沙粧妙子―薔薇の誓い―

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ACT8 第2の梶浦

「おい、梅原」
 朝一で梅原斗季夫が捜査一課に顔を出すと高坂警部が手薬煉ひいて待っていた。
「あ、おはようございます、警部」
 と、のんびりした調子で警部のデスクの前に行くと、やぶから棒に命令が下される。
「おまえ、今日から矢田と一緒に動け」
「えっ――でも、沙粧さんは・・・」
「構わねえよ。なに、こっちも人手が足りなくて困ってたんだ。おまえは2、3日こっちで働け。それにな・・・」
 煙草のけむりに燻された室内に更なる紫煙を追加する高坂がニヤリとわらう。
「息抜きだと思え。沙粧のお守りはラクじゃねえだろ」
「いえ、まあ・・・やっぱりすぐには慣れませんね」
 梅原が遠慮がちに応えると、高坂は豪快に笑い飛ばした。
「ばーか、アイツに慣れれるやつなんざいやしねえよ。いたとしたら、そいつはココがどうかしてるんだ」
 と己の米神を指さす高坂が、立ち上がって梅原の肩を思いっきり叩く。それは彼流の労わりなのだが、悲しいかなその思いはなかなか相手には伝わらないようだ。
 高坂が萎縮しまくる梅原の首根っこを引き寄せ耳元で囁いた。
「で、沙粧のほうはどうなんだ?何か掴んでるのか」
「はあ・・・」
 梅原は逡巡した。
 組織としては高坂が上司、しかし実質的には自分は沙粧の部下だ。そして、この情報化社会の時代、組織内の縄張り意識などバカバカしいことだとも思う。だがしかし――
「今のところは何も・・・」
 梅原が首を振ると、高坂はそうか、とだけ言ってあっさり彼を解放した。
 高坂は明らかにがっかりした様子だ。どうやら高坂は梅原の思っていた以上に期待していたらしい。梅原は軽い罪悪感を覚えたが、現にこの2日間で当たったことはすべて無駄骨だったように思えてならなかった。連続背骨折り事件、墨田紀子殺し、力丸禅太・・・とてもじゃないがこれらが一本の線で繋がっているとは到底考えられない。そうだ、こんなこと報告したって捜査を悪戯に混乱させるだけだ。これでいいんだ、これで・・・。
 梅原はそう己に言いきかせ、気持ちを切り替えることにした――


 沙粧妙子がいつもより遅れて犯 罪心理分析課に出勤すると、彼女の机は既に占拠されていた。
 山ほど席が空いているにもかかわらず敢えて沙粧の席に座っているのは、彼女の元同僚高坂警部だった。高坂の顔を見るなり、沙粧は片方の眉をきゅっと吊り上げた。
「珍しいわね」
「沙粧〜っ、相変わらず不景気なツラしてやがんなあ」
「あなたほどじゃないけどね」
 と、ほとんど挨拶代わりともいえる憎まれ口を叩きあうふたり。その間に寄辺が割りこんでくる。
「まあまあ、ふたりとも・・・それより、高坂さん、お茶でもいかがですか」
「いや結構。ウチはオタクと違って茶ぁしばいてるほどヒマじゃないんでね」
「でも、よその課を冷やかしにくるくらいのヒマはあるみたいだけど」
 高坂の皮肉に皮肉で返す沙粧。舌戦では沙粧のほうが一枚も二枚も上手である。高坂はわざとらしく咳払いして、一方的に用件を切り出した。
「2、3日ほど梅原をこっちで使わせてもらう。文句はねえよな。もともと捜査一課の人間なんだから」
「どうぞ」
 沙粧は迷わず即答した。高坂は駄目だと言われても覆すような男ではない。無駄なことはしないのが沙粧の主義だ。
 一方、意外とあっさり引き下がられ拍子抜けした高坂が沙粧に問う。
「で、どうしたんだよ?」
「なにが?」
 首を傾げて惚ける沙粧。
「なにがじゃねえだろっ!ちゃあんと報告は来てんだよ。そのケガ、誰にやられたんだ?まさか、事件がらみじゃねえだろうなあ!」
 腕に巻いた包帯をさして高坂が喚きちらす。彼の感情には90%の憤りと10%の不安が混在していた。
「知らないわ。強盗かなにかじゃないの・・・」
 平然とみえみえのウソをつく沙粧に対して、寄辺管理監が近づいてきて傷を見る。
「そうですか、強盗に――それはそれは難儀でしたねえ」
 寄辺はまるで信じきっているような口ぶりだ。
「おかげさまで昨日貰ったスプレー、早速役に立ちました」
