16人いる!(自殺演目)

自殺演目

 誰もが動きを止めていた。先刻の惨状に毒気を当てられ、誰も動く気配を見せない。撮影隊は一旦カメラを止めて、休憩モードに入っている。
「ちょっとさあ、あれはないんじゃないの、後藤ちゃん」
 部屋の隅の灰皿の前で煙草をふかしている男が、眉根を寄せてタランチュラ後藤に不平を漏らしていた。
「いや、申し訳ない。折角清水さんにもらったチャンスですから、出来る限り面白くしようとしたんですが、まさか永嶋さんがあそこまでやるとは思ってもみなかったもので……」
 清水と呼ばれた黄色いポロシャツの男は、おそらく番組の責任者か何かだろう。50近いタランチュラ後藤が、ゆうに一回りは年少に見える清水にペコペコしている。
 一体、何の話をしているんだろう。ふたりに近い位置にいた僕は、何とはなしに彼らの会話に聞き耳を立ててみた。
「で、どうすんのよ。今の対決、丸々使えないよ」
「そうですね、あそこはダイジェストに編集するか、全部カットするかしかないでしょう。残念ですが」
「それにしたってさあ、カットするにしても、永嶋さんの傷、たぶん2回戦までには治らないよ。手に包帯巻いてくるとなると、何でそうなったのかちゃんと視聴者に説明しなきゃならないっしょ」
「ああ、そうか。それは困りましたねえ……」
 後藤が煙草を指に挟んで、考えるように天井を見上げる。
「あっ、それじゃ、こうしませんか。さっきの対決は"ジャンケンポンでタッカタカ"ではなく、アシストマッチとして別に用意しておいた"熱々おでん耐久レース"で火傷したということにしては? うん、それならギリセーフですよ」
「もお、後藤ちゃーん。相変わらずあんた、ギリが好きだねえ。そんな過激だから干されちゃうんだよ。テレビってのは予定調和が命なの。何年あの箱の中でメシ食ってんの? 分かるだろ、今はクレームの電話一本で番組潰されちゃう時代なんだからさ。何事も無難にホドホドにやっとかないとね」
 後藤は何か言いたげに口を開きかけたが、ぐっと堪えて言いかけた言葉を飲み込んだ。それに気づかない清水は声を落として後藤の耳元で囁く。
「まあ、しょうがないか。今回は目を瞑っておくよ。だけど今後は気をつけてよね。それとさ、後で訴訟沙汰にならないように皆さんから念書なりとっといて。言っとくけど、何かあっても俺は責任とらないからね」
「はい、それはもう。清水さんには本当に感謝しています。この恩は必ず視聴率でお返ししますから」
 深々と頭を下げる後藤に対し、清水は興味なさげにあくびをかみ殺している。
「あーあ、今どきこんな番組流行らないんだよなあ。どうせやるならクイズのほうが良かったんじゃないの。単価の低いタレント20人くらい集めてさ。だってどう考えたっておかしいもん。破格の制作費のほとんどを賞金なんかに回してちゃってさあ」
「いや、でも、そこは今回私のこだわりなんですよ。他に類を見ない高額賞金。これなら参加者も視聴者も熱くなりますって」
「まあね、実弾引っ張ってきたのは後藤ちゃんだから、その件に関しては俺も口出ししないけどさ」
「これでいいんです。一見、低予算のドキュメンタリー風に撮っておいて、その一方で賞金は非現実的な金額。これこそがリアル、そのギャップに視聴者は絶対に食いつきますから」
「どうだかねえ……」
 このふたり、まったくの平行線だな。まあ、そんなこと僕の知ったこっちゃないんだけど……
「は、離してください!」
 ふいに背後から声が上がった。
 振り返ってみると、海老澤英毅(35歳)が鈴木友寿(14歳)を羽交い絞めにして持ち上げている。筋肉質の大男と小柄な中学生が揉めていた。というか、どうやら次のバトルが始まったらしい。
 じたばたもがく鈴木君に海老澤さんが諭す。
「相手が中学生とは少々気が引けるが、遠慮なしに勝たせてもらうぞ。さあ、悪いことは言わない。苦しい思いをしたくなかったらさっさと"あのセリフ"を言ったほうがいい」
