第1話 10月28日
「もしもし」 時計を見ると朝の5時。 携帯の着信音で夢の中から引っ張りださせるあたし。 もう、誰! ていうか、ひゃくパー間違い電話に決まってる。 と思いつつ通話ボタンをポチッと押して言った『もしもし』は我ながらやたら間の抜けた『もしもし』だった。 「もしもし」 あたしの『もしもし』よか、だいぶ緊張感のある『もしもし』があたしの鼓膜を震わせる。 「あ、えーと、あなた、猿渡響子さん?」 「え──あ、はい、そうですけど──」 なんとなく探るような言い方。 どうも間違い電話ではなさそうだ。 でも、声に聞き覚えがない。 声の感じからして相手は中年男、へたすりゃじじいだ。 だけど、なんだってのよ。新手の勧誘? ていうか、こんな朝っぱらから勧誘もないか。 それになんか横柄な感じだし。 「えーと──」 「猿渡さん、あなた今日、ゴミ捨てたでしょ」 「はい、まあ、捨てましたけど」 確かにあたしは今日、ゴミを捨てた。 燃えるゴミを捨てた。 燃えるゴミの日は月曜日。 そして今日は月曜日。 あたしはちゃんと月曜日に燃えるゴミを捨てたんだ。 なにか文句ある? いや、ただちょっとばかし普通より早かったかもしれない。 なにしろ夜中の1時だったから。 ゴミを捨ててあたしは寝たの。 今日は昼までゆっくり眠るためにね。 でも、日付が変わって月曜日に捨てたのは事実。 日曜の夜じゃなくて、げ・つ・よ・う・び・に! 「困るんだよね、捨ててもらっちゃ」 「え、と何がですか?今日は燃えるゴミの日ですよね。あたし、燃えるゴミしか捨ててませんけど」 つうかあんた誰?と、言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。 こんな朝早くあたしの番号調べ上げて電話してくるなんて尋常じゃない。 てかどうやって調べたんだろう。 でも、訊くより前に、相手はあたしの疑問にさっさと答えてくれた。 「悪いんだけどね、猿渡さん。あなたのゴミ、開けさせてもらったよ。そしたら中に電話料金の明細書が入ってたんでね、ここに書いてる番号にかけさせてもらったってわけですよ。いや、朝早くに申し訳ないねえ。そうそう、私ね、怪しいものじゃないの。3丁目の蟹江といいます。一応、町内会のお世話とかさせてもらってる者なんですがね」 「・・・・・・」 もう返す言葉がなかった。頭が目覚めないうちにそう矢継ぎ早に言われても何がなんだか── 結局、あたしになんの用なわけ? なにが困るっていうの? 「だからつまりね、あなた、ゴミだすのちょっと早すぎたんだよね」 かっちーん! なにいってやがるんだ、このすっとこどっこいっ! ようやく頭が目覚めたアタシの怒りは一気にMAXへ突入。 他人のゴミ、勝手ににあけくさりやがって、てめ、それって軽い犯 罪じゃねーのか! つうことは、アレとか、ソレとか見たってことか? 手にとってマジマジと見たっつうことか? このグレート変態、ドスケベ野郎が! う〜、訴えてやる!! ──とまあ、ひと通り腹を立ててはみたものの、相手の身元が割れたとはいえ、蟹江さんとやらの執念も尋常じゃない。 落ち着け。こういうときは落ち着くものよ、響子。 もしかすると、あたしはとんでもない悪さを知らず知らずにやっちゃってたのかもしれないし。 たとえばゴミと一緒にプルトニウム捨てちゃったとか──ってあるかい〜〜っ! いやいや、パニくってるばあいじゃあない。 落ちつけ、マジ落ちつけ、自分。 ここは下手に出ておくのが無難よ。 「あの、どうして早くゴミを出しちゃいけないんですか?たしか決まりだと、燃えるゴミは月曜日の8時30分までに出せば良かったはずですよね。あたしがゴミ出したのって確か3時ごろだったと思いますけど何か問題でもあるんですか」 なんとなく2時間ほどサバをよんで申告するあたし。ま、いいんだけどね。 携帯を耳にあてたまま、空いた右手でカーテンを開ける。外はまだ薄闇がかっていた。 もうすぐ11月。朝は遠い。 思い出したように悪寒がこみ上げ、逃げるように下半身をこたつに突っこむ。 してみるとこのオジサン、朝もはよから薄ら暗い寒空の下、あたしのゴミを漁っていたってわけか。 