第23章


第23章  21人の共犯者

 8月10日、朝。
 3週間に及ぶゲームの折り返し地点まであと少しというところまで来ていた。
 この時点で退場することなく残留している構成員はわずかに3名。【犯人】の手がかり、未だなし。
 食堂では7時のタイムチェックと朝食を済ませ一息ついているところ。11客の椅子に囲まれた縦長のテーブルには、いつものとおりホスト席に山口代理人が、その両隣りに菅野祐介と松本浩太郎が座っている。さらにずっと離れた末席には鱒沢遙がひとりぽつねんと浅く腰掛けていた。
 びっしり書き込まれたメモ帳をめくっている菅野祐介。
 食事にほとんど手をつけず虚ろな視線を彷徨わせる鱒沢遙。
 両手をテーブルの上で組み、構成員たちの動向を黙して見守る山口代理人。
 そして――
「やっぱり妙だぜ」
 松本浩太郎がホットコーヒーを音を立てて啜るとそう言って立ち上がり、部屋の中にいる4人の【代理人助手】の前に順々に歩み寄っては睨みつけていった。むろん【代理人助手】はまったく怯まない。サングラスの奥の目もきっと涼しげに彼の視線を受けとめていることだろう。
「なあ、ここにいる連中、たった4人だぜ。ぜってえ少なすぎるって」
 その議論は以前にもしていた。【代理人助手】20人が本当に存在するのか? 提言したのは森岡千夏だった。
「やっぱさ、もう少しいてもいいと思うんだよな。残りの連中は一体どこで何してるんだろうねえ。なあ、山口さんよ」
「各所に配置しております」
 顔を寄せて凄んでみせる松本に山口が静かに答える。
「どういう配置だよ? 人のいないところに【代理人助手】を配置する意味がどこにあるってんだ? 交代で寝ているヤツや3階でモニターの監視とかしてるヤツを除いても10人はいるはずだぜ。そのうちここにいるのが4人。残り6人は何なんだ。サボってんのか。それとも全員【犯人】のお目付け役か。だとしたら、あちらさんはズイブンとビップ待遇じゃねえか」
 山口は答えない。それは【犯人】の指示によるものだろう。では何のためにこんな無駄な配置をしているのか? 逆に言えば考える必要があるということだ。
「10人が5人に減れば、単純に考えて自分の周りには当初の2倍の人間が張りつきそうなもんだ。だが実際そうはなってねえ。あんたに言わせれば場所ごとに配置につかせているってことになるが到底納得できるもんじゃねえよな」
「そうよ、そんなの意味ないわ」
 末席の遙が蚊の鳴くような声でそう言うと、菅野が被せ気味に発言する。
「美結さんが退場したとき、【代理人助手】が効果的に使われていました。他にも【代理人助手】を使って【犯人】は何かを仕掛けようとしているんじゃないのかな」
 疑問系でありながらも、その口ぶりは何かをはっきりと掴んでいるかのようだった。松本はテーブルの角、山口と菅野の間に立っていき、菅野を見下ろした。
「毎度のことながら思わせぶりな物言いじゃねえか。あんた一体何を知ってる? そういやあんた前に、宿題にさせてくれとか言ってたな。その答えは出たのかよ」
「ふっ、あの時点で既に考えはまとまっていたさ。だが敢えて言わなかった。しかしもう言っても構わないだろう」
 優雅に紅茶を飲む菅野の意味深なコメントに松本が猛然と食いついた。
「どういう意味だよ、今なら言えるって?」
「簡単なハナシさ。大前提が崩れてしまった、つまり僕の推理のひとつが可能性としてなくなったからこそ、今なら話せるってことだ。こういう可能性も実はあったんだよ、とね」
「ねえ、どういうこと? もっとわかりやすく説明して」
 遙もその話に興味を惹かれたらしく菅野のもとへ立っていく。菅野は聴衆が充分に自分に注視していることを確認すると絶妙な間を置いて回答した。
「シルエットですよ」
「はあ? なんだよ、それ」
「【犯人】が早めに退場する最大のデメリットはなんといっても行動の制限です。死んだはずの人間が部屋から出歩いているのを発見された時点でこれはもう動かぬ証拠。即刻告発の餌食となりジ・エンドだ。だから【犯人】が早々に退場する作戦をとる場合、相当のリスクを覚悟しなければならない」
