16人いる!(悪癖暴露)

悪癖暴露

 次の試合結果は意外な形で知らされることとなった。
「皆さん、お待ったせいたしました。ついに7人目の勝利者が決定しましたっ!」
 バトル6日目、金曜日の夜。タランチュラ後藤が会場に集まった面々にそう報告した。しかし、勝敗未確定の4人はひとりも会場入りしていなかった。
「誰なんですか、それは?」
 如月流星が代表してMCに尋ねる。
「まあまあ、そう急かずとも。まずはこちらのVTRをご覧ください」
 と、巨大スクリーンを促すタランチュラ後藤。スクリーンに映し出された残り時間を示すデジタル表示が、新規の映像に切り替わった。
 どこかのマンションの前、マイクを握りしめるタランチュラ後藤がフレームインしてくる。お宅の朝食拝見〜、とか言いながらマンション一室のドアフォンを押すと、中から出てきたのはエプロン姿の渋谷楓だった。
「朝早くにすみませ〜ん。タラゴトの朝食拝見でっす」
 どうやら初日にMCが話していた嘘企画による参加者訪問のようだ。ちなみにタラゴトとはタランチュラ後藤の略らしい。
 半ば強引に室内に踏み込んでいくと、何も知らない亭主と思われる男が、奥の部屋からネクタイを巻きながら現れた。
 なにこれ、テレビ? えっ、そんな番組あるの? ああ、新番組なんですか。参ったなあ、来ると分かってたら、もう少しマシなもの作らせたのに〜、などとご主人がにこやかにタラゴトと話している。旦那さんの良い人っぽさが滲み出る朝刊の4コマ漫画みたいなホノボノ会話がだらだらと繰り広げられていく。
 渋谷夫妻はタランチュラ後藤と共に食卓を囲んで朝食を摂っていた。このサラダはいけますね。いや、手抜き料理ですよ、などと本当にどうでもいいシーンを10分ほど見せられる。
 夫婦共に緊張しているのが、その表情から伝わってくる。しかしその意味はまるで違っていた。夫は急なテレビの撮影に、妻はギブアップマッチによる突然の家庭訪問に固くなっていたのだ。旦那を仕事に送り出したあともリビングではカメラが回っていた。ここから先はギブアップマッチに関するインタビューのようだ。まだ決着がついていませんが今のご心境は? みたいなことを聞いているが、当の渋谷はカメラがやって来てからというものずっとシドロモドロだ。
 それにしてもこの映像が一体どうしたというのか。誰もが痺れを切らしかけた頃、ようやく事態が動きだした。
 ピンポーンと来客を知らせるチャイムが鳴る。訪問者は葵橘アノアだった。彼女はここでも高級そうな和服を着けていた。たぶん大島紬とかそういう類いの代物だろう。
「突然ごめんなさい。ちょっとお時間よろしいかしら」
 うろたえつつも中へ招き入れる渋谷。
 タラゴトの姿を認めて目を丸くする葵橘。
「まあ、後藤さんもいらしてたんですの」
 葵橘はニコニコ笑顔を絶やさない。一方の渋谷は警戒心むき出しに顔を引きつらせている。相手の来訪の目的が分からないことに不安を覚えたのだろうか、渋谷が先制してタランチュラに申し入れる。
「あの、私、アシストマッチを――」
「ごめんなさいね」
 すぐさま葵橘が発言を遮った。
「それをするのは構わないのですが、その前に私の話を聞いていただけます?」
 言葉の上では依頼の形式をとっているが、彼女のトーンには有無を言わせぬ気配があった。渋谷楓が間を取るように紅茶を淹れにキッチンに立つ。
「どうぞお構いなく」
 やがて彼女らは、リビングのソファに向かい合って座り、一人掛けソファにタランチュラ後藤が陣取った。映像的にはMCを中心にふたりの女性が対面している格好だ。ガラステーブルの上には3客のティーカップとクッキーを盛った皿。葵橘は紅茶を一口飲んでほうっと息をつく。
「ダージリンですか。おいしいですわね」
「アノアさん、今日は一体……」
「渋谷さんはクレプトマニアってご存知かしら?」
「さあ……私、あまり学がないのでよく分からないわ」
 渋谷はしきりと毛先を指でくるくると弄んでいる。どうやらそれが彼女のクセらしい。
 葵橘が優雅な仕草でハンドバッグから黒皮の手帳を取り出した。それを繰りながら何気ない調子で切り出す。
「渋谷さんの身辺、いろいろと調べさせてもらいましたわ」
 

