16人いる!(ねずみ講)

ねずみ講

 これで1回戦7組の戦いが終わり、残り1組の決着を待つのみとなった。
 日曜の昼下がり、いつものように会場を訪れるとほとんどの参加者が既に集まっている。最終日ということもあってか撮影スタッフもしっかりスタンバっていた。
 ひいふうみいと頭数を数えていくと、この場にいないのはどうやらひとりだけ。栢山里香にボロクソにこき下ろされた渡部虎太朗以外の15人が雁首を並べている。
 とりわけ耳目を集めているのは、1週間ぶりに揃って会場に現れた小林蓮斗と須藤優衣だ。みな興味津々の態で彼らを気にかけているが、誰も敢えて声を掛けようとはしない。まさかの時間切れで共倒れになっていただくのが誰にとっても好都合だから、寝た子を起こさぬよう息を潜めて見守っているといったところか。
 残り時間を示す大型スクリーンのデジタル表示が残り2時間を切った。果たして彼らはこの先どうするつもりなのだろう。まさかほんとに何も行動を起こさないまま時間切れでもあるまい。それならわざわざここにやってくる必要がないのだから。
 しばらく動きがないので段々退屈になってくる。僕はこれまでの戦いをぼんやり振り返っていた。
――本当にこの番組は成立するのだろうか。
 そんな懸念が頭をもたげる。
 支倉孝次のリストラカミングアウト。
 金子早百合のよこしまな思惑。
 堀巌の道交法違反。
 永嶋劫の衝撃的な負傷。
 鈴木友寿の自殺未遂。
 渡部虎太朗の偽善発言。
 関根智也の傷害未遂。
 渋谷楓の窃盗癖。
 どれひとつとってもノーカットで放送するには疑義が生じる案件ばかりだ。この地雷原のような収録を一体どう編集するつもりなのか。そして、編集し終えたものはバラエティ番組として視聴者に受け入れられることができるのだろうか……
「さあて、さてっ! さっきから石像のようにカッチカチに固まったおっふったりさんっ!」
 一向に進展がないことを憂慮したタランチュラ後藤が小林たちに声を掛ける。残り時間80分あまり。
「このまま時間切れというのは些かいただけませんなあ。各々方、いっそのことアシストマッチに挑戦してみてはいかがです?」
 うん、それもいいかもしれない。初日こそ堀・永嶋戦を目の当たりにして尻込みしたが、あれはテレビ局側としても想定外のハプニングだった。今ならば安全で楽しい対戦ルールを用意していることだろう。尤もそれで勝つか負けるかは神のみぞ知るところだが。
 MCの申し入れに小林・須藤は顔を見合わせて微笑んでいる。えっ、なぜ笑う? というか、このふたりの落ち着きっぷりはなんだろう。対戦相手同士なのにずっとふたり肩を並べているし。特に言葉を交わしている様子もないが、険悪な空気は微塵もない。
「あのお、須藤さんに小林さん。私の声、聞こえてます?」
 タランチュラが茶目っ気たっぷりに念押しすると、小林蓮斗が腕組みをして顎を引いた。
「僕たちにとって、どっちが勝つかだなんてどうでもいいことさ」


