沙粧妙子―薔薇の誓い―

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ACT6 さえない女の生活

 猛スピードで電卓を叩く。
 一心不乱に叩きつづける女――
 黒井初子は苛立っていた。
 悪魔のレバー!悪魔のレバー!悪魔のレバーがレンタル中!
 いったいどこのどいつが借りているのだ。
 ああっ、女殺 人鬼シルビアの勇姿を早く見たいっ。
「あっ・・・」
 思わず数字をうち間違えた。くそっ、また初めからやり直しだ。初子の苛立ちは加速する。
 彼女の職場は、駄菓子の中卸を営む小さな会社で「有限会社はるしち」という。
 従業員は経理担当の初子ただひとり。営業担当の社長と合わせても社員2名という吹けば飛ぶような零細企業だ。
「初子ちゃん、伝票の整理終わったかなぁ」
 剣先いかをしゃぶりながら社長の春山が甘ったるい声で近づいてくる。
 初子はこの男が大嫌いだった。
 小心者のくせに虚栄心だけは一人前、親の代で興したこの会社を散々食いつぶしている男だ。
「すいませんけど、気が散るので話しかけないでもらえますか」
 そうやって嫌がる彼女の心情を逆なでするかのように、しつこく迫ってくる春山。
「そういう態度ってよくないよ。仮にも俺は社長なんだからさぁ」
――社長は社長でも、無能なセクハラ社長な!
「今月も赤字みたいですよ。でも来月は大丈夫ですよね。だって社長、近いうちに大口の契約を取ってくるっておっしゃってましたから」
 社長に対する不平なら何時間でも喋れる自信はあったが、ぐっと堪えて軽い皮肉にとどめておく。
「うーん、そんなこと言ったっけかなあ」
――頼むからその脂ぎった顔を近づけないでくれ。あと、息吹きかけるんじゃねえ。ああ、イヤだイヤだ。オヤジくさい。ポマードの臭いで鼻が曲がりそうだ。
「ねえ、初子ちゃん、君メガネやめたらどう?そのヤボったい髪型とかもやめてさ。あともう少し化粧とかもしようよ」
 と、春山が初子の髪を手に取り匂いを嗅ぐ。
――余計なお世話だ。畜生、辞めてやる、こんな会社。なのに・・・
 ああ、なぜ、言えぬのだ!自分が情けない。こんなヤツにはガツンと言ってやればいいんだ。
 それ以上アタシに近づいたら大事なものを失くすことになるよ。一生おしっこできなくなってもいいのかい?
 これは女殺 人鬼シルビアのセリフだ。うひゃあ、言ってみたいなあ、このハゲオヤジに。
 ていうか、もうそんなのすっとばして、ブチのめしたい。ブチ殺したいッ。
 この醜悪なブオトコめ。おまえのことは夢の中じゃ何度も何度も殺しているんだ。
 私はシルビア。
 こんなハゲオヤジなど敵ではない。
 だけど、今は・・・・・・
 今のところは見逃しといてあげる。
 でもね、いつか必ず私の前に跪き、命乞いをするときがくる。
 忘れるな、おまえはその時のためだけに生かされているのだ。
 あんただけじゃない、家族まとめて面倒見てやるわ。
 あんたの奥さんは最近ウエイトを気にして、スポーツジムとスイミングスクールに通っているらしいな。
 まったく無駄なことをする。でも安心しな。近く私がばらばらに切り刻んで、体重を3分の1に落としてあげるから。
 あんたの息子は少年野球で4番を打ってるらしいな。将来の夢はイチローみたいな野球選手。
 このバカ親にしてバカ息子。おまえの息子がイチローになれるわけがないだろ。っていうかプロにだってなれるものか。
 中途半端な野球バカはどこにいったってハンパ者。でも安心しな。厳しい大人の現実に直面する前に、私が冥土に送ってあげる。息子の宝物の金属バットで、そのちっちぇえアタマ、貯金箱みたいにカチ割ってやるよ。
 そして、ユー!
 春山、最後におまえだよ。
 全てを失い、失意と絶望の淵にいるおまえを、ゆっくりとなぶり殺してあげる。
――ふうう、気持ちいいぃぃ・・・
 初子はそうやって夢想し、ささやかな充足を得ていた。些か虚しい気もするが、そんなことでも考えていないと気が変になってしまいそうになるのだ。
「どうしたの、初子ちゃん。なにか嬉しいことでもあった?」
 愉悦の笑みを浮かべる初子を気味悪がって一歩身を引く春山が恐る恐る尋ねる。
「いえ、なんでも・・・社長、お茶でも淹れましょうか」
「ああ・・・うん、頼むよ」
 初子は春山に背を向けて急須にお湯を注ぐ。そして春山の湯のみにお茶を淹れながら、そっと自分の唾液を垂らしてやる。今の初子にできることはせいぜいがその程度。それが現実だった。
――今にみてなさいよ、私を嘲笑ったヤツらみんな、いつかきっと後悔させてやるんだから!