「一昨日、渋谷さん、隣町のスーパーマーケットに行かれましたわよね。覚えていらっしゃいます?」
「……なに? 私のこと、尾行してたの」
 渋谷楓は明らかに狼狽していた。葵橘アノアは相手の反応を確認して続ける。
「渋谷さんは帽子を目深に被って、口の広いトートバッグを腕にかけていましたわ。なぜかその視線は商品ではなく、店員さんのほうばかり向いていました。加えて不思議なことに、同じところ行ったり来たりしていらっしゃる。明らかに様子がおかしかった。それにお宅の近くにも何軒かスーパーがあったはずなのに、どうしてあんな遠いスーパーまで足を運んだのかしら。そう考えていくうちにひとつの可能性に思い当たったんですの。もしやと思い、私、カメラを回しました。そうしたら案の定――」
 テレビカメラが葵橘の示したハンディカムにズームインする。そこには決定的瞬間が録画されていた。渋谷が瓶詰めのふりかけを買い物籠に入れる振りをして、トートバックの中に落っことした映像である。それはまさにテレビのドキュメンタリーなどでよく見かける臨場感溢れる万引きシーンだった。ただしテレビと違うのは、犯人の顔にモザイクが掛けられていないところだ。
「手馴れたものですわね。念のため、他のスーパーにも当たってみましたの。渋谷楓の妹ですと言ったら、店員の方は快く話してくれましたわ。私の調べた限りでも渋谷さんには3件の万引き歴がありますわよね。成功例を含めればもっとでしょうけれど」
 渋谷は目を伏せて返す言葉さえ失っている。葵橘はおかまいなしに言葉を継ぐ。
「同じお店ではやっていないこと、盗んだものが低額だったことから、どれも警察沙汰にはならず代金を支払って解放されていますわね。そう言えば捕まったときは毎回お母様が身柄を引き取りに来て下さったそうですね。ご主人には幸いまだ知られていないようですけれど、こんなこと知ったらご主人きっと悲しむでしょうね」
「私を脅迫するつもり?」
 ようやくそれだけ呟いた渋谷。葵橘は質問には答えず先を続ける。
「ご主人は弁護士さんなんですってね。収入も安定した満たされた生活のはずなのに……いいえ、満たされた生活だからこそ刺激を求めるのかしら。こういうのをクレプトマニアというそうですわ。曰く、万引き依存症は心の病気なんですと。でもね、私思うんですの。そんなものは詭弁じゃないかしらって。どんな理由であれ、万引きは犯 罪ですもの。あなたの行為は必ず誰かに迷惑が掛かっている。それなのにあなたは、自分の生活だけは必死に守ろうとしている。少し都合が良すぎますわね」
「もう……やめて」
「クイズ番組に出ようと思ったのはなぜかしら。あなたは充分にお小遣いをいただいているみたいだから、賞金が目的ではなさそうですわね。やっぱりスリルが欲しかったからかしら。平坦で不自由のない日常に退屈しきっていたからかしら。そのくせ、あなたには今の生活を手放す勇気がない。そんなパラドックスにあなたは嵌ってしまっている」
「アノアさん、あなた何様? 私の何が分かるっていうのよ!」
 渋谷が激昂して立ち上がると、カメラが彼女の形相をアップで捉える。
 葵橘が紅茶を一口含んで冷静に会話のラリーを返す。
「あなたの気持ちはよく分かりますわ。私もかつては同じだったから。でも私は自分の力で抜け出しましたの。永遠と見紛うようなパラドックスから……」
「何を気取ったことを! あなただって何かしら後ろ暗いことがあるはずだわ。そうよ、誰にだって秘密のひとつやふたつあるはずよ!」
「だから何ですの?」
「えっ……」
 葵橘の開き直りとも取れる発言に拍子抜けする渋谷。
「あなたのいけないところはきっとそこですわ。他人を否定することで自分の問題を棚上げしようとする傾向。あなたが今しなければならないことは、他人を否定することではなくて、自分を肯定することじゃないかしら」
 思いっきり痛いところ突かれたようだ。気が抜けたようにソファに腰を下ろした渋谷は、うつろな目をして慌しく毛先をいじり倒している。そんな渋谷に葵橘は噛んで含めるように言い渡す。
「渋谷さん、あなたはこの5日間何をしていたのです? 少なくとも私はあなたに勝つために行動しましたわ。あなたは一体何をしましたの?」
「私は……」
 答えを持たぬ渋谷に葵橘がきっぱりと引導を渡した。
「やる気のない方はステージを降りるべきですわ」
 

「もしも――」
 最早ノックアウト寸前の渋谷楓がゆるゆると首を振った。
「もしも私が負けを認めたら、このこと主人に黙っていてもらえる?」
「もちろんお約束しますわ。後藤さん、今のお話はオフレコということでよろしいですわね」
「いやあ、しかし番組的にはちょっと……」
 タランチュラ後藤は困ったなとばかりに頭を掻いた。
「そうだ。でしたら、肝心な発言にピーを入れて処理するということではどうでしょう?」
「それはあまりよろしくありませんわね」
 葵橘アノアはMCの提案を言下に一蹴する。
「断片的な秘匿は却ってあらぬ想像を掻きたててしまう恐れがありますもの。後藤さん、私からもお願いします。どうかこの方の生活を壊さないよう心配りしてあげてくださいね」
 やんわりと願い出る葵橘が青みがかった目を優しく細める。観音菩薩のような慈悲深い笑みだった。
「それに番組の方ならどうとでもなりますでしょ。たとえば、期限が迫っていてこのままじゃ埒が明かないのでジャンケンをして勝敗を決めたとか。その辺りは私たちうまくやりますわよ」
「まあ、そこまでおっしゃるなら……」
 MCがしぶしぶの態で承諾する。
「決まりですわね」
 葵橘が満足げに手を合わせる。
 そして彼女はICレコーダーをガラステーブルの上に置いた。
 渋谷楓が消え入りそうな声で「ギブアップ」と告げた。
「これで良かったんですわ、渋谷さん。だって――」
 葵橘アノアが紅茶を飲み干して襟を正す。
「カゴの鳥が空を望んだって良いことなんてひとつもありませんもの」


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