 しょっぱなから問題発言が飛び出した。何を言い出すのかと一同が真意を図りかねていると、今度は須藤優衣が一歩前に進み出る。
「そうは言っても一応勝敗は決めなければならないよね。だから言うわ」
 そして思わせぶりなアイコンタクトで頷きあうふたり。小林が自分のICレコーダーを取り出して録音ボタンを押した。カメラがふたりの姿を捉える中、須藤があっさり宣言する。
「ギブアップ」
 なっ……!
 一連のくだりに全員がフリーズした。何だ? 一体、今のは何のマネだ。
「えっと……これは、どういうことですかな?」
 タランチュラ後藤も突飛な決着に顎が下がり、お約束の勝ち名乗りすら忘れている。
「ちょっとみんなに聞いてもらいたいんだ」
 ステージに上がった小林が、刻々と時を刻むデジタル時計のスクリーンを背に演説をぶち始めた。
「僕たちもみんなと同じように賞金が欲しい。そして誰もがそう感じるとは限らないがやっぱり5億円は大金だよな。だが、億なんて金はさすがに大きすぎる。何ていうのかな、現実味がないんだよ。むしろ5千万円、いや5百万円のほうが、よっぽどリアルな大金だとは思わないか」
「……だから何なんだ?」
 海老澤英毅が落としどころが見えず首を捻っている。
 まったく同感だ。言っていることは分かるが……だから、どうしたというのだ?
「僕は電機屋の技術工だ。そもそもクイズに出場しようと思ったのは、賞金よりもむしろ会社の宣伝が目的だった。だってそうだろ? いくら2択問題とはいえ、30問連続正解する確率は10億倍以上だ。そんなのハナから無理に決まってる」
 しかし始めのほうは簡単な常識問題が出されるはずだから、一概に確率論だけ持ち出されてもどうかとも思ったが、とはいえ砂漠で金を探すようなものには違いない。
「それが突然のサプライズで16分の1にまで確率が跳ね上がってしまった。となれば、さすがに僕だって欲が出てくる。みんなだって戸惑いながらも思わぬチャンスに心躍ったはずだ。当初の僕は周りの戦いぶりを眺めながら、自分はどうやって勝ち進んでいくべきかと、そのことばかり考えていたよ。そんなとき、対戦相手の須藤さんが僕に声を掛けてきたんだ」
 引き合いに出された須藤も小林に促されて壇上に上がってくる。どうでもいいが今日もまた一段と露出度の高い派手な出で立ちだ。
「俄かに現実味を帯びた億万長者への道。でもね、それでも100%ってわけじゃないでしょ。だから私考えたの。できれば確実に賞金を貰いたいなって」
「あの……そんなことが可能なんですか?」
 最年少の中学生、鈴木友寿が不安げに尋ねる。
「簡単な話よ」
 須藤優衣は自分の敗北が確定しているにもかかわらず、自信たっぷりに胸をそらして請け負った。
「優勝することにこだわらなければ、絶対に賞金を持って帰れる方法を見つけたの。この手を使えば、私たちは確実に3750万円を手に入れられる。そう、確実にね」


「ふっ、くだらんな」
 左手に巻いた包帯が痛々しい永嶋劫が鼻で笑う。
 須藤はしかしそんな野次には取り合わず話を進める。
「私たちは念書を交わしたの」
 用意のいいことにあらかじめコピーしておいた念書なるものが参加たちに配布される。カメラマンもMCに渡されたコピーにレンズの焦点を合わせる。そこには小林・須藤の連名で次のように記されていた。

 一 ザ・ギブアップマッチにおいて、小林蓮斗(以下「甲」という。)が獲得した賞金の5割を須藤優衣(以下「乙」という。)に与える。
 一 ザ・ギブアップマッチにおいて、乙が獲得した賞金の5割を甲に与える。
 一 ザ・ギブアップマッチにおいて、乙が甲に勝利した場合、乙が獲得した賞金の全てを甲に与える。

 やたら面倒臭く書いているが、平たく言えば、あんたに負けてやるから最終的に獲得した賞金は折半してくれという内容だ。
「この念書を決勝まで対戦相手と交わし続けることによって、僕たちは3750万円を獲得することになるんだ……ああ、もう。まだ分からないかな!」
 言っている意味がよく飲み込めずぽかんとしている一同に苛立つ小林が、腕まくりして部屋の隅にあった移動式のホワイトボードに向かいマジックを取った。
「具体的に説明しよう。このあと2回戦で僕は如月さんと同じ念書を交わす。僕が負けてあげる代わりに、あなたの賞金の半分を僕にくださいとね。そして準決勝では如月さんが僕と同じ申し入れを対戦相手に行う。それを決勝まで続けていくと――」

