沙粧妙子―薔薇の誓い―

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ACT5 果てなき彷徨

 沙粧妙子が科学捜査研究所犯 罪心理分析課に出勤してくると、彼女の机の上に一枚の絵葉書が置かれていた。
 差出人はかつてのパートナー、竹本哲夫からだった。
 【僕たち結婚しました】
 仲むつまじく寄り添うカップルの写真。
 男は竹本、隣りに写っている女性はわからないが、どこか家庭的な雰囲気を醸しだす男好きのするタイプだ。
「やっぱり、あの子じゃなかったんだ」
 感慨深く呟く沙粧。
 一年前、沙粧が竹本と組んでいた当時、竹本には恋人がいた。竹本が命懸けでその恋人を救った場面にも彼女は居合わせている。しかし、この二人は近い将来別れるだろう、そう沙粧は予感していた。そして、竹本が生涯の伴侶として選んだ女性は少なくとも外見上はかつての恋人とは似ても似つかぬタイプであった。
「あれ?これって竹本さんじゃないですか」
 いつの間にか沙粧の背後に寄辺管理監が立っていて、沙粧の手元を覗きこんでいる。
「知ってるんですか?」
「いえ、直接は──でも沙粧さんとコンビ組んでた人でしょ」
 沙粧が、どういうこと?と、軽く首を傾げてみせると、寄辺は快活に笑って答える。
「言ったじゃないですか。私は沙粧さんのファンなんですよ。あなたのことならなんだって──
 沙粧が警戒心を露わにキッと睨むと、寄辺の笑いが凍りついた。
「じょ、冗談ですよ、冗談。これでも一応はあなたの上司ですからね。履歴書ぐらいは見ます」
 それでもまだ不信げな視線を送る沙粧。そんな張りつめた空気の中へ梅原がやってくる。
「おはようございます、沙粧さん。今日はどこから回りますか。とりあえず力丸禅太の身辺から──
「いくわよ、梅原」
 梅原が全部言う前に、沙粧はショルダーバッグを掴み、席を立った。
「あ、はい──
 と、返事をしたときには既に沙粧の姿はなく、慌てて沙粧のあとを追いかけていく。
 そして、ひとり残った寄辺が、いつものようにズズズと音を立ててお茶を啜りひとりごちた。
「ふむ──力丸禅太ですか


 カーテンを閉めきった暗い部屋は、ブラウン管の明かりだけを拠りどころとしていた。
 力丸禅太は部屋でひとりビデオを見ている。そんな彼の口内はポテトチップスでいっぱいだった。
 ビデオの画面には銃を構える沙粧妙子。その他にも竹本哲夫、百合岡定嗣、麻生萌子らも映っている。
 場面は駐車場。
 銃を撃つ沙粧。
 ボーガンを放つ萌子。
 その一瞬の戦いを制したのは沙粧だった。
「沙粧さん!」
 去っていく沙粧の背中に竹本の声が飛ぶ。
「サショーさん!」
 真似する力丸。
「サショーさん!」
 ちっとも似ていない。
 力丸はバカみたいに繰り返し、やがてゲラゲラ笑い出した。
 笑いながら、カーテンを開け放つと朝の日差しが容赦なく差し込む。
 力丸はポテチを一旦テーブルに置き、ハンディカメラに手をのばす。
 スイッチオン。
 カメラを窓の外に向けてパンしていく。たまたま映りこんだジョギング中の男をカメラで追う。
「ばあん」
 口で銃声を真似てみるも、当然男が倒れるわけもなく、やがて彼の視界から走り去っていく。そして力丸は、さっきまで見ていたビデオをデッキから取り出した。ビデオのラベルにはなぜか【悪魔のレバー】と書かれていた。そのテープを【サーチビデオ】と書かれたケースに入れると、またポテチに手をのばす。
「むふ・・・・・・むふ・・・・・・むふふふふふ・・・・・・」
 力丸がポテトチップスをほおばりながら言う。
「やっぱり、ポテチはコンソメパンチに限るな」