「おかえりなさい、沙粧さん」
 19時を回り、犯 罪心理分析課に戻った沙粧を寄辺の恵比寿顔が迎えいれた。
「まだ、いたんですか」
 沙粧が怪訝そうに眉根を寄せる。
「今日はちゃんと連絡いれたはずですけど?」
 昨夜は寄辺への連絡を怠っていたため、彼は沙粧が帰るのを待っていたのだが、今夜に関しては事情が違う。
 課に戻るのは遅くなるが待っている必要はない。夕方、無線を使って、その旨連絡をいれておいたのだ。上司にいちいち報告するなど沙粧にしては極めて珍しい行為であったが、ただ単にひとこと連絡する煩わしさより、待っていられる煩わしさの方が遥かに大きかったというだけのことである。
「や、すいませんね。ただねえ、たまには職場の同僚とのスキンシップも必要かなと思いましてね」
「はい?」
 新設されたばかりの犯 罪心理分析課は組織上10人の刑事が配置され、その人数分の机が置いてあるものの、沙粧と寄辺以外の8人はいわゆる兼務発令という形になっていて、一度だってこの部屋に顔を出したことがない。
 つまり、スキンシップも何も立ち上げたばかりの犯 罪心理分析課の人員は実質ふたりだけなのだ。捜査一課の梅原の応援をいれても2.5人という実に脆弱な布陣であった。
 寄辺はそんな事情にはお構いなしに続けた。
「沙粧さん、今夜ご予定は?」
「別に」
「でしたら、たまにはどうですか、一杯・・・いや、なんなら食事でも」
「ごめんなさい。疲れているので」
 キッパリと拒絶する沙粧に、寄辺はあっさり引き下がった。
「そうですか。じゃあ、また今度ということで・・・あ、そうだ!」
 寄辺はふいに何ごとか閃いて、自分の机の引出しからスプレー缶を出してきた。
「沙粧さん、こういうの使ってみませんか。生活安全部の知人からもらってきたんですがね」
「それは?」
 寄辺の手にあるスプレー缶を興味なさげに一瞥した沙粧が問う。
「痴漢撃退用の目潰しスプレーです。ほら、沙粧さんは魅力的な女性ですから、こういうの必要じゃないかなって・・・あれ、これってセクハラになりますかね、ははは・・・」
 渇いた笑いがだだっ広い課内に木霊する。
「どうも」
 素直に受け取り、さっさとカバンにしまう沙粧。
「じゃあ、私はこれで」
「あ、沙粧さん」
 早々に帰ろうとする沙粧を寄辺が呼び止める。寄辺の穏やかな目がすうっと光を帯びた。
「梶浦の呪縛から早く抜け出してくださいね」
「なっ・・・」
 沙粧は一瞬言葉を失った。足元が崩れそうな、呼吸困難に陥りそうな、そんな不安定な錯覚にとらわれる。だがどうにか踏みとどまり平静を装いつつやり返す沙粧。
「それも履歴書情報ですか?」


