はいぱ〜ず第1話



     第1話 校生NAZOだらけ

 200X年、某月某日、朝。
 私立海老茶高校の校庭には極めて局地的な砂嵐が舞っていた。
 そんな得体の知れない校庭をひとりの青年が歩いてくる。
 まさに主人公登場にうってつけのシチュエーションではないか。
 彼は転校早々の遅刻にも拘わらず、慌てず騒がず堂々たる歩きっぷりだった。
 すでにホームルームに入っている他の生徒たちが、それぞれの教室の窓から転校生を見下ろしている。
「おい、見ろよ、アレ」
「あんな酔狂なヤツこの学校にいたっけ」
「酔狂なヤツならいくらでもいるが、あの手合いは見かけないな。もしかして転校生とか?」
 そんな生徒たちに混じって2−Aの教室から彼を見下ろしていたひとりの女生徒が呟く。
「あれ?アイツ、今朝の……」
 彼女の名は桜吹雪。この物語のヒロインである。
 どうやら、彼女は彼と面識があるらしい。
 しかし、豆粒のようにしか見えない転校生を指して、なぜ彼女はその人物とはっきりと認識できたのであろうか?
 一応断っておくが彼女は決して視力がずば抜けてよいわけではないのだが。
 そのワケは……
 さて、ここで少し時間を遡ってみることにしよう。
 
 
「お兄ちゃん、お弁当忘れてる」
「やあ、吹雪、すまないな」
 バス停に並んでいる桜多門のもとへ妹の吹雪が息を切らしながら駆けてくる。
 桜多門。私立海老茶高校現国教師。
 桜吹雪。私立海老茶高校2−A学級委員長。
 二人は兄妹であり、また同じ学校の教師と生徒でもあった。
 当然、通勤通学路も一緒である。
 程なくバスがやってきて乗り込む二人。
 のどかな朝のひとコマである。
「そういえば、今日、吹雪のクラスに転校生がくるらしいな」
 後部座席に並んで座ると、多門が細い目を更に細めながら妹に水を向けた。
「うん、朱見先生がそんなこと言ってたっけ」
「その子の転入届見たんだけど、履歴が真っ白なんだよなあ。ま、ウチの学校じゃ別段珍しいことじゃないんだけどね」
「ふ〜ん、謎の転校生か……あ、お兄ちゃん、アレなんだろ?」
 なにげなしに窓の外へ目をやると、全速力でバスを追いかけてくる一人の青年が視界に飛び込んでくる。
「うおーい、待ってくれー!」
 ここまでは、まあいかにもありがちな朝の風景である。
 しかしあろうことか、この青年、バスと同じ速さ以上で走っているではないか!
 青年は瞬く間にバスに追いつき、運転席に並びこみ昇降口のドアを乱暴に叩く。
「おい、開けてくれ、乗せてくれ、停まってくれー!!」
 青年は海老茶色した詰襟の学生服を着ていた。その襟元には「ゑ」を図案化した記章が燦然と陽光に照らしだされている。
 多門はつぶらな瞳を精一杯丸くして驚いた。
「あれって、うちの学校の制服だろ。何者だ、彼は?」
「他人のフリしてた方がいいんじゃない?」
 吹雪は動揺を隠せなかった。それもそのはず、青年の行動もさることながらその風貌はちょっと常軌を逸脱していたからだ。特に首から上は……
 彼の頭部には、それをすっぽりと覆うように赤いマスクが被せられていた!
 そしてそのひたいには数字の「1」に鳥の羽根みたいなのがくっついている。さらに、顔全体を覆うように「H」を模した黒い突起物が……
 まるで往年のヒーロー、秘密戦隊ゴ○ンジャーの如く、である。
「ひぃっ……」
 バスの運転手、山田一郎はビビッていた。はっきりいって、おしっこちびりそうだった。
 20年間バスの運転手としてそりゃもう真面目に勤め上げてきたのだが、こんなことは今だかつてない経験だった。
 走るバスに人間の足で追いすがってくるなんて!しかもあの珍妙な覆面。もしかして新手のバスジャックか?だとしたら……
 停まるわけにはいかない。絶対に停まるわけにわっ!