「そうですか!それは不幸中の幸いでしたね」
「強盗ねえ・・・」
 米神をピクピク痙攣させる高坂が、怒りを堪えようと無理に笑顔をこさえている。彼が笑顔を振り撒いたときは、カミナリが落ちる予兆でもある。陰で彼の部下たちはそれをデビルスマイルと称していた。
 はりついた笑顔でじっと沙粧の目を睨む高坂。
 冷淡に見つめ返す沙粧。
 高坂は一語一語区切るように言ってやった。
「沙粧〜、また強盗に襲われんように、せいぜい気をつけるんだな」
「ご忠告どうも」
「けっ、やっぱりいつみてもいけすかねえヤツだよな、おまえわっ!」
 高坂がそんな捨て台詞を残す帰りしな、思い出したように振り返って言った。
「そういえば、あのエリートぼっちゃんがこっちに出張って来るらしいな」
「エリートぼっちゃん?」
「竹本哲夫だよ。なんだ沙粧、おまえ知らなかったのか?そうそう、竹本のヤツ、ついに嫁さん貰ったらしい。バカだよな、刑事が家庭もったら地獄見るぞって、俺がせっかく忠告しておいたのによお」


 梅原は矢田刑事と組んで連続背骨折事件の聞き込みに奔走していた。
 被害者の親兄弟、親戚縁者、仕事先ご近所さんにいたるまでとにかく関係者全員を人海戦術を駆使してのしらみつぶしのアリバイ聴取である。移動中の覆面パトカーの中、助手席の矢田刑事は苦虫を潰したような顔でふんぞり返っている。
 ハンドルを握る梅原がおそるおそる尋ねる。
「こんなことしてて大丈夫なんですかね」
「なにが?」
 大して暑くもないのに扇子でパタパタあおぐ矢田が聞き返す。
「や、つまり、こんなやり方で犯人のしっぽ掴めるんでしょうか」
「くだんねえこと聞くなよ、梅原」
 といいつつも元来、面倒見のいい矢田刑事は、新米梅原に説明してやる。
「いいか、俺たちだって一応これでメシ食ってんだ。今やってることがどんだけ薄いセンであるかぐらいわかってんだよ。特異な殺 害方法が3件も続けば同一犯の可能性が99%。しかも被害者3人の共通点がないとなれば、無差別殺 人である可能性は99.9%。だが、鑑識班は犯行現場からなんら手がかりを見出せないでいる。だからといって、俺たち捜査員たちは次の犯行が起きるまで指くわえて黙って待っているわけにはいかない。ゆえに無駄とは知りつつも捜査の基本にたちかえり関係者のアリバイ聴取に走り回っているってわけだ。それに可能性が0.01%でも残ってりゃ当たってみるってのが、刑事のありようってもんだ。便乗犯、模倣犯の可能性だって残されているわけだしな。ま、机上のお勉強で犯人割り出せんなら、俺たちは要らねえってこった」
「それって沙粧さんのことですか」
 矢田はその問いには答えず、パタパタと風の生産を続けている。
「沙粧さんって昔、捜査一課にいたんですよね?」
「ああ、いたよ」
「どういう人なんですか、あの人」
 梅原のご尤もな質問に矢田は揶揄するような調子で問うた。
「知りたいか」
「ええ、まあ」
「知らねえほうがいいぞ」
「どうしてですか」
「一緒にいるのが本格的に嫌になっちまうからだよ。たとえばだな、おまえに3人の恋人がいたとする」
「ボクはそんなにモテませんよ」
「わかってる。おもしろいヤツだな、おまえ。だからな、あくまでたとえ話だよ」
「はあ・・・」
「で、その3人が全員特殊な能力を持っていたとする。ひとりはサイコキネシス、ひとりはテレポーテーション、ひとりはマインドリーディングだ。この中でとりあえずひとりだけと別れるとしたら誰を選ぶ?」
「そりゃあ、マインドリーディングでしょうね。3人の女性と付き合ってるのバレてるわけですから、どのみち、その子とはうまくいかないでしょう」
「だろ?そういうことだよ。人間ってヤツは罪な生き物だ。聖人君子じゃいられない。誰にもいえない後ろめたいことや他人には知られたくない秘密の一つや二つあるもんだ。そういうの全部見透かされちまうんだ。たまらんだろ。まあな、とにかく沙粧とは付かず離れずにしとくことだ」
「ご親切にどうも」
「なあに、こっちもあいつのお守りがいなくなったら困るからな。ま、あいつのことは知らぬが仏ってこった」
 仏・・・?