「畜生、また駄目か」
 梅原斗季夫は携帯の電源を切って苦々しく吐き捨てた。
 墨田紀子の卒業アルバムを頼りに当時の同級生にかたっぱしから電話をかけ、力丸禅太の所在を探ろうとしているのだが、「そんなヤツいたっけ」だの「よく覚えてません」だのと誰も彼もが取りつく島もない状態だった。
「ったく、参りましたよ。よっぽど影が薄かったんですかね、この男」
 梅原が零すと、同じく通話を終えたばかりの沙粧が冷ややかに返す。
「仮にも高校の同級生よ。全員がまったく覚えてないということはありえない。むしろ考えられるのは、よく覚えてはいるけれどあまり関わりあいになりたくないと思っているということ」
「ははあん、墨田紀子殺しに結びつけ、なまじ知り合いぶってあらぬ疑いをかけられるのは御免こうむりたいってところですか」
「まあ、それもあるけど──」
「ほかに何か?」
「たとえば、いじめられていたとか──
「・・・力丸がですか?」
「そう。クラス全員でイジめていたとか、そうじゃなくてもみんながイジメを見てみぬふりしていたとしたらどう?力丸が犯人だったとして、墨田紀子がイジメに加担したのが原因で殺されたのだとしたら?」
──自分も狙われるかもしれないと思う。だから関わりたくない。息をひそめてやり過ごしたい、ってわけか。なるほどなあ。それにしても沙粧さんは、よくそこまで想像が飛躍するもんですねえ、さすがですよ」
 心底感心している梅原に沙粧が軽く首をかしげてとぼけてみせる。
「想像なんかしてないわよ、私」
「へ?」
「さっき電話で聞いたの、力丸の同級生から。これから会ってくれるそうよ。その人、力丸と一緒でクラス内のいじめグループから標的にされてたらしいわ」
「あっ・・・・・・!」
 梅原は、自分はいいようにおちょくられているのでは、とさえ感じた。これじゃあ、まるで誉め損じゃないか。というより誉めた自分はただのマヌケだ。
「そういうことは先に言ってくださいよ、沙粧さん」
 梅原は露骨に不機嫌な口調で言うと、車のキーをまわしてエンジンをかけた。
「で、どっちへ行けばいいんですか?」


 レンタルビデオ店サーチビデオでは、黒井初子がビデオを物色していた。
 彼女の指定席ともいえるホラーコーナーで『悪魔のレバー』のパッケージを手に取るが、レンタル中の札がかかっている。
──まただ。また、レンタル中だ!昨日見たときは今日が返却日になってたから、わざわざ昼休みに抜け出してきたっていうのに!
 新作でもなければ、話題作というわけでもない。
 むしろこれはマニアックな作品の部類に入る。一度劇場で観てはいるが、どうしても今一度みたいと思っていたのだ。しかしどうもタイミングが悪いらしく、なかなか借りることができないでいる。
 いらだつ初子は無意識のうちに陳列棚を蹴っていた。
 初子の後ろでアダルトコーナーにへばりついていた男性客が殊更に驚いて彼女のほうを見る。
「あの・・・何か?」
 すぐに近くにいた店員が近づいてくる。
──ああ、こいつは!
 昨日、男の客とべちゃくちゃ喋ってた女じゃないか。同じ女として生理的に受けつけないタイプだ。存在自体がなんか苛立つ。なにを根拠にと訊かれると困るが、とにかく気に食わないものはしょうがない。
「お客様、大丈夫ですか?」
 初子は表面上心配そうな顔をつくっている店員になにか眩しいものを感じ、ずり落ちる眼鏡の蔓を神経質に持ち上げた。
「いえ・・・なんでもないです」
 そそくさと出口に向かう初子は、我ながらどうしようもなく得体の知れない敗北感に打ちのめされていた。
 畜生!畜生!
 どうして自分ばかりがこんな惨めな思いをしなければならないのか。
 少しばかり若いからって!
 少しばかり可愛いからって!
 初子は素早く振り返り、店員のネームプレートを一瞥した。
 大石美弥か──ホント、気にくわない女だ。


