第7章


第7章  それぞれの意図

 食堂と通路を挟んだ向かいの部屋は娯楽室になっていた。
 食堂と厨房を併せたくらいの広い造りで、館のなかで最も大きな部屋である。ビリヤード台と麻雀卓が中央に据えられ、左手奥にはソファーセットがあり、右手奥は5人まで座れるカウンターバーになっている。
 カード公開の一件のあと、構成員たちは思い思いの行動に移っていた。
 現在、娯楽室にいるのは、螺子目、松本、平、山口代理人、そして【代理人助手】が2名。
 螺子目と松本はナインボールに興じていた。
 松本は左手にキューを構えながら、ブレイクショットの狙いを定める。カコンと小気味良い音とともに3番、5番を陥落。手玉は8番を射程圏に捉えている。チップにチョークをつけてキューを構える螺子目を松本が揶揄する。
「何だよ、そのへっぴり腰は。ほんとにやったことあんのかよ、おっさん」
「久しぶりなんだ。昔はよくやったんだけどなあ」
 果たして螺子目の撞いた玉は8番をかろうじて掠めただけだった。
「おっと、菅野をやり損ねたな」
「どういう意味だい、それは?」
 松本、唇を舐めて、「8号室だったよな、あいつ」と応える。
「笑えない冗談だな」
 螺子目は手持ちのキューをしげしげと眺め、
「これ、借りていこうかな。竹刀がわりに使えば立派な武器になる」
「そいつはいいや。ところで山口さんよ、着替えとか頼んでいいのかな。着の身着のままじゃさすがに参るんでな」
「もちろんです。ある程度は既に準備しておりますので、お好きなものをお使い下さい」
 山口は必要最小限のことしか喋ろうとしない。
 ついでとばかりに螺子目が追加注文をする。
「あと、テレビが欲しいんだけどなあ。あれがないと退屈でね」
 しかし山口はその申し出は受け入れなかった。
「テレビはご容赦下さい。私どもとしては生存者を生きて帰す以上、ここが何処であるのか知られるわけにはいかないのです」
「そっか。テレビ静岡とかって地方の放送局名を見られちゃマズイもんな」
 そこまで理路整然と断られれば螺子目も素直に引き下がるしかなかった。
「それならいたしかたないか。にしても残念だ。毎週欠かさず見ていたドラマがあったんだけどな。なあ、松本くん、御厨ひかるって知ってるかい。これがまた若いのにいい芝居するんだ」
 螺子目は水を得た魚の如く、御厨ひかるの魅力についてとうとうと語り出したが、松本はあまり興味がなかったので適当に聞き流すことにした。
 ミクリヤヒカル……誰だそれ? 新人の役者か?
「ふうん。あんた、そういうの好きなんだ。いい歳してよくやるよ」
「いいだろ、別に。第一、君は私の年齢を知らないだろう。見た目でいい歳だなんて言わないで欲しいな」
「だって、おっさん。もう60近いだろ」
「失礼な、私はまだ51だ」
 松本から見れば50も60もさほどの違いはなかった。どっち道、オワッテルということだ。
 螺子目はずっと年下の男にムキになってしまった自分を恥じるように白髪混じりの頭を掻いた。
「いや、実は妻や会社の女の子にも同じようなことを言われるんだ。でもね、サラリーマンって奴はストレスが多い。せめて一日一回ぐらいは頭空っぽにして、虚構の世界にどっぷりと浸かっていたいんだよ」
 どうも彼にとってテレビは一種の精神安定剤がわりになっているらしい。
「だからドラマか……やだやだ、サラリーマンにだけはなりたくないね?BR> 「あれ、君はまだ社会人じゃないのか?」
「俺かい? 一応大学に籍を置いてるよ。ま、しばらく顔出してねえから、この調子だと留年かもしんねえな」
「何だ、偉そうなこと言ってるわりには、まだ親のすねかじりか」
 珍しくも松本は螺子目の不躾な言い草に怒ることなくキューを構えて……撞いた。
「親なんて、いねえよ」