 梅原は急に顔面蒼白になった。
――やっぱり沙粧さんに関わった人はみんな仏さんになっちゃうんだ。沙粧さんと組んだ人はみんな死んでるんだ。だから矢田さんは「知らぬが仏」って言ったんだ。
 やっぱり交番勤務のほうが良かったなあ・・・。
 梅原は真剣にそう思いはじめていた。


 高坂の去った犯 罪心理分析課は異様な静寂に包まれていた。
 電話一本かかってこないし、話し声すら聞こえてこない。
 沙粧は昨夜のケガが効いているらしく、外へは行かずパソコンでモンタージュづくりにとりかかっている。とはいえ相手は力丸禅太であることはわかっている。学生時代の写真が手元にあるので、そう難しい作業ではない。
 沙粧は力丸禅太について考える。
――なぜ彼は私のことを知っていたのか?彼はなぜ私を襲ったのか?そして何をしようとしていたのか?彼はなぜ私なら分かってくれるといったのか?そもそも彼の目的はなんなのか?そして彼と麻生萌子の接点は?
 力丸は沙粧の誘導に対して自供ともとれる発言をした。どうやら彼が連続背骨折殺 人の犯人とみて間違いなさそうだ。だが、あまりにも謎が多すぎる。
 先刻は高坂の手前、簡単に情報を提供するのを憚った沙粧ではあったが、これ以上犠牲者を増やさないためにも捜査一課に力丸禅太の指名手配をもちかけなければなるまい。そう沙粧は考えていた。
――心理分析の基本に立ち返ってみよう。幼少期の記憶。トラウマ。彼は元からこんな残虐な嗜好をもつ少年だったのか。違う。卒業アルバムに映るスナップ写真からはやや目立たたないがごく普通の少年に見える。
 いじめられっ子。
 母子家庭。
 怪力の持ち主。
 これらのキーワードを関係者の証言につきあわせてみる。
――自分の力を誰かに認めてほしかっただけなんじゃないのかな
――折角いじめられなくなったというのに・・・
 沙粧の脳裏にひとつのキーワードが閃いた。
 自己顕示欲。
 目立たない人間。母子家庭。家庭でも学校でも誰からも構ってもらえない存在。それゆえの反動。
 アルバムの中に笑顔の写真は一枚もない。みな、能面のように悟りきったような表情をはりつけている。
 沙粧は力丸禅太の心の根に横たわるものをかろうじて掴みかけた気がした。
「沙粧さん、ちょっといいですか」
 いつの間にか寄辺が近づいてきて、沙粧の隣りの空いている席に座る。
 沙粧はディスプレーに目を向けたまま、「どうぞ」と短く答えた。
「私ね、今年で定年退職なんですよ」
「そうですか。おめでとうございます」
――定年。そんなものがあったな。
 沙粧は心の内でひそかに嘲う。自分が定年まで刑事でいられるとは全く考えてもいなかった。いや、想像することさえもできない。実際一度クビになっているし・・・
「私はあなたや高坂さんのように第一線で働いてきた人間じゃありません。現場において拳銃を使ったことは一度もないし、凶悪犯を逮捕したこともない。捕まえるのはもっぱら万引きとか空き巣とかそういう小者ばかりでした。これまで、波風立たぬ人生を送ってきたんです。まあ、私の場合、警官というよりサラリーマンに近かった。業務日誌にはいつも「異常なし」と書くだけの日々。決まった時間に出勤し、決まった時間に退庁する。そして時間の許す限り家族と一緒に過ごす。退屈そうに聞こえるかもしれませんが、これはこれでなかなか悪くない人生でした」
「そうでしょうね。管理監、お子さんは?」
「息子と娘がひとりづついます。もう社会人として我が家を巣立っていきましたが・・・」
「じゃあ、今は奥さんとふたりだけ?」
「いえ、妻は去年亡くなりました。乳癌でした。まあ、ひとりになったからこうして沙粧さんの帰りを遅くまで待つこともできたりするわけなんですが・・・」
「それはすみません」
「いや、ははは。冗談ですよ、冗談」
 そして急に真顔になる寄辺。
「最後の一年というときに、まったく畑違いの犯 罪心理分析課に配属になったのは、言わば私の最後のご奉公なんです。沙粧さん、どうして私がここに配属になったか分かりますか?」
