得体の知れない不安に怯え……

 




【得体の知れない不安に怯え……】
最近の気候とかけまして、
政治家と国民の関係と解きます。
そのココロは――――
温度差が激しくて困ったものです。
で、おなじみのヒカコラですよ、こんにちは!


世の中がイヤになった。

誰でもヨカった。

コロしてやろうと思った――――

昨日の秋葉原通り魔殺 人事件に日本中が肝を冷やした。
やり場のない憤りと遣る瀬ない思いが人々の心を締めつけた。

犯人は死を覚悟していた。むしろ積極的に死にたがっていた。
だったらひとりで死ねばいい。誰にも迷惑をかけず勝手に死ねばいい。誰もがそう思う。
だが彼は、そうはせず、なんら恨みのない無関係な人々を傷つけ、結果七人もの貴い命を奪い去った。

どうせ死ぬなら――――
どうせ死ぬのなら、最後に自分が生きた爪痕を残したい。
おそらく……
誰からも認められず、誰からも背を向けられ、誰からも愛されることのなかった一人の男が精一杯足掻いてみせたのだ。
人知れず死んでいくなど耐えられない。
だからいっちょ世間を騒がせてやろうじゃないか。
そんな気分だったのだろう。

彼は精神破綻者ではない。
冷徹に考え、冷徹に行動した。
度重なるネットへの書き込みは落ち着きの顕れであり、自己顕示欲の顕れでもあった。

もっと見て。もっと僕を見てくれ。お願いだから。
きっと世界中が僕を軽蔑し、罵ることだろう。
親兄弟親戚縁者、皆が肩身の狭い思いをすることだろう。
知ったことか。
軽蔑されようが、罵られようが、無関心でいられるよりはずっとマシだ。
僕という人間が存在していたことを一人でも多くの人に、一日でも長く覚えていて欲しい。
そして忘れないで欲しい。それが僕のたったひとつの願い。
僕にとっての人間とは、名前を知っているとか、言葉を交わしたとか、そういう繋がりが多少なりともある者だけを指す。
だから僕が殺すのは人間じゃない。ニンギョウであり、カボチャであり、ゴキブリなのだ。
だから、罪悪感なんて、ない。これっぽっちも、ない。

想像に過ぎないが、ことに至る犯人の心境はそんなところではないだろうか。
到底赦されるものではない。
酌量の余地など微塵もない。
きっと彼には将来しかるべき法の裁きが下されることだろう。
――――死刑。

しかし、死を望んで人を殺めた男に対して、本当に死刑が相応しい罰といえるのだろうか。
無差別に人を殺めたうえに、当人の願いまで叶えてあげるのが真の罰といえるのだろうか。
この捩れた人間たちが日常に隠れ住む世界において、極刑が死刑というのは、もはや生ぬるいといえるのかもしれない。

ただ、ラクに逝かせてしまっていいのか。
そんな邪悪な思いに、不本意ながら、ふと、とらわれてしまう。
絞首台をのぼり、誰かに見守られながら緩やかな死を迎える犯人。
被害者たちは自ら望んで死んだのではないというのに……

生爪を剥ぎ、一本づつ指を切り落とし、その状態で手当てもせずに数日放置し、投薬によってのみ生き伸ばし、舌を引き抜き、鼻を削ぎ、耳を削ぎ落とし、目を抉り出し、それでも死なせず、生きたままピラニアの水槽に投げ込む、あるいは腹をすかせたカラスの群れに放り込む。そしてこの世の地獄をたっぷり味わわせ、己の愚を骨身に沁みるまで悔いさせる。それこそが真の極刑ではないだろうか。
拷問は非人道的行為である。
あってはならないことは重々承知。
しかし、このくらいやらないと犯人と被害者はフィフティフィフティとはならないのではないか。
このくらいやらないと、かような救いがたい犯 罪はなくならないのではないか。
自分が死にたいから、誰かを殺す。
とにかく注目されたいから、何の躊躇いもなく罪を犯す。
得体の知れない不安に怯え、生きることを放棄した流浪人たちを繋ぎとめられるモノは何もない。
もしあるとすれば、それはきっと彼のような犯 罪者をハナから人間として扱わないような非人道的な刑罰ではないのだろうか。
悲しい事件だ。
誰もが心で泣いている。
赦されるべきではない。
赦されるべきではない。
that's all


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