幻楼(ユメ)であるように
幻楼(ユメ)であるように
[You May Die, I'll You Need]
Written by 踝 祐吾
それには、いつか終わりがある。
そう信じていた。
繰り返す悪夢。
囁かれる慟哭。
耐えられなくなるくらい、周りから響いてくる。
しかし、僕にはもう、どうしようもない。
動かし難い現実。
夢と見間違うようなそれは、何の迷いもなく、繰り返し続ける。
それが夢であれば良い──。
そう──願っていた。
しかし──現実は──夢には戻れない。
「悪夢、ね」
僕が書いた小説の冒頭部分を読んで、嘉野は少しほくそ笑んだ。
「お前は、これをどんな小説にするつもりなんだい」
「そんなのは、僕の勝手だ」
嘉野の戯言にも耳を貸さず、僕はひたすらパソコンに向かい続けた。
字数は4000字以内。テーマは「終局」。十数人の作家を募って競作をやる。そんな原稿の依頼が舞い込んだのは、もう数か月前になる。4000字という短さ。連載原稿の合間を縫えば、真っ先に仕上がるに違いない。そんな考えのもと、僕は依頼を快諾した。しかし、元来僕はそんなにまめに原稿を書く人間ではない。案の定、というべきか、〆切まであと数日となってしまった。実際の執筆の際にはむしろ、ここからの追い上げが一番筆が進むのであるが。
4000字である。長くはないが、実際にやってみると結構書きにくい。油断すると、字数をあっさりとオーバーしてしまうのだ。どこで文章を切るかが問題であろう。
そんな僕の悩みを無視して、嘉野が話を続けている。旧友ではあるが、人の状況も少しは見てもらいたいものだ。しかし、脱稿した原稿を真っ先にチェックする役目を担っているのが嘉野自身であるため、そう思っても簡単には口に出せない。彼は僕よりも読書家だから、批評も的確だ。僕の幼稚な文章を読了するだけでも、アルバイト料でも出すべきだろう。だが、嘉野自身はというと、「未来の大作家の原稿が一足早く拝めるだけで、光栄だ」と全く気にしていないようなので、よしとしているが。
ただし最大の問題は、嘉野が批評家の適性と同時に邪魔者のアビリティも身につけている事である。
「いい加減答えろよ」
「ん、まぁ、ちょっとしたミステリにでもしようかと」
「そんなにうまくいくのか?」
「おまえが邪魔さえしなければな」
「ぎゃふん」
そう言って、嘉野はそれっきり口をつぐんだ。
「ところで、この世界が夢だとしたら、どうする?」
やっと黙った、と思ったのもつかの間だった。
「なんだよ、いきなり」
「いや、ただの独り言だ」
疑問形の独り言があるか。
「うーん、そうだな……そうだったら、こんな仕事なんかすぐに辞めるね」
「何故?」
「夢だったら、お金が入らない」
「現実派め」
「でもこれが夢だとしたら、いつか終わりがくるんだ」
「現実でも、終わりはくるぞ」
「現実の終わりと夢の終わりは違うだろう。前者は『死』で、後者は『覚醒』だ」
「そう言いきれるおまえがうらやましい」
「かもな」
僕は大して深く考えずに会話を行い、その一方でキーボードを叩き続けていた。
カタ、カタ、カタ……。
打ち込み音だけが、静かに鳴り響いている。
嘉野は、ぽつりと呟いた。
「でも、夢も、現実も、終わりって突然やってくるんだよな」
その時だった。
全身に鈍痛が走る。
おそらくは、地震。
足下が、実体のない物へと変化していく。
ぐらぐらぐら、ぐら、ぐら……。
揺れは止んだ。
机の下から起きあがって、辺りを見回す。
パソコンは、上から落ちてきた電灯で潰されていた。もうデータを呼び出すこともできないだろう。
その次に僕の目を塞いだのは、赤い液体に覆われた「もの」だった。
赤く染まった嘉野の体。それは、さっきと同じ体勢で、延髄に割れた蛍光灯が突き刺さっていた。
これが終局というものなのか。
こんなに突然なものなのか。
嘉野の遺言は現実となり、物語は突然終わった。
足下には、余震が断続的に伝わってくる。
不安に襲われて、カーテンを引き裂いた。
そこには、何もなかった。
実際のところ、何もなかった、というわけではない。存在はしていた。しかし、その存在を限りなく打ち消すように、その光景は広がっていた。
惨状。
これ以上適切な言葉があろうか。
この世は、もしかしたら終わったのかもしれない。
僕自身を残して。
僕は、その場に膝頭を打ち付け、そして倒れ込んだ。
「……おい? 〆切今日じゃないのか?」
嘉野の声がする。
「4000字程度にいつまで悩んでるんだよ」
「だって、まだ2000字程度しかいってないし」
「それは改行を含まない場合だろ。40字詰めなら、もうすぐ4000字だ」
「そんなアバウトな計算で良いのか」
「第一、4000字『以内』なんだろ? だったら2000字でも1000字でも500字でも良いじゃねぇか。ペラ一枚でも構わないって事だろ?」
「ペラ一枚って……200字じゃねぇか。そんなんで原稿料がもらえるか」
「何プロ意識出してんだよ」
「小説で飯を食っている時点で十分プロじゃないかよ」
「とにかく、見せてみろよ」
印字したばかりの第一稿を、俺の手から取り上げた。
「あー、勝手に人のこと殺しやがって」
「良いだろ? どうせどこかに『この作品はフィクションです』とか書かれるんだろうし。どこに問題がある?」
「問題どうこう以前に、実名じゃねぇか。俺もつっこんどくけど、読者にも絶対つっこまれるぞ」
「常に読者の視点で見られるお前がうらやましい」
「んじゃもう少し大切にしてください」
「はいはい」
すっとぼけた言葉を返す。
普通の会話。
他愛ない会話。
こんな日が続けばいいと思っていた。
嘉野が不意に言葉を繋いだ。
「夢も、現実も、終わりは突然やってくる……か。確かに、俺の言いそうなことだな」
嘉野の姿がぼやけて見える。どうも眠くてしょうがない。
「それじゃ、お休み」
「おう」
僕はソファーに突っ伏すと、一瞬にして深みへと入っていった。
「……夢でも見ていたんだね」
僕の顔を見下ろして、少年が呟く。
「幸せそうだったけど、よっぽど良い夢を見ていたんだろうね」
どういうことだ。
僕の周りには、人がいた。
肌は炎で焼けかけ、泥でぐちゃぐちゃに汚れている。
「そうか……夢だったのかもしれないな」
僕は立ち上がっていた。
大地震の跡。
僕の見つめた先は、現実か、虚構か。
この夢に、終わりはくるのだろうか。
そんな気すらし始めていた。
僕は再び、気を失った。
「また、悪い夢でも見ていたんじゃないのか」
僕の見上げた先には、向こうの現実で死んでしまったはずの、嘉野の姿があった。
少年の姿と嘉野の姿がだぶって見える。
誰が死んで、誰が生き残ったのか。
それとも、僕の世界の中で、僕が殺したのか。
境目がだんだん、曖昧なものになっていく。
……すべてが、夢でありますように。
そう願うしか、ここから抜ける術はなく。
僕はひたすら、涙を流して笑うしかなかった。
夢と見間違うようなそれは、何の迷いもなく、繰り返し続ける。
それが夢であれば良い──。
そう──願っていた。
しかし──現実は──夢には戻れない。
『コノサクヒンハ、フィクションデス。ジツザイノジンブツ、ダンタイ、ジケントハイッサイカンケイアリ……マ…………』