沙粧妙子―薔薇の誓い―

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ACT9 竹本と梅原

 沙粧妙子が力丸禅太に襲撃された木曜日から3日が過ぎた。
 これまでの法則によれば連続背骨折殺 人第4の事件は明日起こることとなる。
 一向に捜査が進展しない捜査一課は、沙粧から提供された力丸禅太犯人説を一応は聞き入れ、容疑者の一人に加えたものの肝心の彼の足取りはようとして掴めないでいた。
「ついに明日ですね」
 捜査一課の自席に座る梅原斗季夫が深いため息をつくと、高坂警部が煙草のフィルターをいらだたしげに噛みちぎって、「なにがだ!」とわめき散らした。人間拡声器高坂の大声に耳をふさぎながら梅原が返答する。
「いや、だから連続背骨折事件ですよ」
「わかってるよ、んなこたあ」
 まるで噛みあわない会話にいらつく高坂の百円ライターが梅原に飛んできて、その肩にヒットする。
 捜査は完全に煮詰まっていた。まさに袋小路。このままでは次の犯行を未然に防ぐのは絶望的といった状況。
 そんな緊迫した空気が読めない梅原が、よせばいいのにまたしても上司の神経を逆なでするようなことを言う。
「やっぱり力丸禅太が犯人なんですかねえ」
「知るか!とにかく今は手がかりひとつありゃしねえんだ。くそいまいましいが沙粧のカンに頼るしかねえだろ」
「カンですか」
「ああ、カンだよ。たしかにな、あいつの推測は穴だらけだ。動かぬ証拠ってやつがなにひとつない。だがあいつのカンは良くあたるんだ。刑事のカンじゃなくて女のカンってやつがな」
「はあ・・・」
 高坂警部がしわくちゃになった捜査資料を睨みながら続ける。
「沙粧に言わせると犯人は杉並区在住で、次の犯行現場もその周辺ってことらしいが、なにしろ根拠が根拠だからな。プロファイリングという名の与太話で他所に応援は依頼できんだろう。ったく、時間がないってのに、俺たちだけで動くしかないってんだから歯がゆいよ」
 まるで沙粧の説を信じているのは自分だけだと言わんばかりの高坂の態度に梅原は意外なものを感じた。
──なんだかんだ言っても、この人は沙粧さんのことを信頼してるんだな。
「でも警部、もしかしたら力丸はもう杉並にはいないんじゃないでしょうか」
「なにぃ?」
「えっと、昨日ですね、ボク、沙粧さんとこお見舞いに行ってきたんですよ。そしたら沙粧さん、力丸はもう部屋は引き払ったんじゃないかって言ってましたよ」
「なんでだよ!なんでそんなに行動が早いんだよ!」
「沙粧さん、力丸に襲われたとき、あなた力丸禅太でしょ、って確認したらしいんです。力丸はただでさえ用心深い男だから、名前と面が割れてることを知って住処を変えないわけがないって──
 その言葉を聞いた高坂の強面がみるみる真っ赤に茹で上がる。
 梅原は嫌な予感がして、あらかじめ耳をふさいで有事に備えた。
「聞いてねえぞ、俺わっ!!」
 案の定、ウガァと猛獣のような雄たけびをあげながら机を思いっきりひっぱたき、なおかつ椅子を蹴飛ばす高坂。
 と、そこへ場の空気が読めない男がまた一人あらわれた。
「あれ、高坂警部、どうかしたんですか。荒れてますねえ」
 その男の顔を見た高坂が無理に表情を和らげ両手を広げてみせた。
「おぉ、竹本か、久しぶりだな」
「どうも、おひさしぶりッス」
 黒革のジャケットに黒いパンツといったいでたちのこの男は、約一年前、沙粧とともにある事件に当たった男、竹本哲夫だった。精悍なマスクにボクシングの名手。しかも東大卒のエリート。プロフィールを見れば非の打ち所のない完璧な男である。しかし、本当に完璧な人間なんていやしない。沙粧はそんな竹本のコンプレックスをいち早く見抜いていた。竹本はそんな沙粧に反目しつつも、不思議と惹かれるものを覚えていったのだ。
「これ、つまらないモンですけどお土産です。皆さんで食べてください」
 紙袋を差し出した竹本が、高坂以外に部屋にいるもう一人の若い刑事、梅原斗季夫に気づいて会釈した。
「長野中央署の竹本です。あの、他のみなさんは外回りですか?──あっ、そっか。例の連続殺 人追ってるんスね」
「あ、ボク、先日捜査一課に赴任した梅原です」
 梅原が立ち上がってぺこりと頭を下げる。
──あれ、竹本って名前、どこかで聞いたような・・・
 針のように浮かんだ梅原の疑問は高坂がすぐに解決してくれた。
「おい、梅原。この竹本はな、前に沙粧と組まされてた気の毒な男でな、ま、言ってみりゃあ、おまえの前任者ってとこだ」
 それを聞いた竹本が親しげな笑みを浮かべて梅原に歩み寄る。
「あっ、そっスかあ。あんたが沙粧さんの・・・あの人、たいへんでしょ。でもあれで結構弱いところあるからよろしく頼みますよ。ところで、沙粧さんは元気ですか」
「竹本、おまえ、沙粧が元気なところ見たことあるのか」
「ハハッ、確かに」
 そして、快活に笑い頭を掻く好青年竹本の耳元に口を近づける高坂。
「ここだけのハナシ、今度の連続殺 人な、沙粧が一枚噛んでるらしいんだよ」
「えっ、またですか!まさか梶浦がらみじゃないでしょうね」
「わからん。こっちが聞きたいよ」
「あの・・・すいません、カジウラってなんですか?」
 二人の会話を黙って聞いていた梅原が尋ねると、竹本が一瞬きょとんとして「え、聞いてないの?」と高坂の方を見る。
 高坂が苦虫を噛み潰した顔で首を振る。
「梅原は赴任してまだ一週間なんだ」
「そっかあ。じゃあ梅原さん、今夜あたり一緒に呑みませんか。梶浦のこと話しておきたいし・・・というか梶浦を知らずして沙粧さんを知ることはできないッスからね」
「あっ、じゃあ是非」
 そんな竹本と梅原の間に高坂が割り込んでそれぞれの肩をバシバシ叩く。
「おっ、新旧沙粧担当者の引き継ぎ式か。だがな、酒もほどほどにしてくれよ。今は捜査の真っ只中なんだからな」
「わかってますよ」
 笑顔で応じる竹本に高坂が思い出したように言った。
「いずれおまえらふたりは何の因果か沙粧と組まされた。はっきり言やあババ引かされたってこった。おかげで竹本はその輝かしい未来にケチがついちまったわけだが」
「あ、それひどいなあ。俺、今幸せっスよ。新婚ですしね」
「バーカ、それが不幸の始まりなんだよ」
 高坂がからかうように竹本を小突き、さりげなく祝儀袋を差し出す。
「まあ、とっとけ。おまえさんの不幸な未来へのささやかな見舞金だ」
「警部・・・すいません。じゃあ、ありがたくいただきますッ!」
 と、そこへ梅原が非常に申し訳なさげに竹本に問う。
「あの・・・竹本さん、足、ついてますよね」
「はあ?」
 言ってる意味が理解できず素っ頓狂な声を上げる竹本。
「や、ボク、てっきり竹本さんって死んだものと思ってたもので──
「えー、ちょっとなんだよ、それぇ」
「いや、だから、つまり、そのぉ・・・」
 半笑いで詰め寄る竹本に、しどろもどろの梅原。
 そんな梅原の窮地を救ったのは一本の電話だった。
「はい、捜査一課──おぉ、矢田か」
 電話をとった高坂警部の表情が俄かに引き締まる。
「どうだ、なにかわかったか」
 電話の向こうで矢田が答える。
「力丸禅太のヤサがわかりました。やっぱり杉並でしたね。『裸々光研二』って偽名使ってたんで見つけるのに骨が折れましたよ。ですが、隣人に沙粧の作ったモンタージュ見せたらコイツに間違いないって」
 それでもいまいち晴れない矢田の声に不安になる高坂が期待度の低い質問をする。
「で、力丸は部屋にいたのか」
「いえ、先週金曜日の朝にはほとんど身ひとつで出て行ったようです。行き先はわからないと・・・もう戻って来ないかもしれませんね。一応鑑識は手配しときましたが、警部も現場見ますか?」
 すると高坂、一にも二もなく即答する。
「当たりまえだ、すぐ行く」