「それともゴミの中に燃えないものでも混じってましたか」 「い、いや、ご、誤解しないでほしいんだ。私は別に余計なモノまで盗み見るようなことはしてないんだ。や、ホントに」 蟹江さんとやらはやけに狼狽しているご様子でしどろもどろに弁解した。 別にそういうつもりで言ったわけじゃないんだけどね。 ま、面白いから軽くジャブうっとくとしよう。 「電話の明細は余計なものじゃなんですね」 「う──」 オジサンは明らかに言葉に詰まってるようだ。 このまま電話を切ってしまってもいいんだけど、またかけられてきたら面倒だし、相手の言い分も最後まで聞いてあげないとね。 「それで、結局あたしの何がいけなかったんですか?」 数秒の後、ようやく蟹江さんが返事をする。 「あのね猿渡さん、ここってカラス多いでしょ」 あーあ、なんだか急に猫なで声に変わってるし。 もしかしたら、あたしが丁寧に応えているので少しツノを納めようとか思ったのかも。 ふうん、作戦変更ってわけね。こざかしいわ。 まあねえ、理由はどうあれ、こんな早くに電話で起こされ、あげく捨てたゴミ漁られた日にゃ大概は怒るわよ。そりゃもう烈火の如く怒りますとも。でも、あたしは怒んないよ。心広いからね。 「カラスがね、朝早くにやってきて、いつも悪さをしていくんだよ。ゴミ袋食いちぎったりしてね。だから、あんまり早くにゴミを出したりなんかすると、ゴミ収集車が来る頃には、ゴミ袋ひき千切られてもうひどいありさまなんですよ。わかるでしょ」 「ええ、まあ」 「でね、私考えたの。ゴミ袋の上からシートかけたらどうかなって」 確かにゴミの日は決まってたくさんのゴミ袋を覆うように厚手のビニールシートが覆い被さっている。あたしもゴミを捨てるときは皆がそうしているようにシートをめくってその下にゴミを置いている。なぜそんなシートをかけているのかと疑問には思っていたが、なるほどカラス対策というわけか。 「だからね、今回はまあいいんだけど、次からはそうだな7時以降にゴミを出して欲しいんだよね」 蟹江のオジサンは、卑屈にお伺いたてるような言いっぷりだ。 うんうん、わかるわかる。 寒空の下、ゴミ漁って、んで怒りに任せて電話してみたものの、相手は若い女の子。 勢いで自分の素性も明かしちゃったし、プライバシーの侵害だと訴えられれば、中年オジサンに勝ち目なし。そういう大人の損得勘定がはたらいちゃったってわけね。 もしかすると、こうして電話してしまったことさえ後悔してるかもしれない。 ここで一気にヒス起こしたふりでもして脅しかけるのも手だけれど、いらぬトラブルは避けたいし、とにかくここは穏便に穏便に、っと。 「蟹江さん」 あたしはとびきりの猫なで声で言った。 「は、はい」 強張るおっさん。ふふふ、びびってるびびってる。 「すみませんでした」 「は?」 うわ、笑える。 予想どおりのリアクションありがとう。 叱られると思ってたんだよね。 そしたら逆に謝られたもんだからビックリしたんだよねえ。 うんうん、わかるわかる。てか、わかりやすいよ、オジサンてば。 「あのシートはカラス対策だったんですね。そうとは知らなかったものですから──本当にごめんなさい。次から気をつけます」 「い、いやあ、わかってくれればいいんだよ。じゃ、次からは気をつけてね」 「はい、朝早くからご苦労様です」 「うんうん、じゃあね」 「はい、失礼します」 ぴっ。 携帯をホルダーに戻し、首までこたつにもぐりこむ。 さぶぅ── なんだか別れ際のおっさんはすこぶる機嫌よさげだった。 最後にかましたあたしの軽い皮肉は通じなかったようだし。 あほだ、こいつ。 そんなことをいうのなら、ずっとシートを置きっぱなしにしておけばすむ話じゃないの。 要するにシートは方便。ゴミ出しの時間を守らせるための予防線なのだ。 だけど、あたしは反論しなかった。 触らぬ神に崇りなしだ。 それになんといっても眠い。 赤外線のぬくもりの中、いつの間にかあたしは心地よい夢の中へと落ちていった── |
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