 交差点の信号が黄色から赤に変わる。
 しかし山田一郎は停止するどころか目一杯アクセルを踏み込んだ。
 優良ドライバー山田としてはキヨミズの大舞台からバンジージャンプする思いでの交通違反である。
 そのかいあってか、バスは間一髪交差点を無事に通過していく。
「あっ、きったねえ、信号無視かよッ!」
 覆面の青年は短く舌打ちして、躊躇うことなく赤信号の交差点に飛び込んだ。高速で横切っていく車の前で鋭くジャンプ。着地したボンネットがベッコリとへこむ。さらにその勢いで再び跳躍、次の車はルーフがベコリ、次の車、フロントガラスがガシャリ。しめて3台の車を修理工場送りにした彼は人間離れした俊足でバスを追う。学校まであと20キロ。いかな彼でもそこまで今のスピードを維持することは不可能であった。
 遅刻自体はもうどうでもいい。
 彼はそんな半ばやけっぱちな気分になっていた。
 とにかく、なんとしても、あのバスに乗らねば。ここまで走った意味がなくなってしまう。
 ただその一念だけで……
 そして、彼の執念が奇跡を生んだ。と同時に山田一郎の恐怖がピークに達した。
 山田は完全にパニクっていた。
「うそーん、また追いつかれたー」
「停まれっつってんのが、聞こえねえのかあ!」

 グワシャーン☆

 青年はついに強行手段に出た。バスの窓ガラスをぶち破ってしまったのだ。
「うえーん」
「キャー」
「ひええええ〜〜」
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 車内は恐怖のどん底に陥っていた。
 乗客たちは、恐怖のあまり顔が楳図カズ○になっている。
「なになに、なんなのよ、アイツわ〜」と吹雪も御多分に漏れず慌てふためいている。
「ふむ、やはりここは一教師として見過ごすわけにはいかないか……」
 一人やけに冷静な多門がすっと席を立つ。
「え、危ないよ、お兄ちゃん」
 妹の制止も聞かず割れたガラスに歩み寄る多門。
 一方、覆面の青年は開いた窓から腕と首をねじこんで山田一郎に睨みをきかせている。
 彼はまるでエサをお預けにされたドーベルマンのように殺気だっていた。
「と〜ま〜れ〜」
「く、来るなバケモン!」
 青年は割れたガラスで切ったらしく、頭部のいたるところから古式ゆかしい水芸の如くぴゅぴゅ〜っと血を噴出させている。どうやら頭のほうも少々いかれてきたようだ。
「君、海老茶高校の生徒だね」
 窓から首を覗かせる覆面の青年に多門がのんびりと問いかけた。
「なんだ、あんた」
「海老茶高校の教師をしている桜多門というものだ。以後よろしく」
 高速で走るバスの中、多門はのんきに握手なんぞを求めている。
「どうでもいいけど、先生よ、このバス停めてくれねえか!この態勢、かなりつらいんだよな」
 その間にも、運転手山田一郎はハンドルを左右に切って、彼を振り落とそうと懸命だ。
 道往く人々は、映画の撮影かなにかと勘違いしている模様。
「しかし、そんな怪しい格好していては誤解されてもしかたがないぞ」
「学生服のどこが怪しんだよ!」
「何言ってンだ。服装のこと言ってるんじゃない……あ、それより君、名前は?こんなに足の速い生徒が我が校にいたなんて陸上部の顧問として全くもって迂闊だったよ。どうだい、我が陸上部に入らないか?君なら即レギュラーだよ」
「お、お兄ちゃん、そういうこと言ってる状況じゃないでしょ」と、吹雪がすかさず極めてオーソドックスなツッコミをいれる。
 しかし覆面の青年もさることながら、桜多門も只者ではない。そんな状況などお構いなしに、彼を車内に引き入れようとする。
 慌てた運転手が金切り声をあげた。
「お客さん、そいつはバスジャックですよ。中に入れないでください!」
「ん?でもさっきアナウンスしてじゃないか。危険ですから窓から手や顔を出さないでくださいって」
「そそそ、それは……」
 まさにおっしゃるとおりである。
 青年は確かに窓から手や顔を出していた。ただし内と外とが正反対ではあったが……
 多門は何か思いついたらしくニヤリと笑って青年に語りかけた。
「なあ、どうだい。陸上部に入部してくれたら、このバスに乗せてやろうじゃないか?悪い取り引きじゃないだろ」
 とまあ、この期に及んで悪魔的な交渉を始める多門。えびす顔の教師の瞳がキラリと光る。
(やっぱりお兄ちゃんを敵に回すと怖いわ)
 吹雪は今更ながら兄の恐ろしさに戦慄を覚えていた。
「さあ、どうするね、君」
「ニャー」
「ニャーって……ええっ!?
