第8章


第8章  それぞれの思惑

 外は雲ひとつない青空。
 陽射しの強い夏真っ盛り。
 ここが何処なのか構成員たちにとっては依然不明だが、このひよりなら海やプールは大混雑であろう。
 ゲーム会場の中庭は、館の大きさに見合った広い芝生に石畳。玄関を出たところには噴水を据えて涼をとっている。更に右に折れると花壇やベンチ、そして池が見える。しかし花壇には花はひとつも咲いていない。これでは『花壇』ではなくただの『壇』だ。池も同様に小魚一匹いる気配がない。そのくせ芝生はきれいに刈り取られ、雑草などほとんど生えていない。実に何とも収まりの悪い庭で、妙にちぐはぐな印象を与える。
 その庭の片隅では、およそ中学生とは思えないほど名実ともに幼い堀切数馬が熱心に木の枝で蟻塚を突ついている。少年は出てきた蟻を一匹一匹胡麻をするように丹念に潰していた。その額には軽く汗が滲み、死の観念のない無垢な恍惚とした表情で、己の欲望に忠実に命を揉み消す作業に没頭している。こういうタブーを少年時代に経験している者は少なくはないだろう。まるで自分が神様にでもなった気分で爽快だったりするものなのだ。だが、本当に神様になれるわけではなく、むしろそういう行為をした後には急の発熱で寝込んだりと、天罰が待っていたりする。しかし、これらは厳密には天罰とはいえないだろう。子供の潜在意識に眠る罪の意識が彼らの気持ちを動揺させ、バイオリズムを狂わせているに過ぎないのだ。そして、初めて罪の意識が芽生え始めた子供たちは、やがて正常な倫理観を持つありふれた大人へと成長していくのだ……。
 ところが彼にそんな通例は通用しなかった。
「何してるの? 数馬くん」
 庭の隅で身をかがめ背を向けている少年に気付いて声を掛けたのは鱒沢遙だった。
「あ、お姉ちゃん」
 声に反応して数馬が振りかえる。
 近づいた遙は少年の足元に山のように盛られた黒い肉塊を見て青ざめた。
「君、何てことを……そんなことしちゃ駄目じゃないの」
「どうして?」
 不思議そうに首を傾げる数馬に、遙は怯みつつ答える。
「生き物にはみんな命があるの。命は平等にかけがえのないものなの。ミミズだっておけらだってアメンボだって……アリンコだってそうよ。みんな生きてるのよ。君に他の生き物が生きようとするのを踏みにじる権利がある?」
 そこまで言って遙は自嘲気味に嗤った。
「じゃあこれからあたしたちがしようとしてることは何なのよってことよね。賞金賭けて殺 人ゲーム……あまり褒めたもんじゃないわね。でもね、あたしは【犯人】じゃない。だから誰も殺さないし、殺せない。殺したくもないし、殺されたくもない。君だって昨日言ってたじゃない? もし自分が【犯人】だったら誰も殺さないって……」
 急に生気の失せた目をする数馬の口から無機質な言葉が流れ出る。
「何言ってンの、お姉ちゃん。問題をすりかえないでよ。蟻を殺すのと人を殺すのは違うでしょ。人殺しがいけないことぐらいは僕だってわかってるよ。だって、人を殺したら牢屋に入れられちゃうんだもんね」
 彼は殺 人が道徳的に問題があるから誰も殺さないと言ったのではなく、警察に捕まるのが厭だから誰も殺さないと言ったのだ! それにしても彼は少年法というものを全く知らないのか……? いや、そういう問題じゃなくて……。
「そうじゃないの! 法律で禁止されているからいけないんじゃないの。生き物が生き物を殺すことはそもそもいけないことなのよ」
「どうしてさ? だって僕たち生き物を殺して、切り刻んで、おいしいおいしいって言いながら食べてるじゃない?BR> 「なっ……」
 子供特有の『どうして口撃』に、遙は逆ギレしてしまった。
「屁理屈言うんじゃないわよ! 生きてくために殺してるんだから許されるの。自然の摂理なのよ、それは!?BR> 「ふーん」
 数馬は冷ややかな視線を遙に送ると、とめる間もなく蟻の屍骸を口の中に放り込んだ。毒々しい肉塊が付着した獣のような唇が動く。
「ねっ、これでいいんでしょ」
「バカ! 何てことするの! 吐き出しなさい、早く!」
 数馬の狂気じみた暴挙にうろたえる遙は彼の背中をさすり必死で蟻を吐かせようとする。
「ふふ、傑作ね、遙さん」
 振り向くと縦横比率が通常とは違う(つまり太っている)伊勢崎美結がニヤニヤと笑っていた。女を捨てたかのような肥えた肉体をベンチに凭れて高みの見物を決め込んでいるらしい。
「あなた、いつからそこにいたの? とにかく見てないで手伝ってよ」
 と、かみつく遙に美結はしれっとして言ったものだ。
「生きてくためなら殺生も許されるか……名言だわ」
「何よ! あなた、何が言いたいのよ」
