第6章


第6章  夜が明けて

 その夜は何事もなく過ぎていった。


 そしてゲーム1日目の朝を迎える……。
 7時には全員が食堂に集まっていた。女性陣が中心に作った軽い朝食を黙々と口に運ぶ面々。まるでお通夜である。話すべきことは山ほどあるはずなのだが、誰も何も口にはしない。口にするのは食べ物ばかり。どんな状況であっても生理現象だけはとめられないのだ。
 トーストを一切れ食べただけの遙が、ごちそうさまを言って席を立った。
「皆さん、ごめんなさい。昨日はあたし、取り乱したりして……」
 やはり誰も何も言わない。あの口うるさい松本さえも……。昨夜(厳密には今日のことなのだが)の一件も【犯人】である彼女の芝居だという可能性も充分に考えられると大勢が思っていた。
 気の毒なくらいに恐縮する遙に、隣席のサチコが堪りかねて優しく声を掛ける。
「もういいいから、お掛けなさいな」
 素直に従う遙。再び訪れる刺さるような沈黙。
 その沈黙を破ったのは意外にも森岡千夏だった。
「食事のままで結構です。皆さんちょっと聞いてもらえますか」
 千夏はフォークとナイフをテーブルにおいて、一堂を見渡した。
「やはりこの中の九人は【被害者】なわけですから、みんなで協力し合って無事に帰れるような方法を考えませんか」
 松本ががつがつと貪るように皿の上のものを片付けながら喋る。
「ふん、まだ言ってら。千夏ちゃんよ、まず誰かが死なないことには賞金は手に入らないんだぜ。誰が最初の犠牲者になるか? こいつは【犯人】にしろ【被害者】にしろ共通した当面の課題ってわけだ。なあ、【犯人】さんよ。早いとこ誰か始末してくれよ。あ、言っとくけど、俺、武術の心得あるからな。そこんとこヨロシク」
 確かに彼のはちきれんばかりの肉体を見れば、正攻法で彼に立ち向かう者はいないだろう。虚弱体質の螺子目などは冗談めかして「松本くんが【犯人】だったら厄介だな。私などひとひねりだろう」と言ったくらいだ。
「僕も【犯人】にひとこと言っておきたい」
 いち早く食事を済ませ、こまめにノートをつけていた菅野が衝撃的な発言をした。
僕は【犯人】があなたであることに気付いています。だから僕はあなただけを特に警戒することにしました。勿論他の人が【犯人】である可能性を捨てたわけではないが、十中八九【犯人】はあなたで決まりでしょう。でも心配しなくていい。僕はしばらくの間告発はしない。いずれにせよ僕を狙うのはやめておいた方がいい。僕はあなたに最大限の警戒を払っているのだから」
 驚いた一同は菅野が誰に向かって言っているのかと視線を追おうとしたが、彼はノートに目を落としたままで誰の顔も見ていなかった。機転の利く彼のことだ、既に【犯人】を看破していてもおかしくはない、そう思った者も少なからずいたようだ。
 そう思わなかった者の代表、松本浩太郎は一瞬呆気にとられたもののすぐに菅野バッシングを始めた。
「でたよでたよ、このハッタリ野郎が! 何も起きないうちに【犯人】が判っちまうなんざ、名探偵も吃驚だな」
「ああ、汚いな、食べるか喋るかどちらかにしてくれないか。それに僕は【犯人】が判ったとは言ってない。気付いたと言ったんだ。もしかすると【犯人】のミスディレクションかも知れないし……しかし常識的に考えてもやはり【犯人】はその人しかいない」
 『判った』と『気付いた』がどう違うというのか。何にせよ、菅野はそういう微妙な言葉の使い分けが好きな男らしい。室町が媚を含んで上目遣いに菅野を見やる。
「へえ、えらい自信やなア。で、そいつは誰やねん? 是非とも教えて欲しいもんやなア」
「それは言えませんね。僕は【犯人】に警告しておきたかっただけですから」
 菅野はにべもなく切り捨てる。
「そんな殺生な……」
「ねえ、あなた、本当に【犯人】の目星がついてるの?」
 伊勢崎美結が猜疑心たっぷりに尋ね、彼のノートを覗き込んだ。しかしノートに書かれた文字群は彼の知的なイメージとは裏腹にミミズがラジオ体操をしてるような金釘流で、とても読めたものではなかった。美結は彼にすっかり幻滅した。
「酷い字ね。本当にこれ日本語? ここまで来ると暗号だわ」
「そうか、菅野くん。君は【犯人】を看破したのか」
 平が食後の一服とばかりにウィスキーをぐびりとやり、ふうと息を吐く。彼にとってアルコールは車のガソリンみたいなものだ。呑むほどに頭は冴えてくるらしい。しかしいい迷惑なのは鱒沢遙だ。テーブルをはさみ正面に座っている彼女が柿臭い息やら何日洗ってないか知らないすっぱい髪の臭いやらをもろに受けて露骨に顔をしかめている。それらは汚い身なりの平の体臭とあいまって、潔癖症の彼女には堪らない苦痛だった。平は平然と言う。
「だったら、私にも【犯人】が見えたよ……【犯人】は君だよ。菅野くん」
「ほう……」
 菅野は初めてノートから目を離し、平をまっすぐに見つめた。平も不敵な笑みを浮かべ、彼の視線を撥ね返す。
