終局への道程

終局への道程


Written by 月影悠兎  

私はいつからここに居たのだろう。
もう空は赤から紺へとその色を染み渡らせようとしつつあった。
遠くから、心に響くような音色をヒグラシが伝えてくる。
『赤塚家之墓』
私の前にひっそりと佇むそれには、顔面に深深とその文字が刻まれている。
周りにも同じような石が群れを成しているというのに眼前のそれはまるで、私の心に刻まれているようで痛々しくて仕方が無かった。
私は散々忌々しい過去から逃げ回った挙句、結局ここへと戻ってくるしか無かった。
忘れようと思えば思うほど、私の心は段々と削り取られて行った。
あなたに謝りたい。ただ、その意志だけが私を苦しめていた。
そう、私はこの苦しみから逃れたいが為だけに君に会いに来た。
でも今、あなたを目の前にして逃げたいと思ってる。もう忘れてしまいたいと思っている。

「慎一郎〜!」
少女は大きく手を振っていた。
少年は顔をすっかり紅潮させながら慌てて声の主の元へと駆けて行く。
はたから見ると飼い犬を呼ぶ飼い主の図に見えた筈だと少年は内心で頷いた。
「由美!そんな大声出さなくっても、相手は誰かくらい目で見りゃ分かるって。」
少女の眼前にまで辿りついた少年は、丁度叩き易い位置にある少女の頭を軽く手の平でこずいてやった。瞬間、少女は思いきり痛そうな表情と声を発したが特に気には止めなかった。何時もの事だ。
「まぁ、それもそうだけど。どのみちもう遅いよ、気にしない気にしない。」
少年はやれやれと微苦笑を漏らすと、揃って歩み始めた。
慎一郎がアルバイトをし始めてからというもの、通う高校の違う二人が出会える時間は大分削られてしまった。由美自身も塾に通っていた為、それは尚更だった。
心地よい夜の風が鼻腔を潜り抜け、二人の間を通りぬける。
都会とは程遠いこの田舎町では未だに田園風景や森・山・川などが目立ち、息づいている。
それでも、駅前だけはそれなりに都会の風格をあらわにしているわけだが、夕方から深夜にかけて柄の悪い連中が巣食うようになってしまったが為にすっかりと寂れてしまっていた。
これといって人を大勢呼び込められるような観光地みたいな物は一つもないのだから、無理して都会ぶろうとする必要なんか何処にも無い。ここはこのままでいい。
「星が…綺麗。」
隣を歩いていた少女は斜めに空を見上げて、まるで独り言の様に優しく囁いていた。
少年もまた独り言の様に優しく、そうだな。と囁く。
宙には文字通り満天の星が瞬いて、何度も何度も見ている筈なのにやはり魅了される。
街灯が疎らでも月明かりが淡く、青白く二つの影を照らし出してくれている。
田の畦道から聞こえる蛙の声も通り過ぎ、それに取って代わる様に長く、狂おしい程に蝉が鳴き叫び始め、それは初夏から真夏へのシグナルとなる。
「今日は蛍、見れるかな。」
「見れるさ、多分。」
「こう言う時は多分は禁句!」
「あぁ、絶対。」
「よろしぃっ。」
やがて、月は二つになる。空に浮かぶ月と、水に沈む月。
二人は大きな川へと辿り着いた。この町で一番大きい川だ。
もう少し日が経てば、下流の方で花火大会が開催される予定になっている。
勿論、その花火大会に二人とも行く気でいる。
今日、ここを選んだのも花火大会の日に会う約束を切り出し易いだろうという結論を心の中で密かに考えての事だった。
しかし、互いに同じ考えをしているとは二人とも気づかないだろう。
「あ〜っ、やっと着いた。」
天高く両手を伸ばし、ぐうっと背伸びをする少女。淡く冷ややかに光を放つ月光に照らし出されたその少女の姿は少年に神秘的なものとの遭遇を果たしてくれた。
「おいおい、到着まで十分とかかってないって。おばぁちゃんじゃないんだから。」
「あはは。」
振り向き様に明るい笑顔を見せる少女。
「ま、まあいいや。今晩、熱帯夜みたいだから取敢えず、飲み物でも買ってくるな。」
少女の笑顔に顔が火照り、どうにかなりそうになってしまった少年は落ち着きを取り戻す為、一旦その場から離れようとする。
「えっ…」
さらに罪悪感を感じざるをえない寂しそうな顔を少女はお見舞いしてくれる。
これでは去ろうものも去れなくなってしまう。
「くれぐれも、迷子にだけはならないようにね。」
少年の困惑した表情に気付いたのか、何時の間にか悪戯っぽい笑顔を浮かべた少女が腰に手を当ててお節介っぽく言ってくる。無論、『だけ』に明らかなアクセントを置いている。
「なんだよ、それ?なるわけ無いだろ。じゃな、すぐ戻る……絶対な。」
「ん、約束。じゃあ炭酸系お願いね。あ、無かったらコーヒーね。」
「了解、了解。」
大きく手を振る少女に少年も大げさに手を振り返しながら駆けて行った。
これが少女の、そして少年の最期の笑顔だった。