須藤     37,500,000円
小林     37,500,000円
如月     75,000,000円
鈴木or永嶋 150,000,000円
優勝者    300,000,000円
優勝者に負けた者
(1回戦)   100,000,000円
(2回戦)   100,000,000円
(準決勝)  100,000,000円

合計     900,000,000円

「これで分かったでしょ。優勝賞金5億円+敗者ボーナス4億円、しめて9億円の内訳はこうなるのよ」
 ホワイトボードに書かれた"分け前"を示して須藤が説く。
「なるほど、"逆ねずみ講"ってわけ。よくもまあ思いついたものね」
 と、栢山里香が珍しく素直に感心している。
 僕にもようやく話が見えてきた。じっくり考えると、これはなかなかの妙手ではないのか。なにしろ本案の良くできているところは、言いだしっぺが一番得をするねずみ講とは反対に、言いだしっぺである小林と須藤の儲けが最も少ないところだ。
 だから交渉もスムーズにいく。たとえば、2回戦で小林が如月さんに賞金の折半を申し入れる。逆算すると如月さんの獲得賞金は1億5千万。そのうち半分の7千5百万を小林に渡すのだから、一見対等な条件に見えるが、そうではない。小林は如月さんから受け取った7千5百万の半分を須藤に渡す約束をしているわけで、実際に小林が手にするのは如月さんの半分の3750万円。要するに如月さんからすれば、勝ちを譲ってもらった上に相手よりも多くの賞金が得られるという大変うまみの大きな契約となるのだ。それは、その上に行っても同じことが言える。まさに理に適ったアイディア。僕が小林の立場だったらその話に乗っていたかもしれない。それで充分。労せずして3750万円なんて過分な報酬だ。
「じゃあ、あたしの取り分は3億円ってわけね。うん、悪くない取引じゃないの」
 本気とも冗談ともつかないコメントをしている栢山だったが、しかし誰もがこの案に納得してるわけでもなさそうだ。


「ふざけんじゃねえ。通るかよ、そんなもん」
 この計画だと自分のところに1円も賞金が落ちてこない堀巌が真っ先に不平をもらした。
「だいたい何だ、さっきからイチャイチャと。おまえらデキてんじゃねえのか」
 小林も須藤も否定はしなかった。なんとなくそんな気はしていたが、どうやらふたりはそういう関係らしい。
「へっ、みんながおまえらの勝負が決まらなくてヤキモキしている間、ふたりは1週間お楽しみ中だったってわけか。小林よ、おまえもバカな男だぜ。こんな年増女の色気に惑わされやがって。こんな念書に効力なんてあるもんか。こんなもんはな、口約束とたいして違わねえんだよ」
 堀の言い分も一理ある。状況的に小林が騙されているということはさすがになさそうだが、念書の法的効果は極めて疑わしい。だが小林は一切揺らがなかった。
「何とでも言え。少なくとも僕は彼女を信用する。でなきゃ自分からギブアップなんて言うものか」
 たしかにそこは重要。現に須藤は小林に下駄を預けて敗退しているのだ。
「それだけじゃない」
 小林がポケットから小さな鍵を出してみせる。
「なんですか、それは?」
 タランチュラ後藤が聞くと小林はすぐさま答えた。
「コインロッカーの鍵だ。ロッカーの中には彼女に配布された巾着袋が入っている。彼女は自分の袋を僕に差し出したんだ。もう自分には必要ないものだから、これは預かっていてほしいと言ってな」
 小林蓮斗が浅黒い顔から白い歯を覗かせて須藤に微笑みかけると、須藤もまた笑みを返す。
「これがどういう意味か分かるだろ。巾着袋には当然ICレコーダーが入っている。それを僕が管理しているということは、彼女が僕から勝ちを得ることはまず不可能」
 おっしゃるとおりだ。小林蓮斗が警察に逮捕でもされない限り、須藤優衣に勝ちは拾えない。彼女はそこまでしてでも自案を通したかったということなのだろう。
「彼女は言った。5億なんて大金を手にしてしまったら、きっと自堕落な人生を送ることになる。それよりは堅実なお金を手に入れたい、と。僕だって今の仕事にやりがいを感じているから、会社を辞めるつもりなんて毛頭ない。それに金に困っているわけでもないから、冷静に考えればそこまでの大金は必要ないんだ。人並みにいい車に乗りたいとか、家を改築したいとかはぼんやりと考えているが、それのために5億までは不要。もちろん、あるに越したことはないだろうが、やはり分不相応なカネは身を滅ぼす諸刃の剣ということさ。それにこの戦いの戦略としては、彼女の作戦はなかなかスマートだとも思えたしね。だから僕は彼女の提案に賛同したんだ」
「アホか、君たちは。堅実に稼ぎたいなら回れ右してここから出て行けよ。仕事でも何でもしてコツコツ小銭を稼いでいればいいだろ。まったく、若いクセに夢のない連中だな」
 そうやって怒っているのは、"名は体を表さない"やせっぽちの太田太だ。
 さらに小林の次の対戦相手、如月流星も彼らの行いをきっぱり否定した。
「申し訳ないが、少なくとも僕は君たちの提案に応じるつもりはないよ。談合なんてお断りだね」