 転がる手玉は見事9番を陥落。松本はコーナーポケットから取った9番の玉を台の上に置いて、対戦相手にウインクしてみせた。
「もっかい、やるかい?」
 松本の挑発に、螺子目は腕まくりをして彼とは対照的な棒のように細くて紙のように白い腕を露にする。
「よし、望むところだ。カンも戻ってきたことだし今度は負けないぞ。平さん、あなたもどうです?」
 螺子目の誘いにカウンターでひとりブランデーを嘗めていた平は右手をひらひらさせ、やらない意思を示した。
 平は物思いに耽っていた。多少酔いは回っていたが、頭の芯はしっかりしていた。いやむしろ、呑んでるときの方が脳は正常に活動するといってさしつかえないだろう。
 やけに気持ちが高ぶってしょうがない。ひりひりするような緊張感と高揚感。こんな感覚は久しぶりだ。酒に溺れ、惰眠を貪り、生きる屍として世俗を捨てて暮らしてきたが、この極限状態に放り込まれ、ようやく己を解放した、そんな感じだ。ついさっきまで自分が画家であることさえ忘れていた。すべてを投げていた。本当に長らく筆を絶っていたが、今なら何かとてつもないものが描けそうな気がする。アドレナリンが握りつぶしたレモン汁のように溢れ出す。むせ返るような興奮。不思議と一片の恐怖もない。あの菅野とかいう青年と一緒だ……描きたい、今すぐ描きたい! 何を? ……そう、このゲームの本質を、このゲームの全貌を、剥き出しの悪意を、極寒の恐怖を、行き場のない焦燥を、とどまることを知らない欲望を! 私には見える。すべてをカンバスに映し出したその時、私は頂点を見るのだ。金など要らぬ。名声? そんなものに未練はない。私は生きている、私は生きている、私は生きている! 私は今まさにナマの「生」を体感しているのだ。必ずやこのゲームを生き抜いて私の生涯最高傑作を描き出してみせる! 誰の目にも触れることのない名作を。さあ、ゲームは始まったばかりだ。私は勝つ。このゲームに勝てばすべてが反転する。私の人生のすべてがポジに変わる……!
 平一は決意を固め、酒焼けした顔を【代理人】に向けた。
「山口くん、油絵を描きたいのだが一式揃えてはくれないか。できる限り急いでだ、すぐにでも欲しい」
 そう依頼する彼の双眸は純真無垢な少年のように爛々と輝いていた。


 森岡千夏は自室の机で規則を何度となく読み返していた。
 このゲームは謎に満ち満ちている。皆すっかり【代理人】の口車に乗せられているが、他人を徹底的に疑わなければならないこのゲームで、彼の言葉をいとも簡単に鵜呑みして良いものなのか? 本当にゲームに生き残れば無傷で元の世界に帰してくれるのか? 本当に賞金は貰えるのか? 疑念をあげればキリがない。中でも最も根源的な謎……それはこのゲームの参加者の選定方法だ。【代理人】の昨夜の説明で納得した人は一人もいないだろう。けれど不確かな事実、解くべき謎があまりにも多すぎて、この問題は軽視されている。
 でも!
 ゲームの参加者10人にはきっと何か共通項があるはず。
 それは何か……?
 少なくとも、私は他の9人を知らない。面識もないと思う。
(本当に?)
 何者かがふいに千夏に問いかけた。それは実体のあるものではなく、直接彼女の脳に語りかけていた。
(本当に知らないの? よく御覧なさい。あなたは知ってるはず。忘れようとしてるだけ)
 嘘よ、私は知らない。絶対に知らない。
(どうして素直になれないの? 知らないどころか、あなたはひどく憎んでるはずよ、殺してしまいたいくらいにね)
 知らない知らない知らない……本当に知らないのっ。
(ふふふ、まあいいわ。そのうち思い出すわよ。いいえ、思い出さなければならないの)
 そういい残して、その思念は回線を切るようにふつりと消えた。
 なに? 今の……?
 千夏ははからずも涙していた。
 どうして泣いているの、私?