「ええ、力丸君のことならよく覚えてますよ」
 福本と名乗る男は、沙粧たちにソファーを勧めながらそう切り出した。
 笑顔をはりつけた小男の差し出した名刺には、『福本設計事務所 社長 福本雅俊』と印刷されている。
「いやあ、お若いのに社長さんですか。すごいですねえ」
 と、梅原が社長室の調度品を眺めながら世辞を言うと、福本は照れくさそうに頭を掻いた。
「実は私も高校生の頃は、よくクラスのワルにイジメられましてね。でも、それをバネにしてここまで頑張ってこれたんですから、逆にいじめた連中に感謝しなければならないかもしれません」
「あの、力丸さんはどういう人でしたか?」
「そうですね・・・いわゆる肥満体で身体は大きかったんですが、どうも周りに溶け込めないというか、とにかくおとなしくて人付き合いが苦手な感じでしたね。まあ、私も友達と呼べる人は本当に少なかったですが、彼の場合、友達は皆無だったと思いますね。だから、彼がイジメられていても誰も助けようとはしませんでした。力丸君は勉強はできたし、そこそこ運動能力もあったと思うんですが、やられても絶対に抵抗しないんですよ。つまり、その、やり返すとかというレベルではなくて、やめてくれ、とさえ言わない。殴られても蹴られても、だんご虫みたいに身体を丸めて、泣きごとひとつ言わずに、ただじっと耐えてるんです」
「墨田紀子さんはそのイジメに加担していたんですか?」
「とんでもない。紀子さんは優等生でしたからね。あ、そうだ、彼女、一度だけ力丸君を庇ったことがあったんですよ。よってたかっていじめるのはやめなさい、みたいなことを言ってね。でもホントにあれ一度きりでしたね。それでイジメがなくなったわけじゃないし。だから、力丸君が墨田さんを殺したりはしないと思うんですよ・・・もしもですよ、もしも力丸君が誰かを殺すとしたら、そういう相手が他にもたくさんいたはずですから」
「ずいぶん彼を庇うんですね」
 あまりに饒舌な福本に沙粧が真意を問いただす。すると福本はことさらに深刻な調子で応えた。
「刑事さんはイジメられた経験ってありますか?それはもう惨めなものですよ。己を全否定され、己の無力さを痛感する日々。学校にいる一日一日が驚くほど長く感じるんです。でもね、彼は強かった。力丸君は決して心までは支配されなかった」
「どういう意味ですか」
 手帳を構えて身を乗り出す梅原。
「そもそも、イジメられっ子というのはどういう人間がなるのか。それは心弱き者、あるいは心優しき者です。私は前者、彼は後者でした。あるとき、いじめグループのひとりが、力丸君に校庭の桜の枝を折ってこいと命じたことがあったんです。まずあの図体では木には登れないだろう、そう踏んで彼を全校生徒の晒し者にしようとしたんです。よしんば、枝を折ることができても、職員室からも丸見えですから教師にこってり絞られることになる。そして、彼ならば自分たちの名前は明かさないであろうという計算も働いていた。つまりどう転んでも、力丸君にとって良い目は出ないというわけです。だけど彼は、予想もつかない行動にでました。なんと桜の幹に体当たりをはじめたんです。ドシン、ドシンと地響きが鳴り、なにごとが起こったのかと校舎の窓から教師だけじゃなく多くの生徒たちが首を出しました。その周知の中、ついに彼は桜の木を幹から折ってしまったんです。まるで闘牛の如くにね。先生が駆けつけたときには彼はもう汗だくで、なぜか晴れ晴れしい表情をしていたそうです。それからですかね、力丸君へのイジメがなくなったのは。でも、結局彼は途中で学校をやめてしまいました。折角いじめられなくなったというのに・・・」
 一気にぶちまけて、ため息をつく福本に沙粧が声をかける。
「福本さん」
「はい?」
「今、彼がどこにいるかわかりますか」
 福本は腕組みをして天井を見上げ、やがて自信なさげに言った。
「そういえば以前に、相撲部屋に弟子入りしたって話しを聞いたことがあります。たしか、コヅツミ部屋っていいましたかね・・・」