「バカな、欲張りすぎだろ。なあ、良く考えてみろよ。あんたにとってもかなりオイシイ話じゃないか。僕たちは3750万だが、あんたは7500万をノーリスクで手に入れるんだぞ。天井だろっ、充分天井だろうがっ!」
 よもや自分たちの提案に乗らない者はいないと思い込んでいたのだろう。思わぬところからゴネられて小林蓮斗は度を失っている。
「そういう低俗な問題じゃない。カネの問題じゃないんだよ、小林君」
「えっ……」
「そんなデキレース、僕は認めないと言ってるんだ」
 なるほどそう来たか。言われてみれば如月さんはタランチュラ後藤信奉者。彼の番組を台無しにする盟約など受け入れるはずもない。
「君の言うとおりにしたら番組が一気につまらなくなってしまう。熱が冷めてしまうんだ。それこそ確実に、だよ」
「知ったこっちゃないね。だいたいテレビで5億円も獲ったなんて世間に知れたら、あっちこっちからたかられるぞ。それより堅実に7500万取りに行った方が賢い選択ってもんだろっ!」
 小林がオーバーに両手を広げて主張するも、如月流星もあくまで頑なだった。
「断る。いくら口説いても僕の信念は曲げられないよ」
「くそっ、分からない人だな。だったら実力で勝ちあがるまでだ」
「小林君……」
 説得を諦めて開き直った小林に、須藤が不安げな視線を送る。
「大丈夫だよ、優衣。僕は必ず勝つ。そしてきっちり賞金を獲ってくる」
 小林は興奮のあまり須藤を名前で呼び捨てにしていた。普段はそう呼んでいるほどに、このカップルは親密になっているというわけか。須藤の肩を抱きしめ、ここぞとばかりに頼れる男を演じる小林が、タランチュラ後藤にきびきびと命じる。
「さあ、後藤さん、これで1回戦は全て終わったんだ。さっさと2回戦を始めてくれ」
 と、今度は如月流星に対し、敵意むき出しで宣戦布告。
「如月さん、あんたにだけは絶対に負けないからな。僕らの提案を受け入れなかったことを必ず後悔させてやる」
「もういいわ、小林君。ここまでよ」
 須藤優衣が俯いて声を震わせている。長い髪が顔を隠して表情が読みとれない。
「ちょっ……何も泣くことないじゃないか。心配ないよ、優衣。僕を信じて」
「ええ、信じていたわ」
 須藤がおもてを上げると、顔を真っ赤に染めて笑い堪えていた。
「あなたがまんまと私の罠に嵌ってくれることをねっ!」


