姉弟4



     第4話  みんな莫迦だ、僕も莫迦か?


 姉が転がり込んできて3日が経った。
 義兄からはまめに連絡があったが、姉も意地っ張りなところがあって、電話に出ようともしない。
 ともかく僕は、マイペースの毎日を送っている。今度の店長とは折りがいいらしく、大きな問題もなくつつがなく暮らしている。

 午後一時を回った頃、客が切れたのを見計らって掃除機をかける。業務用の掃除機というやつはどうにも扱いが難しい。円盤状のブラシが横回転するそれは、しっかり持っていないとあらぬ方向へ走り出してしまう。前に一度使い慣れぬ頃に陳列棚にぶつけて商品を駄目にしてしまったことがある。店長は次から気をつけてくれればいいと言ってその場は収まったが、それからは慎重になってか手綱さばきは完璧だ。工事現場でバイトしてた頃にランマという機械を使ったが、どことなくあれに扱いが似てなくもない。
「武田さん、金持ってますか?」
 いきなりそう迅いてきたのは高校中退青年の佐久間である。
「どうした、何かあったの?」
 僕が掃除機のスイッチを止めて、逆に迅き返すと、佐久間は短く刈り込んだ頭をがりがり掻きながら恥ずかしそうに答えた。
「彼女がこれで・・・」
 と、腹を膨らませるゼスチュアをしてみせる。
「え、堕胎すの?」
「いや、生ませたいんです」
「けど、お前・・・」
 まだ、未成年じゃないか。
 第一、親の了解を得ているのか?常識で考えたって、高校中退でろくな職も持たない17からの男に父親が務まるとは思えない。
 まあ、他人のことをとやかく言えた身分じゃないんだけど。
「佐久間、お前、将来のこととか考えてる?」
 何だか、いつも姉に言われてるような台詞を言ってる自分がこそばゆい。
「当たり前っスよ」
 佐久間の返答は少なからず意外だった。
「今はこんなだけど、結婚して子供つくって所帯持って、そうだな俺、車いじり好きだからどっか小さな町で自動車修理の工場でも持てればなあなんて・・・夢ですかね?」
「いや、そんなことないだろうけど、お前、そんなんでいいの。若いんだし、もっと大きな野望とかさ」
「いいも悪いも、人間にはそれぞれ器ってもんがあるんじゃないっすか。小さいお猪口に一升瓶の酒入れようったって地面にこぼれてくだけ無駄でしょ。ぶをわきまえてんですよ、俺は」
「そうか。けど、金のほうは・・・こっちも年中金欠だからなあ。店長に相談してみたら?」
「はあ、でも、店長にはもう10万借りてるし、やっぱ、これ以上は悪いっていうか迷惑ばかりもかけてらんないでしょ。一応もうすぐ父親になる人間としては」
 その年齢にはあまりにも重すぎる問題を抱えている佐久間。
 それに比べて僕はなんて身軽なのか。
 悩みも欲望も夢も希望も何もない。
「なあ、佐久間。何で高校中退したんだ・・・あ、いや、別に言いたくなきゃ無理には聞かないけど・・・」
「ぬれぎぬですよ。友達に裏切られました」
 さばさばと語る佐久間は、その内容を詳細には話さなかったが、要するに校則違反か何かをやらかした友達が彼に罪を被せたと、こういうことらしい。
「それでも俺は人を信じたいです。そいつを今でも信じています」
 こいつこそ本当にいい奴だな、と僕は素直にそう思った。
 でも、愚か者でもある。なぜそうまでして人を信じるのか。人を信じるということは常に裏切りという名のリスクを背負わなければならない。所詮人間なんて騙す側と騙される側にはっきり色分けされているんだ。だから、僕は誰も信じずに生きてきた。実の姉にさえ、僕は心の全てをさらけだしてはいないのだから・・・