 福本の会社を辞した沙粧たちは、その足で虎鼓部屋へ向かった。
 聞き込みには、稽古の合間をぬって親方が対応してくれた。
「ああ、力丸ですか。いや、初めてウチの門を叩いてきたときは驚きましたよ。いきなりバッグの中から札束だして、弟子にしてください、ですからねえ。で、そんな大金どうしたんだって訊いたら、あいつ、母子家庭だったらしくてね。その唯一の肉親である母親が病死して保険金がおりたんだっていうんです。でまあ、いろいろあってウチに入ってもらったんだけど、いやあ続かなかったねえ。ウチに2年いて一度も勝ち越しこそできなかったが、もう少し励めばいいセンいってたかもしれないんだが・・・。力丸は、もう基礎能力に関しては申し分なかったからねえ。とにかく力はあった。しかし技術が追いついてこない。というより素直すぎるんですよ。まっすぐというか、それしかできないというか、戦略というものを知らない。いや、覚える気がないんだな。私が思うに力丸は相撲をとろうとしてたんじゃなくて、ただ自分の力を誰かに認めてほしかっただけなんじゃないのかなって、そんな気がするんですよ」
「どうしてそう思うんですか」
 梅原の問いに親方が困ったように顔をしかめた。
「私にもうまく言えませんがね・・・ただ、あいつがここを出て行くときに私にこう言ったんです。親方、ここには俺の居場所はありません、ってね」
 そう言い残し、虎包部屋を出て行ったのが2年前。それ以降の彼の消息は全くわからないというのが親方からの情報だった。
 これで力丸禅太へ近づく道は、またふつりと途絶えたわけである。


「力丸禅太はシロですね。沙粧さん、これ以上力丸追うのはやめましょう」
 移動の車中、ハンドルを捌きながら梅原が進言した。
「なぜ?」
 助手席のドアに寄りかかり、けだるそうに髪をすき上げる沙粧。
 梅原が前方を向いたまま、持論を推す。
「いくら力丸禅太が怪力の持ち主とはいえ、とてもじゃないけど、あんな残酷な方法でか弱い女性を殺 害する人間とは思えません。ましてや墨田紀子を殺 害する動機だってありゃしない」
「梅原、それがあなたの分析?」
「沙粧さんは違うんですか?」
「人は変わるものよ。しかも2年もの歳月があれば充分にね」
 沙粧はぼんやりと車窓の景色に目を向けた。そして、まるで自分のことを語るかのように感情を込めた。
「彼は今も居場所を探し彷徨い続けているのかもしれない。この街のどこかで──」


 ビデオテープが散乱する狭い部屋で、力丸禅太は過去の自分に思いを馳せていた。
 ──あのとき。
 桜の木を折り、その力を見せつけたことで俺へのイジメはなくなった。
 裏を返せば、本当に誰も俺に目もくれなくなったってことだ。
 いじめられた時代。
 それは俺にとって最も至福のときだったのかもしれない。
 少なくとも、そこにはまだ俺の存在価値があった。
 たとえ、家畜のように扱われていたとしても、俺をいじめていたヤツらは俺の存在証明だったのだ。
 だが、今だって。
 今このときだって、そう悪くはない。
 テーブルの上に開いた新聞。
 その見出しの文字が大きく躍る。
 【連続女性惨殺事件、すでに3件目!未だ手がかりなし】
「むふふっ・・・・・・むふふふふっ・・・・・・」
 力丸が巨体を揺すって含み笑いを漏らした。
 彼は窓を開け放ち、喉が嗄れるほどに叫んでみたかった。
「この世界は俺のモノだぁ!」と──



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