、妄想かもしれへんし……いや、待てよ。俺は本当に結婚なんてしてたのか? 家庭なんて持ってたのか? 後輩の借金を肩代わりして、ヤクザに追いかけまわされたりしてたのか? そもそもアイツは本当に存在してたのか……」
 千夏は、次々と己に疑問をぶつけている室町の背中から未だ目を逸らせないでいた。
―――記憶なんて、所詮は自分の中でしか機能していないもの。自分の中でしか有効じゃないもの。他の誰かが自分の記憶を否定すれば、その時点でどちらかが誤った記憶を持っているということになる。
 室町さんだけが特別なんじゃない。
 人は自分に都合の悪いことから目を逸らしフタをする。
 そして、なかったことにする。
 そして、なかったことになる。
 記憶なんて……
 キオクナンテ……
 とても、不確かで……
 とても、あやふやなもの。
「そしたら、俺、部屋に戻るわ」
「でも、その頭、手当しないと」
 室町は、ドアに手をかけ、やがて千夏を振り返った。
 そこには少年のように純粋な泣き笑いのような顔。
「アホやな、俺。ホンマにしょうもない……なんでやろ。なんで、あんたに話してしもうたンやろ……そやな、うん……自分を……自分を追いつめすぎてしもうたんやな」
 と、ドアを乱暴に開けた室町が、どたばたと走り去っていく。
 まるで見えない『アイツ』から逃れようとするかのように……
 室町が去り、呪縛のように緊迫した空気が緩むと、千夏はその場にへたり込んだ。
「千夏さん、どうかしたんですか?」
 突然声をかけられ、心臓が飛び上がる。
 服の袖で涙を拭き、顔を上げると、ドアのところに菅野祐介が立っていた。
―――いったい、いつから……?
「あの……」
 しかし千夏は一旦開きかけた口を閉じて、力なく首を振った。
「いえ、なんでもありません。なんでもないんです……」


「おうおう、皆さん早いお着きで」
 午後6時の時報とともに食堂に現れた松本浩太郎の第一声である。
 松本が来た時点で既に3名の構成員が席に着いていた。
「いつも威勢だけはいいんだな、まったく君には感服するよ」
 そんな皮肉で応じるのは言うまでもなく菅野祐介である。
「へっ、あんたらみたいに辛気臭い顔ばっかしてっとよ、いやでも死神を背負い込むハメになっちまうからな。ほら、見てみろよ。あんたの背中にも……」
 と、松本が森岡千夏の背後をおどけたように指差すと、果たして彼女は予想以上に憤慨して彼の手を払いのけた。
「松本さん、冗談はやめてください!」
「おお、こわいこわい。っていうか、お前自身が死神だったよなあ、千夏ちゃん。え、おい、次の生贄は誰なんだ?」
 千夏は唇を噛みしめ俯いた。悔しさやら情けなさやら自分でもよくわからないごった煮の感情が彼女から一切の言葉を奪っていた。
「まったくそのとおりだわ。千夏さん、あなた私に妙なこと訊いたりしないでよ。死神も疫病神もこっちは間に合ってるんだから」
 と、神経質に爪を噛み、千夏を睨みつけてきたのは鱒沢遙。
 遙は落ち窪んだ目で猜疑心たっぷりの視線を泳がせ、他の構成員たちの様子を窺っている。
 というわけで……。
 松本浩太郎、菅野祐介、森岡千夏、鱒沢遙。4人の構成員がゲーム7日目、夜のタイムチェックを無事クリア。
 残るはあと1名。
「めずらしいな。関西弁のおっさんが、まだとはな」
「あと1時間もある。そのうち来るだろう」
 と、松本の独り言に、菅野はいたくドライな反応を示している。そんな彼とは対照的にやたらそわそわしているのは千夏だった。彼女ひとりが酷く何かに焦っているようだった。
 やがて、矢も盾も堪らず千夏が席を立つ。
「私、室町さんを呼んできます」