「えっ、優衣……?」
 突然の反旗に呆気に取られる小林の隙を突いた須藤が、彼の持つ巾着を剥ぎとって、念書をびりびりに破り捨てた。
「こんなもの、ただの紙切れ。効力なんてあるわけないじゃない。小林君、ごくろうさま。悪いけど2回戦に進むのはこの私。騙しててごめんね」
 茶目っ気たっぷりに手を合わせる須藤に、小林がやっとの思いで口を開く。
「――どういうことだよ?」
「こういうことよ」
 小林から奪ったICレコーダーは録音されっぱなしだった。須藤はそれを一旦停止し、巻き戻して再生する。
――でなきゃ、自分からギブアップなんて言うものか。
 小林の声だ。先刻彼はたしかにギブアップと言っていたが、それ以前に須藤がギブアップをコールしているので意味がない。というか、そもそもレコーダーは小林蓮斗のもの。須藤のレコーダーはコインロッカーの中のはずだ。
 その疑問を小林が口にすると、須藤は得意げに教えてくれた。
「すり替えたのよ。あなたの信用を得るために巾着袋を差し出す前、あなたが気持ちよく眠っている間にね」
「バカな……」
「早く目を覚ましなさい、ぼうや。これが現実よ」
「ちょっと待てよ。それが君のものだって証拠はどこにある? これは僕のだ。断じて僕のレコーダーだ!」
「あら、やっぱり気づいてなかったんだ。これは私のものよ。ちゃんと私のものだってシルシがあるもの。なんなら後藤さんに確認してもらいましょうか」
 ICレコーダーは見る限り全く同じ規格のものだった。それをどうやってMCに判定できるのだろう。だが案に反してタランチュラ後藤はレコーダーの側面をちらっと見ただけですぐに断言する。
「はい、なるほどこれは小林さんのものではありませんね」
「じゃあ、僕のはコインロッカーの中だっていうのか?」
 そのとおりだとすると、ルール上は"自分のレコーダー"に"相手のギブアップの声"を録音しなければならないわけだから、最初に須藤が言ったギブアップは無効となる。
「でも、どこで違いが分かるんです?」
 専業主婦、渋谷楓が控えめに問うと、MCが待ってましたとばかりにカメラ目線で解説する。
「みなさんにお配りしたレコーダーの規格はすべて同じものですが、ただひとつシリアルナンバーだけが各々違っているんです」
 なるほどMCの言うとおり僕のレコーダーにも"YD185477"とシリアルナンバーが振られている。だが待てよ。肝心の巾着袋を配るときは、結構適当に配っていたぞ。中には自分で選び取った人もいた。局側はいつの間にそれぞれの持つレコーダーのシリアルナンバーを控えたんだ。
「分かったぞ、巾着袋だな」
 太田太が鬼の首でも取ったかのように甲高い声をあげる。タランチュラ後藤は「お見事!」と腕を水平に伸ばして太田を指差す。
「お見込みのとおりICレコーダーのシリアルナンバーは巾着袋の模様と対応しているんです。巾着の色は全部で8種類。青、白、赤、緑、黄、橙、紫、銀。さらに模様は2種類、黒い縞々と黒い水玉です。この8×2の組み合わせで16種類の巾着袋が皆さんに配られております。この柄模様とシリアルナンバーを対応させることで誰の持ち物かを判定します。ちなみにこのICレコーダーのシリアルナンバーは"GS162292"。小林さんがお持ちの白地に水玉の巾着袋とは対応しません」
「それはおかしいんじゃないか?」
 関根智也がMCに難癖をつけた。
「だったら、巾着袋とシリアルナンバーの対応表があるはずだ。あなたはそんなもの見ずに、レコーダーは須藤さんのものだと決めつけた。まさか番号を全部暗記しているわけでもないだろう」
「ははっ、ご冗談を! そこまで私の記憶力は素晴らしくありません。それに私はこのレコーダーが須藤さんのものだと言った覚えもありませんよ。これは小林さんのものではないと言ったまでです」
 意味深に唇を歪めるタランチュラ後藤。これは何かカラクリがあるな。そうは思ったものの、しかし僕にはどんな仕掛けが隠されているのかまでは全く見当もつかなかった。