 丸太のような太い腕で鈴木の胴を巻き込み、空いた手を鈴木の喉に食い込ませる。鈴木の顔が見る間に赤くなっていく。
「さあ、早く言うんだ」
「い、いや……だ。海老澤さん……お、お願いです……僕に……僕に勝ちを……譲ってください」
 意外と粘るな、鈴木君。ギブアップする前に失神してしまうんじゃないか。
 宙に浮いた脚をばたつかせる鈴木のつま先が、偶然にも海老澤の股間を直撃した。
「ぐふぅ――」
 体をふたつに折って苦しむ海老澤。彼の腕からようよう脱け出した鈴木もゼイゼイ喘いでいる。今度は鈴木君の反撃か? そう思っていると、あにはからんや、彼は海老澤さんに背を向けて窓に向かって駆け出した。そして皆の見ている前で窓を開け放つと、窓枠に掴まり、そこに足を乗せた。要するに、今まさに飛び降りんとする態勢である。
「僕を勝たせてくれないなら、ここから飛び降ります!」
 ここは12階。検証するまでもなく落ちたら確実に、死ぬ。


「ちょっ、ちょっと待ちなさい。君、はやまるんじゃない」
 股間の痛みに堪えながら海老澤が窓ににじり寄る。
「来ないでください! それ以上近づいたら本当に落ちます」
 鈴木が窓枠に乗った体を外側に傾けた。手を離せば落ちる危うさだ。鈴木は泣いていた。鼻水も垂れている。
「どうしても……どうしても勝たなきゃならないんです。賞金を持って帰らないといけないんです」
「わ、わかった。わかったから、まずそこから降りてくれ。危ないだろ」
 "11の約束"の中に『対戦相手が死亡したら負けとする』とある。つまり鈴木が落ちて死ねば、自動的に海老澤の負けが決定する。というか、番組自体がなくなることも免れないだろう。
「なぜそこまでする必要がある? 君は自分の命よりもお金が大切だと言うのか」
「お母さんが……母が病気なんです。心臓の病気でもう1ヶ月も入院しているんです。貯金も底をついてきて、仕事をしようにも中学生を雇ってくれるところなんてどこにもないし、あったとしても貰えるお金なんて雀の涙です。とても入院費の足しにはならない……」
「そういうことは子供が心配することじゃない。親父さんが頑張って働いて何とかしてくれるよ」
「お父さんは2年前に死にました。長距離トラックの運転手だったんですが、過労が祟って交通事故に……」
「居眠り運転か?」
「はい、働きづめで1週間ぐらいほとんど寝ていなかったそうです。お母さんは労災を申請しようとしたんですが、すぐに会社が倒産してしまって……」
「ひどいな、それは」
 同情する海老澤の背後で、タランチュラ後藤が嬉々とした表情を作り、カメラマンに指を回しているのを僕は見逃さなかった。これは絶好のお涙頂戴エピソードだ、カメラを回しておけという指示らしい。
「だからお金が必要なんです。母は僕のために昼も夜も働いたから体を壊したんだ。だから今度は、僕がお母さんを助けなくちゃいけないんです」
 全体的に外馬は鈴木を哀れむ方向に傾いている。海老澤は精神的に分が悪い。しかも対戦相手に死なれたら自分が負けになる。負けた上に死んだ勝者は2回戦に参加できないわけだから、5億どころか1億の可能性もゼロになるという最悪のパターンだ。
 そうはさせじと、海老澤は必死で説得を試みる。
「だったら、私が必ず優勝してみせる。それなら君にも1億が入るだろう。考えても見なさい。たとえ君がここを勝ちあがったところで優勝できるとは限らないだろう。いいから後は私に任せなさい。きっと必ず優勝してみせるから」
「そんな保証、どこにもないじゃないですか!」
 鈴木の言うことも尤もである。ここで鈴木が負ければ、海老澤が今後3連勝しないと賞金は手に入らない。しかし、ここを勝ち上がり、仮に次で負けたとしても、その勝った相手があと2勝すれば賞金が手に入る。ひとつ勝ち進むほどに賞金を得られる確率は格段に上がる仕掛けなのだ。先のことは考えず、とりあえずここを勝っておきたいと言う鈴木の言い分はよく分かる。
