沙粧妙子―薔薇の誓い―

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ACT1 3人目のパートナー

 雨が降っていた。
 雨は心を暗く沈ませる。
 梅原斗季夫は、サイドテーブルの上のフォトフレームを手にとり、ため息をついた。
「美弥さん──
 窓を開けると夜の闇から柔らかな雨の匂いが漂う。
 今日は梅原にとって記念すべき日だった。
 警官になってわずか1年で、交番勤務からいきなり警視庁勤務である。
 異動希望を出していたとはいえ、自分自身が一番驚いている。
 そして、明日が初登庁。
 辞令上は今日付けの異動なのだが、交番の引き継ぎが終わらず、今日一日かかって処理中の案件について後任者に引き継いでいたのだ。
「いよいよ、明日からか──
 梅原は一人きりの部屋でポツリと呟き、布団に潜り込んだ。
 時刻は午後8時40分。
 だいぶ早い時間だが明日は何かと大変だろう。早く寝るにこしたことはない。
 と、布団に潜り込み、眠ろうと目を閉じたその時、電話が鳴った。
 この電話番号を知っている者は限られている。
 しかも、こんな遅くにかけてくる人間といったら──
「なんだよ、かあちゃんか──
 梅原が受話器をあげる。
「もしもし」
「梅原か?」
 くぐもった声。不機嫌さを押し殺しているような感じ・・・誰だろう?
「ええ、お宅は──
「警視庁の高坂、お前の上司だ」
 声の様子からして、相当の強面と思われた。しかも上司と聞いて、思わず布団を跳ね上げる。
 梅原が正座して受話器に向かう。
「あ、本官は梅原斗季夫巡査です。よろしくご指導願います──あの、明日は9時までに登庁すればいいんでしたよね?」
「ああ、そうだとも。9時までだ。ただし・・・」
「はい?」
「今夜の9時までだ!殺 人事件だ、とっとと出て来い!」


 現場はすぐにわかった。
 これだけのパトカーと報道陣がいれば5歳の子供にだってわかる。
 現場保存の制服警官に警察手帳を見せて、黄色いテープをくぐる梅原。
 つい昨日までは、現場にさえ入れてもらえなかった己をすれ違う警官に投影し悦に浸る。
「なに、ニヤけてんだ!」
 ポカリと後頭部を小突かれて振り返ると、オールバックの男が梅原を睨んでいる。
 声に聞き覚えがある。さっきの電話の人だ。梅原は直立不動で敬礼する。
「高坂警部殿でありますか!ボク──本官、あ、いや、私、本日付けで配属になりました梅原巡査です」
「本日付けなら、本日出て来いよ」
 高坂がこめかみに青筋を立てながら梅原のネクタイを引っ張る。
「それに、そういう気持ち悪ィ警官言葉はやめろ」
「は、はあ──
 しょっぱなから気合いをかけられる梅原が肩を落として縮こまる。
「なんで、こんなヤツ引き上げたのかねえ、アイツは──
「アイツ──って?」
「現場に行きゃあ、いやでもわかる。とにかく一番高慢ちきそうな女に声かけてみろ。そいつがお前がこれからお守りする相手だ」
 その名前を口にするのも不愉快だとばかりに苦々しく吐き捨てた高坂が、今度は何か面白いジョークでも思いついたらしくにんまりと気色の悪い笑みを浮かべる。
「そうか、わかったぞ!めでたいからか」
「めでたい?」
「お前で三人目なんだよ、アイツの相棒。一人目が松岡、二人目が竹本、そして三人目が梅原、お前だ」
 わかりません、とばかりに目をパチクリさせる梅原。
「三人揃って、松竹梅。こりゃあ、めでたい!」
 わははと声高らかに笑い、マンションに入っていく高坂。
「あ、待ってください、警部」
 その後ろを追いかける梅原が、つと立ち止まり、夜空を見上げた。
 雨は小ぶりになっていたが、闇の中に黒い雲が浮かんでいる。
 そして、あんなに切望した本庁勤務にもかかわらず、自分の未来もまた、この空のように暗雲が立ち込めているのではないか、と無性に不安に駆られる梅原だった。