「んなこた知ってらあ。話を逸らすんじゃねえよ。つうか、お得意の前フリってやつか?」
 松本が尋問する刑事のようにテーブルを叩くも、菅野はやれやれとばかりに薄く顔をしかめるばかり。
「でも、だからこそ告発されにくいというメリットもあるんじゃない?」
 顔面蒼白の遙に菅野が人差し指を立てて応じる。
「そのとおり。だから何か善い方法があれば【犯人】は早々に退場したはずなんです」
「善い方法だと? そんな妙手があるのかよ」
「あるんだよ、ひとつだけ。そのためには【代理人助手】をマンツーマンにしないことが条件だと僕は考える。それはなぜか? 千夏さんが言ったように【代理人助手】20人のうち、7人が睡眠を取り、3人が詰所勤務、残りの10人をマンツーマンに張りつける方法をとらず各所配置にした理由は実に単純明快。なるべく【代理人助手】を一箇所に集めないようにするためさ。では、それは何のために? 死を装い退場した【犯人】が今度は【代理人助手】を装い、本物の【代理人助手】に紛れて堂々と館内を動けるようにするためだよ。一見実現不可能、大胆な発想に思えるかもしれないが、【被害者】は【代理人助手】に声を掛けることが出来ないわけだから、案外うまくいきそうな気がするんだ。まあ、そうは言っても老人や子どもでは背格好があまりにも違いすぎる。なにしろ【代理人助手】はみな屈強な大男だからね。結局この作戦を採用できる人物はどうしても限られてくる。そうなんだよ、松本浩太郎君、君だけなんだ」
「なっ……」
 おまえが【犯人】だとばかりに自分を指差され、思わず言葉に詰まる松本。
「【代理人助手】の配置についての話題が出た時点で退場者はまだ2人だった。だからもし君が、次やその次あたりで退場するようなことがあったら【代理人助手】に紛れて行動していることを考慮に入れようと僕は考えていたのさ。しかし、そんな手がありながらそれを実践していないのだから、どうやらこの説は取り下げるしかなさそうだ」
「ちっ、食えねえやつだな。もし俺が早々に退場していたらあんたは俺を疑ってたってわけだ。でも俺は頭のデキはあんまり良かねえんだぜ? 自分で言うのもなんだが俺が【犯人】だとしてもその作戦を思いつかなかったって可能性もあるよなあ」
「だが君が【犯人】であれば事情は違う。君は愚者を演じていたに過ぎない。その場合は僕こそが道化だったというわけさ」
「なるほど、要するにこれで俺への疑いは晴れたってこったな」
「いや、疑いが薄くなったというべきだろう」
「ふん、慎重なんだな。で、そのココロは?」
「だいたいわかるだろう? 【犯人】である君がそこまで看破されることを見越して敢えてその策を採らなかったという可能性もまだ残っている。それに、ここまでの【犯人】の行動から察するに【犯人】は明らかにゲームを楽しんでいるふしがあるからね」
「あんたと同じようになっ!」
 松本の皮肉をスルーして菅野が続ける。
「そうであるならば、代理人詰所などでモニター越しに見物するよりも砂被りの特等席でゲームを観戦していたいという心理が働くのではないだろうか。そして、その推測が正しいならば【犯人】はまだ退場していない松本君か遙さんのいずれかということになる」
「それは俺から見ても同じことだ。いや、あんたが俺を怪しむ以上に俺はあんたを怪しまなきゃならねえ」
 言われっぱなしの松本が、菅野に食ってかかる。
「ほう、それはどういうことかな?」
「【犯人】が早々に退場せずここまで残っているメリットがもっとあるってことさ」
「なるほど……」
「そうさ、議論のミスリードってやつだよ。俺たちはゲームが始まった頃からなんだかんだ言いながらもこうして互いに意見を交し合い議論を重ねている。そんなのをモニター越しに眺めていて鋭い意見が出されれば【犯人】だってビビるだろ。三人寄れば文殊の知恵とも言うしな。ひょんなことから【犯人】が窮地に追い込まれることもあるかもしれない。それだったら議論が真相に近づきそうになったり、核心に触れそうになったら、【犯人】自身がさりげなく議論を歪め、すり替え、ごまかす、その手のミスリードをこの場に残っていればできるわけだ。そしてその適役はあんたしかいない。だろ、菅野大先生よ」