「どうしてそう思うんですか?」
「いくら君でももう【犯人】の目星がついたなんて到底考えられない。してみると、何故君はあえてそんなデタラメを言ったのか? 考えられるのは二つだ。一つは松本くんが言ったように【犯人】に対する予防線、つまりハッタリだ。しかしもし君が【犯人】なら今の発言は全く別の意味を持ってくる。君の発言は私たちに自分が【被害者】であると印象づけるための単なるダミーということだ。君の賢さを考慮に入れると、後者の方がむしろ説明がつく。前者は場合によっちゃ【犯人】に最初に狙われてしまう危険性を孕んでいるからだ。まさにこれはリスキー。よって君が【犯人】ということになる。以上証明終りだ」
 平一は酔いどれオヤジとは思えない生気に満ちた目で菅野を見る。
 菅野はしばし平とみつめあい、やがてにっこりと笑顔を作り、惜しみない拍手を送った。
「さすがです、平さん。あなた、結構しぶとく生き残るかもしれませんね。すみません、今のは全部嘘でした。誰が【犯人】かなんて今の段階で推測できるわけがないじゃないですか。まあ、ちょっとしたウォーミングアップですよ。要は誰が【犯人】であるか判別できない以上、どんな発言にも二面性があるということを僕は言いたかったんです」
 思わず螺子目が安堵の吐息を漏らす。
「ふう、驚かさないでくれよ。やれやれ、早くも心理戦か。胃の痛い3週間になりそうだ?BR> 「最後まで生きていられたらな」と、松本がきついひとことを言う。彼も疑ってはいたものの少しほっとしたようだ。
 だが、平はまだ腑に落ちないようだった。
「しかし、菅野くん、君は何故わざわざそんなことを言うんだ? だいたい君ははじめから不用意な発言が多すぎる。適応力に優れ、誰もが気付かないようなことをいち早く察知する。それだけの能力がありながら、その情報を自分の中にはしまっておかず皆に与え続けている。君ならいくらでも優位にゲームを進めることが出来るはずなのに……」
 果たして菅野は言葉を選びながら慎重に答える。
「僕はこのゲームに魅入られてしまったのかもしれません。ですからゲームをより深く楽しむために、皆さんにはレベルアップしていただきたい、そう思っているのでしょう。そして、主催者側は僕のそういう性癖を知り尽くした上でこの僕を選んだ。いくら優位に見えても、僕もまた彼らから見ればカゴの中のモルモットに過ぎない」
 まともじゃない。菅野はいろんな意味で紙一重だ。そう皆が感じていた。ただの切れ者ではない、ある意味イッちゃっている。
 サチコが恐る恐る菅野に尋ねた。
「……あなたは、死ぬのが怖くないんですの?」
 彼は寂しげに頷くと、とうとうと語り出した。
「僕の家は結構老舗の葬儀屋でしてね。子供の頃から様々な人生の終幕を見届けてきました。だからかな、昔から死に対する免疫が出来てるんですよ。去年親父が死にましてね、でも僕は涙ひとつ流さなかった。親父は四六時中線香の匂いをぷんぷんさせていた。僕の親父に対する印象と言えば線香の匂い、ただそれだけでした。親父の葬儀の手配は全部僕がやりましたよ。どうということはなかった。死そのものに大した意味はない。この世で唯一、万人に平等に訪れるものですからね。当たり前のことなんです。なのに、何故悲しむ? 何故嘆く? 何故涙する? 人は誰かが死ぬと、まるで不測の事態が起こったかのようにうろたえ、戸惑い、自我を失う。これほど明瞭かつ自然な出来事は他にないというのに。僕には到底理解できない」
「へえ、それがお宅の本性かい。いけ好かない奴だと思ってたが、お宅もなかなか面白い奴だな」
 菅野はノートを閉じると、席を立って退室すべくドアに向かった。
「松本くん、君も進歩がないね。さっきも言ったばかりだろう。言葉の二面性だよ。特にも【犯人】は常に嘘を身に纏っている、いや、纏わなければならない。僕が今言ったことが本当のことだと証明する術は何処にもないんだよ」
 ドアノブに手をかけた状態でそう言う菅野は、皆に背を向ける形だったので表情までは誰にも読み取れなかった。
 そして、彼はドアの向こうに消えた……。
「また謎掛けかよ。どうにも食えねえ奴だな」
「確かに侮れないよ、彼は」
「案外、ホンマに彼が【犯人】やったりしてな」
 松本たちは本人のいないところで好き勝手言っている。すると、千夏が室町に問い掛けた。
「ねえ、室町さん、あなた、本当に菅野さんが【犯人】だと思ってるんですか?」
 これには室町も慌てて抗弁する。
「え、あ、いや、別に今のは特別な根拠があって言うたわけやないで」
 彼女は何を言わんとしているのか? 全員が彼女に注目する。
 千夏は何かを決意したようにポケットからあるものを取り出し、テーブルの上に晒した。
 それを見た一同は驚き、ざわめく。
 彼女がテーブルに置いたもの……それは『緑の嘆きのカード』だった!