「あ、警部」
 高坂たちが殺 害現場であるホテルの一室に足を踏み入れると、小太りの男が高坂に近づいてきた。
 高坂の右腕ともいうべき男、矢田警部補である。
 汗っかきの矢田は、ハンカチで首筋の汗を拭きながら状況を説明する。
「ホトケさん見ますか?いや、ひどいもんですよ。背骨ぽっきり折られてる。どんなふうにしたらああなるんですかね」
 梅原が惨状を想像し、蒼ざめる。
「ま、とにかくこれで3件目の背骨折連続殺 人事件か──警察なめやがって!」
 高坂が拳を壁に叩きつける。
「矢田、ホテル関係者への聞き込みは?」
「今、やってます。ですが、これといったものはまだ・・・」
「いいか。犯人は被害者の背骨を折ってるんだぞ。まともな力じゃない。犯人は大柄な男、プロレスラーとかそういう類いのヤツだろう。そんな目立ちそうな男が誰の目にも止まらず犯行に及べるか!」
 高坂が再び壁を殴る。そんな彼らの前に、一人の女が立ちふさがる。
 細面で強くひいたアイシャドウが病的な印象を与えるその女は、腕組みして冷たく言い放つ。
「犯人は必ずしも大柄な男とは限らない」
「沙粧〜ッ、何度言ってもわからんヤツだな。お前はもう捜査一課の人間じゃないんだ。現場は俺たちに任せて、お前は科捜研で難しいご本でも読んでりゃいいんだよッ」
 高坂は、アタマから湯気をシューシュー立ちのぼらせている。相手が男なら2、3発殴っているところだ。
 梅原はまじまじと、沙粧と呼ばれた女性を見つめる。
 この女性がボクのパートナー?ボクを警視庁に引き上げてくれた人?
 梅原の視線に気付いた沙粧が、ロボットのように首だけ彼に向ける。
 梅原は、またしゃちほこばって敬礼する。
「わ、私、今日付けで赴任しました梅原巡査です。よろしくお願いします!」
「知ってるわ」
 沙粧は短く答えて、事件の話に戻す。
「怪力だから大柄と言う直線的発想は時に捜査を混乱させます。犯人はたしかに小柄ではないでしょう。でも、それ以上に特徴的な要素があれば多少の大柄なんていう個性は、簡単に消されてしまう。犯人は、用心深く几帳面。住居または職場が杉並区内にある。あまり外に出ない仕事、私生活も比較的地味・・・」
「また、得意のあてずっぽうが始まったな。で、なんだ、その、それ以上の特徴ってなあ」
 高坂は大して期待もかけずに儀礼的に尋ねる。
 沙粧が答えようと口を開く前に、梅原が、ふと思いついたことを口にしてみた。
「たとえば、制服とか」
「制服って、ああいう制服のことか」
 矢田が近くにいた制服警官を指して訊く。
「はい、制服を着ていれば、それだけで人の印象は容姿より職業に固定されてしまう。例えば、あの人」
 と、梅原が身長190近くありそうな細身の背の高いホテル従業員を指差す。
「制服を着ていなければ、彼を目撃した人は『背の高い人だった』と形容するでしょう。でも制服を着ていればそれ以前に『ホテルの従業員』と認識されてしまう。人は見知らぬ人の情報を手にいれるとそれだけで安心するものです。彼がホテルマンと知った時点でそれ以上の興味は失う。だからそれ以上の印象は生まれにくくなる」
 沙粧は梅原に薄く微笑む。
「あなた、少しは使えるみたいね」
「ナニ言ってんだ、お前ら──
 呆れる高坂を無視して、喋りつづける梅原。
「犯行現場はホテルの一室。女性の部屋の中に入って殺したということは犯人は被害者の顔見知りだったんですか?」
「いや、そうじゃないな。今までの被害者同士の繋がりも全くない。あのホトケさんもおそらくそうだろう。異常犯 罪者の気まぐれで殺された憐れな女ってところだ」と、汗を拭き拭き答える矢田。
