16人いる!(僕の実力)

僕の実力

 自宅に戻った頃には午後9時を回っていた。
 玄関の鍵を開け、廊下のスイッチに手を伸ばす。
 妖精が舞い降りたような小さな音がして白色蛍光灯に色が灯る。
 靴を脱ぎ、入ってすぐ左のドアがダイニングキッチン。右手には階段があり、そこをあがると僕や弟の部屋がある。
 廊下を突っきって、正面のドアを開ける。
 20畳ほどの広さを持つこの家で一番広い長方形のスペース。
 ドア向かいの長い辺は大きな窓ガラスが嵌っていて外が良く見渡せる。
 カーペット敷きの床には簡易ベッドが3つ並んでいた。
 右手に進むと外へ続くガラス張りのドアがあり、内側からは"本日休業"の札がぶら下がっている。
 勝手知ったる我が家、灯りをつけないまま左奥に置いてあるマッサージチェアに身を沈め、コードでつながったリモコンのスイッチを押す。
 風船が膨らむような音がする。椅子の動きに身を任せ、疲れた体を緩やかにほぐしていく。
 エアー式のマッサージチェア、中古なので最新式とまではいかないが、100万円近くした代物だけの効果はある。
 人通りの少ない道路に面した窓の外、"有馬整骨院"とペイントされた看板をぼんやり眺めながら今日一日を振り返ると、また後悔の念が胸中に押し寄せてくる。
――ザ・ギブアップマッチ。やっぱり参加するべきではなかったのかもしれない。
 いや、まだ間に合う。渡部虎太朗のような惨めな姿は晒したくないが、適当なタイミングを見計らい、わざと負けるなりして撤退するべきだ。
「そうは言っても5億円だものな……」
 思わず呟いていた。それだけのカネがあれば人生ある程度は思い通りだ。海外へ行ってみるのもいいだろう。一度も行ったことはないけれど、弟の光介はちょくちょく行っていた。兄貴もどこか行ってみるといいのに。世界観変わるよ。そんなことも言ってたっけ。
 とりとめもない思いが去来する。
 やがて、タイマーが切れてマッサージチェアが停止する。
 無と、闇と、静が、慣れ親しんだ空間を支配していた。
 そのままうとうとと眠りの淵に落ちていきそうになる。
 しかし、パリンというガラスの割れる音がして、弛緩した心と体が一瞬にして緊張する。
 何ごとかと、音のした方向に視線を向けると……
 