 覆面の青年がたすき掛けにしたカバンの中から一匹の猫が這い上がってくる。黒い毛並みのその猫は、青年の背中を伝って、その頭にひょいと飛び乗ると再び多門に向かって鳴き声をあげた。
「ニャー」
 するとどうだろう。多門の様子がたちどころに急変した。だくだくと流れおちる脂汗、吹き出るじんましん。
 そう、何を隠そう吹雪の兄上は極度の猫アレルギーだったのだ。
「あ、あっち行け、バカ猫」
 しっしっと手を振るも逆効果で、猫はあろうことか多門に頬づりさえしてきた。
 たまらずくしゃみを連発する多門。
「うう〜〜、もおだめだあ」
 ノック☆アウト。
 桜多門は見事泡を吹いてぶっ倒れてしまった。
 それをルームミラー越しに見ていた山田一郎はひとり気を吐いた。
「おおお客様になんてことを!え〜い、許せん。運転手生活20年、お客様を安全に目的地へお運びするのが私の使命!お前のような輩を乗せるわけには断じてできぬわ〜!!」
 山田一郎はアクセルが抜けるくらいに踏み込んでハンドルを切りまくる。
「わ、たたた、オイ、コラ、運転手、俺を殺す気か!」
 それでもなんとか窓枠にへばりつく覆面の青年。しぶとい。
「運転手さん、ちょっとやりすぎじゃあ……」
 吹雪の弱々しい申し出も全く受けつけない。山田一郎の目は既にもうイッちゃっていた。
「これでも食らえ!スピンアタ〜〜ック!!」
 ようはただハンドルを思いっきり切っただけなのだが、一応必殺技のつもりらしい。
 しかし、これが意外と効果テキメンだった。
 大きく道から外れたバスは電柱すれすれのところを掠めていき、外にいた青年はものの見事に電柱に激突。
 ぶつかった衝撃(笑劇?)でそのからだは紙のようにぺらっぺらに成り果ててしまった。
 憐れ覆面男、無情にもひらひらと路上に舞い落ちる。そして猫だけが優雅に着地を決めている。その着地、10.00。
「うぬぬぬ〜〜、やるな、ウンちゃん」
 がくり。
 過ぎ去っていくバスを虚ろな視界にとどめながら、青年の意識は遙彼方へと旅立っていったのだった……
 かたやバスの中は賞賛の拍手が鳴りやまないでいた。
 というか乗客全員スタンディングオーベーションである。
「スゴイなあ、運転手さん」
「カッコ良かったぞ、運転手」
「愛してるわ〜、山田一郎」
 頭を掻きながら照れまくる運転手をよそに、猫が消えて早くも復活を遂げた桜多門が腕組みしてしみじみと言った。
「いずれにせよ、遅刻だな、彼は」
 そんな兄に対して、吹雪は呆れたように大きなため息をひとつ。
「っていうか即入院よ」


 ……と、いうワケで舞台を戻そう。
 砂嵐舞う校庭。
 全校生徒注目の中、ひとり歩いてくる覆面の青年
 吹雪がバスの青年だと気付くのも無理からぬ話だった。
 つい今しがた、強烈なインパクトを残していった彼を忘れようったってそうそう忘れられるものではない。
「ちょっと、みんな席につきなさい!」
 担任の数学教師、朱見涼子が2−Aの生徒たちを叱責するも誰も聞く耳持たずである。
「ねえ、もしかして今日来る転校生って彼なんじゃない?」
 女生徒のひとりがそんなことを言う。
 しかし、あの覆面では本人かどうか分かろうハズもない。
「う〜ん、まさかねえ」
 とは思いつつも転校生が転入早々遅刻しているのもまた事実。
 ……くらっ。
 眩暈がしそうになるのを黒板にもたれ何とか堪える健気な女教師。
(やっぱり?もしかしてもしかして……彼がこのクラスに?……もお、どうしてウチのクラスにばっかりヘンな子が来ちゃうのよ。ああっ、これは陰謀だわ。ええ、そうに違いないわ。私が無能だから、教師失格だから……私を学校から追い出そうってことなのね……ううっ、実際、誰も私の言うこと聞いてくれないし……くすん……)
「お〜い、涼子先生が辞表書いてるぞお」
「バカ、そりゃいつもの病気だろ。ほっとけほっとけ。それより校庭の方が面白いことになってるぜ」
「おおっ、生徒会長さんのお出ましだな」


 真っ直ぐ玄関へと向かう覆面の青年。
 その直線上にふたりの生徒が立ち塞がっている。
 ひとりは海老茶高校生徒会長、竜胆豹。
 いまひとりは風紀委員長の丁崎杏である。
 覆面男と生徒会長。
 ふたりは今まさにすれ違おうとしていた。
「待て」
 はじめに声をかけたのは竜胆だった。
「なんだ、お前?」と、素っ気ない返事の覆面。
「君はここの生徒だな」
「見りゃわかるだろ」
「クラスと名前は?」
「人にモノを尋ねるんだったら、名前くらい名乗るが礼儀だろ」
 おおーっ!