「見てのとおり私は正真正銘の【被害者】です。当然【犯人】は知っていることですが、【被害者】の皆さんにも知っておいてもらいたくて……さあ、皆さんもカードを見せてください。お互いカードを開いて疑いを晴らしましょう」
 これには松本、怒り心頭で拳をテーブルに叩きつけ、千夏を糾弾する。
「お前なあ、自分のやってることが判ってンのか? そんなことしたら【犯人】がバレちまうだろうが! 賞金はどうするんだよ! そんなに【犯人】を追い詰めたかったら、誰かがバラされてからにしてくれよ」
 千夏は松本に負けないくらい大きな声でやり返した。
「協力が必要なんです! このゲームを生き抜くためには一片の疑惑も抱いてはいけない。疑惑はやがて困惑に変わり、そして不信へと成長する。それじゃ駄目なんです!?BR> 「お前なァ、ゲームの趣旨理解してンのか? 今のはまるで【被害者】全員で生き残ろうって聞こえるぞ」
「【被害者】だけじゃありません、【犯人】もです」
 他の面々は二人のやり取りに口を挟む余地などなかった。ただただ混乱し、事の成り行きを見守るばかりだった。
「【犯人】も、だって! はん、寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ。このゲームの規則はな、何処をどうひっくり返したって最低一人は死ぬように出来てるんだぜ!」
「そうです、だから私が死にます。自殺します。私一人が犠牲になれば済むことなんです」
「なっ、何だって!」
「私、ずっと考えてました。皆さんを助ける方法を……本当は説明会のときにゲームをおりるよう説得しようとしたんですけど、全員を説得することなんてとても出来そうになかった。だから、私もゲームに参加して皆さんを何とか助けてあげようと……そう思ったんです」
 松本は千夏のとんでもない告白に頭を掻き毟った。
「何てこった! だが、仮にそうしたところで、あんた一人の犠牲で済むわけないだろ。この場で【犯人】が明るみになり、なおかつあんたが死ねば、【被害者】の誰かがその【犯人】を告発する。そうすりゃ【犯人】はペナルティだ。あんたはまさに無駄死にってわけだ」
「だから、私が自殺するのは会期最後の日、午後10時以降にするんです。それなら【被害者】は私が死んだことを確かめられないまま会期を終えるわけだから告発することは出来ない。でも、【犯人】は私の言葉を信じずに、その前に誰かを殺してしまうかもしれない。だから私は【犯人】が私を信じざるを得ない状況を作ろうと思っているんです」
「つまり、この場で【犯人】をはっきりさせて、奴を孤立させようって寸法だな。【犯人】が誰かを殺した途端、【被害者】の誰かに告発されジエンドってわけだから、【犯人】は誰も殺めることが出来ない。森岡千夏というボランティアガールの言葉を信じて、あんたが死ぬのをひたすら待つ。【犯人】にはこれしか選択肢がなくなるわけだ」
 そこまで聞いて、真っ先に千夏の案にのったのは遙だった。
「あたしも【犯人】じゃないわ」と、緑のカードをテーブルに置く。
 続いて石田サチコ。
「千夏さん、あなた若いのに偉いわね。あたくし自分が恥ずかしくなっちゃった。いいわ、死ぬのは老い先短い年寄りひとりで十分よ。あなたは生きて」
「サチコさん……ありがとうございます。でも本当に気持ちだけで……」
 そうして3枚のカードがテーブルに並ぶ。
「ふざけんな! バカな真似はよせ! おいっ、山口さんよ、こんなの、アリかよ!」
 しかし、山口は冷静に「カードを公開することは禁止事項ではありませんので」とあっさりと突き放した。彼はどこまでも規則に忠実なマシーンなのだ。
「確かに規則にはないが……しかし、カードを公開できない【犯人】には著しく不利、いや致命的に不利だぞ。私だってここでカードを出さないわけにはいかない。皆に疑われ孤立してしまいたくはないからね」
 螺子目もしぶしぶカードを提示する。むろんカードの色は鮮やかなグリーンだ。
「さあ、数馬くん、あなたもカードを出して」