 その頃、沙粧妙子は自宅のマンションで電話をしていた。
 相手は妹の美代子である。
 真剣に姉を気遣う美代子の声が沙粧の耳に心地よく響いてくる。
「お姉ちゃん、ちゃんと食べてる?不摂生してない?」
「大丈夫、こっちは適当にやってるわよ」
 沙粧が長い髪を梳きあげて薄く笑う。美代子は沙粧にとって唯一の肉親。本当に心を許せるただ一人の妹。そして、かろうじてこちらの世界にとどまっていられる理由のひとつだった。
「美代子、まるで母親みたいな言い方ね」
「だって母親だもん」
 美代子は現在結婚し一児の母である。子供が生まれたことで育児に忙しい日々を送っているが、こうしてときおり様子みがてら電話をかけてきていた。
「ねえ、お姉ちゃん、今仕事忙しいの」
「まあね」
「そう・・・でも忙しいのはわかるけどさ、たまには赤ちゃんの顔でも見に来なよ。あたし、ホントにお姉ちゃんのこと気にしてるんだから」
「余計な心配しないで、あなたは自分の家庭のことだけ気にしてなさい」
 そう邪険に返しつつも感謝の気持ちでいっぱいの沙粧だった。つらく苦しい裏切りの経験からか、ストレートに感情を表すことが苦手となっていた沙粧は、そんな自分自身をいつももてあましていた。
 しかしそんな沙粧の不器用な性格を長い付き合いの美代子は当然のごとく承知している。不遇な家庭でともに育ち、失恋というにはあまりにも悲すぎる事件を乗り越えてこれたのも姉の支えがあってこそのもの。だから姉妹の絆は誰にも負けないと美代子は常々言っていた。
「また、そうやってはぐらかすんだから。あたし、お姉ちゃんが警察に戻るのだって賛成したわけじゃないんだからね」
「美代子・・・」
「前にも言ったけどさ、あたし、お姉ちゃんが幸せになれないのは、あたしのせいかなってずっと思ってたんだ。ねえ、お姉ちゃん。あたし、今スゴク幸せだよ。だから、お姉ちゃんも──
 ふいに受話器越しに赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。
「美代子、赤ちゃん、泣いてるわよ」
「あっ、起きちゃったみたい。ごめんね、お姉ちゃん。また電話する」
 慌しく電話を切る美代子に沙粧は思わず笑みをこぼした。
「やっぱり、まだまだ子どもね」
 と、沙粧が受話器を戻した瞬間、呼び出し音が鳴りひびく。
 驚いて再び受話器をあげると、こちらもやたらと慌しい梅原の声が飛び込んでくる。
「あ、沙粧さんですか。お休みのところすみません」
「どうしたの、梅原」
「力丸禅太の住所がわかりました。沙粧さんの予想どおり杉並区内のアパートでしたよ。これから向かうところですが一応連絡しておこうと思って」
「教えて」
「はい?」
「その住所教えて」
「え、来るんですか!今から?」
 すっとんきょうな声を上げる梅原に沙粧が冷たい声で叱咤する。
「当たりまえでしょ、いいから早く教えなさい」