 野次馬からのどよめきが響いた。
 竜胆財閥の御曹司にして海老茶高校随一の出資者の息子であるあの竜胆豹の向こうを張り一歩も譲らないアカ○ンジャーもどき。
「君は礼儀がどうとかなんて人に言える立場なのかな」
 竜胆はクールに決めながらも、目の端っこではちゃっかりしっかりギャラリーの数を確認していた。
(ふふふ、見てる見てる。カッコいいぞ、僕。この上、こいつをやっつければ僕の株もまた上がるな。むむっ、僕の心のキミ、桜吹雪クンも見ているではないか。ああ、そんなに見つめないでくれたまえ。君のラヴラヴ光線に身も心も焦がされてしまいそうだ)
「ふん、海老茶の制服を着ていながら僕を知らないとは、また奇怪な。まあいい。ならば教えてやろう。僕の名は……」
 ひとり悦に入っている竜胆が銀縁眼鏡を軽く押し上げ、勿体つけたように宣言した。いや、宣言しようとした。
「あのう、もう行っちゃったんですけど、彼」
 丁崎杏がそう告げた頃には覆面青年はすたすたと玄関まで足を運んでいた。
「こ、こら待ちたまえ!」
「なんだよ。俺、急いでンだけどな」
「ぬけぬけと。遅刻しておきながら何を言うか!丁崎クン、あれを」
「はいッ!」
 弾かれたように覆面のもとにすっ飛んでいった杏がメジャーを取り出して彼のからだをあっちこっち図りはじめる。
「わっ、アンタ何やってンだ?」
 そんな彼を無視し、問答無用にひととおり測り終えた杏が最敬礼して報告する。
「服装、異常ありません」
「なんだ、服装のチェックかよ。それならそうと言えって。俺は規定の制服着てきたんだぜ。なんか文句あんのか?」
「ふむ、まあいい。だが……」
 竜胆が青年を指差しビシッと言いつけた。
「その覆面を取れ!」
「え……」
 青年は己の覆面をその両手でなでまわした。
 顔は見えないものの覆面の青年は明らかに動揺していた。
「ふっ、男は己の顔に責任をもつべしと言ったのはワシントンだったかな。いくら『学校に覆面をしてきてはならない』という校則がないとはいえ、それは君、校則以前の問題、いわば常識なのだよ」
(決まったナ。見ていたかい、桜クン♪)
 キラリーン☆
 竜胆の眼鏡が知的に光る。しかし……
「あの、それってリンカーンだと思うんですが」
 杏が冷たく竜胆に耳打ちする。
 ボッと顔を紅潮させる生徒会長、竜胆豹。だが覆面の青年はそんな細事にはまったくお構いなしだ。というか、なんとなくひどくへこんでいる様子である。ガックリ肩を落とした超なで肩で歩き出すその姿にはなにやら哀愁さえ漂っていたりする。
「覆面か……迂闊だった……」
「おい、人の話を聞いているのか!生徒手帳を見せろ。いや、まずその前に覆面を取れ!」
「お、俺は……」
 青年がくるりと振り向いた。そして、何かに吹っ切れたようにきっぱりと宣言した。
「俺はこの学校の生徒じゃない!」
 されど、思いっきり海老茶高校の制服を着ておきながら言ったとて説得力なきことこの上なし。
「何を言ってンだ、君は!」
「とおっ!」
 覆面青年はポーズを決めて後ろに飛びすさり、校長の胸像の上にピタリと着地してみせた。その跳躍力、平衡感覚は並ではない。
「俺の名はハイパー戦隊はいぱ〜ず、ハイパーレッド!!」
 あーあ、なんか知らんポーズまで決めちゃって……
 竜胆、丁崎両名はあまりの急展開について行けず、口をあんぐり開けっぴろげている。そしてまたギャラリーたちも同様、エサをねだる小鳥のようにあんぐりと……
「き、君ね、自分が何を言っているか、わかってるのか」
「戦隊ってことは他にも仲間がいるのか?」
「自分で言ってて恥ずかしくないの」
 恥ずかしいに決まっている。そりゃあもう顔から火が出るくらいに。
 青年は内心そう思っていた。覆面をしていたのが唯一の救いである。
 彼は焦っていた。
(な、なんてこった。転校早々ピーンチ!まだ俺の正体は誰にも知られてはならないんだ!!)