 逆指名された菅野は特に驚く様子もなく、スッと目を逸らして山口を見た。
「ところで山口さん、この部屋にいる4人の【代理人助手】ですが、石川さん、千葉さん、長野さん、あとひとりは名前まではわからないが見覚えがあります。やはりどうも不自然なんですよ。いや不自然極まりない。やはりなんらかの理由で【代理人助手】の一部を隠している、あるいは温存しているような印象を受けずにはいられないんです。そこでお願いなんですが……」
 メモ帳の何も書かれていないページを開いた菅野が山口に依頼した。
「残りの16人を一旦ここに集めていただけませんか」
 果たして山口は小さく頭を下げて断った。
「全員を一同に集めるのは不可能です。ゲームの運営に支障を来たしますので」
「【代理人助手】はみんな似たり寄ったり、着ているものも背格好も同じで、しかも帽子を被りサングラスまで掛けている。これでは見分けがつきにくい。それでもここにいる4人はわかる。この人が石川さん、この人が千葉さん、で、この人が長野さん。この人たちはよくお見かけするので識別できるんです。だけど確信がもてないんです。10日間過ごしてきて確かに【代理人助手】20人全員と顔をあわせているという確信がね。まあ、これは特に【犯人】探しに役に立つ情報とは思えないのですが、なんとなく気持ち悪いんですよ」
「しかしですね……」
「では10人でいい。夜に残りの10人を。僕はただ確認したいだけなんだ。どうですか」
「残念ですが」
 そんな禁止事項、規則には一切記されていない。やはりこれは【犯人】による指示なのだ。しかし菅野は【代理人】の却下を予想していたらしく、それ以上のごり押しはせず、すぐさま譲歩案を提示した。
「では、せめて【代理人助手】の氏名だけでも教えてもらえませんか。そこまでは【犯人】に口止めされていないでしょう」
「けどよ、どうせ偽名だろうし、名前なんか聞いても……」
「いや、これは推理とは関係ない。もしもここで果てるのなら、それを見届けた人たちの名前くらい、たとえ偽名でも、たとえ呼びかけることが出来なくても知っておきたいと思うんだ。どうでしょう、山口さん」
「承知しました。では」
 山口が手帳を開いて名前を書き込んで一通り読み上げると、その頁を裂いて菅野に渡した。

 福島一郎 (ふくしまいちろう)
 宮城二郎 (みやぎじろう)
 新潟三郎 (にいがたさぶろう)
 奈良四郎 (ならしろう)
 秋田五郎 (あきたごろう)
 三重六郎 (みえろくろう)
 石川七郎 (いしかわしちろう)
 山梨八郎 (やまなしはちろう)
 山形九郎 (やまがたくろう)
 滋賀正成 (しがまさしげ)
 島根義時 (しまねよしとき)
 千葉信長 (ちばのぶなが)
 福岡大助 (ふくおかだいすけ)
 長野宗之 (ながのむねゆき)
 福井康成 (ふくいやすなり)
 広島平次 (ひろしまへいじ)
 富山公文 (とやまくもん)
 茨城菊丸 (いばらききくまる)
 大阪主税 (おおさかちから)
 岡山右近 (おかやまうこん)

「やっぱり全部県名だったのか。で、なにか気づいたかい?」
 メモを後ろから覗き込んでいる松本がそう尋ねるも菅野は何も答えない。
「兄弟でもないだろうに一郎から九郎までいて、その他は武将のような名前。これらからわかることはどうやら偽名で間違いなさそうだってことくらいだな」
「ああ、そのようだね」
 そっけない返事の菅野はメモをふたつに折って内ポケットにしまった。わかりきったことだが結局得たものは何もなかった。何度となく体感してきた絶望的状況に耐え切れなくなったかのように遙が呟く。
「……もうイヤだ」
 遙が山口の手を握って懇願する。
「ねえ、山口さん、本当にゲームをやめることは出来ないの? ギブアップっていうルールはないの?」
「ありません」
「じゃあ作ってよっ! 今すぐ作ってよっ! もうイヤ、こんなの……もう、あたし、疲れた……」
 松本が遙の肩に手を置いて勇気づける。
「大丈夫、あんたは死にやしない。俺がついてる。俺が見ていてやるから」
 そんなふたりのやりとりには我関せずで菅野が退室していった。