 
「今日はまだ来てないの?」
 そう問い掛けたのは、先程佐久間と交替したばかりの檜山未散だ。
 客が一人だけいたが、かれこれ1時間雑誌を読み耽っている。どうやら買う気はないらしい。
「誰のこと?」
「とぼけなさんな。この間来た人、あれ、武田のお姉さんでしょ。きれいだけどさ、ちょっと化粧濃いよね。化粧品安いの使ってんだなあ、きっと。年は30ちょい前ぐらいか。ちなみに名前は何ていうの?」
 聞いてどうすんだよ、と言ってやりたかったが、言っても仕様がないと思い直し、僕はおとなしく姉の名前を教えてやった。
「ふーん」
 彼女が何か言い掛けようとしたとき、自動ドアが開いて、一人の男が入ってきた。
 黒いスーツに身を固めた長身のその男は、レジのところにいた未散の前に立ってサングラスを外した。なかなかの二枚目だ。
「未散、今出れるか」
 男の噛んでいるガムの甘い息が隣りにいた僕のところまで香ってくる。未散は満面の笑みを浮かべて頷いた。
 僕はちょっと意外な感じがした。
 彼女がこういう無防備な笑顔を見せるのは初めてだったからだ。客に対する媚びでもなく、店長に対するお愛想でもなく、本当に幸せそうな笑顔。まるで別人のようだ。
「武田、いいかな、30分くらい」
 と言いつつも、すでにエプロンを外し、着替えをしに奥へと引っ込んでいく。
 取り残された僕は、仕方なく男を見上げて笑いかけてみた。しかし、男は感情のないロボットのようにただ僕を見下ろしていた。


 
 独りになるといつも思う。
 自分の生きている時間がまるで奇跡のようだと・・・
 永遠に続く時間の中で、僕の存在する瞬間は恐ろしくちっぽけで砂漠の砂一粒にも満たないのだ。 
 あるいは、僕の今いる世界はすべて僕の創造物なのではないか、とさえ思う。僕が死ねばすべてが終わり、すべてがとまる。街も森も人も鳥も空気も地球も宇宙も時間もあっという間に消滅してしまう。現実がそんな儚いものだとしたら・・・考えだせばキリがない。この世には絶対の真実なんて何ひとつ存在しないのだから。
 そんなとりとめもないことを考えながら、僕は機械的に商品を並べ、チェックし、売り、また並べを繰り返していた。檜山未散が戻って来たのは、それから1時間以上経ってのことだった。
 ごめんの一言もなく、戻ってきた彼女の頬にはくっきりと涙の線が浮き上がっていた。
 直観的に何かあったなと思い、見て見ぬ振りを決めこもうとしたが、こめかみのあたりにできた大きな痣を見つけてそうもしていられなくなった。僕は店の絆創膏やら包帯やらを持ってきて彼女の手当てをした。
「聞かないの?」
 未散はおとなしく僕の手当てを受けたあと、そっと呟いた。
「ねえ、何があったか聞かないの?」
「興味ないよ」
 僕は配達されたばかりの弁当を並べながら、背中越しにそう答えた。
「それより、今日は休んだ方がいいんじゃないか」
「・・・優しいんだ」
「違うよ。一応客商売だからさ、そんな痛々しい格好じゃまずいだろ」
 未散が来て弁当を並べるのを手伝いはじめる。
「あたしね、ふられちゃった」
 下唇を噛みしめ、今にも泣きそうになるのを必死に堪えている。
「これ、あいつに殴られたんだ。やっぱ男は強いよね。あたしも男だったら絶対殴り返してるんだけどな」
「無茶言うなあ」
「あたし、悔しいよ」
 彼女は震える声でそう言うと、せきを切ったようにぽろぽろと涙を流した。
 彼女も莫迦だと思った。どうしてみんなそう安易に人を信じるのだろう。信じれば信じるほど裏切りに怯えなければならないというのに・・・
「ねえ、武田」
「何?」
「あんた、友達いないでしょう」
 未散はすっかり泣きやみ、いつものはすっぱな女の子に戻っている。なんて可愛げのない・・・
「なってあげようか、友達」
「・・・・・・」
「武田?」
「遠慮しとくよ」

 独りになるといつも思う。
 この世には絶対の真実なんて何ひとつ存在しないのだ。
 目に映るもの、耳に聞こえるもの、肌に感じるもの、すべてが常に偽りの可能性を孕んでいる。だから僕は何も信じない。それが最も利口な生き方だと僕は信じている。


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