「ととととにかく、今日のところはこれで勘弁してやる。また会おう!」
 しゅぱぱっ!
 ナニを勘弁するのかよく分からないが、とにかくそう言い残すと謎の覆面野郎は牛若丸も真っ青の八艘跳びを披露し、学校の屋上へと消え去った。
「結局なんだったんだ、あやつは」
 唖然呆然の竜胆。
「なあ、丁崎クン、僕は夢でも見ているのだろうか?ちょっと頬をつねってみてくれないか」
「はいッ、会長!」
 従順なしもべ、丁崎杏はどこから出してきたのかラジオペンチを構えて、竜胆の頬をぎゅうううっとつねる。
 次の瞬間、竜胆豹の断末魔の叫びが学校中に響き渡ったのは言うまでもない。


 2−A教室は漸く落ち着きを取り戻しつつあった。
 2時間目、数学。
 担任の朱見涼子の授業が粛々ととりおこなわれていた。
 とにかく退屈で、ヘタな睡眠薬の10倍は効果がありそうな授業である。
 春の木漏れ日が窓から差込み、舟を漕ぎはじめる生徒もちらほら……
 転校生は今だ現れず、これが終わったら家に電話をしてみようかなどと心配し始めている涼子先生。
(途中で事故にでも遭ってなければいいんだけれど……)
 そんな彼女の懸念は、ズバリ的中してたりするから恐ろしい。
(それにしても、どうしたものかしら、この授業態度。ああっ、西田君、ヨダレまで垂らしちゃって……そりゃあ、数学なんて社会に出ればな〜んにも役に立つことのない学問かも知れないけどね……でもそんな露骨につまんなそうにしなくったっていいじゃないよお。それを一生懸命になって教えてる私の立場って一体……)
 彼女のもつチョークはいつの間にかピタリと止まっていた。どうやら完全に自己嫌悪の底なし沼に嵌ってしまったらしい。
 朝起きて自己嫌悪
 出勤して自己嫌悪
 授業しながら自己嫌悪
 食前食後に自己嫌悪
 いつでもどこでも自己嫌悪
 教師、朱見涼子の非常にタチの悪い性癖である。
 それでもなんとか自分を取り戻そうと必死になる涼子。
(ううん、眠いのは仕方ないわよね。なにも私の授業がつまらないってワケじゃないハズよ。春だもん。眠くなる季節だもん。私だって眠たいし、少し寝ようかな……ってバカ!バカバカバカ、涼子のバカ!……ナニ考えてンのよ、もお……あ、そういえば今日来るはずだった転校生の子、面白い名前だったなあ……まさに今の季節にぴったりの……)
 そこへ……
「遅れてすまん」
 神聖なる教室のドアががららっと開いて現れた青年が開口一番そう宣言した。
 凛々しい瞳、栗色がかった頭髪、意志の強い口元、とがった鼻。中肉中背ではあるが、服の下は結構、筋肉質かに見える。たすきがけにしたカバンがいつの時代のものやらやたらと古めかしく、新品の学生服とは妙にアンバランスだ。そして、彼は外見だけではなく性格もまた濃かった。
 ぽか〜んとしている涼子先生をシカトして、教壇の前に立ち、黒板に書かれた数式をなんら躊躇いなく消してしまう。そして……






 と、デカデカと書きなぐる。勢いでチョークが折れてしまうほどに。
「きさらぎしゅんみん、と読む。決して『はるねむ』などと読まないように」
 そこで涼子はハッと我に返る。写真すら貼られていない真っ白けの履歴書。そこにかろうじて書かれていたのはその名前。涼子は教師としての使命感からとりなすようにこう言った。