 遙が両手で顔を覆い、しくしくと泣きはじめた。
「退場した人たちの中に【犯人】がいる可能性が高いのは頭ではわかってる。わかってるけど、でも、どっちも怪しいのよ。菅野さんも松本君も、ふたりとも怪しく見えてしょうがないの。でもね――」
「うん?」
 遙が顔を上げて松本の顔を覗き込んだ。
「松本君、あたしはあなたを信じるわ。告発して【犯人】をひとりに絞り込むことは出来ない。それって9分の1って低い確率だし、そんなの無理。でも【被害者】をひとりだけに絞り込むことだったらできそうな気がする。それだって随分勇気が要るけど」
「了解だ。俺もあんたを信じるよ」
 根拠など必要なかった。なにしろ確率は9分の8。88.9%なんて外れるほうが難しい。そんな高い確率に賭け、自分以外の誰かひとりを信じて一緒に行動していれば安全度は俄然増す。それを最初からやっていたらもっと違った展開もあったかもしれない。これは騙しあいや化かしあいのゲームなんかじゃなく、人を信頼することの難しさと大切さを学ぶゲームなのかもしれない。
 松本が顎をかきながら不器用な笑顔をつくる。
「初めてかもしれねえな、人から信じられるなんて」
 そして遙の腕を取りながら請け負った。
「全部俺に任せておけよ」
「え……?」
「あんたは俺が守る、絶対に守ってみせるから」
 そしてふたりで手を取り合って階段を昇り、遙の部屋の前まで移動する。松本は遙に食料を持たせ部屋に入って休むよう促した。
「俺が廊下で見張っててやるから、安心して休んでくれ」
 そんな頼もしい台詞を吐く松本の袖を遙がそっと掴んだ。
「ね、部屋に来ない? ひとりは怖いの」
「や、でもそりゃ、規則違反だろ」
「でも……」
「なあ、へんな誤解しないでくれよ。俺には下心なんて一切ねえ。それに俺、オバサンは趣味じゃねえんだ」
 最後のはちょっと照れ隠しのようでもあり、松本の思いを汲み取った遙は目尻を下げて微笑んだ。
「ふふ、それもそうね」
 ドアの閉じる際、遙がすがるようにか細い声で確かめる。
「ねえ、ホントにあたしを守ってくれる?」
「ああ、任せてくれ」
 そして扉は閉ざされた。そのタイミングで2階に上がってきたのは菅野だった。あるいは踊り場で今の一部始終を聞かれていたかもしれない。
「ほう、これは意外だな。てっきり君たちは食堂に残っているものと思っていたんだが……」
「ちっ、冷血漢が何の用だ。俺を殺しに来やがったのか、この現実主義者め」
「君にそんなことを言われるのも心外だが、まあそう邪険にしないでくれ。それに僕だって完全なリアリストってわけでもないんだ。遙さんが言っていた人間教に乗っかるわけじゃないが、葬儀屋なんかやっていると神の存在をつい考えてしまったりもする。もちろん僕は他人の説く宗教になど興味はない。僕が信じる神は僕自身のためだけに存在する絶対神だ」
「自分のためだけの神? はん、背後霊みたいなもんか」
「まあそんなところかな。神はひとりじゃない。人間と同じで能力にも個人差がある。決して平等なんかじゃないんだ。これだけ不公平な世の中で神様だけは平等だと臆面もなく言っている連中のほうがどうかしている。そんなのまるで説得力がないじゃないか。人はよく運がいいだの悪いだのと言う。だけど僕はこう思うんだ。運というものは個々についている神の力の差の表れだとね」
「ふん、なかなか斬新な発想だこと。やっぱりあんたは教祖に向いてるよ。少なくとも信者側の人間じゃねえな。まったく、あんたらしいぜ。誰も信じない。自分しか信じねえんだもんなあ」
「……僕は自分すら信じてないよ」
「へえへえ、そうですかい。で、あんたの神様の仕事ぶりはどうなんだ」
「僕はあまり努力というものをした覚えがない。特に秀でた才能があるというわけではないが、大抵のことはそつなくこなしてきた。そうできるのはおそらく神の仕業だろう」
「運が強いとも言えるってか」
「僕が気に入らないと思った人間は勝手に自滅するし、僕が欲しいと思ったものは労せずに手に入る。この手のひらはまるで磁石のごとくだ。欲しいものは勝手に引き寄せられてくるし、いらないものは勝手に遠ざかる」
「つまんねえ人生だな」
