ごみじごく第2話




第2話 11月7日

 それから10日が過ぎた。
 あの日の朝の電話のことなどすっかり忘れていたが、久しぶりにゴミを捨てるときになってフト思い出した。
 あのムカツク電話。
 なんていったかな、あのオジサン。海老沢とか亀山とか、たしかそんな名前だったような──
 ゴミ捨て場のシートを捲り、溜まりに溜まった燃えないゴミを捨てようとしたそのとき。
「猿渡さん」
 あたしの名を呼ぶ男の声とともに、その声の主らしき人があたしの肩に手をおいた。本能的にその手を振りほどき、後ずさりするあたし。目の前には見慣れぬ中年男。
「だ、誰!」
 男の猫のような細い目があたしをじっと見つめている。そして、男はじりじりと距離を詰めてくる。
「あっ、やっぱりだ。あなた、猿渡さんでしょ。へえ、思ったより若い人なんだね」
「誰だよ、あんた。なれなれしいな」
 思わず声を荒げると、ゴミを捨てに来てたおばちゃんが訝しげにあたしのほうを見た。
 ああ、おばちゃん、そこの変態中年なんとかして。
 するとおばちゃん、あたしのテレパシーが通じたのか、今度はオジサンのほうに目を向けていった。
「あら、蟹江さん、おはようございます。いつもご精が出ますねえ」
 蟹江──って、ああ、思い出した。この間の電話のオジサンじゃないの。
 先週、朝っぱらからあたしのゴミ漁ってた奴だ。
 つか、なんでこいつ、あたしのことすぐにわかったんだろ。
 あたしのことは電話の声でしか知らないハズなのに──
「ああ、この間の電話の──先日はすみませんでした」
 そうとわかれば──
 ガラッとよそゆきモードに切り替えるあたし。
 町内会に睨まれちゃ生きていけないものね。ってちょっと大げさか。
「でも、あたしのこと、よくわかりましたね」
「え──まあ、なんとなく声の感じでね」
 ウソつけ。あたしが何も喋ってないうちに声かけてきたくせに!
 さては調べやがったか。執念深いオジサンだ。
 くそう、既にあたしは要注意人物とマークされてしまったってわけか。
 しかし、たった一度のルール違反でそこまでするかな、普通。
 蟹江さんは更に馴れ馴れしく話しかけてくる。
「おっ、今日はちゃんとしてるんだね。燃えないゴミもちゃんと分別してあるし、感心感心」
「ハイ。だから今度はゴミ袋開けたりしないでくださいね」
 とびきりの笑顔で軽く釘を刺してやると、蟹江のオジサンはぶるぶると首を振った。
「まさか!もうそんなことはしないよ。私もね、そう滅多やたらとゴミを開けたりはしないんだよ。ただ正直言うと特にあの日はむしゃくしゃしててね。なんていうか、誰かに八つ当たりしたかったのかもしれない。あなたには申し訳ないと思っているんだ。だから電話じゃなく一度ちゃんと会って謝りたくてね」
 なーるへそ。そういうことね。
 で、あたしの住所を調べてアパートまで来たものの、会わす顔がなくて、自然を装ってこのゴミ捨て場でじっと待ってたってわけね。
 つくづく暇な小市民だこと。
 ま、要注意人物としてマークされたわけじゃないから、とりあえず良しとしますか。
「そんな──悪かったのはあたしのほうですから、蟹江さんが謝る必要なんてないですよ」
「いや、しかしね──」
 と、小さくなって俯く蟹江さん。
「でも、むしゃくしゃしてたって、よっぽどおもしろくないことがあったんですね」
 そう水を向けると蟹江さんは我が意を得たりとばかりに頷いた。
「猿渡さん」
「は、はい?」
「聞いてもらえますか、私の話」
 やば、地雷踏んじゃったかな──
 そして蟹江さんは、あたしがイエスと言おうが言うまいがお構いなしに喋りだした。
「実は私にもあなたと同じくらいの年頃の娘がおりましてね。それがひどいもんなんです。実の父親をゴミ呼ばわりですからね。仕事のかたわら町内会の世話役までやっているこの私をつかまえてそんなひど言い方ってありますか?私に対する娘の拒絶はそれはもう徹底したものですよ。私と一緒に食事をしない。洗濯物は別々に洗う。私の後には風呂に入らない。私が通るとゴミ臭いと言う。数え上げたらキリがないですよ。それでも昔はお父さんっ子だったんですがねえ。いや、私には全く非はありませんよ。いつだって尊敬できる父親でいたつもりです。だけどねえ、なにもわかってないんだ、あの子は。先日なんて一人暮らしをしたいなんて言い出しましてね。仕事場から歩いて通えるのになんで一人暮らしをしなきゃならんのです。しかも金がないから部屋代を援助してくれとまあ、いけしゃあしゃあと。ウチの娘ね、今年で21ですよ。高校中退して定職にも就かず、ときどき気が向くとふらっとアルバイトに出て、小遣いを稼いでくる。まあ、そんなふうです。もうね、母親もさじ投げてるんですよ、実際。や、私だってそうだ。ガマンにも限度がある。もう愛情の欠片も感じない。言っちゃなんだが、ウチの娘こそゴミです。社会のクズですよ。まったく、ウチの娘もあなたみたいに立派なお嬢さんだったら良かったんですがねえ」
 呆れた。
 ようするに愚痴じゃない。
 ああ、もうなんか言いたいこと全部喋ってすっきりしたって顔してるし。
 なんかもう、イタイな、このオジサン。
 こんなの朝のゴミ捨て場で話すようなことじゃないでしょ。
 まあ、娘も娘なら、父親も父親ってことですか。
「あの、猿渡さん、すみませんね、こんな話」
 散々喋り倒して今さら殊勝なこと言いなさんな。
「いえ、大変ですね、いろいろと」
 頬を引き攣らせながらも、なんとかスマイルをキープ。
 ここは早いとこ退散するが吉だ。
「じゃあ、あたしはこれで」
 と、なにげにフェードアウトしようしたあたしに蟹江さんの声が追いすがる。
「ありがとう、猿渡さん。あなた本当にいい人だ。良かったらまた聞いてもらえますか」
 やなこったい!
 あたしは聞こえないふりを決め込んでその場を足早に立ち去った。
 そんなことだからねえ──
 アパートの階段を駆けあがりながら思わず吐き捨てる。 
「そんなことだから娘にバカにされるんだよ!」


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