「分からない? あなたの言ったことは図らずもこのゲームを正当化してるってことよ。規則に則れば、【犯人】が生きていくためには、規則違反でも発生しない限り誰かの命を奪わなければならない。これはある意味正当防衛よね。ま、法廷じゃ通用しないでしょうけど、そんなことは問題じゃない。要は己の罪悪感との闘いなんだから……自分の中で自分を正当化できれば人を殺すなんて訳ないことよ。殺 人なんて魚をさばくのと同価値になってしまうんだから」
 揚げ足を取られた遙は美結をキッと睨みつけた。
「まるで自分が【犯人】のような言い草ね」
「だったらどうよ? 賽はもう振られたの。いつまでもおたおたしてんじゃないわよ。あなたはもう戻れないの。きれい事なんて聞きたくもないわ。覆水盆に返らず、食べられた蟻は生きかえらない」
 美結は意外にすばやい動きでポケットに手を入れると、アイスピックを取り出して遙の喉元に突きつけた。
「ひっ……」
 同時に傍にいた【代理人助手】が威嚇するように拳銃を抜いた。言うまでもないが、だからといって美結が【被害者】とは限らない。【代理人】を通じてそういう芝居をうたせればすむだけのことなのだから。(規則6被害者(1)参照)
 いずれにせよ美結は拳銃に怯むことはなかった。
「同じ女として忠告しておくわ。いつまでも甘えたこと言ってると足元すくわれるわよ。自分の身は自分で守らなきゃね。食われる前に食ってやるくらいの気概は持っていてよ。そういう意味じゃこの子の方がよっぽど逞しいわ。少しは見習ったらどう??BR>  そうしてようやく手の中の武器を引っ込めて美結は立ち去った。裏口に向かう美結と入れ違いに今度は室町祥兵がやってきた。
「ああ、ここに繋がってたんや。するとこの中庭を抜けると正面玄関に出るわけやな」
 説明会で渡された地図を片手に歩いているところを見ると、どうやら会場の検分中らしい。
「おや、遙さんやないか。おお、数馬くんもおるやん。いやね、一応さ、地図が合ってるのかどうか確かめよ思うてな。せやけど、ホンマ広いなあ。この建物ってもともと何やったンやろ? ホテルか個人病院か、まあそんなとこやろな。ただ、だいぶ改築されてるみたいやから、もっと別の施設だったのかも知れへんなあ?BR>  空気の読めない室町は訊かれてもいないことをぺらぺらとよく喋る。
「こんなにええ天気なんやから皆も少しは外に出てくればええのになあ。せやけど、ただでさえ暑いのにあの【代理人助手】らはホンマ暑苦しいで。背広なんか着なくてもええやろが。しかも黒尽くめって……知っとるか、数馬くん。黒っていうのは光をぎょうさん吸収するねんで」
 確かにどこに行っても【代理人助手】はいた。山口が言っていた【代理人助手】20名というのはあながち嘘でもないらしい。皆一様に黒い帽子、黒いスーツ、そして黒のサングラス。まるでB級ギャング映画にでも出てきそうないでたちである。誰が誰だかぱっと見の区別がつかない男たち。私語は一切しない。持ち場は絶対に離れない。歩き方はまるで軍人か警官のよう。少なくとも玄関前と裏口にいる彼らには室町の言葉が届いているはずなのだが、特に何ら反応を示さない。野球の審判の如く路上の石ころに徹している。彼らはどこまでも職務に忠実なのだ。
「なあ、遙さん、下世話な話で申し訳ないんやけど、あの人たちっていくら貰ってんのやろな? 俺たちは命を賭けたゲームでうん千万やろ。ちゅうことは法を犯すというリスクはあるにしても、自分らが死ぬ心配はないわけやから、ま、ええとこ数百万ってとこか……せやけど、山口さんは結構もろうてんとちゃう? いうてもたったひとりの【代理人】やからなあ」
「随分と余裕ですね、室町さん」
 皮肉まじりに遙が言う。すると室町は関西人特有のオーバーな仕草で首と手を大きく振る。
「いや、そんなことあらへんで。ただ、事態がどんどん先に進んでいくもんやから実感が沸かないだけや。現実感が追いつかへんねん。だってそやろ? 昨日の今ごろ、自分が殺 人ゲームに関わるなんて思ってもなかったからな……」
「……」
 急に声のトーンを落として真剣に話す室町に、遙は一瞬かける言葉を失った。
「まあ、どの道地獄や。見てみい、あのカメラの多いこと。塀の上、木のてっぺん、屋根のひさしにも……」
 室町は白々しくカメラに向かってピースサインをした。無邪気な数馬も「あ、それいいな」と言いつつ、室町を真似てVサインをする。
「俺ら、芸能人ちゃうっちゅーねん」
 遙はノースリーブの上着からはみ出した腕を寒そうにさすった。この暑さにもかかわらず鳥肌がたっていた。
「このカメラのどれかにあたしたちが殺されていくシーンが記録されるってことなのよね」