「本当は羨ましいんじゃないのか。僕にはわかる。自分の胸に手を当てて君自身の神に問いけてみるといい」
「はっ、菅野教か。俺はパスだな。ただひとつだけ自信を持って言えるぜ。あんたは大きな勘違いをしている。たしかに、あいつはなんでもうまくやっている、欲しいものを難なく手に入れている、そういうふうに他人から思われることはある。隣りの芝生は良く見えるってやつだ。だが自分自身をそう思う人間なんていやしねえ。あんたもその例外じゃない。あんたはただ無意識のうちに出来ることと出来ないこと、手に入るものと手に入らないものを選別しているだけなんだ。無理だと思ったことは最初からやらない。だから努力をしないでなんでも手に入るなんて言えるんだ。気に入らない人間は勝手に遠ざかるというのもおそらくただの思い違い。苦手な人間が遠ざかるんじゃない。あんた自身が無意識のうちに避けているだけだ。勝手に自滅するだって? 何を言ってやがる。人間はみんなどこかで挫折してるんだよ。失敗しない人間なんていやしねえんだ。それを自分の都合のいいように曲解してやがる。菅野祐介本性見たり。あんたはとんだアマちゃんだ。あんたは何でもかんでも欲しいものを手に入れたと思っているだろうが、その実、あんたの手の中は空っぽ。あんたは何も手に入れちゃいない、何ひとつだ。そんなあんたがこのゲームをマジでモノにしようとしている。絶対的不利な状況にもかかわらずだ。死にたくないって気持ちもあるだろうよ。だが、それはきっかけにしか過ぎねえ。あんたは今初めて向き合ってるんだ。『あきらめない』って言葉とな」
 松本の長講釈に意外にも反論はなかった。
「へえ珍しい。ダンマリかよ。つうこたあ図星か?」
 しかし菅野は超然と受けとめ、わずかに眉をしかめてみせただけだった。
「否定はしない。いろんな考え方があるものだなと素直に感心したよ。松本君、人の心はたとえるなら水のようなものだ。器や環境次第でどうとでも変わる」
「今の俺がそうだと?」
 菅野が遙のドアに冷たい視線を送りながら皮肉を飛ばした。
「彼女を守るだなんてナイト気取りも結構だが、先に自分自身の心配をしたらどうだ」
「何が言いたい?」
「残念ながら彼女はもう限界だ。とても残りの日数生き延びられるとは思えない。肉体的にも精神的にも疲弊しきっている。思い切って一か八かの告発を勧めたいところだが、彼女にそんな度胸はない。彼女は近いうちにこのゲームを降りることになるだろう。【被害者】であろうが【犯人】であろうがね。そうなる前に自分の身の振り方を考えておくべきだ」


「そうか、わかったぞ。やっぱりおまえら全員グルだったんだな!」
 2階廊下。松本が菅野と遙、山口代理人らと向き合う形で詰問した。
「遙さんはまるで自分ひとりが騙されていたかのように言ってたが、それは不敵なブラフ。今までいろんな仮説を立てその都度、その可能性を潰してきた。そんな状況下で敢えて真相を語り、真実をもあたかもありえないことのように埋もれさせる。そうなんだ、遙さんひとりが騙されていたんじゃねえ。騙されていたのはこの俺、松本浩太郎だったんだ!」
「いやあ、ついにバレてしまいましたか」
 菅野が今まで見せない別人のような屈託のない表情で笑った。それはまるで芝居から素に戻ったかのように。
「ちぇっ、どこでわかっちゃったの」
 遙の雰囲気も違っていた。おどおどした様子は微塵もなく、むしろ軽薄でちょっと蓮っ葉な印象だ。
「でも、絶対僕のせいじゃないからね」
 と、1号室の扉が開き堀切数馬が現れる。こちらはやんちゃ坊主といったところか。
「私も違いますよお。何もドジは踏んでないはずですもん」
 皆の顔色を窺いながら申告しているのは平一だ。
「あたくしもですわ。だって出番もほとんどなかったわけですし……って、こんなお上品な言葉、もう使わなくてもいいのよね」
 ペロリと舌を出した石田サチコが杖なしで現れる。
 続いて室町祥兵、螺子目康之、伊勢崎美結、森岡千夏と全員がそれぞれの個室から姿を現す。
「なんだよ、やっぱりかよ……」
 嬉しいような、悔しいような――だが。
 とにもかくにも全員揃った。
 これでゲームオーバー? 茶番劇は終わり?