「あ、みんな、紹介するね。今日からこの2−Aで一緒に勉強する如月君よ」
 一瞬遅れて教室にどよめきが広がる。
「な〜んか、どえらいのが来ちゃったよ」
「田舎者丸出しって感じ」
「そお?結構かあいいじゃない。アタシちょっとタイプだな♪」
 そんな中、後ろの席の生徒が野次を飛ばす。
「おい、は・る・ね・む、ちゃんと自己紹介しろよ」
 この生徒、名を柴田泰雄という。ただし、この名前覚えておく必要全くナッシングである。なぜなら……
 春眠は目にもとまらぬ速さで、柴田の席に駆け寄りその首筋に手刀一閃!柴田はそのまま床にキスをさせられてしまった。
 あわれザコキャラ。2−Aに死す(ウソ)
 ここで春眠、クールに言い放ったもんだ。
「言い忘れた。俺を『はるねむ』と呼んだヤツには鉄の制裁が待っている」
 静寂が教室を支配した。
「お……」
 しかし、その静けさは一瞬のものだった。生徒たちが口を揃えてキッパリと、
「おもしろい!!」
 それからはヤンヤヤンヤの大騒ぎだ。もはや授業どころではない。
「む、この席が空いてるな。先生、俺、ここに座らせてもらうぞ」
 今まで柴田の座っていた席に悠然と腰をおろす春眠。
 なんともはや徹底したゴーイングマイウエイ男である。
 そして、その隣りの席には桜吹雪が座っていた。
 転校生が来る時は決まってヒロインの隣りの席は空いている。これぞマーフィーの法則もビックリの「お約束」である。しかし、ヒロインの隣りの席を奪った主人公はなかなかどうして珍しかろう。
 吹雪が恐る恐る新たな隣人に問いかける。
「あの……アンタ、もしかして?」
「如月春眠だ。決して『はるねむ』と……」
「それはさっき聞いたわよ!」
 吹雪が叫ぶと、春眠のカバンからひょっこり猫が首を出した。
「……やっぱり」
 吹雪は頭を抱えてしまった。
「何がやっぱりなんだ?」
 しかし、春眠の問いに吹雪は答える気さえしなかった。出来ることなら今すぐ早退して布団被って眠ってしまいたいくらいだった。
 一方で猫に反応した女生徒たちが黄色い声をあげている。
「きゃー、かあいい猫ちゃん」
 猫、呼応するように「ニャー」
「すご〜い、まるで私たちの言ってることわかるみたい〜」
「ニャニャー」
「わ、今の返事よね。返事したよね、この猫ちゃん」
「ニャン」と、猫が机の上に乗って顔を洗い始める。
 その愛らしいしぐさに女たちは身をくねくねさせて喜んだ。
「うー、かあいすぎる〜。ね、ね、あなたお名前何ていうの?」
「如月春眠だ」
 と、春眠がぶっきらぼう且つトンチキな返答をする。
「アンタじゃなくて、この猫ちゃんにきいてンの!」
 すると、猫はつと二本足で立ち上がると角度45度のきっちりしたお辞儀をしてみせた!
「拙者、ゲンブと申します。以後お見知りおきを」
「しゃ、しゃべった〜〜〜☆▼◎※〆∞〒!!!」
 パニックは最高潮。
 もう誰にもとめられない。
 収拾のつかないお祭り騒ぎの中、授業終了のチャイムが虚しく響きわたる。
 おいてけぼりの朱見涼子が便箋を取り出しなにやら書きはじめている。書き出しはもちろん「辞表」だった……。


 あっ!
