沙粧妙子―薔薇の誓い―

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ACT4 時間をとめた男

 沙粧を科捜研に降ろして帰る途中、梅原はレンタルビデオ店『サーチビデオ』に立ち寄っていた。
 彼はよくこの店を利用するのだが、いつも何を借りようと決めてきているわけではなかった。
 観る作品は店に入ってから決める。それが梅原流だった。
 彼はもともと映画鑑賞が趣味ではあったが、いつもサーチビデオを訪れるのは、そればかりが理由ではない。
「あの・・・これ返却期限過ぎてるんですけど」
「あ、すいません。延滞料ですね。い、いくらですか──うわ!」
 カウンターに返却ビデオと今日借りるビデオを一緒に置いた梅原が慌てて財布を出し、チャリンと小銭を落っことす。
 それを見た店員が、彼の狼狽ぶりにくすくす笑った。
 店員の胸には写真入りのネームプレート。『大石美弥』
 梅原がこっそり隠し撮りした写真の主に関して有するデータは実にもう、ただそれだけであった。
 彼女がカウンターにつく時間帯を狙ってやってくる梅原だったが、目の前の彼女とはロクに口をきいたことすらない。もしその様を沙粧が見たならば『今の失態はあなたの恋愛感情に起因しているわね』と淡白に指摘したことだろう。
 梅原は耳まで真っ赤に染めて取り繕う。
「いやあ、昨日は引越しやらでバタバタしちゃって、車に放り込んだまま忘れてたんですよ」
 何もそこまで言い訳する必要もないだろうが、ともかく梅原は舞い上がっていた。そんな浮き足立った彼に対して大石美弥が眉根に皺を寄せる。
「じゃあこれからはあまり来れなくなりますね」
「へっ?」
 ようやく小銭を拾い集めた梅原が大仰に首をふって否定する。
「いや、あの、そんなことないですよ。住まいが変わったわけじゃないですから。変わったのは職場のほうだけでして。あっ、というか、ボクのこと覚えてるんですか?」
「はい。私がカウンターに立ってるときだけでも週に2回くらいは来てますよね。実際はもっとここ利用してるんじゃないですか?」
 そうじゃない。君がいるときだけ来てるんですよ。
 梅原は言いかけた言葉を飲み込んだ。いきなりそんなこといったらストーカーか何かと誤解されてしまう。それにしても今日はなんだかツイている。彼女とちゃんと会話をするのは多分これが初めてだろう。
「そうなんですか。ああ、良かった」
 店のエプロンを身につけた美弥が上目遣いに彼を見た。
「え、それって・・・どういう・・・」
 妙な期待に胸ときめかせながら尋ねる梅原の鼻先に美弥が会員証を差し出した。
「これからも来てもらえるってことは、会員証更新していいんですよね。ほら、今日で期限切れ」
「・・・はは・・・会員証のことですか」
 美弥は他に何があるのと言わんばかりにきょとんと目を丸くしていたが、やがて梅原のレンタルしたビデオのパッケージに注目して訊いた。
「あ、こういうのも観るんですね」
 それは先刻沙粧に紹介されたばかりの『激殺シリーズ』だった。たしかに捜査に関係がなければ一生観ることはなかったかもしれない。そもそも梅原は邦画はほとんど見ないし、洋画でも新作を観ることは滅多になく、60〜70年代の作品を敬愛していた。
「意外ですか?」
「いえ、今まで借りてたのとだいぶ傾向が違うなあって──あ、余計なお世話ですね」
 と、美弥が舌を出す。
「実はこれ、仕事がらみで観るんです。『激殺シリーズ』なんてボクの趣味じゃないですよ。いやあ、でもすごいなあ、ボクが今まで借りてたビデオまで覚えててくれたんだ」
「ううん、特別あなたのだけ覚えてたってわけじゃないんですよお。あの、私、昔から変なところで暗記力が良くて、自然にすーって頭に入ってきちゃうんですよね」
 なんだ、特別ってワケじゃないんだ。
 梅原は内心ガッカリした。それにしてもやっぱり今日はラッキーと言わざろうえない。梅原がこうして店員と長々とお喋りをしていられるのはゼンゼン客が来ないからだ。今だって店内にいる客は、梅原のほかに30がらみの女性客がひとりだけ。度の強そうな眼鏡をかけた猫背の女は、ホラーコーナーのビデオをあれこれ手にとって眺めている。
 美弥がビデオを店のロゴが入った専用ケースに入れて梅原に手渡した。
「でも、激殺シリーズを観るのが仕事だなんて、一体どんな仕事なんですか?」
 梅原はどうしようか迷ったが「刑事です」とだけ答えた。
 おまわりさんじゃないですよ、刑事ですよ、刑事。
「ま、詳しくは話せないんだけど、今追っかけてる事件の参考資料としてね」
 くう、カッコいい。言ってみたかったんだ、こういうセリフ。
 美弥の驚く表情に梅原は平静を装いながらも鼻腔はしっかりと膨らんでいた。
 しかし彼女の次の言葉がいけなかった。
「なんか警察の人ってもっと怖い人かと思ってました。近寄りがたい威厳があって」
「あ・・・ボク、怖くないですか?」
 と、情けない声で訊く梅原。
「はい」
「ボク、威厳ないですか?」
「うーん、あまり・・・あ、でも、そういうのっていいことじゃないのかな」
「はあ、そうですか」
 優しい娘だなあ。梅原は素直にそう思ったのだった──