 外から差し込む薄明かりに目を凝らす。来院者用のドアのガラスが割れていた。
 さらに息を殺して見ていると、割れた穴から黒い手袋がぬっと入り込んでくる。その手がドアの内鍵を探り当てロックを解除する。
 むろん、こんな無礼な訪問をしてくる知人などに心当たりはない。ほどなくドアを軋ませながら賊が入ってきた。すぐ近くに家人がいるというのに堂々と進入してくるとは、なんともまぬけな泥棒だ。僕は闇に乗じて照明のスイッチまで移動し、電源を入れた。
「ひぃ……」
 賊は驚いて尻餅をついた。ああ、やっぱりこの人か。
「すいません。本日休業の札、見えませんでした?」
 僕が皮肉たっぷりに言ってやると、賊は慌てて立ち上がりサバイバルナイフを引き抜いた。頭からパンストを被っているが、正体はバレバレだ。あのでっかい頭に短いアンヨ。しかもタータンチェックのシャツは今日会場で見たのと同じものだ。まったく、なんて杜撰な犯 罪者。
「関根さん、一体何のつもりですか」
「なっ……ばっ……だっ、誰が関根だよ!」
 誰って、あんただよ、あんた。このタイミングで怪しいやつが現れたら、強盗よりもギブアップマッチ関係者と思うのが当然だろうに。
「くそお、バレたらしょうがない。有馬君、さっきはよくも赤っ恥をかかせてくれたな」
 勝手に自滅しておきながら何を言ってるんだか。彼は本当に僕より一回りも年上なのか。
「関根さん、もしも僕に非があったなら謝ります。だからそんな物騒なモノ早くしまってください」
 ナイフを見据える僕を見て、怖がっていると感じたらしい。関根はパンストを脱ぎ捨てると、ポケットからICレコーダーを取り出して恫喝した。
「痛い目にあいたくなかったら、さっさとあの言葉を吐くんだ、さあ吐け! 言えよ!」
 冗談じゃない。こんな浅はかな男の軍門にくだってたまるものか。関根智也、何かにつけてイラッとさせる男だ。僕は大人気なくもムキになっていた。
「そんなオモチャなんかに頼って虚勢を張るなんて最低ですね」
「なんだと!」
 体格を比べれば僕のほうがずっと小柄。どうやら彼は体力戦なら勝てると踏んでいるようだ。それなら刃物なんて野暮なもの持ち出さなければいいものを。小心者め、そういうところで自分に自信がないことが露見するのだ。
 関根が慣れない手つきでナイフを突きつけ威嚇してくる。
「やせ我慢なんかしないで、さっさと言っちゃえってば」
 声が震えていた。手が震えていた。膝が震えていた。やせ我慢しているのはどっちだよ。こんなやつ、恐れるに足らずだ。僕が一歩前に踏み出すと、関根はじりっと後退する。
「あとね、ここ土足厳禁なんですよ。とりあえず靴脱いでくれませんかね」
 余裕を見せる僕に関根の苛立ちは目に見えて加速する。
「どいつもこいつも、俺のこと馬鹿にしやがって、畜生っ!」
 怒りに目を燃やし、腰だめにナイフを構えた関根がまっすぐ突進してくる。
「うげっ……」
 次の瞬間、関根の背中は床にしたたか打ちつけられていた。自分の身に何が起こったのか分からないといったふうに、口をぽかんと半開きにしている。僕は笑みを浮かべて上から彼の顔を覗き込む。
「最初に言っておけばよかったですね。僕、少しばかり武術の心得があるんですよ」
 空手二段、合気道二段、そして柔道三段だ。一本背負いで宙を舞った関根は明らかに戦意を喪失していた。僕は関根の手からこぼれたナイフを取り上げ、その切っ先を鼻先に突きつけた。
「不法侵入に傷害未遂。110番通報しても構いませんよね」
 ひっ、と喉を鳴らす関根は、すばやく起き上がると床に額を擦りつけて哀願した。
「や、やめて、ください。それだけは……」
 初めから警察など呼ぶつもりはなかった。ただの脅しだったけれど、充分効果はあったようだ。
「バトルのルールでは"警察に逮捕されたら負け"でしたよね? どの道、負けるなら穏便に済ませたほうがいいと思いませんか」
 そう言って、自分のICレコーダーを関根の口元に寄せてやる。
 関根はさめざめと声を殺して泣いていた。
 僕はただ見下ろしていた。軽蔑の念と幾ばくかの虚しさを抱きながら。
 やがて彼は観念したように項垂れて、消え入りそうな声で己の負けを認めた。
「――ギブアップ」
 