 ずっと食事に専念し、会話に参加していなかった堀切数馬が、千夏に名前を呼ばれてはじめて気付いたように面を上げた。つぶらな黒目がちの瞳が、場に開かれたカードに向く。
「何言ってやがる。出す必要ねえぞ、ボウズ」
 数馬が屈託のない笑顔を見せた。口のまわりについたケチャップはまるで血のようで、どうにもこうにも不気味だった。
「カードなら部屋においてあるよ。後で持ってくるね……僕? もちろん【被害者】だよ」
 波紋……
 ゲーム開始以来最大の波紋が広がる。
 1日目にして早くもゲームオーバーか? なんて杜撰な規則なんだ。何が緻密な規則だ。茶番だ。このままじゃ【被害者】は金を掴む権利さえ与えられず、【犯人】一人が労せず一千万円を手に入れてそれでお終い。【被害者】の大半はそう感じていた。
「みんな、そう怖い目でみんといてや。ほら、俺かて【被害者】や」
 と、室町もグリーンのカードを公開する。これで既に構成員の半数が【被害者】であることが判明してしまった。
「ああ、あんたもか……」
 松本は急激に気持ちが萎えていくのを隠すことが出来なかった。一見、隙のない規則に見えたが、こうなってみると実に脆いものだ。
 赤の他人同士が今まさに結託しようとしている。このグリーンカードは今や免罪符だ。ちょっとつぶてを投げつければ壊れてしまいそうなガラスの信頼を得るための免罪符なのだ。火中の栗は早めに手放さないと大火傷をする。そのグリーンのカードは……たった1枚の紙切れは、今や何千枚もの日本銀行券より値打ちのある紙切れだった。己の命を繋ぎとめる紙切れ……。
「ぶち壊すつもりか、千夏! 聖母マリアにでもなった気分か! お前のやったこたァ、迷惑以外の何物でもないんだよ!」
 松本は激昂し、彼女のことも呼び捨てになっていた。いわゆるイッパイイッパイの状態である。
 それでも彼は腕組みをし、意地でもカードは見せまいと決め込んだ。
「俺はゼッテー出さねえからな。おい、山口さんよ。本当にいいのかよ。このまんまじゃ殺 人ビデオはおじゃんだぞ」
 山口は松本の問いかけにウンともスンとも答えなかったが、代わりに平一が頼もしいことを言った。
「松本くん、私もカードは出さんよ。冗談じゃない。こんなところでゲームを終わらせるものか!」
 更に美結が加わる。
「あたしも見せない! 見せるもんですか。あたしはね、論理的に【犯人】を追い詰めて告発したいの。こんなことして【犯人】告発の成功率を上げるなんてゲームに対する冒涜よ!?BR> 「よし、よく言ってくれた、コブタ……あ、いや、美結ちゃん。恐らく菅野の旦那も非開示のクチだろうから、これで少なくとも四人は灰色のままだぜ」
 松本は二人の同志を得て俄然元気になった。全くもって現金なものである。
「……灰色……【犯人】はカードを開示しなかった者の中の誰か……なぜ規則で制限されていないのか……」
 美結はこめかみを揉みながら思案を廻らせたのち、ある考えに至った。
「そっか、このままだと、カードを出さない人のほうが有利になるんだ! 数馬くん、あんたもカードを見せちゃいけない。生き残る確率を上げるためにもね」
「生き残るため? 生き残りたかったら、カードを公開すべきよ」
「まだ、分からないの? 【犯人】が今何を考えていると思う?」
「何って……やっぱり、今、自分は追いこまれている、まもなく自分の正体が白日のもとに晒されようとしている、と……」
「違うわね。既にもう三人がカードを出さないと言っている。ということは、まだ誰も【犯人】を断定することは出来ない。つまり、まだセーフティなのよ」
「でも、【被害者】であることを確認しあった私たちは、お互いを信じて守りあえる」
「甘い、甘すぎる。【犯人】がまず狙うのはカードを公開したあなたたちなのよ。判る? 仮にカードを伏せているあたしたちが先に殺されていったらどうなる? あたしが死に、松本、数馬くん、平さんと死んでいったら……途中退場の目は残すものの、かなり高い確率で【犯人】は菅野さんってことになる。このように灰色の人間を先に始末するのは、【犯人】にとってはどうしても不利な状況を作る結果になる」