 っていうか、こりゃあ……
 千夏がニヤリと小悪魔的な笑みを浮かべて問いかける。
「あなた、刺激が欲しかったんでしょ。だからこのいんちき殺 人ゲームを企画してあげたの。どう、楽しんでもらえたかしら?」
「誰が……誰がこんなことを……」
「あなたのお爺様よ。ほら、ここに契約書の写しがある」
 と、美結が口添えする。
 構成員たちに周りを囲まれ身動きが取れない。松本包囲網はどんどん狭まっていく。
「ふ、ふざけンなッ!」
「まあまあ、そう怒りなさんな」
 室町が標準語で宥める。
「悪趣味にもホドがあらあ」
 思わず声が裏返る松本が胡坐をかいてふてくされていると、螺子目のからかうような声が頭の上から降ってきた。
「だが正直安心したんじゃないか、松本君」
「バカ言えよ。ウン千万の大金だぜ。ホント、惜しいことしたぜ、くそっ」
 まるでカゴメカゴメのように松本を囲いこむ9人。
 そしていきなり口からどろりと吐血する。一気に、9人揃ってだ。
「なっ……なんだあ……」
 バタバタと倒れる9人。
 それを少し離れたところで見ている山口代理人。
 さらにその後ろにずらりと居並ぶ20人の【代理人助手】たち。
「ひ、ひえっ……」
 腰の抜けた松本は這うようにして山口ににじり寄り、その足にしがみつく。
 歯がかちかち鳴っている。心底震えていた。
「なんだよ、こりゃあ――全体ナニがナニやら……こいつはあれか、夢か、それとも幻か……」


「悪い夢でも見ていたようだね」
 声に誘われ覚醒すると、菅野祐介が皮肉な笑みを浮かべて松本を見下ろしている。
 どうやら遙の部屋の前で眠りこけてしまったらしい。汗の張りついたシャツが気持ち悪かった。変な格好で眠ってしまったためか体の節々が痛み、疲れもとれた気がしない。むしろ蓄積したくらいだ。
「うっ……今、何時だ……」
 そのとき、松本の問いに答えるかのように―――
「ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ」
 鳩が12回鳴いた。どうやら4時間ほど眠っていたようだ。
「姫の御前で居眠りとはたいしたナイトぶりだな」
「ふん、ちゃんとドアに寄りかかって寝てたんだ。【犯人】の進入を防ぐことはできたぜ」
「笑わせてくれる。君が寝ている隙に【犯人】に襲われては元も子もないだろう」
「だがこのとおり俺はぴんぴんしている。で、あんたのほうはどうなんだ」
「僕もずっとここにいたよ。眠りこける君の横で読書に勤しんでいた」
 菅野は辞書のような分厚い本を掲げて肩をすくめた。なにやら小難しい本らしい。
「なんだかんだ言って俺たちを守ってくれたってか。頼んでもいねえんだ、礼は言わねえからな」
「いや、礼には及ばないよ。僕がここにいたのは僕自身のためだ。仮に君が【犯人】だとしても眠っている相手なら油断さえしなければみすみすやられることはないし、そのほかの人物が【犯人】ならば、【犯人】に襲われた場合、君を起こして共闘することが出来る」
「嘘つけ、ペテン師が。そんときは俺を置いて逃げるんだろ。そんでもって俺が命の危険にさらされるのを尻目に、てめえひとりは告発の宣言をする。そんなところだろうが」
「ご明察。君も少しは脳の回転数があがってきたようだね」
「バカにすんな。あんたと2、3日も付き合ってりゃ、そんくらい誰だってわかるぜ」
 ふいに4号室のドアが開いた。出てきたのはもちろん鱒沢遙だ。目は落ち窪み、紙のように白い顔、まるで死人だ。石ころのように精気の失せた瞳はまるで焦点が合っていない。
「やはりな……」
「何が、やはりだよ?」
「君は遙さんを守ると言った。ならば当然食堂なりでふたり寄り添っているものと思っていたんだ。だってそうだろう。彼女をひとりにするのはあまりにも危険すぎる。こういう打たれ弱いタイプはひとりになるとネガティブな方向にばかり思考が向かうからね」
 菅野の手にしているのは心理学関連の書籍らしい。勉強熱心で結構なことだと心の内で毒つく。
 そんなふたりの会話がまるで耳に入っていないかのように、足を引きずるようにしてゆらゆらと歩を進める遙。階段で何度も転びそうになり、そのたびに松本が支える。確かに菅野の言うようにかなり参っている、そんなふうに見てとれた。


 12時10分、3人が食堂に入り、12時台のタイムチェックをクリア。そのままランチタイムとなる。
 起き抜けの松本はレンジでチンするだけのパスタを我勝手に食べ始める。菅野はトースト1枚とコーヒーだけ。空腹を満たす程度に食べているといった様子だ。