「だったらどうやってすんなり女の部屋に入ったんでしょう?部屋はそんなに荒れてないし・・・しかも目撃されることなくです。そこで、これらの問題を一気クリアするのが変装です。このホテルで目立たないように立ち回るには、ホテルの人間を装うのが一番手っ取り早い。そうですね、ボクが犯人だったら、たとえば清掃員の服とかを選びます」
 「清掃員だと?」と、鸚鵡返しに聞く高坂。
 梅原、得意げに鼻腔を膨らませ、頷いてみせる。
「清掃員ならどこのホテルも似たようなものだし、ほら、あの人たちってよく頬かむりとかしてるじゃないですか。自然に顔を隠すには都合がいい。しかも、清掃員なら客室への出入りは容易い」
「なんだ、梅原。俄然元気が出てきたみたいだな」と、矢田が揶揄する。
「まったくだ。男版沙粧か、お前は」
 と、高坂までもが皮肉を言う。
「まっ、今までの相棒の中では一番似合ってんじゃないですか?」と、畳みかけるように矢田。
 ふたりの毒舌に慣れっこの沙粧はそ知らぬふりを決め込んでいる。
 一方の梅原は、ノー天気にも誉められたものと勘違いしていた。
「一応、ボク、大学で心理学を勉強してきたものですから」
「よくもまあ、ぬけぬけと──
 呆れる高坂警部。
 ひゅうと口笛を吹く矢田警部補。
「いや、実は大学時代に、教授の財布が盗まれた事件がありまして、その時、ボクもちょっとだけ警察に協力したんですよ。まあ名探偵を気取るつもりはないんですけどね──
 嬉々として語りに入る梅原に苛立つ高坂。
 ばきっ!
 口より手が先に出るほうが確率的に極めて高い高坂の鉄拳が梅原の頬にヒットする。
 その場に尻餅をつく梅原が頬を押さえ驚きの表情で高坂を見上げた。
「な、なにするんですかッ!ぼ、暴力なんて、最低じゃないですか!」
 高坂、ニヤリと唇を歪め、梅原の前にしゃがむと彼のネクタイを引っ張ってひたいにひたいを押しつけた。
「う〜め〜は〜ら〜、よく覚えておけ。お前を警視庁に引き上げたのは沙粧だ。だがなお前の上司はこの俺だ。心理分析も結構だが、まずは現場を見てから能書きをたれろッ!」
「は・・・はいッ!」
 梅原ははじかれたように立ち上がり、部屋の奥へと入ってく。
 狭い部屋に数名の鑑識班員が犇いていた。
 ゆっくりと近づく梅原。
 ベッドにひとりの女が横たわっている。
 ちょっと見た感じでは、身体の線も細く、生前はさぞかしモテたことだろうなどと考えてみる。
 バスローブ姿の女は身体を【く】の字に折り曲げて死んでいた。
 しかし、その【く】は明らかにイビツな【く】だった。
 鋭角が背中側、鈍角が腹側になっている。端的に言えばえびぞりの死体──
 それだけじゃない。
 梅原は最初気づかなかった。
 折られているのは背骨だけではなかった。
 首が──女の首があり得ない方向に捻じ曲げられていたのだ。
 前後ろ逆にバスローブを着ていたのではない。
 首が完全に背中のほうを向いていたのだ。
「ひっ・・・」
 梅原が再び尻餅をついた。
 しかし、今度はすぐに立ち上がれなかった。
 腰が抜けたのだ。
 梅原は泣きそうになった。このまま死んでしまいたいくらいだった。
 高坂警部たちがこっちを見て笑ってる・・・。
 あれ、あの女の人は──沙粧さんは?
 梅原の視線が助けを求めるように泳ぐ。
 しかし、沙粧は既に現場を立ち去っていた。
 誰にも気付かれずに。
 まるで、風のように・・?BR>


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