 彼女は自分は疲れて(憑かれて?)いるのだと強引に決めつけて、ぐいと涙をぬぐいゲームの考察を続けることにした。
 いずれにせよ、10人の共通項を見つけ出すことが、この狂ったゲームの本質に辿り着く一番の近道なのだ。漠然とではあるがそんな気がする。でも今は情報が少なすぎる。これだけ緻密に構成され周到に用意された遊戯の参加者が、お金に困っている人とか危険思想の人たちの中から、ただランダムに選ばれたのだとは思えない。そもそも私自身が選ばれたのがおかしい。結果的には参加の意を示したものの、あの【代理人】の自信に満ちた態度は何だろう。まるで全員が参加を承諾することが分かっていたかのような余裕の表情……。もし、ゲームに参加しないで帰ると言っていたら本当に帰してくれたのか? 帰してくれたかもしれない。だとしたらなぜそこまで紳士的に振る舞う必要がある? そんなに自分たちの手を汚すのが厭なのか? 殺 人も殺 人教唆も大して違わないと思うが……。いや、場合によっては規則上自ら手にかけなければならない時だってあるのだ。だいたい殺 人ビデオを作ろうとしているのに、なぜリスクを冒してまで秘密を知るものを生かして帰すというのだ? 分からない。何一つ分からない。矛盾だらけのゲーム……やはりどの道、私たちはここで死ななければならないのか……。
 一瞬、彼女の胸を絶望の2文字が支配したが、すぐに絶望を希望にすり替えて自分を奮い立たせる。
 ならば一矢報いたい。同じ死ぬでも彼ら主催者たちにかすり傷ひとつでも負わせてから逝きたい。
 千夏は机の上に置いた自分のカードを見た。
 ただひとつはっきりしていることは自分が目の前にあるカードを引いてしまったこと……。
 名状しがたい運命の奔流に翻弄される彼女の姿が天井のカメラには赤裸々と映し出されている。千夏は長い髪を掻き毟り、肌身離さず首から下げているペンダントをぎゅっと握りしめた。
 お願い、力を貸して。無力な私にほんの少しでいい、勇気を……勇気をちょうだい……。
 千夏、瞳を閉じて深く息を吸いこむ……祈り。そして……。


 菅野祐介は図書室で身じろぎひとつしていなかった。
 1階階段下にある十畳程度のその部屋は図書室というより書斎といった趣だった。壁一面に年季の入った木製の本棚が並び、中央にはやはり木製の6人がけテーブルが据えられている。但し、食堂にあるような飾り細工の施された高級なものではなく、あちこち傷だらけの誠にしょぼい造りのものではあったが……。
 蔵書は概ね五百冊といったところか、みな古いものばかりで黄ばんだ紙の饐えた匂いが狭い部屋に充満している。本は医学書関連が大半を占めていて、その次が小説類。ジャンルは海外文学とミステリーものがほとんどだ。はめ殺しの窓からは外の日差しが差し込んではいるものの、本が読めるほどではない。そんな場所で彼はまるでひとつのオブジェのように、目を閉じてじっとしていた。よく見るとときどき眉間が動いている。どうやら何事か思案しているらしい。
 ふいに、全くといっていいほど陽の当たっていない暗い入り口のドアがぎいいっと鳴り、何者かが入室してきた。
「どうかしました? 石田さん」
 菅野はノートに目を落としたまま、相手の名を呼んだ。
 その声に反応するかのように、パチンと弾けるような音とともに照明が灯る。
「あら、菅野さん、いらっしゃったの?」
 と、幾分驚いたような声はやはり石田サチコのものだった。
 サチコは首を傾げながら問い掛ける。
「よく、あたくしだと解りましたわね。あなた、よっぽど目がいいのね」
 菅野は急に明るくなった部屋に目を馴らすように双眸を瞬かせた。
「いや、見なくても解りますよ。足音でね」
「ああ、この杖ね……」
 片方だけ引きづった足と無機質な杖の音が、来訪者が石田老人だと気付かせたのだ。
「何かご用ですか?」
 図書室に用があるのか、彼に用があるのか、どちらとも取れるような訊き方だ。しかしながら老婆はどちらにも用があるわけではなかった。
「一応、建物の中を一通り歩いてみようかと思いまして……お邪魔だったかしら?」
「いいえ、僕は構いませんよ。何をしていたというわけではないので……でも一人歩きとは無用心ですね。僕が【犯人】ならこれ幸いとあなたを手にかけるところですよ」
 菅野が自分のことは棚に上げてそんなことを言うものだから、石田サチコは口許に手を当てて上品に笑った。
「まあ、それはあなただって同じでしょう? こんな暗い部屋に明かりもつけずに一人でいるなんて……襲ってくださいと言っているようなものよ」
「おっしゃる通りです。まあ尤も僕が【犯人】だとしても、今あなたを襲おうなんて考えませんけどね」
 菅野は昨夜男たちだけの会話の中で話したその理由を再度説明した。殺しはなるべく先延ばしにした方が【犯人】にとって有利であるということを……。