 さっさと食事を済ませた松本がトレイに載せた菓子パンと缶ジュースを遙の席まで持って行く。
「遙さん、そろそろ腹に何か入れておけよ。このままじゃ体壊しちまうぜ」
「本当に……本当にそう思っているの?」
 うつむいた遙の表情は豊かな頭髪に隠れてまったく読み取れなかった。
「やっぱり無理。誰も……誰も信じられない」
 遙がよろよろと厨房へ向かう。それを目で追う面々。彼女が食堂に戻ってきたときには両手に包丁を握り締めていた。
 最初に反応したのは松本だった。遙の前に進み出て引きつった笑みを浮かべる。
「どうしちまったんだよ、遙さん。やめようぜ。な、落ち着こうぜ。ああ、そういや、初日にも同じようなことがあったよな。そんなことしたって、あんたにとっていいことなんて何にもないんだぜ。さあ、ほらっ、そんな物騒なもん、こっちに寄越して」
 左手をそっと差し出す松本に菅野が鋭く命令する。
「やめろ、松本君。彼女にはもう君の声は届かない」
 お説ご尤もである。誰の目にも鱒沢遙の尋常ならざる様子が窺いとれる。もはや正常な思考が出来ているとは思えなかった。
「うるせえ、頭でっかちはすっこんでろ。あ、いや、大きな声出してごめん。あんたに言ってるんじゃないんだ。なあ、落ち着こうぜ、遙さん、ほらっ、深呼吸してさ」
 遙は髪を振り乱して大きく首を振っている。突き出した両手の先の刃がゆらゆら揺れながらも松本の胴体を捉えている。それでも松本は一歩もひかなかった。
「さあ、遙さん。その包丁をこっちに渡してくれ。さあっ……」
 慎重に彼女との距離を縮める松本。
「いやああ!」
 遙が喉も嗄れよとばかりに奇声をあげた。
「教祖様ぁぁぁ……」
「えっ――」
「本当にぃぃぃ……」
「遙……さん?」
「本当に刺しても死なないのぉぉぉ……」
「駄目だ、錯乱してる。松本君、早く彼女から離れるんだ」
「遙さん、あんた、なんにも悪くねえぞ。ひとっつも悪いことなんかねえんだ。なっ、だから、なっ――」
「信じてるからぁぁぁ……あたしぃぃぃ……あなたぁぁぁ、死なないんだもんねぇぇぇ」
 ついに遙が動き出した。
 腰だめに構えた包丁を目の前の松本に一気に突き出す。
 間一髪でかわした松本が体勢を崩す。
「どうして逃げるのぉぉぉ? 死なないんでしょぉぉぉ?」
 焦点の定まらない目でよろめく松本を執拗に追う。
 片手持ちに切り替えた包丁をめくらめっぽう振り回す。
「いてっ!」
 包丁が松本の腕を掠めた。
 一条の血筋がその腕に浮かびあがる。
 しかし松本は逆上するどころか血を見て落ち着きを取り戻したかのように、笑みさえ浮かべて太い腕をぺろりと舐めてみせた。
「平気平気、ほらっ、ただのかすり傷だから」
 そのとき、時間が止まった。
 いや、止まったかに思えた。
 厭な音。
 この音は――昨日も聞いたこの音は――
 鱒沢遙の手から包丁が滑り落ちた。
 鱒沢遙は泣いていた。
 彼女のひたいには赤い点がホクロのように貼りついている。
 その点から滴り落ちる赤い雫。
 その雫は顎の先で涙と溶けあい、床にぽたぽたと点を描く。
 まるで。
 無造作に放られた麻袋のように。
 風に押される工事現場の木材のように。
 鱒沢遙が前のめりに倒れた。
 広がる血だまり。
 まだ誰も動かない。
 凍りついた時間。
 動けない。
 腕を水平に伸ばした山口代理人の手には拳銃が握られている。
 気づいたときにはスーツの内側にしまいこんでいるところだった。
 山口が抑揚のない声で【代理人助手】に命じる。
「片付けろ」
 松本が吼えた。
「ナニをした! 山口、てめえ、ナニしてくれてんだよ!」
 こぶしを固め、山口目指し猛ダッシュする。
「待て、落ち着け」
 ふたりの間に割って入る菅野が両手を広げて通せんぼする。
「落ち着け、松本君。規則さえなければ平手のひとつもくれて君の目を覚まさせてやるところだぞ」
「くっ、くっそぉ……」
 松本がへなへなと膝をついた。
「まあ、平手打ちくらいなら大丈夫だろうが……」
 そう呟いて松本の肩に手を置く菅野。
「いいか、まずは状況を把握するんだ。遙さんはペナルティを犯した。君を傷つけたんだ」
「じゃあ、俺が殺したようなもんじゃねえか」
「いや、これは自業自得だ。君に罪はない。むしろあれがペナルティ誘発のための計算ずくだったとしたら君を再評価しなければならないくらいだ。君は優秀なプレイヤ―だとね」