あれからどのくらいの月日が流れてしまったのか。
私にはそれすら分からなかった。
あの日から殆どの情緒が私から消え失せてしまっていた。
もう、笑う事も泣く事も怒る事も出来はしない。
喜怒哀楽、感情の起伏…。
もはや私には疎遠になってしまったもの。
あの日から毎日、私はあの時の夢を見るようになった。
毎晩、部屋の隅でうずくまって震えていた。
私はすぐさま大きい病院の、精神科の中央治療棟に入れられた。
あそこの人達は悪魔だった。
私に得体の知れない薬を飲ませてあの時の事を全て吐き出させようとする。
抵抗すればベッドに縛り付けられた。
過去と対峙しなければあなたの心の傷は塞がらない。
口にするのはそればかり。
誰も助けてくれない。
窓越しの空と眩しすぎる照明が私を見ているだけ。
たくさんの変な管が変な機械に繋がれていた。
それが私を繋ぎとめる忌々しい鎖だった。
やっと、抜け出した。あの地獄から。
そして、ようやく。帰って来られたよ、あなたの元へと…。
でも、ごめんなさい。
あなたを思い出そうとすると、どうしてもあの日が一緒にやってくる。
血まみれのあなたの顔が私を呼んでる。
…やっと、逢えたのに。
迎えてくれるのは笑顔のあなたじゃない。
私もあなたの為に微笑んであげれない。
私の笑顔はもう、ずっと前に死んでしまった。
怖いの。思い出したくない。忘れてしまいたい。
ごめんなさい、慎一郎…。
あなたの為に涙を流す事も、私にはもう…出来ない。

「これは、どうみても自殺ですね。しかし、墓で首吊りなんて…夢に出てきそうですよ。なんでいちいちこんな所で…。しかもこの首に巻きついてる奴、これ何かのチューブですね…。」
「ほら、見ろよ。そこの墓。」
男があごでその場所を指す。
「『赤塚家』ってあるだろ。あれは赤塚慎一郎。新見由美の交際相手。五年前の事件で、河川敷で襲われている新見由美を発見し、逆に集団リンチに遭い死亡した。新見由美は交際相手を目の前で失い放心、されるがままになっている所を派出所の奴が保護したのさ。」
「…五年前の集団暴行殺 人事件ですよね。憶えていますよ、あれが初めての検死でしたから。酷いやられ方でしたよ、河川敷にあった石で頭部を何度も殴られていました。他にも数十ヶ所の外傷があって…。そうですか、彼の彼女…ですか。そういえば、あの事件の容疑者は全員、証拠不十分で不起訴になったんでしたよね。」
「ああ…。皮肉な事に、事件後著しい精神不安定状態になっていた新見由美は裁判にも出れなかったのさ。しかし、ここからがまた酷くてな。赤塚の父親が結構な権力の持ち主で、新見由美の通院してた病院の医者に圧力をかけていたらしい。息子を殺した犯人を刑に処す為には、どうしても新見由美の決定的な証言が必要だから何をしてでも聞き出せと。結果、新見由美はかなりの荒治療をされていたらしい。それが発覚したのが一年ほど前だ。赤塚の父親は逮捕されたが、保釈金が即刻支払われすぐに社会復帰した。それから新見由美は自宅に引き取られた。心の傷だけを深くしてな。全く、可哀想な娘だよ。」
「………。」
入道雲は青天を背景に高く高く聳え立っていた。
 


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