 という間に下校の時間。
 桜吹雪がバス停に向かうと、その後を数歩遅れて如月春眠が歩いている。
 吹雪が意を決して振り返った。
「アタシについてこないでよ!」
「別にそんなつもりはない。俺もそのバスに乗るんだ」
 春眠は心の中で「今度こそはな」と付け加える。
 桜吹雪は本日26回目のため息をついた。
「あー、そういえばそうでしたわねッ!」
「ん?なぜ俺の帰り道を知ってるんだ。お前まさか『かりん党』の一味か?」
「なによそれ?かりんとうってお菓子じゃない。バッカじゃないの、この覆面男」
「覆面!なぜ俺が覆面をしていることを……」
 春眠は焦った。大いに焦った。その動揺っぷりたら滑稽極まりない。
(あ〜、もう鬱陶しい。あまり関わりあいになりたくないんだけどなあ……)
 吹雪は27回目のため息をついて教えてやった。
「校庭での一件を見てたからよ。あれ、アンタでしょ?ついでに今朝のバスでの乱闘騒ぎもね」
「そそそそれは、おおお俺じゃない。赤い覆面のハイパーレッドなど俺とは断じて無関係だっ!」
 両手をバタバタ、首をプルプル振りながら否定しようとする春眠。これはもう白状したも同然だ。
 如月春眠。この男、相当な「おバカ」である。
 吹雪は春眠の肩の上にちょこんと乗っかっている愛猫ゲンブを指して言う。
「だって、その猫、今朝のバスの中でも見たし、それよりも何よりもアンタの声、あの覆面男と一緒じゃないの」
 まさに動かぬ証拠というやつだ。もはや春眠に弁明の余地はなかった。
 春眠は昏い目をしながらポツリと呟いた。
「そうか……そこまで知ってしまったか。お前には恨みはないが、秘密を知られた以上は消さねばならんな」
「消す?ナニ言ってンの、アンタ。こんな人目の多いとこでアタシを殺すとか?」
(ちょっとオカシイんじゃない、こいつ)
 そう思いながらカバンから定期券を取り出そうとする吹雪。しかしその手が滑って定期券を足元に落っことしてしまう。
「おっと……」
 吹雪は反射的に屈みこみ定期券を拾おうとする。と、同時に頭上に一陣の風が駆け抜けた。
「え?」
 地面に落ちた定期券の上にはらはらと舞い落ちる黒い糸。それが自分の髪の毛だと気付くのに数秒を要した。
「やるな、お前。この俺の攻撃を見切るとは……」
 春眠が怖い顔で手刀を振りかざしている。もし定期券を落とさずに、そしてその場に屈まずにいたら、おそらくあの手刀の餌食と成り果てていたことだろう。
(でえええ〜〜〜〜!!)
「じょ、冗談やめてよ!だいたいにして、それってそんなに大事な秘密だったの?」
「死に往くものに知る必要はないこと。俺の拳は一撃必殺。常人の目にとまることはない」
 なんかえらくハードボイルドに決めちゃってるが、通学路における高校生の会話とはとても思えない。
 しかし彼はマジだった。大マジだった。
「安心しろ。痛みを感じる間もなく逝けるハズだ」
 本能的に身の危険を感じた吹雪が慌てて両手をパーにして突き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ。アタシを始末したってね、そんなこと、みーんな知ってるわよ。少なくとも2−Aの連中は全員ね!」
「なに、バレてただと!?ま、まさか……」
「当たり前じゃない。今朝の覆面男とアンタ。いくら海老茶高が変人の集まりだからって、あんたほどのレベルが一日に二人も現れるってほうが不自然よ」
「くそお、もはや周知の事実とは……」
 春眠はすっかりやる気が萎えてしまったらしく苦悩の表情さえ浮かべている。
 思いっきしヘコんでいる彼がほんのちょっとだけかわいそうな気になってくる吹雪。
「アンタね、そんなに知られたくなかったら、最初から覆面なんかしないで来ればよかったじゃないの」
 こんな至極当然な疑問に対する春眠の返答は実に間の抜けたものだった。
「忘れてた」
「へ?」
「忘れてたんだ。マスク取るの……」
(取るの忘れてた……ナニ言ってンだろ、コイツ)
「いや、覆面生活が長かったもので、すっかり顔の一部になっていたんだな。覆面を取ったのはかれこれ10年ぶりなんだ……」
(あの酔狂な覆面を10年間もつけ続けていた?やっぱりコイツまともぢゃない!!)
 吹雪は春の空気を胸一杯に吸い込んでビシッと言ってやった。
「アンタはスケバン刑事か!」
 とりあえず一応ツッコんでおこう。
 桜吹雪よ、君は一体何歳だ!