 沙粧には思うところがあった。少し迷ったがここは正面からぶつかってみるのもいいかもしれない。沙粧はそう思い、マウスにかけた手を離し寄辺に向きあった。
「簡単にいえば、この部署を潰すためでしょう。犯 罪心理分析課は潰されるために立ち上げられたんです。上層部は犯 罪捜査プロファイリングというものをまったく信用していません。でも、多様化する犯 罪形態の中で、なんのアクションも起こさない警視庁は世間から無能呼ばわりさせる。だから、やむなくこの課を立ち上げた。10人からの刑事を配してはいるけれど、実際は病み上がりの私と門外漢の管理監。いわばブラフ、隠れ蓑。たったふたりで何ができるものかと上の連中は高を括っている。結果が出せなければ潰す。ただそれだけのこと。一応欧米に倣って心理捜査をやってみました。でも日本ではうまくいきませんでした。そういうシナリオを期待しているんです。犯 罪心理などちゃんちゃらおかしい。けれども妙に大衆受けする。つまり、この犯 罪心理分析課は目の上のタンコブということでしょう」
 寄辺が目を丸くし、大仰に驚いてみせた。
「さすがは沙粧さん、やはり分かっていましたか。つまり私の仕事は『何もしないこと』なんです。ですが、それでは完全な正解とはいえない」
「どういう意味ですか」
「目の上のタンコブは、なにも犯 罪心理分析課だけじゃない。沙粧さん、あなたそのものとも言えるんですよ」
「私が・・・?」
 一笑にふそうとしたがうまく笑えない沙粧。寄辺は沙粧の反応を窺いながら先を続けた。
「はっきりいってしまえば、警察の汚点ともいえるプロファイリングチーム唯一の生き残りであるあなたが邪魔なんです。あなたには第2の梶浦になりうる要素があるのだから」
 唐突に梶浦の話題を持ちだされ冷静さを欠いた沙粧が思わず声を荒げる。
「そんなものはないッ!私は梶浦なんかにはならないッ!」
「落ち着いてください、沙粧さん。いいですか、考えてもみてください。そもそも刑事はなぜ犯人を追うのでしょう?街の治安を守るため。人々の安全で平和な暮らしを守るため。いずれにせよ、その目的は他人への奉仕です。でもあなたは違う。あなたが刑事でありつづけ、犯人を追いつづけるのは自分自身のためです。違いますか?」
 答えない沙粧。否定するのは簡単だ。自分自身そんなことは断じてないと思っている。だが、ならばなぜあなたは刑事でいるのかと問われれば、即答できる自信がない。
「犯 罪者と対峙することで、自分がそっち側の人間ではないことを確かめる。それこそがあなたが犯人を追いつづける理由なんです」
 そして寄辺は、またいつもの恵比寿顔に戻って言った。
「これは職命ではなく個人的な感情になりますが、私はあなたが暴走しそうになったら体を張ってでも止めるつもりです。なにしろ私はあなたのファンなんですから」
「管理監、あなたやっぱりネコかぶってましたね」
 沙粧は己を奮い立たせ、最大限の虚勢を張ってみせた。
――寄辺範之、敵か味方か?いずれにせよ、この男、やはりとんだ食わせ者だ。だが、毒をくらわば皿までもだ。
「ご心配なく、結果なら出してみせます」
「力丸禅太ですか。彼が背骨折り事件の犯人だと?」
 寄辺が沙粧のパソコンを覗き込み、ほぼ完成されたモンタージュを指し示す。
――やっぱり知っていたのか、この昼行灯!
「私はこの部署を存続させるつもりです。そのためにはなんだってします。いざとなったら管理監、あなたの力を借りることになるかもしれません」
「え、私ですか?私には何の力もありませんよ」
「とぼけないで。場合によっては一緒に心中してもらうことになります」
「こわいなあ・・・」
 寄辺は大げさにぶるっと身震いしてみせた。
 そして彼の縁なし眼鏡の奥の瞳が力強い光を放つ。
「だけど、光栄でもありますがね」





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