「そうや。そしてそのビデオはどこかの大金持ちに売り飛ばされる。たぶんそいつらそれ見て興奮しよんねん」
「悪趣味。反吐が出るわ」
「ああ、俺もや。でもやらなしゃあない。金のためや」
 室町たちの深刻な会話とは裏腹に、数馬は嬉々としてカメラのひとつひとつにピースして回っている。やがて、一通り自己主張を終えた少年は「カメラもっとないの?」と室町に訊いた。
「館の中にもぎょうさんあるで」
「ホント?」
 たちどころに目を輝かせて玄関へ駆け出す数馬。そんな少年の姿を見て室町はため息をついた。
「なあ、遙さん、あの少年、ちょっと頭弱いんちゃうか? まるで今までカメラの存在に気付かなかったようなあのはしゃぎよう。へたするとカメラが何のためにあるのかさえ判ってないんやないか」
「でも、もしあれが芝居で彼が【犯人】だったとしたら? さっき一人でなにやってたと思う? 蟻を潰していたの。ちょっと異常じゃない?」
「男の子ならよくあることやで」
「子供っていってももう中学生でしょ? 普通するかなあ」
「そら、するわ。俺かて経験あるもん。蜻蛉とか蛙に爆竹背負わせてドカーンってなあ。あと猫殺したこともあったなあ。流れの急な川ン中に放り込んでやるんや。猫はあんまり泳ぎ得意やないから、えらいもがくんやけどそのうち浮かんでこなくなんねん。あと、なんやったかなあ……えーと、とにかくそういう類のことはよくあることなんや」
 室町は頭皮をがりがりと掻いて記憶の森の奥深くへ足を踏み入れようとするが、子供の頃のこととなるとどうにも記憶に霧がかかってしまう。
 遙は眉根を寄せて、露骨に不快な表情を作った。
「あなた、猫も殺したの? 非道いことするのね」
「せやけど男の子は大概やってるで」
「やらないわよ、普通」
「遙さん、いい子ぶるのも結構やけどなぁ、このゲームに参加するってこと自体、猫殺し以上に許せないことなんちゃうか? あんただって、このゲーム、金に釣られてのってきたクチやろう?」
「そ、それは……」
 そこを突かれると遙は何も言えなくなってしまう。まさにぐうの音も出ない状態だ。
 想像以上にしょげ込んでしまった彼女を見て、室町はばつが悪そうにして空を見上げた。
「せやけど、あの3階にはどんな部屋があるんやろうなあ。代理人詰所って一体何なんやろ?」
「あなたが【犯人】ならしっかり見てきたはずよ」
「……せやから何遍も言うてるやん。俺は【犯人】やないって」
「……」
 遙に対してさりげなく話題を変えたつもりの室町だったが、彼女にはもう取りつく島もないようだ。
 それでも、室町はかたくなに沈黙を嫌った。
「ふたりきりやな……」
 室町の何気ない言葉に大きく目を見開く遙。その目には畏怖の念が映し出されている。
 遅れて室町も、自分の言った言葉の意味に気がついた。
 ふたりきりだね……
 男と女がふたりきり。それが恋人同士の台詞なら何て甘い響きだろう。しかし今は違う。明らかに違う。その言葉はまさに危険信号。真っ昼間の屋外。しかも厳密にはふたりきりじゃない。目の届くところに黒服の大男がふたりもいるのだ。通常ならこの状況で身の危険など微塵も感じるはずもない……はずもないのだが、もしもふたりのいずれかが【犯人】だとしたら、これは願ってもない好機。たとえこの場で殺 人劇が繰り広げられようとも、【代理人助手】は声ひとつあげず路傍の石ころに徹し、冷静に事の成り行きを見守ることであろう。何しろ彼らは極めて職務に忠実な者たちなのだから……。
 もし、この場に【犯人】がいたとしたら、彼(或いは彼女)の耳元では盛んに最凶の悪魔が囁きかけているに違いない。
(今だ、殺ってしまえ! 一気にカタをつけろ。そうだ、池の周りを囲んでいる置き石がいい。そいつを奴の頭上に振り下ろせ。なあに簡単なことさ。奴は猫ほどすばしこくはない。人間など抵抗力のない頭でっかちな下らない生き物だ。排気ガス、生活汚水、森林乱伐、あらゆる毒を撒き散らし、生態系を狂わせ、母なる大地の寿命を著しく縮める親不孝者どもだ。殺してしまえ、躊躇するな。己は大地、己は宇宙、己は神。さあ、いまこそ目の前の罪深き者に正義の鉄槌を下すのだ。さあ、さあ、
 さあ……やるんだ!) 
 果たして、ふたりは時間が止まったかのように、ただただ見つめあうばかりであった。まるで、相手の動向を何一つ見逃すまいというふうに……。
 そして、その長いにらめっこは鳩の鳴き声で終焉を迎える。
 12時。正午の時報である。
 にらめっこなどしてる場合ではなかった。
 13時までに食堂に行かなければ彼らの命の火は消えたも同然なのだから……。


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