 肩を落として去っていく関根を見送ると、再び静寂が戻ってきた。
 関根の割ったガラスを片付けなければならない。土足で上がられたカーペットを拭かなければならない。でもその前にやらなければならないことがある。
「いつまでそこにいるつもり?」
 窓の向こうに人の気配がしていた。関根がやってきたすぐあとからだ。
「あれ、ばれた?」
 悪びれる様子もなく窓からひょいと顔を覗かせたのは、栢山里香だった。その手にはハンディカメラが握られている。
「ったく、今日は招かざる客の多い日だな。こんな夜分に何の御用ですか、栢山サン」
 一応聞いてみた。だいたい分かっているけれど。
「ううん、別に。有馬って、どんなとこに住んでるのかなあと思ってね」
「よく言うよ。ずっと見てたんだろ、今の一部始終」
「有馬、1回戦突破おめでとう!」
 開き直った栢山が中へ入ってくる。ずうずうしくもカメラは回したままだ。
「でも、あんたが武術に精通していたなんて、人は見かけによらないものね」
「おべんちゃらはいいよ。君の魂胆は分かってるんだ。僕が誰かに番組のことを喋ったところをそのビデオに収めようってんだろ。"11の約束"に口外したら負けって書いてあるからね」
「なるほど、その手があったか!」
 あくまですっ惚ける栢山が、物珍しそうに周囲を物色しながら尋ねる。
「有馬光介っていうんだっけ、弟クン。彼、まだ帰ってきてないの?」
「残念ながら弟はしばらく帰ってこないと思うよ。今、家には僕だけさ。期待に添えられなくて悪かったね。ちなみに待ってても今日はたぶん帰ってこないよ。家を空けてもう3日になるんだ」
「ふうん、どこかにお出かけってわけ?」
「さあね。けど、こういうことはよくあったんだ。平気で1ヶ月くらい連絡をよこさないまま出て行ったこともあるよ。僕の弟はちょっと変わり者でね、放浪癖があるんだよ。たぶん今頃はどこかの国の空の下さ。で、君のご家族は?」
 栢山は簡易ベッドに腰掛けて、ハンディカムをショルダーバッグにしまいながら応える。
「あたしは一人暮らし。言っとくけど、あたしをつけまわしたって無駄よ。絶対に誰にも話さないから。こう見えて口は堅いんだから」
 はいはい、そうですか。君じゃあるまいし、そんなセコイまねしませんよ、と軽口のひとつも叩いてやろうかと思ったけれどやめておく。また目を三角にして噛みつかれては敵わない。
「ねえ、この整骨院って、あんたがやってるの」
「まあね。ひとりで細々とやってますよ」
 僕は正直に肯定した。両親がいなくて弟と二人暮しという情報は既に渡っているわけだから、そう考えるのが自然だろう。
「ちょうどいいや。センセイ、少しマッサージしてよ」
 と、笑いながらベッドに仰向けになる栢山。
「いいけど時間外料金は頂くよ。あと、ただのマッサージには保険はきかないからね」
「ケチ、じゃあそこの電動椅子でいいわよ」
 栢山は僕の許可を得る前に、さっきまで僕が座っていたマッサージチェアに飛び乗ってスイッチを入れている。無防備に目を閉じて気持ちよさげに背を凭れている彼女を見ていると何だか妙な感じがした。
 来週には2回戦で彼女と対戦というのに、こんな緊張感なく会話をしていて良いものだろうか。
 それに、ギブアップマッチの戦いの進め方が、未だによく掴めていないのも気になるところだ。アシストマッチ以外で勝負を決めるなら、力ずくで言わせるか、騙まし討ちで言わせるか、あるいはさっき僕が関根をやりこめたように"11の約束"を利用して言わせるか、その3パターンだろう。彼女とは、どのパターンで戦うことになるのか。力ずくなら僕が有利だろうが、そういうやり方はあまり好きじゃないし、テレビ局側も望まないだろう。
 そんな詮無いことをつらつら考えていると、栢山が声を掛けてきた。
「ここってさ、やっぱり経営とか苦しかったりするの?」
「え……」
「いやほら、会場であんた言ってたじゃない。自分もお金が必要だって」
「まあ、僕もそれなりに借金を抱えているからね」
 箒と塵取りを持ってきて、ガラス片をかき集めながら答える。
「へえ、それって、いくらくらいあるの」
 栢山の不躾な問いに、僕は指を4本立ててみせた。
「400万円」
 1億や5億の前でははした金に思えるが、400万となるとやはり大金だ。100万円だって、そうそう右から左に動かせる額じゃない。それが現実というものなのだ。
「ところで有馬知ってる?」
 暗いムードを払拭するかのように栢山が口を開く。
「ジャンボ宝くじの1等2億円が当選する確率って、1000万分の1なんだって。そんなの当たりっこないよね。ところが、この番組と来たら4つ勝つだけで5億円よ。確率はなんと16分の1」
 そして今は8分の1か。どうしても実感が沸かないが、億というカネが今すぐ手の届くところに存在しているのは揺るがしがたい事実だ。
「有馬、来週は勝っても負けても恨みっこなしだからね」
「分かってるよ」
――8分の1で5億円。
 改めて思う。これは本当に物凄い確率だ。しかも8分の3で1億円。つまり賞金を得る確率は、既に2分の1にまで達しているという計算だ。
 だけど、と僕は改めて思う。
 なりゆきで1回戦を勝ち上がってしまったけれど、退くなら早いほうがいい。
 栢山はやる気だ。だけど僕は迷っている。次は負けてあげてもいいかもしれない。そんなことさえ考えていた。
 