「はあ、そういうことですか……賞金が発生しないうちは【被害者】は待つしかない。それならとことん待たせようということですわね。でも、そんなことよりあたくしみたいなお婆ちゃん、やる気になればいつでも片付けられますものね? 何も今じゃなくたって……」
 自嘲気味に笑うサチコに菅野はまじめ腐った顔で「それもそうですね」と応じた。
 そうしてふたりは真剣に顔を見合わせたが、やがてどちらからともなく微笑んだ。
 サチコが立っていることに疲れたのか、菅野の向かいの席に腰を下ろす。
 菅野は「正直驚きました」と前置きして彼女に語りかけた。
「あなたは随分と、その……度胸が据わっていらっしゃる。どうしてそんなに余裕でいられるんですか? まさかあなたが【犯人】とか……いや愚問でした。どちらにせよ、あなたの答えは同じでしたね」
「菅野さんがそんなことおっしゃるなんて意外ですわ。この10人の中であなたが一番落ちていると思ってましたのに……それに比べてあたくしはただの怯える子羊、いいえ老羊ですわ。先刻からもう胸が張り裂けそうで自分でもどうしようもないの」
 と、少女のようにおどけて見せるしわくちゃの老人。その言葉遣いや所作は、昔は名家のお嬢さんだったのであろうと菅野は推測した。その思いを口にするとサチコは寂しげに目を伏せた。
「確かに昔はね……でも家柄なんて今のご時世には関係ありませんでしょう? いくら立派な家系図を持っていても一銭の得にならない。ですから今はごく普通の家ですのよ。その家も一人息子があたくしの夫と同じように婿に出てしまって、歴史ある石田家もあたくしの代でお終いですわ」
「歴史ある……石田家……もしかして石田さんの家って、石田三成の血筋とか?」
「ふふっ、ご想像にお任せしますわ」
 菅野は冗談のつもりで言ったのだが、これでは当たりですと言っているようなものだ。さしもの菅野もちょっと驚いたようだ。サチコはそれ以上この話を続けたくないらしく、先刻、菅野が去った後の食堂での経緯を彼に話してきかせた。彼はとても興味深げな様子で彼女の話しに耳を傾けた。
「なるほど、カードの提示ですか。千夏さんもなかなかやりますね。ま、僕も一応は検討してはみたんですが……」
「やっぱり無理だと?」
「ですね……【犯人】だけに与えられた事象を裏付けるという視点は良かったんですが……」
 サチコは不意にある発見をした。
「あら、それなら鍵はどうかしら」
「鍵?」
「そうですわ。【犯人】だけがマスターキーを持っていて、他の人たちは自分の部屋の鍵でしょう。だから鍵を調べれば【犯人】は判るんじゃなくて? カードは一度見れば後は必要がないから簡単に処分できますけど、マスターキーはそうはいかないでしょ」
「残念ながらそれも無理です」
 菅野は考える間もなく即座にサチコの提案を一蹴した。
「確かにマスターキーは処分するわけにはいかないでしょう。しかしそんなものは【代理人】に預けておくか、部屋において置けばいい。規則には【被害者】にはそれぞれのルームキーが与えられるとありますが、実態として【犯人】も【被害者】と同じ自分の部屋しか開かないルームキーを持っているわけですから……思い出してください。あなたはいつ部屋の鍵を貰いましたか?」
「ここへ来てすぐ……」
「そう、ゲームに参加する前からルームキーは全員に与えられていた。【犯人】が決定する前からです。10人全員が同等にルームキーを持っている以上、誰がマスターキーの保有者であるかを探り当てることはきわめて困難なことなんです」
 サチコはさも無念そうにしゅんとなった。そして老婆は天井で回りつづけるビデオカメラを見た。
「さすがですわね。あたくし何だか自信がなくなってきましたわ。あなたのように頭も良くないし、松本さんのように腕力があるわけでもないし、千夏さんのように強い心を持っているわけでもない。おまけにこの足では……やっぱりこのゲームご破算にならないかしら」
「……」
「ねえ、菅野さん。あたくし昨日あなたに何のためにゲームに参加するのかって訊かれましたでしょう?」
「ええ……」
「あの時は自棄になったわけではないなんて言っちゃったけど、やっぱりあたくし自棄になってるのかもしれませんわ。あのまま帰ったところで誰もいない冷たい部屋が待っているばかりですもの。もう、夫の元に行ってもいいかなあなんて思っていたのかもしれません」
「……そうですか」
 本当にそうだろうか? 本当にそれだけの理由で……? まあ、自分だって……。
 菅野は今ひとつ釈然としないものがあったが、それ以上の追求はしなかった。
 彼はずっと考えていた。
 10人の共通項は何なのかと。森岡千夏が思案していたように10人全員がゲームに参加したその真意を菅野はまだ計り兼ねていた。
 彼がその重大なる答えに辿りつくのは、だいぶ後のことである……。


   次章       1/10の悪夢       ひかり小説館

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送