 廊下に出た千夏の足がもつれる。転ばないのが不思議なくらいに……。
―――落ち着いて。まだ決まったわけじゃない。
 厭な汗。吹き出る汗、止まらない汗。
―――ありえない。そんなこと、そんな都合よく……ありえない!
 止まらないゲーム。予感が予感のままでは終わりそうもない気配。強烈な気配。
―――もう止めよう。お願いだから……
 乱れる呼吸。丘に上がった魚のように空気を求めてもがく。あがく。
―――も……もう、イヤダ!
 まっすぐ伸びる廊下は永遠のように長く感じられた。すべてがひどく緩慢でひどく滑稽だった。
「……室町さん!」
 階段までようやく辿りついた千夏の顔が、花が咲いたように綻んだ。
 見上げると、1階と2階のちょうど中間に位置する踊り場に彼はいた。
 彼はそこに立っていた。
「ああっ、室町さん、良かった。さあ、みんなで夕食にしましょう…………………………えっ?
 その瞬間。
 彼女の眼前にまたしても信じられない光景が飛び込んでくる。
 こてっ……
 首がもげた。
 何の前触れもなく、彼の首がもげたのだ。
 階段を転々と落ちてくる生首。
 堀切数馬のときと同じだ。
 少し遅れて、首から下の胴体が前のめりに倒れ、失った己の首を追いかけるかのように、ごろごろと転げ落ちてくる。
 千夏の目にはすべてがスローモーションに展開した。
 彼女は反射的に一歩後退した。
 遺体に触れてはいけない。
 前回、数馬のときに菅野から受けた警告をかろうじて思い出す。
 千夏が避けるとすぐ、今まで彼女がいた場所に、転げ落ちてきた首がちょこんと留まった。恨めしそうな瞳が床を見つめている。
「室町さん……」
 皮肉にも数馬とときと同じように間近で生首とご対面する千夏。生首とはよほど縁があるらしい。
 これは必然なのか、偶然なのか……?
 とても直視できない千夏は目を逸らすように視線を階段の方に向ける。
 そこには夥しい量の鮮血が、撒き散らされていた。
 原因は言うまでもなく、足元に転がる肉の塊。首なしの胴体である。
 首の付け根からは、白い骨が剥き出しになっていて、肉との間からドクドクと血が噴き出しつづけていた。
 その血が醸し出すムッとする臭気が廊下に蔓延し、激烈な吐き気がこみ上げてくる。
 どれだけ時間が経ったのだろう。
 いや、きっとほんの数十秒……数秒かもしれない。
 黒服の男たちがやってきて、首を黒いポリ袋に放り込んでいた。胴体の方は毛布に包まれ今まさに運ばれていこうとしている。
 行き先は当然、2階の7号室だろう。
 室町祥兵、ラッキーセブンの部屋。
 【代理人】たちの慌しい動きを察知した菅野と松本が後を追うようにしてやってくる。
 少し遅れて遙も現れた。
 菅野はしきりとデジカメを回していたが、既に遺体は回収された後である。
 無音の世界。
「……なつ……ちなつ……千夏!」
―――私を起こすのは誰? お姉ちゃん?
「どうしたんだ、千夏、この血は一体なんなんだ! 室町の旦那なのか?」
 松本が容赦なく彼女の肩を揺さぶると、無音の世界はあっさりと崩壊した。
「松本さん……?」
「しっかりしろ。何があったんだ」
「室町さんが……室町さんが……首が取れて……」
「なんだとッ!……くそったれがッ!」
 松本が鬼のような形相で、血塗れの階段を疾風の如く駆けあがっていく。
 松本に替わり今度は菅野が千夏に近づいてきた。
「大丈夫ですか、千夏さん。少し休みますか?」
「いえ、私は平気です」
「そうですか。それではこれから3つ質問をします。落ち着いて答えてください」
「あ……はい」
 菅野がゆっくりと千夏の目を見て語る。
「まずひとつめ。室町さんは退場したんですか?」
「……ええ」
「ではふたつめです。そのとき、室町さんはどんな様子でしたか?」
「室町さんは階段の踊り場にいました。私はそれをここから見上げて、呼びかけると急に首がぽろっと取れて、首と胴体がそれぞれ階段を転がり落ちてきました」
「なるほど。だから階段にあんなに血が付いてるわけか。じゃあ最後、3つめの質問です。室町さんは他の退場者がみんなそうしてきたように、あなたに罪の告白をしましたか?」
 菅野の事務的な口調が、千夏の壊れかけた精神を平常に引き戻していく。それにしても最後の質問は彼女にとって酷なものであることに変わりはない。だが彼女は気丈にもはっきりと頷いてみせた。
「はい、彼は……室町さんは……私に話しました」
 先刻の図書室で室町が語った罪の告白。それをほぼそっくりそのまま、菅野に話して聞かせた。話していると少しだけ気が紛れた。
 そこへ2階から下りてきた松本が興奮覚めやらぬ状態でわめき散らす。
「たった今、毛布とポリ袋が7号室に運び込まれたぞ!」
「ねえ……」
 と、今度は、ずっと押し黙って成り行きを見守っていた遙が口を開く。
「あたしたちもバラバラにされちゃうのかな……」
 そして糸が切れたように唐突に笑い出した。
「あははは、あははは、あはははは……みんな死ぬんだ。みんな殺されちゃうんだ。あなたも、あなたも、あなたも!」
 と、千夏、菅野、松本を次々と指差し、そして自分の鼻を指す。
「そして、あたしもね……くくく……あははははは、あははははは、あはははははははは」
 遙の空虚な笑い声が廊下に響いていた。
 他に笑う者はない。
 他に語る者はない。
 他に止める者はない。
 他に動く者はない。
 残った構成員は4名。ゲームはいよいよ中盤戦へと突入する。


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