 海老澤は迷っていた。思った以上に頑固な鈴木を説き伏せるだけの手札が彼にはなかった。
 そうして、しばらく考えた末、海老澤は諦めたように口を開いた。
「鈴木君、実は私にも君ぐらいの息子がいるんだ。それに私は少年野球チームのコーチもしている。そんな私が、今まさに母を救うため命を投げ出そうとしている少年を死なせたとあっては、これから先暮らしていけないよ。やむえないのかもしれない。ここは私が引くしかないのかもな」
「海老澤さん……!」
「だが、そうは言っても、君は本気で飛び降りる気はないのかもしれない。これはあくまで苦し紛れの作戦で、なんとしても勝ちたいゆえに飛び降りるフリをしているだけなのかもしれない」
 その可能性は大いにある。というか、むしろそっちの方が本命だ。いくら金のためとはいえ、簡単に命まで張れるのものではない。しかも、あらかじめ今日の戦いが行われることを知っていたわけでもない。ザ・ギブアップマッチは降って沸いたようなハナシなのだ。鈴木君がそこまで腹を決めるには、あまりにも性急すぎる。
「僕は本気です」
 所詮口先だけだ。MCもそう踏んで、カメラを回させているのだろう。海老澤さんはもっと強気に出てもいい局面なんだ。なのに当の本人ときたら、未だぐずぐず迷っている。
「いや、しかしなあ……」
 海老沢さんの煮え切らない様子に閃くものがあった。そうか、そもそもそういう問題ではないんだ。
 鈴木君の言葉が真実だろうが嘘だろうが、ここで彼を引き止めることが出来なければ、海老澤さんは家族からも世間からも軽蔑されてしまう。結果として、鈴木君の言動がブラフであり、パフォーマンスであったとしても、勝負に勝つため、自殺少年をスルーした罪は消えない。実際問題として駆け引きなど初めから成立していなかったのだ。
「本当にお金が必要なんだな?」
「本当です、信じてください」
 海老澤は苦渋に顔を歪め、自分の後ろを取り囲んでいる面々を振り返った。MCを見て、参加者たちを見て、撮影クルーを見て、そして深いため息をついた。
「そこまで言うなら、もう信用するしかない。わかった、私の負けを認めよう。ギブアップだ」
「え、いいんですか?」
 顔を輝かせる鈴木に海老澤がほろ苦く笑う。
「いいさ、これで私の株も少しは上がっただろうからね―――あ、ここは放送では使わないでください―――なあに、賞金なんて最初からなかったと思えばいい。私は君と違って、それほど逼迫してもいないからね」
「あっ、ありがとうございますっ! 本当にありがとうございましたっ!」
 鈴木は窓から降りると、地べたにひたいを擦りつけて何度も何度も礼を言った。
「母の治療代で余ったお金は全部海老澤さんに差し上げます。約束します」
「そうは言っても現実は厳しいぞ。正直なところ、私は君が最後まで勝ち続けるとは思えない」
 全く海老澤さんの言うとおりだ。みんながみんな彼のような甘ちゃんではない。泣き落としはもう通用しないだろう。特にも次の対戦相手はあの永嶋劫なのだから。
 高揚気味の後藤が清水に声を掛ける。
「いや、はじめは肝を冷やしましたが結果オーライ、いい絵が撮れましたね。これならオンエアで使えますよ」
「どうかなあ、カネのためにあそこまでする中学生ってのは正直引くけどね」
「いやいや、ありですよ、これは。ギリありですよ」
 鈴木友寿が海老澤英毅のギブアップ発言を録音したレコーダーをMCに渡す。形式的な儀式である。
 これを受領の上、内容を確認したタランチュラ後藤はタレントの顔に戻って再びマイクを握り締めると、カメラ目線で宣告する。
「決まった〜っ! この瞬間、哀愁のスチューデント鈴木友寿が、心優しき巨人、海老澤英毅を排して2回戦進出を決めましたっ!」


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