「なるほどな、だったら、【犯人】に狙われるのは、カードを出した連中が先になる。もしかすると、俺たちカードを出さない奴らは【犯人】候補生、つまり容疑者として最後まで生かされるかもしれない」
 と、言葉じりを取る松本に、頷いて見せる美結。
「そういうこと。だから規則にもあえて記されていないのよ。違うかしら? 山口さん」
 ポーカーフェイスの山口が『よくお気づきで』とばかりに唇を歪めて見せた。しかし実のところ彼は笑いを堪えていたのだった。
 【代理人】は心の中で呟いた。
 なぜ、誰も気付かないのだ? 彼らはとんでもない見落としをしている。シミュレーションでは、そのことに誰もが気付いたというのに、彼らは何と不甲斐ないことか! これだけ雁首揃えていながら【被害者】の誰一人あの可能性にたどり着かないとは! 本当に死を意識するとまともな状況判断が出来なくなるのやも知れない。もっと疑わなければ。生き残りたいのなら、富を掴みたいのなら、すべてを疑ってかかれ! それが【被害者】にとって唯一無二の生きる道なのだから。
 カードを公開してはならないと規則に謳わなかったのは、言わば【犯人】への腕試しに過ぎない。初手を誤るとすべてが狂い出す単純且つ緻密なこのゲームをどれだけ【犯人】が理解しているかを確認するための作業なのだ。そして【犯人】はこの問題を既にクリアしている。たった一人でだ。なのに【被害者】たちときたらどうだ。頭数ばかりでまるで知恵の浅い者ばかり……。やはり精神的な面で殺す側の【犯人】より殺される側の【被害者】の方がプレッシャーが大きいということなのか。こちらとしては、【犯人】一人が【被害者】九人を相手にするハンデと相殺するものと計算していたのだが……。
「お願いです。カードを出して、平さん、美結さん……松本さん。お願いします、どうか……」
 千夏は頭をテーブルにこすりつけんばかりに懇願した。その異常なまでの熱意に一同は気圧された。
「千夏……お前、本当にはじめからこの糞な連中を助けるためだけにゲームに参加したっていうのか??BR> 「バッカじゃない。何なの、あなた、そういうの大きなお世話っていうのよ」
「千夏さん、私たちは目の前の欲望のために悪魔に魂を売ったんだ。死んだってしょうがない連中ばかりなんだ。あんたはゲームに参加するべきではなかった」
 三人は、誰一人決意を曲げるつもりはないらしい。千夏はそれでも諦めない。
「違う! 間違ってる! 死んでいい人間なんて何処にもいやしない!」
「千夏さん、もうやめて。この人たちには何を言っても分かってはもらえないわ」
 見かねた石田サチコが彼女を宥める。
 そしてようやく食事を平らげた数馬が、場に広げられたカードを見てのんきな感想をもらした。
「でもさ、僕、この緑のカードってあんまり好きじゃないんだよね。なんか弱そうでカッコ悪いよね。どっちかっていうと赤いカードの方が強そうで良かったなァ。誰か、取っかえっこしてくんないかなあ。あ、でも、そうすると僕が【犯人】になっちゃうのか。それもちょっとヤだしなあ……」
「取りかえっこ?……交換……」
 呆けたように呟く千夏。部屋のあちこちに閃光のようなひらめきが走る。
「交換か……」
 【犯人】がもし【代理人】にカードの交換を申し出ていたとしたら……。
 それは十分に考えられることだった。規則上何ら問題はない。いやむしろ、こういった事態を想定してカードの交換は必須だったはず。
 山口代理人は、ようやく気付いたかとばかりに目を細める。
「そうか、【被害者】はどうしても【被害者】の立場で物事を推し量ってしまう。だからこんな簡単なこと、すぐに気付かなかったんだ」
 苦々しくそう呟いて酒をあおる平。
 螺子目は大きくため息をつくと、複雑な表情で己のカードを引っ込めた。
「また、ふりだしか……」


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