 梅原は夜の幹線道路を飛ばしていた。
 助手席にはサーチビデオのケースが置いてある。
 梅原はゴキゲンだった。
 今日はいっぱい喋れたぞ。
 話してみてよかった。美弥さん、ボクの思ったとおりの人だ。
 ニヤつきながらラジオから流れる音楽の音量を目一杯あげる。
 その音に負けじとアクセルを踏み込み歓声をあげる。
「イヤッホー!」


 さすがに苦しい言い訳だったかな。
 大石美弥はビデオ店のカウンターの奥でビデオの整理をしながらため息をついた。
 暗記力が良くて、自然に頭に入ってきちゃうんですよね、だって。よく言うわ、私も。もう嘘ってバレバレじゃない。ああ、恥ずかし──けど思い切って話しかけてよかった。思ったとおりいい人みたいだし。でも刑事さんっていうのはちょっと意外だったなあ──まあ、テレビとかのイメージが強いからそう思うだけで実際はあんなものなのかもしれない。
 美弥は誰にともなく呟いた。
「早く来ないかな。返却期限」
「あの」
「は、はいッ!」
 急に呼びかけられて思わず背筋がピンと伸びる。
 カウンターを振り返ると、気配を消した女がのっそりと立っていた。
「これ、お願いします」
 女はホラービデオ3本をドカンとカウンターに積みかさねている。
 差し出された会員証には『黒井初子』と書かれていた。


 初子はひとり夜道を歩いていた。
 夜道は怖い。
 夜道は嫌い。
 油断していると闇はいつでもその獰猛な牙をむいて自分を飲み込もうとする。
 だから初子は明るいところを選んで歩いている。
「あ・・・」
 ふと思い立ち足をとめる初子。
 いけない。お酒、切らしてた!
 初子にとって酒を呑みながら観るビデオはまた格別だった。彼女の疲れた身体を癒してくれる。ビデオと酒。彼女にとってそれらは鬱積した怒りや怨みや憤りや兎に角そんなあらゆる負の感情をやわらげてくれる唯一の愉しみだったのだ。
 初子は迷わず踵を返し、酒を求めて歩きだした──