「ありがとうございます。少々お待ちください」
 大石美弥は元気一杯にそう告げると返却ビデオのチェックをはじめた。
 チェックといっても中身をいちいち確認するはずもなく、伝票とテープのラベルが合っているか、テープがちゃんと巻き戻されているか、その2点を確認するだけである。
――あっ、これ、激殺4。昨日梅原さんが借りていったのと一緒だ。人気あるからなあ、このシリーズ。あと、もう一本は、あら、こんなビデオあったっけ?・・・悪魔のレバーかあ、なんだか怖そう・・・
 そんなことを考えている間にチェックは終了。
「はい、結構です。どうもありがとうございました」
 美弥がぺこりと礼をする。が、顔を上げたときには既に客は出口のところまで去っていた。
 その肥満体ともいえる客の大きな背中を見送りながら、せっかちな人だなあと思う。
「あ・・・」
 美弥が思わず声をあげた。
 さっきの太った客と入れ違いに梅原斗季夫が入店してきたのだ。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
「あっ、どうも」
「お仕事終わったんですか」
「ええ、これから帰るところです」
 梅原がドギマギしながら昨日借りたビデオをカウンターに置く。
「え、もう観おわったんですか」
「はい、一応、観ました」
 嘘だった。
 梅原はまだ全然観ていなかった。ビデオならまた借りてゆっくり観ればいい。そう思っていた。
 さりとて、『あなたに会いたい一心で、観てもいないテープを返しにきたんです』などと臆面もなく言えるほど梅原は場慣れしてはいなかった。
 『激殺3』のテープの確認を終えた美弥が、続いてもう一本返却してきた『WBスカーレット』の確認に移る。こちらは仕事のために借りた激殺シリーズとは違い、梅原の趣味丸出しの作品であった。
「あっ、しぶい趣味ですねえ、これってスカーレット3部作の最初のものですよね。これ、私も観てみたいなあって思ってたんですよお。たしか3丁目の映画館でリバイバルやってましたよね。梅原さんはもう観ましたか?」
 すると梅原、己の顔を耳まで真っ赤に染めあげる。
――梅原さん、だって!
 初めて名前を呼ばれた。
 そんな細事でも有頂天になれる純情な梅原が、饒舌にまくしたてる。
「えっ、あ、あ、あなたもあの映画館行くんですか?いや、ボクもね、実はよく行くんですよ。でも今上映してるのは確か続編のほうでしょ。『新WBスカーレット』、あれはよくないですよ。どうしてなんでしょうね、監督が変わってすっかりケレン味がなくなっちゃったからかなあ。制作費に3倍つぎ込んであの駄作ですからね。もうどうしようもないですよ、ホント。ま、とにかく、続編よりも断然観るならこっちのほうがおすすめです。まだ観てないなら、高いお金払って劇場行くより、黙ってこっち観たほうがいいですよ。絶対おもしろいですから!ボクが保証します!太鼓判だって押しちゃいます!」
 真っ赤な顔で唾を飛ばして熱弁する梅原の姿に、うふふ、と口に手を当て笑う美弥。
「あ、あれッ、ボクなにかヘンなこと言いました?」
「いえ、そうじゃなくて・・・」
「はあ・・・」
「なんだか梅原さんの方がお店の人みたいだなって・・・だってほら、そんなに映画のこと詳しいから」
「あ、なるほど・・・いやあ、ははは・・・お恥ずかしい。大きなお世話でしたね」
「いえいえ、そんなことないですよぉ」
 恐縮して胸の前で手を振る美弥。梅原がいたずらっ子のようにハタと閃いた。
「あ、そうだ。だったらいっそのこと交換してみますか、お互いの仕事」
「お互いのって、私が刑事になるんですか?それで梅原さんがここのカウンターに立って・・・」
 美弥は思わず吹き出した。
「いいですね。私、子どもの頃ちょっと憧れてたんです、警察官になるの」
「うーん、ボクも今の仕事よかビデオ屋の主人のほうが天職のような気がしてきました」
 若いふたりの会話は盛り上がる。
 が、今はデートの最中ではない。美弥にとっては勤務中なのだ。
「あの、早くしてくれませんか」
 いつの間にか梅原の後ろに眼鏡をかけた猫背の女が立っていた。
 梅原同様、常連客で今日だけで既に2回目の来店である。
 地味ながらもそれなりに目立っているので美弥もよく覚えていた。
――昼に来たときはどこか機嫌が悪そうにみえたけど、今はそうでもないみたい。それにしても、手ぶらとはどういうことだろう。返すにしろ借りるにしろ、テープを持ってこなければ手続きできないのに・・・
 しかし、美弥の疑問はすぐに氷解した。
 女はよほど待ちきれなかったらしく、梅原を押しのけてカウンターに置いてあったビデオテープを掠め取って言った。
「これ、借してください」
 その手には、悪魔のレバー。
 ついさっき返却されたばかりのホラー映画である。


 今日もあの人が来てくれた!
 大石美弥は舞い上がっていた。
 2日続けて会えるなんて!しかも私がいるときに!もちろん自分に会いに来たわけではないことぐらい承知している。でもやはり嬉しかった。
 だけど――
 これ、渡しそびれちゃったなあ・・・
 と、エプロンのポケットから映画のチケットを取り出す。
 昨日、梅原が借りたビデオと3丁目の映画館で上映されている映画が同じだと知った美弥は、早速チケットを購入した。
――今度梅原さんが来たら、あの映画の話題を引き合いに、このチケットを見せて誘ってみよう。そう思っていたのに・・・
 よりによってあの映画が駄作だと言われては、チケットを出すに出せないではないか。実際に観たこともない映画だったから監督が別だとかそんな細かいところまで美弥に知る由もない。現実はドラマのようにうまくはいかないもの。まさにトホホな状態であった。
――でも、こんな手垢まみれの下手なドラマにだって出てこないような誘い方もないわよね。よく考えてみたら相当わざとらしいもの。
 美弥は2枚のチケットを再びポケットに戻して嘆息を漏らした。
――あーあ、梅原さんって好きな人とかいるのかなあ・・・


 黒井初子はほくほく顔で家路を急いでいた。
 悪魔のレバー!悪魔のレバー!悪魔のレバーがもうすぐ観れる!
 夜道は怖くない。
 夜道は嫌いじゃない。
 私は殺 人鬼シルビア。
 おそれるものは何もない。
 今、世間を騒がせている連続女性惨殺事件の犯人だってメじゃないわ。
 私はシルビア。誰にも負けない不屈の殺 人鬼。
 もうすぐだ。あの心地よい仮想の世界が私を待っている・・・・・・
 




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