「おほっ、集まってる、集まってる」
 力丸禅太は某ホテルの一室にいた。
 いたくゴキゲンの力丸は、大胆にも双眼鏡越しに一昨日まで住んでいたアパートを眺めていた。
 パトカーが次々と到着し、何十人もの捜査員が彼の部屋に出入りしている様子を鑑賞するその様子は、まさに高みの見物である。
「わりと早く見つかっちゃったな。日本の警察も意外とやるもんだねえ。だけど・・・」
 力丸が双眼鏡をのぞいたまま、器用にプリッツの箱に手を伸ばし、5、6本一気に口に入れるとバリバリ噛み砕いた。
「そんなとこ探したって、なんにも出てこないよぉだ──おっ、来た来た。真打登場
 一台の車が到着し、ひとりの女性が降りたった。
 双眼鏡のレンズ越しに沙粧妙子の厳しい表情がクローズアップされる。
「むふふふ、待ってたよ、沙粧さぁん。会いたかったよぉ」
 力丸は興奮ぎみにプリッツを箱ごと掴むと、それを逆さにして乱暴に口に放り込んだ。
「やっぱり、プリッツはサラダ味だな」
 三噛みほどで飲みくだし、口のまわりに残る塩分をペロリとひと舐めする力丸が、イヤホンを耳にあて身を乗りだす。
「それじゃあ、お手並み拝聴といきますかねえ──むふふふふふ」



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