「菅野ッ! てめえ!」
「わかってる。それはない。いや、もう言うな。零れた水は元には戻らない。もうどうしようもないんだ」
「畜生ォォ!」
「しかたがないんだ」
 鱒沢遙を引越しの荷物でも扱うように淡々と運び出していく【代理人助手】たちをただ見守るしかないふたり。あっけない幕切れだった。
「これじゃ……こんなんじゃ無駄死にじゃねえかよお……」
「【犯人】はやはりわかっていたんだろうな。早晩彼女は自滅すると」
「ひでえハナシだぜ……スナッフビデオを欲しがるヤツも、金で雇われている山口たちもひどすぎる。だけどよ、俺は誰より【犯人】が憎い! 一番憎いッ!」
「だが、すべてが【犯人】の思惑どおりというわけでもなかった」
「なんだと?」
「遙さんの死はまったくの無駄死にではなかったということだ。彼女は図らずも僕らに重要な手がかりを残してくれた。規則6の(1)、【被害者】は、【被害者】、【代理人】及び【代理人助手】に危害を加えてはならない。これで今まで漠然としていた規則に謳われた危害を加えることの判定基準がはっきりしたよ。つまり、手当てが必要なレベルを危害と判断しているということだ」
「ふん、だから平手打ちくらいなら構わねえってか」
「ただし例外がひとつ考えられる。言うまでもなく遙さんが【犯人】の場合だ。【犯人】は当然【被害者】を傷つけることが出来るわけだから、その場合、遙さんが撃たれたのは芝居だったということになる」
「けっ、結局お決まりの結論か。どっちにしろ何ひとつ確定しねえ。そんなもん意味ねえだろうが」
 松本が八つ当たり気味に菅野の胸倉を掴むが、当の菅野はあくまで落ち着き払っている。
「ではもしも、君が【犯人】だったらどうなる?」
「俺が【犯人】?」
「そうだ。【被害者】は【犯人】にだけは危害を加えてもオーケー。つまり、ここで君を【犯人】と仮定した場合、【被害者】である遙さんが代理人に撃たれたのは明らかに矛盾する。規則7の(5)で【代理人】は【犯人】への協力を目的とした殺 人は行わないと示されている以上、【犯人】の指示によって遙さんが殺されたということはありえないんだ。要するに今の遙さんの行動によって、松本君、君が【被害者】であることが客観的に認められたってわけさ
 最初の説明会で松本が菅野を殴ろうとしたとき、似たようなやりとりがあったことを思い出した。たしかに松本が【犯人】ならばそのような愚を犯さぬため自ら火中の栗を拾おうとするはずもない。もしも松本が【犯人】ならば、遙は山口に撃たれることもなく、菅野は悠々と松本を告発していたことだろう。なるほど一応筋は通っている。しかし菅野は更に論証を進め、驚くべき可能性を提示した。
「しかも賢い【犯人】のことだ。そんな【被害者】にとって有益な情報を与えるメリットは何もない。詰まるところ、遙さんも【犯人】ではないということになる。したがって遙さんの死によって得られた事実は全部で3つ。貴重な、とても貴重なヒントだよ。無駄死になどとは到底言えたものではない」

 松本浩太郎は【犯人】ではない。
 鱒沢遙は【犯人】ではない。
 規則に謳う「危害」とは「手当てが必要なレベルのもの」である。

「くそっ、遙さんを守るといった俺が、逆に彼女の命と引き換えに俺の無実を証明してもらったってことかい……」
 皮肉で残酷な現実に松本が堪らず慟哭する。
「なあ、大先生よ、あんたはどうしてこうも冷静でいられるんだ? 何があんたをそんなふうにしちまったんだ? あんた本当にニンゲンなのか?」
 菅野は何も答えない。ただただ今しがた、ひとりの人間が散っていった残像を見つめるばかり。
 松本は涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら、しゃくりあげるように言った。
「あんたのいうように、ひとりにひとりずつ神様がついてるって言うならよ……」
 松本は目を閉じて祈るように天を仰いだ。
「遙さんの神様はなんてひでえやつなんだろうな……」
 いずれにせよ――
 初めてだった。
 初めて【犯人】に一矢報いた。
 ようやく【犯人】に一太刀浴びせることが出来た。
 だが時既に遅しの感は否めない。
 ゲーム開始から9日と半分。
 ゲーム終了まで11日と半分。
 たったふたりで……たったふたりで、あと11日と半分!


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