 次の日、僕は当然のように昨日のビルへ足を運んでいた。
 午後4時半を回った頃だったが、タランチュラ後藤ら撮影クルーはもちろんのこと、参加者の半数以上が雁首を揃えていた。
 MCの前に進み出て、関根智也のギブアップコールを録音したICレコーダーで僕の勝ちを証明すると、会場からどよめきが起こった。
「はいっ、たしかに頂戴いたしました。バトル2日目、見事2回戦進出を決めた6人目の勇者は有馬進介その人だ! 一同盛大な拍手をお願いします!」
 タランチュラ後藤が声高らかに宣言すると、勝利のファンファーレが響き渡り、続いて恒例の勝利者インタビューへとなだれ込む。
「ええと、どうやら敗者の関根さんは会場にお見えになっていないようですが、ウィナー有馬は果たしていかなる手段を用いてギブアップを奪取したのでありましょうか。そのあたりのところを詳しくお聞かせいただけるとありがたいのですが」
「いきさつはこの際どうでもいいじゃないですか。とにかくちゃんと録音してきたわけですから」
 折角穏便に済ませようとしているのに、公共の電波で関根の醜態を公に晒してしまっては、彼に申し訳が立たない。だけど、それを参加者たちは許してくれなかった。初めに難癖をつけてきたのは、今日も猫背のヤンチャボーイ堀巌だ。
「適当なこと言って、実は似たヤツの声を録音してきたんじゃねえのか。でなきゃ自分の声色を変えて録音したとかよ。なにせ本人はここにいねえんだ、どんなインチキだってやりたい放題ってもんだぜ」
「ありえるな。今のパソコンの技術なら素材の音声さえ手に入れば、素人にでも思い通りの音声データを作ることが出来るらしいからね」
 堀の尻馬に乗って物言いをつけてくるのは、メタボ中年支倉孝次。一応最年長なんだから、少しは場を収めるよう努力して欲しいものだ。なのに、逆に引っ掻き回すような発言をするなんてガッカリだ。
 さて困った、どうしたものかと当惑していると、MCがフォローを入れてくれた。
「いや、有馬さんに不正はありません。さきほどスタッフが関根さんに連絡をとって確認しました。間違いなくご本人が負けを認めています」
 そうして、タランチュラ後藤は僕に向き直り、再度依頼する。
「ご覧のように皆さんもあなたがどのようにして勝ちを収めたのか気になっておられるようです。どうです、教えていただけませんか。もちろん今後の戦略上、どうしても話したくないというのなら仕方ありませんが」
「あの、そういうことじゃないんですけど……」
「だったら、教えてくれてよ。番組の進行上、そういう種明かしも必要だろ」
 そう言って迫ってくるのはキツネ目のサラリーマン太田太だ。
「勿体つけてないで話しちゃえばいいじゃない」
 今度は栢山里香が横槍を入れてきた。
「あたし、たまたま現場に居合わせたので事の成り行きを知ってるの。ねえ有馬、あたしの撮ったビデオ、みんなに見せても構わないよね?」
 栢山が"たまたま"の部分を殊更に強調して申し出る。まったく余計なことをしてくれる。完全なる四面楚歌。僕を援護する者はひとりとていないらしい。
「仕方ありませんね。それなら放送には流さないという条件で教えますよ」
「ほいきた、委細承知のすけ! それでは早速語っていただきましょう。有馬進介、張り切ってど〜ぞっ!」
 まるでオンエアする気満々のテンションでMCが促した。テレビカメラを向けられて引っ込みのつかなくなった僕は、関根が置き忘れていったレコーダーをみんなの前で再生してみせた。そこには昨夜のやりとりがクリアに録音されていた。
 やがて全てを聞き終えたタランチュラ後藤が嬉しそうにほくそ笑む。
「な〜るほど。こういう展開でしたか。いやあ、実に、誠に、本っ当に、すんばらしいっ!」
「後藤さん、約束ですよ。これ、放送しないでくださいね」
「もちろんですとも。関根さんに不利益にならないよう配慮しつつ、うまく脚色して再現VTRで処理することにしましょう!」
 なんか微妙に約束と違うような……ほんとに大丈夫かな、この人。一抹の不安を覚えたものの、もはや後の祭り。あとは彼らの良心に委ねるしかない。
 ともかく、これでようやく注目の的から外れることが出来た。そうなると次に気になるのは、残り2試合の行く末ということになるが、当の2組は会場に姿を見せていない。そして結局最後まで4人とも現れることはなかった。それどころか次の日も、また次の日も、そのまた次の日も、葵橘アノア、渋谷楓、小林蓮斗、須藤優衣の誰ひとりとして会場に顔を出す者はなかった。
 結局、7人目の勝者が決まったことを知らされたのは、ダブルノックアウト期限前日の6日目夜のことだった……


      16人いる!    ひかり小説館

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送