 タランチュラ後藤は、ここが自分の見せ場だとばかりに張りきって解説する。
「なにもシリアルナンバーの全てを覚える必要はないんです。カギは最初のアルファベット2文字、たったこれだけ。それだけで誰の所有物かを判定できるんですよ。なあに、種を明かせば実に簡単なこと。アルファベットの1文字目は色を示し、2文字目は模様を示していたんです」
 そう言って、小林が書いたホワイトボードの余白に、対応するアルファベットを書き込んでいく。

1文字目
 青−B
 白−W
 赤−R
 緑−G
 黄−Y
 橙−O
 紫−P
 銀−S

2文字目
 縞−S
 水玉−D

 もしかして英語の頭文字を使っているのか。青ならBLUEのB、縞ならSTRIPEのSといった具合に、たとえば僕の巾着は黄色地に黒い水玉、だから"YD185477"。数字は単なるダミーってわけだ。
 ちなみに小林の巾着は白地に黒の水玉。当然シリアルナンバーはWDで始まるはず。しかし肝心のそれはGSではじまっている。となると、須藤に配布された巾着袋は緑地に縞模様ということになるが、それはコインロッカーに赴くまでもなく、初日のVTRを再生すればすぐに確かめることができる。
 それにつけても、こんな細かいところによくぞ気づいたものだ。須藤優衣、なかなか抜け目ない女じゃないか。
 意外などんでん返しに全身の力の抜けた小林蓮斗は、その場にへたりと屈みこんでしまった。
「ううっ、そんなあ……」
 覆らない。彼の敗北はどう足掻いても覆らない。
「さあさあ、ものども刮目せよっ! 今度こそ勝負あった! ザ・ギブアップマッチ第1回戦、熾烈を極める椅子取りゲーム、8つ目のシートを確保したのは、クセモノ・ダーティー・セージ須藤優衣その人だあっ! まさに、まさに、まっ、さっ、にっ! 1回戦のたたかいを締めくくるに相応しい好カード。制限時間を目一杯使った巧緻な頭脳戦にして、高度な心理戦であったと、ここに記しておこう! BYタランチュラ後藤」
 恒例、MCの勝ち名乗りの後、勝利者確定のファンファーレが高らかに鳴り響き、はじけるような大音量とともに四方からクラッカーまで飛び出した。
――終わった。
 ともかく長い1週間がやっと終わった。だが、気を抜く暇もなく次の戦いが開始されようとしている。僕の敗退もあと少しというわけだ。
 金や銀のテープに体を絡めとられながらそんなことを考える――と、そのとき!
「こいつっ!」
 夢から覚めて、怒りの化身と化した小林が拳を振り上げ、須藤に踊りかかる。
「よくも騙してくれたな!」
 しかしその拳は須藤の体に触れることはなかった。如月流星が背後から小林の手首を掴んで制していたのだ。
「やめておいたほうがいいよ」
 如月がやんわりと小林を諭す。そして須藤のほうを向いて語りかける。
「須藤さん、君はまだ分かっていない。こんな勝ち方をしていいはずがないんだ。因果応報とはどういったものか、僕がしっかり体現させてあげるよ」
「ふふ、楽しみにしているわ」
 僕は釈然としなかった。ここは、第三者が卑怯だなんだと説教する場面ではないような気がした。そもそもザ・ギブアップマッチは騙しあいのバトルという側面もある。騙したり騙されたり、そんなことは誰もが織り込み済みのはず。如月さんだって金子早百合との戦いで罠を仕掛けていたではないか。須藤優衣もまた同じ。彼女はうまい手を使ったものだと感服する。むしろ見事に嵌められた小林が愚かだったといえるくらいだ。
 だけど、ここでも僕は大きな勘違いしていた。如月さんの言った意味を完全に取り違えていたのだ。




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