「とにかく、とんでもないヤツなのよ、そいつ」
 桜家のリビング。
 テレビを見ながら醤油煎餅を齧っている桜吹雪はぼやいていた。ぼやきまくっていた。
「あら、なんだか楽しそうな子じゃない。一度お目にかかってみたいわねー」
 そうのんびり応えたのは、吹雪の母、桜蘭子である。
 和服のよく似合う純日本風な女性である。結い上げた後ろ髪のうなじが妙に色っぽかったりする。
「やめてよ、もお。だいたい中途半端なのよねえ。ヒーローみたいな覆面してるわりには服装は普通だったりしてさ」
「目立とうとしてただけなんじゃないかしらねえ。友達たくさんつくろうと思って、わざとそんな格好をしてたとか……」
「あの自己チュー男に限ってそりゃないわよ。アタシなんて命狙われたんだからね」
「またぁ。大げさなんだから吹雪は」
「ホントだってば!」
 ピンポーン。
 そこへ玄関の呼び鈴が鳴った。
「は〜い、ただ今」
 蘭子がエプロンの紐をほどいて玄関へ向かう。
 テレビでは子供向けの特撮ヒーローが怪獣と戦っていた。ぼんやりとブラウン管の映像を眺めている吹雪の耳に玄関口でのやりとりが聞こえてくる。
「あら、どちら様で?」
「はい、わたくし、今日隣りに越してきましたラセツインと申します。これ、つまらないものですがどうぞお納めください」
「あらあら、そんなご丁寧に。こちらこそよろしくお願いしますわ。あの、よろしければ中にお入りになってお茶でもいかが」
「いや、お気持ちだけ頂戴しまして今日のところはこれで……」
 声の様子からして40代の中年男といった感じ。
 隣りの借家はしばらく空き家になっていたようだが、ようやく借り手が見つかったらしい。
(一応、挨拶しとこうかな)
 吹雪はよっこらせと立ち上がり煎餅の粉を払いながら玄関に向かった。
 玄関口には案の定、40台後半と思しき顔立ちの男が立っていた。しかし、吹雪の予想を著しく裏切った面もあり、思わず彼女は吹き出しそうになった。
「おや、こちらは、お嬢さんですか?」
「ええ、そうですのよ。ほら吹雪、ご挨拶して」
「ぷ……くく……こ、こんにちわ」
 吹雪はペコリとお辞儀をしたきり、顔を上げることが出来なくなっていた。相手を直視したら笑いがとめられそうもない。だって、だって……
(このおじさん、背ぇ低ッ!)
 な、なんと、桜家の隣人は顔はオッサンながら、その身体は小学生並みだったのだ!身長120センチくらいだろうか?まるで三頭身のギャグ漫画から抜け出てきたかのような濃い〜キャラクターである。しかもなぜか柔道着なんか身につけてるし……。
(お母さんってば、よく平気だよね)
 と、ヘンなことで感心する吹雪。
 母は強し。桜蘭子は何事にも動じないおっとりとした、ある意味世間知らずなお人なのだ。
「いや、実に礼儀正しい娘さんだ」
 とっちゃん坊やは、満足げにウンウン頷いている。
「うちにも、坊主が一人おりましてな。ちょうど娘さんと同じくらいじゃないですかね」
 吹雪はギクリと身を強張らせた。
(このコメディ小説独特のご都合主義な展開は……もしかして……いや、まさか……)
「おい、こっちに来てご挨拶せんか」
 とっちゃん坊やの後ろに人影が動いた。
 そこに現れる青年。
 吹雪が顔を上げる。
 そして……
「あ〜〜〜お前(アンタ)!!!」
 青年と吹雪はお互いを指差しながら奇声を上げる。
 この青年こそ、何を隠そうくだんのトラブル男、如月春眠その人だった。
 予想どおりのベタな展開。おいこら作者こっちこい、こっちきてそこに座れ!ってなモンである。
「この変態覆面男!アンタ、よりによってなんでウチの隣りに?う〜、アタシ頭痛くなってきた。お母さん、バファリンある?」
「あら、吹雪。さっき言ってた覆面の子って、この子のことなの?」
(もう、いい。もう勝手にして頂戴。アタシは他人。誰がなんと言おうと赤の他人なんだから……)
 頭を抱え込む吹雪。その母親の足元に黒猫がすり寄ってきた。
「まあ、かわいい猫ちゃん。これ、お宅のですか?」
 すると、猫が立ち上がり直立不動の姿勢から丁寧なお辞儀をする。
「拙者、ゲンブと申します。以後お見知りおきを」


 というわけで……
 桜吹雪の受難の日々は、こうして始まってしまっちゃったのである。



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