 沙粧妙子が自宅のマンションに戻ったときには既に日付が変わっていた。
 一人暮らしの2LDK。ブルーに輝く水槽の金魚に餌をやり、猫の額ほどのバルコニーに置いたハーブの鉢植えから葉を数片ちぎって熱いポットにおとす。
 間接照明の光のもと、ティーカップの用意をする。もちろん一人分だ。
 一人暮らしには広すぎるうえに彼女の部屋にはモノが少ない。テレビもステレオもない。中央に据えたテーブルにノートパソコンが1台あるだけだ。
 静寂の中、ソファに身を沈めカップに口をつける。心地よい香りが鼻腔を擽り、飴色の液体がなめらかに喉をおりていく。飲みすぎたコーヒーでいいかげん荒れている胃にはありがたかった。
「ボクのぶんもくれないか」
 誰もいないはずの部屋で、ふと呼びかける声。
 穏やかに染み入るようなその音色。沙粧ははっと目を剥き、ぎこちなく声のした方に首を向ける。
 バルコニーのガラス戸の前、ひとりの男が両手を前に組んで立っている。
「梶浦──また、あなた──
「妙子、疲れてるんじゃないか?」
 それはまぎれもなく梶浦圭吾であった。
 かつて沙粧が所属していた警視庁プロファイリングチームのリーダー。そして沙粧の恋人でもあった男。やがて彼は破綻し自らが犯 罪者となり沙粧を苦しめた。しかし彼は死んだ。それは沙粧自身よく知っている。なのに梶浦は死してもなお沙粧の前に何度となく出没していたのだ。
「もう私の前に姿を見せないで。お願い」
 沙粧が喉をひくつかせながら懇願する。だが、その言葉が本心なのかどうか自分でも分からなかった。他人の心を読むのはお手のものだが自分自身の心は未だ深い霧の中だ。
 梶浦は音もなく沙粧の後ろに回り、その肩に手をのせた。
「何を言ってるんだい。ボクがここにいるのは君が──妙子が望んだことなんだよ」
「触らないで!」
 諭すように語りかける梶浦の手を乱暴に振り払おうとする沙粧。しかしその手は空を切る。梶浦の姿が一瞬にして消え、沙粧の向かいのソファに現れた。あたかも瞬間移動のように──
 梶浦は足を大きく組んで口元をニヒルに歪める。
「確かにボクは死んだ。この肉体は消滅した。だけど邪魔な肉体が消えたぶんボクは真の自由を手に入れた。わかるだろ、妙子。君はボクを受け入れたんだ。薬などに頼らなくともボクに会える。いつでも会える。今夜のように君が望みさえすればいつだってね」
「冗談じゃないわ!あなたの言う自由なんてせいぜいが法に縛られず人を殺せる自由でしょ」
 沙粧が髪をかきあげて荒い息をつく。一方、梶浦は悠然と構えていた。
「ボクたちはきっとやりなおせる。そのためなら普遍に流れるこの時だってとめてみせるさ。わかってくれ、妙子。ボクは君を救いたいだけなんだ」
「そんなに私を犯 罪者に仕立てあげたいの?私はそんなこと望んじゃいない。私はあなたの駒じゃない!」
「駒だなんて、そんなつもりはないよ。今やボクは妙子の一部なんだから」
「くッ──
 沙粧は返す言葉がなかった。妄想──己の弱さが生んだ梶浦圭吾のビジョン。そう、彼は死んだのだ。ここにいるわけがない。さりとて彼が沙粧の前に現れるのはこれが初めてではないのもまた事実。むしろ最近は毎晩のように現れていた。そして不毛な議論が繰り返されている。
 落ち着け、落ち着くんだ。
 沙粧は冷静に対処することで過去からの幻影をふりきろうとする。努めて日常的な行動をとろうと、梶浦のリクエストのハーブティーを淹れるためキッチンに立つ。
「ふむ──連続背骨折殺 人か」
 朝から広げたままになっていた朝刊に目を落とした梶浦が無精ひげをさする。
「それにしてもレベルの低い犯人だ。彼は妙子の敵じゃないね。これじゃまるで子供が大人に歯向かうようなものだ」
「そうかしら。この犯人、意外と頭は良さそうよ」
 と、ハーブティーをテーブルに置いてやると、梶浦は早速カップに手をのばし優雅な動作で口に運んだ。
「犯人は完全に己の感情に絡みとられている。目的と手段が摩り替わってることにすら気付いていないのだろう。ボクが今まで関わってきた犯 罪者たちと比較しても、甘く見積もってもC+ってところだ。意思なき犯 罪者は獣と一緒だよ。ちっとも美しくない」
「変わってないのね。犯 罪者をそんなふうに評価するクセ」
「君だって同じだろう」
 梶浦が薄く笑うと沙粧もつられて苦笑する。
 そして互いにカップを傾ける。
「よかった。少し元気になったようだね」
「ばか──私にはもうあなたは必要ないの」
 本当に?沙粧は心のうちで自問した。
 梶浦は飲み干したカップを置いて立ち上がると、女性のように細い指を沙粧の頬に滑らせた。
「一旦は君と離れ離れになってしまったけれど、こうしてまた昔のように言葉を交わせる。心を通わせることができる。こんなに嬉しいことはない。妙子、ボクはいつでも君を見守っているよ。そして本当の──永遠の愛をここに誓おう」
 梶浦が奇術師のようにキュッと左手を捻ると、その手の中に一輪の薔薇が現れた。
「これはささやかだがハーブティーのお礼だ」
 沙粧の眼前に差し出される紅い薔薇。彼女が最も好きな花。その鮮やかすぎる赤に目を奪われる。
「ああっ・・・!」
 カチカチッ。
 間接照明が明滅すると、その一瞬の闇に乗じて梶浦は掻き消えた。
 彼のために淹れたハーブティーは淹れたときのまま全く減っていなかった。
 沙粧の手の中の薔薇さえもものの見事に霧散していた。
 そして唯一残ったものは、かつて焦がれるほどに愛した男の微かなぬくもりだけだった──




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